2019/05/12(日) - 15:22
サンルーカ聖母教会で初めてマリアローザを着たログリッチェと、スタート前の体調急変に対応できずにタイムオーバーとなった西村大輝。総合争いにおいても、日本人選手の完走においても早速大きな動きが出たジロ・デ・イタリア第1ステージを振り返ります。
前々日の時点で、レース当日は午後8時ごろから雨が降るという予報が出ていた。しかも、小雨ではなく嵐のような雨が降るという予報が出ていたため、有力選手たちは示し合わせたかのように揃って前半スタートを選択した。その結果、2017年の総合優勝者で、ステージ優勝候補のトム・デュムラン(オランダ、サンウェブ)が第1走という異例の事態に。通常であればレース後半にかけて観客の数が増え、会場のボルテージが上がって行くが、この日ばかりは天気が下り坂ということもあり、後半にかけて観客の数が減り、徐々に歓声も薄くなっていくという奇妙な現象が発生した。
蓋を開けてみると、ボローニャへの雨雲の到来が遅れたため、全ての選手が、風の強さに差こそあれ、ほぼ同じドライコンディションの中を走ることとなった。そしてレースが終わって1時間が経ってから、ボローニャは強風を伴う強い雨に包まれた。降り始めがあと1時間早ければ、確実に最後から3番手スタートのサイモン・イェーツ(イギリス、ミッチェルトン・スコット)は煽りを食らっていた。
エミリア=ロマーニャ州のボローニャと言えばポルティコと呼ばれる柱廊が名物。建物の前面にある歩道がアーチ状の屋根に覆われているのが特徴で、建物の床面積を広げるとともに風雨や太陽から歩行者を守る役割を果たしている。サンルーカ聖母教会(サントゥアリオ・デッラ・マドンナ・ディ・サンルーカ)に至る参道にもポルティチ(ポルティコの複数形)が延々と続いており、麓から頂上までのアーチの数は666本。レースはこのポルティチを数回またぎながら標高を上げていく。
ざっくりと距離2kmで標高差200mを登るサンルーカは秋のジロ・デッレミリアではお馴染みの登り(5回も登る!)で、ジロに登場するのはこれが4回目。最後に登場した2009年には、若きクリストファー・フルーム(イギリス、当時バルロワールド)を下したサイモン・ゲランス(オーストラリア、当時サーヴェロ)がステージ優勝している。
アスタナのトレーナーの試算によると、距離2.1kmの登りをノーマルバイクとTTバイクで走った場合に10秒の差が生まれる。しかし前半の平坦区間ではTTバイクがノーマルバイクよりも1kmにつき3〜4秒早くなる計算で、TTバイクがおよそ18〜24秒のリードを奪える。そのため、計算上はサンルーカの麓でTTバイクからノーマルバイクに乗り換えるのが一番速い。
そこでUCIコミッセールはバイク交換をする想定で、サンルーカの麓の鋭角右コーナー手前50mにバイクチェンジングゾーンを設けた。コース脇で待っていたスタッフからバイクを受け取るのではなく、チームカーに搭載したスペアバイクに乗り換えるのが条件で、再スタート時のメカニックによる「押し」も10mまでに指定。しかしこの日は1分間隔のスタートでしかも選手のレベルが入り混じっているため、スタートから6km走った時点で前走者や後続との距離が詰まっている可能性もあり、バイク交換は何かとリスクを伴う。そのため実際に実行に移した選手の数は限られた。
レース主催者はサンルーカは3級山岳に指定。麓の計測ポイントからフィニッシュまでの所要時間(つまり登坂タイム)をもとに争われるもので、前半の平坦路を脚をためながら流して走り、後半の登坂で約5分間全開走行すればマリアアッズーラ獲得のチャンスがある。そして見事にその作戦を実行に移し、最速登坂タイムをマークしたジュリオ・チッコーネ(イタリア、トレック・セガフレード)がマリアアッズーラを射止めた。1年前のジロの山岳ステージで連日のように逃げながらもフルームに17ポイント届かずに山岳賞を逃したチッコーネ。今年も山岳ステージを盛り上げる存在になりそうだ。
ステージ8位に入ったローレンス・デプルス(ベルギー、ユンボ・ヴィズマ)は平均出力435W(体重67kg)で8kmコースを走りきった。3級山岳サンルーカに限定すると約6分間480W。それだけ出力してもトップと35秒差がついた。プリモシュ・ログリッチェ(スロベニア、ユンボ・ヴィズマ)の好調ぶりが頭一つ抜けだしていることがわかる。
前半の平坦区間をヴィンチェンツォ・ニバリ(イタリア、バーレーン・メリダ)より4秒、デュムランより11秒、Sイェーツより18秒速く走ったログリッチェは、3級山岳サンルーカでさらにそのリードを拡大した。登坂タイムだけを見ると、最速チッコーネには3秒届かなかったものの、ログリッチェはSイェーツより1秒、デュムランより17秒、ニバリより19秒速い登坂タイムを叩き出している。今回は距離8kmという短い個人タイムトライアルだったが、同じような山岳コースで距離が34.8kmと長い第9ステージの個人タイムトライアルではもっともっと大きなタイム差がつくことも考えられる。
ログリッチェがグランツールで総合リーダーの座につくのは初めてのこと。ブエルタ・ア・エスパーニャではヤネス・ブライコヴィッチ(スロベニア)が合計3日間リーダージャージを着用しているが、スロベニア人選手がマリアローザを着用するのはこれが初めて。
ログリッチェ自身が記者会見で触れたように、1990年にジャンニ・ブーニョ(イタリア)が達成している「初日から最終日までマリアローザ」という偉業を達成してしまえるんじゃないかという勢い。当時ブーニョは初日の13km個人タイムトライアルで優勝し、その後ステージ2勝を飾って総合優勝。最終日前日の個人タイムトライアルでの圧勝により、最終的に総合2位に6分33秒をつけてミラノに凱旋している。
ルールブックを開くと、この日のタイムリミットはステージ優勝者(ログリッチェ)の優勝タイム(12分54秒)のプラス30%とある。つまりフィニッシュタイム16分46秒、ログリッチェから3分52秒遅れまでの選手が翌日の第2ステージに進むことができる。
西村大輝(NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ)はこのタイムリミット内にフィニッシュにたどり着くことができなかった。前日のインタビュー時には、もちろん緊張するそぶりを見せながらもまだ余裕を見せていた西村だったが、(一般人には想像もできないほどの)緊張やストレスが原因なのかそれとも他の要因からか、レース開始が近づくと体調が急変した。サンルーカの登りを走る西村の姿に、勢いというものを感じることができなかった。近代グランツールでの大会初日タイムオーバーは1985年ツール・ド・フランスのフォン・デウォルフ(ベルギー)以来2人目となる。
「朝の時点では問題なかったんですが、ローラーでウォーミングアップし始めた段階から体調が急変して、自分の身体じゃないと思うほど踏めなくなった。自分でもびっくりするぐらい汗が出て、メーターが壊れてるんじゃないかと思うほど心拍数も上がって、息もうまく吸えない状態。結果的にありえない走りになってしまった」。西村はそう言って、メンバーに抜擢したチームや関係者、スポンサーに謝罪した。
西村のジロが早くも終わってしまった。大会初日でのリタイアに厳しい声が飛ぶのは容易に想像できるが、ここまで人一倍苦しいキャリアを積んできた24歳が、おそらく無限のように感じたはずの8kmを糧にし、再びこの大舞台に戻ってくることを切に願っているのは自分だけではないはず。西村のいないジロが、翌日、トスカーナ州に向かって南下を開始する。
text&photo:Kei Tsuji in Bologna, Italy
前々日の時点で、レース当日は午後8時ごろから雨が降るという予報が出ていた。しかも、小雨ではなく嵐のような雨が降るという予報が出ていたため、有力選手たちは示し合わせたかのように揃って前半スタートを選択した。その結果、2017年の総合優勝者で、ステージ優勝候補のトム・デュムラン(オランダ、サンウェブ)が第1走という異例の事態に。通常であればレース後半にかけて観客の数が増え、会場のボルテージが上がって行くが、この日ばかりは天気が下り坂ということもあり、後半にかけて観客の数が減り、徐々に歓声も薄くなっていくという奇妙な現象が発生した。
蓋を開けてみると、ボローニャへの雨雲の到来が遅れたため、全ての選手が、風の強さに差こそあれ、ほぼ同じドライコンディションの中を走ることとなった。そしてレースが終わって1時間が経ってから、ボローニャは強風を伴う強い雨に包まれた。降り始めがあと1時間早ければ、確実に最後から3番手スタートのサイモン・イェーツ(イギリス、ミッチェルトン・スコット)は煽りを食らっていた。
エミリア=ロマーニャ州のボローニャと言えばポルティコと呼ばれる柱廊が名物。建物の前面にある歩道がアーチ状の屋根に覆われているのが特徴で、建物の床面積を広げるとともに風雨や太陽から歩行者を守る役割を果たしている。サンルーカ聖母教会(サントゥアリオ・デッラ・マドンナ・ディ・サンルーカ)に至る参道にもポルティチ(ポルティコの複数形)が延々と続いており、麓から頂上までのアーチの数は666本。レースはこのポルティチを数回またぎながら標高を上げていく。
ざっくりと距離2kmで標高差200mを登るサンルーカは秋のジロ・デッレミリアではお馴染みの登り(5回も登る!)で、ジロに登場するのはこれが4回目。最後に登場した2009年には、若きクリストファー・フルーム(イギリス、当時バルロワールド)を下したサイモン・ゲランス(オーストラリア、当時サーヴェロ)がステージ優勝している。
アスタナのトレーナーの試算によると、距離2.1kmの登りをノーマルバイクとTTバイクで走った場合に10秒の差が生まれる。しかし前半の平坦区間ではTTバイクがノーマルバイクよりも1kmにつき3〜4秒早くなる計算で、TTバイクがおよそ18〜24秒のリードを奪える。そのため、計算上はサンルーカの麓でTTバイクからノーマルバイクに乗り換えるのが一番速い。
そこでUCIコミッセールはバイク交換をする想定で、サンルーカの麓の鋭角右コーナー手前50mにバイクチェンジングゾーンを設けた。コース脇で待っていたスタッフからバイクを受け取るのではなく、チームカーに搭載したスペアバイクに乗り換えるのが条件で、再スタート時のメカニックによる「押し」も10mまでに指定。しかしこの日は1分間隔のスタートでしかも選手のレベルが入り混じっているため、スタートから6km走った時点で前走者や後続との距離が詰まっている可能性もあり、バイク交換は何かとリスクを伴う。そのため実際に実行に移した選手の数は限られた。
レース主催者はサンルーカは3級山岳に指定。麓の計測ポイントからフィニッシュまでの所要時間(つまり登坂タイム)をもとに争われるもので、前半の平坦路を脚をためながら流して走り、後半の登坂で約5分間全開走行すればマリアアッズーラ獲得のチャンスがある。そして見事にその作戦を実行に移し、最速登坂タイムをマークしたジュリオ・チッコーネ(イタリア、トレック・セガフレード)がマリアアッズーラを射止めた。1年前のジロの山岳ステージで連日のように逃げながらもフルームに17ポイント届かずに山岳賞を逃したチッコーネ。今年も山岳ステージを盛り上げる存在になりそうだ。
ステージ8位に入ったローレンス・デプルス(ベルギー、ユンボ・ヴィズマ)は平均出力435W(体重67kg)で8kmコースを走りきった。3級山岳サンルーカに限定すると約6分間480W。それだけ出力してもトップと35秒差がついた。プリモシュ・ログリッチェ(スロベニア、ユンボ・ヴィズマ)の好調ぶりが頭一つ抜けだしていることがわかる。
前半の平坦区間をヴィンチェンツォ・ニバリ(イタリア、バーレーン・メリダ)より4秒、デュムランより11秒、Sイェーツより18秒速く走ったログリッチェは、3級山岳サンルーカでさらにそのリードを拡大した。登坂タイムだけを見ると、最速チッコーネには3秒届かなかったものの、ログリッチェはSイェーツより1秒、デュムランより17秒、ニバリより19秒速い登坂タイムを叩き出している。今回は距離8kmという短い個人タイムトライアルだったが、同じような山岳コースで距離が34.8kmと長い第9ステージの個人タイムトライアルではもっともっと大きなタイム差がつくことも考えられる。
ログリッチェがグランツールで総合リーダーの座につくのは初めてのこと。ブエルタ・ア・エスパーニャではヤネス・ブライコヴィッチ(スロベニア)が合計3日間リーダージャージを着用しているが、スロベニア人選手がマリアローザを着用するのはこれが初めて。
ログリッチェ自身が記者会見で触れたように、1990年にジャンニ・ブーニョ(イタリア)が達成している「初日から最終日までマリアローザ」という偉業を達成してしまえるんじゃないかという勢い。当時ブーニョは初日の13km個人タイムトライアルで優勝し、その後ステージ2勝を飾って総合優勝。最終日前日の個人タイムトライアルでの圧勝により、最終的に総合2位に6分33秒をつけてミラノに凱旋している。
ルールブックを開くと、この日のタイムリミットはステージ優勝者(ログリッチェ)の優勝タイム(12分54秒)のプラス30%とある。つまりフィニッシュタイム16分46秒、ログリッチェから3分52秒遅れまでの選手が翌日の第2ステージに進むことができる。
西村大輝(NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ)はこのタイムリミット内にフィニッシュにたどり着くことができなかった。前日のインタビュー時には、もちろん緊張するそぶりを見せながらもまだ余裕を見せていた西村だったが、(一般人には想像もできないほどの)緊張やストレスが原因なのかそれとも他の要因からか、レース開始が近づくと体調が急変した。サンルーカの登りを走る西村の姿に、勢いというものを感じることができなかった。近代グランツールでの大会初日タイムオーバーは1985年ツール・ド・フランスのフォン・デウォルフ(ベルギー)以来2人目となる。
「朝の時点では問題なかったんですが、ローラーでウォーミングアップし始めた段階から体調が急変して、自分の身体じゃないと思うほど踏めなくなった。自分でもびっくりするぐらい汗が出て、メーターが壊れてるんじゃないかと思うほど心拍数も上がって、息もうまく吸えない状態。結果的にありえない走りになってしまった」。西村はそう言って、メンバーに抜擢したチームや関係者、スポンサーに謝罪した。
西村のジロが早くも終わってしまった。大会初日でのリタイアに厳しい声が飛ぶのは容易に想像できるが、ここまで人一倍苦しいキャリアを積んできた24歳が、おそらく無限のように感じたはずの8kmを糧にし、再びこの大舞台に戻ってくることを切に願っているのは自分だけではないはず。西村のいないジロが、翌日、トスカーナ州に向かって南下を開始する。
text&photo:Kei Tsuji in Bologna, Italy
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