2018/12/06(木) - 18:13
来季、スロベニアの「リュブリャナ・グスト・ザウラム」への移籍が決まった雨澤毅明。移籍が決まった経緯や今の心境、これまでの振り返りと今後の目標などを語ってもらった。
▪️ジャパンカップ・アフターパーティーの裏で決まった移籍
ー今回の移籍が決まった経緯は?
「8月に自分から6チームくらいにメールして、リュブリャナ・グスト・ザウラム(以下リュブリャナ)から9月20日に返事がありました。その後はグストの日本代理店を介して交渉して、ジャパンカップのアフターパーティーの時にリュブリャナの監督と会って具体的な契約条件などの話をしました。それまでは確定してなかったので、本当に行けるのかな?とそわそわして過ごしましたね」
ージャパンカップのレース中も気になっていた?
「レース中は考えないようにしていました(笑)ジャパンカップはチームの地元だし、結果を出すことに集中しました」
ー実際に会って話をした時、リュブリャナの監督は何と言っていましたか?
「『世界から200人以上の応募があったけれど、君は過去のリザルトを見ても確実にステップアップしてるから、このチームで成長してくれるだろうと思った。だから受け入れることにした』と言われました。リュブリャナは選手を育成してワールドツアーで活躍する選手を輩出することをチームの目標としていますので、期待されていると感じました」
ーなぜリュブリャナ・グスト・ザウラム?
「日本のレースでもベンジャミン・ヒルとかティモシー・ガイとか強い選手がいることは知っていたけれど、今年のツール・ド・ラヴニール総合優勝のダディ・ポガチャルや、ネイションズカップやチェコのステージレースで優勝している選手もいるんです。台湾籍だった頃の「アタッキ・チームグスト」のイメージがあったけれど、まったく別のチームとなっていて興味が湧きました」
ーリュブリャナにはU23の選手が多いようですが、知ってる選手はいますか?
「来年の選手リストはもらっているのですが、スロベニア人の名前はどう発音するのかもわからくて(笑)。アンダーかエリート2年目の選手が多くて、名前を検索してみても若すぎて出てこない選手もいますね。
今年在籍していた西君(西寅太郎)に聞いたら、チーム内のコミュニケーションはスロベニア語メインだと聞いて・・・英語すら自信ないのに頑張らないといけないなと思ってます。ティモシー・ガイはいいヤツで語学を教えてくれるようなので、来年はお世話になるのかなと。中には個性的な選手もいるみたいですけれど、行って見ないと分かりません。まずはコミュニケーションですね」
「段階を踏んで上を目指したい」
ー海外移籍を具体的に意識したのはいつから?
「ずっと前から海外に行きたいとはぼんやりと思っていましたが、はっきりと「ワールドツアーに行きたい」と意識したのは昨年です」
ー噂ではいくつかのチームと交渉していたと聞きました
「実は昨年某チームと交渉していて、ラヴニールと世界選手権の結果で判断すると言われました。どちらも足りなくて、ジャパンカップ で3位にはなったけれどそれは考慮してもらえず、ダメでした。今年前半に、ジャパンカップ3位とツアー・オブ・ジャパン京都ステージ優勝の結果を持って別のプロコンチネンタルチームと交渉しましたが、それでも足りないと言われてしまいました。
これは僕の考えですが、アジアツアーで勝ってもヨーロッパのチームには「それってすごいの?」って感じなんでしょうね。同じ1クラスのレースでも、ヨーロッパのレースは出ている選手のレベルが違うし、トップチームの目につきやすいし。
あとは受け身に姿勢だったのも失敗でした。チームからの連絡をずっと待ってしまって、今年8月になっても何も決まらなかった。そしたら清水監督から『(海外に行きたいなら)もっと必死にやらないとダメだよ』と言われて・・・。もっと早くに自分から履歴書をあちこち送っていれば、選択肢は広がったのかなと反省しています。
でもリュブリャナに決まったことは良かったと思っています。まずはヨーロッパの1クラスと2クラスを走ることが今の自分のレベルたど考えています。そこでちゃんと走れないのにHCクラスやワールドツアーを走って何も得られずに壊れて帰ってくるなら、その下のクラスでしっかり走れるようにしたい。
僕よりずっと強いポガチャルも、1クラスや2クラスのレースで結果を出してUAEチーム・エミレーツ行きを決めているのだから、段階を踏んで上を目指して行きたいと考えています。でも時間的余裕はないので、来年行ってすぐに結果を出せるようでないとダメですけどね」
「ただ勝つだけじゃ意味がない 優勝に向かっていく過程で優勝の価値を作る」
雨澤は2013年に那須ブラーゼンでプロデビュー。2016年に宇都宮ブリッツェンに加入した。2017年に
Jプロツアー石川ロードレースで初優勝。U23の日本代表として走った世界選手権は1分50秒遅れの59位。帰国直後のJプロツアー輪島ロードで2勝目を挙げ、ジャパンカップ では3位表彰台を獲得した。
今年はツアー・オブ・ジャパン(以下TOJ)京都ステージで優勝したが、「棒に振ったような1年になってしまった」と言う。
「TOJはステージ優勝はしましたけれど、最大の目標だった総合順位での表彰台は達成できなかったので悔しかったです。全日本はお話にならないような消極的なレースをしてしまったし・・・一番ひどいレースでした。言い訳になってしまうけれど、疲れもあって調子を落としてしまっていたし、自信もありませんでした」
ーでも、TOJ京都での勝ち方はそれまでの逃げ切り勝ちと違ってスプリントからの抜け出しでしたね
「あの時は展開に恵まれたのと、ウェイトトレーニングをして筋肉をつけた効果が出たからだと思っています。一昨年ヨーロッパのレースを走った時、自分より体重のある選手が自分より登れて平地も強いのを目の当たりにしました。平地のスピードが速いから山に行く前に平地でちぎられてしまう。だから平地での能力を上げるために絶対的なパワーが必要だと痛感しました。それでウェイトトレーニングを取り入れたんです」
ー日本では平地の能力はあまり重視されないイメージがありますね
「日本では平地だけのレースは楽だとか言われるけれど、ヨーロッパでは平地だけの方がキツくて恐ろしく速い。アタック、アタック、アタックと続いてそのまま最後のスプリント勝負というレースが多いですし、それがベースなんです。アンダーや若手選手が多いレースは殺気立ってます。
でも僕はそれが楽しくて、こういうレースをしてアイツら強くなってるんだなと思うと、それを日本でもやらなきゃダメだろうと思うんです。それで自分からアタックするんですけれど、誰も同調してくれない。そこは日本での限界を感じます」
ーその点は10月のおおいたアーバンクラシックは雨澤選手らしいレースだったと思いますが
「闘った相手が石上君と松田君でしたから、僕と走り方が似ているし、同じものを目指している同士で真っ向勝負出来たのが嬉しかったし、楽しかったですね。負けちゃいましたけれど(笑)。普通は楽して勝ちたいから、わざわざ苦しい思いして勝ちたいとは思いませんよね」
ーでも宇都宮ブリッツェンは楽なレースを良しとしない雰囲気がありますね
「それは僕のせいかもしれないです(笑)。楽なレースをして何が得られるんですか?って思っているので。ただ勝つだけじゃ意味がない。優勝に向かっていく過程で優勝の価値を作っていく。集団コントロールもせず、先頭交代もせず、自分達だけが楽して勝つのは価値があるのかと。
今年のブリッツェンなら、もっと楽に勝つことは出来たと思います。でも遠いところから見に来てくれる人もいるのに、エンターテイメント性のないつまらないレースをするのは申し訳ないし、プロなら面白いレースを見せないといけない。それが一番出せたのは石川ロードだったと思います」
ージャパンカップでの集団コントロールは清水監督の発案だったそうですね
「そうです。選手は僕と増田さん以外は反対だったのですが、このチャレンジは今年だけでなく、来年、再来年、数年後に向けたチャレンジなのだという監督の強い意志があって、集団コントロールをすることにしました」
ーコントロールする意味があったのか?という意見もありますが
「あのコントロールをしなければ、最後の勝負がかかった集団には残れなかったと思います。コントロールをしていたおかげて僕と増田さん、(鈴木)龍さんが相当楽な状態で最後まで残れましたし、前に位置取りしていなかったら後方に取り残されたと思います。結果には結びつかなかったけれど、それが無ければもっとひどい結果になっていたと思います。
チャレンジしないとわからなかった部分も多かったし、やって良かったと思っています。(鈴木)譲さんは『ハードル上げちゃって来年これ以上何をするんだよ!』と言ってましたけど(笑)」
「オリンピックよりもワールドツアーへ」
移籍に伴い、スロベニアで生活することになる雨澤。来年2月に渡欧する。
ー期待と不安どちらが大きい?
(しばらく考えて)「いい勝負ですね。どっちもあります。ここまでは栃木の地元チームでずっとやってきて環境にも恵まれていたので、一気に変わることに対応できるのか不安です。でも世界で走るなら順応しないとダメだという気持ちもあります」
ー今後のレースの予定などは?
「最初のレースは2月末と聞いてますが、チームから送られてきたリストでは3月3日のスロベニアでの2クラスのワンデーレースが最初となっています。クロアチアでトレーニングキャンプも2月に予定されていますが、はっきりと決まってはいません」
ー日本でのレース予定は?
「チームがTOJに出場を希望しているので、メンバーに選ばれれば出場すると思います。でも同時期にツアー・オブ・スロベニアもあるので、どっちか選べと言われたらスロベニアに出たいです。全日本選手権はチームからチャンピオンジャージを獲れと言われるかもしれないけれど、僕としてはどっちでも良いかなと(笑)。仮にTOJに出て全日本もとなると、約1ヶ月の間にスロベニアと2往復しないといけない。そこまでして全日本を走りたいかというと、考えてしまいますね」
ー全日本に出場する場合は単騎参戦になりますね?
「その方が気楽に走れそうな気がします。チームオーダーもないし、自分が思ったように走れるだろうから「自己責任」みたいな(笑)。それでダメならダメで割り切って走れるだろうから、ストレスなくレースできるかなと思ってます」
ー目標は?
「ヨーロッパツアーでのUCIポイント獲得が一番の目標です。それで来年、再来年とやって、その次の年にはプロコンチネンタルチーム以上に行けるようにしたいです」
ー再来年の次と言うと、東京オリンピックの次の年になりますね?
「東京オリンピックは意識していません。自国開催なのにもったいないと言われますけれど、僕がやりたいのはそれじゃない。優先すべきはヨーロッパで成績を残してワールドツアーで走れるようになることです」
text&photo:Satoru Kato
▪️ジャパンカップ・アフターパーティーの裏で決まった移籍
ー今回の移籍が決まった経緯は?
「8月に自分から6チームくらいにメールして、リュブリャナ・グスト・ザウラム(以下リュブリャナ)から9月20日に返事がありました。その後はグストの日本代理店を介して交渉して、ジャパンカップのアフターパーティーの時にリュブリャナの監督と会って具体的な契約条件などの話をしました。それまでは確定してなかったので、本当に行けるのかな?とそわそわして過ごしましたね」
ージャパンカップのレース中も気になっていた?
「レース中は考えないようにしていました(笑)ジャパンカップはチームの地元だし、結果を出すことに集中しました」
ー実際に会って話をした時、リュブリャナの監督は何と言っていましたか?
「『世界から200人以上の応募があったけれど、君は過去のリザルトを見ても確実にステップアップしてるから、このチームで成長してくれるだろうと思った。だから受け入れることにした』と言われました。リュブリャナは選手を育成してワールドツアーで活躍する選手を輩出することをチームの目標としていますので、期待されていると感じました」
ーなぜリュブリャナ・グスト・ザウラム?
「日本のレースでもベンジャミン・ヒルとかティモシー・ガイとか強い選手がいることは知っていたけれど、今年のツール・ド・ラヴニール総合優勝のダディ・ポガチャルや、ネイションズカップやチェコのステージレースで優勝している選手もいるんです。台湾籍だった頃の「アタッキ・チームグスト」のイメージがあったけれど、まったく別のチームとなっていて興味が湧きました」
ーリュブリャナにはU23の選手が多いようですが、知ってる選手はいますか?
「来年の選手リストはもらっているのですが、スロベニア人の名前はどう発音するのかもわからくて(笑)。アンダーかエリート2年目の選手が多くて、名前を検索してみても若すぎて出てこない選手もいますね。
今年在籍していた西君(西寅太郎)に聞いたら、チーム内のコミュニケーションはスロベニア語メインだと聞いて・・・英語すら自信ないのに頑張らないといけないなと思ってます。ティモシー・ガイはいいヤツで語学を教えてくれるようなので、来年はお世話になるのかなと。中には個性的な選手もいるみたいですけれど、行って見ないと分かりません。まずはコミュニケーションですね」
「段階を踏んで上を目指したい」
ー海外移籍を具体的に意識したのはいつから?
「ずっと前から海外に行きたいとはぼんやりと思っていましたが、はっきりと「ワールドツアーに行きたい」と意識したのは昨年です」
ー噂ではいくつかのチームと交渉していたと聞きました
「実は昨年某チームと交渉していて、ラヴニールと世界選手権の結果で判断すると言われました。どちらも足りなくて、ジャパンカップ で3位にはなったけれどそれは考慮してもらえず、ダメでした。今年前半に、ジャパンカップ3位とツアー・オブ・ジャパン京都ステージ優勝の結果を持って別のプロコンチネンタルチームと交渉しましたが、それでも足りないと言われてしまいました。
これは僕の考えですが、アジアツアーで勝ってもヨーロッパのチームには「それってすごいの?」って感じなんでしょうね。同じ1クラスのレースでも、ヨーロッパのレースは出ている選手のレベルが違うし、トップチームの目につきやすいし。
あとは受け身に姿勢だったのも失敗でした。チームからの連絡をずっと待ってしまって、今年8月になっても何も決まらなかった。そしたら清水監督から『(海外に行きたいなら)もっと必死にやらないとダメだよ』と言われて・・・。もっと早くに自分から履歴書をあちこち送っていれば、選択肢は広がったのかなと反省しています。
でもリュブリャナに決まったことは良かったと思っています。まずはヨーロッパの1クラスと2クラスを走ることが今の自分のレベルたど考えています。そこでちゃんと走れないのにHCクラスやワールドツアーを走って何も得られずに壊れて帰ってくるなら、その下のクラスでしっかり走れるようにしたい。
僕よりずっと強いポガチャルも、1クラスや2クラスのレースで結果を出してUAEチーム・エミレーツ行きを決めているのだから、段階を踏んで上を目指して行きたいと考えています。でも時間的余裕はないので、来年行ってすぐに結果を出せるようでないとダメですけどね」
「ただ勝つだけじゃ意味がない 優勝に向かっていく過程で優勝の価値を作る」
雨澤は2013年に那須ブラーゼンでプロデビュー。2016年に宇都宮ブリッツェンに加入した。2017年に
Jプロツアー石川ロードレースで初優勝。U23の日本代表として走った世界選手権は1分50秒遅れの59位。帰国直後のJプロツアー輪島ロードで2勝目を挙げ、ジャパンカップ では3位表彰台を獲得した。
今年はツアー・オブ・ジャパン(以下TOJ)京都ステージで優勝したが、「棒に振ったような1年になってしまった」と言う。
「TOJはステージ優勝はしましたけれど、最大の目標だった総合順位での表彰台は達成できなかったので悔しかったです。全日本はお話にならないような消極的なレースをしてしまったし・・・一番ひどいレースでした。言い訳になってしまうけれど、疲れもあって調子を落としてしまっていたし、自信もありませんでした」
ーでも、TOJ京都での勝ち方はそれまでの逃げ切り勝ちと違ってスプリントからの抜け出しでしたね
「あの時は展開に恵まれたのと、ウェイトトレーニングをして筋肉をつけた効果が出たからだと思っています。一昨年ヨーロッパのレースを走った時、自分より体重のある選手が自分より登れて平地も強いのを目の当たりにしました。平地のスピードが速いから山に行く前に平地でちぎられてしまう。だから平地での能力を上げるために絶対的なパワーが必要だと痛感しました。それでウェイトトレーニングを取り入れたんです」
ー日本では平地の能力はあまり重視されないイメージがありますね
「日本では平地だけのレースは楽だとか言われるけれど、ヨーロッパでは平地だけの方がキツくて恐ろしく速い。アタック、アタック、アタックと続いてそのまま最後のスプリント勝負というレースが多いですし、それがベースなんです。アンダーや若手選手が多いレースは殺気立ってます。
でも僕はそれが楽しくて、こういうレースをしてアイツら強くなってるんだなと思うと、それを日本でもやらなきゃダメだろうと思うんです。それで自分からアタックするんですけれど、誰も同調してくれない。そこは日本での限界を感じます」
ーその点は10月のおおいたアーバンクラシックは雨澤選手らしいレースだったと思いますが
「闘った相手が石上君と松田君でしたから、僕と走り方が似ているし、同じものを目指している同士で真っ向勝負出来たのが嬉しかったし、楽しかったですね。負けちゃいましたけれど(笑)。普通は楽して勝ちたいから、わざわざ苦しい思いして勝ちたいとは思いませんよね」
ーでも宇都宮ブリッツェンは楽なレースを良しとしない雰囲気がありますね
「それは僕のせいかもしれないです(笑)。楽なレースをして何が得られるんですか?って思っているので。ただ勝つだけじゃ意味がない。優勝に向かっていく過程で優勝の価値を作っていく。集団コントロールもせず、先頭交代もせず、自分達だけが楽して勝つのは価値があるのかと。
今年のブリッツェンなら、もっと楽に勝つことは出来たと思います。でも遠いところから見に来てくれる人もいるのに、エンターテイメント性のないつまらないレースをするのは申し訳ないし、プロなら面白いレースを見せないといけない。それが一番出せたのは石川ロードだったと思います」
ージャパンカップでの集団コントロールは清水監督の発案だったそうですね
「そうです。選手は僕と増田さん以外は反対だったのですが、このチャレンジは今年だけでなく、来年、再来年、数年後に向けたチャレンジなのだという監督の強い意志があって、集団コントロールをすることにしました」
ーコントロールする意味があったのか?という意見もありますが
「あのコントロールをしなければ、最後の勝負がかかった集団には残れなかったと思います。コントロールをしていたおかげて僕と増田さん、(鈴木)龍さんが相当楽な状態で最後まで残れましたし、前に位置取りしていなかったら後方に取り残されたと思います。結果には結びつかなかったけれど、それが無ければもっとひどい結果になっていたと思います。
チャレンジしないとわからなかった部分も多かったし、やって良かったと思っています。(鈴木)譲さんは『ハードル上げちゃって来年これ以上何をするんだよ!』と言ってましたけど(笑)」
「オリンピックよりもワールドツアーへ」
移籍に伴い、スロベニアで生活することになる雨澤。来年2月に渡欧する。
ー期待と不安どちらが大きい?
(しばらく考えて)「いい勝負ですね。どっちもあります。ここまでは栃木の地元チームでずっとやってきて環境にも恵まれていたので、一気に変わることに対応できるのか不安です。でも世界で走るなら順応しないとダメだという気持ちもあります」
ー今後のレースの予定などは?
「最初のレースは2月末と聞いてますが、チームから送られてきたリストでは3月3日のスロベニアでの2クラスのワンデーレースが最初となっています。クロアチアでトレーニングキャンプも2月に予定されていますが、はっきりと決まってはいません」
ー日本でのレース予定は?
「チームがTOJに出場を希望しているので、メンバーに選ばれれば出場すると思います。でも同時期にツアー・オブ・スロベニアもあるので、どっちか選べと言われたらスロベニアに出たいです。全日本選手権はチームからチャンピオンジャージを獲れと言われるかもしれないけれど、僕としてはどっちでも良いかなと(笑)。仮にTOJに出て全日本もとなると、約1ヶ月の間にスロベニアと2往復しないといけない。そこまでして全日本を走りたいかというと、考えてしまいますね」
ー全日本に出場する場合は単騎参戦になりますね?
「その方が気楽に走れそうな気がします。チームオーダーもないし、自分が思ったように走れるだろうから「自己責任」みたいな(笑)。それでダメならダメで割り切って走れるだろうから、ストレスなくレースできるかなと思ってます」
ー目標は?
「ヨーロッパツアーでのUCIポイント獲得が一番の目標です。それで来年、再来年とやって、その次の年にはプロコンチネンタルチーム以上に行けるようにしたいです」
ー再来年の次と言うと、東京オリンピックの次の年になりますね?
「東京オリンピックは意識していません。自国開催なのにもったいないと言われますけれど、僕がやりたいのはそれじゃない。優先すべきはヨーロッパで成績を残してワールドツアーで走れるようになることです」
text&photo:Satoru Kato
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