2011/05/26(木) - 15:05
ジロ・デ・イタリア2011第17ステージは中級山岳のコース。先行するウリッシを手で押しのけてヴィスコンティがゴールしたが降格処分。ネオプロ、ウリッシのジロ初勝利となった。
ステージ優勝したディエゴ・ウリッシ(イタリア、ランプレ・ISD)
――今日の勝利について
激戦だったよ。逃げに乗るように指示されていたから逃げた。少し疲れてる。初めてのジロだし、3週間もの長い間レースが続いているから、少し苦しい。今日は登りでも下りでも苦しかった。定期的に補給を取って飲み食いし、ギアを落として走れと監督に言われた。そうしてやっとのことで、逃げ集団で走り続けることができたんだ。肝心なのは、今日は逃げ切れそうだとわかっていたことだ。
――スプリントについて
早めに仕掛けてヴィスコンティを驚かせようとした。スプリントではヴィスコンティのほうが速いからね。少し登りになっていて、ぼくには合っていた。ひょっとするとぼくも斜行していたかも知れないけれど、もっとひどいのを見たことがある。それで今回のような判定になったんだろう。
――ヴィスコンティについて
こういうことはよくある。ヴィスコンティの反応はそうじゃないけど。逃げに乗ってからのぼくの仕事は、「潜伏すること」だった。変化をやり過ごして隠れようとしていた。みんながそうしていた。
たとえばサクソバンクの選手(ヘスス・エルナンデス)は、逃げ集団の中で何もしなかった。スプリントゴールに持ち込むために、なんとしても脚をベストの状態のまま残しておく必要があったんだ。できるだけ速くたどり着きたいと思って、フィニッシュラインのアーチしか見てなかった。それだけだよ。
――自分自身について
最終的には賢く判断してうまく立ちまわれた。でもラスト15kmの地点では、逃げ集団から遅れてしまった。先頭に残れなかったら、せっかくの機転も必要なくなってしまうこともある。
――ラストラスについて
下りに強い選手だということは知っていたけれど、ついていくのは大変だった。ぼくはそんなに勇敢じゃないんだ。少し後ろでおとなしく走ったよ。
――ヴィスコンティとは前になにかあった?
なにも。今までジョヴァンニとはなにもなかったよ。
――ベッティーニの後継者は君? ヴィスコンティではなく?
答えようがない。ぼくはまだ若いんだ。プロになって1年半しか経っていないし、チームのランプレ・ISDが成長の場と機会を与えてくれたおかげで、自分の長所が分かりかけてきているところだ。正直に言って、自分がどんなタイプの選手なのか、まだ分かっていない。でも難しいステージを経ていく中で、自分が負けず嫌いで突きつめるほうなんだと分かってきた。これからもそうしていくつもりだよ。
――マントヴァのドーピング捜査のあとで、スポーツディレクターが替わったことについて
断言するけれど、ぼくもチームメイトも、この件で動揺することはなかった。北の(クラシック)レースやジロに集中してきたからね。
(新たにスポーツディレクターになった)ダミアーニはすごい人物だ。ほんとうに好ましい人で、いろいろなことを教えてくれる。彼が来てくれたことを嬉しく思うよ。
――ジロについて
今回のジロ・デ・イタリアについて言えば、コンタドールは驚きだね。ぼくたちも力を尽くしてはいるんだけど。ぼくとしては、3週目の緊張感に驚いている。将来目指したいタイプの選手だよ。
――マペイ・トレーニングセンターについて一言。人生に何か変化があった?
若い選手にとっては重要なステップだ。センターでの検査は重要で、実際に結果をもたらしてくれる。ここでの経験ができたことをとても嬉しく思う。
――アシスト、それともエース?
目指そうと思えば、アシストとしての人生を送ることもできる。成長しようとしている最中だけれど、勝てなければドラマのようなことにはならない。ぼくは成長段階にしたがって適切な道を進んでいる。これがいちばん大事なことなんだ。(記者会見)
ステージ2位になったパブロ・ラストラス(スペイン、モビスターチーム)
スタートは最悪だった。集団がまとまらず、アタック合戦で大混乱だった。さいわい、その後はちゃんとレースになったけれど。
(先頭集団で頻発した)アタックについていくことはできないと思った。そんなことをしたら、自分のチャンスを台無しにするのがオチだったから。アタックは何度か、自分から仕掛けた。でも今日はヴィスコンティに張り付かれていたんだ。
スプリントは、この間のビシオソの時(第3ステージ。ラストラスは逃げ集団の少数スプリントで競り負け、3位に終わっている)とは様子が違っていた。ヴィスコンティもウリッシも速い選手だから、スプリントになったら十中八九勝ち目はなかった……。
向かい風の中、追い抜きの難しいコースで、スプリントを始めたんだ。2人とも見えなかった。調子はよくて、50mかそこらしか遅れなかった。スタートが少し遅かったんだ。2人が降格になってしかるべきだったかどうかはわからない。でもヴィスコンティは逃げ集団の中でほんとうに強かったし、ウリッシはそうでもなかった。
いい走りをしたとは思っているけれど、前にはあった勝利への執念がなくなってしまったようだ。昨日はシャビエル・トンドの死にひどく動揺した。今日もレースをはじめるのが難しい状態だった。彼を追悼する気持ちが、戦う意欲を与えてくれたのは確かだ。アレルギーのせいで、ステージ序盤には集団から遅れてしまった。でも230kmのステージの中で回復することもあるんだね。このジロで勝てる機会は何度かあったのに、1度も勝てていないことが、少し腹立たしいよ。
降格処分になったジョヴァンニ・ヴィスコンティ(イタリア、ファルネーゼヴィーニ・ネーリソットリ)
(ゴール直後のコメント)
まったく頭にくる。ああせざるを得なかったんだ。彼に向かって10回は叫んだよ。叫べば叫ぶほど、彼は寄せてきたんだ。だから手を上げなければならなかった。でなければ、どうなっていたと思う? 規定違反? 危険だったんだ。誰かに邪魔されたら危険だよ。
右に行こうとしたけれど、風があった。レースをしたことのある人なら誰でも、これがどういうことか分かるだろう。左に空きがあるのが見えたから、そこに入った。その時、ウリッシがラインを変えた。彼がそうしなければ、今ごろはステージを手に入れられていたのに。実際にはぼくが間違ったことをしてしまい、3位になってしまった。それでもぼくの存在感を示すことはできたと思う。(ファルネーゼヴィーニ・ネーリソットリの公式リリース)
ファルネーゼヴィーニ・ネーリソットリのルーカ・シント監督
実際に勝ったのは我々だ。自分の意見だが、もし私が審判団にいたら、2人とも降格にしていただろう。ヴィスコンティはハンドルから手を離してウリッシを押した。そして、ヴィスコンティが叫んでいたのに、ウリッシはヴィスコンティに寄せてきたんだ。
マリアローザのアルベルト・コンタドール(スペイン、サクソバンク・サンガード)
――今日はどうだった?
とても難しくて速いペースだった。最初の1時間は平均時速48kmだったんだ。逃げが成立したけれど、総合の順位を守りたいチームが仕事をして、距離をうまく保って走った。ぼくはニーバリやメンショフといった選手たちをマークするだけだったよ。
――ジロを単独で制しているのは君だけど、チームではアスタナが勝っている。元いたチームとしてどう思う?
他のチームの話はしたくないんだ。ただ言えるのは、彼らはとてもいい働きをしているし、チームとしての結果に貢献できる選手たちがいるのは驚くにはあたらない、ということだ。
――ジロに向けた準備は大変だった?
もちろん。要するに準備というのは、過酷な道のりと努力に耐えるための、特別なものだからね。
――周到に準備した状態に集中しているように見える。満足している?
もちろん、毎日が過ぎるのが楽しい。ミラノが日に日に近づいてきているし、ファンのみんなはすばらしい。注意をおこたらなければうまくいくだろう。コッレ・デッレ・フィネストレの日(第20ステージ)が、スカルポーニとニーバリにとっては最後のチャンスだ。彼らをライバルとして尊敬しているけれど、他の選手たちの助けもあてにしている。だから、冷静でいられるんだ。
――興奮した観客をメカニシャンがチームカーのドアで押しのけ、レースを除外された件について
その件はわからないんだ。ペナルティが下されたことは恥ずかしく思う。
(きっかけと言われている第14ステージの)コースの変更については、計画通りにやるべきだった。観客のためにも、自転車競技のためにも、そう思うよ。
――サッカーのマラドーナや競泳のフェルプスなど、ほかのスポーツの選手たちについて
光栄だけど、いつも言っているように、ぼくは自転車で好きなことやできる限りのことをしている。比較は意味がないよ。(記者会見)
23位でゴールした別府史之(日本、レディオシャック)
230kmの長丁場のステージだったけど、後半調子が上がってきてスプリントに備えてたけど、逃げが逃げ切ってしまったのでスプリントはせずにゴールした。かなりトリッキーな下りで正直怖かった。 調子もいいので明日は積極的に動きたいです!
疲労困憊のクレイグ・ルイス(アメリカ、HTC・ハイロード)
今日ジロで疲れ切っていたのはぼくだけじゃないと思う。精神的にも肉体的にもクタクタだよ。
観戦に訪れたデザイナーのポール・スミス氏
ジロ・デ・イタリア、とりわけ山岳ステージに来ることができて、たいへん嬉しく思います。この2週間というもの、毎日のようにレースを追っていました。
ワウテル・ウェイラント選手の死に対しては心を痛めました(ポール・スミス氏はウェイラントのゼッケン番号108が書かれたTシャツを着用)。そして、この悲劇により、自転車競技は魅力的だが危険なスポーツでもあることを、あらためて痛感しました。
数日前、親愛なる友人であるマーク・カヴェンディッシュ選手の訪問を受けました。彼はこのレースの魅力やイタリアのファンの方々の情熱について話をしてくれた上に、彼のマリアローザを贈呈してくれました。このことは、私が今日経験した感動のさきがけだったのでしょう。ジロ・デ・イタリアよ、ありがとう!
ジロのレース総合ディレクター、アンジェロ・ゾメニャン氏
ジロ・デ・イタリアおよびRCSスポルトグループ、ガゼッタ・デッロ・スポルト紙がポール・スミス卿をお招きできたことを光栄に思います。以前、個人的に、真の自転車ファンであり、自転車通である卿とお会いする機会がありました。お会いしたとき、またすぐにジロについて語らうことになるだろうという確信を持ちました。ジロはますます、国際化の度合いを高めつつあるのです。
ソースは現地取材、記者会見、チーム公式ウェブサイト、主催新聞ガゼッタ・デッロ・スポルト紙、選手個人のウェブサイトおよびTwitter、Facebookなど。
translation & text : Taiko.YAMASAKI + Seiya.YAMASAKI
ステージ優勝したディエゴ・ウリッシ(イタリア、ランプレ・ISD)
――今日の勝利について
激戦だったよ。逃げに乗るように指示されていたから逃げた。少し疲れてる。初めてのジロだし、3週間もの長い間レースが続いているから、少し苦しい。今日は登りでも下りでも苦しかった。定期的に補給を取って飲み食いし、ギアを落として走れと監督に言われた。そうしてやっとのことで、逃げ集団で走り続けることができたんだ。肝心なのは、今日は逃げ切れそうだとわかっていたことだ。
――スプリントについて
早めに仕掛けてヴィスコンティを驚かせようとした。スプリントではヴィスコンティのほうが速いからね。少し登りになっていて、ぼくには合っていた。ひょっとするとぼくも斜行していたかも知れないけれど、もっとひどいのを見たことがある。それで今回のような判定になったんだろう。
――ヴィスコンティについて
こういうことはよくある。ヴィスコンティの反応はそうじゃないけど。逃げに乗ってからのぼくの仕事は、「潜伏すること」だった。変化をやり過ごして隠れようとしていた。みんながそうしていた。
たとえばサクソバンクの選手(ヘスス・エルナンデス)は、逃げ集団の中で何もしなかった。スプリントゴールに持ち込むために、なんとしても脚をベストの状態のまま残しておく必要があったんだ。できるだけ速くたどり着きたいと思って、フィニッシュラインのアーチしか見てなかった。それだけだよ。
――自分自身について
最終的には賢く判断してうまく立ちまわれた。でもラスト15kmの地点では、逃げ集団から遅れてしまった。先頭に残れなかったら、せっかくの機転も必要なくなってしまうこともある。
――ラストラスについて
下りに強い選手だということは知っていたけれど、ついていくのは大変だった。ぼくはそんなに勇敢じゃないんだ。少し後ろでおとなしく走ったよ。
――ヴィスコンティとは前になにかあった?
なにも。今までジョヴァンニとはなにもなかったよ。
――ベッティーニの後継者は君? ヴィスコンティではなく?
答えようがない。ぼくはまだ若いんだ。プロになって1年半しか経っていないし、チームのランプレ・ISDが成長の場と機会を与えてくれたおかげで、自分の長所が分かりかけてきているところだ。正直に言って、自分がどんなタイプの選手なのか、まだ分かっていない。でも難しいステージを経ていく中で、自分が負けず嫌いで突きつめるほうなんだと分かってきた。これからもそうしていくつもりだよ。
――マントヴァのドーピング捜査のあとで、スポーツディレクターが替わったことについて
断言するけれど、ぼくもチームメイトも、この件で動揺することはなかった。北の(クラシック)レースやジロに集中してきたからね。
(新たにスポーツディレクターになった)ダミアーニはすごい人物だ。ほんとうに好ましい人で、いろいろなことを教えてくれる。彼が来てくれたことを嬉しく思うよ。
――ジロについて
今回のジロ・デ・イタリアについて言えば、コンタドールは驚きだね。ぼくたちも力を尽くしてはいるんだけど。ぼくとしては、3週目の緊張感に驚いている。将来目指したいタイプの選手だよ。
――マペイ・トレーニングセンターについて一言。人生に何か変化があった?
若い選手にとっては重要なステップだ。センターでの検査は重要で、実際に結果をもたらしてくれる。ここでの経験ができたことをとても嬉しく思う。
――アシスト、それともエース?
目指そうと思えば、アシストとしての人生を送ることもできる。成長しようとしている最中だけれど、勝てなければドラマのようなことにはならない。ぼくは成長段階にしたがって適切な道を進んでいる。これがいちばん大事なことなんだ。(記者会見)
ステージ2位になったパブロ・ラストラス(スペイン、モビスターチーム)
スタートは最悪だった。集団がまとまらず、アタック合戦で大混乱だった。さいわい、その後はちゃんとレースになったけれど。
(先頭集団で頻発した)アタックについていくことはできないと思った。そんなことをしたら、自分のチャンスを台無しにするのがオチだったから。アタックは何度か、自分から仕掛けた。でも今日はヴィスコンティに張り付かれていたんだ。
スプリントは、この間のビシオソの時(第3ステージ。ラストラスは逃げ集団の少数スプリントで競り負け、3位に終わっている)とは様子が違っていた。ヴィスコンティもウリッシも速い選手だから、スプリントになったら十中八九勝ち目はなかった……。
向かい風の中、追い抜きの難しいコースで、スプリントを始めたんだ。2人とも見えなかった。調子はよくて、50mかそこらしか遅れなかった。スタートが少し遅かったんだ。2人が降格になってしかるべきだったかどうかはわからない。でもヴィスコンティは逃げ集団の中でほんとうに強かったし、ウリッシはそうでもなかった。
いい走りをしたとは思っているけれど、前にはあった勝利への執念がなくなってしまったようだ。昨日はシャビエル・トンドの死にひどく動揺した。今日もレースをはじめるのが難しい状態だった。彼を追悼する気持ちが、戦う意欲を与えてくれたのは確かだ。アレルギーのせいで、ステージ序盤には集団から遅れてしまった。でも230kmのステージの中で回復することもあるんだね。このジロで勝てる機会は何度かあったのに、1度も勝てていないことが、少し腹立たしいよ。
降格処分になったジョヴァンニ・ヴィスコンティ(イタリア、ファルネーゼヴィーニ・ネーリソットリ)
(ゴール直後のコメント)
まったく頭にくる。ああせざるを得なかったんだ。彼に向かって10回は叫んだよ。叫べば叫ぶほど、彼は寄せてきたんだ。だから手を上げなければならなかった。でなければ、どうなっていたと思う? 規定違反? 危険だったんだ。誰かに邪魔されたら危険だよ。
右に行こうとしたけれど、風があった。レースをしたことのある人なら誰でも、これがどういうことか分かるだろう。左に空きがあるのが見えたから、そこに入った。その時、ウリッシがラインを変えた。彼がそうしなければ、今ごろはステージを手に入れられていたのに。実際にはぼくが間違ったことをしてしまい、3位になってしまった。それでもぼくの存在感を示すことはできたと思う。(ファルネーゼヴィーニ・ネーリソットリの公式リリース)
ファルネーゼヴィーニ・ネーリソットリのルーカ・シント監督
実際に勝ったのは我々だ。自分の意見だが、もし私が審判団にいたら、2人とも降格にしていただろう。ヴィスコンティはハンドルから手を離してウリッシを押した。そして、ヴィスコンティが叫んでいたのに、ウリッシはヴィスコンティに寄せてきたんだ。
マリアローザのアルベルト・コンタドール(スペイン、サクソバンク・サンガード)
――今日はどうだった?
とても難しくて速いペースだった。最初の1時間は平均時速48kmだったんだ。逃げが成立したけれど、総合の順位を守りたいチームが仕事をして、距離をうまく保って走った。ぼくはニーバリやメンショフといった選手たちをマークするだけだったよ。
――ジロを単独で制しているのは君だけど、チームではアスタナが勝っている。元いたチームとしてどう思う?
他のチームの話はしたくないんだ。ただ言えるのは、彼らはとてもいい働きをしているし、チームとしての結果に貢献できる選手たちがいるのは驚くにはあたらない、ということだ。
――ジロに向けた準備は大変だった?
もちろん。要するに準備というのは、過酷な道のりと努力に耐えるための、特別なものだからね。
――周到に準備した状態に集中しているように見える。満足している?
もちろん、毎日が過ぎるのが楽しい。ミラノが日に日に近づいてきているし、ファンのみんなはすばらしい。注意をおこたらなければうまくいくだろう。コッレ・デッレ・フィネストレの日(第20ステージ)が、スカルポーニとニーバリにとっては最後のチャンスだ。彼らをライバルとして尊敬しているけれど、他の選手たちの助けもあてにしている。だから、冷静でいられるんだ。
――興奮した観客をメカニシャンがチームカーのドアで押しのけ、レースを除外された件について
その件はわからないんだ。ペナルティが下されたことは恥ずかしく思う。
(きっかけと言われている第14ステージの)コースの変更については、計画通りにやるべきだった。観客のためにも、自転車競技のためにも、そう思うよ。
――サッカーのマラドーナや競泳のフェルプスなど、ほかのスポーツの選手たちについて
光栄だけど、いつも言っているように、ぼくは自転車で好きなことやできる限りのことをしている。比較は意味がないよ。(記者会見)
23位でゴールした別府史之(日本、レディオシャック)
230kmの長丁場のステージだったけど、後半調子が上がってきてスプリントに備えてたけど、逃げが逃げ切ってしまったのでスプリントはせずにゴールした。かなりトリッキーな下りで正直怖かった。 調子もいいので明日は積極的に動きたいです!
疲労困憊のクレイグ・ルイス(アメリカ、HTC・ハイロード)
今日ジロで疲れ切っていたのはぼくだけじゃないと思う。精神的にも肉体的にもクタクタだよ。
観戦に訪れたデザイナーのポール・スミス氏
ジロ・デ・イタリア、とりわけ山岳ステージに来ることができて、たいへん嬉しく思います。この2週間というもの、毎日のようにレースを追っていました。
ワウテル・ウェイラント選手の死に対しては心を痛めました(ポール・スミス氏はウェイラントのゼッケン番号108が書かれたTシャツを着用)。そして、この悲劇により、自転車競技は魅力的だが危険なスポーツでもあることを、あらためて痛感しました。
数日前、親愛なる友人であるマーク・カヴェンディッシュ選手の訪問を受けました。彼はこのレースの魅力やイタリアのファンの方々の情熱について話をしてくれた上に、彼のマリアローザを贈呈してくれました。このことは、私が今日経験した感動のさきがけだったのでしょう。ジロ・デ・イタリアよ、ありがとう!
ジロのレース総合ディレクター、アンジェロ・ゾメニャン氏
ジロ・デ・イタリアおよびRCSスポルトグループ、ガゼッタ・デッロ・スポルト紙がポール・スミス卿をお招きできたことを光栄に思います。以前、個人的に、真の自転車ファンであり、自転車通である卿とお会いする機会がありました。お会いしたとき、またすぐにジロについて語らうことになるだろうという確信を持ちました。ジロはますます、国際化の度合いを高めつつあるのです。
ソースは現地取材、記者会見、チーム公式ウェブサイト、主催新聞ガゼッタ・デッロ・スポルト紙、選手個人のウェブサイトおよびTwitter、Facebookなど。
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