2017/10/23(月) - 09:22
10月1日(日)、宮城県最南端の街である丸森町で開催された「自転車と旅の日~MARUVÉLO à marumori」。その主催者として大きな役割を果たされた目黒誠子さんのレポートが届きました。(※後編はこちら)
10月1日、宮城県最南端の、人口1万4千人ほどの小さな町、丸森町で今年はじめて「自転車と旅の日~MARUVÉLO à marumori」(以下、マルベロ)というイベントを主催しました。マルは丸森とマルシェから、ベロはフランス語で自転車(VÉLO)の意味。二つ合わせて、「マルベロ」です。おかげさまで盛況に終えることができ、マルベロに関わってくださったみなさま、ご来場くださったみなさまには厚く御礼申し上げます。
このイベントは、今年で3回目の取材となったツール・ド・フランスからインスピレーションを受けており、ツール・ド・フランスのように、地元に住む人々が、地域に自信と誇りをもってほしいという思いから、「サイクルフェスタ丸森」を応援するためのイベントとして企画しました。ツール・ド・フランスの取材では、レースレポートというよりそのバックグラウンドを中心に取材していますが、そもそも、生まれ育った町とロードレースに興味を持った「きっかけ」にさかのぼります。
私はここ、宮城県の丸森町で生まれ育ちました。小学校5年生から中学時代の3年間、軽い山越えがある片道約5キロの道のりを毎日自転車通学。部活でバスケットボールをしてからの自転車はとてもよい気分転換となっていたように思います。その頃から風を切りながらスイスイと進んでいく自転車に乗るのが大好きでした。高校は、丸森駅から阿武隈急行線で約1時間をかけて仙台へ。高校卒業後上京、短大を卒業し、国内航空会社の客室乗務員として国内・海外を飛び回りました。2006年、業務で携わったジャパンカップを初観戦。その世界に魅了され、ロードレースや自転車のとりこになりました。
その、2006年10月。ロードレースについて何の知識もない中、業務で赴いた先は、宇都宮森林公園。「こんな山の中で何が行われるのだろう?」。疑問を感じながらも車で到着した先に広がっていたのは、まるでF1のような世界でした。カラフルなジャージに身を包んだ国際色豊かな選手たちが、驚くほどの速さで自転車をこぎ、山を駆け巡っていきます。自転車の音、風の音、観客の声援。選手の隊列のあとには、ルーフに自転車を積んだ車の隊列。山も、自然も選手も風も、すべてがキラキラしているように見えました。選手も活き活き、観ている観客も活き活き、そして、山も自然も活き活きしているように見えました。
「田舎で何もない…ではなく、田舎だからこそできることがある」。田舎の出身であることを、なんとなくコンプレックスに思っていましたが、大きく覆された出来事となりました。このジャパンカップをきっかけにロードレースというものに興味を持ち始め、小さな頃からの生活スタイルがそのまんま、最も「豊かで贅沢な生活」なのではないかと、意識が変わっていきました。その日を境に、まるで運命の扉がパーン、パーンと開くように、自転車業界のさまざまな人と出会うことになりました。自転車雑誌に連載をし始め、「ツアー・オブ・ジャパン」(以下TOJでは、海外チーム招待担当をすることに。
TOJも、日本の美しい田舎がフィールドとなっています。しかし、日本においてサイクルロードレースはマイナーなスポーツ。ヨーロッパと違い、文化としてまだ根付いていないこともあって、行政や警察の理解もなかなか得られません。また、スポンサー獲得も困難なため、存続の危機さえあるのが現状です。このように、内部の事情を嫌というほど知るようになりました。
しかし、嫌になるどころか、「海外のレースはどのようにしているのだろう?」また、「もっと、海外にも日本のレースを知ってほしい」と思いはじめ、ロードレース最高峰である「ツール・ド・フランスの取材をしたい!」と、シクロワイアード編集長・綾野さんに直談判したのが2015年の春でした。
TOJから依頼された仕事ではなく、自分自身の意思で、自腹の旅でした。これまでも「ツールに連れて行って」というリクエストはたくさん受けていたそうですが、キツさや厳しさから、ほとんどお断りしていたという綾野さんが帯同をOKしてくれたのも、私の強い思いに押されてだと後から知りました。
覚悟を決めて帯同したツール・ド・フランスからは、たくさんのことを学びました。地域とのつながりや自転車と自然の共存、人々の生活の楽しみ方など、得られた経験やインスパイアーされたことは数えきれません。ツール・ド・フランスはフランス全土がコースとなるため、パリのような都会もあれば、村や集落、畑に囲まれたところ、山の中もフィールドとなります。
自分の家の目の前がコースとなり、プロの選手が走っていく…ツール・ド・フランスが来ることによって、より自然を愛し、田舎を愛し、自分たちの村や町をより愛するようになる。田舎であることに自信と誇りを持ち、生きがいを持ち、美しく保ちながらそこに住まう人々に感銘を受けたのです。自然が豊かな田舎にしかないものがある、そしてそれはかけがえのないものである、と確信するに至りました。
プレミアチケットとなっている「サイクルフェスタ丸森」
2016年夏。東京から丸森にUターンを決意、拠点を移しました。丸森町には2012年から開催されている「サイクルフェスタ丸森」というライドイベントがあります。丸森町が主催となり、毎年約500名が参加(2017年は530名)。エントリー開始直後の数分で埋まってしまう人気イベントです。私もこれまで参加させていただき、起伏に富んだ美しいコースやエイドステーションのフードには大満足。と共に、丸森へ帰り地元住民の視点で感じたことは、「スタート後の会場は、参加者がフィニッシュするまでがらんとしていてさみしい」ということ。
せっかく遠くから来ていただくのだから、ツール・ド・フランスのように、「自転車に乗る人はもちろん、乗らない人、あまり知らない人にも自転車の魅力を知ってもらいたいし楽しんでもらいたい」、「都会から来る人には田舎の豊かさを感じるきっかけになれたら、そして地元に住む人たちは地域に自信と誇りを」と思うようになり、4月、マルベロの原案を企画し提案。サイクルフェスタ丸森の会議でプレゼンさせてもらう機会を持ちました。
思いを共有できる仲間たち
ですが、すぐには思うように行きませんでした。「サイクリスト優先にしたい」等、さまざまな事情によりスタート・フィニッシュ会場をお借りできない、とわかったときは、落ち込みました。物理的な問題だとはわかっていましたが、「もう東京に戻ろうかな…」そんな風に思っていたときに元気づけてくれたのは、隣の角田市にあるおしゃれな古民家パン屋「hori pan」の堀畑さんと紀美さん。
「それなら自分たちでやりましょう!」と。「丸森で自転車だから、マルベロですね!」と。マルベロの名前が生まれた瞬間でした。その後丸森町移住定住サポートセンターのみんなをはじめ、のちにマルベロ実行委員会メンバーとなったみんなが、大きな力を貸してくれることになりました。ほとんどのメンバーが丸森町在住、隣の角田市や山元町に暮らす地元住民です。このように、「マルベロ」は、地元に住む、思いを共有できる仲間が集まり、皆のパワーが融合したことで形になっていきました。
「自分たちでやろう!」
当初から実はアイディアに上がっていた「齋理屋敷」。その館長にダメ元で相談してみたところ、私の思いに賛同してくれ、二つ返事でOK、「それならここを使いなさい」。なんと国の重要文化財であり江戸時代からの蔵が立ち並ぶ「齋理屋敷」の場所を貸してくださることに。
齋理屋敷は丸森町のランドマーク的存在で、江戸時代後期から昭和初期にかけて、七代にわたり栄えた豪商「齋藤家」のお屋敷と収蔵品を、町の郷土資料館として開放している博物館。当時の暮らしを偲ぶことができる美しい館です。この素晴らしい場所をお借りできることになってからは、アイディアがさまざま広がっていきました。
この頃には、隣の山元町在住の「ノワイヨルウグデザインスタジオ」のお二人も大きく力を貸してくださることになりました。感度の高いお二人は、兼ねてより「ツール・ド・フランスに興味をもっていた」とのこと、「自転車は、自転車に乗らない人には少し敷居が高いかもしれないから、“旅とアート”もテーマに入れたらどう?」。
どこを切り取っても美しく、スポーツでありながらアートでもあり、暮らす人々も街全体も自転車一色となるツール・ド・フランスとも大きくつながります。たくさんの人が楽しめるアート性と喜びあふれるイベントで、地域の皆さんと訪れる皆さんが楽しく過ごせる、魅力のつまった一日となることを願い、「自転車の日」に「旅とアートとミュージック」も加わり、「自転車と旅の日」のテーマが出来上がりました。
著者プロフィール:目黒 誠子(めぐろせいこ)
宮城県丸森町生まれ。2006年ジャパンカップサイクルロードレースに業務で携わってからロードレースの世界に魅了される。2014年よりツアー・オブ・ジャパンでは海外チームの招待・連絡を担当していた。ロードバイクでのサイクリングを楽しむ。趣味はヨガ、バラ栽培と鑑賞。航空会社の広報系の仕事にも携わり、折り紙飛行機の指導員という変わりダネ資格を持つ。現在は宮城県丸森町に拠点を置きつつ、海外の自転車事情やライフスタイルを取材しながら、ライター、プロデューサー、コーディネーターとして活動。自転車とまちづくり・クリーン工房アドバイザー、ジャパン・マルベロ・フォーラム代表。https://www.facebook.com/maruvelo/
photo:MARUVÉLO / Satoru Yashima、Rokuro Inoue
10月1日、宮城県最南端の、人口1万4千人ほどの小さな町、丸森町で今年はじめて「自転車と旅の日~MARUVÉLO à marumori」(以下、マルベロ)というイベントを主催しました。マルは丸森とマルシェから、ベロはフランス語で自転車(VÉLO)の意味。二つ合わせて、「マルベロ」です。おかげさまで盛況に終えることができ、マルベロに関わってくださったみなさま、ご来場くださったみなさまには厚く御礼申し上げます。
このイベントは、今年で3回目の取材となったツール・ド・フランスからインスピレーションを受けており、ツール・ド・フランスのように、地元に住む人々が、地域に自信と誇りをもってほしいという思いから、「サイクルフェスタ丸森」を応援するためのイベントとして企画しました。ツール・ド・フランスの取材では、レースレポートというよりそのバックグラウンドを中心に取材していますが、そもそも、生まれ育った町とロードレースに興味を持った「きっかけ」にさかのぼります。
私はここ、宮城県の丸森町で生まれ育ちました。小学校5年生から中学時代の3年間、軽い山越えがある片道約5キロの道のりを毎日自転車通学。部活でバスケットボールをしてからの自転車はとてもよい気分転換となっていたように思います。その頃から風を切りながらスイスイと進んでいく自転車に乗るのが大好きでした。高校は、丸森駅から阿武隈急行線で約1時間をかけて仙台へ。高校卒業後上京、短大を卒業し、国内航空会社の客室乗務員として国内・海外を飛び回りました。2006年、業務で携わったジャパンカップを初観戦。その世界に魅了され、ロードレースや自転車のとりこになりました。
その、2006年10月。ロードレースについて何の知識もない中、業務で赴いた先は、宇都宮森林公園。「こんな山の中で何が行われるのだろう?」。疑問を感じながらも車で到着した先に広がっていたのは、まるでF1のような世界でした。カラフルなジャージに身を包んだ国際色豊かな選手たちが、驚くほどの速さで自転車をこぎ、山を駆け巡っていきます。自転車の音、風の音、観客の声援。選手の隊列のあとには、ルーフに自転車を積んだ車の隊列。山も、自然も選手も風も、すべてがキラキラしているように見えました。選手も活き活き、観ている観客も活き活き、そして、山も自然も活き活きしているように見えました。
「田舎で何もない…ではなく、田舎だからこそできることがある」。田舎の出身であることを、なんとなくコンプレックスに思っていましたが、大きく覆された出来事となりました。このジャパンカップをきっかけにロードレースというものに興味を持ち始め、小さな頃からの生活スタイルがそのまんま、最も「豊かで贅沢な生活」なのではないかと、意識が変わっていきました。その日を境に、まるで運命の扉がパーン、パーンと開くように、自転車業界のさまざまな人と出会うことになりました。自転車雑誌に連載をし始め、「ツアー・オブ・ジャパン」(以下TOJでは、海外チーム招待担当をすることに。
TOJも、日本の美しい田舎がフィールドとなっています。しかし、日本においてサイクルロードレースはマイナーなスポーツ。ヨーロッパと違い、文化としてまだ根付いていないこともあって、行政や警察の理解もなかなか得られません。また、スポンサー獲得も困難なため、存続の危機さえあるのが現状です。このように、内部の事情を嫌というほど知るようになりました。
しかし、嫌になるどころか、「海外のレースはどのようにしているのだろう?」また、「もっと、海外にも日本のレースを知ってほしい」と思いはじめ、ロードレース最高峰である「ツール・ド・フランスの取材をしたい!」と、シクロワイアード編集長・綾野さんに直談判したのが2015年の春でした。
TOJから依頼された仕事ではなく、自分自身の意思で、自腹の旅でした。これまでも「ツールに連れて行って」というリクエストはたくさん受けていたそうですが、キツさや厳しさから、ほとんどお断りしていたという綾野さんが帯同をOKしてくれたのも、私の強い思いに押されてだと後から知りました。
覚悟を決めて帯同したツール・ド・フランスからは、たくさんのことを学びました。地域とのつながりや自転車と自然の共存、人々の生活の楽しみ方など、得られた経験やインスパイアーされたことは数えきれません。ツール・ド・フランスはフランス全土がコースとなるため、パリのような都会もあれば、村や集落、畑に囲まれたところ、山の中もフィールドとなります。
自分の家の目の前がコースとなり、プロの選手が走っていく…ツール・ド・フランスが来ることによって、より自然を愛し、田舎を愛し、自分たちの村や町をより愛するようになる。田舎であることに自信と誇りを持ち、生きがいを持ち、美しく保ちながらそこに住まう人々に感銘を受けたのです。自然が豊かな田舎にしかないものがある、そしてそれはかけがえのないものである、と確信するに至りました。
プレミアチケットとなっている「サイクルフェスタ丸森」
2016年夏。東京から丸森にUターンを決意、拠点を移しました。丸森町には2012年から開催されている「サイクルフェスタ丸森」というライドイベントがあります。丸森町が主催となり、毎年約500名が参加(2017年は530名)。エントリー開始直後の数分で埋まってしまう人気イベントです。私もこれまで参加させていただき、起伏に富んだ美しいコースやエイドステーションのフードには大満足。と共に、丸森へ帰り地元住民の視点で感じたことは、「スタート後の会場は、参加者がフィニッシュするまでがらんとしていてさみしい」ということ。
せっかく遠くから来ていただくのだから、ツール・ド・フランスのように、「自転車に乗る人はもちろん、乗らない人、あまり知らない人にも自転車の魅力を知ってもらいたいし楽しんでもらいたい」、「都会から来る人には田舎の豊かさを感じるきっかけになれたら、そして地元に住む人たちは地域に自信と誇りを」と思うようになり、4月、マルベロの原案を企画し提案。サイクルフェスタ丸森の会議でプレゼンさせてもらう機会を持ちました。
思いを共有できる仲間たち
ですが、すぐには思うように行きませんでした。「サイクリスト優先にしたい」等、さまざまな事情によりスタート・フィニッシュ会場をお借りできない、とわかったときは、落ち込みました。物理的な問題だとはわかっていましたが、「もう東京に戻ろうかな…」そんな風に思っていたときに元気づけてくれたのは、隣の角田市にあるおしゃれな古民家パン屋「hori pan」の堀畑さんと紀美さん。
「それなら自分たちでやりましょう!」と。「丸森で自転車だから、マルベロですね!」と。マルベロの名前が生まれた瞬間でした。その後丸森町移住定住サポートセンターのみんなをはじめ、のちにマルベロ実行委員会メンバーとなったみんなが、大きな力を貸してくれることになりました。ほとんどのメンバーが丸森町在住、隣の角田市や山元町に暮らす地元住民です。このように、「マルベロ」は、地元に住む、思いを共有できる仲間が集まり、皆のパワーが融合したことで形になっていきました。
「自分たちでやろう!」
当初から実はアイディアに上がっていた「齋理屋敷」。その館長にダメ元で相談してみたところ、私の思いに賛同してくれ、二つ返事でOK、「それならここを使いなさい」。なんと国の重要文化財であり江戸時代からの蔵が立ち並ぶ「齋理屋敷」の場所を貸してくださることに。
齋理屋敷は丸森町のランドマーク的存在で、江戸時代後期から昭和初期にかけて、七代にわたり栄えた豪商「齋藤家」のお屋敷と収蔵品を、町の郷土資料館として開放している博物館。当時の暮らしを偲ぶことができる美しい館です。この素晴らしい場所をお借りできることになってからは、アイディアがさまざま広がっていきました。
この頃には、隣の山元町在住の「ノワイヨルウグデザインスタジオ」のお二人も大きく力を貸してくださることになりました。感度の高いお二人は、兼ねてより「ツール・ド・フランスに興味をもっていた」とのこと、「自転車は、自転車に乗らない人には少し敷居が高いかもしれないから、“旅とアート”もテーマに入れたらどう?」。
どこを切り取っても美しく、スポーツでありながらアートでもあり、暮らす人々も街全体も自転車一色となるツール・ド・フランスとも大きくつながります。たくさんの人が楽しめるアート性と喜びあふれるイベントで、地域の皆さんと訪れる皆さんが楽しく過ごせる、魅力のつまった一日となることを願い、「自転車の日」に「旅とアートとミュージック」も加わり、「自転車と旅の日」のテーマが出来上がりました。
著者プロフィール:目黒 誠子(めぐろせいこ)
宮城県丸森町生まれ。2006年ジャパンカップサイクルロードレースに業務で携わってからロードレースの世界に魅了される。2014年よりツアー・オブ・ジャパンでは海外チームの招待・連絡を担当していた。ロードバイクでのサイクリングを楽しむ。趣味はヨガ、バラ栽培と鑑賞。航空会社の広報系の仕事にも携わり、折り紙飛行機の指導員という変わりダネ資格を持つ。現在は宮城県丸森町に拠点を置きつつ、海外の自転車事情やライフスタイルを取材しながら、ライター、プロデューサー、コーディネーターとして活動。自転車とまちづくり・クリーン工房アドバイザー、ジャパン・マルベロ・フォーラム代表。https://www.facebook.com/maruvelo/
photo:MARUVÉLO / Satoru Yashima、Rokuro Inoue
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