2015/07/10(金) - 18:04
今日の絶対優勝候補と評されたサガンは、すべての選手のマークを受けて2位に甘んじた。海の美しいステージを締めくくったのは、今日も落車だった。マイヨジョーヌを着たままツールを去るのはこれで2人目。まさにツールに平和な日は無し。
雨に濡れた翌日にさんさんと降り注ぐ太陽は余計に眩しく感じる。美しい日だ。トレックファクトリーのピットには羊がいた。しかも現物大のぬいぐるみだ。なんだろう? スタッフに聞けば「彼の名はHERMAN(ヘルマン)。フェイスブックもあるよ」と紹介してくれた。ツールのIDカード「epuipe(チーム)」も首から下げている。(ちゃんとスタッフとして登録してある。ID発給は審査が厳しいが、それをしちゃうところがASOのエスプリだ)。
場を和ませようとしてくれるヘルマン君だったが、スタート地点に集まった選手たちはあまりリラックスしていない。やはりこれだけ毎日「事」が起こると、緊張を緩めるわけにはいかない、という空気がある。
優勝候補のペーター・サガン(サクソ・ティンコフ)、ジョン・デゲンコルブ(ジャイアント・アルペシン)の二人への期待が高まる。なかでも今日はコース的にはサガンが有力だ。
2012年のツールの登りフィニッシュで見せた鮮烈なスパートとキレのあるスプリント。そしてフォレストガンプに超人ハルクのユニークなポーズ。あのツールデビューの勝ち方をまた見せてくれるのか?という勝手な期待が膨らむ。今年は自分のための列車はいないから、自分でどうにか位置取りするしか無い。今日は風が吹かなければコンタドールを援護する仕事は無し。つまりフリーになれる。
スタート前のトニ・マルティンはスタートラインに早めに並んで集中している。横にグライペルが並ぶとドイツコンビ。笑顔も浮かぶ。しかし会話が弾むほどの陽気さはない。アルベルト・コンタドールもブレーキの効き具合のチェックやヘルメットのストラップを直したり、細かな確認に余念がない。誰しも一分一秒、まったく気を緩める暇は無い雰囲気だ。
ノルマンディーの海沿いへと出る今日のコースはまたしてもクラシックハンターの出番。67km地点でオート=ノルマンディーの美しい海岸線に出れば、あとはフィニッシュまで海沿いの道が続く。サーファーに人気のスポットは強風のエリア。つまり風のなか集団の分断やエシュロンの攻防があり得た。
しかし、今日は快晴の「凪」の日だった。心配されるような厳しい風の事態は起こらず、集団が分断することは無かった。ディエッペの街を越えると美しい海岸線が目に飛び込んでくる。選手たちはこの海の美しさを少しは堪能することができただろうか?
ル・アーヴルに待つラスト1.5kmからのアングヴィル坂は、長さ850m、勾配7%。だらだらと登る緩い坂で、登り切ってから平坦で500m先がフィニッシュ。ちょうど登り区間の頂上にあたるフランスTVの固定カメラの脇に潜んで集団の到着を待った。
ラスト400mあたりで抜けだしたゼネク・スティバル(エティックス・クイックステップ)。その後ろは牽制しあうというより、サガンの動きを誰もがマークしあう状態。人数は多めだが、長く伸び、サガンを番手に、レイナール・ジャンセヴァンレンスバーグ(南アフリカ、MTNキュベカ)がエースのエドヴァルド・ボアッソンハーゲン(ノルウェー)のアシストのために先頭を引く。しかし彼でさえ後ろのサガンを気にしている。
サガンはトラック選手がやるような、急に左へ進路を切って後輪にべったり着く「しっぽ」を切り離そうと試みる。しかし、集団もそれは許さない。すべての選手がサガンの動きに合わせて動く。
誰も追うことをしないうちにスティバルは見る間に差を広げていった。「単独で追えばゴールで刺される」。サガンはポイントを優先した。それもまたクレバーだ。ステージ勝利は難しいが、今日はグライペルは後方に離れて取り残された。ゴールのポイントは確実に抑えたい。手堅く走ったサガンはステージ優勝は逃したが、マイヨヴェールへの歩みはまだ諦めていなかったようだ。
「いい脚があることは見せられたけど、これがレース。誰もが僕を見ていた。そして僕が動くことを期待していた。こういうときはクールにいかなければいけない。思ったようにはいかないもの。
プランは登りで先頭になって、スプリントすることだった。スティバルが行ったとき、僕は待った。皆には僕は行かないと言ったんだ。そして平坦になった時、皆は脚が残っていなかった。もし僕が全力でスティバルを追えばスプリントでは勝てなかった。マイヨヴェールのポイントも取れたし、2位で満足だよ。皆に”僕が勝つだろう”と言われていたから、負けたんだ。3年連続でマイヨヴェールを取った。またそれができるなら素晴らしいけど、難しいことは確かだね」。
最後の1kmを除けば、開幕以来これまでにないほど平穏な日だった。しかし最後の最後にマイヨジョーヌが落車。マルティン、フルーム、ニーバリ、キンタナがクラッシュ。衝撃が走った。まさにツールに平穏な日無し。しかし「ファンタスティック・フォー」に大怪我は無かったようだ。
チームメイトに横一列で押され、フィニッシュまでの1kmを登るマルティンは痛みに耐える顔をしていた。鎖骨を折ったとき特有の、腕の重さを支えるものがない状態であることは誰の目にもすぐ判った。検査を受けるまでもなく、ゴールしてすぐ「折れている」と話したマルティン。
スプリント勝利を狙うべくマルティンにアシストされていたマーク・カヴェンディッシュは、マルティンが落車したとき、停まるべきか、そのままフィニッシュを目指して行くべきか戸惑ったという。そしてペダルを外したものの、逆走しては戻れず。
スティバルもステージ勝利に歓喜する一方、マルティンを心配して到着を待った。エティックス・クイックステップは、スティバルの勝利で喜びと、マルティンの骨折で哀しみのふたつの感情をいっぺんに味わうことになった。
表彰式ではマイヨ・ジョーヌ表彰が最後に回された。「そもそも表彰が無いかもしれない」と思っていたところにポディウムにコールがかかると、ゆっくりと、目を伏せがちに登壇するマルティン。そのけなげな姿に対し、見守るような温かい拍手が沸く。
しかし、マルティンの涙目は隠せない。笑顔を作っているが、失意のどん底にあることが表情から読み取れる。こんなにも切ないマイヨジョーヌの授与式は見たことがない。
祝福でなく、マイヨ・ジョーヌの着納めと、ツールへのさよならを。
マルティンから受け取ったライオンのぬいぐるみを持ったベルナール・イノーも努めて明るく振る舞うが、見届ける眼光は状況の厳しさを悟っている。
マルティンは2012年ツールでも腕を骨折し、ギプスをしたまま走った。「だから今回も走り続ける? 」とは誰もが思っただろう。しかし、診断の結果は鎖骨の開放骨折。骨片が皮膚を突き破りかけているという状況で、痛みは相当なもの。今度ばかりは続けると取り返しのつかないことになるという診断がくだされた。すぐに、2012年も診てもらったその医師の居るハンブルクへと急ぐことに。
クラッシュの原因について、ニーバリとフルームに感情のもつれるニアミスがあったようだ。その時、ニーバリが落車の原因を作ったのはフルームだと感じていたらしい。フルームはレース後に直々にアスタナのバスに向かい、ニーバリと熱く話し合った。そしてバスの中でTVリプレイを観てお互いが原因で無いことを確認したという。
フルームは「誰が落車を引き起こしたか誤解があったようだけど僕じゃない。アスタナのニーバリには絶対に僕じゃないってことを説明したかった」とツィート。ニーバリは「落車の後、フルームだと思ったんだけど、彼が後で来てそうじゃないことを確認できた。そして僕は謝った」とツィート。TV映像は見れば明らか。はたして丸く収まった。
マイヨジョーヌはフルームに移るが、フルームはマルティンに敬意を表して第7ステージでそれを着ないという選択肢はある。落車で停まっていたフルームにとっては、力で奪い取ったものではないというのもある。
いずれにせよ第6ステージ後にフルームへのマイヨジョーヌ授与は行われていないため、マイヨがフルームの元に届けられるとしたら、第7ステージ朝のスタート地点でということになる。
マイヨジョーヌ着用者のリタイアで翌ステージに着用者が居なかった例としては1998年のクリス・ボードマンが落車リタイアした件、1991年にロルフ・ソレンセンが落車リタイアした際、気遣ったグレッグ・レモンが着用しなかった例などがある。
しかし同時に、フルームはそれらを差し置いてもツールのリーダーであることを示すためにあえてマイヨジョーヌを着るということもできる。決めるのは個人。こういう場合は着る・着ないにルールは無く、個人の意志が尊重される。フルームの選択はどちらだろう?。
text:Makoto.AYANO
photo:Makoto.AYANO,Kei Tsuji,Tim de Waele,CorVos,
雨に濡れた翌日にさんさんと降り注ぐ太陽は余計に眩しく感じる。美しい日だ。トレックファクトリーのピットには羊がいた。しかも現物大のぬいぐるみだ。なんだろう? スタッフに聞けば「彼の名はHERMAN(ヘルマン)。フェイスブックもあるよ」と紹介してくれた。ツールのIDカード「epuipe(チーム)」も首から下げている。(ちゃんとスタッフとして登録してある。ID発給は審査が厳しいが、それをしちゃうところがASOのエスプリだ)。
場を和ませようとしてくれるヘルマン君だったが、スタート地点に集まった選手たちはあまりリラックスしていない。やはりこれだけ毎日「事」が起こると、緊張を緩めるわけにはいかない、という空気がある。
優勝候補のペーター・サガン(サクソ・ティンコフ)、ジョン・デゲンコルブ(ジャイアント・アルペシン)の二人への期待が高まる。なかでも今日はコース的にはサガンが有力だ。
2012年のツールの登りフィニッシュで見せた鮮烈なスパートとキレのあるスプリント。そしてフォレストガンプに超人ハルクのユニークなポーズ。あのツールデビューの勝ち方をまた見せてくれるのか?という勝手な期待が膨らむ。今年は自分のための列車はいないから、自分でどうにか位置取りするしか無い。今日は風が吹かなければコンタドールを援護する仕事は無し。つまりフリーになれる。
スタート前のトニ・マルティンはスタートラインに早めに並んで集中している。横にグライペルが並ぶとドイツコンビ。笑顔も浮かぶ。しかし会話が弾むほどの陽気さはない。アルベルト・コンタドールもブレーキの効き具合のチェックやヘルメットのストラップを直したり、細かな確認に余念がない。誰しも一分一秒、まったく気を緩める暇は無い雰囲気だ。
ノルマンディーの海沿いへと出る今日のコースはまたしてもクラシックハンターの出番。67km地点でオート=ノルマンディーの美しい海岸線に出れば、あとはフィニッシュまで海沿いの道が続く。サーファーに人気のスポットは強風のエリア。つまり風のなか集団の分断やエシュロンの攻防があり得た。
しかし、今日は快晴の「凪」の日だった。心配されるような厳しい風の事態は起こらず、集団が分断することは無かった。ディエッペの街を越えると美しい海岸線が目に飛び込んでくる。選手たちはこの海の美しさを少しは堪能することができただろうか?
ル・アーヴルに待つラスト1.5kmからのアングヴィル坂は、長さ850m、勾配7%。だらだらと登る緩い坂で、登り切ってから平坦で500m先がフィニッシュ。ちょうど登り区間の頂上にあたるフランスTVの固定カメラの脇に潜んで集団の到着を待った。
ラスト400mあたりで抜けだしたゼネク・スティバル(エティックス・クイックステップ)。その後ろは牽制しあうというより、サガンの動きを誰もがマークしあう状態。人数は多めだが、長く伸び、サガンを番手に、レイナール・ジャンセヴァンレンスバーグ(南アフリカ、MTNキュベカ)がエースのエドヴァルド・ボアッソンハーゲン(ノルウェー)のアシストのために先頭を引く。しかし彼でさえ後ろのサガンを気にしている。
サガンはトラック選手がやるような、急に左へ進路を切って後輪にべったり着く「しっぽ」を切り離そうと試みる。しかし、集団もそれは許さない。すべての選手がサガンの動きに合わせて動く。
誰も追うことをしないうちにスティバルは見る間に差を広げていった。「単独で追えばゴールで刺される」。サガンはポイントを優先した。それもまたクレバーだ。ステージ勝利は難しいが、今日はグライペルは後方に離れて取り残された。ゴールのポイントは確実に抑えたい。手堅く走ったサガンはステージ優勝は逃したが、マイヨヴェールへの歩みはまだ諦めていなかったようだ。
「いい脚があることは見せられたけど、これがレース。誰もが僕を見ていた。そして僕が動くことを期待していた。こういうときはクールにいかなければいけない。思ったようにはいかないもの。
プランは登りで先頭になって、スプリントすることだった。スティバルが行ったとき、僕は待った。皆には僕は行かないと言ったんだ。そして平坦になった時、皆は脚が残っていなかった。もし僕が全力でスティバルを追えばスプリントでは勝てなかった。マイヨヴェールのポイントも取れたし、2位で満足だよ。皆に”僕が勝つだろう”と言われていたから、負けたんだ。3年連続でマイヨヴェールを取った。またそれができるなら素晴らしいけど、難しいことは確かだね」。
最後の1kmを除けば、開幕以来これまでにないほど平穏な日だった。しかし最後の最後にマイヨジョーヌが落車。マルティン、フルーム、ニーバリ、キンタナがクラッシュ。衝撃が走った。まさにツールに平穏な日無し。しかし「ファンタスティック・フォー」に大怪我は無かったようだ。
チームメイトに横一列で押され、フィニッシュまでの1kmを登るマルティンは痛みに耐える顔をしていた。鎖骨を折ったとき特有の、腕の重さを支えるものがない状態であることは誰の目にもすぐ判った。検査を受けるまでもなく、ゴールしてすぐ「折れている」と話したマルティン。
スプリント勝利を狙うべくマルティンにアシストされていたマーク・カヴェンディッシュは、マルティンが落車したとき、停まるべきか、そのままフィニッシュを目指して行くべきか戸惑ったという。そしてペダルを外したものの、逆走しては戻れず。
スティバルもステージ勝利に歓喜する一方、マルティンを心配して到着を待った。エティックス・クイックステップは、スティバルの勝利で喜びと、マルティンの骨折で哀しみのふたつの感情をいっぺんに味わうことになった。
表彰式ではマイヨ・ジョーヌ表彰が最後に回された。「そもそも表彰が無いかもしれない」と思っていたところにポディウムにコールがかかると、ゆっくりと、目を伏せがちに登壇するマルティン。そのけなげな姿に対し、見守るような温かい拍手が沸く。
しかし、マルティンの涙目は隠せない。笑顔を作っているが、失意のどん底にあることが表情から読み取れる。こんなにも切ないマイヨジョーヌの授与式は見たことがない。
祝福でなく、マイヨ・ジョーヌの着納めと、ツールへのさよならを。
マルティンから受け取ったライオンのぬいぐるみを持ったベルナール・イノーも努めて明るく振る舞うが、見届ける眼光は状況の厳しさを悟っている。
マルティンは2012年ツールでも腕を骨折し、ギプスをしたまま走った。「だから今回も走り続ける? 」とは誰もが思っただろう。しかし、診断の結果は鎖骨の開放骨折。骨片が皮膚を突き破りかけているという状況で、痛みは相当なもの。今度ばかりは続けると取り返しのつかないことになるという診断がくだされた。すぐに、2012年も診てもらったその医師の居るハンブルクへと急ぐことに。
クラッシュの原因について、ニーバリとフルームに感情のもつれるニアミスがあったようだ。その時、ニーバリが落車の原因を作ったのはフルームだと感じていたらしい。フルームはレース後に直々にアスタナのバスに向かい、ニーバリと熱く話し合った。そしてバスの中でTVリプレイを観てお互いが原因で無いことを確認したという。
フルームは「誰が落車を引き起こしたか誤解があったようだけど僕じゃない。アスタナのニーバリには絶対に僕じゃないってことを説明したかった」とツィート。ニーバリは「落車の後、フルームだと思ったんだけど、彼が後で来てそうじゃないことを確認できた。そして僕は謝った」とツィート。TV映像は見れば明らか。はたして丸く収まった。
マイヨジョーヌはフルームに移るが、フルームはマルティンに敬意を表して第7ステージでそれを着ないという選択肢はある。落車で停まっていたフルームにとっては、力で奪い取ったものではないというのもある。
いずれにせよ第6ステージ後にフルームへのマイヨジョーヌ授与は行われていないため、マイヨがフルームの元に届けられるとしたら、第7ステージ朝のスタート地点でということになる。
マイヨジョーヌ着用者のリタイアで翌ステージに着用者が居なかった例としては1998年のクリス・ボードマンが落車リタイアした件、1991年にロルフ・ソレンセンが落車リタイアした際、気遣ったグレッグ・レモンが着用しなかった例などがある。
しかし同時に、フルームはそれらを差し置いてもツールのリーダーであることを示すためにあえてマイヨジョーヌを着るということもできる。決めるのは個人。こういう場合は着る・着ないにルールは無く、個人の意志が尊重される。フルームの選択はどちらだろう?。
text:Makoto.AYANO
photo:Makoto.AYANO,Kei Tsuji,Tim de Waele,CorVos,
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