2010/04/18(日) - 16:46
4月10日(土)、愛知県豊橋市の万場調整池で、日本障害者自転車協会らが主催する「2010日本障害者自転車競技大会・日本パラサイクリング選手権」のロード タイムトライアル競技が行われた。昨年の世界戦で負傷した石井雅史らも復帰し、元気な姿を魅せてくれた。
国際基準に準して導入された新クラス分け
種目は個人ロードタイムトライアルのみで、1周2.75kmの長方形のダム湖を周回する平坦なコースを、クラスごとに3~8周するレースだ。
今回のエントリーは二輪を中心とした17人(タンデムパイロットを含む)。強化選手、ベテラン、ジュニアなど幅広い層の参加者によるアットホームな大会となった。2007年大会に続き、このコースでの同大会の開催は2度目。続けて参加している選手たちにとっては、自分の走りを確認する良い機会ともなったようだ。
2010年からUCIのパラサイクリングの障害クラス分けの規定が変更されたため、この大会でのクラス分けも、今回から国際基準に準ずる形に変更された。
以下、[ ]内の各選手の新クラス分けは、すべて国内での暫定クラス。新しいクラス分けについては後述する。
中堅選手らが着実に健闘する
ハンドサイクルのベテラン奥村直彦[新障害クラスH-3]は、安定した走りで6周16.5kmを27分09秒98と、2007年の同コースでの自分のタイムを4分近く縮めた。奥村はスポニチ佐渡ロングライドにハンドサイクルで参戦するなど、走る場所を自分で見つけては自然体で出かけていく開拓心ある選手のひとりである。
奥村は言う「向かい風で4、5周目はきつかったですが、あとはいい感じ。自分が思っていたよりもかなりいいタイムでした。秋にはドイツのマラソン大会へ出場を考えています」。
2009年のUCIパラサイクリングトラック世界選手権で、LC3クラス男子1kmTTでアルカンシエルを獲得した藤田征樹[C-3]も、2007年のこのコースでの自分のタイムを1分半以上縮めた。
藤田「今日はどれだけ踏めるか、トレーニングの成果をはかるために来ましたが、この時期にしてはまずまずという手応えがありました。トラックをメインにやっているので、直距離よりもこのぐらい(6周16.5km)の距離は、いい感じでした。
今年も、健常者の全日本実業団のトラック大会に、チーム・チェブロの選手として1kmTTと個人追抜にエントリーの予定です。去年はぼろぼろでしたが、今年はワンパンチくらわせたいです!」と、負けずぎらいの藤田らしいコメント。今シーズンもやる気十分だ。
石井、大城らもケガからの回復経過は順調
2009年9月にイタリア・ボゴーニョで行われたUCIパラサイクリング世界選手権ロードでの競技中の落車で重傷を負った石井雅史[C-5]にとっては、これが怪我の後の初レースでもある。右手の握力などにまだ影響は残るものの、順調に競技復帰へと向かっていることを感じさせる、スムーズな走りだ。
8周・22kmを07年より約1分遅れの32分26秒49で走り、C-5クラス1位となった。
石井はやんちゃな笑顔を見せて言う「今日のレースで、筋力が落ちているのを実感しました。競技中心に走れるよう、戻していきたい。トレーニングが必要ですね。競輪場でのスピード練習もまだ足りない。でも、乗れることが分かって、よかった…(笑)。早く戻して、クラブのみんなと楽しく走りたいです。ちぎり合いでないと、走って楽しくないですから!」
また、2009年8月の練習中に鎖骨を骨折し、残念ながら11月のUCIパラサイクリングトラック世界選手権(英国・マンチェスター)は欠場となってしまった大城竜之[B]や、約1年前の事故の外傷で療養中だった小川睦彦[T-2]らも出走し、まだ完全ではないというものの、順調な回復ぶりをアピール。北京パラリンピックのあと久々に、2010年春現在のパラサイクリング日本チーム強化選手5名が顔を揃えたことになる。
「外で走ったのは久しぶりですが、ギアが重いという感じがしなかった。順調、だと思います!」と小川。
大城も「まだ骨折箇所にはプレートが入っていますが、自転車で走るのは、ほぼ大丈夫になってきました」。タイムは07年にやや及ばないものの、前回と同じ高橋仁をパイロットに、立哨の大会役員も感心するような、安定感あるきれいな走りを見せていた。
市民サイクリストたちも、おおいに力走!
この大会に出場しているのは、ナショナルジャージを目指す選手たちばかりではない。自分の目標や楽しみを見つけ、遠路はるばる参加している選手たちも多い。
自分自身の目標を見つめて、懸命な走りを見せている参加者の一人が、二輪で最も障害の重いクラスに出場した西山克哉[C-1]だ。07年はハンドサイクルで参加した。以前も二輪で出場した大会で「三輪も出られますけど、二輪に乗りたいので…」と笑顔で語っていた西山。走る姿やゴール後の笑顔から、走ることが本当に幸せ…という気持ちが伝わってくるサイクリストだ。
「もう限界かと思ったけど、タイムが上がったのがすごくうれしかった。1年の努力が報われました」と、見ているほうが幸せになるような、くしゃっとした笑顔を見せていた。
「感想なんて聞かれるの、初めてで…」と緊張した顔で言うのは今大会の最年少、16歳の楠広太郎[C-2]だ。自分の言葉を探しながら、「目標タイムは…はい、達成しました!」と、一生懸命答えてくれた。
日本障害者自転車競技大会のトラック競技は、5月8日(土)に静岡県伊豆市の日本サイクルスポーツセンターで、日本学生自転車競技連盟の大会との共催で行われる予定だ。
新クラス分けとは?
UCIのパラサイクリングの障害クラス分けが変更になり、ロード・トラックともに、いくつかのクラスでは選手構成の大きな変化が予想される。三輪使用の「T1~T2」、視覚障害タンデムの「B」、ハンドサイクルの「H1~H4」には旧クラス分けからの大幅な変更はないが、二輪単座のクラスは、切断や脳性麻痺といった障害の種類別ではなく、運動機能の視点から「C1~C5」に統合再編される。
この日本障害者自転車競技大会は、国際大会を走る選手と同時に、障害を持つ一般サイクリストも対象に開催されており、エリート競技と普及の二つの目的をあわせ持つ大会だ。今回の各選手の出場クラスについては、国際基準ではなく現在の日本国内でのクラス分け基準に基づいた「暫定的なクラス分け」となる。
「怪我でうまくリセットして、いい再スタートが切れて良かった」
復帰後初レースの石井雅史のコメント
「昨年大きな怪我をして、また自転車に乗れるのかなあ…なんてことも思いました。今日は走りながら、イタリアのこととか、いろいろなことを思い出しちゃいましたね。
怪我でうまくリセットして、チャレンジ精神が出てきて、いち選手としてスタートが切れて、よかったという気持ちでいます。北京パラリンピックでメダルを穫ったことで、いろいろな意味で自分のキャパをオーバーしていた、と思うので。過去のことは過去のことで、あれは自分で穫ったというより、チームで穫ったメダルだと思っています。
自分の気持ちが上を向いていて、みんなの支えがあって、走れる場があるというのが、本当の喜びですね。怪我で、干されちゃっても仕方ないのに、みんなに暖かく迎えていただいて。ありがたいです。
昨年の入院の際には、いろいろなみなさんから、たくさんのカンパをお寄せいただき、おかげでとても助かりました。保険では補えない経費もありましたので。どうやってお礼を言ったら…と思っていました。ありがとうございました」
photo&text: Yuko SATO
国際基準に準して導入された新クラス分け
種目は個人ロードタイムトライアルのみで、1周2.75kmの長方形のダム湖を周回する平坦なコースを、クラスごとに3~8周するレースだ。
今回のエントリーは二輪を中心とした17人(タンデムパイロットを含む)。強化選手、ベテラン、ジュニアなど幅広い層の参加者によるアットホームな大会となった。2007年大会に続き、このコースでの同大会の開催は2度目。続けて参加している選手たちにとっては、自分の走りを確認する良い機会ともなったようだ。
2010年からUCIのパラサイクリングの障害クラス分けの規定が変更されたため、この大会でのクラス分けも、今回から国際基準に準ずる形に変更された。
以下、[ ]内の各選手の新クラス分けは、すべて国内での暫定クラス。新しいクラス分けについては後述する。
中堅選手らが着実に健闘する
ハンドサイクルのベテラン奥村直彦[新障害クラスH-3]は、安定した走りで6周16.5kmを27分09秒98と、2007年の同コースでの自分のタイムを4分近く縮めた。奥村はスポニチ佐渡ロングライドにハンドサイクルで参戦するなど、走る場所を自分で見つけては自然体で出かけていく開拓心ある選手のひとりである。
奥村は言う「向かい風で4、5周目はきつかったですが、あとはいい感じ。自分が思っていたよりもかなりいいタイムでした。秋にはドイツのマラソン大会へ出場を考えています」。
2009年のUCIパラサイクリングトラック世界選手権で、LC3クラス男子1kmTTでアルカンシエルを獲得した藤田征樹[C-3]も、2007年のこのコースでの自分のタイムを1分半以上縮めた。
藤田「今日はどれだけ踏めるか、トレーニングの成果をはかるために来ましたが、この時期にしてはまずまずという手応えがありました。トラックをメインにやっているので、直距離よりもこのぐらい(6周16.5km)の距離は、いい感じでした。
今年も、健常者の全日本実業団のトラック大会に、チーム・チェブロの選手として1kmTTと個人追抜にエントリーの予定です。去年はぼろぼろでしたが、今年はワンパンチくらわせたいです!」と、負けずぎらいの藤田らしいコメント。今シーズンもやる気十分だ。
石井、大城らもケガからの回復経過は順調
2009年9月にイタリア・ボゴーニョで行われたUCIパラサイクリング世界選手権ロードでの競技中の落車で重傷を負った石井雅史[C-5]にとっては、これが怪我の後の初レースでもある。右手の握力などにまだ影響は残るものの、順調に競技復帰へと向かっていることを感じさせる、スムーズな走りだ。
8周・22kmを07年より約1分遅れの32分26秒49で走り、C-5クラス1位となった。
石井はやんちゃな笑顔を見せて言う「今日のレースで、筋力が落ちているのを実感しました。競技中心に走れるよう、戻していきたい。トレーニングが必要ですね。競輪場でのスピード練習もまだ足りない。でも、乗れることが分かって、よかった…(笑)。早く戻して、クラブのみんなと楽しく走りたいです。ちぎり合いでないと、走って楽しくないですから!」
また、2009年8月の練習中に鎖骨を骨折し、残念ながら11月のUCIパラサイクリングトラック世界選手権(英国・マンチェスター)は欠場となってしまった大城竜之[B]や、約1年前の事故の外傷で療養中だった小川睦彦[T-2]らも出走し、まだ完全ではないというものの、順調な回復ぶりをアピール。北京パラリンピックのあと久々に、2010年春現在のパラサイクリング日本チーム強化選手5名が顔を揃えたことになる。
「外で走ったのは久しぶりですが、ギアが重いという感じがしなかった。順調、だと思います!」と小川。
大城も「まだ骨折箇所にはプレートが入っていますが、自転車で走るのは、ほぼ大丈夫になってきました」。タイムは07年にやや及ばないものの、前回と同じ高橋仁をパイロットに、立哨の大会役員も感心するような、安定感あるきれいな走りを見せていた。
市民サイクリストたちも、おおいに力走!
この大会に出場しているのは、ナショナルジャージを目指す選手たちばかりではない。自分の目標や楽しみを見つけ、遠路はるばる参加している選手たちも多い。
自分自身の目標を見つめて、懸命な走りを見せている参加者の一人が、二輪で最も障害の重いクラスに出場した西山克哉[C-1]だ。07年はハンドサイクルで参加した。以前も二輪で出場した大会で「三輪も出られますけど、二輪に乗りたいので…」と笑顔で語っていた西山。走る姿やゴール後の笑顔から、走ることが本当に幸せ…という気持ちが伝わってくるサイクリストだ。
「もう限界かと思ったけど、タイムが上がったのがすごくうれしかった。1年の努力が報われました」と、見ているほうが幸せになるような、くしゃっとした笑顔を見せていた。
「感想なんて聞かれるの、初めてで…」と緊張した顔で言うのは今大会の最年少、16歳の楠広太郎[C-2]だ。自分の言葉を探しながら、「目標タイムは…はい、達成しました!」と、一生懸命答えてくれた。
日本障害者自転車競技大会のトラック競技は、5月8日(土)に静岡県伊豆市の日本サイクルスポーツセンターで、日本学生自転車競技連盟の大会との共催で行われる予定だ。
新クラス分けとは?
UCIのパラサイクリングの障害クラス分けが変更になり、ロード・トラックともに、いくつかのクラスでは選手構成の大きな変化が予想される。三輪使用の「T1~T2」、視覚障害タンデムの「B」、ハンドサイクルの「H1~H4」には旧クラス分けからの大幅な変更はないが、二輪単座のクラスは、切断や脳性麻痺といった障害の種類別ではなく、運動機能の視点から「C1~C5」に統合再編される。
この日本障害者自転車競技大会は、国際大会を走る選手と同時に、障害を持つ一般サイクリストも対象に開催されており、エリート競技と普及の二つの目的をあわせ持つ大会だ。今回の各選手の出場クラスについては、国際基準ではなく現在の日本国内でのクラス分け基準に基づいた「暫定的なクラス分け」となる。
「怪我でうまくリセットして、いい再スタートが切れて良かった」
復帰後初レースの石井雅史のコメント
「昨年大きな怪我をして、また自転車に乗れるのかなあ…なんてことも思いました。今日は走りながら、イタリアのこととか、いろいろなことを思い出しちゃいましたね。
怪我でうまくリセットして、チャレンジ精神が出てきて、いち選手としてスタートが切れて、よかったという気持ちでいます。北京パラリンピックでメダルを穫ったことで、いろいろな意味で自分のキャパをオーバーしていた、と思うので。過去のことは過去のことで、あれは自分で穫ったというより、チームで穫ったメダルだと思っています。
自分の気持ちが上を向いていて、みんなの支えがあって、走れる場があるというのが、本当の喜びですね。怪我で、干されちゃっても仕方ないのに、みんなに暖かく迎えていただいて。ありがたいです。
昨年の入院の際には、いろいろなみなさんから、たくさんのカンパをお寄せいただき、おかげでとても助かりました。保険では補えない経費もありましたので。どうやってお礼を言ったら…と思っていました。ありがとうございました」
photo&text: Yuko SATO