2010/05/14(金) - 08:40
「今日は逃げますよ」。そう言い残してスタートラインに向かった新城幸也(Bboxブイグテレコム)。先にスタート地点を後にしてクルマを走らせていると、ラジオコルサ(競技無線)が鳴り響いた。「選手が一人アタック。現在独走中。番号は52番。ユキーヤ・アラシーロ!」
有言実行のエスケープ
イタリア3日目(2ステージ目)。オランダでは見られなかったキャラバン隊が到着し、ジロ・デ・イタリアは本来の姿を取り戻した。「ジロはスタートがチームバスの駐車場から遠いですね」。そう言ってユキヤはノヴァーラ中心部のスタート地点にやってきた。
選手たちのスタート前に出発してコース上で数回撮影しようと考えていたので、出走サインを済ませたユキヤにザックリと今日の展望を聞く。チームオーダーは基本的にボネのスプリント狙い?「いや、今日は逃げますよ」。ニヤリと軽くそう言って、ユキヤは集団の中に入って行った。
ノヴァーラの街を出て、水田の広がる平野を南に向かう。この地域一帯はお米の生産量がイタリアナンバーワンで、しかもリゾットの味もナンバーワンだそうだ(農家のおじさん談)。
慌ただしいラジオコルサを聞きながら、10km地点で集団を撮影する。ユキヤは集団の前から20番手あたりに位置している。撮影した時点では5名ほどが集団から飛び出していたが、しばらくして「グルッポ・コンパット(集団一つ)」という情報が入って来た。
集団を追い越すために高速道路のインターに向かってクルマを飛ばしていると、ラジオコルサが叫んだ。「選手が一人アタック。現在独走中。番号は52番。ユキーヤ・アラシーロ」。しかしその直後に無線が途切れてしまう。
現地ではラジオコルサが唯一の情報源だ。しかし無線の範囲はせいぜい半径5km以内。展開が分からず、やるせない気持ちを抱えたまま高速道路を南に向かった。
ゴールに直行したサイクルジャーナリストのグレゴー・ブラウンに電話しても繋がらない。止むなく日本でテキストライブを担当している小俣雄風太に電話して、ユキヤが逃げに乗っていることを確認する。ファウスト・コッピの生誕地で撮影する予定を変更し、中間スプリントポイントでユキヤを撮影することにした。
ユキヤを含む4名が、雷鳴轟くトルトナの街にやってきた。反射的に大声でユキヤに叫ぶ。何しろグランツールで逃げに乗っている日本人選手をこの目で見るのは初めてなので。
タイム差は5分、4分、3分、4分と推移した。「前半に大きなタイム差が開いたので、少しだけペースを弱めて調整しました」。その絶妙なペースコントロールが功を奏した。体力を温存し、後半にかけてペースアップを図った逃げグループは、スプリンターチームと真っ向勝負を繰り広げることになる。
中間スプリントポイント後も何とか2カ所で撮影し、某放送局の電話インタビューに応え、ゴール地点のノーヴィ・リグーレに到着。ゴール脇の大型スクリーンには、懸命に逃げ続ける3名の姿が映し出されていた。
手に汗握るとはこのことを言うのだろう。ジンワリと汗ばんだ手でカメラのセッティングを終え、ソワソワしながらゴールを待つ。イタリア人カメラマンたちは「10kmでタイム差1分か、まあ難しいわな」と、集団スプリントの構え。
しかしタイム差は縮まらない。ユキヤが最も長い時間逃げグループを牽いている。会場の実況も色めき立ち、「アラシーロ」の名前を連呼し始める、「フォルティッシモ(めちゃくちゃ強い)」という形容詞を添えて。
ラスト1200mで決死のアタック
迫り来る大集団を振り切って、ラスト1kmのアーチを前にユキヤが飛び立った。
ファインダーに写り込むユキヤの姿。先頭で最終ストレートを突っ走るBboxブイグテレコムジャージ。通常、望遠レンズで見ると遠近感が掴みにくいが、それでも集団が追いつかないことが見て取れた。
しかし違う系統のブルージャージがユキヤの前へ。ラスト200mで先頭に立ったジェローム・ピノー(フランス、クイックステップ)は、同じ逃げメンバーのジュリアン・フシャール(フランス、コフィディス)を抑え込んでゴール。ユキヤは少しうなだれた表情で、3番手でゴールラインを割った。
「今日のステージがラストチャンスだったかもしれないですよ!」悔しい表情を浮かべながら、ユキヤは開口一番そう語った。ほんの4時間前にインタビューしたばかりなのに、スタート前とは全く違う人物に見える。
結果だけを見れば、早めの仕掛けが凶と出たのかも知れない。早めに仕掛ける素直さが仇となったのかも知れない。「もう少し待てば」と言う人がいるかも知れない。しかし仮にユキヤがロングスパートを仕掛けず、3名のまま牽制状態に入っていれば、ほぼ確実に3名とも捕まって集団スプリントに持ち込まれていただろう。逃げを成功させた立役者は間違いなくユキヤだ。
「終盤は逃げグループを牽き続けました。他の2人(ピノーとフシャール)が牽制するのが分かっていたので、メイン集団が後ろに迫っていたし、とにかく逃げ切りたくて飛び出したんです。ピノーがすぐに後ろについて、コフィディスの選手も。でもあのアタックが無かったら、3人とも捕まっていた。でもさすがにあそこまで行ったら勝ちたかったですね!」
今回の逃げで、プロトン内での「要注意人物リスト」に名前が入ったことは間違いない。しかしユキヤは翌日から再び逃げでチャンスを狙う。
「勝つところを日本のファンのみんなに見せることが出来なくてごめんなさい!悔しいです。まだ5ステージが終わったばかりなので、またチャンスが回ってくると思います!また頑張ります!」
ユキヤのインタビューを終えてプレスセンターに向かって歩いていると、ユキヤと同じ逃げグループにいたポール・ヴォス(ドイツ、チームミルラム)が前からやってきたので話を聞く。「ユキヤの走りはどうだった?」と問うと「彼は本当に強かった。特に終盤、集団とのスピード勝負になってからは、本当に強力な走りで逃げグループの前を牽き続けていたんだ。とても冷静で、ベテランのようだった」と舌を巻いていた。
興奮冷めやらぬ中、少しふわふわした足取りでプレスセンターに到着。各国のジャーナリストやフォトグラファーがラップトップと怖い顔でにらめっこしているその横で、ステージ優勝者ジェローム・ピノー(フランス、クイックステップ)の記者会見が始まった。こちらは一刻も早くフォトギャラリーに写真をアップするべく記者会見はパスしたが、自然とその声が耳に入ってくる。「日本のアラシロはとても強かった。でも少し飛び出すのが早かったようだ」。その言葉を聞いて悔しさが倍増した。
スカイプをオンにして日本にいる家族とコンタクトを取っていると、何かの線が切れたのか、悔し涙が溢れ出て来た。本能的に悔しさが嬉しさを上回った。きっと日本でも同じ心境のファンが大勢いるに違いない。
グランツールのステージ優勝は、もうすぐそこにある。ユキヤの闘いはまだ始まったばかりだ。
text&photo:Kei Tsuji
有言実行のエスケープ
イタリア3日目(2ステージ目)。オランダでは見られなかったキャラバン隊が到着し、ジロ・デ・イタリアは本来の姿を取り戻した。「ジロはスタートがチームバスの駐車場から遠いですね」。そう言ってユキヤはノヴァーラ中心部のスタート地点にやってきた。
選手たちのスタート前に出発してコース上で数回撮影しようと考えていたので、出走サインを済ませたユキヤにザックリと今日の展望を聞く。チームオーダーは基本的にボネのスプリント狙い?「いや、今日は逃げますよ」。ニヤリと軽くそう言って、ユキヤは集団の中に入って行った。
ノヴァーラの街を出て、水田の広がる平野を南に向かう。この地域一帯はお米の生産量がイタリアナンバーワンで、しかもリゾットの味もナンバーワンだそうだ(農家のおじさん談)。
慌ただしいラジオコルサを聞きながら、10km地点で集団を撮影する。ユキヤは集団の前から20番手あたりに位置している。撮影した時点では5名ほどが集団から飛び出していたが、しばらくして「グルッポ・コンパット(集団一つ)」という情報が入って来た。
集団を追い越すために高速道路のインターに向かってクルマを飛ばしていると、ラジオコルサが叫んだ。「選手が一人アタック。現在独走中。番号は52番。ユキーヤ・アラシーロ」。しかしその直後に無線が途切れてしまう。
現地ではラジオコルサが唯一の情報源だ。しかし無線の範囲はせいぜい半径5km以内。展開が分からず、やるせない気持ちを抱えたまま高速道路を南に向かった。
ゴールに直行したサイクルジャーナリストのグレゴー・ブラウンに電話しても繋がらない。止むなく日本でテキストライブを担当している小俣雄風太に電話して、ユキヤが逃げに乗っていることを確認する。ファウスト・コッピの生誕地で撮影する予定を変更し、中間スプリントポイントでユキヤを撮影することにした。
ユキヤを含む4名が、雷鳴轟くトルトナの街にやってきた。反射的に大声でユキヤに叫ぶ。何しろグランツールで逃げに乗っている日本人選手をこの目で見るのは初めてなので。
タイム差は5分、4分、3分、4分と推移した。「前半に大きなタイム差が開いたので、少しだけペースを弱めて調整しました」。その絶妙なペースコントロールが功を奏した。体力を温存し、後半にかけてペースアップを図った逃げグループは、スプリンターチームと真っ向勝負を繰り広げることになる。
中間スプリントポイント後も何とか2カ所で撮影し、某放送局の電話インタビューに応え、ゴール地点のノーヴィ・リグーレに到着。ゴール脇の大型スクリーンには、懸命に逃げ続ける3名の姿が映し出されていた。
手に汗握るとはこのことを言うのだろう。ジンワリと汗ばんだ手でカメラのセッティングを終え、ソワソワしながらゴールを待つ。イタリア人カメラマンたちは「10kmでタイム差1分か、まあ難しいわな」と、集団スプリントの構え。
しかしタイム差は縮まらない。ユキヤが最も長い時間逃げグループを牽いている。会場の実況も色めき立ち、「アラシーロ」の名前を連呼し始める、「フォルティッシモ(めちゃくちゃ強い)」という形容詞を添えて。
ラスト1200mで決死のアタック
迫り来る大集団を振り切って、ラスト1kmのアーチを前にユキヤが飛び立った。
ファインダーに写り込むユキヤの姿。先頭で最終ストレートを突っ走るBboxブイグテレコムジャージ。通常、望遠レンズで見ると遠近感が掴みにくいが、それでも集団が追いつかないことが見て取れた。
しかし違う系統のブルージャージがユキヤの前へ。ラスト200mで先頭に立ったジェローム・ピノー(フランス、クイックステップ)は、同じ逃げメンバーのジュリアン・フシャール(フランス、コフィディス)を抑え込んでゴール。ユキヤは少しうなだれた表情で、3番手でゴールラインを割った。
「今日のステージがラストチャンスだったかもしれないですよ!」悔しい表情を浮かべながら、ユキヤは開口一番そう語った。ほんの4時間前にインタビューしたばかりなのに、スタート前とは全く違う人物に見える。
結果だけを見れば、早めの仕掛けが凶と出たのかも知れない。早めに仕掛ける素直さが仇となったのかも知れない。「もう少し待てば」と言う人がいるかも知れない。しかし仮にユキヤがロングスパートを仕掛けず、3名のまま牽制状態に入っていれば、ほぼ確実に3名とも捕まって集団スプリントに持ち込まれていただろう。逃げを成功させた立役者は間違いなくユキヤだ。
「終盤は逃げグループを牽き続けました。他の2人(ピノーとフシャール)が牽制するのが分かっていたので、メイン集団が後ろに迫っていたし、とにかく逃げ切りたくて飛び出したんです。ピノーがすぐに後ろについて、コフィディスの選手も。でもあのアタックが無かったら、3人とも捕まっていた。でもさすがにあそこまで行ったら勝ちたかったですね!」
今回の逃げで、プロトン内での「要注意人物リスト」に名前が入ったことは間違いない。しかしユキヤは翌日から再び逃げでチャンスを狙う。
「勝つところを日本のファンのみんなに見せることが出来なくてごめんなさい!悔しいです。まだ5ステージが終わったばかりなので、またチャンスが回ってくると思います!また頑張ります!」
ユキヤのインタビューを終えてプレスセンターに向かって歩いていると、ユキヤと同じ逃げグループにいたポール・ヴォス(ドイツ、チームミルラム)が前からやってきたので話を聞く。「ユキヤの走りはどうだった?」と問うと「彼は本当に強かった。特に終盤、集団とのスピード勝負になってからは、本当に強力な走りで逃げグループの前を牽き続けていたんだ。とても冷静で、ベテランのようだった」と舌を巻いていた。
興奮冷めやらぬ中、少しふわふわした足取りでプレスセンターに到着。各国のジャーナリストやフォトグラファーがラップトップと怖い顔でにらめっこしているその横で、ステージ優勝者ジェローム・ピノー(フランス、クイックステップ)の記者会見が始まった。こちらは一刻も早くフォトギャラリーに写真をアップするべく記者会見はパスしたが、自然とその声が耳に入ってくる。「日本のアラシロはとても強かった。でも少し飛び出すのが早かったようだ」。その言葉を聞いて悔しさが倍増した。
スカイプをオンにして日本にいる家族とコンタクトを取っていると、何かの線が切れたのか、悔し涙が溢れ出て来た。本能的に悔しさが嬉しさを上回った。きっと日本でも同じ心境のファンが大勢いるに違いない。
グランツールのステージ優勝は、もうすぐそこにある。ユキヤの闘いはまだ始まったばかりだ。
text&photo:Kei Tsuji
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