今年6月開幕の「競輪ワールドシリーズ」に参戦するマシュー・リチャードソン(イギリス)にインタビュー。2024年のパリ五輪で銀メダル2つ、銅メダル1つを獲得した直後、突如として競技国籍をオーストラリアからイギリスへ変更した理由を聞いた。



終始笑顔で、丁寧に言葉を紡いでくれたマシュー・リチャードソン(イギリス) photo: Yuichiro Hosoda

今年2月に行われたトラックヨーロッパ選手権。スプリントでは2019年から負け知らずのハリー・ラブレイセン(オランダ)に対し、マシュー・リチャードソン(イギリス)が逆転勝利した。さらに続くケイリンでもラブレイセンを退け、ヨーロッパ2冠王者に輝いた。

2024年のパリ五輪では2つの銀メダルを獲得し、すでに世界トップレベルの短距離選手だったリチャードソン。しかしその名を競技外にまで知らしめたのは、そのわずか1週間後に発表した、オーストラリアからイギリスへの競技国籍変更だった。イギリスで生まれたリチャードソンは9歳の時にオーストラリアに移り住んだため、その権利を有していたものの、「事前の周知がなかった」としてオーストラリア自転車協会は厳しく批判。このニュースは世界中に拡散された。

シクロワイアードでは6月に開幕する「競輪ワールドシリーズ」に向け、準備のために来日したリチャードソンに話を聞いた。



「イギリスチームが僕の能力を高めてくれた」

2月のヨーロッパ選手権でスプリントとケイリンの2冠を達成したマシュー・リチャードソン(イギリス) photo:CorVos

─まずは2月に行われたヨーロッパ選手権での2冠達成、おめでとうございます。特にスプリントでは2019年から負けなしの絶対王者ラブレイセンを下しました。勝てた要因を教えてください。

マシュー・リチャードソン:これまでの厳しい練習が実を結んだ結果だ。数多くのレースで学び、最高の自転車選手になるべくこの競技に身を捧げてきた。それがあの日の結果につながったのだと思う。

─それはオーストラリアからイギリスにナショナルチームを変えたからこそ可能だった、つまりラブレイセンに勝てたと言えますか?

要因の1つではあると思う。しかし、(ナショナルチームの変更が)「直接勝利をもたらした」とも、あるいは「まったく関係ない」とも言い切れない。だが、イギリスでのトレーニング内容と環境が、自分の能力を極限まで高めてくれたのは事実だ。

イギリスのナショナルチームでは、自分の限界を設定しない。競技力向上につながるあらゆる要素を探し出し、選手が上限なく努力できるよう、周りの人たちが支えてくれる。だから競技力の向上という点で、イギリスチームは最高の環境だと言える。

─マージナルゲイン(1%の積み重ね)というコンセプトで知られるイギリスに比べ、オーストラリアでは「Win Well」、つまり勝利だけでなく勝ち方も重視する考えがある、というのは事実ですか?

もちろん、そういった違いはある。だがオーストラリアは別に発展途上国ではない。オーストラリアのナショナルチームにも素晴らしい環境とサポート体制があり、資金も潤沢だった。それにしっかりとした歴史もある。

ただ、オーストラリアのナショナルチームが「ハイスクール*」だとすると、イギリスはまるで「ホグワーツ**」なんだ。魔法が存在するような場所なんだよ。

*オーストラリアでは中学と高校を合わせてハイスクールと呼ぶ
**小説『ハリー・ポッター』の舞台となる魔法学校

ラブレイセンを下したマシュー・リチャードソン(イギリス) photo:CorVos

─イギリス人ならではのユニークな表現ですね(笑)。魔法とも形容できる最新鋭の環境であると同時に、イギリスには「結果至上主義」的なイメージもあります。

それに近いエートス(気風)はある。オリンピックでの成功という第一目標に向け、すべてのプログラムが設計されている。それに対する資金やスタッフ、施設も、(オーストラリアより)多く注ぎ込まれている。すべてのスケールがより大きい。でも僕らが走るトラックは1周250mと変わらないけどね(笑)。

また、拠点であるマンチェスターにはトラックの他にジムや治療室、メカニックが1つの場所に揃っている。しかもトラックの隣には風洞実験場まで用意されているんだ。だからこそ僕らは、自分の能力を向上させることだけに集中できる。1カ所に集約されていなければ、(移動などの)小さなストレスが積み重なり、それが大きな違いにつながってしまう。



「違和感が少しずつ大きくなっていった」

マシュー・リチャードソン(イギリス) photo: Yuichiro Hosoda

─では、率直にうかがいます。競技国籍を変更する具体的な要因は何だったのでしょうか?

その答えはとてもシンプルで、僕がイギリスで生まれたから。

正直、理由はそれだけと言っていい。両親はいまもオーストラリアに住んでいるが、祖父母やいとこなど親族はみなイギリスにいる。だから常にイギリスとのつながりを感じている。幼い頃から、オーストラリアを代表して戦うことに違和感を覚えていたんだ。なぜなら僕ら家族はイギリスからやってきた移民だからね。そんな違和感が、少しずつ自分の中で大きくなっていった。「なぜ僕は生まれた国を代表していないのか」とね。

─パリ五輪でスプリントとケイリンそれぞれで銀メダル、そしてチームスプリントで銅メダルを獲得しました。それがイギリスへ国籍を変える大きな転機となったのでしょうか?

その通りだ。僕の選手キャリアの中でも、五輪でのメダル獲得はとても大きなものだった。同時に、それを達成した直後、僕の中にあった重圧からようやく解放された気持ちにもなったんだ。オーストラリアのナショナルチームは、僕に時間とお金を費やし育ててくれた。それを3つのメダル獲得という形で責任を果たすことができた。だからこそ「僕はやるべきことはやった。いままでありがとう」という気持ちになった。自分に費やしてくれたものに、結果で報いることができたと思ったんだ。

だからこそ五輪での成功は重要だったし、それがあったからこそイギリスチームに行くことができた。仮に五輪で散々な成績だったのなら、あの時ほど晴れやかな気持ちで移れなかったと思う。
text:Sotaro.Arakawa
photo:Yuichiro Hosoda