2015/08/14(金) - 09:30
あのメタボ会長がMt.富士ヒルクライムを完走しちゃった!との報が編集部に届いた。人一倍ミーハーで影響を受けやすい編集部員ヘタレ藤原もヒルクライムに挑戦したいと言い出し、激坂ヒルクライムで有名なツール・ド・美ヶ原に挑戦することになった。
僕ことヘタレ藤原はヒルクライムに挑戦すると決意した。サイクリングのルートから坂道をわざわざ外すあのメタボ会長が距離25km、平均勾配5.2%を駆け上がるMt.富士ヒルクライムを完走したという。僕ならば完走はおろか、先行する参加者を追い、追い越し、止まって撮影をする取材もこなせるだろう。そう考えたのがキッカケだった。
思い立ったが吉日とはよく言ったもので、ヒルクライム大会で入賞経験もあるクライマー編集部員ヤスオカ先輩にヒルクライム初心者向けのイベントはないかと相談をしてみると、ツール・ド・美ヶ原の取材に同行させてくれるというのだ。普段は真面目な話をしても冗談で返してくる人だが、ヒルクライムとなると真面目に相談に乗ってくれる。ヤスオカ先輩を釣るにはヒルクライムだ。
ツール・ド・美ヶ原とは、長野県松本市の浅間温泉をスタートし、美鈴湖を通り、ゴールの美ヶ原高原までの距離21.6kmの間に、標高差1,270mを駆け上がるヒルクライム大会だ。以前この大会に参加したことがあるヤスオカ先輩が言うに、ツール・ド・美ヶ原は常に斜度が10%を超え、一部20%にも達する激坂区間がスタート直後に待っているという。さらには、それから十数kmの乗り坂は斜度の変化に富み、攻略しがいのあるコースだという。
序盤の激坂区間には恐れを感じぜざるを得ない。なぜならば、数年前サイクリングで同じようなプロフィールを持つ静岡県駿東郡小山町の明神峠に挑戦した際に、太ももが攣り立ちごけしたという経験しているためだ。若干の不安を覚えながらも、「あの会長だって苦手なヒルクライムを完走できたんだ」そう思うとなんだか心が安らぐ気がする。しかし、編集部の先輩たちからのあたりは強い。「おいおいおい、グランフォンド取材の緩いのぼりで、音を上げているフジワラでは難しいだろ」と言われたが、聞こえないふりをした。
さて、イベント当日。トレック Emonda SLに、シマノ C24ホイールをアッセンブルしたロングライド取材仕様のバイクの準備にとりかかっていると、「あれ?例のホイールを持ってきてないの?」とヤスオカ先輩は言う。実は、僕のヒルクライム挑戦を心配したヤスオカ先輩が、わざわざ会長に頼み込んで、私物の軽量カーボンチューブラーホイールの「ボントレガー Aeolus3」を借りてくれていたのだ。
編集部の先輩たちが口を揃えて「軽い、転がる、止まる」と語るホイールだからその性能は素晴らしい物だとはわかっていた。しかし、僕はいつも通りの装備で、いつも通り取材をこなそうと考えていたのだ。飛び道具を使わずしても取材はできるはず・・・だった。
準備を終え、スタートラインで緊張しながら立ち尽くしているとヤスオカ先輩から「交差点で右折すると激坂区間になるから、少し進んだところで待っていて」と声をかけられる。シクロクロスレース取材などはすべて全力で臨み、レポートしてきた僕にとっては謎のリクエストである。ロングライド取材ではありうるリクエストではあるけれど、これはレース取材。本気で臨んでこそレポートが書けるのではないか。それに気がついた僕は素直にイエスとは言えず、お茶を濁すような返答で済ませる。
レースと取材のどちらを優先させるのかハッキリとした答えを見つけ出せないまま、スタートの号砲が鳴り、初めてのヒルクライムがはじまる。何も答えを出せないまま激坂区間に突入してしまうが、本格的に登り区間が始まると直ぐに答えが浮かび上がってきた。
「レースは諦めよう」。斜度が10%を超え、壁のような上り坂に差し掛かると集団に置き去りにされたのだ。一瞬でもついていこうと考えたのが良くなかった、筋肉はあっという間に悲鳴を上げ始める。今すぐにでも休憩をとりたかったが、スタート2kmに行かない所で休むのは恥ずかしいし、ヤスオカ先輩ならすぐに追いつくであろうと考え、悪あがきをしてみることに。
休むポイントを見つける前にヤスオカ先輩が追いつく。「待ってろって言ったよね?」と言おうとしたのだろうけど、僕の顔を覗くやいなや途中で言葉を切る。激坂区間にも関わらず、そのまま僕にカメラを向けてシャッターを切る。さすがクライマーだ。まだまだ取材する余裕がある。
少し斜度が緩んだところで、気が緩んでしまったのか、心臓は喉から飛び出てきそうなほど脈を打っているし、太ももは既にピクピク不自然に動き攣る寸前だ。思わず足を地面についてしまう。シクロクロスレース中に喉から血の味がしても足をとめなかった、足が攣っても我慢して踏み続けた経験からの自信は打ち砕かれる。参加者にはバテているのを悟られないように、撮影するふりをしてごまかす。そこに、追い打ちをかけるように「何やってるの?置いていくよ」と無慈悲なヤスオカ先輩。
メタボ会長がヒルクライムに参加したときは、ペースのアドバイスをしたというヤスオカ先輩だが、僕には特にヒルクライムに向けてのアドバイスはない。会長は会社のトップであるから、いかに楽しんで走ってもらうかを試行錯誤してアドバイスを送るのは当然である。しかし、僕に対してはそうではない所を見ると、ヤスオカ先輩は優しさではなく、自分の出世のためにアドバイスを送っていたようだ。少し寂しさを覚えながらペダルを漕ぐ。
そして、なんとかかんとか自転車を進め、美鈴湖畔まで出る。道路わきの応援団が打ち鳴らす太鼓の音にテンションがあがり、ギアをアウターに掛け一気に加速、いいところを見せてやろうと、そのまま通過してしまう。撮影ポイントにも関わらず、だ。そのことに気がついても時既に遅し。ヤスオカ先輩は止まって撮影していることだろう。僕は800mほど先に進んだ見通しのよい200mの直登で先輩を待つ。
ところが、5分経ってもやってこない。ヤスオカ先輩ならば遅れを挽回できるだろうし、ヘタレである僕はすぐに遅れてしまうと考え、先行することを決心する。後方にヤスオカ先輩の姿が無いことを確認して再スタートを切る。5分も立たないうちに後ろから声が掛かる「離れすぎ!来ないなと思ったら待ってなよ。僕も君が遅れたら待つようにしているよ?」ヤスオカ先輩だ。
スピードが遅いから置いていくぞと言ってみたり、遅れることを想定して少し先行したら待ってろよと言ってみたりするのには、どこか釈然としない気持ちになるが、僕は目の前の急勾配に対処するので精一杯で「はい」と答えるしかできない。その後は、しばらく一緒に走っていたが、「ペース遅い!もう少し上げられない?置いていくよ?」とヤスオカ先輩はブスッと言うと、飛ぶように加速しあっという間に僕を置き去りにする。この時、スタートから約10km地点。その後はゴール前3kmまで、僕はヤスオカ先輩の姿を確認することはなかった。
1人になった僕は平均勾配8%ほどの区間に足を削られ、途中撮影(休憩)をはさみながら、淡々と頂上を目指していく。辛さで顔を落としがちになるが、森の切れ間に現れる絶景を見てヤル気を補給。斜度が5%ほどまで緩くなってくるとボランティアの方たちの応援団が両脇に現れ、僕達を応援してくれる。選手たちに近づくことはないが、絶え間なく声をかけてくれる様子はさながらプロレースのようで、僕達をヤル気にさせてくれる。
20km地点までたどり着くと森が一気に消えて、高原が目の前に現れる。青い空、黄緑色の山肌、ときおり顔を見せる岩肌。まるでツール・ド・フランスにでてくるアルプス山脈のような風景の中、下り坂基調の道を飛ばすと気持ちが良く、辛い思いをして登ってきたという充実感で満たされる。
気持ちよく一気にゴールまで飛び込みたいという思いを堪え、撮影を開始する。あくまでタイムを競うレースであるが、勇気を持って立ち止まり、景色を楽しんでみるのも良いかもしれないなと思いながら、駆け抜けていく参加者たちを写真に収める。
再び走りだし、下り坂でどんどんとスピードが上がっていく。「このままゴールかな?」と思っていると、ラスト1kmから平均勾配6%の上り坂が待っていた。気持ちよさは吹き飛び、また足の痛みが襲ってくる。その1kmが延々続くと感じられたが、5分ほど我慢しペダルを踏み続け、ようやくゴールに辿り着く。
攣る寸前まで限界にきていた足で、バイクから降りるにも一苦労だ。攣るか攣らないかという瀬戸際を攻めながら何とか下車。立つことも辛く大の字になって寝そべると、雲ひとつ無い空が目に飛び込んできた。気持ちも大きくなり「ここまで来てよかった」と心の底から思う。
登頂記念のトマトをいただきながらヤスオカ先輩に、初めてのヒルクライムの感想をまくし立てるように語ってしまった。ヤスオカ先輩は少し困った顔をしながら「ヒルクライムは辛いけど、楽しいでしょ?でもさぁ、仕事で来ているのだから取材もしないとダメだよね!」と怒られてしまった。
サイクリングのルートには決して組み込むことのない激坂、20km以上にも及ぶ登坂。レースイベントだからこそ挑んでみると、案外楽しめるものがあると感じた。シクロクロスに引き続き、ヒルクライムにも魅了されてしまった僕ヘタレ。取材を終え、編集部に戻る車中でヒルクライムの伝道師ヤスオカ先輩から編集部近郊のヒルクライム練習コースを教えてもらうのだった。
僕ことヘタレ藤原はヒルクライムに挑戦すると決意した。サイクリングのルートから坂道をわざわざ外すあのメタボ会長が距離25km、平均勾配5.2%を駆け上がるMt.富士ヒルクライムを完走したという。僕ならば完走はおろか、先行する参加者を追い、追い越し、止まって撮影をする取材もこなせるだろう。そう考えたのがキッカケだった。
思い立ったが吉日とはよく言ったもので、ヒルクライム大会で入賞経験もあるクライマー編集部員ヤスオカ先輩にヒルクライム初心者向けのイベントはないかと相談をしてみると、ツール・ド・美ヶ原の取材に同行させてくれるというのだ。普段は真面目な話をしても冗談で返してくる人だが、ヒルクライムとなると真面目に相談に乗ってくれる。ヤスオカ先輩を釣るにはヒルクライムだ。
ツール・ド・美ヶ原とは、長野県松本市の浅間温泉をスタートし、美鈴湖を通り、ゴールの美ヶ原高原までの距離21.6kmの間に、標高差1,270mを駆け上がるヒルクライム大会だ。以前この大会に参加したことがあるヤスオカ先輩が言うに、ツール・ド・美ヶ原は常に斜度が10%を超え、一部20%にも達する激坂区間がスタート直後に待っているという。さらには、それから十数kmの乗り坂は斜度の変化に富み、攻略しがいのあるコースだという。
序盤の激坂区間には恐れを感じぜざるを得ない。なぜならば、数年前サイクリングで同じようなプロフィールを持つ静岡県駿東郡小山町の明神峠に挑戦した際に、太ももが攣り立ちごけしたという経験しているためだ。若干の不安を覚えながらも、「あの会長だって苦手なヒルクライムを完走できたんだ」そう思うとなんだか心が安らぐ気がする。しかし、編集部の先輩たちからのあたりは強い。「おいおいおい、グランフォンド取材の緩いのぼりで、音を上げているフジワラでは難しいだろ」と言われたが、聞こえないふりをした。
さて、イベント当日。トレック Emonda SLに、シマノ C24ホイールをアッセンブルしたロングライド取材仕様のバイクの準備にとりかかっていると、「あれ?例のホイールを持ってきてないの?」とヤスオカ先輩は言う。実は、僕のヒルクライム挑戦を心配したヤスオカ先輩が、わざわざ会長に頼み込んで、私物の軽量カーボンチューブラーホイールの「ボントレガー Aeolus3」を借りてくれていたのだ。
編集部の先輩たちが口を揃えて「軽い、転がる、止まる」と語るホイールだからその性能は素晴らしい物だとはわかっていた。しかし、僕はいつも通りの装備で、いつも通り取材をこなそうと考えていたのだ。飛び道具を使わずしても取材はできるはず・・・だった。
準備を終え、スタートラインで緊張しながら立ち尽くしているとヤスオカ先輩から「交差点で右折すると激坂区間になるから、少し進んだところで待っていて」と声をかけられる。シクロクロスレース取材などはすべて全力で臨み、レポートしてきた僕にとっては謎のリクエストである。ロングライド取材ではありうるリクエストではあるけれど、これはレース取材。本気で臨んでこそレポートが書けるのではないか。それに気がついた僕は素直にイエスとは言えず、お茶を濁すような返答で済ませる。
レースと取材のどちらを優先させるのかハッキリとした答えを見つけ出せないまま、スタートの号砲が鳴り、初めてのヒルクライムがはじまる。何も答えを出せないまま激坂区間に突入してしまうが、本格的に登り区間が始まると直ぐに答えが浮かび上がってきた。
「レースは諦めよう」。斜度が10%を超え、壁のような上り坂に差し掛かると集団に置き去りにされたのだ。一瞬でもついていこうと考えたのが良くなかった、筋肉はあっという間に悲鳴を上げ始める。今すぐにでも休憩をとりたかったが、スタート2kmに行かない所で休むのは恥ずかしいし、ヤスオカ先輩ならすぐに追いつくであろうと考え、悪あがきをしてみることに。
休むポイントを見つける前にヤスオカ先輩が追いつく。「待ってろって言ったよね?」と言おうとしたのだろうけど、僕の顔を覗くやいなや途中で言葉を切る。激坂区間にも関わらず、そのまま僕にカメラを向けてシャッターを切る。さすがクライマーだ。まだまだ取材する余裕がある。
少し斜度が緩んだところで、気が緩んでしまったのか、心臓は喉から飛び出てきそうなほど脈を打っているし、太ももは既にピクピク不自然に動き攣る寸前だ。思わず足を地面についてしまう。シクロクロスレース中に喉から血の味がしても足をとめなかった、足が攣っても我慢して踏み続けた経験からの自信は打ち砕かれる。参加者にはバテているのを悟られないように、撮影するふりをしてごまかす。そこに、追い打ちをかけるように「何やってるの?置いていくよ」と無慈悲なヤスオカ先輩。
メタボ会長がヒルクライムに参加したときは、ペースのアドバイスをしたというヤスオカ先輩だが、僕には特にヒルクライムに向けてのアドバイスはない。会長は会社のトップであるから、いかに楽しんで走ってもらうかを試行錯誤してアドバイスを送るのは当然である。しかし、僕に対してはそうではない所を見ると、ヤスオカ先輩は優しさではなく、自分の出世のためにアドバイスを送っていたようだ。少し寂しさを覚えながらペダルを漕ぐ。
そして、なんとかかんとか自転車を進め、美鈴湖畔まで出る。道路わきの応援団が打ち鳴らす太鼓の音にテンションがあがり、ギアをアウターに掛け一気に加速、いいところを見せてやろうと、そのまま通過してしまう。撮影ポイントにも関わらず、だ。そのことに気がついても時既に遅し。ヤスオカ先輩は止まって撮影していることだろう。僕は800mほど先に進んだ見通しのよい200mの直登で先輩を待つ。
ところが、5分経ってもやってこない。ヤスオカ先輩ならば遅れを挽回できるだろうし、ヘタレである僕はすぐに遅れてしまうと考え、先行することを決心する。後方にヤスオカ先輩の姿が無いことを確認して再スタートを切る。5分も立たないうちに後ろから声が掛かる「離れすぎ!来ないなと思ったら待ってなよ。僕も君が遅れたら待つようにしているよ?」ヤスオカ先輩だ。
スピードが遅いから置いていくぞと言ってみたり、遅れることを想定して少し先行したら待ってろよと言ってみたりするのには、どこか釈然としない気持ちになるが、僕は目の前の急勾配に対処するので精一杯で「はい」と答えるしかできない。その後は、しばらく一緒に走っていたが、「ペース遅い!もう少し上げられない?置いていくよ?」とヤスオカ先輩はブスッと言うと、飛ぶように加速しあっという間に僕を置き去りにする。この時、スタートから約10km地点。その後はゴール前3kmまで、僕はヤスオカ先輩の姿を確認することはなかった。
1人になった僕は平均勾配8%ほどの区間に足を削られ、途中撮影(休憩)をはさみながら、淡々と頂上を目指していく。辛さで顔を落としがちになるが、森の切れ間に現れる絶景を見てヤル気を補給。斜度が5%ほどまで緩くなってくるとボランティアの方たちの応援団が両脇に現れ、僕達を応援してくれる。選手たちに近づくことはないが、絶え間なく声をかけてくれる様子はさながらプロレースのようで、僕達をヤル気にさせてくれる。
20km地点までたどり着くと森が一気に消えて、高原が目の前に現れる。青い空、黄緑色の山肌、ときおり顔を見せる岩肌。まるでツール・ド・フランスにでてくるアルプス山脈のような風景の中、下り坂基調の道を飛ばすと気持ちが良く、辛い思いをして登ってきたという充実感で満たされる。
気持ちよく一気にゴールまで飛び込みたいという思いを堪え、撮影を開始する。あくまでタイムを競うレースであるが、勇気を持って立ち止まり、景色を楽しんでみるのも良いかもしれないなと思いながら、駆け抜けていく参加者たちを写真に収める。
再び走りだし、下り坂でどんどんとスピードが上がっていく。「このままゴールかな?」と思っていると、ラスト1kmから平均勾配6%の上り坂が待っていた。気持ちよさは吹き飛び、また足の痛みが襲ってくる。その1kmが延々続くと感じられたが、5分ほど我慢しペダルを踏み続け、ようやくゴールに辿り着く。
攣る寸前まで限界にきていた足で、バイクから降りるにも一苦労だ。攣るか攣らないかという瀬戸際を攻めながら何とか下車。立つことも辛く大の字になって寝そべると、雲ひとつ無い空が目に飛び込んできた。気持ちも大きくなり「ここまで来てよかった」と心の底から思う。
登頂記念のトマトをいただきながらヤスオカ先輩に、初めてのヒルクライムの感想をまくし立てるように語ってしまった。ヤスオカ先輩は少し困った顔をしながら「ヒルクライムは辛いけど、楽しいでしょ?でもさぁ、仕事で来ているのだから取材もしないとダメだよね!」と怒られてしまった。
サイクリングのルートには決して組み込むことのない激坂、20km以上にも及ぶ登坂。レースイベントだからこそ挑んでみると、案外楽しめるものがあると感じた。シクロクロスに引き続き、ヒルクライムにも魅了されてしまった僕ヘタレ。取材を終え、編集部に戻る車中でヒルクライムの伝道師ヤスオカ先輩から編集部近郊のヒルクライム練習コースを教えてもらうのだった。
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