2016/09/15(木) - 16:43
ブエルタを総合13位で走り終えたジャンクリストフ・ペロー(フランス、AG2Rラモンディアール)が現役引退。エンジニア兼MTB選手、そしてロード選手という異色の経歴を歩んできた39歳がプロトンを去った。
2008年のMTB世界選手権フォークロス・チームリレーでの金メダル、同年北京五輪での男子クロスカントリー銀メダル獲得というトップMTB選手であり、エンジニア。異例の肩書きからロード転向し、AG2Rラモンディアールの総合エースとして長く活躍したジャンクリストフ・ペロー(フランス)がブエルタ・ア・エスパーニャの最終ステージを最後に現役を退いた。
1977年生まれ、トゥールーズ出身で現在39歳のペロー。若い頃からエンジニアとプロMTB選手を兼業する異彩のスター選手として前述の通り成功を収め、2009年には個人TTのフランス選手権でシルヴァン・シャヴァネルらを下して優勝したことをきっかけに32歳でロード転向。
初年度はオメガファーマ・ロットのメンバーとしてパリ〜ニースやブエルタ・ア・シクリスタ・パイスヴァスコ(バスク1周)などで総合上位に食い込み、翌年からはAG2Rラモンディアールのメンバーとしてエースの地位を不動のものに。ビッグレースでの勝利こそ無かったものの、2014年と2015年にはクリテリウム・アンテルナシオナルで総合優勝し、2014年にはツール・ド・フランスで総合2位に食い込んだ。
現役引退はブエルタ・ア・エスパーニャへのメンバー発表時にアナウンスされており、ブエルタではじわじわと総合順位を上げる走りでチームトップとなる13位フィニッシュ。今後に関しては未定とのことだが、「競技に近い場所に身を置きつつ、自転車産業で新しいキャリアをスタートさせたい」とチームサイトの中でコメントしている。
「ブエルタでは出し尽くした。けれど若手であるラトゥールの勝利を見届けることができたのは良かった。総合12位に入ったこと、そしてコバドンガの山頂フィニッシュはとても思い出深いものになった。ラストレースだけに感情を抑え込むのが難しかった。ツール総合2位とオリンピック銀メダルは僕の誇り。子供の頃からの夢だった。残念なことがあるとしたら、ジロ・デ・イタリアを完走できなかったことだ」と締めくくっている。
text:So.Isobe
2008年のMTB世界選手権フォークロス・チームリレーでの金メダル、同年北京五輪での男子クロスカントリー銀メダル獲得というトップMTB選手であり、エンジニア。異例の肩書きからロード転向し、AG2Rラモンディアールの総合エースとして長く活躍したジャンクリストフ・ペロー(フランス)がブエルタ・ア・エスパーニャの最終ステージを最後に現役を退いた。
1977年生まれ、トゥールーズ出身で現在39歳のペロー。若い頃からエンジニアとプロMTB選手を兼業する異彩のスター選手として前述の通り成功を収め、2009年には個人TTのフランス選手権でシルヴァン・シャヴァネルらを下して優勝したことをきっかけに32歳でロード転向。
初年度はオメガファーマ・ロットのメンバーとしてパリ〜ニースやブエルタ・ア・シクリスタ・パイスヴァスコ(バスク1周)などで総合上位に食い込み、翌年からはAG2Rラモンディアールのメンバーとしてエースの地位を不動のものに。ビッグレースでの勝利こそ無かったものの、2014年と2015年にはクリテリウム・アンテルナシオナルで総合優勝し、2014年にはツール・ド・フランスで総合2位に食い込んだ。
現役引退はブエルタ・ア・エスパーニャへのメンバー発表時にアナウンスされており、ブエルタではじわじわと総合順位を上げる走りでチームトップとなる13位フィニッシュ。今後に関しては未定とのことだが、「競技に近い場所に身を置きつつ、自転車産業で新しいキャリアをスタートさせたい」とチームサイトの中でコメントしている。
「ブエルタでは出し尽くした。けれど若手であるラトゥールの勝利を見届けることができたのは良かった。総合12位に入ったこと、そしてコバドンガの山頂フィニッシュはとても思い出深いものになった。ラストレースだけに感情を抑え込むのが難しかった。ツール総合2位とオリンピック銀メダルは僕の誇り。子供の頃からの夢だった。残念なことがあるとしたら、ジロ・デ・イタリアを完走できなかったことだ」と締めくくっている。
text:So.Isobe