昨シーズンで引退した2007年のジャパンカップ優勝者マヌエーレ・モーリ。トスカーナ州で催された引退記念パーティに招待された奥村陽子さんがその様子を綴ります。親の代からのプロ選手一家。アシストとして長年活躍したキャリアの幕引きに、イタリア自転車界の豊かさが伺えます。スターではない、いち選手の引き際とは。



バルトリやウリッシ、ベッティオール、サヴァティーニといった仲間たちも顔を揃えたバルトリやウリッシ、ベッティオール、サヴァティーニといった仲間たちも顔を揃えた photo:Yoko Okumura
自転車選手が現役を引退することを、イタリア語で「自転車を釘(くぎ)に掛ける(appendere la bicicletta al chiodo)」といいます。選手になれば、いつかはその日が来るのですが、UAEチーム・エミレーツのマヌエーレ・モーリは、2019年で17年間のプロ・キャリアに終止符を打ち、自転車を釘に掛けました。

その折りに彼の地元、イタリアのトスカーナ州サン・ミニアートで開かれた引退記念パーティには、ミケーネ・バルトリやディエゴ・ウリッシを初めとする彼の友人や家族、ファンなど約170人が集まり、マヌエーレの長年にわたる功績を称え、新たな門出を祝福しました。

サン・ミニアートの丘から見渡すトスカーナの風景サン・ミニアートの丘から見渡すトスカーナの風景 photo:Yoko Okumura
私は昨年11月23日に開催されたそのパーティに招待され、主催側の一人として参加してきたのですが、マヌエーレや彼の家族、友人と過ごした二日間は、イタリアの伝統的な自転車文化の一端が垣間見える貴重な機会でした。少し遅くなりましたが、その時の様子をご紹介いたします。

サン・ミニアートのシンボル、フェデリコ二世の城砦を望むサン・ミニアートのシンボル、フェデリコ二世の城砦を望む photo:Yoko Okumura
マヌエーレの地元、トスカーナ州サン・ミニアートはフィレンツェから西に電車で約一時間、白トリュフの産地として有名な人口約3万人の小さな町です。トスカーナ州はイタリアの中でもプロ自転車選手が多く住む地域の一つで、古くはジーノ・バルタリ、今はミケーレ・バルトリやアンドレア・タフィ、パオロ・ベッティーニ、アレッサンドロ・ペタッキ、現役選手ではアルベルト・ベッティオール、ファビオ・サヴァティーニ、ジョヴァンニ・ヴィスコンティ、クリルティアン・スバラーリなどが住んでいて、普段の練習も一緒におこなっています。

マヌエーレ・モーリの地元サン・ミニアートで行われた引退記念パーティには友人やファンが大勢集まったマヌエーレ・モーリの地元サン・ミニアートで行われた引退記念パーティには友人やファンが大勢集まった photo:Yoko Okumura
ヴィンチェンツォ・ニーバリやディエゴ・ウリッシも現在はスイスに住んでいますが、本拠地はトスカーナです。マヌエーレはジュニア選手時代、毎朝バルトリの家の近くまで自転車で行って、彼が出てくるのを待ち、一緒に練習に行ったそうです。

マヌエーレは二世選手で、父親のプリモ氏は1960年代から70年代にかけて故フェリーチェ・ジモンディの山岳アシストとして活躍した元選手です。ツール・ド・フランスではピレネーのガップにゴールする山岳ステージで優勝し、ジロの最高総合成績は10位。マリア・ローザやマリア・ヴェルデの着用経験もあり、マヌエーレによると「自分よりよっぽど凄い選手」だそうです。

左から兄のマッシリミリアーノ氏と父親のプリモ氏。全員が元プロ選手でモーリ家は文字通りの自転車一家だ左から兄のマッシリミリアーノ氏と父親のプリモ氏。全員が元プロ選手でモーリ家は文字通りの自転車一家だ photo:Yoko Okumura
また現在はエージェント(選手の代理人)業に携わっている兄のマッシリミリアーノ氏もマリオ・チポッリーニのアシストなどを務めた元選手で、モーリ家は文字通りの自転車選手一家です。とはいえ、マヌエーレ自身の経歴はいたって地味で、プロになってからの勝利は2007年ジャパンカップの1度だけ。ベテランのアシストとして、また若手の育成指導には定評がありますが、知名度はイタリアより日本の方がよほど高いです。

父親のプリモ氏がツール・ド・フランスで優勝した時の写真。チームはサルヴァラーリ父親のプリモ氏がツール・ド・フランスで優勝した時の写真。チームはサルヴァラーリ photo:Yoko Okumura
私がマヌエーレのレースを積極的に観に行くようになったのは2015年からですが、「日本からわざわざモーリに会いに来るファンがいる」とイタリアの自転車雑誌に載ったほどでした。ですからイタリアに大々的な後援組織があるわけでもなく、今回の引退記念パーティを盛り上げるのは日本のファンクラブの役目と心得て、同じファンのまゆみさんと一緒に参加することにしました。

今回のパーティの発起人フランコ氏(左)とルチアーノ氏今回のパーティの発起人フランコ氏(左)とルチアーノ氏 photo:Yoko Okumura会場に170人分の席がずらりと並ぶ。地元のリストランテが出張してフルコース料理を振る舞う会場に170人分の席がずらりと並ぶ。地元のリストランテが出張してフルコース料理を振る舞う photo:Yoko Okumura


今回のパーティを企画したフランコ氏とルチアーノ氏は、マヌエーレの家族ぐるみの友人です。イタリアのレースではチームを応援する人はめったにおらず、ほとんどが選手個人の応援で、沿道で声援を送っているのは選手の家族や友人、またはその知人たちです。ニバリのようなスター選手でもなければ身内以外のファンはいないのが普通ですから、日本人がなおさら珍しいワケです。

私が作ったマヌエーレの写真集。この日のために準備してきた私が作ったマヌエーレの写真集。この日のために準備してきた photo:Yoko Okumura
私たちが日本からパーティに持参したのは、マヌエーレがジャパンカップで来日する度に作ってきた歴代の応援バナーと、パーティ参加者全員にプレゼントするうちわ、そしてイタリアはもとよりベルギー、カナダ、オーストラリア、日本の各レースで私が撮りためてきたマヌエーレの写真集です(※この写真集に欠かせない2007年ジャパンカップの優勝写真はCWの綾野編集長からご提供いただきました。この場を借りてお礼を申し上げます)。

日本の応援うちわはイタリア人にも大好評!日本の応援うちわはイタリア人にも大好評! photo:Yoko Okumura
当初、100人から130人を予定していると聞いていたパーティの参加者は現地に着いてみると150人に増えており(※最終的に170人以上)、会場のサン・ミニアート、チゴリ地区の公民館のホールには椅子とテーブルがずらりと並べられました。さすがイタリアと言うべきか、こういう場所でも食事は着席でフルコースが振る舞われます。

「名誉のテーブル」の席次を考えるマヌエーレ・モーリ「名誉のテーブル」の席次を考えるマヌエーレ・モーリ photo:Yoko Okumuraディエゴ・ウリッシが会場に到着。モーリ引退写真集に見入っているディエゴ・ウリッシが会場に到着。モーリ引退写真集に見入っている photo:Yoko Okumura


2019年11月23日のパーティ当日、開始予定時刻は午後8時。応援バナーを壁に張り、歴代のチームジャージを飾り、会場の設営がようやく終わった頃、マヌエーレは受付で「名誉のテーブル(Tavolo d’onore)」の席次を考えていました。

「名誉のテーブル」とは会場の正面に設えられる主賓席で、今回は自転車ロードレースに携わる人々が座ります。テーブルの中央、マヌエーレの隣はこの十年間、専属アシストを務めてきたウリッシと兄貴分のバルトリです。他にベッティオールやサヴァティーニ、アントニオ・ニバリ、スバラーリ、UAEチーム・エミレーツ監督のリーギや親友のアントニーニ(元ワンティ)などの名前が並んでいます。

主賓のミケーレ・バルトリとディエゴ・ウリッシ主賓のミケーレ・バルトリとディエゴ・ウリッシ photo:Yoko Okumura
アルベルト・ベッティオール(右)とアントニオ・ニバリはマヌエーレの弟分だアルベルト・ベッティオール(右)とアントニオ・ニバリはマヌエーレの弟分だ photo:Yoko Okumura
午後八時少し前になって、ようやくゲストが到着し始めました。マヌエーレの写真集は私の自信作でしたが、バルトリやウリッシに手に取られるとさすがに緊張します。うちわもめずらしいようで大好評。テーブルの上には地元トスカーナ産のワインのボトルが並び、ケータリングを担当するリストランテのスタッフが前菜の載った皿を配って歩きます。この夜のメニューは、前菜の盛り合わせとトマトソースのペンネ、ポルチーニ茸のリゾット、そしてフィレンツェ風ステーキでした。

司会がマヌエーレ・モーリの経歴を紹介する司会がマヌエーレ・モーリの経歴を紹介する photo:Yoko Okumura全員のテーブルを回ってサインに応じるマヌエーレ・モーリ全員のテーブルを回ってサインに応じるマヌエーレ・モーリ photo:Yoko Okumura


ほぼ全員が席についた午後八時半過ぎ、グラスをフォークで鳴らして開会が告げられました。司会は地元のジャーナリストが務めます。マヌエーレの挨拶の後「名誉のテーブル」のゲストが紹介されますが、最初はみんな、食事と周りの人とのお喋りに忙しくてあまり聞いていません。その後は乾杯とスピーチを間に挟みながら、会は和やかに進行しました。

イタリアの自転車ファンは年配の人が多いので会場は和やかイタリアの自転車ファンは年配の人が多いので会場は和やか photo:Yoko Okumura
イタリアのパーティは深夜にかけて行われるのが普通なので、食事も夜11時頃まで続きます。途中、マヌエーレが全員のテーブルを挨拶して回ります。彼はサインや写真の要望に丁寧に応える人なので、皆に配ったうちわと写真集が大活躍でした。その後はビデオが上映され、2007年ジャパンカップの最終周回、マヌエーレが高々と両手を挙げてゴールに飛び込んでくると会場からは拍手がわきます。

食べて飲んで喋って笑って、パーティは深夜まで続く食べて飲んで喋って笑って、パーティは深夜まで続く photo:Yoko Okumura サン・ミニアートの功労者表彰を受けるマヌエーレ・モーリサン・ミニアートの功労者表彰を受けるマヌエーレ・モーリ photo:Yoko Okumura


ビデオ上映が終わった夜の11時過ぎ、サン・ミニアートの市長が会場を訪れ、マヌエーレに功労者表彰の記念品を手渡しました。この時のスピーチで期待の跡継ぎとして紹介されたのは兄マッシミリアーノ氏の息子で、このあたりはイタリアの自転車競技はまだまだ「男性のスポーツ」なのだと感じました。

市長(左)のスピーチ。その手前はマヌエーレの甥市長(左)のスピーチ。その手前はマヌエーレの甥 photo:Yoko Okumura
パーティが終わったのは深夜零時半過ぎでした。出口ではマヌエーレがゲストを送り出しながら、アルペシン・フェニックスのスバラーリ選手と一緒に立ち上げた自身のサイクリングウェア・ブランド「KM Cyclingwear(※記事の下部で紹介)」の宣伝に余念がありません。ゲストを送り出した後、会場ではモーリ家の人々全員の記念撮影が行われました。

KM Cyclingwearはクリスチャン(K)スバラーリとマヌエーレ(M)モーリが立ち上げた新しいサイクリングウェア・ブランドだKM Cyclingwearはクリスチャン(K)スバラーリとマヌエーレ(M)モーリが立ち上げた新しいサイクリングウェア・ブランドだ photo:Yoko Okumura
「良いパーティだった」と皆が言ってくれ、マヌエーレ自身も満足そうです。日本で人気があることは、イタリアの自転車選手として珍しくはあっても、特に誇らしいことではないだろうと思いながら応援を続けていた私ですが、その今までが報われた気がしました。

モーリ家3代全員の集合写真モーリ家3代全員の集合写真 photo:Yoko Okumura
この日の終わりに、彼が記念に持ち帰った応援バナーは、友人のろすモンさんが描いた似顔絵入りのバナーでした。KM Cyclingwearも将来的に日本でも販売したいそうで、マヌエーレと日本との縁はこれからも続きそうだと思った夜でした。

「気に入ったバナーがあればあげるよ」と言ったら、これを選んだ「気に入ったバナーがあればあげるよ」と言ったら、これを選んだ photo:Yoko Okumura


続く。

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Instagram:KMcyclingwear

photo&text:Yoko Okumura (Lucca)