2010/05/31(月) - 15:39
ついに歴史的瞬間がやってきた。日本人初、ツール・ド・フランスとジロ・デ・イタリア完走。フィニッシュラインを駆け抜けたユキヤは、観客が詰めかけた古代ローマ時代の円形競技場アレーナに吸い込まれるように入って行った。
前日も山岳で魅せたユキヤがアレーナにゴール
前夜は21時ごろまでプレスセンターで仕事に没頭。それから200km近くを走ってヴェローナに移動した。最終ステージのスタート地点近くのホテルに到着したのは日付が変わる寸前だった。
Bboxブイグテレコムの宿泊ホテルもヴェローナ。前日のヨハン・チョップ(スイス)のステージ優勝により、チームバスの車内はかなり賑やかだったらしい。
さて、翌日、ジロ・デ・イタリア最終日。第20ステージ終了後にユキヤのコメントが取れていなかったのでまずBboxブイグテレコムのチームバスに向かう。フロントガラス越しに、前日にチョップが獲得したジルベッコ(大会マスコット)のぬいぐるみが見える。ステージ優勝の数とともにぬいぐるみが増えるため、フロントガラスにジルベッコを飾るのが一種のステータスになっている。
「昨日はすごく良く脚が回りました。チーマコッピのガヴィア峠も前半の5kmぐらいまでメイン集団で上ったんです。勾配がキツくなって、沿道に雪が見え始めた頃に千切れてしまいましたけど、その後もゴールまでずっと踏めました」。
チョップのステージ優勝の影響で目立たないが、ユキヤのステージ49位は賞賛に値する。開幕当初から「チーム内で僕は“上れないキャラ”になっているので、そのイメージを払拭したい」と語っていたユキヤが、最難関山岳ステージでその真価を発揮した。
最終個人タイムトライアルは、ヴェローナの街を発着する15kmの起伏あるコース。中盤に高低差220mほどの3級山岳を越えるのだが、これが予想以上に厳しい上り。しかも下りはテクニカルだ。各選手とも、登坂性能に劣るTTバイクを振り回しながら上りをクリアした。
前日の第20ステージを終えた時点で総合93位につけていたユキヤは47番手スタート。幸い天候が安定していたため、出走時間による路面コンディションの差は無い。
コースから少し離れたチームバスでアップ中のユキヤを撮影後、スタート地点近くで撮影し、猛ダッシュでゴール地点へ。イタリア有数の観光地だけに、ゴール地点のアレーナ周辺は大混雑。300ミリのごついレンズを真上に掲げて観光客をかき分けて進む。ゴールに到着したのはユキヤのゴール3分前だった。
最終コーナーを抜けたユキヤはダンシングで加速し、TTポジションでゴール。タイムの計測地点はアレーナの入口の一歩手前で、選手たちはスピードを緩めてアレーナへと入って行く。暗いトンネルを抜けると、大歓声に包まれた闘技場のステージに出る。ジロのグランフィナーレに相応しい舞台だった。
ただでさえグランツールの中で最も山岳が厳しいと言われるジロ。今年は特に後半の山岳の厳しさが顕著で、前半も悪天候の連続。サバイバルレースの結果、198名のうち、ヴェローナに到達したのは僅かに139名(完走率70%)。ユキヤはBboxブイグテレコムの中で4番目(ヴォクレール23位、トロフィモフ28位、チョップ34位)となる総合93位でフィニッシュした。
「終わってしまいましたね。3週間、日本の皆さんの応援が大きな支えになりました。昨年のツールからさらにステップアップすることが出来たと思います」。
日本人として初めて2つのグランツールを完走したユキヤ。次なる目標として期待してしまうのは、1年で2つのグランツールに出場すること。しかしまだツール出場は未確定。チームに帯同したドミニク・アルノー監督は「間違いなくチームは強い布陣でツールに挑むことが出来る。現段階ではユキヤのツール出場に関して否定も肯定も出来ない」とコメント。
ユキヤ本人は「「6月の全日本選手権、7月のツール・ド・フランスは出場したいと思っています。ですがまだ何も決まっていません。これから監督と話をして決めます」と語る。
まあ、ツールのセレクションは今のところ置いておいて、とにかく今は厳しいジロを完走したユキヤを讃えたい。逃げを打ち、ステージ優勝争いに絡み、何度も日本を沸かせてくれたヒーローを。
最終的なユキヤの総合成績は以下の通り。個人総合成績93位、ポイント賞75位、山岳賞38位、中間スプリントポイント賞7位、アッズーリ・イタリア賞30位、逃げ賞15位、敢闘賞17位。
リクイガスがもたらしたイタリアの復権
2年連続で海外勢に奪われていたマリアローザをイタリアに取り戻したのは、2006年のジロ総合優勝者イヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)だった。ドーピング関与による2年間の出場停止期間を受けたバッソが、ようやく檜舞台に戻って来た。
ステージ15位のタイムで最終日を走り終えたバッソの登場に、ヴェローナのアレーナが揺れた。実際に地震計が設置されていれば、針は揺れていただろう。それほど大音量の歓声が、第93代ジロ覇者を迎えた。
印象的だったのは、ゴール後、バッソがすぐに子どもを抱き寄せたこと。2006年ジロ期間中に産まれ、バッソがアプリカでステージ優勝を飾った際に写真を掲げたサンティアゴはもう4歳になる。
ゴールした瞬間からバッソの顔が紅潮する。目には薄らと涙が浮かぶ。この4年間でバッソは天国と地獄を経験した。それだけにこの勝利は感慨深いものがある。フルメンバーで3週間を闘い抜いたリクイガスの面々が、優勝トロフィーを受け取ったバッソを担ぎ上げた。
ちなみに、ジロには各ステージのペナルティを積算したフェアプレイ賞なるものが存在する。もちろんペナルティが少なければ少ないほど上位。トップは4点のリクイガス。最下位のチームスカイは1572点だった(後日確認すると1217点になってました)。何百倍も差がある賞って一体・・・。
これにてジロ・デ・イタリア2010が終了。振り返ってみると、オランダの横風ステージ有り、モンタルチーノの泥んこレース有り、20分差の大逃げが決まったラクイラステージ有り・・・最終週の山岳ステージはもう説明がめんどくさくなるぐらい厳しかった。天候の悪さを加味すると、近年稀に見る厳しいジロだった。
3週間に渡って、「現地レポート」と言う名の「観戦日記」をご覧頂きありがとうございました。少しは現地の様子が日本に伝わったでしょうか?
最後に、日本に残して来た家族へ。こんな大事な時期に1ヶ月も家を空けてしまってごめんなさい。でも、おかげで素晴らしい取材を経験することが出来ました。すごく身になる、将来につながるジロだった。5月31日の便で帰ります。ありがとう。
text&photo:Kei Tsuji
前日も山岳で魅せたユキヤがアレーナにゴール
前夜は21時ごろまでプレスセンターで仕事に没頭。それから200km近くを走ってヴェローナに移動した。最終ステージのスタート地点近くのホテルに到着したのは日付が変わる寸前だった。
Bboxブイグテレコムの宿泊ホテルもヴェローナ。前日のヨハン・チョップ(スイス)のステージ優勝により、チームバスの車内はかなり賑やかだったらしい。
さて、翌日、ジロ・デ・イタリア最終日。第20ステージ終了後にユキヤのコメントが取れていなかったのでまずBboxブイグテレコムのチームバスに向かう。フロントガラス越しに、前日にチョップが獲得したジルベッコ(大会マスコット)のぬいぐるみが見える。ステージ優勝の数とともにぬいぐるみが増えるため、フロントガラスにジルベッコを飾るのが一種のステータスになっている。
「昨日はすごく良く脚が回りました。チーマコッピのガヴィア峠も前半の5kmぐらいまでメイン集団で上ったんです。勾配がキツくなって、沿道に雪が見え始めた頃に千切れてしまいましたけど、その後もゴールまでずっと踏めました」。
チョップのステージ優勝の影響で目立たないが、ユキヤのステージ49位は賞賛に値する。開幕当初から「チーム内で僕は“上れないキャラ”になっているので、そのイメージを払拭したい」と語っていたユキヤが、最難関山岳ステージでその真価を発揮した。
最終個人タイムトライアルは、ヴェローナの街を発着する15kmの起伏あるコース。中盤に高低差220mほどの3級山岳を越えるのだが、これが予想以上に厳しい上り。しかも下りはテクニカルだ。各選手とも、登坂性能に劣るTTバイクを振り回しながら上りをクリアした。
前日の第20ステージを終えた時点で総合93位につけていたユキヤは47番手スタート。幸い天候が安定していたため、出走時間による路面コンディションの差は無い。
コースから少し離れたチームバスでアップ中のユキヤを撮影後、スタート地点近くで撮影し、猛ダッシュでゴール地点へ。イタリア有数の観光地だけに、ゴール地点のアレーナ周辺は大混雑。300ミリのごついレンズを真上に掲げて観光客をかき分けて進む。ゴールに到着したのはユキヤのゴール3分前だった。
最終コーナーを抜けたユキヤはダンシングで加速し、TTポジションでゴール。タイムの計測地点はアレーナの入口の一歩手前で、選手たちはスピードを緩めてアレーナへと入って行く。暗いトンネルを抜けると、大歓声に包まれた闘技場のステージに出る。ジロのグランフィナーレに相応しい舞台だった。
ただでさえグランツールの中で最も山岳が厳しいと言われるジロ。今年は特に後半の山岳の厳しさが顕著で、前半も悪天候の連続。サバイバルレースの結果、198名のうち、ヴェローナに到達したのは僅かに139名(完走率70%)。ユキヤはBboxブイグテレコムの中で4番目(ヴォクレール23位、トロフィモフ28位、チョップ34位)となる総合93位でフィニッシュした。
「終わってしまいましたね。3週間、日本の皆さんの応援が大きな支えになりました。昨年のツールからさらにステップアップすることが出来たと思います」。
日本人として初めて2つのグランツールを完走したユキヤ。次なる目標として期待してしまうのは、1年で2つのグランツールに出場すること。しかしまだツール出場は未確定。チームに帯同したドミニク・アルノー監督は「間違いなくチームは強い布陣でツールに挑むことが出来る。現段階ではユキヤのツール出場に関して否定も肯定も出来ない」とコメント。
ユキヤ本人は「「6月の全日本選手権、7月のツール・ド・フランスは出場したいと思っています。ですがまだ何も決まっていません。これから監督と話をして決めます」と語る。
まあ、ツールのセレクションは今のところ置いておいて、とにかく今は厳しいジロを完走したユキヤを讃えたい。逃げを打ち、ステージ優勝争いに絡み、何度も日本を沸かせてくれたヒーローを。
最終的なユキヤの総合成績は以下の通り。個人総合成績93位、ポイント賞75位、山岳賞38位、中間スプリントポイント賞7位、アッズーリ・イタリア賞30位、逃げ賞15位、敢闘賞17位。
リクイガスがもたらしたイタリアの復権
2年連続で海外勢に奪われていたマリアローザをイタリアに取り戻したのは、2006年のジロ総合優勝者イヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)だった。ドーピング関与による2年間の出場停止期間を受けたバッソが、ようやく檜舞台に戻って来た。
ステージ15位のタイムで最終日を走り終えたバッソの登場に、ヴェローナのアレーナが揺れた。実際に地震計が設置されていれば、針は揺れていただろう。それほど大音量の歓声が、第93代ジロ覇者を迎えた。
印象的だったのは、ゴール後、バッソがすぐに子どもを抱き寄せたこと。2006年ジロ期間中に産まれ、バッソがアプリカでステージ優勝を飾った際に写真を掲げたサンティアゴはもう4歳になる。
ゴールした瞬間からバッソの顔が紅潮する。目には薄らと涙が浮かぶ。この4年間でバッソは天国と地獄を経験した。それだけにこの勝利は感慨深いものがある。フルメンバーで3週間を闘い抜いたリクイガスの面々が、優勝トロフィーを受け取ったバッソを担ぎ上げた。
ちなみに、ジロには各ステージのペナルティを積算したフェアプレイ賞なるものが存在する。もちろんペナルティが少なければ少ないほど上位。トップは4点のリクイガス。最下位のチームスカイは1572点だった(後日確認すると1217点になってました)。何百倍も差がある賞って一体・・・。
これにてジロ・デ・イタリア2010が終了。振り返ってみると、オランダの横風ステージ有り、モンタルチーノの泥んこレース有り、20分差の大逃げが決まったラクイラステージ有り・・・最終週の山岳ステージはもう説明がめんどくさくなるぐらい厳しかった。天候の悪さを加味すると、近年稀に見る厳しいジロだった。
3週間に渡って、「現地レポート」と言う名の「観戦日記」をご覧頂きありがとうございました。少しは現地の様子が日本に伝わったでしょうか?
最後に、日本に残して来た家族へ。こんな大事な時期に1ヶ月も家を空けてしまってごめんなさい。でも、おかげで素晴らしい取材を経験することが出来ました。すごく身になる、将来につながるジロだった。5月31日の便で帰ります。ありがとう。
text&photo:Kei Tsuji
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