2011/09/07(水) - 15:24
珍しくカテゴリー山岳が一つもない188kmの旅路。意気揚々と勝負に挑むはずだったスプリンターの目論みを、ラスト300mのロータリーが打ち砕いた。グランツールでコースミス。ヨーロッパ人としては当然のロータリー右側通行は、実は競技車両用のエスケープルートだった。
なんとも辺鄙な場所にスタート地点を作ったもんだ。行っても行っても同じような風景が広がるカスティーリャ・イ・レオンの平野に、ポツンとスタート地点が置かれた。
場所の名前はラ・オルメダ。ここにはモザイク床が有名な古代ローマ別荘遺跡博物館があり、発掘された遺跡を覆うように、真新しい建物が建っている。その真ん前にスタート地点が置かれた。
会場で配られているオフィシャル新聞「AS紙」をめくっていると、土井雪広(スキル・シマノ)の記事を発見。見出しは「Me gusta el jamon y los espanoles, que son muy simpaticos(親しみやすいスペイン人たちとハムが好き)」。
新聞記事の影響もあってか、チームバスから出走サイン台までの移動の間、土井雪広にはひっきりなしにサインを求めて観客がやってくる。ちなみに山形出身なのに紙面では「27歳・大阪出身」になっている。きっとチーム公式サイトの間違いが原因だろう。
次のページを見ると、今度はトム・フィーラース(オランダ、スキル・シマノ)の特集。フィーラースは現在総合順位が最下位で、トップから4時間11分48秒遅れている。これは記録的な遅れで、2003年にホセ・マエストレ(スペイン)が記録した4時間26分12秒遅れを更新しそうだと言う。それだけで今年のコースの厳しさが伺い知れる。
この日、会場の話題を集めていたのは、やはりレオパード・トレックとレディオシャックの合併だ。
レオパード・トレックのプレス担当ティム・ファンデルユードは「チームの広報は大変な状態。これからもっと大変になる。レオパードの名前が実質的に1年で無くなるのは残念だけど、強いチームになるのは間違いない。これで良かったんだと思う。9月15日にはチームの編成を発表できるよ。僕の進退?僕はまだ来年どうなるか分からない」と言う。「合併」というより、苦痛を伴う「仕方の無い再編成」という印象だ。
移籍話としてはもう一つ、来シーズン移籍するジョン・デゲンコルブ(ドイツ、HTC・ハイロード)のバイク(ロード&TT)を、スキル・シマノのメカニックが綿密にポジション計測していた。サドルの水平具合からハンドルの形状まで、チェック項目は実に細かい。こうすることでチームは加入選手をスムーズに迎え入れる。
この日のコースは、カスティーリャ・イ・レオン地方の平野を真東に突っ切り、ラ・リオハ地方のアーロにゴールする。アーロはバスク地方と目と鼻の先。川を隔てた向こう側がもうバスクだ。
「平野」と言いながらも実際は緩いアップダウンの連続。今大会逃げまくっているアンダルシア・カハグラナダとコフィディスは、まるで義務のように逃げを打つ。この2チームが逃げていない日は無いんじゃないかと思うほど、とにかく逃げる。
この逃げを潰そうと、スピードを上げたメイン集団で落車が発生する。最大の被害者はポイント賞ジャージを着るホアキン・ロドリゲス(スペイン、カチューシャ)。
チームメイトにサポートされ、11分遅れでゴールしたロドリゲスは、そのまま病院に直行した(ジャージはオラクが代理で受け取った)。肩と腕の骨折が疑われたが、X線検査の結果、骨折は無し。
しかしこの日の遅れにより、総合を狙えない24位までダウンした。翌日はペーニャ・カバルガの頂上ゴール。昨年大会でロドリゲスがステージ優勝を飾った相性の良いステージだが、ゴール時の様子を見る限り、2年連続ペーニャ・カバルガ制覇は難しそうだ。
レース終盤、スキル・シマノはフィーラースを勝たせるために集団前方に位置。「大きな逃げができれば乗るけど、今日はスプリンターのステージ。3〜4人の逃げだとそのまま見送る」と語っていた土井雪広が、集団前方でスプリンターのポジションを守る。追い風で下り基調のため、集団の巡航スピードは常に60km/h前後。土井雪広は「終盤はかなり速かった」と振り返る。「でも脚は回った」。
ロード世界選手権に照準を合わすため、この日限りでブエルタ離脱を発表しているファビアン・カンチェラーラ(スイス、レオパード・トレック)が、スプリンターのために集団をグイグイ牽く。レオパード・トレックはカンチェラーラ、ヴィガノ、ワグナー、そしてダニエーレ・ベンナーティ(イタリア)というトレインで主導権を奪う。
しかしラスト300mのロータリーで、ワグナーが本来のコースである左回りではなく、右回りへ突進してしまった。確かにヨーロッパ人としては右側通行が通常。ロータリー入り口にある左向きの矢印を見逃してしまった。
このミスコースによってベンナーティやペーター・サガン(スロバキア、リクイガス・キャノンデール)が失速し、その後ろにつけていたフアンホセ・アエド(アルゼンチン、サクソバンク・サンガード)が飛び出す。大集団のスプリントを予想していたのに、結果はアエドの独走勝利だった。アエドはこれがグランツール初優勝。アルゼンチン出身選手としても初の快挙である。
マイヨロホのファンホセ・コーボ(スペイン、ジェオックス・TMC)は2秒遅れ。コースミスで集団が割れた影響で、クリス・フルーム(イギリス、チームスカイ)は4秒遅れ、ブラドレー・ウィギンズ(イギリス、チームスカイ)は7秒遅れでゴールした。フルームはラスト10km地点のスプリントポイントを3番手で通過(ボーナスタイム2秒)したが、後にその記録はキャンセルされている。つまりコーボはこの平坦ステージで僅かにリードを広げた。
翌日のペーニャ・カバルガは今大会最後の頂上ゴールだ。最大勾配が19%に達するこの短い登りは、どちらかと言えばコーボ向き。チームスカイは「2人」という数の利を活かして攻撃してくるだろう。
text&photo:Kei Tsuji in Logrono
なんとも辺鄙な場所にスタート地点を作ったもんだ。行っても行っても同じような風景が広がるカスティーリャ・イ・レオンの平野に、ポツンとスタート地点が置かれた。
場所の名前はラ・オルメダ。ここにはモザイク床が有名な古代ローマ別荘遺跡博物館があり、発掘された遺跡を覆うように、真新しい建物が建っている。その真ん前にスタート地点が置かれた。
会場で配られているオフィシャル新聞「AS紙」をめくっていると、土井雪広(スキル・シマノ)の記事を発見。見出しは「Me gusta el jamon y los espanoles, que son muy simpaticos(親しみやすいスペイン人たちとハムが好き)」。
新聞記事の影響もあってか、チームバスから出走サイン台までの移動の間、土井雪広にはひっきりなしにサインを求めて観客がやってくる。ちなみに山形出身なのに紙面では「27歳・大阪出身」になっている。きっとチーム公式サイトの間違いが原因だろう。
次のページを見ると、今度はトム・フィーラース(オランダ、スキル・シマノ)の特集。フィーラースは現在総合順位が最下位で、トップから4時間11分48秒遅れている。これは記録的な遅れで、2003年にホセ・マエストレ(スペイン)が記録した4時間26分12秒遅れを更新しそうだと言う。それだけで今年のコースの厳しさが伺い知れる。
この日、会場の話題を集めていたのは、やはりレオパード・トレックとレディオシャックの合併だ。
レオパード・トレックのプレス担当ティム・ファンデルユードは「チームの広報は大変な状態。これからもっと大変になる。レオパードの名前が実質的に1年で無くなるのは残念だけど、強いチームになるのは間違いない。これで良かったんだと思う。9月15日にはチームの編成を発表できるよ。僕の進退?僕はまだ来年どうなるか分からない」と言う。「合併」というより、苦痛を伴う「仕方の無い再編成」という印象だ。
移籍話としてはもう一つ、来シーズン移籍するジョン・デゲンコルブ(ドイツ、HTC・ハイロード)のバイク(ロード&TT)を、スキル・シマノのメカニックが綿密にポジション計測していた。サドルの水平具合からハンドルの形状まで、チェック項目は実に細かい。こうすることでチームは加入選手をスムーズに迎え入れる。
この日のコースは、カスティーリャ・イ・レオン地方の平野を真東に突っ切り、ラ・リオハ地方のアーロにゴールする。アーロはバスク地方と目と鼻の先。川を隔てた向こう側がもうバスクだ。
「平野」と言いながらも実際は緩いアップダウンの連続。今大会逃げまくっているアンダルシア・カハグラナダとコフィディスは、まるで義務のように逃げを打つ。この2チームが逃げていない日は無いんじゃないかと思うほど、とにかく逃げる。
この逃げを潰そうと、スピードを上げたメイン集団で落車が発生する。最大の被害者はポイント賞ジャージを着るホアキン・ロドリゲス(スペイン、カチューシャ)。
チームメイトにサポートされ、11分遅れでゴールしたロドリゲスは、そのまま病院に直行した(ジャージはオラクが代理で受け取った)。肩と腕の骨折が疑われたが、X線検査の結果、骨折は無し。
しかしこの日の遅れにより、総合を狙えない24位までダウンした。翌日はペーニャ・カバルガの頂上ゴール。昨年大会でロドリゲスがステージ優勝を飾った相性の良いステージだが、ゴール時の様子を見る限り、2年連続ペーニャ・カバルガ制覇は難しそうだ。
レース終盤、スキル・シマノはフィーラースを勝たせるために集団前方に位置。「大きな逃げができれば乗るけど、今日はスプリンターのステージ。3〜4人の逃げだとそのまま見送る」と語っていた土井雪広が、集団前方でスプリンターのポジションを守る。追い風で下り基調のため、集団の巡航スピードは常に60km/h前後。土井雪広は「終盤はかなり速かった」と振り返る。「でも脚は回った」。
ロード世界選手権に照準を合わすため、この日限りでブエルタ離脱を発表しているファビアン・カンチェラーラ(スイス、レオパード・トレック)が、スプリンターのために集団をグイグイ牽く。レオパード・トレックはカンチェラーラ、ヴィガノ、ワグナー、そしてダニエーレ・ベンナーティ(イタリア)というトレインで主導権を奪う。
しかしラスト300mのロータリーで、ワグナーが本来のコースである左回りではなく、右回りへ突進してしまった。確かにヨーロッパ人としては右側通行が通常。ロータリー入り口にある左向きの矢印を見逃してしまった。
このミスコースによってベンナーティやペーター・サガン(スロバキア、リクイガス・キャノンデール)が失速し、その後ろにつけていたフアンホセ・アエド(アルゼンチン、サクソバンク・サンガード)が飛び出す。大集団のスプリントを予想していたのに、結果はアエドの独走勝利だった。アエドはこれがグランツール初優勝。アルゼンチン出身選手としても初の快挙である。
マイヨロホのファンホセ・コーボ(スペイン、ジェオックス・TMC)は2秒遅れ。コースミスで集団が割れた影響で、クリス・フルーム(イギリス、チームスカイ)は4秒遅れ、ブラドレー・ウィギンズ(イギリス、チームスカイ)は7秒遅れでゴールした。フルームはラスト10km地点のスプリントポイントを3番手で通過(ボーナスタイム2秒)したが、後にその記録はキャンセルされている。つまりコーボはこの平坦ステージで僅かにリードを広げた。
翌日のペーニャ・カバルガは今大会最後の頂上ゴールだ。最大勾配が19%に達するこの短い登りは、どちらかと言えばコーボ向き。チームスカイは「2人」という数の利を活かして攻撃してくるだろう。
text&photo:Kei Tsuji in Logrono
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