「つまらないバイクは作らない」。エンジニアであり、FACTOR BIKES(ファクターバイクス)の創業者であり、何よりも一人の「バイクエンスージアスト」として、ロブ・ギティス氏はそう断言する。

台湾のハイエンドカーボンファクトリーで長年OEM開発に携わり、素材特性と製造プロセスを知り尽くした彼は、「自分が本当に乗りたいバイクは自分で作るしかない」という夢を叶えるために、当時まだコンセプトブランドだったファクターを引き継ぎ量産マニファクチャラーへと転換した人物だ。

京都でのファクター展示会「TEMPLE OF SPEED」のために来日したロブ・ギティス氏。台湾のカーボンバイク生産に長年携わり、ファクターを量産ブランドとして独立させたオーナーだ photo:So Isobe

「性能に妥協しない」「自分がワクワクしないバイクは作らない」。その姿勢は、独立初年度からワールドツアーチームをサポートし、ツール・ド・フランスに出場するという快挙として結実する。一般的に売れ線となる低〜中価格帯モデルには目もくれず、ロード、トラック、グラベル、MTBと増やしながらも、ただひたすら理想を追い求めたハイエンドモデルばかりを作り続ける姿勢は、コアで「いいモノ」を求めるサイクリストの心を掴んで離さない。

この記事ではファクター誕生の背景から現在の進化、そしてギティス氏が見据える未来を紹介しつつ、彼が一貫して掲げる「性能至上主義」とは何かを、彼自身の言葉で紐解いていく。



「エンジニアとしてのキャリアは大学生の時に始まりました」——ケミカルエンジニアとしての道を歩みながら、同時にプロ選手でもあったという経歴を持つロブ・ギティス氏は、そのように語り出した。「選手としては今中大介さんと同世代です。彼とは現役時代に同じレースを走ったこともあります」と笑う彼は、1996年にプロ選手として走ることを辞めたものの、自転車に対する情熱は消えず、生産側としての新たな舞台を台湾に求めた。

元プロ選手にして、現役エンジニア。2つの肩書きがファクターの源流となった photo:Factor bikes

「当時、私が勤めた台湾の工場は、業界でも最も早くカーボンバイクの研究開発に取り組んでいた会社でした。しかしその時点では、まだカーボンバイクは形になっておらず、自転車選手とエンジニアとしての経験を総動員し、台湾で最初のカーボンバイクを作ることに尽力することができたんです。そこから約20数年に渡り、様々なブランドOEM生産を請け負いました。キャニオンやサーヴェロ、トレックなどが当時の私の顧客。彼らのバイク生産を請け負うことを誇りに思っていました」と当時を振り返る。

「しかし、10年ほど前から自転車業界の景色が大きく変わってきたんです」。そう語るギティス氏は、その変化を身をもって感じていた。「各ブランドの創業者が現場から離れ、ブランドが大資本のグループに買収されるケースが増えていきました。すると、製品の完成度よりも「いかに商売を回すか」が重視されるようになってしまったという。

「私がOEMメーカーとして誇りにしていたのは、与えられた条件下で最高のバイクを作ることです。しかし、方針転換によってそれが叶わなくなってきたときに直感したんです。『今こそ自分のブランドを作るときだ』とね」。

そうして誕生したのが、ファクターだ。「私は機材好きの元プロ選手ですし、開発に携わるエンジニアも、自転車を愛してやまない人間ばかり。だからこそ、私たち全員が本当に満足できるバイクしか作りたくない。乗りたくない。その思いを形にしたのがファクターです。ただのカーボンバイク、コストに妥協して作ったものは決して作りません」。それが、ファクターの芯となるフィロソフィー。そして絶対に変えてはならない信念です」。

2009年に発表された処女作「001」独創的な機構を多数盛り込み、大きな注目を集めた (c)www.factorbikes.com
001をベースに、アストンマーティンとコラボレーションした世界限定77台の「One-77 Cycle」 (c)www.factorbikes.com


ファクターのフラッグシップロードモデルであるOSTRO VAM 2.0。2024年にデビューを果たした photo:Gakuto Fujiwara

ファクターの元を辿ると、F1やスーパーカーのエンジニアリングを請け負うイギリスのハイパフォーマンスエンジニアリング集団「BF1システムズ」が、スポーツバイクのコンセプトモデルを製作したことに行き着く。その際に自転車製造を知り尽くしたスペシャリストとして、ギティス氏にアドバイザーとしての白羽の矢が立ったと言う。

しかし当時のファクターは、あくまで技術を披露するためのコンセプトブランド。世に出す予定はまったくなかったという。「それなら、私がこのブランドを引き継ぎ、一般消費者向けの本物のブランドに育てよう」とギティス氏は決意する。「BF1も私の提案を喜んでくれました」。こうして、ファクターはギティス氏のもとで本格的に量産ブランドとして舵を切ることになった。「ただ、私はセールスもマーケティングもまったく知りませんでした。自転車を作るよりも、マーケティングを覚える方がずっと大変でした(笑)」。



こうして、プロ選手としての視点とエンジニアとしての経験を融合させたロブ・ギティス氏は、「ファクター」というブランドに新たな命を吹き込んだ。最高のものづくりを貫き続ける姿勢は、すぐに世界のトップチームにも選ばれることにもつながっていくのであった。

ファクターの哲学と、知られざる開発の舞台裏。その真価に迫る後編へと続きます。

interview:So Isobe

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