2009/05/20(水) - 01:12
休息日明けのこの日、カメラバイクの運転手がスタート前の交通事故で亡くなるという訃報が飛び込んできた。沈むプレスルーム。しかしそんな沈黙を切り裂くように、マリアローザを着るダニーロ・ディルーカ(イタリア、LPRブレークス)が終盤に飛び出した!
クネオの街でジロ第2週は動き出す
日本人が聞けばダミアーノ・クネゴ(イタリア)と間違ってしまいそうな地名クネオ。フランス国境までは40kmほど。国境に佇むテンダ峠は、2005年のジロで頂上ゴールとして登場し、総合で大きく遅れていたイヴァン・バッソ(イタリア)が優勝を飾っている。
クネオの街中には「FRANCIA(フランス)→」の交通標識が立っており、隣国が陸続きではない島国出身の自分としては新鮮な感じ。現地の人々のイタリア語も何だかフランス語っぽい、気がする。
昨年のツール・ド・フランスでは、標高2744mのアニェッロ峠を越えてプラート・ネヴォーゾにゴールする第15ステージで通過しているクネオ。翌日の休息日と第16ステージのスタート地点もクネオだった。その時のドーピング検査で採取されたアレハンドロ・バルベルデ(スペイン)のサンプルにCONI(イタリア五輪委員会)が噛み付いたのだ。
「初めてのジロ取材?今年はドーピング騒動がないからラッキーだな」。アメリカのジャーナリストにそう言われて、初めてその事実に気がついた。確かに今年のジロはドーピング騒動とは無縁だ。この先も無縁であって欲しい。いや、ほんと、心からそう願う。
休息日明けのジロに飛び込んだ辛いニュース
休息日レポートで書いたように、5つの山岳が連続するステージが実現していれば、標高2360mのイゾアール峠がチーマ・コッピ(大会最高点)になる予定だった。しかしコースは大きく変更。代わってチーマ・コッピに名乗りを挙げたのは、第17ステージで登場する標高2064mのブロックハウスだ。
しかししかし、残雪の影響でブロックハウス頂上までのアクセスが不可能となり、ゴール地点を下げることが開幕直前に決まった。その結果、標高2035mのセストリエーレが棚ぼた式にチーマ・コッピとなった。
クネオ旧市街に近いガリンベルティ広場に集結した休息日明けの選手たちは、街をグルリと回ってスタート。マリアローザ争いが徐々に本格化する第2週がスタートした。
この日は山岳のエスケープルートが無いため、レース前半の2カ所での撮影を終えてゴール地点に直行。重い機材を背負ってプレスルームに入ると、そこは重い空気に包まれていた。
状況を聞くと、ロベルト・ベッティーニカメラマンのバイク運転手として連日ジロに帯同していたファビオ・サッカーニ氏が亡くなったというのだ。間髪入れずに始まったRAIのジロ中継番組でも、真っ先にサッカーニ氏の死去を報じる。
今日のスタート前、9時10分、スタート地点に向かうサッカーニ氏が運転するバイクが大型トラックと接触。後輪に巻き込まれた。ジロに帯同するのが今年で33年目という大ベテラン。癌(がん)と闘病していたことでも知られ、ランス・アームストロング(アメリカ)とも親交があったという。昨日まで元気にバイクを運転していたのに・・・。スタート前に選手たちは1分間の黙祷を捧げた。
ディルーカの執念、マリアローザの独走
1時間目の平均スピードが50km/hオーバーのハイスピードな展開で幕開けたコッピステージ。逃げを決めたのは、10ポイント差の次点でマリアヴェルデを着るステファノ・ガルゼッリ(イタリア、アックア・エ・サポーネ)だった。
しかしヴァレーゼ出身のこの2000年ジロ覇者は山岳ポイントを一通り獲得するとレース終盤に吸収。タレント勢揃いの集団から、ゴールまでの下りで飛び出したのは、マリアローザのダニーロ・ディルーカ(イタリア、LPRブレークス)だ。
ゴール地点のスクリーンに映されたディルーカの姿は、力強い頼もしさに溢れていた。このままローマまで走りきってしまいそうな勢いで、大歓声のゴールに飛び込む。マリアローザを着る者としての格を見せつけるような独走劇だった。
表彰台では今一度サッカーニ氏に捧げる黙祷。沈黙の最後、ショーツがマリアローザカラーのままの少し特異な姿のディルーカは、小さく胸で十字を切った。
さて、忘れた携帯電話を取りに、180km離れたミラノのホテルまで行ってきます。
text&photo:Kei Tsuji in Pinerolo, Italy
クネオの街でジロ第2週は動き出す
日本人が聞けばダミアーノ・クネゴ(イタリア)と間違ってしまいそうな地名クネオ。フランス国境までは40kmほど。国境に佇むテンダ峠は、2005年のジロで頂上ゴールとして登場し、総合で大きく遅れていたイヴァン・バッソ(イタリア)が優勝を飾っている。
クネオの街中には「FRANCIA(フランス)→」の交通標識が立っており、隣国が陸続きではない島国出身の自分としては新鮮な感じ。現地の人々のイタリア語も何だかフランス語っぽい、気がする。
昨年のツール・ド・フランスでは、標高2744mのアニェッロ峠を越えてプラート・ネヴォーゾにゴールする第15ステージで通過しているクネオ。翌日の休息日と第16ステージのスタート地点もクネオだった。その時のドーピング検査で採取されたアレハンドロ・バルベルデ(スペイン)のサンプルにCONI(イタリア五輪委員会)が噛み付いたのだ。
「初めてのジロ取材?今年はドーピング騒動がないからラッキーだな」。アメリカのジャーナリストにそう言われて、初めてその事実に気がついた。確かに今年のジロはドーピング騒動とは無縁だ。この先も無縁であって欲しい。いや、ほんと、心からそう願う。
休息日明けのジロに飛び込んだ辛いニュース
休息日レポートで書いたように、5つの山岳が連続するステージが実現していれば、標高2360mのイゾアール峠がチーマ・コッピ(大会最高点)になる予定だった。しかしコースは大きく変更。代わってチーマ・コッピに名乗りを挙げたのは、第17ステージで登場する標高2064mのブロックハウスだ。
しかししかし、残雪の影響でブロックハウス頂上までのアクセスが不可能となり、ゴール地点を下げることが開幕直前に決まった。その結果、標高2035mのセストリエーレが棚ぼた式にチーマ・コッピとなった。
クネオ旧市街に近いガリンベルティ広場に集結した休息日明けの選手たちは、街をグルリと回ってスタート。マリアローザ争いが徐々に本格化する第2週がスタートした。
この日は山岳のエスケープルートが無いため、レース前半の2カ所での撮影を終えてゴール地点に直行。重い機材を背負ってプレスルームに入ると、そこは重い空気に包まれていた。
状況を聞くと、ロベルト・ベッティーニカメラマンのバイク運転手として連日ジロに帯同していたファビオ・サッカーニ氏が亡くなったというのだ。間髪入れずに始まったRAIのジロ中継番組でも、真っ先にサッカーニ氏の死去を報じる。
今日のスタート前、9時10分、スタート地点に向かうサッカーニ氏が運転するバイクが大型トラックと接触。後輪に巻き込まれた。ジロに帯同するのが今年で33年目という大ベテラン。癌(がん)と闘病していたことでも知られ、ランス・アームストロング(アメリカ)とも親交があったという。昨日まで元気にバイクを運転していたのに・・・。スタート前に選手たちは1分間の黙祷を捧げた。
ディルーカの執念、マリアローザの独走
1時間目の平均スピードが50km/hオーバーのハイスピードな展開で幕開けたコッピステージ。逃げを決めたのは、10ポイント差の次点でマリアヴェルデを着るステファノ・ガルゼッリ(イタリア、アックア・エ・サポーネ)だった。
しかしヴァレーゼ出身のこの2000年ジロ覇者は山岳ポイントを一通り獲得するとレース終盤に吸収。タレント勢揃いの集団から、ゴールまでの下りで飛び出したのは、マリアローザのダニーロ・ディルーカ(イタリア、LPRブレークス)だ。
ゴール地点のスクリーンに映されたディルーカの姿は、力強い頼もしさに溢れていた。このままローマまで走りきってしまいそうな勢いで、大歓声のゴールに飛び込む。マリアローザを着る者としての格を見せつけるような独走劇だった。
表彰台では今一度サッカーニ氏に捧げる黙祷。沈黙の最後、ショーツがマリアローザカラーのままの少し特異な姿のディルーカは、小さく胸で十字を切った。
さて、忘れた携帯電話を取りに、180km離れたミラノのホテルまで行ってきます。
text&photo:Kei Tsuji in Pinerolo, Italy
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