2017/07/03(月) - 19:21
ツール・ド・フランスに帯同している目黒誠子さんより現地レポート。今回はツールで盛り上がるデュッセルドルフの様子や、ファンや取材陣が殺到するチームパドックの様子をお届けします。
チームプレゼンテーションを終えたデュッセルドルフで予備日を挟んで行われたのは、第1ステージの個人タイムトライアル。スタートと同時に雨足が強くなり、あいにくの雨模様となりましたが、ライン川沿いの街で最も美しいと言われるデュッセルドルフ。当然、ライン川沿いやケーニヒスアレーがコースとなり、沿道はたくさんの観客でにぎわいました。
デュッセルドルフ空港からも近い、世界的な見本市の会場、デュッセルドルフメッセがスタート/フィニッシュとなり、メッセを出たあとは、下記のような順番で市内を駆け巡りました。
スタート→シュトックマー・キルヒ通り→ロッテルダマー通り→ツェツィリエンアレー→ヨーゼフ=ボイス=ウーファー→エーデルアレー→オーバーカッセラー橋→カイザー=ヴィルヘルム=リング→ラインクニー橋→カヴァレリー通り→ハロルト通り→グラーフ=アドルフ通り→ケーニヒスアレー→テオドール=ケルナー通り→ハインリヒ=ハイネ=アレー→ホーフガルテンランペ→フリッツ=ロエーバー通り→ヨーゼフ=ボイス=ウーファー→ツェツィリエンアレー→ロッテルダマー通り→フィニッシュ
ライン川をはさんで、二度も橋を渡るコース。街の中心を南北に、くね、くねと蛇行しながら流れる川沿いには、広々とした遊歩道が2kmも続きます。晴れていたらどんな景色が広がっていたことでしょう。ですがそんなあいにくの雨模様にもかかわらず、沿道にはたくさんの応援がありました。
デュッセルドルフはロンドン、パリに続いてヨーロッパ三番目に日本人が多い街ですから、もちろん日本人からも多くの応援が。「ケー」という愛称で知られるデュッセルドルフの表参道「ケーニヒスアレー」で出会ったのは、隣の都市・ケルンの大学に留学中の、佐藤裕太さん、野尻萌恵さん。そして日本語ぺらぺらの、ニクラス・クルグさん。
3人とも、このような自転車の大会を見るのははじめてとのことで、野尻萌恵さんは、「父は地元のレースに出るほどの自転車好きなので、ツール・ド・フランスのことはなんとなく知っていましたが、こんなにすごいものとは思っていませんでした。なんの予備知識もないまま来てしまったんですが、この雰囲気に圧倒されています!来てみてよかったです。この貴重な機会を楽しみます。」と興奮気味。「日本人選手もいるんですよね?」、「100年以上も続いている大会なんですよね?」、「どこかでお土産を買える場所はありませんか?」と、目を輝かせていました。
片側に銀行やデパート、片側にはブランドショップやブティック、カフェが立ち並ぶケーニヒスアレーは予想通り人が多く、大変な賑わいを見せていました。通りを隔てて立体交差が何本も作られ、一方通行にしそれぞれ通る方向も規制。交通整備もしっかりとされており、混雑と言ってもカオスのような状態はなくストレスはありません。
ケーニヒスアレーからラインタワー、ラインクニー橋の方へ足を進めてみると、雨にもかかわらず「この日を待っていた」とばかりにコース沿道でビールを飲むドイツ人たち。バーやカフェ、屋台、公園、道路、などなど、屋外で雨が降っていても関係ない様子。応援ができてビールが飲めれば、場所はどこだっていいのです、という雰囲気です。おつまみはフライドポテトにソーセージ。飲むのはもちろん、デュッセルドルフの名物、「アルトビアー」。
「アルト」とはドイツ語で「古い」という意味。冷却技術が無い時代から作られていた醸造方法で、つまりその方法とは、高温で発酵させる「上面発酵」と言われる技術。冷却機が普及してから作られるようになったラガーやピルスなど、下面発酵で作られているものとは違って、ホップの苦みが効きながらもまろやかな味。コクもあるけどサラリとしていて、アルコール度数は約4.8%なので何杯でも飲めちゃいます。こんな風にレースを見ながら飲むのはきっと最高ですね。
ツール・ド・フランスが三度目の私にとっては大勢の観客数に見えたのですが。10年前のドイツの自転車熱全盛期を知っている人たちにとっては、その当時より「人気が衰えていた」ようです。「ドイツの自転車熱が再び高まるのは、これからだ」と。
この10年で、いったいなにがあったのでしょう。
今からちょうど10年前の1997年、23歳の若さでドイツ人としては初の総合優勝を飾ったのは、ヤン・ウルリッヒ。ステージ勝利通算7勝、総合2位が5回、世界選手権、オリンピック金メダルなど、数々のタイトルを手にし、ドイツの「年間最優秀スポーツ人賞」にも選ばれるなど、「皇帝」と親しまれ、アメリカ人のランス・アームストロングのライバルとも讃えられていました。
それなのに。2002年ごろから状況が一転。膝の故障、飲酒運転、器物損壊、逃走、免停などなど、スキャンダルの数々。続いて所属チームの資金不足によるドタバタなど不運も重なります。しかし不運の中でも調子を上げ、総合2位に返り咲きます。それでもウルリッヒはドイツ国民が一心に応援するヒーローでした。
が、2006年にふたたびスキャンダル。ドーピング疑惑が持ち上がります。のちに疑惑を否定する誓約をするも、次々と否定的な報道がなされ、ツール開幕前夜の出場停止発表やチームからの解雇、プロライセンスの発行拒否。ドイツ・ツアーからの永久出場停止など、それからは耳を疑うようなショッキングな状況が続きました。ドーピングに関しての状況証拠はすでに否定できないものに。
2007年に引退に追い込まれ、2013年にはランス・アームストロングに続いてドーピングに関与していた旨を告白。人々にさらに衝撃を与えました。「その頃のプロ選手たちの状況では、もはや誰もドーピング無しには闘えなかった。」と。過去の過ちを認めて今では自転車界で活躍する同時代の選手がいるなか、あまりに王者としての大きな存在だったがために、セカンドチャンスは与えらないかのようです。今回のデュッセルドルフのグランデパールにもウルリッヒは招待されていませんでした。
一連の疑惑問題があって、ドイツでは2011年から国営放送ARDによるツール・ド・フランスのテレビ中継が中止されます。すぐ近くの国であるのに、ツールの映像が伝えられない空白の時期が続いたのです。その後マルセル・キッテル、アンドレ・グライペル、トニー・マルティン、ジョン・デゲンコルブらのドイツ人選手の活躍や人気のおかげもあり、ドイツの自転車レースへの熱気は再び高まりつつあります。
2015年に中継が復活。今回のグランデパールに至ります。大変な人気があったにもかかわらず、テレビ中継が中止されるほど、人々の心に空白が生まれたのです。厳格なドイツの国民性でしょうか、それだけウルリッヒが愛され、期待されていたことへの裏返しでしょうか。
そのうっぷんを晴らすかのように行われた第2ステージ。デュッセルドルフーリエージュ間の203.5km。チームプレゼンテーション、第1ステージと過ごしたデュッセルドルフから、ベルギー・リエージュへと移動するこの日、今日も空からはぽつぽつと小雨が降ってきました。チームプレゼンテーションが開催されたところと同じ場所、ブルクプラッツ(城広場)からのスタートです。チームプレゼンテーションとは配置が変えられ、人々もさらに多い様子。
選手は続々と出走サインにやってきます。バーレーン・メリダの新城幸也選手は、チームのメンバーに時間配分を指示しながらサイン台へ。余裕の表情とともにこちらも自然に笑顔になる笑顔です。
チームパドックのクイックステップフロアーズのバスの前では「出待ち」の人だかり。髪型をバッチリ決めたマルセル・キッテルが登場すると、取材攻めに。ユーロスポーツやドイツのテレビ局、それに日本のJスポーツのインタビューを行うサッシャさんなど5社以上のテレビのインタビューに次々と応えていて、最後にはチーム広報から巻きが入るほどでした。
一方、さきほどのバーレーン・メリダのチームパドック前でも歓声が上がっていました。さすが日本人居住率ナンバーワンのデュッセルドルフ。新城選手目当ての撮影大会とサイン会がはじまっていました。一人一人に、にこやかに応える新城選手。ロンドンから来たYさん、ミュンヘンから来たジュンさんも「来てよかった~」と感激されていました。
実質上のグランデパールとなるブルクプラッツでは、セレモニーが行われました。デュッセルドルフのトーマス・ガイゼル市長とツール・ド・フランス総合ディレクターのクリスティアン・プリュドム氏がディレクターカーに一緒に乗り込み、ルーフから沿道の観客たちに挨拶しながらパレード走行でブルクプラッツを出発していきました。
その後集団は街外れでテープカットのセレモニーを行い、もう一度デュッセルドルフ市街中心部に戻って、街を周回するようにパレード走行をしてからアクチュアルスタートが切られました。
マルクトプラッツのCafé Véloの目の前もコースに。テラス席はすべて外され観客用に提供。選手たちはこのマルクトプラッツを抜け、いったん街を出たあと、しばらくしてまた市の中心部に戻ってくるので、少し場所を移動するだけで二度も選手を見られるお得な場所。ですのでブルクプラッツからマルクトプラッツにかけての一帯は、こちらが身動き取れないほどの混雑ぶりでした。ただしカフェでは選手が通り過ぎると、すぐに椅子とテーブルが並べられテラス席が設けられるという早わざが行われていました。
たっぷりと2度もツールの通り過ぎる様子を観戦できたのです。ツールがドイツに戻ってきたことをアピールするように、デュッセルドルフ市民に、そしてドイツにしっかりとツールのプロトンの姿を観てもらおうと、異例に距離の長いパレード走行が行われたのです。
第2ステージのフィニッシュは、ベルギーのリエージュ。途中のドイツの沿道には、ドイツ国旗とフランス国旗を振る人、カラフルに飾られた応援デコレーション、ビールにポテト、ソーセージを片手に、ツール・ド・フランスをたのしむ観客でいっぱい!
この日、断続的に雨が降り続き、土砂降りになることも。沿道に陣取って身動きが取れずずぶ濡れの観客たちも熱気に溢れた応援をしていました。久しく遠ざかっていたツールを肌で感じたドイツ人たち。途中の中間スプリンポイントでは、コースの見通しの効く坂には、何重もの人垣ができて山のようになっていました。
小金色の麦畑を眺め、茶色いとんがり屋根のドイツらしいかわいい村を通ったら、道路の標識はいつしかドイツ語からフランス語へ。そう、舞台はドイツからリエージュへ。そのステージでのフィニッシュは、サガンやグライペル、カヴェンディッシュなどそうそうたるメンバーによるスプリントの末、ドイツ人選手、マルセル・キッテルの元に。
キッテルは帯同しているオランダ人のガールフレンドとゴール後に歓喜のハグとキス。この勝利をどれだけ熱望していたかがわかります。「今大会ドイツ人初勝利をファンに捧げらることができて嬉しく思う。デュッセルドルフ、そしてドイツを駆け抜けたことは素晴らしい経験になったし、ファンも大勢駆けつけてくれた。たくさんのドイツ人ファンを誇りに思う。忘れることのない良い思い出となった」と語っていることからも、ドイツでのグランデパールがキッテルにとっても特別なものだったことが伺えました。
この勝利は、今後のドイツにさらに光をもたらすようなものになるのでしょうか?自国ドイツをスタートし、自身の所属チーム「クイックステップスフロアーズ」のベース国・ベルギーで勝利を収めたその喜びは、彼のフィニッシュ後の号泣によりあふれるほどに伝わってくるようでした。
text:Seiko.Meguro
photo:Makoto.AYANO
筆者プロフィール:目黒 誠子(めぐろせいこ)
2006年ジャパンカップサイクルロードレースに業務で携わってからロードレースの世界に魅了される。2014年よりツアー・オブ・ジャパンでは海外チームの招待・連絡を担当していた。ロードバイクでのサイクリングを楽しむ。趣味はバラ栽培と鑑賞。航空会社の広報系の仕事にも携わり、折り紙飛行機の指導員という変わりダネ資格を持つ。ライター、自転車とまちづくり・クリーン工房アドバイザー、宮城インバウンドDMOアドバイザー。
https://global-wifi.com/go-beyonder/067.html
チームプレゼンテーションを終えたデュッセルドルフで予備日を挟んで行われたのは、第1ステージの個人タイムトライアル。スタートと同時に雨足が強くなり、あいにくの雨模様となりましたが、ライン川沿いの街で最も美しいと言われるデュッセルドルフ。当然、ライン川沿いやケーニヒスアレーがコースとなり、沿道はたくさんの観客でにぎわいました。
デュッセルドルフ空港からも近い、世界的な見本市の会場、デュッセルドルフメッセがスタート/フィニッシュとなり、メッセを出たあとは、下記のような順番で市内を駆け巡りました。
スタート→シュトックマー・キルヒ通り→ロッテルダマー通り→ツェツィリエンアレー→ヨーゼフ=ボイス=ウーファー→エーデルアレー→オーバーカッセラー橋→カイザー=ヴィルヘルム=リング→ラインクニー橋→カヴァレリー通り→ハロルト通り→グラーフ=アドルフ通り→ケーニヒスアレー→テオドール=ケルナー通り→ハインリヒ=ハイネ=アレー→ホーフガルテンランペ→フリッツ=ロエーバー通り→ヨーゼフ=ボイス=ウーファー→ツェツィリエンアレー→ロッテルダマー通り→フィニッシュ
ライン川をはさんで、二度も橋を渡るコース。街の中心を南北に、くね、くねと蛇行しながら流れる川沿いには、広々とした遊歩道が2kmも続きます。晴れていたらどんな景色が広がっていたことでしょう。ですがそんなあいにくの雨模様にもかかわらず、沿道にはたくさんの応援がありました。
デュッセルドルフはロンドン、パリに続いてヨーロッパ三番目に日本人が多い街ですから、もちろん日本人からも多くの応援が。「ケー」という愛称で知られるデュッセルドルフの表参道「ケーニヒスアレー」で出会ったのは、隣の都市・ケルンの大学に留学中の、佐藤裕太さん、野尻萌恵さん。そして日本語ぺらぺらの、ニクラス・クルグさん。
3人とも、このような自転車の大会を見るのははじめてとのことで、野尻萌恵さんは、「父は地元のレースに出るほどの自転車好きなので、ツール・ド・フランスのことはなんとなく知っていましたが、こんなにすごいものとは思っていませんでした。なんの予備知識もないまま来てしまったんですが、この雰囲気に圧倒されています!来てみてよかったです。この貴重な機会を楽しみます。」と興奮気味。「日本人選手もいるんですよね?」、「100年以上も続いている大会なんですよね?」、「どこかでお土産を買える場所はありませんか?」と、目を輝かせていました。
片側に銀行やデパート、片側にはブランドショップやブティック、カフェが立ち並ぶケーニヒスアレーは予想通り人が多く、大変な賑わいを見せていました。通りを隔てて立体交差が何本も作られ、一方通行にしそれぞれ通る方向も規制。交通整備もしっかりとされており、混雑と言ってもカオスのような状態はなくストレスはありません。
ケーニヒスアレーからラインタワー、ラインクニー橋の方へ足を進めてみると、雨にもかかわらず「この日を待っていた」とばかりにコース沿道でビールを飲むドイツ人たち。バーやカフェ、屋台、公園、道路、などなど、屋外で雨が降っていても関係ない様子。応援ができてビールが飲めれば、場所はどこだっていいのです、という雰囲気です。おつまみはフライドポテトにソーセージ。飲むのはもちろん、デュッセルドルフの名物、「アルトビアー」。
「アルト」とはドイツ語で「古い」という意味。冷却技術が無い時代から作られていた醸造方法で、つまりその方法とは、高温で発酵させる「上面発酵」と言われる技術。冷却機が普及してから作られるようになったラガーやピルスなど、下面発酵で作られているものとは違って、ホップの苦みが効きながらもまろやかな味。コクもあるけどサラリとしていて、アルコール度数は約4.8%なので何杯でも飲めちゃいます。こんな風にレースを見ながら飲むのはきっと最高ですね。
ツール・ド・フランスが三度目の私にとっては大勢の観客数に見えたのですが。10年前のドイツの自転車熱全盛期を知っている人たちにとっては、その当時より「人気が衰えていた」ようです。「ドイツの自転車熱が再び高まるのは、これからだ」と。
この10年で、いったいなにがあったのでしょう。
今からちょうど10年前の1997年、23歳の若さでドイツ人としては初の総合優勝を飾ったのは、ヤン・ウルリッヒ。ステージ勝利通算7勝、総合2位が5回、世界選手権、オリンピック金メダルなど、数々のタイトルを手にし、ドイツの「年間最優秀スポーツ人賞」にも選ばれるなど、「皇帝」と親しまれ、アメリカ人のランス・アームストロングのライバルとも讃えられていました。
それなのに。2002年ごろから状況が一転。膝の故障、飲酒運転、器物損壊、逃走、免停などなど、スキャンダルの数々。続いて所属チームの資金不足によるドタバタなど不運も重なります。しかし不運の中でも調子を上げ、総合2位に返り咲きます。それでもウルリッヒはドイツ国民が一心に応援するヒーローでした。
が、2006年にふたたびスキャンダル。ドーピング疑惑が持ち上がります。のちに疑惑を否定する誓約をするも、次々と否定的な報道がなされ、ツール開幕前夜の出場停止発表やチームからの解雇、プロライセンスの発行拒否。ドイツ・ツアーからの永久出場停止など、それからは耳を疑うようなショッキングな状況が続きました。ドーピングに関しての状況証拠はすでに否定できないものに。
2007年に引退に追い込まれ、2013年にはランス・アームストロングに続いてドーピングに関与していた旨を告白。人々にさらに衝撃を与えました。「その頃のプロ選手たちの状況では、もはや誰もドーピング無しには闘えなかった。」と。過去の過ちを認めて今では自転車界で活躍する同時代の選手がいるなか、あまりに王者としての大きな存在だったがために、セカンドチャンスは与えらないかのようです。今回のデュッセルドルフのグランデパールにもウルリッヒは招待されていませんでした。
一連の疑惑問題があって、ドイツでは2011年から国営放送ARDによるツール・ド・フランスのテレビ中継が中止されます。すぐ近くの国であるのに、ツールの映像が伝えられない空白の時期が続いたのです。その後マルセル・キッテル、アンドレ・グライペル、トニー・マルティン、ジョン・デゲンコルブらのドイツ人選手の活躍や人気のおかげもあり、ドイツの自転車レースへの熱気は再び高まりつつあります。
2015年に中継が復活。今回のグランデパールに至ります。大変な人気があったにもかかわらず、テレビ中継が中止されるほど、人々の心に空白が生まれたのです。厳格なドイツの国民性でしょうか、それだけウルリッヒが愛され、期待されていたことへの裏返しでしょうか。
そのうっぷんを晴らすかのように行われた第2ステージ。デュッセルドルフーリエージュ間の203.5km。チームプレゼンテーション、第1ステージと過ごしたデュッセルドルフから、ベルギー・リエージュへと移動するこの日、今日も空からはぽつぽつと小雨が降ってきました。チームプレゼンテーションが開催されたところと同じ場所、ブルクプラッツ(城広場)からのスタートです。チームプレゼンテーションとは配置が変えられ、人々もさらに多い様子。
選手は続々と出走サインにやってきます。バーレーン・メリダの新城幸也選手は、チームのメンバーに時間配分を指示しながらサイン台へ。余裕の表情とともにこちらも自然に笑顔になる笑顔です。
チームパドックのクイックステップフロアーズのバスの前では「出待ち」の人だかり。髪型をバッチリ決めたマルセル・キッテルが登場すると、取材攻めに。ユーロスポーツやドイツのテレビ局、それに日本のJスポーツのインタビューを行うサッシャさんなど5社以上のテレビのインタビューに次々と応えていて、最後にはチーム広報から巻きが入るほどでした。
一方、さきほどのバーレーン・メリダのチームパドック前でも歓声が上がっていました。さすが日本人居住率ナンバーワンのデュッセルドルフ。新城選手目当ての撮影大会とサイン会がはじまっていました。一人一人に、にこやかに応える新城選手。ロンドンから来たYさん、ミュンヘンから来たジュンさんも「来てよかった~」と感激されていました。
実質上のグランデパールとなるブルクプラッツでは、セレモニーが行われました。デュッセルドルフのトーマス・ガイゼル市長とツール・ド・フランス総合ディレクターのクリスティアン・プリュドム氏がディレクターカーに一緒に乗り込み、ルーフから沿道の観客たちに挨拶しながらパレード走行でブルクプラッツを出発していきました。
その後集団は街外れでテープカットのセレモニーを行い、もう一度デュッセルドルフ市街中心部に戻って、街を周回するようにパレード走行をしてからアクチュアルスタートが切られました。
マルクトプラッツのCafé Véloの目の前もコースに。テラス席はすべて外され観客用に提供。選手たちはこのマルクトプラッツを抜け、いったん街を出たあと、しばらくしてまた市の中心部に戻ってくるので、少し場所を移動するだけで二度も選手を見られるお得な場所。ですのでブルクプラッツからマルクトプラッツにかけての一帯は、こちらが身動き取れないほどの混雑ぶりでした。ただしカフェでは選手が通り過ぎると、すぐに椅子とテーブルが並べられテラス席が設けられるという早わざが行われていました。
たっぷりと2度もツールの通り過ぎる様子を観戦できたのです。ツールがドイツに戻ってきたことをアピールするように、デュッセルドルフ市民に、そしてドイツにしっかりとツールのプロトンの姿を観てもらおうと、異例に距離の長いパレード走行が行われたのです。
第2ステージのフィニッシュは、ベルギーのリエージュ。途中のドイツの沿道には、ドイツ国旗とフランス国旗を振る人、カラフルに飾られた応援デコレーション、ビールにポテト、ソーセージを片手に、ツール・ド・フランスをたのしむ観客でいっぱい!
この日、断続的に雨が降り続き、土砂降りになることも。沿道に陣取って身動きが取れずずぶ濡れの観客たちも熱気に溢れた応援をしていました。久しく遠ざかっていたツールを肌で感じたドイツ人たち。途中の中間スプリンポイントでは、コースの見通しの効く坂には、何重もの人垣ができて山のようになっていました。
小金色の麦畑を眺め、茶色いとんがり屋根のドイツらしいかわいい村を通ったら、道路の標識はいつしかドイツ語からフランス語へ。そう、舞台はドイツからリエージュへ。そのステージでのフィニッシュは、サガンやグライペル、カヴェンディッシュなどそうそうたるメンバーによるスプリントの末、ドイツ人選手、マルセル・キッテルの元に。
キッテルは帯同しているオランダ人のガールフレンドとゴール後に歓喜のハグとキス。この勝利をどれだけ熱望していたかがわかります。「今大会ドイツ人初勝利をファンに捧げらることができて嬉しく思う。デュッセルドルフ、そしてドイツを駆け抜けたことは素晴らしい経験になったし、ファンも大勢駆けつけてくれた。たくさんのドイツ人ファンを誇りに思う。忘れることのない良い思い出となった」と語っていることからも、ドイツでのグランデパールがキッテルにとっても特別なものだったことが伺えました。
この勝利は、今後のドイツにさらに光をもたらすようなものになるのでしょうか?自国ドイツをスタートし、自身の所属チーム「クイックステップスフロアーズ」のベース国・ベルギーで勝利を収めたその喜びは、彼のフィニッシュ後の号泣によりあふれるほどに伝わってくるようでした。
text:Seiko.Meguro
photo:Makoto.AYANO
筆者プロフィール:目黒 誠子(めぐろせいこ)
2006年ジャパンカップサイクルロードレースに業務で携わってからロードレースの世界に魅了される。2014年よりツアー・オブ・ジャパンでは海外チームの招待・連絡を担当していた。ロードバイクでのサイクリングを楽しむ。趣味はバラ栽培と鑑賞。航空会社の広報系の仕事にも携わり、折り紙飛行機の指導員という変わりダネ資格を持つ。ライター、自転車とまちづくり・クリーン工房アドバイザー、宮城インバウンドDMOアドバイザー。
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