2017/05/06(土) - 13:49
オーストリア人による初のステージ優勝と初のマリアローザ着用、そしてボーラ・ハンスグローエの4賞ジャージ独占で始まった100回目のジロ・デ・イタリア。歴史的にジロになじみの薄いサルデーニャ島での開幕の様子をお伝えします。
2017年最初のグランツール、ジロ・デ・イタリア。「チェンテナリオ(100回)」と呼ばれる記念大会の開幕地に選ばれたアルゲーロは、サルデーニャ島の北西部に位置する人口4万人の小さな町だ。
歴史的に長らくカタルーニャ国(現在のスペイン)の支配下にあったため、町ではカタルーニャ語の方言が公用語の一つにとして認識されている。現在でも20%以上の市民がアルゲーロ訛りのカタルーニャ語を第1言語として使用しているという。町の旗もカタルーニャ州旗と同じ黄色と赤色のストライプ。
夏場の最高気温は30度前後で降雨も少ない。ミラノやローマなどの主要都市や、遠くはイギリスや北欧、東欧を結ぶフライトが発着する空港も町から10分の位置にあり、美しい海岸線を有したサマーリゾート地として人気を集めている。ヨーロッパ大手LCCのライアンエアーが就航したことも影響し、アルゲーロ空港の年間利用者はこの10年で約2.5倍増加している。なお、開幕3日前にアリタリア航空が経営破綻したニュースがイタリアを駆け巡った。サルデーニャ島からシチリア島まで同航空会社で飛ぶ予定だった多くの大会関係者は慌てたが、当分の間は運行を行うとしている。
夏のバカンスシーズンに向けて絶賛売り出し中ながら、外資系の大型ホテルは進出しておらず、イタリア本土のリゾート地と比べるとまだまだこじんまりとした田舎町という印象。アルゲーロの町だけではキャパシティが足りておらず、出場チームの多くは40〜50km離れた町のホテルに散らばった。なお、アルゲーロ市は5月4日(開幕前日)の昼以降ジロが通過する道への路上駐車を禁止。そして「路上のゴミ捨てを禁止する」という通達を市長の名前で市民に流したそう。
第1ステージのスタート地点は、前夜のチームプレゼンテーションと同じ港の特設ステージ。アルゲーロの市民4万人のうち7〜8割が集まってるんじゃないかと思うほど大観衆が詰めかけた。チームバスの駐車場の中で最も多くのファンを集めていたのはバーレーン・メリダで、次いでアスタナとモビスター。膝の故障でジロ出場を見送ったものの、自走で会場にやってきたファビオ・アル(イタリア、アスタナ)に合わせて民族大移動が起こる賑やかな雰囲気。
そして最も多くの報道陣を集めていたのはバルディアーニCSFだった。ドーピング検査でメンバー2人から同じ禁止薬物が検出されたためチームの関与を疑う声が上がるのは当然の流れ。報道陣に囲まれたバルディアーニCSFのブルーノ・レヴェルベーリGMは、とにかくチームはドーピングに全く関与しておらず、選手個人の間違った行いであることを強調した。ガゼッタ紙によると、検出されたGHRPs(成長ホルモン放出ペプチド)はイタリア国内ではインターネット通販で簡単に手に入るという。
ジロ100回大会の華やぎに水を差した今回のドーピングスキャンダル。UCI懲罰委員会の判断によっては、バルディアーニCSFがジロ途中でチーム出場停止処分を受ける可能性もある。NIPPOヴィーニファンティーニやアンドローニジョカトリが選出されないなど、当初からチーム選出に関して議論を生んでいた今回のジロ。レース主催者RCSスポルトのチーム選出責任を問う声も上がっているが、2016年のコッパイタリアシリーズ(ワンデーレースシリーズ)で年間チャンピオンに輝いたバルディアーニCSFは自動的にジロへの出場権を得ており、あくまでもルールに沿った選出だとしている。
大会初日の最高気温は30度ほど。グランツールの中で最も雪のイメージが強いジロだが、5月上旬だというのに夏のような暑さに包まれた。木々を揺らす東からの風が吹いたため、サルデーニャ島の北岸を東に進むコースの大半は向かい風。全長206km/獲得標高差2,200mコースの平均スピードは40km/hを下回った。
オルビアのフィニッシュ前はテクニカルコーナーの連続だった。レースブックの説明には「フィニッシュ手前7kmは主に街中を走る真っ直ぐな長い大通りで、残り2km地点には短い石畳区間が登場する」と書かれていたが、実際にはコースは左右に大きくうねり、道幅は狭まったり広がったり。一列棒状になった縦長集団でポジションを下げてしまうともう前に戻ることはできない。
残り2km地点のコーナーを抜けたところで先頭に出たルーカス・ペストルベルガー(オーストリア、ボーラ・ハンスグローエ)は、まさか自分がフィニッシュラインまでそのまま先頭で走り続けることになるとは思っていなかったはず。両手を広げてフィニッシュするその表情は喜びよりも驚きに満ちていた。
まだ無名に近い25歳のオーストリア人の勝利に、イタリア人選手の勝利を期待していた観客たちが盛り下がったことは否めない、が、表彰台で観客たちに感謝するポーズを繰り返すペストルベルガーには温かい拍手が送られた。
「すべての事象には理由がある。自分は運命を信じている」と、レース後の記者会見でペストルベルガーはラテン語で運命を意味する「フェイタム」のタトゥーを見せながら話した。「何が起こるかは分からないけど、いつでもチャンスをつかむための努力を怠ってはいけない。この勝利とマリアローザは自分の人生とキャリアに変化をもたらすだろう」。
オーストリア人選手によるステージ優勝とマリアローザ着用は史上初めて。イタリアと国境を接する国の中でこれまでステージ優勝を飾っていないのはオーストリアだけだった。隣国フランスは62勝、スイスは54勝、スロベニアは3勝している(バチカンとサンマリノは除く)。
ボーラ・ハンスグローエの4賞ジャージ独占で始まったジロ・チェンテナリオ。第2ステージはオルビアをスタートし、一路トルトリの町まで南下する。マリアローザを獲得したペストルベルガーは「今日の出来事を理解するには数週間という時間と何杯かのワインが必要」と笑った。
text&photo:Kei Tsuji in Olbia, Italy
2017年最初のグランツール、ジロ・デ・イタリア。「チェンテナリオ(100回)」と呼ばれる記念大会の開幕地に選ばれたアルゲーロは、サルデーニャ島の北西部に位置する人口4万人の小さな町だ。
歴史的に長らくカタルーニャ国(現在のスペイン)の支配下にあったため、町ではカタルーニャ語の方言が公用語の一つにとして認識されている。現在でも20%以上の市民がアルゲーロ訛りのカタルーニャ語を第1言語として使用しているという。町の旗もカタルーニャ州旗と同じ黄色と赤色のストライプ。
夏場の最高気温は30度前後で降雨も少ない。ミラノやローマなどの主要都市や、遠くはイギリスや北欧、東欧を結ぶフライトが発着する空港も町から10分の位置にあり、美しい海岸線を有したサマーリゾート地として人気を集めている。ヨーロッパ大手LCCのライアンエアーが就航したことも影響し、アルゲーロ空港の年間利用者はこの10年で約2.5倍増加している。なお、開幕3日前にアリタリア航空が経営破綻したニュースがイタリアを駆け巡った。サルデーニャ島からシチリア島まで同航空会社で飛ぶ予定だった多くの大会関係者は慌てたが、当分の間は運行を行うとしている。
夏のバカンスシーズンに向けて絶賛売り出し中ながら、外資系の大型ホテルは進出しておらず、イタリア本土のリゾート地と比べるとまだまだこじんまりとした田舎町という印象。アルゲーロの町だけではキャパシティが足りておらず、出場チームの多くは40〜50km離れた町のホテルに散らばった。なお、アルゲーロ市は5月4日(開幕前日)の昼以降ジロが通過する道への路上駐車を禁止。そして「路上のゴミ捨てを禁止する」という通達を市長の名前で市民に流したそう。
第1ステージのスタート地点は、前夜のチームプレゼンテーションと同じ港の特設ステージ。アルゲーロの市民4万人のうち7〜8割が集まってるんじゃないかと思うほど大観衆が詰めかけた。チームバスの駐車場の中で最も多くのファンを集めていたのはバーレーン・メリダで、次いでアスタナとモビスター。膝の故障でジロ出場を見送ったものの、自走で会場にやってきたファビオ・アル(イタリア、アスタナ)に合わせて民族大移動が起こる賑やかな雰囲気。
そして最も多くの報道陣を集めていたのはバルディアーニCSFだった。ドーピング検査でメンバー2人から同じ禁止薬物が検出されたためチームの関与を疑う声が上がるのは当然の流れ。報道陣に囲まれたバルディアーニCSFのブルーノ・レヴェルベーリGMは、とにかくチームはドーピングに全く関与しておらず、選手個人の間違った行いであることを強調した。ガゼッタ紙によると、検出されたGHRPs(成長ホルモン放出ペプチド)はイタリア国内ではインターネット通販で簡単に手に入るという。
ジロ100回大会の華やぎに水を差した今回のドーピングスキャンダル。UCI懲罰委員会の判断によっては、バルディアーニCSFがジロ途中でチーム出場停止処分を受ける可能性もある。NIPPOヴィーニファンティーニやアンドローニジョカトリが選出されないなど、当初からチーム選出に関して議論を生んでいた今回のジロ。レース主催者RCSスポルトのチーム選出責任を問う声も上がっているが、2016年のコッパイタリアシリーズ(ワンデーレースシリーズ)で年間チャンピオンに輝いたバルディアーニCSFは自動的にジロへの出場権を得ており、あくまでもルールに沿った選出だとしている。
大会初日の最高気温は30度ほど。グランツールの中で最も雪のイメージが強いジロだが、5月上旬だというのに夏のような暑さに包まれた。木々を揺らす東からの風が吹いたため、サルデーニャ島の北岸を東に進むコースの大半は向かい風。全長206km/獲得標高差2,200mコースの平均スピードは40km/hを下回った。
オルビアのフィニッシュ前はテクニカルコーナーの連続だった。レースブックの説明には「フィニッシュ手前7kmは主に街中を走る真っ直ぐな長い大通りで、残り2km地点には短い石畳区間が登場する」と書かれていたが、実際にはコースは左右に大きくうねり、道幅は狭まったり広がったり。一列棒状になった縦長集団でポジションを下げてしまうともう前に戻ることはできない。
残り2km地点のコーナーを抜けたところで先頭に出たルーカス・ペストルベルガー(オーストリア、ボーラ・ハンスグローエ)は、まさか自分がフィニッシュラインまでそのまま先頭で走り続けることになるとは思っていなかったはず。両手を広げてフィニッシュするその表情は喜びよりも驚きに満ちていた。
まだ無名に近い25歳のオーストリア人の勝利に、イタリア人選手の勝利を期待していた観客たちが盛り下がったことは否めない、が、表彰台で観客たちに感謝するポーズを繰り返すペストルベルガーには温かい拍手が送られた。
「すべての事象には理由がある。自分は運命を信じている」と、レース後の記者会見でペストルベルガーはラテン語で運命を意味する「フェイタム」のタトゥーを見せながら話した。「何が起こるかは分からないけど、いつでもチャンスをつかむための努力を怠ってはいけない。この勝利とマリアローザは自分の人生とキャリアに変化をもたらすだろう」。
オーストリア人選手によるステージ優勝とマリアローザ着用は史上初めて。イタリアと国境を接する国の中でこれまでステージ優勝を飾っていないのはオーストリアだけだった。隣国フランスは62勝、スイスは54勝、スロベニアは3勝している(バチカンとサンマリノは除く)。
ボーラ・ハンスグローエの4賞ジャージ独占で始まったジロ・チェンテナリオ。第2ステージはオルビアをスタートし、一路トルトリの町まで南下する。マリアローザを獲得したペストルベルガーは「今日の出来事を理解するには数週間という時間と何杯かのワインが必要」と笑った。
text&photo:Kei Tsuji in Olbia, Italy
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