2022/02/26(土) - 17:23
樫木祥子インタビュー後編は、日本を拠点に海外レースに出場する現在の活動環境と、継続か引退かで悩んだ東京五輪後について話を聞いた。
(前編からの続き)
選手を続けるつもりは無かった大学時代 得られた最良の環境の中で
樫木が自転車競技を始めたのは大学に入ってから。高校までは水泳をやっていたが、親戚がやっていたトライアスロンを見て興味を持った。しかし大学には水泳部もトライアスロン部もなく、「トライアスロンに活かせるならと思って」自転車部に入部した。
大学2年まではトライアスロンのクラブチームにも所属し、自転車競技と半々で活動していたが、3年からは自転車に重点を置いた。4年の時にインカレロードで優勝。日本自転車競技連盟(JCF)の強化指定選手にもなった。それでも、大学卒業後も競技を続けるつもりは無かったと言う。
「普通に就職して、趣味でトライアスロンやろうかなという程度に思っていました。今入ったオーエンスで面接を受けた際に『強化指定選手なら東京五輪を目指してみては?』と言われ、ありがたいことに競技を続けられる機会を提案して下さり、自転車競技を続けることを決めました」
樫木が勤務する「株式会社オーエンス」はビル管理の会社だが、競技施設などの管理も請け負っている。樫木が水泳をやっていた頃に使っていたプールの管理をオーエンスが請けていたこともあって応募。練習時間をしっかり確保できる勤務体系の「アスリート社員」として入社した。
2018年には、東京五輪の日本の選手枠を増やしたいという想いから、アメリカを拠点とする女子UCIチーム「チームイルミネート」に加入し、海外UCIレースに出場。その年の女子ワールドツアーのステージレース「ツアー・オブ・カリフォルニア(2.WWT)」や、ワンデーレース「ツアー・オブ・グワンシー(1.WWT)」でUCIポイントを獲得した。
チームイルミネートへの加入は誰かを頼ったわけではなく、自ら売り込んで決めたという。
「チーム公式サイトの『お問い合わせフォーム』からメールを送り、コンタクトを取って加入させて頂きました。レースがある時だけ現地集合現地解散のチームなので、日本に生活の拠点を置いて活動できるのは自分に合ってますね。海外に拠点を置くと少なからず苦労することは多いだろうし、レースが終わったら日本の家に帰ってリラックス出来るのは大きいです」
イルミネート加入に限らず、女子選手には珍しく他人に頼らず何でも自分でやる主義。国内レースの遠征も、自分で宿や交通機関を手配し、1人で行くことが多いという。練習も同様に、誰かの指導を受けることはせず、自分で情報を集めて自分なりにメニューを組んでやっている。
「自分が納得出来ないとダメなんです。自分でやってみて失敗して修正して...って。大学で自転車始めた時もコーチがいなかったから、ずっとそうやって積み重ねてきました。ゼロからのスタートだった分、考える力がついたのかもしれません」
日本国内では女子選手の数は少なく、国内レースはクラス分けをするほど人数が集まらないのが現状。世界とのレベルの差を云々する以前の環境の中であっても、ここまで出来るという可能性を樫木は見せている。
「それでも、與那嶺恵理さんや萩原麻由子さんに比べれば、私のやってるレベルは三流」と言うが、樫木のやり方は、ハードルが高いと思われがちな女子選手の海外レース挑戦のモデルケースと言えよう。樫木も自身のスタイルを女子選手の選択肢のひとつとして示し、レベルが向上することを願っている。
「私の場合はこの環境を目指していたわけではなく、東京五輪というタイミングにも恵まれて今の会社に拾ってもらったことが大きいですが、行動力と目標と、自分の意志を伝える力、あとはハプニングを楽しめる感性があれば誰でも出来ると思います」
継続か引退か、悩んだ五輪後の進路
2021年は東京五輪代表のリザーブ(補欠)メンバーとして、五輪直前まで代表チームに帯同していた樫木は、レース前日の選手登録終了をもって「第三の選手」としての役目を終えた。その後は自身の進路についてずっと悩んでいたという。本来五輪が開催されるはずだった2020年の夏には「パリ五輪を目指す設定にしている」と話していた。
「そういう設定にしておかないと、リザーブの立場で1年間モチベーションが続かなかったし、一方で全日本で一度は優勝したいという想いもあり、じゃぁ全日本で勝ったら選手辞めるのか、辞めた後にどうするかと色々考えていました。
引退して今の会社で働き続けるのか、自転車の世界に貢献する仕事に就くのか。選手を続けるにしても、中途半端な結果でダラダラと選手を続けて、社会人として経験が無いのもどうなのかと。そもそも今の会社では東京五輪までとなっていたから、さらに選手として継続できるのかという問題もありました」
継続か引退か、悩んでいた樫木の背中を勤務先の上司が押してくれた。
「上司に相談したら『今のあなたにしか出来ないことだから、自信をもってやりなさい』と言われ、選手を続けようと思えるようになりました。やはり女子の世界トップレベルは世界選手権だから、その世界を見たい。パリ五輪を目指すかはまだ決めていないけれど、もう少し競技を続けられる時間を頂きました」
そう決断するまでには、五輪代表チームに帯同していたことも大きいと言う。
「五輪を間近で見たことで、自分のことや自転車競技のことを、主観的にも客観的にも見る時間が増えて、自分の考えがまとまった気がします。
ワールドチームで走ってみたいという気持ちはありますけれど、女子選手の環境は男子に比べて厳しいから、今の状況が私には合っていると思っています。自転車選手キャリアとして、イルミネートでワールドツアーや各地域のレースも走らせてもらったし、あとは世界選手権を経験したい、挑戦したいと思っています」
そのために、樫木は改めて今年6月の全日本選手権を目標にする。
「でも、ここ数年は春先と秋に調子のピークが来てしまって6月は落ちてしまうことが多いので、今度はしっかり合わせて世界選手権の出場権を手に入れたいです」。
text:Satoru Kato
(前編からの続き)
選手を続けるつもりは無かった大学時代 得られた最良の環境の中で
樫木が自転車競技を始めたのは大学に入ってから。高校までは水泳をやっていたが、親戚がやっていたトライアスロンを見て興味を持った。しかし大学には水泳部もトライアスロン部もなく、「トライアスロンに活かせるならと思って」自転車部に入部した。
大学2年まではトライアスロンのクラブチームにも所属し、自転車競技と半々で活動していたが、3年からは自転車に重点を置いた。4年の時にインカレロードで優勝。日本自転車競技連盟(JCF)の強化指定選手にもなった。それでも、大学卒業後も競技を続けるつもりは無かったと言う。
「普通に就職して、趣味でトライアスロンやろうかなという程度に思っていました。今入ったオーエンスで面接を受けた際に『強化指定選手なら東京五輪を目指してみては?』と言われ、ありがたいことに競技を続けられる機会を提案して下さり、自転車競技を続けることを決めました」
樫木が勤務する「株式会社オーエンス」はビル管理の会社だが、競技施設などの管理も請け負っている。樫木が水泳をやっていた頃に使っていたプールの管理をオーエンスが請けていたこともあって応募。練習時間をしっかり確保できる勤務体系の「アスリート社員」として入社した。
2018年には、東京五輪の日本の選手枠を増やしたいという想いから、アメリカを拠点とする女子UCIチーム「チームイルミネート」に加入し、海外UCIレースに出場。その年の女子ワールドツアーのステージレース「ツアー・オブ・カリフォルニア(2.WWT)」や、ワンデーレース「ツアー・オブ・グワンシー(1.WWT)」でUCIポイントを獲得した。
チームイルミネートへの加入は誰かを頼ったわけではなく、自ら売り込んで決めたという。
「チーム公式サイトの『お問い合わせフォーム』からメールを送り、コンタクトを取って加入させて頂きました。レースがある時だけ現地集合現地解散のチームなので、日本に生活の拠点を置いて活動できるのは自分に合ってますね。海外に拠点を置くと少なからず苦労することは多いだろうし、レースが終わったら日本の家に帰ってリラックス出来るのは大きいです」
イルミネート加入に限らず、女子選手には珍しく他人に頼らず何でも自分でやる主義。国内レースの遠征も、自分で宿や交通機関を手配し、1人で行くことが多いという。練習も同様に、誰かの指導を受けることはせず、自分で情報を集めて自分なりにメニューを組んでやっている。
「自分が納得出来ないとダメなんです。自分でやってみて失敗して修正して...って。大学で自転車始めた時もコーチがいなかったから、ずっとそうやって積み重ねてきました。ゼロからのスタートだった分、考える力がついたのかもしれません」
日本国内では女子選手の数は少なく、国内レースはクラス分けをするほど人数が集まらないのが現状。世界とのレベルの差を云々する以前の環境の中であっても、ここまで出来るという可能性を樫木は見せている。
「それでも、與那嶺恵理さんや萩原麻由子さんに比べれば、私のやってるレベルは三流」と言うが、樫木のやり方は、ハードルが高いと思われがちな女子選手の海外レース挑戦のモデルケースと言えよう。樫木も自身のスタイルを女子選手の選択肢のひとつとして示し、レベルが向上することを願っている。
「私の場合はこの環境を目指していたわけではなく、東京五輪というタイミングにも恵まれて今の会社に拾ってもらったことが大きいですが、行動力と目標と、自分の意志を伝える力、あとはハプニングを楽しめる感性があれば誰でも出来ると思います」
継続か引退か、悩んだ五輪後の進路
2021年は東京五輪代表のリザーブ(補欠)メンバーとして、五輪直前まで代表チームに帯同していた樫木は、レース前日の選手登録終了をもって「第三の選手」としての役目を終えた。その後は自身の進路についてずっと悩んでいたという。本来五輪が開催されるはずだった2020年の夏には「パリ五輪を目指す設定にしている」と話していた。
「そういう設定にしておかないと、リザーブの立場で1年間モチベーションが続かなかったし、一方で全日本で一度は優勝したいという想いもあり、じゃぁ全日本で勝ったら選手辞めるのか、辞めた後にどうするかと色々考えていました。
引退して今の会社で働き続けるのか、自転車の世界に貢献する仕事に就くのか。選手を続けるにしても、中途半端な結果でダラダラと選手を続けて、社会人として経験が無いのもどうなのかと。そもそも今の会社では東京五輪までとなっていたから、さらに選手として継続できるのかという問題もありました」
継続か引退か、悩んでいた樫木の背中を勤務先の上司が押してくれた。
「上司に相談したら『今のあなたにしか出来ないことだから、自信をもってやりなさい』と言われ、選手を続けようと思えるようになりました。やはり女子の世界トップレベルは世界選手権だから、その世界を見たい。パリ五輪を目指すかはまだ決めていないけれど、もう少し競技を続けられる時間を頂きました」
そう決断するまでには、五輪代表チームに帯同していたことも大きいと言う。
「五輪を間近で見たことで、自分のことや自転車競技のことを、主観的にも客観的にも見る時間が増えて、自分の考えがまとまった気がします。
ワールドチームで走ってみたいという気持ちはありますけれど、女子選手の環境は男子に比べて厳しいから、今の状況が私には合っていると思っています。自転車選手キャリアとして、イルミネートでワールドツアーや各地域のレースも走らせてもらったし、あとは世界選手権を経験したい、挑戦したいと思っています」
そのために、樫木は改めて今年6月の全日本選手権を目標にする。
「でも、ここ数年は春先と秋に調子のピークが来てしまって6月は落ちてしまうことが多いので、今度はしっかり合わせて世界選手権の出場権を手に入れたいです」。
text:Satoru Kato
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