2009/05/18(月) - 17:49
100周年を祝うミラノショー
1909年5月13日、ジロ・デ・イタリアの歴史はこのミラノで始まった。
全8ステージで行なわれた第1回大会の第1ステージの距離は何と397km! スタート時間は早朝2時53分で、優勝者ダリオ・ベーニ(イタリア)がエミリア・ロマーニャ州の州都ボローニャにゴールしたのは午後4時59分15秒。実に14時間06分15秒に及ぶ超ロングステージで、平均スピードは28.09km/hを記録したという。
以降、今日に至るまで、ジロは100年間で92大会と半分、全1,717ステージを駆け抜けた。走行距離は地球8周分を上回る329,671km(第8ステージ終了時)に及ぶ! ちなみに過去最長ステージは1914年大会にルッカ~ローマ間で行なわれた430km!!
1990年以降、ジロにおけるミラノの位置づけは、ツール・ド・フランスの最終パリステージと同じ、最終日に行なわれる総合成績の動かないフラットコース。花形スプリンターが激しいバトルを繰り広げるのが常だった。
しかし今年は記念すべき100周年記念大会。さすがに主催者はひと味違うステージを用意してきた。レース前半にミラノを登場させたばかりか、人口130万人の大都市中心部を麻痺させ、例年の1周4.8kmを大きく上回る15.3kmの周回コースを敷いた。その名も「ミラノショー100(チェント)」だ。
ミラノの中心地ドゥオーモ前をスタート
ショーを迎えたのは蒼い空! イタリア人たちは口を揃えて「今年のジロは天気に恵まれている」とつぶやく。確かにキアヴェンナにゴールする第7ステージを除いて、雨とは無縁だ。前日までと異なり、この日のミラノ市内は湿度が高くて汗ばむ陽気。
それにしても、距離のある魅力的な周回コースを敷いたのはいいが、プレスルーム(中央駅近く)、スタート地点(ドゥオーモ前)、ゴール地点(ヴェネツィア通り)の3つが離ればなれなのはどうにかして欲しい。交通規制が敷かれた市内をクルマで動くのは酷なので仕方なくプレスルームに駐車し、地下鉄と徒歩を駆使してコースを回ることにした(結果的にはクルマでも良かったが)。
観光客が大挙して押し寄せるドゥオーモ(教会)前の広場に、スタート地点に欠かせないMCの声がこだました。日本人観光客2人に「何の大会?自転車?凄い規模ね」と聞かれたほど、広場の半分以上をジロが占拠。ドゥオーモをバックに選手の写真を撮らない手はない。気づけばカメラマンのレンズは皆同じ方向を向いていた。
レースは10周半。1周につき25のコーナーが現れる。主催者が予想したラップタイムは20~22分。しかし最初の周回は、25分経っても選手がやってこない。ようやく姿を現したのはLPRブレークスを先頭にしたスローなプロトンだった。
コースの危険度を訴える選手の抗議によりニュートラルステージに
周回を重ねるプロトン。しかし何だか様子が変だ。ラジオツール(競技無線)はずっと「gruppo sempre compatto(集団一つのまま)」を繰り返す。アタックがかからないばかりか、選手たちはずっと話しながらスローペースで走っている。
マリアローザを着るダニーロ・ディルーカ(イタリア、LPRブレークス)は集団から飛び出して先導車の審判と話してみたり、後退してチームカーの監督と話したり忙しそう。ラジオツールで平均スピードは33km/hと告げられる。スーパーカーが2速固定で走っているようなものだ。
やがて集団はゴールまで6周回を残してゴールラインで止まった。マリアローザのディルーカがマイクを握って状況を説明。「集まってくれた観客には申し訳ないが、我々はこれ以上リスクを背負ってレースはしない。このコースは危険すぎる」。結局この日はステージ優勝は争われるものの、どれだけ遅れてゴールしても総合成績に反映されないニュートラルステージになった。
チームコロンビア3連勝の快挙
ゴールまで数周を残してようやく集団のペースは上がり、ガーミンやチームコロンビアが競り合ってペースを上げる様子を中継ヘリが空撮で捉える。
ゴール地点は例年のミラノ最終ステージと同じヴェネツィア通りだが、今年は進行方向は逆。ファインダーが最終ストレートで主導権を握ったチームコロンビアトレインを捉えた。
マリアチクラミーノのエドヴァルド・ボアッソン(ノルウェー)が先頭から離れ、最終発射台のマーク・レンショー(オーストラリア)が続いて離脱。カヴェンディッシュが口を開け、独特の低いスプリントで迫ってくるのが見える。
スプリントによっては誰が“来る”のかハラハラしながらピント合わせに集中するが、この日は迷うことなくカヴェンディッシュに合わせ続けた。片手を挙げてゴールするカヴェンディッシュ。スプリント開始時にかけていたいつもの白いサングラスは、激しいバトルでいつの間にか外れていた。
イタリア人選手の活躍が目立つジロとしては珍しく、ステージ4位までを英語圏の選手が占拠した。ゴール後、カヴェンディッシュはスクリーンのリプレイに見入る。先頭でゴールしたが故、後方でどんな動きがあったのか分かっていない様子だった。
それにしても、今年のジロはチームコロンビアの快進撃が止まらない。初日のチームタイムトライアルでの勝利に続き、第7・8・9ステージを連続制覇。9ステージ中4勝は凄まじい勢い。総合でもトーマス・ロヴクヴィスト(スウェーデン)が13秒遅れの2位で新人賞、マイケル・ロジャース(オーストラリア)が44秒遅れの3位につける。
翌日は今大会最初の休息日。ジロ後半戦に向けて、選手もプレスもリカバリーに励む。
text&photo:Kei.Tsuji
1909年5月13日、ジロ・デ・イタリアの歴史はこのミラノで始まった。
全8ステージで行なわれた第1回大会の第1ステージの距離は何と397km! スタート時間は早朝2時53分で、優勝者ダリオ・ベーニ(イタリア)がエミリア・ロマーニャ州の州都ボローニャにゴールしたのは午後4時59分15秒。実に14時間06分15秒に及ぶ超ロングステージで、平均スピードは28.09km/hを記録したという。
以降、今日に至るまで、ジロは100年間で92大会と半分、全1,717ステージを駆け抜けた。走行距離は地球8周分を上回る329,671km(第8ステージ終了時)に及ぶ! ちなみに過去最長ステージは1914年大会にルッカ~ローマ間で行なわれた430km!!
1990年以降、ジロにおけるミラノの位置づけは、ツール・ド・フランスの最終パリステージと同じ、最終日に行なわれる総合成績の動かないフラットコース。花形スプリンターが激しいバトルを繰り広げるのが常だった。
しかし今年は記念すべき100周年記念大会。さすがに主催者はひと味違うステージを用意してきた。レース前半にミラノを登場させたばかりか、人口130万人の大都市中心部を麻痺させ、例年の1周4.8kmを大きく上回る15.3kmの周回コースを敷いた。その名も「ミラノショー100(チェント)」だ。
ミラノの中心地ドゥオーモ前をスタート
ショーを迎えたのは蒼い空! イタリア人たちは口を揃えて「今年のジロは天気に恵まれている」とつぶやく。確かにキアヴェンナにゴールする第7ステージを除いて、雨とは無縁だ。前日までと異なり、この日のミラノ市内は湿度が高くて汗ばむ陽気。
それにしても、距離のある魅力的な周回コースを敷いたのはいいが、プレスルーム(中央駅近く)、スタート地点(ドゥオーモ前)、ゴール地点(ヴェネツィア通り)の3つが離ればなれなのはどうにかして欲しい。交通規制が敷かれた市内をクルマで動くのは酷なので仕方なくプレスルームに駐車し、地下鉄と徒歩を駆使してコースを回ることにした(結果的にはクルマでも良かったが)。
観光客が大挙して押し寄せるドゥオーモ(教会)前の広場に、スタート地点に欠かせないMCの声がこだました。日本人観光客2人に「何の大会?自転車?凄い規模ね」と聞かれたほど、広場の半分以上をジロが占拠。ドゥオーモをバックに選手の写真を撮らない手はない。気づけばカメラマンのレンズは皆同じ方向を向いていた。
レースは10周半。1周につき25のコーナーが現れる。主催者が予想したラップタイムは20~22分。しかし最初の周回は、25分経っても選手がやってこない。ようやく姿を現したのはLPRブレークスを先頭にしたスローなプロトンだった。
コースの危険度を訴える選手の抗議によりニュートラルステージに
周回を重ねるプロトン。しかし何だか様子が変だ。ラジオツール(競技無線)はずっと「gruppo sempre compatto(集団一つのまま)」を繰り返す。アタックがかからないばかりか、選手たちはずっと話しながらスローペースで走っている。
マリアローザを着るダニーロ・ディルーカ(イタリア、LPRブレークス)は集団から飛び出して先導車の審判と話してみたり、後退してチームカーの監督と話したり忙しそう。ラジオツールで平均スピードは33km/hと告げられる。スーパーカーが2速固定で走っているようなものだ。
やがて集団はゴールまで6周回を残してゴールラインで止まった。マリアローザのディルーカがマイクを握って状況を説明。「集まってくれた観客には申し訳ないが、我々はこれ以上リスクを背負ってレースはしない。このコースは危険すぎる」。結局この日はステージ優勝は争われるものの、どれだけ遅れてゴールしても総合成績に反映されないニュートラルステージになった。
チームコロンビア3連勝の快挙
ゴールまで数周を残してようやく集団のペースは上がり、ガーミンやチームコロンビアが競り合ってペースを上げる様子を中継ヘリが空撮で捉える。
ゴール地点は例年のミラノ最終ステージと同じヴェネツィア通りだが、今年は進行方向は逆。ファインダーが最終ストレートで主導権を握ったチームコロンビアトレインを捉えた。
マリアチクラミーノのエドヴァルド・ボアッソン(ノルウェー)が先頭から離れ、最終発射台のマーク・レンショー(オーストラリア)が続いて離脱。カヴェンディッシュが口を開け、独特の低いスプリントで迫ってくるのが見える。
スプリントによっては誰が“来る”のかハラハラしながらピント合わせに集中するが、この日は迷うことなくカヴェンディッシュに合わせ続けた。片手を挙げてゴールするカヴェンディッシュ。スプリント開始時にかけていたいつもの白いサングラスは、激しいバトルでいつの間にか外れていた。
イタリア人選手の活躍が目立つジロとしては珍しく、ステージ4位までを英語圏の選手が占拠した。ゴール後、カヴェンディッシュはスクリーンのリプレイに見入る。先頭でゴールしたが故、後方でどんな動きがあったのか分かっていない様子だった。
それにしても、今年のジロはチームコロンビアの快進撃が止まらない。初日のチームタイムトライアルでの勝利に続き、第7・8・9ステージを連続制覇。9ステージ中4勝は凄まじい勢い。総合でもトーマス・ロヴクヴィスト(スウェーデン)が13秒遅れの2位で新人賞、マイケル・ロジャース(オーストラリア)が44秒遅れの3位につける。
翌日は今大会最初の休息日。ジロ後半戦に向けて、選手もプレスもリカバリーに励む。
text&photo:Kei.Tsuji
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