2021/06/28(月) - 19:27
初日には実現しなかったマイヨジョーヌ獲得。しかし2日目のミュール=ド=ブルターニュでの2度のアタックに成功。マチュー・ファンデルプールが最後のチャンスをモノにし、今は亡き祖父のレイモン・プリドールが夢見たマイヨジョーヌをついに獲得した。祖父から父、そして孫へと引き継がれた黄色い夢が叶った。
2度の大規模落車で傷ついた選手たちが迎えた朝。ペロス=ギレックのスタート地点のチームバスエリアには、身体に包帯や絆創膏をした選手たちの姿が多く見られた。主催者と地元警察は「ALLEZ! OPI・OMI=頑張れお祖父ちゃん、おばあちゃん」の看板で落車を引き起こした女性を訴訟前提に引き続き探しているが、まだ見つかっていない。
マイク・テウニッセン(オランダ、ユンボ・ヴィスマ)は身体に残る痛みに顔をしかめながらゆっくりとローラーでウォームアップをしていた。UAEのチームバスではジャージを自分で着れないマルク・ヒルシのためにスタッフがゼッケンを付け、無線の配線を通す姿も。
イスラエル・スタートアップネイションのバスではクリストファー・フルームがジャージに着替え、ローラーでのウォームアップをする姿も。落車後にしばらく路上で身動きがとれなかったフルームは、骨折さえ無かったものの体中を痛めており、出走判断はこの朝にチーム医師と相談してからにするとしていた。
ツール4勝経験者フルームの役割はロードキャプテン。マイケル・ウッズのアシストも大きな役割だったが、ウッズも落車で大きく遅れ、それは無くなった。総合もステージも狙えないフルームが走り続けるのは秋のブエルタ・ア・エスパーニャへ向けて体調を上げていくビルドアップが目的だ。
メディアとのソーシャルディスタンスが取れるインタビューブースに向かう選手たち。アルペシン・フェニックスとマチュー・ファンデルプールは第1ステージのみ許されたMERCI POU POUジャージを脱ぎ、通常の青いジャージに着替えて登場した。
海沿いのペロス=ギレックをスタートした後、グラニット・ローズ海岸を横目にレースは東に向かう。干上がって岩が露出した海岸線に停泊するヨットが並ぶ様が優雅で美しい風景。
逃げグループができた後はティム・デクレルク(ベルギー、ドゥクーニンク・クイックステップ) が先頭にたってペースをキープ。マイヨジョーヌ保持チームの責任をひとりで担う格好だ。「トラクター」の異名をとる名アシストのデクレルクは、2日連続で長時間の集団牽引を担った。
内陸へと向かえば白と黒のはずがグリーンに染められたブルターニュの旗が多数はためく。観客が手にしているのはB&Bホテルズ・KTMのチーム応援旗。ジェローム・ピノーGMが起こしたチームのメインスポンサーであるB&Bホテルズは、フランスからヨーロッパ全土にチェーン展開してシェアを広げつつあるビジネスホテル会社で、ブルターニュを拠点としている。
フランスじゅうでもっとも自転車熱の高いこの地域一帯。主要な街を通る際は沿道に多くの緑の応援旗がはためき、男たちがしかめっ面で吹くバグパイプの調べが歓迎する。「MEN IN GLAZ(グラーツの男たち)」というチームのキャッチフレーズどおり、プロトンが街を通過する際はB&Bホテルズの選手たちが集団の前に出て声援に応える姿も。
マイヨジョーヌを着たアラフィリップへの応援もすごいが、B&Bの選手たちへの応援も熱い。そして天気は晴れたと思えば雨が降り、また晴れる、を繰り返す。しかし気温も低くなく、気にならないシャワーだ。サンブリユーまではブルターニュ特有の泥のような干上がった海岸線が続いた。
開幕2日連続の登りフィニッシュ。第2ステージも第1ステージに引き続き急勾配の坂を短く登るパンチャー向きのコースだ。ツールに3年ぶりの登場となる3級山岳ミュール=ド=ブルターニュは全長2km・平均6.9%。2018年にはダニエル・マーティン(当時UAE/現イスラエルスタートアップネイション)が単独で駆け上がり、逃げ切った。10年前にはフィニッシュまで少人数で競り合って勝負はもつれたが、カデル・エヴァンスがアルベルト・コンタドールを僅差で下した。
ほぼ一直線に、短くシャープに登る勾配。ベルギーで急坂を意味する「ミュール」が名前に冠された激坂は、前日の3級山岳フォス・オ・ルーと比べると距離は短く、勾配はきついことで軽量なクライマーよりパンチャー向け。大人数が牽制して勝負がつかなければ登れるスプリンターが勝つ場合も。
一度は頂上を通過し、小周回を経て2度目にフィニッシュ。一度目の通過にもボーナスポイントが設けられていることをマチュー・ファンデルプール(オランダ、アルペシン・フェニックス)は知っていた。
ツールにはいつもステージにボーナスポイントがあったわけじゃない。歴史的にはむしろ純粋なタイム差をつけてきたグランツールだ。それが変わったのは近年で、レースの活性化によるスペクタクルを狙ってのこと。僅差でのマイヨジョーヌ争いを演出する「B」ポイントの設定は、主催者の狙い通りにレースを盛り上げることに成功した。
1周通過時のボーナスタイム8秒獲得を狙ってアタックしたマチュー。パンチャーである以上にワンデイのクラシックレースならフィニッシュまで50kmある地点でアタックして逃げることもできるマチューの脚質。しかしこの日は一度目のポイントを取ることに成功したら、再び集団に戻った。そしてこの時点でマチューの意図が明らかになる。ステージ優勝と同時に、それ以上にマイヨジョーヌ獲得を狙っていることを。
「ボーナスポイントとフィニッシュ。そのどちらもトップ通過すればマイヨジョーヌも手にすることができる」そんな計算は確かに成り立ちはするが、それを狙って確実に実行できるのがマチューが天才的な自転車選手と言われる所以だ。
2度目のミュール=ド=ブルターニュはナイロ・キンタナ(コロンビア、アルケア・サムシック)とソンニ・コルブレッリ(イタリア、バーレーン・ヴィクトリアス) のアタックを自ら封じに行き、そのまま加速して独走を決めた。ライバルたちを大きく突き放し、天のお祖父ちゃんに手を向けるゼスチャーでフィニッシュすると、全力を出し切ったのか上体をハンドルに突っ伏した。
全長2km・平均6.9%の2回めのミュール=ド=ブルターニュをマチューは3分57秒 、平均時速30km/h以上で駆け上がった。しかし駆け引きを伴ったため、ダニエル・マーティンが2018年に優勝した際の記録のほうが5秒速く、最速記録はマーティンがキープすることに。
1度目のボーナスポイントにも絡めなかったアラフィリップは「昨日の走りのせいで足が重かった」と言い、フィニッシュでマチューに8秒の先行を許したことでマイヨジョーヌはマチューに。
フィニッシュしてシクロクロスのようなターンを決めて路上に寝っ転がって歓喜したマチュー。レース直後のインタビューでは「言葉がない。なんと言っていいかわからない」と感極まる。「フィニッシュしたとき、誰のことを考えていた?と訊かれ、「もちろんグランパのこと」と言いかけたとき、涙が溢れてきて言葉を詰まらせた。
表彰式ではマスクを下げ、今までに見たことのないようなとびきりの笑顔でマイヨジョーヌ姿を披露し、ライオンのマスコットを掲げた。
天を指差すフィニッシュ写真とイエロージャージ姿の写真を、赤いハート印とともに「Pour toi #MerciPoupou」のメッセージ添えてツィッターに投稿したマチュー。それは天に居るお祖父さんに捧げる勝利。初日には叶わなかったマイヨジョーヌが、2日目にしてLou Lou(ルル)からMVdPとPou Pou(ププ)のもとへ。
2日前の開幕記者会見では「もしキャリアで一度でもマイヨジョーヌを着ることができたら素晴らしいし、お祖父ちゃんに姿を観てもらえたらもっと素敵なこと。でもツールをヴィラージュに居る彼と一緒にスタートできたらもっと良かったたけど、それには少し遅かった。でもできるだけのことをやってみる」そう決意したとおりのことをやり遂げたマチュー。
初日はプレッシャーの大きさと強いアラフィリップの前に破れた。しかし2日目の最後のチャンスにすべてを賭け、勝ち取ったマイヨジョーヌ。
マチューのお祖父さんにあたる故レイモン・プリドール氏は、一昨年までマイヨジョーヌのスポンサーであるクレディ・リヨネ銀行のVIPホストとしてツールに帯同し、近年までマイヨジョーヌのプレゼンターを務めていたが、18ヶ月前の11月に亡き人となった。もしプリドール氏が生きていたなら? おそらくA.S.Oはプレゼンターにプリドール氏を表彰式に登壇させ、お祖父ちゃんから孫へとマイヨジョーヌを着させるシーンが観れたはずだ。
ツールの国際配信がまだなかった時代のフランス人ヒーローである故・プリドール氏は、ジャック・アンクティルとエディ・メルクスという、ともにツール5勝を成し遂げた巨人の好敵手として2人との時代をともにした。その時代に生きた不運か、14回のツール・ド・フランス出場でステージ優勝は7回、総合成績の表彰台を8回経験するも、ついにマイヨジョーヌは生涯で一度も着ることがなかった。そのことがフランス国民の応援する心に共感を呼び、POU POU(ププ)の愛称で親しまれる存在となった。2019年11月、今から18ヶ月前に83歳でこの世を去った。
マチューの父アドリはそんなプリドール氏の義理の息子にあたる。元自転車選手で、マチューと同じくシクロクロス世界選手権とロンド・ファン・フラーンデレンでも優勝している、つまりは自転車競技一家の血が受け継がれている一家。初出場のツールで狙ったままにマイヨジョーヌを手にする稀な才能は、その遺伝子の賜物なのだ。
開幕記者会見では世界最大のレースであるツールを前に、「ロンド・ファン・フラーンデレンなどのクラシックで感じている以上の緊張感は感じていない」と話したマチュー。しかし「皆が僕にとって初めてのツールだということを忘れているようだけれど」と付け加えた。
「ポガチャルやログリッチなど、総合争いでタイムを失わないように走る”いつもと違う選手たち”とも戦うことになる。できることはすべてやる。それを狙えるポジションに居ることは素敵なことだけど、僕にとって最初のツールだということをわかって欲しい。3週間のグランツールを体験する最初の1年であること。それは簡単なことじゃないと思っている」。
また、公言してきたように東京オリンピックでのマウンテンバイクの金メダル獲得が大きな目標としてある。ツール直後の五輪のために、早めにツールをリタイヤして五輪に備えるというのが周囲のもっぱらの見立てだ。しかしマチューはそれを否定する。
「ツールを早く離れることは考えていないし、事前に決めていることは何もないんだ。大きなレースのツールで何ができるか。今年のコースは僕にとってすごく良くて、この先もいくつかチャンスがあると思っているし、一日一日様子を見ながら進みたい。ツールの山岳ステージもどんなものかを体験できるし、雰囲気も感じたいと思う。開幕2日間のステージを過ぎた後の残りは、少しリラックして走れることになると思う」。
一度表彰式登壇が無いものと思って帰ろうとしたアラフィリップは、マイヨヴェールをキープしており、第3ステージから緑色のジャージを着用してツールを走る。また、アラフィリップはツール4賞を全てを獲得した史上6人目の選手となっている。
text&photo:Makoto AYANO in Bretagne, FRANCE
2度の大規模落車で傷ついた選手たちが迎えた朝。ペロス=ギレックのスタート地点のチームバスエリアには、身体に包帯や絆創膏をした選手たちの姿が多く見られた。主催者と地元警察は「ALLEZ! OPI・OMI=頑張れお祖父ちゃん、おばあちゃん」の看板で落車を引き起こした女性を訴訟前提に引き続き探しているが、まだ見つかっていない。
マイク・テウニッセン(オランダ、ユンボ・ヴィスマ)は身体に残る痛みに顔をしかめながらゆっくりとローラーでウォームアップをしていた。UAEのチームバスではジャージを自分で着れないマルク・ヒルシのためにスタッフがゼッケンを付け、無線の配線を通す姿も。
イスラエル・スタートアップネイションのバスではクリストファー・フルームがジャージに着替え、ローラーでのウォームアップをする姿も。落車後にしばらく路上で身動きがとれなかったフルームは、骨折さえ無かったものの体中を痛めており、出走判断はこの朝にチーム医師と相談してからにするとしていた。
ツール4勝経験者フルームの役割はロードキャプテン。マイケル・ウッズのアシストも大きな役割だったが、ウッズも落車で大きく遅れ、それは無くなった。総合もステージも狙えないフルームが走り続けるのは秋のブエルタ・ア・エスパーニャへ向けて体調を上げていくビルドアップが目的だ。
メディアとのソーシャルディスタンスが取れるインタビューブースに向かう選手たち。アルペシン・フェニックスとマチュー・ファンデルプールは第1ステージのみ許されたMERCI POU POUジャージを脱ぎ、通常の青いジャージに着替えて登場した。
海沿いのペロス=ギレックをスタートした後、グラニット・ローズ海岸を横目にレースは東に向かう。干上がって岩が露出した海岸線に停泊するヨットが並ぶ様が優雅で美しい風景。
逃げグループができた後はティム・デクレルク(ベルギー、ドゥクーニンク・クイックステップ) が先頭にたってペースをキープ。マイヨジョーヌ保持チームの責任をひとりで担う格好だ。「トラクター」の異名をとる名アシストのデクレルクは、2日連続で長時間の集団牽引を担った。
内陸へと向かえば白と黒のはずがグリーンに染められたブルターニュの旗が多数はためく。観客が手にしているのはB&Bホテルズ・KTMのチーム応援旗。ジェローム・ピノーGMが起こしたチームのメインスポンサーであるB&Bホテルズは、フランスからヨーロッパ全土にチェーン展開してシェアを広げつつあるビジネスホテル会社で、ブルターニュを拠点としている。
フランスじゅうでもっとも自転車熱の高いこの地域一帯。主要な街を通る際は沿道に多くの緑の応援旗がはためき、男たちがしかめっ面で吹くバグパイプの調べが歓迎する。「MEN IN GLAZ(グラーツの男たち)」というチームのキャッチフレーズどおり、プロトンが街を通過する際はB&Bホテルズの選手たちが集団の前に出て声援に応える姿も。
マイヨジョーヌを着たアラフィリップへの応援もすごいが、B&Bの選手たちへの応援も熱い。そして天気は晴れたと思えば雨が降り、また晴れる、を繰り返す。しかし気温も低くなく、気にならないシャワーだ。サンブリユーまではブルターニュ特有の泥のような干上がった海岸線が続いた。
開幕2日連続の登りフィニッシュ。第2ステージも第1ステージに引き続き急勾配の坂を短く登るパンチャー向きのコースだ。ツールに3年ぶりの登場となる3級山岳ミュール=ド=ブルターニュは全長2km・平均6.9%。2018年にはダニエル・マーティン(当時UAE/現イスラエルスタートアップネイション)が単独で駆け上がり、逃げ切った。10年前にはフィニッシュまで少人数で競り合って勝負はもつれたが、カデル・エヴァンスがアルベルト・コンタドールを僅差で下した。
ほぼ一直線に、短くシャープに登る勾配。ベルギーで急坂を意味する「ミュール」が名前に冠された激坂は、前日の3級山岳フォス・オ・ルーと比べると距離は短く、勾配はきついことで軽量なクライマーよりパンチャー向け。大人数が牽制して勝負がつかなければ登れるスプリンターが勝つ場合も。
一度は頂上を通過し、小周回を経て2度目にフィニッシュ。一度目の通過にもボーナスポイントが設けられていることをマチュー・ファンデルプール(オランダ、アルペシン・フェニックス)は知っていた。
ツールにはいつもステージにボーナスポイントがあったわけじゃない。歴史的にはむしろ純粋なタイム差をつけてきたグランツールだ。それが変わったのは近年で、レースの活性化によるスペクタクルを狙ってのこと。僅差でのマイヨジョーヌ争いを演出する「B」ポイントの設定は、主催者の狙い通りにレースを盛り上げることに成功した。
1周通過時のボーナスタイム8秒獲得を狙ってアタックしたマチュー。パンチャーである以上にワンデイのクラシックレースならフィニッシュまで50kmある地点でアタックして逃げることもできるマチューの脚質。しかしこの日は一度目のポイントを取ることに成功したら、再び集団に戻った。そしてこの時点でマチューの意図が明らかになる。ステージ優勝と同時に、それ以上にマイヨジョーヌ獲得を狙っていることを。
「ボーナスポイントとフィニッシュ。そのどちらもトップ通過すればマイヨジョーヌも手にすることができる」そんな計算は確かに成り立ちはするが、それを狙って確実に実行できるのがマチューが天才的な自転車選手と言われる所以だ。
2度目のミュール=ド=ブルターニュはナイロ・キンタナ(コロンビア、アルケア・サムシック)とソンニ・コルブレッリ(イタリア、バーレーン・ヴィクトリアス) のアタックを自ら封じに行き、そのまま加速して独走を決めた。ライバルたちを大きく突き放し、天のお祖父ちゃんに手を向けるゼスチャーでフィニッシュすると、全力を出し切ったのか上体をハンドルに突っ伏した。
全長2km・平均6.9%の2回めのミュール=ド=ブルターニュをマチューは3分57秒 、平均時速30km/h以上で駆け上がった。しかし駆け引きを伴ったため、ダニエル・マーティンが2018年に優勝した際の記録のほうが5秒速く、最速記録はマーティンがキープすることに。
1度目のボーナスポイントにも絡めなかったアラフィリップは「昨日の走りのせいで足が重かった」と言い、フィニッシュでマチューに8秒の先行を許したことでマイヨジョーヌはマチューに。
フィニッシュしてシクロクロスのようなターンを決めて路上に寝っ転がって歓喜したマチュー。レース直後のインタビューでは「言葉がない。なんと言っていいかわからない」と感極まる。「フィニッシュしたとき、誰のことを考えていた?と訊かれ、「もちろんグランパのこと」と言いかけたとき、涙が溢れてきて言葉を詰まらせた。
表彰式ではマスクを下げ、今までに見たことのないようなとびきりの笑顔でマイヨジョーヌ姿を披露し、ライオンのマスコットを掲げた。
天を指差すフィニッシュ写真とイエロージャージ姿の写真を、赤いハート印とともに「Pour toi #MerciPoupou」のメッセージ添えてツィッターに投稿したマチュー。それは天に居るお祖父さんに捧げる勝利。初日には叶わなかったマイヨジョーヌが、2日目にしてLou Lou(ルル)からMVdPとPou Pou(ププ)のもとへ。
Pour toi#MerciPoupou
— Mathieu Van der Poel (@mathieuvdpoel) June 27, 2021
Yellow pic.twitter.com/qXNTcQ2vu3
2日前の開幕記者会見では「もしキャリアで一度でもマイヨジョーヌを着ることができたら素晴らしいし、お祖父ちゃんに姿を観てもらえたらもっと素敵なこと。でもツールをヴィラージュに居る彼と一緒にスタートできたらもっと良かったたけど、それには少し遅かった。でもできるだけのことをやってみる」そう決意したとおりのことをやり遂げたマチュー。
初日はプレッシャーの大きさと強いアラフィリップの前に破れた。しかし2日目の最後のチャンスにすべてを賭け、勝ち取ったマイヨジョーヌ。
マチューのお祖父さんにあたる故レイモン・プリドール氏は、一昨年までマイヨジョーヌのスポンサーであるクレディ・リヨネ銀行のVIPホストとしてツールに帯同し、近年までマイヨジョーヌのプレゼンターを務めていたが、18ヶ月前の11月に亡き人となった。もしプリドール氏が生きていたなら? おそらくA.S.Oはプレゼンターにプリドール氏を表彰式に登壇させ、お祖父ちゃんから孫へとマイヨジョーヌを着させるシーンが観れたはずだ。
ツールの国際配信がまだなかった時代のフランス人ヒーローである故・プリドール氏は、ジャック・アンクティルとエディ・メルクスという、ともにツール5勝を成し遂げた巨人の好敵手として2人との時代をともにした。その時代に生きた不運か、14回のツール・ド・フランス出場でステージ優勝は7回、総合成績の表彰台を8回経験するも、ついにマイヨジョーヌは生涯で一度も着ることがなかった。そのことがフランス国民の応援する心に共感を呼び、POU POU(ププ)の愛称で親しまれる存在となった。2019年11月、今から18ヶ月前に83歳でこの世を去った。
マチューの父アドリはそんなプリドール氏の義理の息子にあたる。元自転車選手で、マチューと同じくシクロクロス世界選手権とロンド・ファン・フラーンデレンでも優勝している、つまりは自転車競技一家の血が受け継がれている一家。初出場のツールで狙ったままにマイヨジョーヌを手にする稀な才能は、その遺伝子の賜物なのだ。
開幕記者会見では世界最大のレースであるツールを前に、「ロンド・ファン・フラーンデレンなどのクラシックで感じている以上の緊張感は感じていない」と話したマチュー。しかし「皆が僕にとって初めてのツールだということを忘れているようだけれど」と付け加えた。
「ポガチャルやログリッチなど、総合争いでタイムを失わないように走る”いつもと違う選手たち”とも戦うことになる。できることはすべてやる。それを狙えるポジションに居ることは素敵なことだけど、僕にとって最初のツールだということをわかって欲しい。3週間のグランツールを体験する最初の1年であること。それは簡単なことじゃないと思っている」。
また、公言してきたように東京オリンピックでのマウンテンバイクの金メダル獲得が大きな目標としてある。ツール直後の五輪のために、早めにツールをリタイヤして五輪に備えるというのが周囲のもっぱらの見立てだ。しかしマチューはそれを否定する。
「ツールを早く離れることは考えていないし、事前に決めていることは何もないんだ。大きなレースのツールで何ができるか。今年のコースは僕にとってすごく良くて、この先もいくつかチャンスがあると思っているし、一日一日様子を見ながら進みたい。ツールの山岳ステージもどんなものかを体験できるし、雰囲気も感じたいと思う。開幕2日間のステージを過ぎた後の残りは、少しリラックして走れることになると思う」。
一度表彰式登壇が無いものと思って帰ろうとしたアラフィリップは、マイヨヴェールをキープしており、第3ステージから緑色のジャージを着用してツールを走る。また、アラフィリップはツール4賞を全てを獲得した史上6人目の選手となっている。
text&photo:Makoto AYANO in Bretagne, FRANCE
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