2018/12/18(火) - 19:20
クラシックレーサーとして名を馳せたフィリッポ・ポッツァート(イタリア、ウィリエールトリエスティーナ・セッレイタリア)が自身のFaceBook上で引退を表明。10月のジャパンカップが最終レースとなった。
ジャパンカップがラストレースとなったフィリッポ・ポッツァート(イタリア、ウィリエールトリエスティーナ・セッレイタリア) photo:Makoto.AYANO
「今ここに、人生の一部であり、最も熱心に取り組み、楽んだことの終末を記したい。おそらく自分が望んだ形ではなかったけれど、人としてこのエピローグを受け入れる準備ができた」との書き出しで、ポッツァートは自身のFaceBook上で引退を表明した。
現在37歳のポッツァートは2000年、マペイ・クイックステップでプロデビュー。ファッサボルトロやリクイガス、カチューシャ、ランプレ・メリダ、そしてウィリエールとイタリアチームを中心に渡り歩き、ファビアン・カンチェラーラ(スイス)やトム・ボーネン(ベルギー)らと共にクラシックレースの名手として名を轟かせた。
19年に及ぶキャリアの中で、2006年にミラノ〜サンレモ優勝、ツール・ド・フランスのステージ優勝2回(04年、07年)などキャリア通算33勝をマーク。その中にはティレーノ〜アドリアティコ総合優勝(03年)も含まれるが、ロンド・ファン・フラーンデレン(14回出場)とパリ〜ルーベ(11回出場)ではいずれも2位が最高位と、優勝には一歩手が届かなかった。
2006年のミラノ〜サンレモで優勝を飾ったフィリッポ・ポッツァート(イタリア、当時クイックステップ) photo:Cor Vos
トム・ボーネン(ベルギー)らと共に、クラシックレースの名手として一時代を築いた photo:Cor Vos
「16歳の僕にマペイが声をかけてくれた時は冗談だと思った。3年間所属したマペイは、今でも世界最高のチームだったと思っている。けれど自分の成長よりも早くチームが消滅し、同時に自分の煌めきも失い始めてしまったように思う。以降は浮き沈みの連続だったけれど、その中でミラノ〜サンレモのような自分の目標をいくつか叶えることもできた。ここ数年は思うような走りができず常に苦しんだけれど、もう諦めざるを得ない」とポッツァートは語っている。
「今年は母と共に心の支えとなってくれた父が他界する、悲しい一年だった。あまり騒ぎ立てることもなく、僕は静かに幕を引きたい。19年に渡るキャリアは僕の目の前を一瞬で通り過ぎていった」。
今後ポッツァートは、自身が立ち上げるUCIコンチネンタルチームでイタリアの若手育成を担っていく。「これをきっかけにして、今後数年間をかけて新しい世代の選手たちと自分の経験を分かち合っていく。今はマネージャーや家族、友人、など僕のキャリアを支えてくれた全ての人に感謝したい」。
text:So.Isobe
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「今ここに、人生の一部であり、最も熱心に取り組み、楽んだことの終末を記したい。おそらく自分が望んだ形ではなかったけれど、人としてこのエピローグを受け入れる準備ができた」との書き出しで、ポッツァートは自身のFaceBook上で引退を表明した。
現在37歳のポッツァートは2000年、マペイ・クイックステップでプロデビュー。ファッサボルトロやリクイガス、カチューシャ、ランプレ・メリダ、そしてウィリエールとイタリアチームを中心に渡り歩き、ファビアン・カンチェラーラ(スイス)やトム・ボーネン(ベルギー)らと共にクラシックレースの名手として名を轟かせた。
19年に及ぶキャリアの中で、2006年にミラノ〜サンレモ優勝、ツール・ド・フランスのステージ優勝2回(04年、07年)などキャリア通算33勝をマーク。その中にはティレーノ〜アドリアティコ総合優勝(03年)も含まれるが、ロンド・ファン・フラーンデレン(14回出場)とパリ〜ルーベ(11回出場)ではいずれも2位が最高位と、優勝には一歩手が届かなかった。
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「16歳の僕にマペイが声をかけてくれた時は冗談だと思った。3年間所属したマペイは、今でも世界最高のチームだったと思っている。けれど自分の成長よりも早くチームが消滅し、同時に自分の煌めきも失い始めてしまったように思う。以降は浮き沈みの連続だったけれど、その中でミラノ〜サンレモのような自分の目標をいくつか叶えることもできた。ここ数年は思うような走りができず常に苦しんだけれど、もう諦めざるを得ない」とポッツァートは語っている。
「今年は母と共に心の支えとなってくれた父が他界する、悲しい一年だった。あまり騒ぎ立てることもなく、僕は静かに幕を引きたい。19年に渡るキャリアは僕の目の前を一瞬で通り過ぎていった」。
今後ポッツァートは、自身が立ち上げるUCIコンチネンタルチームでイタリアの若手育成を担っていく。「これをきっかけにして、今後数年間をかけて新しい世代の選手たちと自分の経験を分かち合っていく。今はマネージャーや家族、友人、など僕のキャリアを支えてくれた全ての人に感謝したい」。
text:So.Isobe
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