2023/12/10(日) - 18:00
コロナ感染や伝染性単核症を患い、一度夢破れたライリー・シーハン(アメリカ、イスラエル・プレミアテック)。そんなどん底から一転、ビッグレースで大金星を挙げた23歳に、プロ契約を掴むまでのストーリーを聞いた。
10月8日に行われた第117回パリ〜トゥール(UCI1.Pro)。ライリー・シーハン(アメリカ)は5名の逃げに乗り、メイン集団の猛追を振り切りスプリント勝利を挙げた。
しかしイスラエル・プレミアテックのジャージを着ていた当時のシーハンは、チームに合流したばかりのトレーニー(研修生)。この時点で来季の契約がアメリカのクラブチームだったこともあり、シーハンはレース後「これが僕にとって大きな一歩となる」と、勝利の喜びだけではない笑顔を見せた。
突如としてプロトンに現れたシーハンには謎が多い。その経歴を見てみると、アメリカのコンチネンタルチームやクラブチーム、プロチームを行ったり来たりと所属がなかなか落ち着かない。特にこの2年の動きは慌ただしく、2022年はイスラエルの育成チームであるプレミアテックU23サイクリング・プロジェクトで走った後、2023年の前半はアメリカのクラブチームでクリテリウムを中心に戦っている。
更に脚質に関しても、初参戦したジャパンカップクリテリウムでは有力スプリンターのいるなか2位に入ったと思えば、獲得標高差の多い翌日の本戦では6位。本人が「僕にも分からないよ(笑)」というように、いまだ不明なままだ。
そんな23歳のシーハンに、ジャパンカップ後のアフターパーティーにて話を聞いた。
―出身はどこですか?
アメリカのコロラド州ボルダーだ。多くの自転車選手を輩出しているところで、アメリカの中でもロードレースが盛んな場所だ。
―最初からロードレースを?
幼い頃はMTBやシクロクロスもやっていたが、15歳の時ロードレース一本に絞った。ジュニア時代は成功と呼べる結果を残したものの、U23では壁にぶつかってしまったんだ。COVID-19の影響も相まってね。
―2021年はスター選手を多く輩出するラリーサイクリングで走り、2022年はイスラエルの下部チームへ。しかし2023年はアメリカのクラブチームに移籍しています。順調にも思えたキャリアに何があったのでしょうか?
プレミアテックの下部チームはカナダ人選手の育成が主目的のなか、カナダ人じゃなかったのは僕と2人のフランス人だけ。そこではとても良い経験が積めたものの、シーズン中盤で伝染性単核症を患ったんだ。また同時にCOVID-19と細菌感染のダブル…トリプルパンチ(笑)。療養期間の6週間をほとんど病院で過ごし、そのため全くの成績を残せなかった。だから僕はヨーロッパを離れ、アメリカのクリテリウムチームに行くしか選択肢がなかったんだ。
―なるほど。しかしそのデンバー・ディスラプターはアメリカのクラブチームとは言え、セルジオ・エナオ(元コロンビア王者)や昨年ロット・スーダルにいたレイナルト・ヤンセファンレンズバーグ(南アフリカ)など強い選手のいる興味深いチームですね。
そうだね。そのチームでマネージャーをしているリード・マカルヴィンが幸運にも僕を誘ってくれたんだ。彼は僕の現状や夢を理解し、全力でサポートしてくれたんだ。
―つまり「近いうちにヨーロッパへ戻って走りたい」という気持ちを理解してくれたと?
その通り。なぜなら彼はアメリカ人だけではなく、ハーゲンスバーマン・アクセオンで様々な国の選手の育成に携わっていた人物だからね。そのチームで2023年前半は多くのクリテリウムレースに出場した。
―だからジャパンカップクリテリウムでも2位という結果を残せたのですね。
今年だけでクリテリウムには20レース近く出場しているからね。そしてクリテリウムに限らずアメリカのロードレースでも良い結果を残し、イスラエルがチャンスを与えてくれたんだ。
―まさにシンデレラストーリーですね。
そうなんだ。いまだイスラエルの一員としてここにいることが信じられないくらいだよ。またリードやコーチである(スヴェイン)タフトが僕の力を信じ、サポートしてくれたおかげだ。彼らが僕の人生を変えてくれたし、彼らなしで僕はここにいないだろう。
―来年はイスラエルに残るのですよね?
それはまだ言えないが、すぐにでも良い報告ができるだろう。
インタビューを行った日から約1ヶ月後の11月20日、既報の通りイスラエル・プレミアテックはシーハンと2026年までの3年契約を締結した。シーハンは契約発表のプレスリリースで「パリ〜トゥールの勝利よりも更に大きなレースに臨み、勝ちたいと思っている。あの勝利は僕をよりハングリーにさせ、勝利へのモチベーションを高めてくれた」と語り、本格的なプロデビューとなる来年以降への意気込みを語っている。
text:Sotaro.Arakawa
10月8日に行われた第117回パリ〜トゥール(UCI1.Pro)。ライリー・シーハン(アメリカ)は5名の逃げに乗り、メイン集団の猛追を振り切りスプリント勝利を挙げた。
しかしイスラエル・プレミアテックのジャージを着ていた当時のシーハンは、チームに合流したばかりのトレーニー(研修生)。この時点で来季の契約がアメリカのクラブチームだったこともあり、シーハンはレース後「これが僕にとって大きな一歩となる」と、勝利の喜びだけではない笑顔を見せた。
突如としてプロトンに現れたシーハンには謎が多い。その経歴を見てみると、アメリカのコンチネンタルチームやクラブチーム、プロチームを行ったり来たりと所属がなかなか落ち着かない。特にこの2年の動きは慌ただしく、2022年はイスラエルの育成チームであるプレミアテックU23サイクリング・プロジェクトで走った後、2023年の前半はアメリカのクラブチームでクリテリウムを中心に戦っている。
更に脚質に関しても、初参戦したジャパンカップクリテリウムでは有力スプリンターのいるなか2位に入ったと思えば、獲得標高差の多い翌日の本戦では6位。本人が「僕にも分からないよ(笑)」というように、いまだ不明なままだ。
そんな23歳のシーハンに、ジャパンカップ後のアフターパーティーにて話を聞いた。
―出身はどこですか?
アメリカのコロラド州ボルダーだ。多くの自転車選手を輩出しているところで、アメリカの中でもロードレースが盛んな場所だ。
―最初からロードレースを?
幼い頃はMTBやシクロクロスもやっていたが、15歳の時ロードレース一本に絞った。ジュニア時代は成功と呼べる結果を残したものの、U23では壁にぶつかってしまったんだ。COVID-19の影響も相まってね。
―2021年はスター選手を多く輩出するラリーサイクリングで走り、2022年はイスラエルの下部チームへ。しかし2023年はアメリカのクラブチームに移籍しています。順調にも思えたキャリアに何があったのでしょうか?
プレミアテックの下部チームはカナダ人選手の育成が主目的のなか、カナダ人じゃなかったのは僕と2人のフランス人だけ。そこではとても良い経験が積めたものの、シーズン中盤で伝染性単核症を患ったんだ。また同時にCOVID-19と細菌感染のダブル…トリプルパンチ(笑)。療養期間の6週間をほとんど病院で過ごし、そのため全くの成績を残せなかった。だから僕はヨーロッパを離れ、アメリカのクリテリウムチームに行くしか選択肢がなかったんだ。
―なるほど。しかしそのデンバー・ディスラプターはアメリカのクラブチームとは言え、セルジオ・エナオ(元コロンビア王者)や昨年ロット・スーダルにいたレイナルト・ヤンセファンレンズバーグ(南アフリカ)など強い選手のいる興味深いチームですね。
そうだね。そのチームでマネージャーをしているリード・マカルヴィンが幸運にも僕を誘ってくれたんだ。彼は僕の現状や夢を理解し、全力でサポートしてくれたんだ。
―つまり「近いうちにヨーロッパへ戻って走りたい」という気持ちを理解してくれたと?
その通り。なぜなら彼はアメリカ人だけではなく、ハーゲンスバーマン・アクセオンで様々な国の選手の育成に携わっていた人物だからね。そのチームで2023年前半は多くのクリテリウムレースに出場した。
―だからジャパンカップクリテリウムでも2位という結果を残せたのですね。
今年だけでクリテリウムには20レース近く出場しているからね。そしてクリテリウムに限らずアメリカのロードレースでも良い結果を残し、イスラエルがチャンスを与えてくれたんだ。
―まさにシンデレラストーリーですね。
そうなんだ。いまだイスラエルの一員としてここにいることが信じられないくらいだよ。またリードやコーチである(スヴェイン)タフトが僕の力を信じ、サポートしてくれたおかげだ。彼らが僕の人生を変えてくれたし、彼らなしで僕はここにいないだろう。
―来年はイスラエルに残るのですよね?
それはまだ言えないが、すぐにでも良い報告ができるだろう。
インタビューを行った日から約1ヶ月後の11月20日、既報の通りイスラエル・プレミアテックはシーハンと2026年までの3年契約を締結した。シーハンは契約発表のプレスリリースで「パリ〜トゥールの勝利よりも更に大きなレースに臨み、勝ちたいと思っている。あの勝利は僕をよりハングリーにさせ、勝利へのモチベーションを高めてくれた」と語り、本格的なプロデビューとなる来年以降への意気込みを語っている。
text:Sotaro.Arakawa
Amazon.co.jp
雪印メグミルク 毎日骨ケア MBP(R) ライチ風味 (30本 / 30日分) 骨密度を高める働きのあるMBP(R) ドリンク (ペットボトルタイプ) 特定保健用食品
雪印メグミルク
¥5,463 (¥5,463 / 個)