2018/02/12(月) - 09:06
9回開催した中で最も好天に恵まれ、サイクリストの笑顔が弾けた美ら島オキナワセンチュリーラン。昨年のテストを経て大会翌日のアフターライドが今年は4箇所での開催となった。このレポートでは沖縄県中部に位置する読谷村を舞台としたガイドサイクリングの模様をお届けする。
沖縄中部を駆け回るサイクリングより一夜明けた月曜日の朝。普段なら通勤路の景色が灰色に見えるのだが、投宿しているホテルから望む東シナ海はエメラルドグリーンと群青色に輝き、煌めく日光は目の前の景色にコントラスト強めの彩りを与える。
この日は美ら島沖縄センチュリーランのアフターライドが、羽地とうるま、恩納、読谷という4地域で開催される。集合時間は9時と夜明け前から動き始めることが多いサイクリングイベントにあって比較的のんびりと過ごすことができるスケジュール。ホテルの朝食をのんびりといただいてから集合地点に移動を開始しても遅くない。
このページでは、“めんそーれ”コースでメインに、“センチュリーコース”の終盤に登場する読谷村が舞台とされたアフターライドの様子をレポートする。集合場所は嘉手納町との境目にある渡具知ビーチ。がんじゅうファームの一角に集合した参加者の方は、ガイドをスムーズに行えるようにとインカムシステムBONXをセッティングをまずは行う。「あーあー聞こえますか?」「聞こえます、聞こえます」というやり取りはどんなにテクノロジーが発展しても普遍なものなのだろう。この日はライド中もガイドを受けられる体勢でスタートすることに。
ひと通り身支度を整えたら、いよいよ出発となる。この読谷村アフターライドの参加人数は4名。地元沖縄のサイクリングガイド仲尾次さん、読谷村観光局の比嘉さん、大会実行委員の池田さん、取材のために参加する筆者を含め、計8名のパーティーで読谷村のディープなスポットを巡ることに。
がんじゅうファームを飛び出した我々は、燦々と降り注ぐ日光を心ゆくまで堪能するかのようにのんびりとしたペースでペダルを回し始める。渡具知ビーチ周辺は農耕地であるが、沖縄といってイメージするような辺り一面がサトウキビ畑になっているわけではなく、ビニールハウスや牛舎が建ち様々な作物を育てているエリア。いかにも、という雰囲気ではなく、リアルな農業の様子を感じ取りながら足を進める。
トリイステーションという米軍施設沿いに走る国道58号線に合流したと思ったら、あっという間に脇道に逸れ住宅街に突入。知る人ぞ知る抜け道なのかなと考えていたが、巨大なガジュマルの足元でストップする。ここには阿麻和利という琉球史では重要な人物が眠る墓地。ここで観光協会の比嘉さんによる解説が始まる。
14世紀に活躍したとされる阿麻和利が誰なのか、一体何故ここで眠るのか。生誕から没するまでの生涯など日本史の授業では習うことのないディープな歴史を事細かにレクチャーしてくれるため、知的好奇心が満たされていく。ファーストインプレッションでインパクトを与える絶景は旅に欠かすことはできないが、普段ならスルーしてしまうような場所で足をとめ、地域の歴史に触れることも旅の醍醐味だ。
ちなみに阿麻和利はうるま市にある勝連城の城主としてほとんどの沖縄県民に知られるほどの英雄だが、墓地が読谷村に存在していたと知る人はほとんどいないのだという。何故ならば、阿麻和利が読谷村のヒーローであった護佐丸を討伐したことにあるという。そんな人物がこの土地で没し、眠ることは公にすることはできなかったのだ。4〜50年前に遺族から公表することが認められたばかりなのだという。
勝連では英雄だが、読谷では悪人として認識され、墓地の存在を隠さなければならなかった阿麻和利の運命を辿った後は、再び5分ほど自転車に乗り次なる目的地へと移動する。県道6号線を西に向かって走行しているとトリイステーションという名前の由来となった鳥居が現れ、そちらに気を取られがちだが、鳥居の対面に位置する赤犬子宮へと足を運ぶ。
ここはその名の通り、あかぬく、あかいんこ…など様々な読み方が存在する赤犬子という人物が祀られているというお宮だ。この人物は、8・8・8・6音で歌う琉歌に初めて三線の調べを乗せたことで知られ、現在まで続く琉球音楽と三線の始祖として楚辺地域の人々はもとより沖縄芸能の関係者から信奉されているという。芸能を志す人々がお参りに訪れるのだとか。比嘉さんは史跡の概略だけではなく沖縄式のお参り方法、沖縄流御墓参り、戦後建てられた外人住宅のことなども教えてくれるため、延々と耳を傾けていられる。
再び県道6号へと戻りライドを再開するが、5分も経過しないうちに住宅街へと入り、トリイステーションのゲート前で足を止めることに。金網の向こう側に広がるのは米軍基地内であり、認められた人間しか入ることのできないアメリカ領だ。しかし、日本人のオバァが運転する軽トラックがゲートを通過していく。なんでもトリイステーションの土地は9割が私有地であり、元々この場所で農業を営んでいた人に限り基地入りが許可されているという。この場所は読谷村の一等地であると比嘉さんは言う。中には畑しかないというが、白砂のビーチが広がり、リゾート地にうってつけだとも言う。
その後我々は「ユーバンタの浜」という穴場ビーチへと足を運ぶ。ガイド本にも乗っておらず、沖縄県民でさえも知る人が少ないという穴場スポットで、この日も地元の方がユンタク(井戸端会議)しているだけで誰もいない。騒音なども少なく、静かにのんびりと過ごしたいのならばオススメの場所だ。東シナ海に沈む夕陽を眺めるのには最高だろう。
自転車に跨り走り出すも細かく停車し、キジムナーという妖怪の説明や、沖縄の商店では軒先でオバァたちがモヤシのヒゲを取る作業を行なっていることなど、伝承や人々の営みなどを細かく教えてくれる。我々はあまりにも充実した時間を過ごした後、都屋漁港へと足を向けたが、ここで思わぬ事態が発生。
なんと見学予定だった競りが終了していたのだ。競りは10時から始まるのだが、我々が到着したのは時計の針が11時を指そうかというタイミング。なんくるないさー。読谷村が誇る定置網漁の説明や、ジンベイザメを餌付けしていることなど、次から次へと比嘉さんの口から語られるため好奇心は刺激されっぱなし。
定置網は東京タワー(高さ333m)がスッポリと入る大きさで、ジンベイザメやマンタ、ウミガメなど大きな生物が迷い込むこともあるのだとか。現在、美ら海水族館で飼育されている海洋生物の7割は都屋で捕獲されたものだと比嘉さんは説明する。ジンベイザメも都屋育ちであり、何度放流しても定置網にかかるため、美ら海水族館へと送られたという。
お昼前にしてジリジリと肌が焼けるほど強い日差しとなったアフターライドも後半戦へと突入し、ここからは海際から読谷村の丘の上まで登るヒルクライムが待っている。東シナ海をバックにした丘越えをクリアすると、“めんそーれ”コースの第2エイドとなったファーマーズマーケット ゆんた市場で小休止を挟むことに。
旅に出ると現地のスーパーマーケットを眺めると面白いとよく言われることだが、まさにその通り。パパイヤの実やアロエなど南国らしい食べ物が選り取り見取り。なかでも驚いたのが、超巨大な山芋が幾つも並べられていたこと。関東で見る山芋は片手で持つことができるが、こちらの山芋は抱え込むほどの大きさ。南国の温暖な気候が育む作物はどれも風味豊かに見えて、購入したくなるが、バックパックはすでに満載状態のため断念。
さあ、ファーマーズマーケット ゆんた市場での休みを終えたら、スタート/フィニッシュ地点である渡具知ビーチへと引き返すだけだ。広々とした直線路を気持ちよく快走し、和気あいあいとしたサイクリングを楽しんだ後、渡具知ビーチ・がんじゅうファームへと帰着した我々を待っていたのは、沖縄のブランド豚肉「紅豚」を使用したカツカレー。気が付けばお昼過ぎ。お腹を空かせていた我々は、ボリューミーな量にもかかわらずペロリと平らげてしまった。世間話にも花が咲いてしまったため、後ろ髪を引かれる思いで、記念撮影を行い解散へ。
アフターサイクリングでは、わずか16kmの間で阿麻和利と地域の関係性、赤犬子伝説、米軍基地と地元農業との関わり方、そして穴場ビーチなど読谷村のディープな部分に触れてきた。その非常に濃密な時間は知識欲を満たしてくれる素敵なひとときであった。
しかし、読谷村には世界遺産の座喜味城址や残波岬、沖縄戦での生死を別けたという悲しい運命を辿ったガマなど、見るべきコンテンツはまだまだ多く存在し、今回はほんの一部にすぎない。見どころ満載の日本一人口の多い村"読谷"。まだまだ解説してもらいたいスポットを巡るために再び訪れたい。
text&photo:Gakuto Fujiwara
沖縄中部を駆け回るサイクリングより一夜明けた月曜日の朝。普段なら通勤路の景色が灰色に見えるのだが、投宿しているホテルから望む東シナ海はエメラルドグリーンと群青色に輝き、煌めく日光は目の前の景色にコントラスト強めの彩りを与える。
この日は美ら島沖縄センチュリーランのアフターライドが、羽地とうるま、恩納、読谷という4地域で開催される。集合時間は9時と夜明け前から動き始めることが多いサイクリングイベントにあって比較的のんびりと過ごすことができるスケジュール。ホテルの朝食をのんびりといただいてから集合地点に移動を開始しても遅くない。
このページでは、“めんそーれ”コースでメインに、“センチュリーコース”の終盤に登場する読谷村が舞台とされたアフターライドの様子をレポートする。集合場所は嘉手納町との境目にある渡具知ビーチ。がんじゅうファームの一角に集合した参加者の方は、ガイドをスムーズに行えるようにとインカムシステムBONXをセッティングをまずは行う。「あーあー聞こえますか?」「聞こえます、聞こえます」というやり取りはどんなにテクノロジーが発展しても普遍なものなのだろう。この日はライド中もガイドを受けられる体勢でスタートすることに。
ひと通り身支度を整えたら、いよいよ出発となる。この読谷村アフターライドの参加人数は4名。地元沖縄のサイクリングガイド仲尾次さん、読谷村観光局の比嘉さん、大会実行委員の池田さん、取材のために参加する筆者を含め、計8名のパーティーで読谷村のディープなスポットを巡ることに。
がんじゅうファームを飛び出した我々は、燦々と降り注ぐ日光を心ゆくまで堪能するかのようにのんびりとしたペースでペダルを回し始める。渡具知ビーチ周辺は農耕地であるが、沖縄といってイメージするような辺り一面がサトウキビ畑になっているわけではなく、ビニールハウスや牛舎が建ち様々な作物を育てているエリア。いかにも、という雰囲気ではなく、リアルな農業の様子を感じ取りながら足を進める。
トリイステーションという米軍施設沿いに走る国道58号線に合流したと思ったら、あっという間に脇道に逸れ住宅街に突入。知る人ぞ知る抜け道なのかなと考えていたが、巨大なガジュマルの足元でストップする。ここには阿麻和利という琉球史では重要な人物が眠る墓地。ここで観光協会の比嘉さんによる解説が始まる。
14世紀に活躍したとされる阿麻和利が誰なのか、一体何故ここで眠るのか。生誕から没するまでの生涯など日本史の授業では習うことのないディープな歴史を事細かにレクチャーしてくれるため、知的好奇心が満たされていく。ファーストインプレッションでインパクトを与える絶景は旅に欠かすことはできないが、普段ならスルーしてしまうような場所で足をとめ、地域の歴史に触れることも旅の醍醐味だ。
ちなみに阿麻和利はうるま市にある勝連城の城主としてほとんどの沖縄県民に知られるほどの英雄だが、墓地が読谷村に存在していたと知る人はほとんどいないのだという。何故ならば、阿麻和利が読谷村のヒーローであった護佐丸を討伐したことにあるという。そんな人物がこの土地で没し、眠ることは公にすることはできなかったのだ。4〜50年前に遺族から公表することが認められたばかりなのだという。
勝連では英雄だが、読谷では悪人として認識され、墓地の存在を隠さなければならなかった阿麻和利の運命を辿った後は、再び5分ほど自転車に乗り次なる目的地へと移動する。県道6号線を西に向かって走行しているとトリイステーションという名前の由来となった鳥居が現れ、そちらに気を取られがちだが、鳥居の対面に位置する赤犬子宮へと足を運ぶ。
ここはその名の通り、あかぬく、あかいんこ…など様々な読み方が存在する赤犬子という人物が祀られているというお宮だ。この人物は、8・8・8・6音で歌う琉歌に初めて三線の調べを乗せたことで知られ、現在まで続く琉球音楽と三線の始祖として楚辺地域の人々はもとより沖縄芸能の関係者から信奉されているという。芸能を志す人々がお参りに訪れるのだとか。比嘉さんは史跡の概略だけではなく沖縄式のお参り方法、沖縄流御墓参り、戦後建てられた外人住宅のことなども教えてくれるため、延々と耳を傾けていられる。
再び県道6号へと戻りライドを再開するが、5分も経過しないうちに住宅街へと入り、トリイステーションのゲート前で足を止めることに。金網の向こう側に広がるのは米軍基地内であり、認められた人間しか入ることのできないアメリカ領だ。しかし、日本人のオバァが運転する軽トラックがゲートを通過していく。なんでもトリイステーションの土地は9割が私有地であり、元々この場所で農業を営んでいた人に限り基地入りが許可されているという。この場所は読谷村の一等地であると比嘉さんは言う。中には畑しかないというが、白砂のビーチが広がり、リゾート地にうってつけだとも言う。
その後我々は「ユーバンタの浜」という穴場ビーチへと足を運ぶ。ガイド本にも乗っておらず、沖縄県民でさえも知る人が少ないという穴場スポットで、この日も地元の方がユンタク(井戸端会議)しているだけで誰もいない。騒音なども少なく、静かにのんびりと過ごしたいのならばオススメの場所だ。東シナ海に沈む夕陽を眺めるのには最高だろう。
自転車に跨り走り出すも細かく停車し、キジムナーという妖怪の説明や、沖縄の商店では軒先でオバァたちがモヤシのヒゲを取る作業を行なっていることなど、伝承や人々の営みなどを細かく教えてくれる。我々はあまりにも充実した時間を過ごした後、都屋漁港へと足を向けたが、ここで思わぬ事態が発生。
なんと見学予定だった競りが終了していたのだ。競りは10時から始まるのだが、我々が到着したのは時計の針が11時を指そうかというタイミング。なんくるないさー。読谷村が誇る定置網漁の説明や、ジンベイザメを餌付けしていることなど、次から次へと比嘉さんの口から語られるため好奇心は刺激されっぱなし。
定置網は東京タワー(高さ333m)がスッポリと入る大きさで、ジンベイザメやマンタ、ウミガメなど大きな生物が迷い込むこともあるのだとか。現在、美ら海水族館で飼育されている海洋生物の7割は都屋で捕獲されたものだと比嘉さんは説明する。ジンベイザメも都屋育ちであり、何度放流しても定置網にかかるため、美ら海水族館へと送られたという。
お昼前にしてジリジリと肌が焼けるほど強い日差しとなったアフターライドも後半戦へと突入し、ここからは海際から読谷村の丘の上まで登るヒルクライムが待っている。東シナ海をバックにした丘越えをクリアすると、“めんそーれ”コースの第2エイドとなったファーマーズマーケット ゆんた市場で小休止を挟むことに。
旅に出ると現地のスーパーマーケットを眺めると面白いとよく言われることだが、まさにその通り。パパイヤの実やアロエなど南国らしい食べ物が選り取り見取り。なかでも驚いたのが、超巨大な山芋が幾つも並べられていたこと。関東で見る山芋は片手で持つことができるが、こちらの山芋は抱え込むほどの大きさ。南国の温暖な気候が育む作物はどれも風味豊かに見えて、購入したくなるが、バックパックはすでに満載状態のため断念。
さあ、ファーマーズマーケット ゆんた市場での休みを終えたら、スタート/フィニッシュ地点である渡具知ビーチへと引き返すだけだ。広々とした直線路を気持ちよく快走し、和気あいあいとしたサイクリングを楽しんだ後、渡具知ビーチ・がんじゅうファームへと帰着した我々を待っていたのは、沖縄のブランド豚肉「紅豚」を使用したカツカレー。気が付けばお昼過ぎ。お腹を空かせていた我々は、ボリューミーな量にもかかわらずペロリと平らげてしまった。世間話にも花が咲いてしまったため、後ろ髪を引かれる思いで、記念撮影を行い解散へ。
アフターサイクリングでは、わずか16kmの間で阿麻和利と地域の関係性、赤犬子伝説、米軍基地と地元農業との関わり方、そして穴場ビーチなど読谷村のディープな部分に触れてきた。その非常に濃密な時間は知識欲を満たしてくれる素敵なひとときであった。
しかし、読谷村には世界遺産の座喜味城址や残波岬、沖縄戦での生死を別けたという悲しい運命を辿ったガマなど、見るべきコンテンツはまだまだ多く存在し、今回はほんの一部にすぎない。見どころ満載の日本一人口の多い村"読谷"。まだまだ解説してもらいたいスポットを巡るために再び訪れたい。
text&photo:Gakuto Fujiwara
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