2017/11/16(木) - 11:32
ツール・ド・おきなわ2017チャンピオンレースに優勝した佐野淳哉の独占自筆レポート。走る前には体調を崩していたものの、最近の好調ぶりを感じさせる、誰もの裏をかくロングスパートで勝利をもぎ取った。
木曜日。一抹、どころか一握くらいはあるだろう不安を抱えながら、沖縄に到着した。シーズンのクライマックスとなるこのツールドおきなわを前に、まさかの風邪っぴき。季節の変わり目であり、確かに体調を崩しやすくはあると思うのだが、最後の最後で自分の詰めの甘さに呆れる。
Jプロツアーでは、渡良瀬遊水地で開催されたタイムトライアルチャンピオンシップでの勝利から、群馬CSCでの経済産業大臣旗杯におけるまで、良い感触で走れていた。ところが、3月から続いてきた国内ツアーが終わったことで張っていた気が緩んだのか、11月に入ってから体調を崩してしまったのだ。その影響で練習がまともに出来なかったことに不安マックス。
しかし、ここまで来た以上はなんとかしなければならない。とにかく練習よりも風邪を治すことに専念しようと、この日は自転車には乗らずにホテルでマッサージを受け、すぐに寝る準備をした。今年最高のスピードで寝入っていた。
金曜日。朝起きてみると、昨日よりは少しばかり調子がいい。これなら練習には行けるだろうということで、チームメイトたちと一緒に古宇利島で2時間ほどのトレーニングへ。多少体のだるさはあったが、沖縄の美しい景色の中で仲間と談笑しながら走っていたら、そんなことは忘れていた。
しかし、宿へ戻るととてつもない疲労感に襲われる。ご飯を食べて即座に寝るという超回復モード。何としても、レース当日である日曜までには治さないと。結局その後は、ひたすら体を休めることだけに時間を費やし、回復に努めるしかなかった。
土曜日、決戦前日。また少し、体調は回復した。これなら明日には…なんていう期待感。午前中に軽く1時間半の練習を行うため、今日も古宇利島へ向かった。
昨日は体調を見ながらトレーニングをこなすことだけに集中していたので写真を撮らなかったが、今日はチームメイトと記念撮影をできるほどに。しかし、そこで何故俺は自慢げに上半身裸になったのか。まだ風邪ひいてるのに…。でも気分が乗っていたので、まあ良しとする。
宿に帰った後、開会式を終えて夕食を摂る。ツールドおきなわは長距離レースなので、食べられる限界まで意識して食べた。特に、炭水化物はいつもの3倍くらい食べたと思う。
その後は、チームミーティング。僕が見ている限り、チームメイトはみな調子がよさそうだ。僕も沖縄に着いた頃に比べたら大分調子が良くなっている。
監督と僕も、今回かなり好調そうなホセとアイランをレース展開の中心に据え、若手の大貴と田窪も最後まで残せるような作戦を考えたいと思った。僕もいつもなら「最後までガッツリアシストします!」というところなのだが、今回ばかりは正直言って自信がない。ここまで、ろくに練習することすらできなかったし…。
しかし、そんな僕の不安を拭い去るかのように、監督は力強く「大丈夫」と言ってくれた。まあ監督がそう言うなら大丈夫なんだろうと思って気合を入れ直す。人間思い込みも大切。監督の発言は、何かと結構当たるのだ。だから監督の唱える『佐野は40歳でピーク』説も、本当なのかもしれない。早くピーク来ないかな…。
明日は4時に起きなければならない。9時には、もう眠るためベッドに入った。アイランが、僕の隣でスマホをいじっている。スマホの光に照らされた彼の横顔がカッコよくて嫉妬しそうだったので、寝る時の必需品、耳栓とアイマスクをさっさと付けて寝た。一方ホセは既にごろごろ寝ていた。
日曜日。決戦の日。朝4時に設定したアラームが鳴るよりも少し早く目が覚めた。起き抜けでも体の調子がすこぶる良く感じられ、頭の覚醒もばっちりといったところ。着替えて洗面所で顔を洗い、すぐに食事会場へ向かう。
朝食を摂っていても気持ち悪くなるようなことがなく、咀嚼した食べ物がすいすいと喉を通っていく。ご飯は普通の茶碗3杯分を食べられたし、更にはパンも。コーヒーも3杯飲んだ。おそらく、1500Kcalくらいは摂れたのではないかと思う。
その時に、ふと感じた。普久川ダムさえ越えることができたなら、今日のレースは結構いけるのではないかと。少なくとも、チームのアシストはしっかりこなせる気がした。
より頭を覚醒させるため、45℃の超熱湯シャワーを浴びる。これは僕のレース前の儀式、ルーティーンだ。それを終えたら、すぐにジャージを着てレース会場へ。外はそんなに寒くない。
会場に着く頃にはレースへ向けての覚悟もできており、不思議と気持ちが落ち着いていた。人間不思議なもので、いざ決戦という時になると結構冷静になれてしまう。出走サインを書いてトイレを済ませ、スタート地点へ。かつてのチームメイトである、NIPPOのデネグリ選手と談笑しながらスタートを待つ。もともと、ほとんど話せていなかったイタリア語だが、何とか思い出しながら会話をした。こんな瞬間を、なんとなく嬉しく思う。もう会うことが無いかもしれない人とこうして話せるのは、貴重なひとときだ。
程なくして、レースが始まった。NIPPOのマリーニ選手が単独で飛び出すと、それを追って数名の選手が更に飛び出した。目視ではあったが、自分達がミーティングの中で話していた逃がしてはいけないチームや選手は乗っていなかったため、僕らのチームは動かなかった。他のチームも追う姿勢を示さなかったため逃げはあっさり決まり、集団は一気に低速モードへ。
昨年は激しいアタック合戦が1時間以上も続いたと聞いており、僕の現在の体調でそのような展開になってしまった場合は厳しいと考えていたので、正直個人的にはありがたい展開になった。
そのまま集団に特に大きな動きはなく、逃げとのタイム差はどんどんと広がっていく。安堵していたのもつかの間、突如問題が発生。トイレが異様に近い…。一度用を足し、集団に戻ってしばらくしたらまた行くということを繰り返し、結局開始から50km強の間で5回は行ったかと思う。集団復帰する際に他チームのメカニックから、「お前何回トイレに行くんだ」と笑われた。朝のコーヒーが原因か…。気分よくがぶ飲みしたことをぼんやりと思い出したが、今更後悔しても遅かった。
逃げ集団は相変わらず、ぐんぐんタイムギャップを広げていく。あっという間に10分差になってしまい、少し不安になったため、一度監督のもとにこの後のチーム戦略を聞きに行った。今回、ミーティングではチームの全選手が後半に向けて温存しながら走るということだったが、その後も広がるタイム差を懸念した作戦に切り替わった。田窪に他チームとの先頭交代に入ってもらうことで、タイムギャップがこれ以上広がらないようにしつつ、僕らも集団前方で待機できるようにしたのだ。
しかし、思ったように逃げとの差が縮まらない。田窪は登りが得意なことから、一度先頭交代から離脱させる。平坦でのローテションは避けて、1回目の普久川ダムの登りでタイム差を縮めてもらうようするためだ。
登りまで5kmを切ってくると、前方に位置したいと考える選手が徐々に集まり、集団内が少々ナーバスになってきた。僕自身も登りが得意なタイプではないので、なるべく前で登りへ入れるよう、選手の隙間を縫って前に上がる。幸いにも前から5番手以内で登りに突入することができ、更にはすぐに田窪が先頭に立って、絶妙なペースコントロールをしてくれた。そのお蔭で、この登りを難なく上り終えることができた。田窪に感謝だ。
その後も激しいアタック合戦にはならなかったので、僕はその間チームメイトへのエネルギーと水分の補充に専念しようと考え、チームカーにボトルや食べ物を取りに行った。しかし、そんなタイミングで集団のペースが上がったうえ、そのまま登りに差し掛かった。危うく、大量の荷物と共にDNFとなるところだった…。息を切らしながら集団に戻ると、アイランから「UKYOのベンジャミン選手が次の登りで攻撃しそうだ」との情報をくれた。
まずい、こんな状態で彼に登りでペースを上げられたら、僕はほぼ確実に集団からサヨナラしてしまう…。どうしたら僕が集団に残れるか考えた末に僕がとった選択は、「ペースアップに反応せず、登りで自分がキープできるペースを維持し、頂上で集団内にいること」だった。
段々と登りが近づいてくる。集団は、1回目の登り以上の緊張状態になっている。登り始めてからしばらくすると、アイランの言っていた通りベンジャミン選手がアタック!有力選手は即座に反応するが、僕はそんなことしたらすぐにDNFになってしまうだろうから、決めた通りペースを維持。すると、代わりに大貴が反応してくれたので、彼に感謝した、俺も彼ぐらい軽そうにダンシングしてみたいが、そもそもダンシングが下手だから諦める。
ベンジャミン選手のアタックを皮切りに、レースは本格的な戦いが始まる。ペースはみるみるうちに速くなり、強い選手たちは前方で展開しているが、残念ながら僕はそれに対応する脚力がない。集団後方で耐えつつ、何とかメイン集団で生き残る。
下ってからのアップダウンが始まるあたりで、集団よりも前方に選手が見えてきた。逃げ集団も崩壊したようで、こぼれ落ちてきた選手を吸収しながら集団が進んでいく。ここから、さらに激しい戦闘が始まった。各チームの有力選手がかわるがわるにアタックし、僕もたびたび反応していくが、無理のない範囲でチェックをし、無理そうなところはチームメイトに行ってもらった。
特に、アンカーの西薗選手、ブリッツェンの増田選手と雨澤選手の攻撃回数が多く、破壊力が強い。となると、それぞれのチームはやはりスプリント力のある選手を残している。ここにいて、スプリントもありつつ攻めてくるのはブラーゼンの吉岡選手だった。
確認するごとに集団の人数は減っていき、僕のチームも前半で働いてくれた田窪と大貴はいなくなっていた。残ったのは、ホセとアイラン、そして僕だ。集団内の選手にも疲労の色が出始め、段々と集団が割れそうになる回数も増えてきた。僕は集団後方で様子を見ながら走っていたために取り残されることはあったが、ホセとアイランが前方にいてくれたために、落ち着いて走ることができていた。その後もアタック合戦が続いていたが、それらが決定打になることはなく、レースは進んでいった。
僕の脚は、アップダウンとアタック合戦のさなか、何度も内転筋が攣っていた。そのたびに無理やり動かしてきたが、残り30kmほどの現在、ここまでくるともうそんなには持たない。幸い、海岸線に出るとコースがフラットになる。少しばかり脚を休ませられるだろうと安心した矢先、すでに30人程になっていた集団から、何人かの選手が飛び出していった。少々焦ったが、その中にホセが入ってくれていたので僕は集団待機した。ただ、見る限りかなり強力な選手の入った逃げだった…。
もしかしたら、今のが勝ち逃げかもしれない、他チームは複数人送り込んでいる、何とかしてあそこに入るには、距離が詰まったところで一気に追いつくしかない。登り区間に入ったら、なんとしてでも追いつこうと考えた。
次の登りで、またしてもベンジャミン選手がアタック。これだ!と思い僕も必死につこうとするが、さすがは絶賛痙攣中の脚、見事に付き切れしてしまい、その後にそれはもうとんでもない勢いで登ってくる西薗選手にも当然つくことができず、僕は再び集団に飲み込まれた。
これはもう追いつかないかな、とも思ったが、先頭集団との差は意外と開き切らない。前もきついのか、もしくは牽制しているからか…。程なくして、僕の集団は先頭集団に追いついた。
ここまでくると、さすがにどの選手も疲労困憊といった様子で、アタックはもうそんなにない。が、ホセは元気にアタックする。コイツなんでこんなに元気なんだろう? 本当に今年は強いな、と思いながらも、僕はホセに落ち着くように諭した。諭している本人も、あまり落ち着いていなかったけれど。結果として、彼の動きは他の選手をより疲弊させてくれていた。
最後の坂、羽地ダムの登りに皆が備え始める。石橋選手の単独アタックも、アイランが犠牲となりまとめてくれた。羽地ダム、これがいよいよ最後の勝負所…。距離自体は短いのだが、ダムを越えてもアップダウンがあるので、非常にきつい。
登りに入ってすぐ、ベンジャミン選手が吉岡選手、西薗選手を引き連れてアタック。僕の内転筋はもう終わっていたが、この苦しい瞬間は来年になるまでしばらく味わえない。僕の役目はここで終わるかもしれないと思いながらも、彼らを追っていった。
集団をつなげたものの、またしてもベンジャミン選手がアタック。僕がつけない代わりに、ホセがしっかりチェックしてくれてた。ズルズルと後方に下がるが、ここまで走ってきたのに千切れて終わるのは癪だなと思い始めて、「どうせだめなら最後までやってやるぜ!」みたいな気持ちに火が付いたので、まだまだ粘る。ダムのアップダウン区間ではやけくそに近いアタックもしてみたが、全く伸びがないのですぐに諦めた。諭されたはずのホセの方が、全然冷静だったな…。
勝ちへの決定打を欠いたまま、集団はほぼそのままの人数で登りを終え、最後の平坦へ。ここで再び、各チームがアタック合戦乱れ打ち、でも、そこまで勢いのある飛び出しをする選手はもういない。僕は集団の中でじっと様子を見ていた。そうしている間にも、ゴールまでの距離がどんどんなくなっていく。
この人数、しかも強力なスプリンターのいる中で、僕みたいなタイプの選手が真っ向勝負で行って、勝てるわけがない。もしやるなら、奇襲作戦しかないだろう。みんなが躊躇する瞬間に、思い切って行ってみようか。但し、行くなら1km切ってからだ。しかし、問題は風だった。向かい風だったのだ。
皆がスプリントに備えているラスト1kmのところ、記憶が定かではないが、確かアンカーの石橋選手だったと思う。彼が飛び出したところに、鹿屋体育大学の選手がついて、3人飛び出した。この時点で僕が先頭に出てしまい、でもまだ700mある。このままいくと僕がいい風避けになってしまうからと先頭交代を促すと、すかさず鹿屋の選手がアタック。先頭を外すわけにはいかず、彼の後ろについたが、向かい風のせいか彼もスピードが乗り切らない。後ろを振り返れば、集団は牽制していて距離に差がある。
500m…。もうここまで来たらなんでもいいから全開だ。今日一番のトルクをかけて、ゴールだけを目指す。攣っていたのがウソかのように、パワーが出る、出る!
早くゴールに飛び込みたい。いや、ゴールが来い。1分にも満たない時間なのに、1時間にも感じるような気持ちで必死に、必死にもがき切って、僕は優勝した。
信じられなかった。今回のレースを走ることに対して全く自信がなかったのに、勝てたことが。レース中だって、何度も脚を攣った。そして35歳の今、かつてのような力はもうないと感じていたのに。でも、勝てた。
ゴール後、僕らチームは抱き合って喜び、やりきったという気持ちでゴール脇に座っていた。この仲間がいたから、お互いを信じて戦ったから、勝てたのだと思う。もちろん、そうであっても勝てない時があるというのも同時に思う。でも、またこの幸せな瞬間が来ることを信じて、僕らはまたお互いを信じて走っていくだろう。このチームは最高だ!
しかし、大切なことを忘れていた、僕はインタビューに夢中になり過ぎて、泣いて喜んでくれた監督のもとに駆けつけるのが遅れたのだ。
僕がチームピットに着いたころ、監督の頬はすでに乾いていた。
text:Junya SANO
photo:Satoru.KATO, Makoto.AYANO
木曜日。一抹、どころか一握くらいはあるだろう不安を抱えながら、沖縄に到着した。シーズンのクライマックスとなるこのツールドおきなわを前に、まさかの風邪っぴき。季節の変わり目であり、確かに体調を崩しやすくはあると思うのだが、最後の最後で自分の詰めの甘さに呆れる。
Jプロツアーでは、渡良瀬遊水地で開催されたタイムトライアルチャンピオンシップでの勝利から、群馬CSCでの経済産業大臣旗杯におけるまで、良い感触で走れていた。ところが、3月から続いてきた国内ツアーが終わったことで張っていた気が緩んだのか、11月に入ってから体調を崩してしまったのだ。その影響で練習がまともに出来なかったことに不安マックス。
しかし、ここまで来た以上はなんとかしなければならない。とにかく練習よりも風邪を治すことに専念しようと、この日は自転車には乗らずにホテルでマッサージを受け、すぐに寝る準備をした。今年最高のスピードで寝入っていた。
金曜日。朝起きてみると、昨日よりは少しばかり調子がいい。これなら練習には行けるだろうということで、チームメイトたちと一緒に古宇利島で2時間ほどのトレーニングへ。多少体のだるさはあったが、沖縄の美しい景色の中で仲間と談笑しながら走っていたら、そんなことは忘れていた。
しかし、宿へ戻るととてつもない疲労感に襲われる。ご飯を食べて即座に寝るという超回復モード。何としても、レース当日である日曜までには治さないと。結局その後は、ひたすら体を休めることだけに時間を費やし、回復に努めるしかなかった。
土曜日、決戦前日。また少し、体調は回復した。これなら明日には…なんていう期待感。午前中に軽く1時間半の練習を行うため、今日も古宇利島へ向かった。
昨日は体調を見ながらトレーニングをこなすことだけに集中していたので写真を撮らなかったが、今日はチームメイトと記念撮影をできるほどに。しかし、そこで何故俺は自慢げに上半身裸になったのか。まだ風邪ひいてるのに…。でも気分が乗っていたので、まあ良しとする。
宿に帰った後、開会式を終えて夕食を摂る。ツールドおきなわは長距離レースなので、食べられる限界まで意識して食べた。特に、炭水化物はいつもの3倍くらい食べたと思う。
その後は、チームミーティング。僕が見ている限り、チームメイトはみな調子がよさそうだ。僕も沖縄に着いた頃に比べたら大分調子が良くなっている。
監督と僕も、今回かなり好調そうなホセとアイランをレース展開の中心に据え、若手の大貴と田窪も最後まで残せるような作戦を考えたいと思った。僕もいつもなら「最後までガッツリアシストします!」というところなのだが、今回ばかりは正直言って自信がない。ここまで、ろくに練習することすらできなかったし…。
しかし、そんな僕の不安を拭い去るかのように、監督は力強く「大丈夫」と言ってくれた。まあ監督がそう言うなら大丈夫なんだろうと思って気合を入れ直す。人間思い込みも大切。監督の発言は、何かと結構当たるのだ。だから監督の唱える『佐野は40歳でピーク』説も、本当なのかもしれない。早くピーク来ないかな…。
明日は4時に起きなければならない。9時には、もう眠るためベッドに入った。アイランが、僕の隣でスマホをいじっている。スマホの光に照らされた彼の横顔がカッコよくて嫉妬しそうだったので、寝る時の必需品、耳栓とアイマスクをさっさと付けて寝た。一方ホセは既にごろごろ寝ていた。
日曜日。決戦の日。朝4時に設定したアラームが鳴るよりも少し早く目が覚めた。起き抜けでも体の調子がすこぶる良く感じられ、頭の覚醒もばっちりといったところ。着替えて洗面所で顔を洗い、すぐに食事会場へ向かう。
朝食を摂っていても気持ち悪くなるようなことがなく、咀嚼した食べ物がすいすいと喉を通っていく。ご飯は普通の茶碗3杯分を食べられたし、更にはパンも。コーヒーも3杯飲んだ。おそらく、1500Kcalくらいは摂れたのではないかと思う。
その時に、ふと感じた。普久川ダムさえ越えることができたなら、今日のレースは結構いけるのではないかと。少なくとも、チームのアシストはしっかりこなせる気がした。
より頭を覚醒させるため、45℃の超熱湯シャワーを浴びる。これは僕のレース前の儀式、ルーティーンだ。それを終えたら、すぐにジャージを着てレース会場へ。外はそんなに寒くない。
会場に着く頃にはレースへ向けての覚悟もできており、不思議と気持ちが落ち着いていた。人間不思議なもので、いざ決戦という時になると結構冷静になれてしまう。出走サインを書いてトイレを済ませ、スタート地点へ。かつてのチームメイトである、NIPPOのデネグリ選手と談笑しながらスタートを待つ。もともと、ほとんど話せていなかったイタリア語だが、何とか思い出しながら会話をした。こんな瞬間を、なんとなく嬉しく思う。もう会うことが無いかもしれない人とこうして話せるのは、貴重なひとときだ。
程なくして、レースが始まった。NIPPOのマリーニ選手が単独で飛び出すと、それを追って数名の選手が更に飛び出した。目視ではあったが、自分達がミーティングの中で話していた逃がしてはいけないチームや選手は乗っていなかったため、僕らのチームは動かなかった。他のチームも追う姿勢を示さなかったため逃げはあっさり決まり、集団は一気に低速モードへ。
昨年は激しいアタック合戦が1時間以上も続いたと聞いており、僕の現在の体調でそのような展開になってしまった場合は厳しいと考えていたので、正直個人的にはありがたい展開になった。
そのまま集団に特に大きな動きはなく、逃げとのタイム差はどんどんと広がっていく。安堵していたのもつかの間、突如問題が発生。トイレが異様に近い…。一度用を足し、集団に戻ってしばらくしたらまた行くということを繰り返し、結局開始から50km強の間で5回は行ったかと思う。集団復帰する際に他チームのメカニックから、「お前何回トイレに行くんだ」と笑われた。朝のコーヒーが原因か…。気分よくがぶ飲みしたことをぼんやりと思い出したが、今更後悔しても遅かった。
逃げ集団は相変わらず、ぐんぐんタイムギャップを広げていく。あっという間に10分差になってしまい、少し不安になったため、一度監督のもとにこの後のチーム戦略を聞きに行った。今回、ミーティングではチームの全選手が後半に向けて温存しながら走るということだったが、その後も広がるタイム差を懸念した作戦に切り替わった。田窪に他チームとの先頭交代に入ってもらうことで、タイムギャップがこれ以上広がらないようにしつつ、僕らも集団前方で待機できるようにしたのだ。
しかし、思ったように逃げとの差が縮まらない。田窪は登りが得意なことから、一度先頭交代から離脱させる。平坦でのローテションは避けて、1回目の普久川ダムの登りでタイム差を縮めてもらうようするためだ。
登りまで5kmを切ってくると、前方に位置したいと考える選手が徐々に集まり、集団内が少々ナーバスになってきた。僕自身も登りが得意なタイプではないので、なるべく前で登りへ入れるよう、選手の隙間を縫って前に上がる。幸いにも前から5番手以内で登りに突入することができ、更にはすぐに田窪が先頭に立って、絶妙なペースコントロールをしてくれた。そのお蔭で、この登りを難なく上り終えることができた。田窪に感謝だ。
その後も激しいアタック合戦にはならなかったので、僕はその間チームメイトへのエネルギーと水分の補充に専念しようと考え、チームカーにボトルや食べ物を取りに行った。しかし、そんなタイミングで集団のペースが上がったうえ、そのまま登りに差し掛かった。危うく、大量の荷物と共にDNFとなるところだった…。息を切らしながら集団に戻ると、アイランから「UKYOのベンジャミン選手が次の登りで攻撃しそうだ」との情報をくれた。
まずい、こんな状態で彼に登りでペースを上げられたら、僕はほぼ確実に集団からサヨナラしてしまう…。どうしたら僕が集団に残れるか考えた末に僕がとった選択は、「ペースアップに反応せず、登りで自分がキープできるペースを維持し、頂上で集団内にいること」だった。
段々と登りが近づいてくる。集団は、1回目の登り以上の緊張状態になっている。登り始めてからしばらくすると、アイランの言っていた通りベンジャミン選手がアタック!有力選手は即座に反応するが、僕はそんなことしたらすぐにDNFになってしまうだろうから、決めた通りペースを維持。すると、代わりに大貴が反応してくれたので、彼に感謝した、俺も彼ぐらい軽そうにダンシングしてみたいが、そもそもダンシングが下手だから諦める。
ベンジャミン選手のアタックを皮切りに、レースは本格的な戦いが始まる。ペースはみるみるうちに速くなり、強い選手たちは前方で展開しているが、残念ながら僕はそれに対応する脚力がない。集団後方で耐えつつ、何とかメイン集団で生き残る。
下ってからのアップダウンが始まるあたりで、集団よりも前方に選手が見えてきた。逃げ集団も崩壊したようで、こぼれ落ちてきた選手を吸収しながら集団が進んでいく。ここから、さらに激しい戦闘が始まった。各チームの有力選手がかわるがわるにアタックし、僕もたびたび反応していくが、無理のない範囲でチェックをし、無理そうなところはチームメイトに行ってもらった。
特に、アンカーの西薗選手、ブリッツェンの増田選手と雨澤選手の攻撃回数が多く、破壊力が強い。となると、それぞれのチームはやはりスプリント力のある選手を残している。ここにいて、スプリントもありつつ攻めてくるのはブラーゼンの吉岡選手だった。
確認するごとに集団の人数は減っていき、僕のチームも前半で働いてくれた田窪と大貴はいなくなっていた。残ったのは、ホセとアイラン、そして僕だ。集団内の選手にも疲労の色が出始め、段々と集団が割れそうになる回数も増えてきた。僕は集団後方で様子を見ながら走っていたために取り残されることはあったが、ホセとアイランが前方にいてくれたために、落ち着いて走ることができていた。その後もアタック合戦が続いていたが、それらが決定打になることはなく、レースは進んでいった。
僕の脚は、アップダウンとアタック合戦のさなか、何度も内転筋が攣っていた。そのたびに無理やり動かしてきたが、残り30kmほどの現在、ここまでくるともうそんなには持たない。幸い、海岸線に出るとコースがフラットになる。少しばかり脚を休ませられるだろうと安心した矢先、すでに30人程になっていた集団から、何人かの選手が飛び出していった。少々焦ったが、その中にホセが入ってくれていたので僕は集団待機した。ただ、見る限りかなり強力な選手の入った逃げだった…。
もしかしたら、今のが勝ち逃げかもしれない、他チームは複数人送り込んでいる、何とかしてあそこに入るには、距離が詰まったところで一気に追いつくしかない。登り区間に入ったら、なんとしてでも追いつこうと考えた。
次の登りで、またしてもベンジャミン選手がアタック。これだ!と思い僕も必死につこうとするが、さすがは絶賛痙攣中の脚、見事に付き切れしてしまい、その後にそれはもうとんでもない勢いで登ってくる西薗選手にも当然つくことができず、僕は再び集団に飲み込まれた。
これはもう追いつかないかな、とも思ったが、先頭集団との差は意外と開き切らない。前もきついのか、もしくは牽制しているからか…。程なくして、僕の集団は先頭集団に追いついた。
ここまでくると、さすがにどの選手も疲労困憊といった様子で、アタックはもうそんなにない。が、ホセは元気にアタックする。コイツなんでこんなに元気なんだろう? 本当に今年は強いな、と思いながらも、僕はホセに落ち着くように諭した。諭している本人も、あまり落ち着いていなかったけれど。結果として、彼の動きは他の選手をより疲弊させてくれていた。
最後の坂、羽地ダムの登りに皆が備え始める。石橋選手の単独アタックも、アイランが犠牲となりまとめてくれた。羽地ダム、これがいよいよ最後の勝負所…。距離自体は短いのだが、ダムを越えてもアップダウンがあるので、非常にきつい。
登りに入ってすぐ、ベンジャミン選手が吉岡選手、西薗選手を引き連れてアタック。僕の内転筋はもう終わっていたが、この苦しい瞬間は来年になるまでしばらく味わえない。僕の役目はここで終わるかもしれないと思いながらも、彼らを追っていった。
集団をつなげたものの、またしてもベンジャミン選手がアタック。僕がつけない代わりに、ホセがしっかりチェックしてくれてた。ズルズルと後方に下がるが、ここまで走ってきたのに千切れて終わるのは癪だなと思い始めて、「どうせだめなら最後までやってやるぜ!」みたいな気持ちに火が付いたので、まだまだ粘る。ダムのアップダウン区間ではやけくそに近いアタックもしてみたが、全く伸びがないのですぐに諦めた。諭されたはずのホセの方が、全然冷静だったな…。
勝ちへの決定打を欠いたまま、集団はほぼそのままの人数で登りを終え、最後の平坦へ。ここで再び、各チームがアタック合戦乱れ打ち、でも、そこまで勢いのある飛び出しをする選手はもういない。僕は集団の中でじっと様子を見ていた。そうしている間にも、ゴールまでの距離がどんどんなくなっていく。
この人数、しかも強力なスプリンターのいる中で、僕みたいなタイプの選手が真っ向勝負で行って、勝てるわけがない。もしやるなら、奇襲作戦しかないだろう。みんなが躊躇する瞬間に、思い切って行ってみようか。但し、行くなら1km切ってからだ。しかし、問題は風だった。向かい風だったのだ。
皆がスプリントに備えているラスト1kmのところ、記憶が定かではないが、確かアンカーの石橋選手だったと思う。彼が飛び出したところに、鹿屋体育大学の選手がついて、3人飛び出した。この時点で僕が先頭に出てしまい、でもまだ700mある。このままいくと僕がいい風避けになってしまうからと先頭交代を促すと、すかさず鹿屋の選手がアタック。先頭を外すわけにはいかず、彼の後ろについたが、向かい風のせいか彼もスピードが乗り切らない。後ろを振り返れば、集団は牽制していて距離に差がある。
500m…。もうここまで来たらなんでもいいから全開だ。今日一番のトルクをかけて、ゴールだけを目指す。攣っていたのがウソかのように、パワーが出る、出る!
早くゴールに飛び込みたい。いや、ゴールが来い。1分にも満たない時間なのに、1時間にも感じるような気持ちで必死に、必死にもがき切って、僕は優勝した。
信じられなかった。今回のレースを走ることに対して全く自信がなかったのに、勝てたことが。レース中だって、何度も脚を攣った。そして35歳の今、かつてのような力はもうないと感じていたのに。でも、勝てた。
ゴール後、僕らチームは抱き合って喜び、やりきったという気持ちでゴール脇に座っていた。この仲間がいたから、お互いを信じて戦ったから、勝てたのだと思う。もちろん、そうであっても勝てない時があるというのも同時に思う。でも、またこの幸せな瞬間が来ることを信じて、僕らはまたお互いを信じて走っていくだろう。このチームは最高だ!
しかし、大切なことを忘れていた、僕はインタビューに夢中になり過ぎて、泣いて喜んでくれた監督のもとに駆けつけるのが遅れたのだ。
僕がチームピットに着いたころ、監督の頬はすでに乾いていた。
text:Junya SANO
photo:Satoru.KATO, Makoto.AYANO
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