日本のトラック界を牽引し、パリで悲願のオリンピック出場を遂げた短距離スペシャリスト、太田りゆがトラック競技からの引退を発表した。「完全燃焼できた」というヴェロドローム・ド・サン・カンタン・アン・イヴリーヌでの戦い、東京オリンピックを逃したからこそ得たもの、そして競輪選手として、実業家として歩むこれから。本人へのインタビューをお届けしたい。



トラック競技からの引退を発表した太田りゆ(オールスター競輪2024にて) photo:So Isobe

トラック選手にして、競輪選手。そしてオリンピアン。東京オリンピックでは代表選考漏れで涙を飲んだ太田りゆが、公言通りオリンピックを最後にトラック競技からの引退を発表した。帰国後すぐに平塚競輪場で行われたオールスター競輪では決勝レースを戦い、トークショーは満員御礼。全日本選手権トラックで催された代表引退セレモニーでも多くのファンや選手仲間、ナショナルチームの関係者から暖かい拍手が贈られた。

「完全燃焼できた」パリオリンピックでの戦いと、そこで得たもの

トラック短距離種目のトップ選手として日本ナショナルチームを牽引してきた太田は、30歳を迎えた今年8月、スプリントとケイリンの2種目で悲願のパリオリンピック出場。スプリントでは20位に沈んだものの、ケイリンでは準決勝から7-12位決定戦に回り、攻めの大外まくりで日本人歴代最高となる9位。足掛け7年半に及ぶトラックキャリアを完結させた。

完全燃焼できたと振り返るパリオリンピック photo:UCI

「完全燃焼できました。満足ですね。悔いなく力を出し切れたと思います」と、晴れ晴れとした表情で太田は振り返る。「レース中って、勝負が掛かるタイミングで迷ったり悩むことも多いんです。結果的に中途半端に踏んでしまったりとか。でも、オリンピックの日は、一度も迷うことなく勝負できて、最後の準決勝も大物選手相手に全力で捲りにいけた。最終的に紙一重で捲りきれなかったけど、あの時の私は強かったな、って思います。あの舞台を全力で戦えた。それはすごく自慢になりますね」。

トラック競技からの引退は事前に決めていたこと。最終レースとなったケイリン7-12位決定戦においても感傷的にはならず、強い気持ちのまま臨んだと振り返る。「レースを走り終えて、まだ私が自転車に乗っている状態で、ようやく観客席の景色や、日本から来てくれた家族の顔を目に焼き付けようとしていました。フランスのお客さんは、どの選手に対しても声援を送ってくれたし、大声援、大喝采ですよね。あの空気を、肌で、目で、耳で感じ取れたことは、素晴らしい経験になりました」。

「オリンピックに出たこと、そこに至る全ての過程で積んできたこと、そしてオリンピックで戦う時の気持ち。全てのことが、今後の人生にいい影響をもたらすな、って思えるくらい良い時間でした」。

「それはもちろん、東京オリンピックに出られなかったから、ということも大きいんです。私は残念な気持ちやトラウマ、恐怖を、他の選手より強く持っている。その中でやりきれたのは、周りの応援があったからこそ。挫折がなければこんなにも周りに感謝する気持ちってここまで深くなかったと思うんです」。

東京五輪に出場できなかった挫折を乗り越えた太田。「全てが今後の人生に良い影響を与えてくれるはず」 photo:So Isobe

生きている時間の全てを競技に充て、休んでいる時間やオフの日だって、結局はすべてオリンピックにつなげる一連のフローの中にあった。「何をしていても怪我しちゃいけない、疲れちゃいけない、次の日回復するかな、って思わなきゃいけない。そういうプレッシャーの中で五輪を目指している生活は、やっぱりすごく大変なものでした」。

自分のレースを映像で見返したとき、太田には発走台に立っている自分の姿が自分に見えなかったという。その理由は、今までにないレベルで集中しきって、感覚を研ぎ澄ますことができていたから。「あの時"ゾーンに入れた"事は、選手としてすごく成長できた証。これから競輪選手としてキャリアを続ける上でも大切なことだと思います」。

競輪選手として、人として、ビジネスマンとして

これからやりたい事がいくつかある、と太田は率直に語る。それは自転車競技をもっと盛り上げていくこと、競輪選手としてタイトルを取ること、そして自立したビジネスマンとして活動することの3本柱だそうだ。

競輪選手一本で競技活動を続ける太田りゆ。狙うはタイトルの獲得とグランプリ優勝だ photo: Yuichiro Hosoda

「自転車に乗ったことで私の人生はすごく変わりました。若い子どもたちや女性に、私みたいに、自転車や、他のものでも良いから、自分の力で自分の人生を変えていくんだっていう気持ちを持って欲しいんです。だから、先日も競輪学校で合宿中の女の子たちに会ってきたんです。私と会って話すことで、何かのきっかけになれれば嬉しくて」。

「今後は選手として競輪一本になりますから、まずはタイトルを一つ獲得して、その先でグランプリに出場して優勝することが大きな目標です。トラックではアジアチャンピオンを獲得できましたが、競輪選手としてはまだ何もタイトルを持っていません。G1レースも2度決勝レースに残れたので、今後はしっかりと優勝を意識していきたいと思います」。

競輪選手としての活動と並行して、太田が志すのはアパレルブランド、それも「トレーニングを楽しむ女性が似合うおしゃれ着」という、日本ではまず耳にしないフィロソフィーを持ったブランドを立ち上げること。異例中の異例だが、「おしゃれ番長」という異名をもつ太田だけに、話を聞けば聞くほど内容にうなずけるものだった。

「ちょっと言葉が合っているかどうか分からないんですが、私は短距離自転車選手としてトレーニングを積んでいるので、端的にいうとゴツくてイカつい。決して太っている訳じゃなくて、美しい肉体って言ったら良いんですかね。そういう女の子、女性が着て楽しめるお洒落着って日本にすごく少なくて、そういう体型の人が似合うお洋服を作りたいんです」。

「実は東京オリンピックが終わった頃にはすでに事業計画書を書いてみたり、原価や売価を決めてみたり、どういうデザインが良いのかをずっと考えていたりしてました。その後で自分の競技タイムや成績が上がった事で『あ、私、パリを目指せるんだ』ってことが分かったので、ビジネスの話は一度止めてはいたんです。だからこれから、本格的にそっちも動かしていくつもりです」。

「若い子どもや女性に、自分の力で自分の人生を変えていく気持ちを持ってもらいたい」 photo:So Isobe

「だから、そのためにも今は資金稼ぎです(笑)。賞金をがっつり稼いで、競輪選手として一流になって、ビジネスも展開していきたい。オリンピックを目指したトラック競技へのチャレンジはここで終わりですが、人生はまだまだこれからですから。すごく楽しみです」。

text:So Isobe

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