東日本大震災から15年。どの国よりも熱い支援と250億円にのぼる義援金を贈ってくれた台湾に対し、日本からのサイクリストの一団が感謝の想いを伝える台湾一周サイクリングの旅に出た。旅を企画したジャーナリスト・作家の野嶋剛さんが手記を寄せてくれた。

「感謝台湾 震災15年 環島之旅」を企画した野嶋剛さん 野嶋 剛(のじまつよし)
ジャーナリスト・作家、大東文化大学社会学部教授、nippon.com書評委員、富山県サイクルツーリズムアドバイザー。自転車関連の著書に「銀輪の巨人」がある。
野嶋剛 公式サイト
きっかけは覚えていない。ただ、2024年の年末、東日本大震災から15年を迎える2026年3月に、台湾を自転車で一周する「環島」サイクリングによって、震災支援の感謝を伝えることができないか、と思い立った。
すぐにラフの計画書を手書きで描いた。そのラフを見返すと、台湾を反時計回りで一周し、「感謝台湾 環島之旅」「3/7(土)〜3/15(日)8泊9日・900km」などと書いている。

手書きで描いた8泊9日台湾一周900kmの計画図。このときは反時計回りだった 
通常は反時計回りだが、時計回りで環島することに
「発起人になって欲しい」と、作家・女優の一青妙さん、日勝生加賀屋の徳光重人さん、台湾TSUTAYAの大塚一馬さんらサイクリスト仲間に声をかけた。
それから一年半あまりが過ぎて、私は実際にラフの計画書と目的、同じ日程で台湾を一周することになった。違ったのは二つ。一つは時計回りではなく、逆時計回りになったことと、参加人数が想定の20人から33人になったことだった。
なぜ、ライドによって感謝を伝えるのか。そこにはいくつかの理由があった。

震災支援としてジャイアントが贈ってくれた黄色いマウンテンバイク photo:Tsuyoshi Nojima
台湾は日本の東日本大震災で250億円という世界一の義援金を贈ってくれた。台湾の自転車メーカーのジャイアントも新品の自転車1,000台を東北に素早く届け、復興を応援してくれた。その後も熊本地震や能登半島地震においても、台湾は義援金やレスキューの派遣で力強くサポートしてくれている。
それならばこの15年分の感謝を、台湾全土で、人々に直接、時間をかけて感謝を伝える方法がないかと考えた時、環島ライドという方法を思いついたのである。

台湾総統府前で旅の成功を祈る photo:台湾環島日記
当初は15人から20人の規模を目指そうと発起人同士で話し合っていた。しかし、2025年9月に応募をSNSで始めた途端、あっという間に20人を超え、30人に達した。最終的には日本在住の日本人が25人、台湾在住の日本人・台湾人の8人の合計33人が参加することになり、この種のツアーとしては限界に近い規模になった。皆が「感謝台湾」という趣旨に賛同してくれた人々である。
私たちが心がけたのは、事前の丁寧な説明会と連絡体制の構築である。初の環島、初の台湾、自転車歴もほぼ未経験という人も多かった。自転車持参の人と、レンタルの人がいる。電動アシスト自転車を使う人も10人近く含まれていた。メンバーも全国と台湾に散らばっている。環島経験者の私や一青妙さんから詳しく説明を行った。

「感謝台湾」を背中にデザインしたオリジナルジャージを着て photo:Tsuyoshi Nojima
加えて苦心したのは交流プログラムの準備だった。高雄で150人規模のイベント「感謝台湾 日台友好の夕べ」を震災当日の3月11日に企画した。地元の学校や地方の政府、観光施設などの訪問も予定したので、そのアレンジは出発直前まで続いた。
共通のサイクルジャージ、ネックゲーターも作成した。こちらも一人ひとりのサイズを確認しながらの注文で、業者とのやりとりに苦心した。
これらのロジを完了させ、実際にツアーが始まると、あとは台湾のGiant Adventure(捷安特旅行社)の手慣れたスタッフたちが万全の体制で面倒を見てくれたので、発起人側は交流の遂行に集中することができた。
我々が目指したのは、8泊9日900キロのサイクリングを通して台湾の人々に思いを伝える「自転車旅」を超える「自転車旅」であった。

この日は皆でFormosa900ジャージで走った photo:台湾環島日記
我々は通常の反時計周りとは違う、時計回りの環島だ。台北の中心でもある総統府を出発し、台北から東に向かって走り続け、山を越えると最初の目的地・宜蘭の礁溪に到着した。それからはひたすら花蓮・台東の東海岸を走行した。

花蓮にあるユーラシアプレートとフィリピン海プレートの衝突点 photo:Tsuyoshi Nojima
東海岸の魅力はなんと言ってもダイナミックな景色である。メンバーたちが最も盛り上がったのが、花蓮にあるユーラシアプレートとフィリピン海プレートの衝突点である。台湾には富士山より高い山がたくさんある。台湾山脈の隆起が激しい理由は、すべてこの場所が物語っている。

子供たちが伝統のダンスを披露してくれた介達小学校での交流会 photo:Tsuyoshi Nojima
こうした「台湾を知る」プログラムにしたのも、参加者が単に走るだけではなく、台湾の土地や人々に親しんでもらうためである。また、一青妙さんが普段からお付き合いのある介達小学校の交流では、子供たちが伝統のダンスを披露し、プレゼントを交換し合った。前半戦である東海岸での交流が最も盛り上がった瞬間である。

電動アシスト自転車で参加の女性も photo:台湾環島日記
ツアーのメンバーには脚力に自信のある人もいる。基本は先導を追い抜いてはいけないのだが、ツアー中の最大の峠であり、西から東に移動する前に越えなくてはならない「壽峠」(標高480m)では、追い抜き自由の、希望者による臨時のヒルクライムタイム大会も実施した。メンバーのうち10人ほどが参加し、順位もざっくり出した。基本はチームライドだが、こういう刺激があってもいい。

寿峠(460m)のヒルクライムタイムトライアルも楽しんだ photo:Tsuyoshi Nojima 
台湾一周ルートの難所・壽峠(480m)にて photo:台湾環島日記
西海岸になると交通量は多く、信号も増える。自転車を停めるたびにメンバーとのよもやま話を楽しんだ。33人のメンバーはもとからの知り合いではない。最初はぎこちなさがあった。だが、なんと言ってもサドルの上で朝から夜まで苦楽を共にするのである。当然、次第に関係が深まってくる。そして驚いたのが走力の変化である。

北回帰線の碑と記念撮影 photo:台湾環島日記 
難所の清水崖を避ける列車移動は環島の定番ルートだ photo:台湾環島日記
前述のようにほぼ未経験という人や短距離しか走ったことがなかった人が多く含まれていた。毎日平均100kmを走行する台湾環島である。途中で脱落する人が出ることを最も恐れていたが、それは杞憂だった。
70歳を過ぎた人でも日を追って自転車の走力が上がっていき、素人でも9日間の間に一気に中級レベルに到達するようになる。そんな姿を目撃し、人間は環境次第で年齢や経験を問わず成長は可能だということを実感したのである。

台湾の都市部の自転車専用サイクリングロードは先進的だ photo:台湾環島日記

ときに目的地到着が夜になることも photo:台湾環島日記
後半は向かい風に悩まれされる日が続いた。「修行」のような日々だったが、黙々と漕ぎ続ければいつかゴールに到着するという思いで励まし合ってゴールに到達した。
今回の環島の直前、大変残念なことがあった。それは、ジャイアントの創業者であるキング・リュー(劉金標)氏が亡くなったことだ。

ジャイアント本社にて故キング・リュー氏を偲ぶ photo:Tsuyoshi Nojima
「環島」という行動が台湾に広がったのは2007年ごろ。リュー氏が74歳で環島にチャレンジし、台湾社会の注目を集めた。以後、「環島推進」がジャイアントの社是にもなり、台湾の政府も「環島1号線」の整備に取り組んだ。
私自身も2016年と2017年に「フォルモサ900」という環島イベントに参加して、その賑わいに驚かされている。
私は2012年、自転車企業ジャイアントに関する「銀輪の巨人」という本を書いた。きっかけは純粋に企業としてのジャイアントに興味を持ったからで、当時私はロードバイクに一度も乗ったことがなかった。
当時、執筆のためのインタビューで会ったリュー氏は私にこう質問してきた。『「上癮」は日本語でなんと言うのでしょうか?』。
「上癮」は中国語で、趣味などに没頭する、という意味の言葉だが、私はちょっと考えて、日本で流行していた「ハマる」を挙げた。
リュー氏は1934年生まれで日本語は話せるがネイティブではない。「ハマる」「ハマる」と嬉しそうに繰り返したあと、「野嶋さんは自転車にハマるはずです」と予言した。その予言は実現して、その後、私は自転車にハマりまくった。
3月13日の環島の途上で台中のジャイアント本社を訪問することになった。追悼展が開かれている場で訪問セレモニーがあり、その時、私はこんな挨拶をした。

台中郊外のジャイアント本社にて photo:台湾環島日記 
日本からの台湾への感謝を伝えた photo:台湾環島日記
「亡くなったキング(リュー氏)は、私にとって単なる取材対象を超えた尊敬すべき人生の師でした。キングには、単なる企業の経営者を超えた理想と理念と行動力がありました。キングとの出会いで私の人生も変わりました。自転車を愛好し、大学の研究でも取り組み、イベントも毎年各地で実施しています。これも自転車は単なる移動手段ではなく、人々を幸福にし、友情や健康を育てるものだというキングの考えを実践しているからです。誰にも真似のできない、見事な人生だったと思います」
小さな儀式が終わったあと、リュー氏に関する展示を見る時間があった。印象に残ったのは「無私,是熱情真正的基因(=無私こそ情熱の真のDNAである)」という言葉である。
リュー氏は単なる企業の経営者を超えて、自転車が社会に根付いていくように種を蒔いた人だったということだ。根底にあったのが「無私」の理念だった。派手にアピールはしない。だが自らの哲学を持ち、企業の文化を自分の思想で染めていった。

台湾への感謝をこめたオリジナルジャージをジャイアントの元CEOのトニー・ローさん夫妻に贈呈した photo:台湾環島日記
ジャイアントという会社を宣伝するつもりはない。ただ、この会社の企業文化にはリュー氏が蒔いた「無私」の種が実っており、私たちが台湾を好きになる理由が、リュー氏が育てた自転車による台湾環島という行為に濃縮されているのではないかと改めて感じさせる今回のツアーであった。
環島をしたい、そして、できるだけ多くのことを成し遂げたいという私たちの計画に、当初は疑問を持つ向きもあった。例えば、出走地点は総統府に、ゴールする地点は自由広場にしたいという企画は、行政の許可とも関わるので難度が高いと思ったが、計画を知った関係者の協力で実現した。

台湾への感謝を伝える挨拶をする野嶋剛 photo:台湾環島日記

日航ホテル高雄では150人を集めたパーティーを開催 感謝の思いを伝えた photo:Tsuyoshi Nojima
高雄で150人を集めたパーティーも行ったが、予算がない我々に対して、ホテル日航高雄が格安のオファーを出してくれて、感謝の思いを台湾南部の人々にぞんぶんに伝えることができた。
参加者に強い印象を与えたのはツアーのサービスのクオリティである。基本的に台湾の自転車ツアーは「オールインクルーシブ」型である。宿泊・移動・自転車の整備・管理・3食がすべてツアー代に含まれている。

Giant Adventure(捷安特旅行社)のサポートカーと photo:台湾環島日記
このツアーは台湾現地集合にしたので、費用はおよそ30万円だった。台湾も最近では物価も高い。この値段を安いとみるか高いとみるかは人それぞれだが、「至れり尽くせり」の旅行方式が環島チャレンジに対するハードルを下げていることは確かである。
参加者にアンケートを取ったら、スタッフのスキルの高さへの賞賛が非常に高い度合いだった。レシーバーを駆使しながら6人のスタッフと2台の車で33人のツアーを一体にコントロールするスキルは、1回や2回で身に付くものではない。そしてツアーの間じゅう動画や写真を大量に撮影して、毎日提供してくれ、数日ごとにオリジナル動画も作ってくれる。

ジャイアント旅行社が毎朝用意する手書きの行程表が楽しい photo:Tsuyoshi Nojima
そうしたスタッフによる環島が常に数グループ同時に稼働しているわけで、日本でここまでやれるツアー会社はまずないだろう。スタッフが毎朝ボードに書いてきてくれる行程表もとても役立ち、記念写真に大人気だった。日本でもサイクリングのツアーに参加したことがあるが、こういうボードを作ってくださいとお願いしても、なかなかやってもらえない。
参加者が考えるのは健康管理と洗濯ぐらいでいい。ホテルのランドリーに並ぶ人、自分で洗う人、ホテル近くのコインランドリーを利用する人もいる。ホテルに到着するのはどうしても午後5時や6時になる。食事は7時にスタート。その前後にどうやって洗濯を処理するかは、みんなの悩みどころだった。サイクルウエアは乾燥しやすい。基本は水でざっと洗ってバスタオルに挟んで踏んづけて部屋に干しておけば、だいたい乾くものである。

疲れを残さないためのケア用品たち photo:台湾環島日記 個人的には、さらに健康管理のクオリティをあげるために、私は2度の環島経験から夜の過ごし方が鍵になると考えた。日焼け止めやサプリメントは言うまでもなく、睡眠を深くするためのアイマスク、首や肩の痛みを消す鎮痛剤、寝ている間に脚をマッサージしてくれる携行マッサージ器、日焼けの顔を癒すフェイスマスク、ビタミン剤や栄養ドリンク...etc。おかげで一度も体調を崩さずに乗り切り、環島終了翌日から疲労をあまり残さずに日常生活に戻ることができた。
主催者として工夫したのは食事である。私は台湾に慣れているのでいいが、多くの人は台湾料理が続くことはツラく感じるのではないかと予想したが、それは正解だった。

食事は円卓を囲んで。一日を振り返る楽しい時間だ photo:台湾環島日記
台湾料理は味が濃いし、油も多く使う。昼夜は通常の環島ツアーでは円卓の台湾料理になるが、私たちは「イタリアン」「マック」「おにぎり」「自由行動」などを入れてもらった。正直、ツアー会社には嫌がられたのだが、そこは押し切って正解だった。
終了後のアンケートでも「マック」「イタリアン」「おにぎり」がありがたかったという声が多かった。台湾の食を知ってもらうのは大事だが、参加者の胃袋に無理やり押し込むことはできない。今後の日本人ツアーに活かして欲しい。
「次はあるのですか?」と聞かれることも多い。こんなに大変なことを毎年やることはできない。しかし、東日本大震災から20年という5年後のタイミングでは、もう一度企画してもいいかもしれない。感謝を伝えることは私たちの自己満足かもしれない。しかし、台湾への感謝は日本人として忘れてはならないことでもある。

震災時に支援してくれた台湾への感謝を表した旗とともに photo:Tsuyoshi Nojima
普段、日本においては超大国同士の米中関係の影に台湾の存在は隠れてしまいがちた。だが、そんな台湾が震災のときに米国や中国を上回る義援金を送ってくれたことは、私たちに「経済力」や「軍事力」だけでは測れない外国との関係性があることを知らせてくれた。
しかもその台湾と日本は不幸なことに正式な外交関係がなく、台湾は常に国際的にも苦境にあることも含めて、台湾の日本への優しい思いには頭がさがるばかりだ。そんなメッセージを、私たちはオリジナルジャージを着ながら9日間、台湾で伝え続けた。
写真と文:野嶋 剛

ジャーナリスト・作家、大東文化大学社会学部教授、nippon.com書評委員、富山県サイクルツーリズムアドバイザー。自転車関連の著書に「銀輪の巨人」がある。
野嶋剛 公式サイト
きっかけは覚えていない。ただ、2024年の年末、東日本大震災から15年を迎える2026年3月に、台湾を自転車で一周する「環島」サイクリングによって、震災支援の感謝を伝えることができないか、と思い立った。
すぐにラフの計画書を手書きで描いた。そのラフを見返すと、台湾を反時計回りで一周し、「感謝台湾 環島之旅」「3/7(土)〜3/15(日)8泊9日・900km」などと書いている。


「発起人になって欲しい」と、作家・女優の一青妙さん、日勝生加賀屋の徳光重人さん、台湾TSUTAYAの大塚一馬さんらサイクリスト仲間に声をかけた。
それから一年半あまりが過ぎて、私は実際にラフの計画書と目的、同じ日程で台湾を一周することになった。違ったのは二つ。一つは時計回りではなく、逆時計回りになったことと、参加人数が想定の20人から33人になったことだった。
なぜ、ライドによって感謝を伝えるのか。そこにはいくつかの理由があった。

台湾は日本の東日本大震災で250億円という世界一の義援金を贈ってくれた。台湾の自転車メーカーのジャイアントも新品の自転車1,000台を東北に素早く届け、復興を応援してくれた。その後も熊本地震や能登半島地震においても、台湾は義援金やレスキューの派遣で力強くサポートしてくれている。
それならばこの15年分の感謝を、台湾全土で、人々に直接、時間をかけて感謝を伝える方法がないかと考えた時、環島ライドという方法を思いついたのである。

当初は15人から20人の規模を目指そうと発起人同士で話し合っていた。しかし、2025年9月に応募をSNSで始めた途端、あっという間に20人を超え、30人に達した。最終的には日本在住の日本人が25人、台湾在住の日本人・台湾人の8人の合計33人が参加することになり、この種のツアーとしては限界に近い規模になった。皆が「感謝台湾」という趣旨に賛同してくれた人々である。
私たちが心がけたのは、事前の丁寧な説明会と連絡体制の構築である。初の環島、初の台湾、自転車歴もほぼ未経験という人も多かった。自転車持参の人と、レンタルの人がいる。電動アシスト自転車を使う人も10人近く含まれていた。メンバーも全国と台湾に散らばっている。環島経験者の私や一青妙さんから詳しく説明を行った。

加えて苦心したのは交流プログラムの準備だった。高雄で150人規模のイベント「感謝台湾 日台友好の夕べ」を震災当日の3月11日に企画した。地元の学校や地方の政府、観光施設などの訪問も予定したので、そのアレンジは出発直前まで続いた。
共通のサイクルジャージ、ネックゲーターも作成した。こちらも一人ひとりのサイズを確認しながらの注文で、業者とのやりとりに苦心した。
これらのロジを完了させ、実際にツアーが始まると、あとは台湾のGiant Adventure(捷安特旅行社)の手慣れたスタッフたちが万全の体制で面倒を見てくれたので、発起人側は交流の遂行に集中することができた。
我々が目指したのは、8泊9日900キロのサイクリングを通して台湾の人々に思いを伝える「自転車旅」を超える「自転車旅」であった。

我々は通常の反時計周りとは違う、時計回りの環島だ。台北の中心でもある総統府を出発し、台北から東に向かって走り続け、山を越えると最初の目的地・宜蘭の礁溪に到着した。それからはひたすら花蓮・台東の東海岸を走行した。

東海岸の魅力はなんと言ってもダイナミックな景色である。メンバーたちが最も盛り上がったのが、花蓮にあるユーラシアプレートとフィリピン海プレートの衝突点である。台湾には富士山より高い山がたくさんある。台湾山脈の隆起が激しい理由は、すべてこの場所が物語っている。

こうした「台湾を知る」プログラムにしたのも、参加者が単に走るだけではなく、台湾の土地や人々に親しんでもらうためである。また、一青妙さんが普段からお付き合いのある介達小学校の交流では、子供たちが伝統のダンスを披露し、プレゼントを交換し合った。前半戦である東海岸での交流が最も盛り上がった瞬間である。

ツアーのメンバーには脚力に自信のある人もいる。基本は先導を追い抜いてはいけないのだが、ツアー中の最大の峠であり、西から東に移動する前に越えなくてはならない「壽峠」(標高480m)では、追い抜き自由の、希望者による臨時のヒルクライムタイム大会も実施した。メンバーのうち10人ほどが参加し、順位もざっくり出した。基本はチームライドだが、こういう刺激があってもいい。


西海岸になると交通量は多く、信号も増える。自転車を停めるたびにメンバーとのよもやま話を楽しんだ。33人のメンバーはもとからの知り合いではない。最初はぎこちなさがあった。だが、なんと言ってもサドルの上で朝から夜まで苦楽を共にするのである。当然、次第に関係が深まってくる。そして驚いたのが走力の変化である。


前述のようにほぼ未経験という人や短距離しか走ったことがなかった人が多く含まれていた。毎日平均100kmを走行する台湾環島である。途中で脱落する人が出ることを最も恐れていたが、それは杞憂だった。
70歳を過ぎた人でも日を追って自転車の走力が上がっていき、素人でも9日間の間に一気に中級レベルに到達するようになる。そんな姿を目撃し、人間は環境次第で年齢や経験を問わず成長は可能だということを実感したのである。


後半は向かい風に悩まれされる日が続いた。「修行」のような日々だったが、黙々と漕ぎ続ければいつかゴールに到着するという思いで励まし合ってゴールに到達した。
今回の環島の直前、大変残念なことがあった。それは、ジャイアントの創業者であるキング・リュー(劉金標)氏が亡くなったことだ。

「環島」という行動が台湾に広がったのは2007年ごろ。リュー氏が74歳で環島にチャレンジし、台湾社会の注目を集めた。以後、「環島推進」がジャイアントの社是にもなり、台湾の政府も「環島1号線」の整備に取り組んだ。
私自身も2016年と2017年に「フォルモサ900」という環島イベントに参加して、その賑わいに驚かされている。
私は2012年、自転車企業ジャイアントに関する「銀輪の巨人」という本を書いた。きっかけは純粋に企業としてのジャイアントに興味を持ったからで、当時私はロードバイクに一度も乗ったことがなかった。
当時、執筆のためのインタビューで会ったリュー氏は私にこう質問してきた。『「上癮」は日本語でなんと言うのでしょうか?』。
「上癮」は中国語で、趣味などに没頭する、という意味の言葉だが、私はちょっと考えて、日本で流行していた「ハマる」を挙げた。
リュー氏は1934年生まれで日本語は話せるがネイティブではない。「ハマる」「ハマる」と嬉しそうに繰り返したあと、「野嶋さんは自転車にハマるはずです」と予言した。その予言は実現して、その後、私は自転車にハマりまくった。
3月13日の環島の途上で台中のジャイアント本社を訪問することになった。追悼展が開かれている場で訪問セレモニーがあり、その時、私はこんな挨拶をした。


「亡くなったキング(リュー氏)は、私にとって単なる取材対象を超えた尊敬すべき人生の師でした。キングには、単なる企業の経営者を超えた理想と理念と行動力がありました。キングとの出会いで私の人生も変わりました。自転車を愛好し、大学の研究でも取り組み、イベントも毎年各地で実施しています。これも自転車は単なる移動手段ではなく、人々を幸福にし、友情や健康を育てるものだというキングの考えを実践しているからです。誰にも真似のできない、見事な人生だったと思います」
小さな儀式が終わったあと、リュー氏に関する展示を見る時間があった。印象に残ったのは「無私,是熱情真正的基因(=無私こそ情熱の真のDNAである)」という言葉である。
リュー氏は単なる企業の経営者を超えて、自転車が社会に根付いていくように種を蒔いた人だったということだ。根底にあったのが「無私」の理念だった。派手にアピールはしない。だが自らの哲学を持ち、企業の文化を自分の思想で染めていった。

ジャイアントという会社を宣伝するつもりはない。ただ、この会社の企業文化にはリュー氏が蒔いた「無私」の種が実っており、私たちが台湾を好きになる理由が、リュー氏が育てた自転車による台湾環島という行為に濃縮されているのではないかと改めて感じさせる今回のツアーであった。
環島をしたい、そして、できるだけ多くのことを成し遂げたいという私たちの計画に、当初は疑問を持つ向きもあった。例えば、出走地点は総統府に、ゴールする地点は自由広場にしたいという企画は、行政の許可とも関わるので難度が高いと思ったが、計画を知った関係者の協力で実現した。


高雄で150人を集めたパーティーも行ったが、予算がない我々に対して、ホテル日航高雄が格安のオファーを出してくれて、感謝の思いを台湾南部の人々にぞんぶんに伝えることができた。
参加者に強い印象を与えたのはツアーのサービスのクオリティである。基本的に台湾の自転車ツアーは「オールインクルーシブ」型である。宿泊・移動・自転車の整備・管理・3食がすべてツアー代に含まれている。

このツアーは台湾現地集合にしたので、費用はおよそ30万円だった。台湾も最近では物価も高い。この値段を安いとみるか高いとみるかは人それぞれだが、「至れり尽くせり」の旅行方式が環島チャレンジに対するハードルを下げていることは確かである。
参加者にアンケートを取ったら、スタッフのスキルの高さへの賞賛が非常に高い度合いだった。レシーバーを駆使しながら6人のスタッフと2台の車で33人のツアーを一体にコントロールするスキルは、1回や2回で身に付くものではない。そしてツアーの間じゅう動画や写真を大量に撮影して、毎日提供してくれ、数日ごとにオリジナル動画も作ってくれる。

そうしたスタッフによる環島が常に数グループ同時に稼働しているわけで、日本でここまでやれるツアー会社はまずないだろう。スタッフが毎朝ボードに書いてきてくれる行程表もとても役立ち、記念写真に大人気だった。日本でもサイクリングのツアーに参加したことがあるが、こういうボードを作ってくださいとお願いしても、なかなかやってもらえない。
参加者が考えるのは健康管理と洗濯ぐらいでいい。ホテルのランドリーに並ぶ人、自分で洗う人、ホテル近くのコインランドリーを利用する人もいる。ホテルに到着するのはどうしても午後5時や6時になる。食事は7時にスタート。その前後にどうやって洗濯を処理するかは、みんなの悩みどころだった。サイクルウエアは乾燥しやすい。基本は水でざっと洗ってバスタオルに挟んで踏んづけて部屋に干しておけば、だいたい乾くものである。

主催者として工夫したのは食事である。私は台湾に慣れているのでいいが、多くの人は台湾料理が続くことはツラく感じるのではないかと予想したが、それは正解だった。

台湾料理は味が濃いし、油も多く使う。昼夜は通常の環島ツアーでは円卓の台湾料理になるが、私たちは「イタリアン」「マック」「おにぎり」「自由行動」などを入れてもらった。正直、ツアー会社には嫌がられたのだが、そこは押し切って正解だった。
終了後のアンケートでも「マック」「イタリアン」「おにぎり」がありがたかったという声が多かった。台湾の食を知ってもらうのは大事だが、参加者の胃袋に無理やり押し込むことはできない。今後の日本人ツアーに活かして欲しい。
「次はあるのですか?」と聞かれることも多い。こんなに大変なことを毎年やることはできない。しかし、東日本大震災から20年という5年後のタイミングでは、もう一度企画してもいいかもしれない。感謝を伝えることは私たちの自己満足かもしれない。しかし、台湾への感謝は日本人として忘れてはならないことでもある。

普段、日本においては超大国同士の米中関係の影に台湾の存在は隠れてしまいがちた。だが、そんな台湾が震災のときに米国や中国を上回る義援金を送ってくれたことは、私たちに「経済力」や「軍事力」だけでは測れない外国との関係性があることを知らせてくれた。
しかもその台湾と日本は不幸なことに正式な外交関係がなく、台湾は常に国際的にも苦境にあることも含めて、台湾の日本への優しい思いには頭がさがるばかりだ。そんなメッセージを、私たちはオリジナルジャージを着ながら9日間、台湾で伝え続けた。
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