2010/05/24(月) - 21:01
時に「ヨーロッパで最も厳しい山岳」と称されるモンテ・ゾンコラン。中盤の平均勾配が15%に達するこのモンスターに、イヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)が一人で対峙した。一時は総合争いで完全に敗北したと思われたイタリア勢。しかしバッソの勝利で希望を取り戻した。
決戦前の選手たちがメストレに集結
朝、ホテルでクロワッサンをほおばっていると、いつも写真を交換しているリカルド・スカンフェルラから電話がかかってきた。
前夜、一緒に夕飯を食べた時はピンピンしていたのに「具合が悪いから今日は行けない」と言う。近くのパドヴァ在住のリカルド。「2週間ぶりに家に帰って家族と再開し、仕事のやる気がなくなったのでは??」と思いながら、スタート地点に向けてクルマを走らせた。
スタート地点はヴェネト州のメストレ。沖合に浮かぶヴェネツィアの玄関口として知られ、ヴェネツィアに行かれた方は間違いなくこの街を通過している。しかし通過するだけで、立ち止まる観光客は少ない。
イヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)が眉間にしわを寄せながらスタート地点にやってきた。一目見ただけで集中していることが伺える。軽く触れただけでズバッと切られそうな鋭いオーラをまとっている。バッソがゾンコランを走るのは今回が初めて。2003年大会は不出場。2007年大会は出場停止期間中だった。
出走サインを済ませるとチームカーに戻り、メカニックと話し合うバッソ。どうもブレーキの感覚に違和感があるようで、メカニックが入念に最終チェックを行なっていた。
数分後にやってきたヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、リクイガス)も同様にメカニックと話し合う。クランクの不調を訴えたニーバリはスペアバイクでスタートした。
イタリアの期待を背負うこの2人がナーバスになるのは当然だ。何しろラクイラで失ったタイムを、これからの山岳で取り返さなければならないのだから。イタリアの期待はこの2人の脚に掛かっていると言っても過言ではない。
新城幸也(日本、Bboxブイグテレコム)はいつも通りの表情でスタート地点に登場。見るからに「これからゾンコラン!」という気負いはない。
「いつも通り走るだけですよ。ゾンコランは厳しいと聞いているけど、実際に走ってみないと分からないです(笑)チームメイトで走ったことある選手がいるかもしれないけど、特に何も聞いてません」とあっけらかんとしている。少し肩すかしを食らった気分だ。
だがバイクはさすがにゾンコラン仕様。急勾配の上り対策として52/34のコンパクトクランクが付けられていた。
観客でごった返した標高1730mのゾンコラン
レース序盤に1回だけ撮影して、高速道路で大きく迂回してゾンコランへ。選手たちとは反対側の東斜面を上って行く。プレスセンターは頂上まで3kmを残した標高1400mのスキーリゾートホテルに置かれていた。
プレスセンターからゴール地点の頂上までは、スキー客用のリフトで移動。選手たちの荷物を抱えたコフィディスのスタッフと同乗して、10分で雄大な景色の広がる頂上に到着した。
頂上を埋め尽くす人、人、人。しかし当初10kmの上りには15万人の観客が押し寄せると報道されたが、実際に行くとそれほどでもない。近くに住むロードレースファン曰く、2007年に登場したときと比べて観客の数は少ないそうだ。
その理由として挙げられたのが、今年はゾンコラン以外にもパッソ・デューロンなどの難関山岳が設定されたこと。2007年はゾンコランがその日唯一の上りだったが、今年は他にも山岳が設定されたことで観客が分散した、というのが地元のファンの見解だ。
しかしそれでも観客は多い!ゾンコランに集まった観客は、5万人とも10万人とも言われている。入場券を配っているわけではないのでこればかりは正確に数える方法は無いが「山のような数の観客」が詰めかけたことは間違いない。
ラスト1kmを切ってからは、チームカーがギリギリ通ることの出来る道幅しか無い。コースを仕切る柵の運搬トラックが進入出来ないため、今年も地元の山岳警察が鈴なりになってコースを固める。
当然フォトグラファーも自由な動きが許されず、ラスト250mのコーナーで腰を落ち着ける。「選手たちが通過しても絶対にコースを歩くなよ。歩きたそうな顔をしているが本当に分かっているのか?」とカラビニエーリ(国防省国家警察)にキツく正されながら選手の到着を待つ。コースを歩いたらチームカーが大渋滞を起こすことぐらい容易に想像出来るってば。
バッソの独走に会場が揺れる
バッソのアタックに会場が沸いた。残り4kmを切ってからカデル・エヴァンス(オーストラリア、BMCレーシングチーム)を引き離したバッソが独走。しかし勾配のキツさからスピードが遅く、残り3kmを切ってもなかなか選手がやってこない。
「ドォォォォオオオ」という大声援に後押しされるように、バッソが鬼の形相で姿を現した。その視線の先にあるのはステージ優勝ではなく総合優勝。ライバルたちからタイム差を得るべく、最後までハイペースで突進した。
2008年のジャパンカップでドーピングによる出場停止から復帰してから、かつての輝きを失っていたバッソが、ゾンコランで再び光り輝いた。バッソのジロステージ優勝は4年ぶり。
前回のステージ優勝は2006年大会最終日前日の山岳ステージ。産まれたばかりの息子サンティアゴの写真を掲げてゴールしたあのステージだ。それから実に1456日が経つ。
ライバルたちをKOしたバッソ。頂上でキアラ夫人が待っていたカデル・エヴァンス(オーストラリア、BMCレーシングチーム)は1分19秒遅れ。一人一人数分おきに選手がやってくるので、まるで山岳個人タイムトライアルのよう。
タイムロスを最小限に抑える走りに徹したダビ・アローヨ(スペイン、ケースデパーニュ)がマリアローザをキープ。しかしバッソは3分33秒遅れの総合3位まで浮上している。これで本当に総合争いの行方が分からなくなって来た。ゾンコランを終えて、総合争いのポールポジションにいるのはバッソだ。
ユキヤは26分10秒遅れでゾンコランを登頂。上りの厳しさに、ゴール後は表情に苦しさが滲み出る。小さな缶のコーラを一息で飲み込み、長袖ジャージに腕を通し、チームバスの待つプレスセンター横の駐車場までゆっくりと下って行った。
ユキヤより後ろでゴールした選手は50名以上いる。この日だけでタイラー・ファラー(アメリカ、ガーミン・トランジションズ)やマシュー・ゴス(オーストラリア、チームHTC・コロンビア)、ロビー・マキュアン(オーストラリア、カチューシャ)と言った有力スプリンターを含む7名がリタイア。レースに残っているのは157名だ。
観客の波に飲まれるように、ゾンコラン頂上を離れる。帰り際、周りに広がる雄大な景色を眺めていて気がついた。今年のチーマ・コッピ(大会最標高地点)のガヴィア峠はこれより1000mも高い・・・。いやはや、レース主催者はとんでもないコースを設定したものだ。
text&photo:Kei Tsuji
決戦前の選手たちがメストレに集結
朝、ホテルでクロワッサンをほおばっていると、いつも写真を交換しているリカルド・スカンフェルラから電話がかかってきた。
前夜、一緒に夕飯を食べた時はピンピンしていたのに「具合が悪いから今日は行けない」と言う。近くのパドヴァ在住のリカルド。「2週間ぶりに家に帰って家族と再開し、仕事のやる気がなくなったのでは??」と思いながら、スタート地点に向けてクルマを走らせた。
スタート地点はヴェネト州のメストレ。沖合に浮かぶヴェネツィアの玄関口として知られ、ヴェネツィアに行かれた方は間違いなくこの街を通過している。しかし通過するだけで、立ち止まる観光客は少ない。
イヴァン・バッソ(イタリア、リクイガス)が眉間にしわを寄せながらスタート地点にやってきた。一目見ただけで集中していることが伺える。軽く触れただけでズバッと切られそうな鋭いオーラをまとっている。バッソがゾンコランを走るのは今回が初めて。2003年大会は不出場。2007年大会は出場停止期間中だった。
出走サインを済ませるとチームカーに戻り、メカニックと話し合うバッソ。どうもブレーキの感覚に違和感があるようで、メカニックが入念に最終チェックを行なっていた。
数分後にやってきたヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、リクイガス)も同様にメカニックと話し合う。クランクの不調を訴えたニーバリはスペアバイクでスタートした。
イタリアの期待を背負うこの2人がナーバスになるのは当然だ。何しろラクイラで失ったタイムを、これからの山岳で取り返さなければならないのだから。イタリアの期待はこの2人の脚に掛かっていると言っても過言ではない。
新城幸也(日本、Bboxブイグテレコム)はいつも通りの表情でスタート地点に登場。見るからに「これからゾンコラン!」という気負いはない。
「いつも通り走るだけですよ。ゾンコランは厳しいと聞いているけど、実際に走ってみないと分からないです(笑)チームメイトで走ったことある選手がいるかもしれないけど、特に何も聞いてません」とあっけらかんとしている。少し肩すかしを食らった気分だ。
だがバイクはさすがにゾンコラン仕様。急勾配の上り対策として52/34のコンパクトクランクが付けられていた。
観客でごった返した標高1730mのゾンコラン
レース序盤に1回だけ撮影して、高速道路で大きく迂回してゾンコランへ。選手たちとは反対側の東斜面を上って行く。プレスセンターは頂上まで3kmを残した標高1400mのスキーリゾートホテルに置かれていた。
プレスセンターからゴール地点の頂上までは、スキー客用のリフトで移動。選手たちの荷物を抱えたコフィディスのスタッフと同乗して、10分で雄大な景色の広がる頂上に到着した。
頂上を埋め尽くす人、人、人。しかし当初10kmの上りには15万人の観客が押し寄せると報道されたが、実際に行くとそれほどでもない。近くに住むロードレースファン曰く、2007年に登場したときと比べて観客の数は少ないそうだ。
その理由として挙げられたのが、今年はゾンコラン以外にもパッソ・デューロンなどの難関山岳が設定されたこと。2007年はゾンコランがその日唯一の上りだったが、今年は他にも山岳が設定されたことで観客が分散した、というのが地元のファンの見解だ。
しかしそれでも観客は多い!ゾンコランに集まった観客は、5万人とも10万人とも言われている。入場券を配っているわけではないのでこればかりは正確に数える方法は無いが「山のような数の観客」が詰めかけたことは間違いない。
ラスト1kmを切ってからは、チームカーがギリギリ通ることの出来る道幅しか無い。コースを仕切る柵の運搬トラックが進入出来ないため、今年も地元の山岳警察が鈴なりになってコースを固める。
当然フォトグラファーも自由な動きが許されず、ラスト250mのコーナーで腰を落ち着ける。「選手たちが通過しても絶対にコースを歩くなよ。歩きたそうな顔をしているが本当に分かっているのか?」とカラビニエーリ(国防省国家警察)にキツく正されながら選手の到着を待つ。コースを歩いたらチームカーが大渋滞を起こすことぐらい容易に想像出来るってば。
バッソの独走に会場が揺れる
バッソのアタックに会場が沸いた。残り4kmを切ってからカデル・エヴァンス(オーストラリア、BMCレーシングチーム)を引き離したバッソが独走。しかし勾配のキツさからスピードが遅く、残り3kmを切ってもなかなか選手がやってこない。
「ドォォォォオオオ」という大声援に後押しされるように、バッソが鬼の形相で姿を現した。その視線の先にあるのはステージ優勝ではなく総合優勝。ライバルたちからタイム差を得るべく、最後までハイペースで突進した。
2008年のジャパンカップでドーピングによる出場停止から復帰してから、かつての輝きを失っていたバッソが、ゾンコランで再び光り輝いた。バッソのジロステージ優勝は4年ぶり。
前回のステージ優勝は2006年大会最終日前日の山岳ステージ。産まれたばかりの息子サンティアゴの写真を掲げてゴールしたあのステージだ。それから実に1456日が経つ。
ライバルたちをKOしたバッソ。頂上でキアラ夫人が待っていたカデル・エヴァンス(オーストラリア、BMCレーシングチーム)は1分19秒遅れ。一人一人数分おきに選手がやってくるので、まるで山岳個人タイムトライアルのよう。
タイムロスを最小限に抑える走りに徹したダビ・アローヨ(スペイン、ケースデパーニュ)がマリアローザをキープ。しかしバッソは3分33秒遅れの総合3位まで浮上している。これで本当に総合争いの行方が分からなくなって来た。ゾンコランを終えて、総合争いのポールポジションにいるのはバッソだ。
ユキヤは26分10秒遅れでゾンコランを登頂。上りの厳しさに、ゴール後は表情に苦しさが滲み出る。小さな缶のコーラを一息で飲み込み、長袖ジャージに腕を通し、チームバスの待つプレスセンター横の駐車場までゆっくりと下って行った。
ユキヤより後ろでゴールした選手は50名以上いる。この日だけでタイラー・ファラー(アメリカ、ガーミン・トランジションズ)やマシュー・ゴス(オーストラリア、チームHTC・コロンビア)、ロビー・マキュアン(オーストラリア、カチューシャ)と言った有力スプリンターを含む7名がリタイア。レースに残っているのは157名だ。
観客の波に飲まれるように、ゾンコラン頂上を離れる。帰り際、周りに広がる雄大な景色を眺めていて気がついた。今年のチーマ・コッピ(大会最標高地点)のガヴィア峠はこれより1000mも高い・・・。いやはや、レース主催者はとんでもないコースを設定したものだ。
text&photo:Kei Tsuji
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