2016/12/03(土) - 22:29
7日間で台湾を1周する聴覚障害者の国際ステージレース「第5回デフ・ツール・ド・台湾」において日本代表選手の早瀨憲太郎(43)が個人総合準優勝を果たした。アジア勢としては初の快挙であり、40代の選手が表彰台に立つのも史上初となる。
早瀨は第1ステージで2位に入り、第2ステージから第6ステージまでは3分以内のタイム差で激しい総合争いを繰り広げる。最終日の第7ステージでは序盤で落車に巻き込まれるも集団に復帰し、トップ集団で3位ゴール。ステージ総合は賞金レースとなっており賞金500ドルを獲得。またチーム3名の全ステージ合計タイムで競うチーム総合でも日本チームが準優勝した。
以下、早瀨憲太郎の参戦レポートによりお伝えする。
7日間かけて台湾を一周する「第5回デフ・ツール・ド・台湾」に、早瀨憲太郎・川野健太・野崎勝利の日本代表選手3名とスタッフ2名の計5名のナショナルチームで参加した。
今年は世界各国代表のデフ選手20名と地元台湾のプロチームを含む健聴者選手30名が参戦。台北市や台中市、台南市を結ぶメインストリートや高速道路、市内道路を封鎖して行われる大規模なロードレースだ。日本国内ではアマチュア選手が参加できるステージレースは数えるほどしかなく、ステージレースに参加できること自体が幸せだと思う。さて1つ1つのステージを振り返ってみよう。
■第1ステージ(台北市⇒陽明山/26km)
たった一言のアドバイスで走りが変わるとは…。デフ・ツール・ド・台湾前日にあるイベントで別府史之選手といっしょに走るという光栄に預かり、ステージレースでのリカバリーから補給の仕方など具体的で分かりやすいアドバイスをいただいた。台湾にいる間はずっと皆でそのアドバイスを呪文のように唱えたのが良かったのか、緊張もせずスムーズにレースに取り組むことができたようだ。
台北市役所の前の広場がスタート地点。パレード後のペースアップが非常に速くあっという間にトップ集団が10名ほどに。スロバキア選手が何度もアタックを仕掛けてふるい落としにかかる。
激しい雨と霧の中、ゴール目前まで必死についていくが引き離され1分差で2位ゴール。この時点で3位のベルギー選手との差も1分ほど。川野選手と野崎選手は第3集団で粘り強く走って良いタイムで完走しており、チーム総合は日本が1位。別府選手のアドバイスを受けて別府選手が常に傍にいるような安心感が世界を相手に戦えた最大の要因かもしれない。
■第2ステージ(桃園市⇒台中市/148km)
疲れを極力残さないよう、ヒルクライム直後からリカバリーを徹底的に行った。特に意識したのは食事だ。DeafJAPANの小笠原崇裕監督が、レース後はできるだけ空腹にならないようなにか口にいれるようにと言っていた。そこで日本から持って行った炊飯器で毎日おにぎりを作り、翌日のスタート地点近くのホテルに移動するバスの中で頬張った。こういった取り組みは他の選手も興味深かったらしく『おにぎりを食わせてくれ』と声をかけられた。
第2ステージは追い風で平坦のためペースが非常に速い。飛行機の乗り継ぎがうまくいかずに遅れてステージ2から参加したロシアチームのエースがステージ優勝狙いで序盤から逃げる。総合争いメインの集団はそれを容認。以降のステージはほとんど同じパターンで、2位の早瀨選手と1位のスロバキア選手、3位のベルギー選手との3つ巴の激しい総合争いが始まる。川野選手と野崎選手もおにぎりパワーで高速ペースにくらいつく。
ゴール直前に警察によるコース誘導ミスがあり、再スタートするも集団はスプリント無しのままゴール。総合順位は変わらず。
■第3ステージ(台中市⇒台南市/173km)
全ステージの中でもっとも長いコース。ステージレースにおいて重要なのは補給。ワンウェイなので補給は各国ごとに用意されたサポートカーから行われる。選手は手を挙げて意思表示をしたらコミッセールカーが無線でサポートカーに伝え、サポートカーが前に上がって補給を渡す。そのとき選手は集団から5〜10mくらい後方に下がらなければならない。補給のタイミングもレースを左右するとても大切なポイントとなる。
すでにリアルスタートがかかっているため、アタックをかけてもいいし展開は自由だ。もし有力選手が補給のために下がると前方でアタック合戦が始まる。そのため気配を消すようにスーッと後ろにさがり、サポートカーからの補給もスムーズに行われないといけない。そのためフィードに入るとサポートカーの中も緊張感に包まれる。
ドライバーは地元台湾の人。コミッセールカーから無線を受けたら内容をピクトグラムで伝えてもらい、助手席のスタッフは選手の要望に対してどれでも渡せるようにバナナや飲み物を手に抱えてスタンバイ。手話で欲しいものを伝えてもらって渡すというサポートは、ドライバーとスタッフと選手の信頼関係がないとスムーズにいかない。選手にとってはサポートカーから補給を受け取る瞬間がほんの少し楽に感じるらしいが、後ろでコミッセールカーがしっかり監視しているので失格にならない程度に。
いつの間にかアタックをかけていたベルギー選手に必死で追いつき仲良くゴール。川野選手と野崎選手は序盤に起きた大落車に巻き込まれDNF。2人とも軽症で済んだが、野崎選手のバイクが折れてしまい、急きょ主催者に相談したところ、台南から参戦していた健聴チームのスタッフが好意で個人のバイクを貸していただけることになり、残りステージも完走することができた。本当に感謝です!
■第4ステージ(台南市⇒屏東県/171km)
アップダウンが続くコースで、序盤にまたもロシアのエースが逃げる。このエースはロシアでプロとして走っている27歳。日本のプロツアーのコンチネンタルチームでも走れるのではないかと思うくらいの強さを見せる。川野選手は前日のステージの落車のダメージで腰を痛めてしまい、一度バイクから降りて休む。痛みと闘いながらも集団に食らいつくが、残り20kmで無念のリタイヤ。野崎選手は借りたバイクでハイペースの集団に最後まで残り、2年前の大会から数えて初のステージ完走。本人も納得のいく走りだったそう。2人とも20代でこれからが楽しみな選手だ。
今回参加している選手のほとんどが20代。総合1位のスロバキア選手は21歳で40代は早瀨選手を含む2人。「そろそろ世代交代を」とも云われるお年頃だが、本人は「若い選手たちに世代交代されるのではなく、実業団など自分より年上で強い選手たちと世代交代しなきゃいけない立場」と、まだまだ頑張るそうだ。
そのスロバキアの選手はガンガンアタックをかけて引き離そうと仕掛けてくる。総合1位を守る走りよりも、攻めて攻めて勝ち取る走りが気持ちよい。一方、30代のベルギー選手はとことん早瀨選手をマークしてくっついて離れない。この3人による駆け引きと意地の張り合いが延々と続き、総合順位は変わらず。
■第5ステージ(屏東県⇒台東市/69km)
7月に台湾を襲った台風の影響によるがけ崩れの修復が間に合わないため中止となった。走る予定だったコースをバスで通ったときに、すぐそばに広がる海の青さに目をみはるばかり。しかし道路はがれきがたくさん残っており、長距離にわたって懸命に修復工事をしていたので、2年後のデフ・ツール・ド・台湾では走れるようになっているのを楽しみにしている。この日は台東市内のサイクルロードで2時間ほど足を回す。
■第6ステージ(台東県⇒花連県/155km)
全ステージでもっとも厳しい山岳コース。優勝候補の1人で総合4位につけていたイタリア選手が足切りとなった。その理由はトイレ。どうしても我慢できず、集団から離れて用を足した彼は、ちょうどアタックがかかった集団に追いつくことができなかった。
レース結果をも左右するトイレ問題。日本人選手はあまりそういう機会がないと思うが、ほかの選手は走りながら用を足しているのだ。かくいう早瀨選手と野崎選手にも突然尿意が襲ってきたそうだ。しかしもしトイレで離脱したら集団はアタックをかけるだろうと悩んだ末、早瀨選手は人生初の走りながらの用足しを決断。集団から少し離れて野崎選手に背中を押してもらいながら試すが、強烈な尿意と恥じらいでそれを拒む身体との闘いでなかなか出ないまま断念したそうだ。ステージレースならではのトイレ事情。
残り20km地点の10kmヒルクライムではロシア選手4名と健聴選手3名、早瀨選手の8名で逃げが決まる。しかし上り終わりのアタックで千切れてしまう。もしここでついていければ間違いなく総合優勝だったが、ベルギー選手らがいる第2集団に吸収され7位ゴール。第3集団に川野選手と野崎選手が入り、4位まで下がったチーム総合も2位に浮上した。
■11月7日 休息日
バスで花連から宜蘭まで移動。もともと自転車で走ってはいけないコースなので、毎回休息日として移動する。2年前は列車で移動したが、今回はバス。山道から汽車の線路が見えたりと壮大な景色を眺めながらゆったりと揺られていった。
■第7ステージ(宜蘭県⇒基隆市/89km)
全ステージでもっとも短く、最後に800mの上りでクライムゴールスプリントとなるコース。短いので最初からアタック合戦。ところが道路の陥没で落車が発生し早瀨選手と野崎選手が巻き込まれる。
早瀬選手はすぐにバイクにまたがり、走りながら状態を確認するとフロントブレーキが効かず、ギアも破損して1回転するごとに空転する。野崎選手もブレーキが曲がってしまうトラブル。2人ともなんとか集団に復帰し、集団の後ろを必死についていく。
しばらくするとベルギー選手も復帰。お互いに血を流しており意地と意地とのぶつかり合い。川野選手は何度か千切れそうになりながらもトップ集団に残り、ゴールスプリントに絡む素晴らしい走りをみせた。
最後の800mクライムゴールスプリントで早瀨選手が抜け出すが、残り100mで警察バイクに接触されて吹っ飛ぶ。再びバイクに乗るも、右足首にクランクの歯が突き刺さって出血が止まらず、ふらふらしながら9位でゴールし倒れる。のちに3位のタイムに修正となった。
最終的に個人とチーム共に総合準優勝という結果で7日間の闘いを終えることができた。
文:早瀨憲太郎
※ 記事を修正しました(12月3日 23:30)
早瀨は第1ステージで2位に入り、第2ステージから第6ステージまでは3分以内のタイム差で激しい総合争いを繰り広げる。最終日の第7ステージでは序盤で落車に巻き込まれるも集団に復帰し、トップ集団で3位ゴール。ステージ総合は賞金レースとなっており賞金500ドルを獲得。またチーム3名の全ステージ合計タイムで競うチーム総合でも日本チームが準優勝した。
以下、早瀨憲太郎の参戦レポートによりお伝えする。
7日間かけて台湾を一周する「第5回デフ・ツール・ド・台湾」に、早瀨憲太郎・川野健太・野崎勝利の日本代表選手3名とスタッフ2名の計5名のナショナルチームで参加した。
今年は世界各国代表のデフ選手20名と地元台湾のプロチームを含む健聴者選手30名が参戦。台北市や台中市、台南市を結ぶメインストリートや高速道路、市内道路を封鎖して行われる大規模なロードレースだ。日本国内ではアマチュア選手が参加できるステージレースは数えるほどしかなく、ステージレースに参加できること自体が幸せだと思う。さて1つ1つのステージを振り返ってみよう。
■第1ステージ(台北市⇒陽明山/26km)
たった一言のアドバイスで走りが変わるとは…。デフ・ツール・ド・台湾前日にあるイベントで別府史之選手といっしょに走るという光栄に預かり、ステージレースでのリカバリーから補給の仕方など具体的で分かりやすいアドバイスをいただいた。台湾にいる間はずっと皆でそのアドバイスを呪文のように唱えたのが良かったのか、緊張もせずスムーズにレースに取り組むことができたようだ。
台北市役所の前の広場がスタート地点。パレード後のペースアップが非常に速くあっという間にトップ集団が10名ほどに。スロバキア選手が何度もアタックを仕掛けてふるい落としにかかる。
激しい雨と霧の中、ゴール目前まで必死についていくが引き離され1分差で2位ゴール。この時点で3位のベルギー選手との差も1分ほど。川野選手と野崎選手は第3集団で粘り強く走って良いタイムで完走しており、チーム総合は日本が1位。別府選手のアドバイスを受けて別府選手が常に傍にいるような安心感が世界を相手に戦えた最大の要因かもしれない。
■第2ステージ(桃園市⇒台中市/148km)
疲れを極力残さないよう、ヒルクライム直後からリカバリーを徹底的に行った。特に意識したのは食事だ。DeafJAPANの小笠原崇裕監督が、レース後はできるだけ空腹にならないようなにか口にいれるようにと言っていた。そこで日本から持って行った炊飯器で毎日おにぎりを作り、翌日のスタート地点近くのホテルに移動するバスの中で頬張った。こういった取り組みは他の選手も興味深かったらしく『おにぎりを食わせてくれ』と声をかけられた。
第2ステージは追い風で平坦のためペースが非常に速い。飛行機の乗り継ぎがうまくいかずに遅れてステージ2から参加したロシアチームのエースがステージ優勝狙いで序盤から逃げる。総合争いメインの集団はそれを容認。以降のステージはほとんど同じパターンで、2位の早瀨選手と1位のスロバキア選手、3位のベルギー選手との3つ巴の激しい総合争いが始まる。川野選手と野崎選手もおにぎりパワーで高速ペースにくらいつく。
ゴール直前に警察によるコース誘導ミスがあり、再スタートするも集団はスプリント無しのままゴール。総合順位は変わらず。
■第3ステージ(台中市⇒台南市/173km)
全ステージの中でもっとも長いコース。ステージレースにおいて重要なのは補給。ワンウェイなので補給は各国ごとに用意されたサポートカーから行われる。選手は手を挙げて意思表示をしたらコミッセールカーが無線でサポートカーに伝え、サポートカーが前に上がって補給を渡す。そのとき選手は集団から5〜10mくらい後方に下がらなければならない。補給のタイミングもレースを左右するとても大切なポイントとなる。
すでにリアルスタートがかかっているため、アタックをかけてもいいし展開は自由だ。もし有力選手が補給のために下がると前方でアタック合戦が始まる。そのため気配を消すようにスーッと後ろにさがり、サポートカーからの補給もスムーズに行われないといけない。そのためフィードに入るとサポートカーの中も緊張感に包まれる。
ドライバーは地元台湾の人。コミッセールカーから無線を受けたら内容をピクトグラムで伝えてもらい、助手席のスタッフは選手の要望に対してどれでも渡せるようにバナナや飲み物を手に抱えてスタンバイ。手話で欲しいものを伝えてもらって渡すというサポートは、ドライバーとスタッフと選手の信頼関係がないとスムーズにいかない。選手にとってはサポートカーから補給を受け取る瞬間がほんの少し楽に感じるらしいが、後ろでコミッセールカーがしっかり監視しているので失格にならない程度に。
いつの間にかアタックをかけていたベルギー選手に必死で追いつき仲良くゴール。川野選手と野崎選手は序盤に起きた大落車に巻き込まれDNF。2人とも軽症で済んだが、野崎選手のバイクが折れてしまい、急きょ主催者に相談したところ、台南から参戦していた健聴チームのスタッフが好意で個人のバイクを貸していただけることになり、残りステージも完走することができた。本当に感謝です!
■第4ステージ(台南市⇒屏東県/171km)
アップダウンが続くコースで、序盤にまたもロシアのエースが逃げる。このエースはロシアでプロとして走っている27歳。日本のプロツアーのコンチネンタルチームでも走れるのではないかと思うくらいの強さを見せる。川野選手は前日のステージの落車のダメージで腰を痛めてしまい、一度バイクから降りて休む。痛みと闘いながらも集団に食らいつくが、残り20kmで無念のリタイヤ。野崎選手は借りたバイクでハイペースの集団に最後まで残り、2年前の大会から数えて初のステージ完走。本人も納得のいく走りだったそう。2人とも20代でこれからが楽しみな選手だ。
今回参加している選手のほとんどが20代。総合1位のスロバキア選手は21歳で40代は早瀨選手を含む2人。「そろそろ世代交代を」とも云われるお年頃だが、本人は「若い選手たちに世代交代されるのではなく、実業団など自分より年上で強い選手たちと世代交代しなきゃいけない立場」と、まだまだ頑張るそうだ。
そのスロバキアの選手はガンガンアタックをかけて引き離そうと仕掛けてくる。総合1位を守る走りよりも、攻めて攻めて勝ち取る走りが気持ちよい。一方、30代のベルギー選手はとことん早瀨選手をマークしてくっついて離れない。この3人による駆け引きと意地の張り合いが延々と続き、総合順位は変わらず。
■第5ステージ(屏東県⇒台東市/69km)
7月に台湾を襲った台風の影響によるがけ崩れの修復が間に合わないため中止となった。走る予定だったコースをバスで通ったときに、すぐそばに広がる海の青さに目をみはるばかり。しかし道路はがれきがたくさん残っており、長距離にわたって懸命に修復工事をしていたので、2年後のデフ・ツール・ド・台湾では走れるようになっているのを楽しみにしている。この日は台東市内のサイクルロードで2時間ほど足を回す。
■第6ステージ(台東県⇒花連県/155km)
全ステージでもっとも厳しい山岳コース。優勝候補の1人で総合4位につけていたイタリア選手が足切りとなった。その理由はトイレ。どうしても我慢できず、集団から離れて用を足した彼は、ちょうどアタックがかかった集団に追いつくことができなかった。
レース結果をも左右するトイレ問題。日本人選手はあまりそういう機会がないと思うが、ほかの選手は走りながら用を足しているのだ。かくいう早瀨選手と野崎選手にも突然尿意が襲ってきたそうだ。しかしもしトイレで離脱したら集団はアタックをかけるだろうと悩んだ末、早瀨選手は人生初の走りながらの用足しを決断。集団から少し離れて野崎選手に背中を押してもらいながら試すが、強烈な尿意と恥じらいでそれを拒む身体との闘いでなかなか出ないまま断念したそうだ。ステージレースならではのトイレ事情。
残り20km地点の10kmヒルクライムではロシア選手4名と健聴選手3名、早瀨選手の8名で逃げが決まる。しかし上り終わりのアタックで千切れてしまう。もしここでついていければ間違いなく総合優勝だったが、ベルギー選手らがいる第2集団に吸収され7位ゴール。第3集団に川野選手と野崎選手が入り、4位まで下がったチーム総合も2位に浮上した。
■11月7日 休息日
バスで花連から宜蘭まで移動。もともと自転車で走ってはいけないコースなので、毎回休息日として移動する。2年前は列車で移動したが、今回はバス。山道から汽車の線路が見えたりと壮大な景色を眺めながらゆったりと揺られていった。
■第7ステージ(宜蘭県⇒基隆市/89km)
全ステージでもっとも短く、最後に800mの上りでクライムゴールスプリントとなるコース。短いので最初からアタック合戦。ところが道路の陥没で落車が発生し早瀨選手と野崎選手が巻き込まれる。
早瀬選手はすぐにバイクにまたがり、走りながら状態を確認するとフロントブレーキが効かず、ギアも破損して1回転するごとに空転する。野崎選手もブレーキが曲がってしまうトラブル。2人ともなんとか集団に復帰し、集団の後ろを必死についていく。
しばらくするとベルギー選手も復帰。お互いに血を流しており意地と意地とのぶつかり合い。川野選手は何度か千切れそうになりながらもトップ集団に残り、ゴールスプリントに絡む素晴らしい走りをみせた。
最後の800mクライムゴールスプリントで早瀨選手が抜け出すが、残り100mで警察バイクに接触されて吹っ飛ぶ。再びバイクに乗るも、右足首にクランクの歯が突き刺さって出血が止まらず、ふらふらしながら9位でゴールし倒れる。のちに3位のタイムに修正となった。
最終的に個人とチーム共に総合準優勝という結果で7日間の闘いを終えることができた。
文:早瀨憲太郎
※ 記事を修正しました(12月3日 23:30)
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