2015/09/15(火) - 21:58
大学チームとして出場できる唯一のUCIステージレースでもあるツール・ド・北海道。今年は5校が出場した。3日間・550kmのレースに挑んだ大学生たちの声を集めた。彼らは何を感じ、学んだのだろうか。
■鹿屋体育大学
ツール・ド・北海道は常連の感もある鹿屋体育大学。第2ステージでは山本大喜のアタックが序盤からの逃げ集団形成のきっかけとなり、第3ステージでは黒枝咲哉がスプリント合戦のなか3位に食い込むなど、見せ場を作った。「一緒に逃げたロイック(デリアック/KINAN)選手が平地でも登りでもずば抜けて強力でした。最初の山岳賞前で遅れてしまったけれど、こういうチャレンジを繰り返していきたい」と、第2ステージ終了後の山本。
第3ステージ3位の黒枝は「兄(黒枝士揮/NIPPOヴィーニファンティーニ)が優勝したのは大学3年生の時。自分は今年2年なので、優勝して兄を超えて見せたかった。来年こそ勝って兄に並びたい」と、悔しさを見せる。
黒川剛監督は次のように3日間を総括した。「難しく、レベルの高い厳しいレースを経験出来たことが一番の収穫。ツール・ド・北海道でプロのレースを間近で見て経験してステップアップしてきたチームなので、この経験を今後の精進の糧にしたい」。
■日本大学
インカレチャンピオンの吉田悠人を擁する日本大学。「8月末のインカレの後、みんな実家に帰ったりして練習してなかったからね」と、井上由大監督は話す。だが、それでも大学5チームの中で唯一5人全員が完走し、底力を見せた。
今年の大会で一番厳しいステージとなった第2ステージでは、吉田、片桐善也、草場啓吾が海外チームのスプリンターらと共に第3集団でゴール。大浦尭、渡辺将太も最終グループでゴールし、最終ステージにつなげた。
第2ステージの感想を吉田に聞いてみると「最初の山岳賞が懸かった十勝岳の登りでは第2集団にいたんですけど、周りのペースが速くて遅れてしまいました。インカレの美麻のコースのような、3㎞くらいの登りが繰り返すのは得意だけど、十勝岳のように10㎞も登りが続くとさすがに足が回らなくなる。練習不足ですね」と、反省しつつ話してくれた。
■明治大学
2008年以来の出場となる明治大学。第2ステージでは松本裕典が、コース終盤にある2回目の山岳賞手前までメイン集団にとどまる走りを見せ、個人総合では大学生最上位で完走した。しかし松本は言う。「学生で、と言う事は意識していなくて、プロと走ってどれだけ出来るのかをチャレンジする場と考えています」。
最終日の朝、松本は「今年はツアー・オブ・ジャパンにナショナルチームの一員として出場したけれど完走できませんでした。明治大学として順位を上げられるように最終日も頑張ります」と言ってスタートして行った。本間滋監督は「松本は、彼の力相応の結果が出せていると思います。チームとしては久々の出場なのでチーム総合成績の結果を残すのが目標でした。最終日に3人残れたけれど、出来ればもう1人くらいは完走できるようにしたかったですね」と話してくれた。
■法政大学
昨年に続き出場の法政大学。予定していたメンバーの1人が直前に体調を崩し、出発前日の夜中に相本祥政の出場を決めた。
「夜中の12時に監督から電話があって『行くぞ』って言われて…。準備も何もしてなかったので、3日間引きずり回されるばかりでした」と相本は言う。「ツール・ド・北海道は出たかった大会。昨年は学連のシリーズ戦を優先して出られなかったので、出来ればもっと練習して臨みたかったです。だから今月末の国体の練習のつもりで走ったので、完走出来るとは思っていませんでした。3日間良い経験でした」と、最終日に話してくれた。
相本と共に完走した須貝翔吾は「レベルが1段違うレースを経験しているという感じでした。少しでもあのレベルに近づかなければならないと感じました」と3日間を振り返った。
■東京大学
ツール・ド・北海道では大学ランキング4位までが出場権を得られるが、今年は上位校が辞退したことと、補欠枠で1校増えたことにより、ランキング6位の東京大学の出場が決まった。三宅秀一郎監督は話す。「今回は3人も完走してチーム順位も付いたので上出来です。浦佑樹の結果がふるわなかったのは誤算でしたが」。
ツール・ド・北海道は2回目の出場となる浦は「8月まで大学院の試験があったので練習もあまり出来ず、調子が良くなかったので大した事は出来ないと思っていました。第2ステージの十勝岳で終わると思っていたので…」と、若干歯切れの悪いコメント。大学院進学後に自転車競技は続けるのかと聞くと「色々考えます」と苦笑い。まだ決めかねているようだ。
同じく完走した生駒亮汰は「きつかったですけれど完走出来ると思ってなかったので嬉しいです。平地できつくなるようなハイスピードは学連レースでは経験できないことでした」と振り返った。
■選手を支えるスタッフもステージレースで学びながら成長する
毎日レースが繰り返されるステージレースでは、選手を支えるスタッフの働きが重要。それはプロも学生も変わらない。スタート前の準備、レース中の補給やサポートカーの運転、レース後の撤収から自転車整備まで、各チームとも夜遅くまで作業していた。
東京大学チームに帯同した植田瑞貴マネージャーは「いつもレース中の補給の準備とかしてますけど、ステージレースはまったく違いますね」と話す。「学連のレースは周回コースがほとんどなので、ツール・ド・北海道のようにコース途中の補給地点に先回りして渡すような経験は初めて。難しいところもあったけど、こういう経験が出来て面白かったし、機会があればまたやってみたいですね」と、初めてのツール・ド・北海道の感想を語ってくれた。
今年の大会は、十勝岳の標高1049m地点を通過する第2ステージ、悪天候の中200kmを走った第3ステージと、大学生にとっては未知の部分もある厳しいレースだった。鹿屋の黒枝が第3ステージで3位に入った事が今大会で日本人唯一の表彰台となった一方、個人総合での大学生最上位は明治の松本が約10分遅れの32位、チーム総合順位は大学5校が下位を占める結果に終わった。
それでも、このツール・ド・北海道でしか経験出来ない事や、プロコンチネンタルチームも出場するレースに挑戦する事に意味があると選手や監督たちは話す。大学生が誰でも出られる大会ではないからこそ、この貴重な経験を次に活かして欲しい。
photo&text:Satoru.Kato
■鹿屋体育大学
ツール・ド・北海道は常連の感もある鹿屋体育大学。第2ステージでは山本大喜のアタックが序盤からの逃げ集団形成のきっかけとなり、第3ステージでは黒枝咲哉がスプリント合戦のなか3位に食い込むなど、見せ場を作った。「一緒に逃げたロイック(デリアック/KINAN)選手が平地でも登りでもずば抜けて強力でした。最初の山岳賞前で遅れてしまったけれど、こういうチャレンジを繰り返していきたい」と、第2ステージ終了後の山本。
第3ステージ3位の黒枝は「兄(黒枝士揮/NIPPOヴィーニファンティーニ)が優勝したのは大学3年生の時。自分は今年2年なので、優勝して兄を超えて見せたかった。来年こそ勝って兄に並びたい」と、悔しさを見せる。
黒川剛監督は次のように3日間を総括した。「難しく、レベルの高い厳しいレースを経験出来たことが一番の収穫。ツール・ド・北海道でプロのレースを間近で見て経験してステップアップしてきたチームなので、この経験を今後の精進の糧にしたい」。
■日本大学
インカレチャンピオンの吉田悠人を擁する日本大学。「8月末のインカレの後、みんな実家に帰ったりして練習してなかったからね」と、井上由大監督は話す。だが、それでも大学5チームの中で唯一5人全員が完走し、底力を見せた。
今年の大会で一番厳しいステージとなった第2ステージでは、吉田、片桐善也、草場啓吾が海外チームのスプリンターらと共に第3集団でゴール。大浦尭、渡辺将太も最終グループでゴールし、最終ステージにつなげた。
第2ステージの感想を吉田に聞いてみると「最初の山岳賞が懸かった十勝岳の登りでは第2集団にいたんですけど、周りのペースが速くて遅れてしまいました。インカレの美麻のコースのような、3㎞くらいの登りが繰り返すのは得意だけど、十勝岳のように10㎞も登りが続くとさすがに足が回らなくなる。練習不足ですね」と、反省しつつ話してくれた。
■明治大学
2008年以来の出場となる明治大学。第2ステージでは松本裕典が、コース終盤にある2回目の山岳賞手前までメイン集団にとどまる走りを見せ、個人総合では大学生最上位で完走した。しかし松本は言う。「学生で、と言う事は意識していなくて、プロと走ってどれだけ出来るのかをチャレンジする場と考えています」。
最終日の朝、松本は「今年はツアー・オブ・ジャパンにナショナルチームの一員として出場したけれど完走できませんでした。明治大学として順位を上げられるように最終日も頑張ります」と言ってスタートして行った。本間滋監督は「松本は、彼の力相応の結果が出せていると思います。チームとしては久々の出場なのでチーム総合成績の結果を残すのが目標でした。最終日に3人残れたけれど、出来ればもう1人くらいは完走できるようにしたかったですね」と話してくれた。
■法政大学
昨年に続き出場の法政大学。予定していたメンバーの1人が直前に体調を崩し、出発前日の夜中に相本祥政の出場を決めた。
「夜中の12時に監督から電話があって『行くぞ』って言われて…。準備も何もしてなかったので、3日間引きずり回されるばかりでした」と相本は言う。「ツール・ド・北海道は出たかった大会。昨年は学連のシリーズ戦を優先して出られなかったので、出来ればもっと練習して臨みたかったです。だから今月末の国体の練習のつもりで走ったので、完走出来るとは思っていませんでした。3日間良い経験でした」と、最終日に話してくれた。
相本と共に完走した須貝翔吾は「レベルが1段違うレースを経験しているという感じでした。少しでもあのレベルに近づかなければならないと感じました」と3日間を振り返った。
■東京大学
ツール・ド・北海道では大学ランキング4位までが出場権を得られるが、今年は上位校が辞退したことと、補欠枠で1校増えたことにより、ランキング6位の東京大学の出場が決まった。三宅秀一郎監督は話す。「今回は3人も完走してチーム順位も付いたので上出来です。浦佑樹の結果がふるわなかったのは誤算でしたが」。
ツール・ド・北海道は2回目の出場となる浦は「8月まで大学院の試験があったので練習もあまり出来ず、調子が良くなかったので大した事は出来ないと思っていました。第2ステージの十勝岳で終わると思っていたので…」と、若干歯切れの悪いコメント。大学院進学後に自転車競技は続けるのかと聞くと「色々考えます」と苦笑い。まだ決めかねているようだ。
同じく完走した生駒亮汰は「きつかったですけれど完走出来ると思ってなかったので嬉しいです。平地できつくなるようなハイスピードは学連レースでは経験できないことでした」と振り返った。
■選手を支えるスタッフもステージレースで学びながら成長する
毎日レースが繰り返されるステージレースでは、選手を支えるスタッフの働きが重要。それはプロも学生も変わらない。スタート前の準備、レース中の補給やサポートカーの運転、レース後の撤収から自転車整備まで、各チームとも夜遅くまで作業していた。
東京大学チームに帯同した植田瑞貴マネージャーは「いつもレース中の補給の準備とかしてますけど、ステージレースはまったく違いますね」と話す。「学連のレースは周回コースがほとんどなので、ツール・ド・北海道のようにコース途中の補給地点に先回りして渡すような経験は初めて。難しいところもあったけど、こういう経験が出来て面白かったし、機会があればまたやってみたいですね」と、初めてのツール・ド・北海道の感想を語ってくれた。
今年の大会は、十勝岳の標高1049m地点を通過する第2ステージ、悪天候の中200kmを走った第3ステージと、大学生にとっては未知の部分もある厳しいレースだった。鹿屋の黒枝が第3ステージで3位に入った事が今大会で日本人唯一の表彰台となった一方、個人総合での大学生最上位は明治の松本が約10分遅れの32位、チーム総合順位は大学5校が下位を占める結果に終わった。
それでも、このツール・ド・北海道でしか経験出来ない事や、プロコンチネンタルチームも出場するレースに挑戦する事に意味があると選手や監督たちは話す。大学生が誰でも出られる大会ではないからこそ、この貴重な経験を次に活かして欲しい。
photo&text:Satoru.Kato
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