2011/11/24(木) - 01:19
10月にイギリス・マンチェスターで開催されたマスターズトラック世界選手権。日本の矢野賢児と和地恵美がダブルで銀、銅を獲得した。たかだフレンドレーシングの和地恵美の参戦レポートを紹介する。和地は2010大会の女子45-49歳500mTTで2位になったのに続く表彰台だ。
今年のマスターズ世界大会は、懐かしいマンチェスターで5年ぶりに開催されました。日本からの参加者は、44~49歳のカテゴリーに高知県の矢野賢児さん、東京の濱田眞子さん、50~54歳のカテゴリーには熊本の福島雄二さん、そして私、和地恵美でした。
応援には、矢野さんのお友達の甲斐さんと、イギリス在住の、ゆみパーカーさんが来て下さいました。それぞれ競技時間が異なっていたため、私は詳しい競技内容を全部把握しているわけではないので、見聞した範囲でお伝えしようと思います。(詳しいリザルトはマスターズトラック世界選手権2011公式サイトをご覧下さい)
矢野さんと私は、10月8日(土)の17時ころ、会場に到着しました。ホールが新しくなり、階段を下りると目前にバンクが! いつ見ても闘いの場を目の当たりにすると血が沸き立ちます。競技は週が明けてから始まりますが、日本との時差は8時間あり、移動も15時間以上かかります。しかも実際に走るのは夜の10時から、などという競技もあります。本番までにいかに疲労を取り、時差に体を慣らしていくか、すでに闘いは始まっているのです。
日曜日の公式練習では気持ちよく走れました。マンチェスターのバンクは、昨年のポルトガル大会のバンクと違い、非常に脚が軽く感じられます。傾斜も伊豆の250mトラックより緩いので、わずか2時間の練習でもバンクに慣れることができました。
今回私は、水曜日から日替わりで、スプリント、スクラッチ、500mTT、2000m個人追い抜きにエントリーしていました。水曜日までに調子を整えていけばいいと思っていたら、なんと最終日の2000mが火曜日に変更されていました。
また、今年は50歳からのカテゴリーに上がるので、チャンスはあると思っていましたが、実際に5歳刻みの競技は500mのみで、2000mは50歳以上は全員一緒のカテゴリー、その他の競技は45歳以上が一緒に…。5歳の差は大きいですが、ベストを尽くすしかありません。
火曜日、バンクに行くと日本人は私だけでした。ポンプを共有するはずだった福島さんがいないので、空気を入れているどこかの国のお兄さんのところに行って、一緒に入れてもらいました。さて問題はひとつクリアしたものの、次はタイムを読み上げてくれる人を探さないといけません。ちょうどニュージーランドのブースに、選手の世話をしているお兄さんがいました。
「今日はご自身のレースはありますか?」
「ないですよ」
「では、申し訳ないですが、是非お願いします!」とストップウオッチを…。
読み上げ方と時計の操作方法を説明し終わり、ほっとしていると
「目標タイムは?」と聞くので、
「一周目の入りは22秒、二周目は18~19秒、あとは7~8周目で20秒を超えても21秒はかからないようにしたいのですが」と言いました。
「OK。もしそれより遅かったら、アップ!アップ!と叫ぶから」とGooのサインを出してくれました。
いよいよJapan とNew Zealand、夢のコラボレースの開始です。二周目のラップタイムで「セブン!」が聞こえました。
「しまった~~速すぎた!」
しかしこうなっては、最後まで頑張るのみです。ラスト3周で脚が重くなり、同時に「アップ! アップ!!」の声が響きます。私は必死で脚を廻しますが、まるでスローモーションのようで、途中で気が遠くなりかけました。
私は、今年7月に38度台の熱がずっと続いたものの、もう少しで学期末だからと仕事を続けていたら、ある朝、全身の激しい痛みで起き上がれなくなりました。そのまま病院へ。肺炎とのことでした。2ヶ月は激しい運動は禁止…。9月の都道府県大会で500mは39秒台に戻したものの、持久力が激しく低下したのでした。だから今回の2000mは厳しいレースになるなぁと予想していました。
ふらつきながらもゴール。電光掲示板を見ると、2分46秒567。2位のタイムが2分46秒518。ああ、惜しい! 百分の5秒差で決勝を逃しました~。しかし、まったく走れなかった夏を思えば、嬉しいシーズンベストタイムです。「アップ!」の声のおかげです。
コーヒーを二人分抱えて帰ってくると、私の自転車に「All the best for your ride tonight ! 」と貼り紙がしてありました。仕事で帰らなければならないとのことでした。忙しかったのに。ごめんね、そしてたくさんの有難うを心の中で言いました!
夜の3-4位決定戦では、前日個人追い抜きで銅メダルを獲った矢野さんが掛け声を、福島さんがタイムの読み上げをしてくださり、なんとか乗り切ることができました。まずはメダルを獲ったことで安心しました。
水曜日のスプリントは、胸が痛くて仕方がなかったです。10月に一度、肺炎が再発して、薬で抑えていたので、薬の飲めない今、何とか休養をたくさんとって、無理をしてはいけないと思いました。その日、福島さんがポイントレースで落車に巻き込まれてバンクを飛び、前輪が大破。本人は打ち身で済んで良かったものの、海外のレースで病院にかかることを考えたら、木曜日のスクラッチは棄権することにしました。
迎えた金曜日。いよいよ金を狙っていた500mです。
12時にバンクに到着すると、ちょうど矢野さんのスプリント、一回戦目でした。ハロン11"443で29人中4番時計の彼は、無難に勝ちあがり次へ駒を進めました。次の勝負でも、相手の出方を見ながらの余裕のスプリントで勝利。三回戦目は相手の反則により矢野さんが獲り、準決勝へ。(この相手とは、6年前に対決しており、相手も意識をしていたようですが、どんなに勝ちたくてもフェアでないと…)
正念場の準決勝。二本目の対戦では相手に獲られるものの、三本目を獲り返して矢野さんのメダルが確定しました。
矢野さんは地元の人たちや選手に人気があり、彼が走ると「ジャパン! ジャパン!」の声援が響きます。彼の潔い走りっぷりは、国境を越えてみんなの心を掴むのでしょう。同じ日本の選手として、大変誇らしく、嬉しかったです。
決勝では、素晴らしい走りをしたものの、2本先取されて金を逃してしまいました。実は矢野さん、準決勝でホルダーの人にうまく支えてもらえず、バンクに横倒しになりました。その際、左の腿と右のふくらはぎを傷めてしまったのです。歩くのにも難儀していて、それさえなかったら金は獲得できたかもしれないと思うと、本当に残念でした。でも矢野さんは一言も恨み言を言いません。どんなにか獲りたかった金でしょうに…。
その分、私は500mで頑張ると自分を奮い立たせていました。時計はすでに20時半を回り、こんな時間の一発勝負でも、38秒台を狙っていました。
いつもどおり発走機につき、いつもどおり深呼吸を。胸に痛みはあるものの、もう血のにおいはしなくなったから大丈夫。カウントダウンが始まり、スタート! タイミングはまずます。
しかし踏み込んでいくときに全身疲労を感じ、脚がだるくて回転不足のままコーナーへ。2周目の直線で踏みなおすものの、頭の中では「うわ~~、まずいまずい…」を連呼していました。
ゴールして電光掲示板を見ると名前の脇に『2』の文字が…。負けてしまいました。しかしタイムが38秒523。え? と何度も見直しました。久々の38秒台にとりあえずほっとしていると、実はこれも間違いで正式タイムは、39秒461でした。1位の選手は39秒142ですから、完敗です。
矢野さんが言いました。「金を獲るには、すべて揃っていないと」
本当にそのとおりだと納得しました。今回、私は日ごろの体調管理がなっていませんでした。また、金を獲ったら、もう辞めると思っていました。その不徳が金を遠ざけたのだと思います。もしかしたら出場さえできなかったかもしれない、職場でも家庭でも、私のできない部分を補ってくれている人たちがたくさんいる、そのような中でこの場にいられることを感謝しました。
銀は、「まだまだ世界は楽しいよ」という神様からの贈り物だと思うことにしました。そんな気持ちで眺めた日の丸は最高でした。
またあと一年、頑張れそうだというエネルギーが沸いてきました!
福島さんは初出場でしたが、スプリントやスクラッチで大変積極的な走りを見せて下さいました。また、濱田さんはメダルには手が届かなかったものの、全種目出場で頑張っていました。
来年は、もっとたくさんの選手の皆さんと、世界の頂点を目指したいです。
レース番外編 だから世界のレース旅は面白い
さて、レース以外のところは…。ホテルの朝食はバイキングでしたので、私はチーズやレタスを持っていって、ランチのサンドイッチも作りつつ、いただきました。想像していたより美味しかったです。
また、今回、シャトルバスの往路は朝8時と8時半、夜の部のために15時45分と16時15分しかなくて、大変不便でした。復路は2本きり。レースが終わって15分ほどで出てしまうので、マーケットに行く間も無かったです。
帰りのバスを逃してしまい、初めてタクシーに乗ったときのこと。受付に
「オフィシャルホテルのホリデーイン・エクスプレスまで」と言って呼んでもらい、タクシーを待っていました。来てくれた車の運転手さんは、ものすごく大柄な人でした。後ろの席に乗り込むと、
「どこのホリデーインだ? この市内にいっぱいあるから、わからん。住所を言え」と…。
住所が書かれた紙はホテルです。受付に聞きに行こうとしたら、
「いいから、待ってろ」と、巨体をゆっさゆっさしながら聞いてきてくれました。
「いいか、覚えておけ。住所はデブデイルだ」
「え? デブでいる?」
「そうだ、デブでいる、デブでいる。覚えたか?」
「はい!完璧です。ありがとうございます。でぶでいる、でぶでいる…ふふ」
日常生活でも、ピンチの時には必ず笑える出来事がありました。ホテルがキャンセルされていたり、空港へ送ってくれるバスの乗客名簿に名前が無かったり。いろいろありましたが、本当に楽しくエキサイティングな10日間でした。応援してくださった皆さん、有難うございました!
和地恵美(たかだフレンドレーシング)
今年のマスターズ世界大会は、懐かしいマンチェスターで5年ぶりに開催されました。日本からの参加者は、44~49歳のカテゴリーに高知県の矢野賢児さん、東京の濱田眞子さん、50~54歳のカテゴリーには熊本の福島雄二さん、そして私、和地恵美でした。
応援には、矢野さんのお友達の甲斐さんと、イギリス在住の、ゆみパーカーさんが来て下さいました。それぞれ競技時間が異なっていたため、私は詳しい競技内容を全部把握しているわけではないので、見聞した範囲でお伝えしようと思います。(詳しいリザルトはマスターズトラック世界選手権2011公式サイトをご覧下さい)
矢野さんと私は、10月8日(土)の17時ころ、会場に到着しました。ホールが新しくなり、階段を下りると目前にバンクが! いつ見ても闘いの場を目の当たりにすると血が沸き立ちます。競技は週が明けてから始まりますが、日本との時差は8時間あり、移動も15時間以上かかります。しかも実際に走るのは夜の10時から、などという競技もあります。本番までにいかに疲労を取り、時差に体を慣らしていくか、すでに闘いは始まっているのです。
日曜日の公式練習では気持ちよく走れました。マンチェスターのバンクは、昨年のポルトガル大会のバンクと違い、非常に脚が軽く感じられます。傾斜も伊豆の250mトラックより緩いので、わずか2時間の練習でもバンクに慣れることができました。
今回私は、水曜日から日替わりで、スプリント、スクラッチ、500mTT、2000m個人追い抜きにエントリーしていました。水曜日までに調子を整えていけばいいと思っていたら、なんと最終日の2000mが火曜日に変更されていました。
また、今年は50歳からのカテゴリーに上がるので、チャンスはあると思っていましたが、実際に5歳刻みの競技は500mのみで、2000mは50歳以上は全員一緒のカテゴリー、その他の競技は45歳以上が一緒に…。5歳の差は大きいですが、ベストを尽くすしかありません。
火曜日、バンクに行くと日本人は私だけでした。ポンプを共有するはずだった福島さんがいないので、空気を入れているどこかの国のお兄さんのところに行って、一緒に入れてもらいました。さて問題はひとつクリアしたものの、次はタイムを読み上げてくれる人を探さないといけません。ちょうどニュージーランドのブースに、選手の世話をしているお兄さんがいました。
「今日はご自身のレースはありますか?」
「ないですよ」
「では、申し訳ないですが、是非お願いします!」とストップウオッチを…。
読み上げ方と時計の操作方法を説明し終わり、ほっとしていると
「目標タイムは?」と聞くので、
「一周目の入りは22秒、二周目は18~19秒、あとは7~8周目で20秒を超えても21秒はかからないようにしたいのですが」と言いました。
「OK。もしそれより遅かったら、アップ!アップ!と叫ぶから」とGooのサインを出してくれました。
いよいよJapan とNew Zealand、夢のコラボレースの開始です。二周目のラップタイムで「セブン!」が聞こえました。
「しまった~~速すぎた!」
しかしこうなっては、最後まで頑張るのみです。ラスト3周で脚が重くなり、同時に「アップ! アップ!!」の声が響きます。私は必死で脚を廻しますが、まるでスローモーションのようで、途中で気が遠くなりかけました。
私は、今年7月に38度台の熱がずっと続いたものの、もう少しで学期末だからと仕事を続けていたら、ある朝、全身の激しい痛みで起き上がれなくなりました。そのまま病院へ。肺炎とのことでした。2ヶ月は激しい運動は禁止…。9月の都道府県大会で500mは39秒台に戻したものの、持久力が激しく低下したのでした。だから今回の2000mは厳しいレースになるなぁと予想していました。
ふらつきながらもゴール。電光掲示板を見ると、2分46秒567。2位のタイムが2分46秒518。ああ、惜しい! 百分の5秒差で決勝を逃しました~。しかし、まったく走れなかった夏を思えば、嬉しいシーズンベストタイムです。「アップ!」の声のおかげです。
コーヒーを二人分抱えて帰ってくると、私の自転車に「All the best for your ride tonight ! 」と貼り紙がしてありました。仕事で帰らなければならないとのことでした。忙しかったのに。ごめんね、そしてたくさんの有難うを心の中で言いました!
夜の3-4位決定戦では、前日個人追い抜きで銅メダルを獲った矢野さんが掛け声を、福島さんがタイムの読み上げをしてくださり、なんとか乗り切ることができました。まずはメダルを獲ったことで安心しました。
水曜日のスプリントは、胸が痛くて仕方がなかったです。10月に一度、肺炎が再発して、薬で抑えていたので、薬の飲めない今、何とか休養をたくさんとって、無理をしてはいけないと思いました。その日、福島さんがポイントレースで落車に巻き込まれてバンクを飛び、前輪が大破。本人は打ち身で済んで良かったものの、海外のレースで病院にかかることを考えたら、木曜日のスクラッチは棄権することにしました。
迎えた金曜日。いよいよ金を狙っていた500mです。
12時にバンクに到着すると、ちょうど矢野さんのスプリント、一回戦目でした。ハロン11"443で29人中4番時計の彼は、無難に勝ちあがり次へ駒を進めました。次の勝負でも、相手の出方を見ながらの余裕のスプリントで勝利。三回戦目は相手の反則により矢野さんが獲り、準決勝へ。(この相手とは、6年前に対決しており、相手も意識をしていたようですが、どんなに勝ちたくてもフェアでないと…)
正念場の準決勝。二本目の対戦では相手に獲られるものの、三本目を獲り返して矢野さんのメダルが確定しました。
矢野さんは地元の人たちや選手に人気があり、彼が走ると「ジャパン! ジャパン!」の声援が響きます。彼の潔い走りっぷりは、国境を越えてみんなの心を掴むのでしょう。同じ日本の選手として、大変誇らしく、嬉しかったです。
決勝では、素晴らしい走りをしたものの、2本先取されて金を逃してしまいました。実は矢野さん、準決勝でホルダーの人にうまく支えてもらえず、バンクに横倒しになりました。その際、左の腿と右のふくらはぎを傷めてしまったのです。歩くのにも難儀していて、それさえなかったら金は獲得できたかもしれないと思うと、本当に残念でした。でも矢野さんは一言も恨み言を言いません。どんなにか獲りたかった金でしょうに…。
その分、私は500mで頑張ると自分を奮い立たせていました。時計はすでに20時半を回り、こんな時間の一発勝負でも、38秒台を狙っていました。
いつもどおり発走機につき、いつもどおり深呼吸を。胸に痛みはあるものの、もう血のにおいはしなくなったから大丈夫。カウントダウンが始まり、スタート! タイミングはまずます。
しかし踏み込んでいくときに全身疲労を感じ、脚がだるくて回転不足のままコーナーへ。2周目の直線で踏みなおすものの、頭の中では「うわ~~、まずいまずい…」を連呼していました。
ゴールして電光掲示板を見ると名前の脇に『2』の文字が…。負けてしまいました。しかしタイムが38秒523。え? と何度も見直しました。久々の38秒台にとりあえずほっとしていると、実はこれも間違いで正式タイムは、39秒461でした。1位の選手は39秒142ですから、完敗です。
矢野さんが言いました。「金を獲るには、すべて揃っていないと」
本当にそのとおりだと納得しました。今回、私は日ごろの体調管理がなっていませんでした。また、金を獲ったら、もう辞めると思っていました。その不徳が金を遠ざけたのだと思います。もしかしたら出場さえできなかったかもしれない、職場でも家庭でも、私のできない部分を補ってくれている人たちがたくさんいる、そのような中でこの場にいられることを感謝しました。
銀は、「まだまだ世界は楽しいよ」という神様からの贈り物だと思うことにしました。そんな気持ちで眺めた日の丸は最高でした。
またあと一年、頑張れそうだというエネルギーが沸いてきました!
福島さんは初出場でしたが、スプリントやスクラッチで大変積極的な走りを見せて下さいました。また、濱田さんはメダルには手が届かなかったものの、全種目出場で頑張っていました。
来年は、もっとたくさんの選手の皆さんと、世界の頂点を目指したいです。
レース番外編 だから世界のレース旅は面白い
さて、レース以外のところは…。ホテルの朝食はバイキングでしたので、私はチーズやレタスを持っていって、ランチのサンドイッチも作りつつ、いただきました。想像していたより美味しかったです。
また、今回、シャトルバスの往路は朝8時と8時半、夜の部のために15時45分と16時15分しかなくて、大変不便でした。復路は2本きり。レースが終わって15分ほどで出てしまうので、マーケットに行く間も無かったです。
帰りのバスを逃してしまい、初めてタクシーに乗ったときのこと。受付に
「オフィシャルホテルのホリデーイン・エクスプレスまで」と言って呼んでもらい、タクシーを待っていました。来てくれた車の運転手さんは、ものすごく大柄な人でした。後ろの席に乗り込むと、
「どこのホリデーインだ? この市内にいっぱいあるから、わからん。住所を言え」と…。
住所が書かれた紙はホテルです。受付に聞きに行こうとしたら、
「いいから、待ってろ」と、巨体をゆっさゆっさしながら聞いてきてくれました。
「いいか、覚えておけ。住所はデブデイルだ」
「え? デブでいる?」
「そうだ、デブでいる、デブでいる。覚えたか?」
「はい!完璧です。ありがとうございます。でぶでいる、でぶでいる…ふふ」
日常生活でも、ピンチの時には必ず笑える出来事がありました。ホテルがキャンセルされていたり、空港へ送ってくれるバスの乗客名簿に名前が無かったり。いろいろありましたが、本当に楽しくエキサイティングな10日間でした。応援してくださった皆さん、有難うございました!
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