2010/02/17(水) - 23:09
現役のイタリア人選手の中で、フィリッポ・ポッツァート(イタリア、カチューシャ)は間違いなく一番のプレイボーイだ。プレイガール誌の誌面を飾るほどのポッツァート。しかしその本業は紛れもなくプロロードレーサー。しかもビッグレースでの勝利が期待される一流のエリート選手だ。
フェラーリを乗り回すプレイボーイ
ポッツァートがプロデビューを飾ったのは2000年。彼がまだ18歳の時のことだ。当時の世界最強チーム・マペイに鳴り物入りで入団したポッツァートは、現在に至るまでにミラノ〜サンレモ、イタリア選手権、ツール・ド・フランスのステージ2勝と、数々の勝利を収めて来た。
しかしその成功の影で、ロードレースに人生を捧げる気がないような態度や派手な振る舞いが原因で、非難の対象になったこともある。実際、彼の趣味は高級腕時計の収集。風光明媚なフランス・リヴィエラ海岸に居を構え、フェラーリを乗り回している。
「フェラーリのF430(日本での新車販売価格約2400万円)を購入したのは、優勝した(2006年の)ミラノ〜サンレモの2ヶ月前のこと。フェラーリは僕の中でずっと夢のクルマで、いつかは買いたいと思っていたんだ。レースで優勝したご褒美としてフェラーリを買ったわけじゃないよ。クルマは趣味の一つ。もう一台欲しいけど、今はロードレースで勝つことを優先的に考えないといけない」。
ポッツァートのインタビューは、イタリア北部のガルダ湖で行なわれたカチューシャのチームプレゼンテーションで行なった。ポッツァートは今年、カチューシャで2年目を迎える。年齢的には28歳で、分類的には中堅選手。しかしプロ選手としてのキャリアは11年と長い。
マペイでプロデビューした当時、ポッツァートはランチアのリブラというステーションワゴンを所有していた。「あのクルマは運転免許を取得してすぐに買ったんだ。18歳か19歳の若造だった」。ティーンエイジャーのポッツァートはそのランチアを運転し、ファビアン・カンチェラーラやパオロ・ベッティーニ、オスカル・フレイレらが顔を揃えるチームプレゼンテーション会場に向かった。
タレント選手として着実に実績を重ねる
プロ入り以降、ポッツァートはプレイボーイとしてのイメージを築きながらロードレースを走ってきた。時にはイメージが先行してしまうこともあったが、ファッサボルトロ、クイックステップ、リクイガス、カチューシャと渡り歩いたポッツァートは、成績を兼ね備えたエリートライダーへと成長した。
2004年はジロ・デッラ・リグーリアとトロフェオ・ライグエリアで優勝を飾り、ツールでステージ初優勝。2005年はHEWサイクラシックス(現在のヴァッテンフォール・サイクラシックス)、ジロ・デル・ラツィオで優勝。そして2006年のミラノ〜サンレモで勝利し、フェラーリオーナーに値する名声を得た。
リクイガスで過ごした2年間(2007年と2008年)は少々伸び悩んだが、「北のクラシック」という新たな境地を切り開き、クラシックレーサーとしての才能を開花させた。
2007年はヘット・フォルクで優勝し、ロンド・ファン・フラーンデレン(フランドル)で6位。ツールではステージ2勝目を飾っている。
昨年カチューシャに移籍したポッツァートは、E3プライス・フラーンデレンで優勝を飾るとともに、初のイタリアチャンピオンに。そしてパリ〜ルーベで2位、フランドルで5位という過去最高の成績を残した。
ミラノ〜サンレモ、パリ〜ルーベ、そして世界選手権
ポッツァートの自転車選手としての歩みは、彼が9歳の時に始まる。
ポッツァートは「叔父が亡くなった時、彼を偲ぶセレモニーの一環としてロードレースが行なわれたんだ。まだ9歳だったけど、もうロードバイクには乗り始めていたし、そのレースに出場したくて必死で練習した。父親もロードバイクには乗っていたけど、どちらかと言うとサッカー好きだった。ロードレースへの情熱は、家族から受け継いだものではなくて、自発的なものだった」と、長い自転車人生の始まりを振り返る。
「サンドリーゴ(イタリア北部ヴェネト州)の自宅周辺を、ロードバイクで駆け回っていた頃のことを良く覚えている。今でも両親を訪ねて帰省する時は、当時と同じ周回コースを走るんだ。そのコースを走ると、叔父のセレモニーレースに向けてトレーニングしている自分がフラッシュバックする」。
しかし近年は帰省する回数が減っている。一年の多くをレースや移動に費やし、残りはモナコの自宅で過ごしているからだ。
「モナコはプロロード選手が住むのに適した場所だと思う。誰もが自分の名前を知っているようなイタリア国内よりもずっと住みやすいんだ。それに、温暖な気候も重要なファクターの一つ。ここ北イタリアは今0度だけど、モナコに行けば13度もある。温暖な気候はトレーニングに一役買っている」。
その温暖な気候が、彼のキャリアに欠けている勝利、パリ〜ルーベ、フランドル、そして世界選手権での成功の助けになるとポッツァートは信じている。
昨年2位に入ったパリ〜ルーベに対する想いは強い。「レース当日はまた気温が上がって欲しい。まだレースの戦略について考えるのは早すぎる。それに、パリ〜ルーベは状況がころころ変わるので、当日になってみないと分からないことが多いんだ」。
ポッツァートはシーズンデビュー戦のツール・ド・サンルイスで、個人タイムトライアル5位という想定外の好成績を残した。現在ポッツァートは中東で行なわれているツアー・オブ・カタールとツアー・オブ・オマーンに出場中。ポッツァートはこの2戦を、春のクラシックレースに向けての準備レースと位置づけている。
「自分の戦歴の中に、もう一つ“モニュメント(伝統あるワンディクラシック)”での勝利を付け加えたい。ミラノ〜サンレモやパリ〜ルーベのようなビッグレース制覇が今シーズンの目標だ」。
そう言うと、ポッツァートは一瞬黙り込んだ。まるでイタリアのトリコローレ(三色ジャージ)を虹色のアルカンシェルに交換することを夢見ているかのように。そして、もう一台フェラーリを買うことを頭の中で想像しているかのように。
「これだけは保証する。世界選手権では上位に入ってみせる。(オーストラリア・ジーロングのコースは)単純にスプリンター向きのコースではないんだ」。ポッツァートはそう締めくくった。
text:Gregor Brown
photo:Cor Vos
translation:Kei Tsuji
Gregor.Brown (グレゴー・ブラウン)
イタリア・レッコ在住のアメリカ人プロサイクリング・ジャーナリスト。2005、2006年ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランス、春のクラシック等で綾野 真(シクロワイアード編集長/フォトジャーナリスト)に帯同し、取材活動を行う。2007年よりサイクリングニュース(イギリス)の主筆ジャーナリストとして活躍後、フリーランスに。2009年12月よりシクロワイアード契約ジャーナリストとなる。今後、主にイタリア・英語圏プロサイクリングメディアに活動の舞台を移す。
フェラーリを乗り回すプレイボーイ
ポッツァートがプロデビューを飾ったのは2000年。彼がまだ18歳の時のことだ。当時の世界最強チーム・マペイに鳴り物入りで入団したポッツァートは、現在に至るまでにミラノ〜サンレモ、イタリア選手権、ツール・ド・フランスのステージ2勝と、数々の勝利を収めて来た。
しかしその成功の影で、ロードレースに人生を捧げる気がないような態度や派手な振る舞いが原因で、非難の対象になったこともある。実際、彼の趣味は高級腕時計の収集。風光明媚なフランス・リヴィエラ海岸に居を構え、フェラーリを乗り回している。
「フェラーリのF430(日本での新車販売価格約2400万円)を購入したのは、優勝した(2006年の)ミラノ〜サンレモの2ヶ月前のこと。フェラーリは僕の中でずっと夢のクルマで、いつかは買いたいと思っていたんだ。レースで優勝したご褒美としてフェラーリを買ったわけじゃないよ。クルマは趣味の一つ。もう一台欲しいけど、今はロードレースで勝つことを優先的に考えないといけない」。
ポッツァートのインタビューは、イタリア北部のガルダ湖で行なわれたカチューシャのチームプレゼンテーションで行なった。ポッツァートは今年、カチューシャで2年目を迎える。年齢的には28歳で、分類的には中堅選手。しかしプロ選手としてのキャリアは11年と長い。
マペイでプロデビューした当時、ポッツァートはランチアのリブラというステーションワゴンを所有していた。「あのクルマは運転免許を取得してすぐに買ったんだ。18歳か19歳の若造だった」。ティーンエイジャーのポッツァートはそのランチアを運転し、ファビアン・カンチェラーラやパオロ・ベッティーニ、オスカル・フレイレらが顔を揃えるチームプレゼンテーション会場に向かった。
タレント選手として着実に実績を重ねる
プロ入り以降、ポッツァートはプレイボーイとしてのイメージを築きながらロードレースを走ってきた。時にはイメージが先行してしまうこともあったが、ファッサボルトロ、クイックステップ、リクイガス、カチューシャと渡り歩いたポッツァートは、成績を兼ね備えたエリートライダーへと成長した。
2004年はジロ・デッラ・リグーリアとトロフェオ・ライグエリアで優勝を飾り、ツールでステージ初優勝。2005年はHEWサイクラシックス(現在のヴァッテンフォール・サイクラシックス)、ジロ・デル・ラツィオで優勝。そして2006年のミラノ〜サンレモで勝利し、フェラーリオーナーに値する名声を得た。
リクイガスで過ごした2年間(2007年と2008年)は少々伸び悩んだが、「北のクラシック」という新たな境地を切り開き、クラシックレーサーとしての才能を開花させた。
2007年はヘット・フォルクで優勝し、ロンド・ファン・フラーンデレン(フランドル)で6位。ツールではステージ2勝目を飾っている。
昨年カチューシャに移籍したポッツァートは、E3プライス・フラーンデレンで優勝を飾るとともに、初のイタリアチャンピオンに。そしてパリ〜ルーベで2位、フランドルで5位という過去最高の成績を残した。
ミラノ〜サンレモ、パリ〜ルーベ、そして世界選手権
ポッツァートの自転車選手としての歩みは、彼が9歳の時に始まる。
ポッツァートは「叔父が亡くなった時、彼を偲ぶセレモニーの一環としてロードレースが行なわれたんだ。まだ9歳だったけど、もうロードバイクには乗り始めていたし、そのレースに出場したくて必死で練習した。父親もロードバイクには乗っていたけど、どちらかと言うとサッカー好きだった。ロードレースへの情熱は、家族から受け継いだものではなくて、自発的なものだった」と、長い自転車人生の始まりを振り返る。
「サンドリーゴ(イタリア北部ヴェネト州)の自宅周辺を、ロードバイクで駆け回っていた頃のことを良く覚えている。今でも両親を訪ねて帰省する時は、当時と同じ周回コースを走るんだ。そのコースを走ると、叔父のセレモニーレースに向けてトレーニングしている自分がフラッシュバックする」。
しかし近年は帰省する回数が減っている。一年の多くをレースや移動に費やし、残りはモナコの自宅で過ごしているからだ。
「モナコはプロロード選手が住むのに適した場所だと思う。誰もが自分の名前を知っているようなイタリア国内よりもずっと住みやすいんだ。それに、温暖な気候も重要なファクターの一つ。ここ北イタリアは今0度だけど、モナコに行けば13度もある。温暖な気候はトレーニングに一役買っている」。
その温暖な気候が、彼のキャリアに欠けている勝利、パリ〜ルーベ、フランドル、そして世界選手権での成功の助けになるとポッツァートは信じている。
昨年2位に入ったパリ〜ルーベに対する想いは強い。「レース当日はまた気温が上がって欲しい。まだレースの戦略について考えるのは早すぎる。それに、パリ〜ルーベは状況がころころ変わるので、当日になってみないと分からないことが多いんだ」。
ポッツァートはシーズンデビュー戦のツール・ド・サンルイスで、個人タイムトライアル5位という想定外の好成績を残した。現在ポッツァートは中東で行なわれているツアー・オブ・カタールとツアー・オブ・オマーンに出場中。ポッツァートはこの2戦を、春のクラシックレースに向けての準備レースと位置づけている。
「自分の戦歴の中に、もう一つ“モニュメント(伝統あるワンディクラシック)”での勝利を付け加えたい。ミラノ〜サンレモやパリ〜ルーベのようなビッグレース制覇が今シーズンの目標だ」。
そう言うと、ポッツァートは一瞬黙り込んだ。まるでイタリアのトリコローレ(三色ジャージ)を虹色のアルカンシェルに交換することを夢見ているかのように。そして、もう一台フェラーリを買うことを頭の中で想像しているかのように。
「これだけは保証する。世界選手権では上位に入ってみせる。(オーストラリア・ジーロングのコースは)単純にスプリンター向きのコースではないんだ」。ポッツァートはそう締めくくった。
text:Gregor Brown
photo:Cor Vos
translation:Kei Tsuji
Gregor.Brown (グレゴー・ブラウン)
イタリア・レッコ在住のアメリカ人プロサイクリング・ジャーナリスト。2005、2006年ジロ・デ・イタリアとツール・ド・フランス、春のクラシック等で綾野 真(シクロワイアード編集長/フォトジャーナリスト)に帯同し、取材活動を行う。2007年よりサイクリングニュース(イギリス)の主筆ジャーナリストとして活躍後、フリーランスに。2009年12月よりシクロワイアード契約ジャーナリストとなる。今後、主にイタリア・英語圏プロサイクリングメディアに活動の舞台を移す。