2017/05/15(月) - 18:46
モビスターとチームスカイの明暗を分けたブロックハウス決戦。作戦通りマリアローザを手にしたキンタナに対し、登りを前にした大落車でトーマスはチャンスを失った。
「ブロックハウス」という名前はイタリア語ではなくドイツ語。英語に近い(ハウスの綴りはHaus)ことから想像しやすいように「要塞」という意味で、かつて軍事目的の要塞があったことからその名が付けられたという。イタリアの山といえばアルプスやドロミテに注目しがちだが、イタリア半島の真ん中に佇むアペニン山脈もかなりの迫力で、その最高峰コルノ・グランデは標高2,912mある。まだたっぷりと雪を冠した山脈の入り口に、監視要塞ブロックハウスはある。
延々と続くアブルッツォ州の丘陵地帯を広く見渡せる場所であり、敵軍の進撃を監視するための要塞として1863年に築かれた。現在は監視の役目を担っておらず、頂上にはテレビ用なのか防衛用なのかわからないが巨大なアンテナが立つ。他のステージと同様にフィニッシュ地点の横にはスキー場があり、貸しスキー小屋やホテルも控えめながら立ち並ぶ。首都ローマから数時間のアクセスで標高2,000mのゲレンデを楽しめるため、冬場はスキー客で溢れるという。
そんなブロックハウスは、1967年にあのエディ・メルクス(ベルギー)が自身初のグランツールステージ優勝を手にした場所だ。今から50年前に「カンニバル」がその名を初めて世界に轟かせた場所であり、麓の町ロッカモリーチェにはその功績を讃えるモニュメントがこの第9ステージの通過に合わせて建てられた。なお、バイクブランドのエディメルクスにはブロックハウスという名のアルミフレームがラインナップされている。
ブロックハウスはこれまでジロに5回登場しており、1984年にはモレーノ・アルジェンティン(イタリア)が優勝し、ステージで2位だったフランチェスコ・モゼール(イタリア)が総合優勝。2009年はフランコ・ペリツォッティ(イタリア)がステージ優勝を飾ったが、その後のタイトル剥奪によって当時ステージ2位だったステファノ・ガルゼッリ(イタリア)が優勝扱いになっている。
ブロックハウスの登りは3つあって、最もメジャーなのがランチャーノ峠を経由する西側からのアプローチ。3つの中で最もきついのが今回の登りとされる。スペック的にはモンヴァントゥーに近いかそれ以上の厳しさで、これまで多くのイタリアの峠を自走で登っているフォトグラファーのジェレッド・グルーバーいわく「これまでジロに登場した登りの中で一番きつい部類。感覚的に延々と10%前後の勾配が続く感じ」。
ガゼッタ紙の表現を借りると「残忍で、垂直(急勾配)で、未編集(まだ歴史が刻まれてない=初登場)」。平均8.4%が13.6kmにわたって続き、中盤の9.4kmにかけて平均9.4%を刻む登りはモルティローロ峠(平均7.6%、12.6km)よりもきつく、標高を抜きにして考えるとステルヴィオ峠(平均7.1%、21.7km)よりも破壊力がある。
なお、春まで雪に閉ざされていたブロックハウスを実際に試走した選手はいない。ヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、バーレーン・メリダ)は麓のロッカモリーチェに住む兄弟のガールフレンドから登りの情報を聞き出したというが、果たしてその効果があったかどうかはわからない。
待つべきだったのか、それとも待つべきではなかったのか。サプライズとは言えないナイロ・キンタナ(コロンビア、モビスター)の勝利とマリアローザ獲得よりも、ブロックハウス登坂開始直前に発生した大落車の話題でフィニッシュ地点は持ちきりだった。本来レースの安全を守る立場の警察バイクが落車の原因になったこと、そしてレースのニュートラリゼーション(中断)が取られなかったことについて、大会ディレクターのマウロ・ヴェーニ氏は状況説明に追われていた。警察バイクがなぜその場所で止まっていたのか、エンストなのか何なのか、その理由は明らかになっていない。
ゲラント・トーマス(イギリス、チームスカイ)とアダム・イェーツ(イギリス、オリカ・スコット)という、奇しくもイギリス期待のマリアローザ候補2人が落車したことはラジオコルサ(競技無線)を通じて全てのチームカーに伝達されたが、モビスターは集団牽引のペースを下げることはしなかった。
決してルールに反することではないが、モビスターの動きに対してオリカ・スコットのマシュー・ホワイト監督は「残り1kmで発生したのではなく、残り15〜16km付近で発生した落車であり、誰かが逃げているわけでもなく、誰が落車したのか明白だったのにモビスターはペースを上げ続けた。少しは後ろを待つ動きを見せても良かったはずだ。スポーツマンシップはどこに行ったのか」と怒りのコメントを残している。前日まで総合3位だったアダム・イェーツ(イギリス、オリカ・スコット)は4分39秒遅れでフィニッシュし、総合16位に陥落している。
落車で肩を脱臼したトーマスはレースドクターの整復処置を受けて再スタート。2〜3分ほど地面に倒れ込んでいたトーマスが最終的にタイムロスを5分08秒に抑えたのは調子が良い証拠だ。フィニッシュ直後に報道陣に囲まれたトーマスは「レースが加速しているタイミングでの落車。ただただ不運だった。モビスターはそれまでもずっとペースを上げ続けていたし、ハイペースを継続した彼らを責めるつもりはない。起こってはいけないことが起こってしまっただけ」とライバルチームの動きに理解を示したが、警察バイクが原因で発生した落車について明らかにフラストレーションを溜めていた。
ヴェロンが公開しているデータによると、体重58kgのナイロ・キンタナ(コロンビア、モビスター)は残り5km地点のアタックの際、6分40秒にわたって368Wを出力(1分間のピークは430W)している。一方、ペースを刻んで後半に追い上げた体重70kgのトム・デュムラン(オランダ、サンウェブ)は同じ地点で441Wを出力(1分間のピークは561W)した。
計測のタイミングが微妙に異なるが、いわゆる体重比は両者ともに約6.3倍。これはデュムランが十分に難関山岳でキンタナに対抗できることを示している。そしてデュムランは2つの個人タイムトライアルでキンタナからリードを奪うことができ、第10ステージの39.8kmタイムトライアルで早速30秒差をひっくり返すことも可能。最大のライバルがディフェンディングチャンピオンのニーバリではなくデュムランであることはキンタナも認めている。
選手たちは休息の地フォリーニョまで3時間移動。アッシジやトレーヴィなどの丘上都市に見下ろされたウンブリア州の盆地でつかの間の休息日を過ごす。
text&photo:Kei Tsuji in Blockhaus, Italy
「ブロックハウス」という名前はイタリア語ではなくドイツ語。英語に近い(ハウスの綴りはHaus)ことから想像しやすいように「要塞」という意味で、かつて軍事目的の要塞があったことからその名が付けられたという。イタリアの山といえばアルプスやドロミテに注目しがちだが、イタリア半島の真ん中に佇むアペニン山脈もかなりの迫力で、その最高峰コルノ・グランデは標高2,912mある。まだたっぷりと雪を冠した山脈の入り口に、監視要塞ブロックハウスはある。
延々と続くアブルッツォ州の丘陵地帯を広く見渡せる場所であり、敵軍の進撃を監視するための要塞として1863年に築かれた。現在は監視の役目を担っておらず、頂上にはテレビ用なのか防衛用なのかわからないが巨大なアンテナが立つ。他のステージと同様にフィニッシュ地点の横にはスキー場があり、貸しスキー小屋やホテルも控えめながら立ち並ぶ。首都ローマから数時間のアクセスで標高2,000mのゲレンデを楽しめるため、冬場はスキー客で溢れるという。
そんなブロックハウスは、1967年にあのエディ・メルクス(ベルギー)が自身初のグランツールステージ優勝を手にした場所だ。今から50年前に「カンニバル」がその名を初めて世界に轟かせた場所であり、麓の町ロッカモリーチェにはその功績を讃えるモニュメントがこの第9ステージの通過に合わせて建てられた。なお、バイクブランドのエディメルクスにはブロックハウスという名のアルミフレームがラインナップされている。
ブロックハウスはこれまでジロに5回登場しており、1984年にはモレーノ・アルジェンティン(イタリア)が優勝し、ステージで2位だったフランチェスコ・モゼール(イタリア)が総合優勝。2009年はフランコ・ペリツォッティ(イタリア)がステージ優勝を飾ったが、その後のタイトル剥奪によって当時ステージ2位だったステファノ・ガルゼッリ(イタリア)が優勝扱いになっている。
ブロックハウスの登りは3つあって、最もメジャーなのがランチャーノ峠を経由する西側からのアプローチ。3つの中で最もきついのが今回の登りとされる。スペック的にはモンヴァントゥーに近いかそれ以上の厳しさで、これまで多くのイタリアの峠を自走で登っているフォトグラファーのジェレッド・グルーバーいわく「これまでジロに登場した登りの中で一番きつい部類。感覚的に延々と10%前後の勾配が続く感じ」。
ガゼッタ紙の表現を借りると「残忍で、垂直(急勾配)で、未編集(まだ歴史が刻まれてない=初登場)」。平均8.4%が13.6kmにわたって続き、中盤の9.4kmにかけて平均9.4%を刻む登りはモルティローロ峠(平均7.6%、12.6km)よりもきつく、標高を抜きにして考えるとステルヴィオ峠(平均7.1%、21.7km)よりも破壊力がある。
なお、春まで雪に閉ざされていたブロックハウスを実際に試走した選手はいない。ヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、バーレーン・メリダ)は麓のロッカモリーチェに住む兄弟のガールフレンドから登りの情報を聞き出したというが、果たしてその効果があったかどうかはわからない。
待つべきだったのか、それとも待つべきではなかったのか。サプライズとは言えないナイロ・キンタナ(コロンビア、モビスター)の勝利とマリアローザ獲得よりも、ブロックハウス登坂開始直前に発生した大落車の話題でフィニッシュ地点は持ちきりだった。本来レースの安全を守る立場の警察バイクが落車の原因になったこと、そしてレースのニュートラリゼーション(中断)が取られなかったことについて、大会ディレクターのマウロ・ヴェーニ氏は状況説明に追われていた。警察バイクがなぜその場所で止まっていたのか、エンストなのか何なのか、その理由は明らかになっていない。
ゲラント・トーマス(イギリス、チームスカイ)とアダム・イェーツ(イギリス、オリカ・スコット)という、奇しくもイギリス期待のマリアローザ候補2人が落車したことはラジオコルサ(競技無線)を通じて全てのチームカーに伝達されたが、モビスターは集団牽引のペースを下げることはしなかった。
決してルールに反することではないが、モビスターの動きに対してオリカ・スコットのマシュー・ホワイト監督は「残り1kmで発生したのではなく、残り15〜16km付近で発生した落車であり、誰かが逃げているわけでもなく、誰が落車したのか明白だったのにモビスターはペースを上げ続けた。少しは後ろを待つ動きを見せても良かったはずだ。スポーツマンシップはどこに行ったのか」と怒りのコメントを残している。前日まで総合3位だったアダム・イェーツ(イギリス、オリカ・スコット)は4分39秒遅れでフィニッシュし、総合16位に陥落している。
落車で肩を脱臼したトーマスはレースドクターの整復処置を受けて再スタート。2〜3分ほど地面に倒れ込んでいたトーマスが最終的にタイムロスを5分08秒に抑えたのは調子が良い証拠だ。フィニッシュ直後に報道陣に囲まれたトーマスは「レースが加速しているタイミングでの落車。ただただ不運だった。モビスターはそれまでもずっとペースを上げ続けていたし、ハイペースを継続した彼らを責めるつもりはない。起こってはいけないことが起こってしまっただけ」とライバルチームの動きに理解を示したが、警察バイクが原因で発生した落車について明らかにフラストレーションを溜めていた。
ヴェロンが公開しているデータによると、体重58kgのナイロ・キンタナ(コロンビア、モビスター)は残り5km地点のアタックの際、6分40秒にわたって368Wを出力(1分間のピークは430W)している。一方、ペースを刻んで後半に追い上げた体重70kgのトム・デュムラン(オランダ、サンウェブ)は同じ地点で441Wを出力(1分間のピークは561W)した。
計測のタイミングが微妙に異なるが、いわゆる体重比は両者ともに約6.3倍。これはデュムランが十分に難関山岳でキンタナに対抗できることを示している。そしてデュムランは2つの個人タイムトライアルでキンタナからリードを奪うことができ、第10ステージの39.8kmタイムトライアルで早速30秒差をひっくり返すことも可能。最大のライバルがディフェンディングチャンピオンのニーバリではなくデュムランであることはキンタナも認めている。
選手たちは休息の地フォリーニョまで3時間移動。アッシジやトレーヴィなどの丘上都市に見下ろされたウンブリア州の盆地でつかの間の休息日を過ごす。
text&photo:Kei Tsuji in Blockhaus, Italy
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