2014/06/30(月) - 10:06
1周めにできた11人の逃げが最後まで逃げきり、勝負を決めることになった。最後まで協調して逃げ切った佐野淳哉、井上和郎、山本元喜の3人は最後の3kmの上り坂で力勝負を繰り広げ、佐野が悲願の全日本タイトルを那須ブラーゼンにもたらした。
6月29日の岩手県八幡平は雨模様。昨日の夕方より天候が安定せず、この日は終日の雨予報。そのため朝の会議でレースの2周の短縮が決まった。16周・252.8kmから14周・221.2kmへ。なだらかなアップダウンのこのコースは逃げ切りが難しく、前回この地で開催された2年前にはレースが消極化して大きな集団が最終局面まで残り、最後の坂だけの勝負のようになった。海外で走る選手には体験済みの距離でも、国内勢には不安が大きい距離。「レースの活性化にも繋がる」と、距離の短縮を歓迎する声が多くを占めたようだ。
ディフェンディングチャンピオンの新城幸也がジロ・デ・イタリアでの怪我の回復とツール・ド・フランス開催日までの日程の余裕が少なすぎることから欠場。注目はやはり別府史之(トレック・ファクトリーレーシング)だ。前日のTTも制し、2冠に向けて自信をのぞかせる。
ぐずついた曇り空のなかスタート。ほどなくして雨が降り出し、路面を濡らす。ニュートラル区間では談笑しながら走る選手たち。ニュートラルが解除されるとさっそく集団は活性化。逃げ集団をつくろうという動きが繰り返される。しかし決まらないままコース最後の登りに入ると、後方から一気にアタックしたのは井上和郎(ブリヂストンアンカー)。野中竜馬(シマノレーシング)と綾部勇成(愛三工業レーシング)が合流して3人が差を広げる。これに3kmの上りを登り切るまでに佐野淳哉(那須ブラーゼン)らが後方から合流し、11人の逃げ集団を形成した。
11人の逃げメンバー
綾部勇成・平塚吉光(愛三工業レーシング)
山本元喜(ヴィーニファンティーニ・NIPPOデローザ)
阿部嵩之(宇都宮ブリッツェン)
井上和郎・伊丹健治(ブリヂストンアンカー)
武井享介(Shingha Infinite)
佐野淳哉(那須ブラーゼン)
野中竜馬・木村圭祐(シマノレーシング)
山本隼(チーム右京)
優勝を狙える有力チームのほとんどが入った。そして前日のタイムトライアルでも2位だった佐野、3位の山本元喜、そして阿部嵩之など独走力のあるメンバーが入り込んだ逃げだった。佐野はゴール後に「行こうとしている顔ぶれを見て直感的にいいメンバーだと思って逃げに乗った」と語っている。
サブエースで構成された11人。逃げることで後方のエースのアシストもでき、逃げ切れば自ら勝利を狙う。後ろに残った優勝候補たちとそのチームは、自分のチームの選手が逃げていれば集団を引く必要がなく温存できる。しかし勝負どころに向けてお互いの出方を見つつ、エース同士の闘いを有利に進めるためにレースを組み立てていく必要がある。
2周目の後半にかけて50秒ほどだったタイム差は、4周目に入って4分まで広がる。雨が降り、続いて深い霧が立ち込めて視界を遮った。気温は低くはなく、コースに危険箇所がほとんどないものの、過酷なコンディションには違いない。
自チームの選手を前の逃げに乗せたチームが多かったことで不利な立場に立たされたのが単騎参戦の別府だ。差が広がり過ぎないようにしきりにメイン集団の先頭に立ちペースを上げる。しかし後続は消極的。多くの選手とチームが、今日の勝負のカギを握る別府の動きに注目しながら、その消耗を待ち、大きなアタックがかかるタイミングを見逃さないように攻撃に備える走りが続く。
6周目には雨が止み、晴れ間が出てくる。7周目、別府や愛三の西谷泰治と中島康晴、土井雪広、清水都貴など優勝候補メンバーたちが登りで抜け出し、第2集団を形成。そのペースアップでメイン集団は分断。下りでこの第2グループに後方から選手が続々と合流し、18人の追走集団ができる。
しかしほどなくして下りで集団が追いつき、メイン集団は47名に。脚のない選手はふるい落とされるも、再び追いついて数はなかなか減らない。
先頭11名はイーブンペースでローテーションを繰り返し、うまく協調して逃げ続ける。残り6周のとき追走集団はタイム差を1分55秒差まで詰めていたものの、残り5周回の時点で3分20秒差と再び開く。
選手の数を揃える愛三工業、アンカー、ブリッツェン。土井雪広にはこの日強い走りを見せた平井栄一がアシストとして残っていた。注目のMTB選手、山本幸平(スペシャライズド)は集団後方で時折遅れ、苦しんでいる様子を見せる。2時間を超える時間のレース耐性は不足していたか?
追走のメイン集団は残り5周から4周にかけて大きくペースアップし、その数を20人程度まで減らした。
天候は再び曇りがちになったがもはや雨の気配はない。選手たちも続々とウォーマー類を外す。油分の抜けきったチェーンにオイルを差しにニュートラルサポートまで下がり、勝負に備える選手も。
追走グループで、下りのハイスピードからさらにアタックを掛けて抜け出しを試みる別府。追走する他チームのアシスト選手はいるものの、まだ優勝候補たちには火が点かず、開いた差はすぐに詰められ、振り出しに戻る。ペースの上下はあってもなかなか追走モードにもならない。別府が後方へと離れた集団に向かってゼスチャーを出し、まとまらない動きに対してフラストレーションを抱えている様子が伺えた。
ラスト3周。前を行く逃げ集団は変わらず。追走集団は次の21人のメンバーに絞られた。
別府史之(トレックファクトリーレーシング)
土井雪広・平井栄一(チーム右京)
西谷泰治・早川朋宏・中島康晴(愛三工業レーシング)
鈴木譲・増田成幸(宇都宮ブリッツェン)
清水都貴・初山翔・寺崎武郎(ブリヂストンアンカー)
畑中勇介・吉田隼人・入部正太郎(シマノレーシング)
和田力・安原大貴(マトリックスパワータグ)
普久原奨(那須ブラーゼン)
秋丸湧哉(ヴィーニファンティーニ・NIPPOデローザ)
山本幸平(スペシャライズド)
佐々木勇輔(早稲田大)
武末真和(ロヂャースレーシング)
登りでは平井・土井のチームUKYOコンビと別府、清水都貴ら上りに強いメンバーが前に出てペースを上げようとする。すると追走グループ内で分断も発生。脚がないのか消極的なのか、ペースアップにはなかなかつながらない。思うように縮まらないタイム差について追走集団内で危機感が出てきた。
残り2周でタイム差は1分20秒。重要な局面で佐野がパンクしてホイール交換をするハプニングがあったが、その間ほかの選手たちが待つというフェアプレイを見せたという。そして11名の先頭グループからは上りで井上和郎、野中竜馬、佐野淳哉、山本元喜がアタックして抜け出し、野中が落ちて佐野・井上・山本の3人の逃げグループになる。野中は武井亨介(Shingha Infinite)と合流、2人になって宙ぶらりんの状態。
ラスト周回に入る上りの手前で逃げグループの残り組を捉えた別府集団がメイン集団となる。しかしその前を行く3人と2人。先頭と集団の差は1分35秒。逃げ切りの可能性が大きくなった。
追走集団では追走のローテーションが続くが、意志統一はとれていない。前を行く野中と武井、そしてサポートカーの姿を長い下りの直線路で視界に捉えているが、これを先頭グループと見誤った選手もいたようだ。最後の上りまでに十分追いつけると踏んだからか、勝負どころの上りに向けて脚の温存が始まったからか、メイン集団の追走ペースが大事なところで落ちてしまう。
最後の登りに入るまでの平坦路では、佐野が脚を攣らせて走りが乱れていた。その様子を見た山本は「相手は井上さん。佐野さんはもう終わったと思った」とレース後に語っている。
「チームカーの水谷監督からはラスト1周に入る前の上りで”ミヤタカはもう追いつかないから、和郎、君が勝負しろ”という指示があった。心の準備はしていた」と井上。佐野は「脚が攣って苦しんで、もういっぱいいっぱいの状況だった」。
登り口に入るまで保たれた3人の協調もそこまで。後方とのタイム差はすでに安全圏で、3人はお互いのなかからチャンピオンが生まれることを十分わかった上での勝負に入る。登りに入るやいなやスパートしたのは山本。続いて井上、そして佐野と、代わる代わるアタックを掛けてお互いを振り切る力勝負が繰り返された。
3人の後方にはかすかに激しいバトルに入っているメイン集団が見えるが、すでに射程圏外だ。
若さゆえの積極性、スタミナの塊のような山本の荒削りなアタック。フォームが崩れ、脚をかばってか下を向きがちな佐野。一時は大きく離されたが、苦しさを感じさせない安定した走りの井上。それぞれが渾身の力をぶつけあい、我慢に我慢を重ねる3kmの死闘を繰り広げた。残り1.5㎞まで3人の優劣はつかず、お互いを攻撃し続けた。
残り1km、佐野がテンポを刻みだした。山本と井上も諦めずに喰らいつくが、じりじりとふたりを引き離す。佐野はゴールまでに井上に10秒差をつけて逃げ切った。ゴールでは何度もガッツポーズを繰り返し、雄叫びをあげて喜びを爆発させた。
表彰台では感謝の言葉を述べようとして言葉をつまらせ、男泣きした佐野。これまでの選手活動のほとんどをアシストとして走ってきた佐野にとっては、キャリア最大の勝利だ。
NIPPOを経て2013年にUCIプロコンチのヴィーニファンティーニへ加入。欧州トップレースを走るも、不振から肉体・精神の両面に問題を抱えて体調を崩し、レースを走れない状態が続いた。昨年の全日本選手権はリタイア選手第1号だった。
恵まれたフィジカルと豊富な海外活動経験をもちながら、できたばかりの国内チームに拾われる形で迎えられた今シーズン。涙目で迎えるブラーゼンの清水良行監督が、かつての僚友のつながりで国内に戻っての活動を勧め、那須ブラーゼンに加入した。チームにとっては結成わずか2年目で獲得した最大の勝利。その目標にJプロツアーでの勝利はあったが、全日本での勝利はまだ視野に入ってもいなかった。
佐野は言う。「結果的には逃げが発生した時に勘でそこに入ったのが良かった。昨日のTTの結果から、力勝負になったら別府さんや他の優勝候補の選手たちに勝てると思えなかったから、逃げて一定ペースでいくのが自分には可能性があると思っていました。逃げに乗ったなかに足のある選手が多かったので、逃げが捕まってもこのなかから何人かは勝負に絡むんじゃないかと思っていました。
僕自身は最後は脚は攣っていたのでやばかった。最後はなんとか二人に付いて行って、最後に自分の得意の走りに持ち込めた。スプリントになればまず井上選手に勝てないことは分かっていました。
逃げているときは、2011年は別府選手が後方からたったふたりで前に追い付いてきたことが頭をよぎっていました。皆がビクビクしていたと思います。だから逃げの中で変な駆け引きがなかった。3人になっても『最後まで逃げ切れるまで一緒に行こう』と話し合っていました。表彰台に登らなかった選手にも協調に感謝したい。
今できるベストを尽くましした。去年のこと、全日本のときからのことを考えれば、今この場所に立てていることを支えてくれた家族やチーム、スタッフに感謝したい」。佐野はそう言って涙を流した。
2位の井上和郎は言う。「3人が3人ともアタッカーだったから、力を尽くして勝てなかったらしょうがない。コースの最後もそういう上りです。ジュンヤが最後足を攣らせて引けなくなって、あそこで元喜とふたりで見捨てて行ってサシに持ち込めば違ったかもしれません。でもモリモリと帰ってきた。あそこからがジュンヤの本領なんですよね。
最後のドンパチは3人とも本能任せ。最後は10秒差だったので元喜とふたりで追い込めると思っていたけど、ジュンヤの力が上だった。僕も2回めの2位です。また辞められなくなってしまった」。
3位の山本元喜は言う。「苦しんでいる佐野さんの様子を見て、1位か2位は確定で、勝てると思って麓から行ったんですが、ふたりとも脚が残っていたみたいで合わされて。最後は佐野さんが淡々と行き始めたらもう追いつけなかった。
優勝できると思っていたし、したかった。エリート一年目にして結果がこれなら、レースの内容には満足しなければいけないかもしれません。でも世界的にみれば同世代で結果を出しているトップ選手もいるのに、まだ自分はマークもされていない存在。もっと上をめざして頑張ります」。
■再起をかけた佐野の勝利に祝福の声
那須ブラーゼンの清水良行監督は涙を浮かべ、声を震わせながら話す。
「ここまでの道は簡単ではなかったんです。ジュンヤは昨年の今頃は体調を崩して自転車に乗れなくなって、引退するというところまで追い詰められていた。そこからコンチネンタル登録もしていない小さな国内チームで再スタートして、モチベーションを保ってやっていくのは大変だったと思います。でも、彼にとって間違いなくキャリアでいちばんの勝利。それをこのチームで出してくれたことに感謝しています。今、ぼくはこの場でぽっくり逝っても悔いが無いです。監督として、友人としてこんなに嬉しいことはないです」。
宇都宮ブリッツェンから派生し、地元に根付く地域密着型チームを目指すブラーゼン。那須は来年の全日本選手権開催地に決まっており、表彰式後にはその発表も行われた。全日本チャンピオンを抱えての地元開催で地域振興にもはずみがつきそうだ。
かつて佐野が所属したNIPPO。そして佐野をファルネーゼヴィーニへと送り込んだ大門宏監督(ヴィーニファンティーニNIPPOデローザ)も今は違うチーム監督だが祝福の気持ちを隠さない。
「やっと彼の番が回ってきましたね。2010年にタカシ(宮澤崇史)が勝った時もアシストした彼が一番強かった。いままで苦しい思いを重ねてきている今、いろんなことが心をよぎっていると思いますよ」。
「国内に活動の場を移した今、3、4年前のNIPPOそしてファルネーゼで海外で走った時に比べると、走るレースの内容からどうしても力が落ちてしまっていると思うんです。でもそのなかで勝ったのは大きいですよね。そして新しいチームでの勝利はチームにとってもスポンサーや那須にとってもいい面が大きいはずです。去年は僕も彼を助けられず(チームとの契約を継続できなかった)、彼自身本当に悩みを抱えていた。そのなかから良く立ち上がってくれた。心から良かったと思います」。
エース同士の闘いに持ち込めなかった
各チームが勝たせたいエースを乗せないまま、序盤の逃げがそのまま最後まで逃げ切ってしまった。本命同士の闘いは観ることができず、レース後の思いは複雑だ。
9位でレースを終えた別府史之は言う。「追走グループでは展開的にどこのチームも動かなかった。動きを促すようにはしていたけど、上りでペースを上げても下りでまた差が縮まった。協力体制にはならなかった。
コース的にも難しい面は出ました。このコースは下りで追い付くことができるから、脚のない選手も最後まで残れちゃうんです。だから行かなくても最後に狙える面がある。最後、4、5人で行って追いつける可能性はあったと思うけど、そういう体制にはならなかった。自分としては力を出し切って走ったけど、結果にはつながらなかった」。
ー フラストレーションを抱えていた?
「誰もアタックを掛けなかった。僕はたぶん20回以上アタックしている。難しかったですね」。
ー 日本のレースだからということ?
「いや、バイクレースはバイクレース。勝ち負けがすべてなので、そこはしょうがない。改めてレースの難しさを知ったかな。佐野君が勝って強かったということ。勝者が強くて、ほかは負けた」。
ー 良いメンバーでの逃げが決まった時、こうなる予感はあった?
「僕のプランでは差が詰まってからジャンプ・クロス(一気に前に追いつく)だったんですが、差はなかなか縮まらなかった。これはまずいぞと思いながらも、どうしようもなかった」。
最後に追い上げ、追走集団ではトップの4位でレースを終えた清水都貴は言う。「和郎さんにとって惜しかった。自分でも行きたかったけど、そういう展開になってしまったので仕方なかった」。
ー どの時点で勝負を前に任せた?
「いや、任せるつもりはなかったんです。追走の中で勝負がかかって欲しかった。でもそうならなかった。例えば何もしなければ10分以上差が開いてしまうような、もうやめたくなるような空気でした。でもフミがひとりで参加しているのに前を引いていて、それを見てアンカーもトライしたんです。しかし他のチームの同調は得られなかった。
前を行く武井、野中の2人が先頭だと勘違いした選手も。そういう情報だったんです。ボードでも『3人に何秒差』とだけ伝えられていましたから。前が見えて、それで集団はペースを上げるのを止めてしまった。気づいた時には時すでに遅し。残念です。あわよくば勝つという選手が多くて、そういう展開になることは分かっている面もあったんですが、力のある者同士でちゃんとした勝負したかったですね。全日本なんだから」。
ブリヂストンアンカーの水谷壮宏監督は言う。
「100%作戦通りにはいかなかったけれど、アンカーにとってはいい展開でした。メンバーは入れ替わったけれど概ねプラン通りでした。和郎と健治(伊丹)の2名が前にいたから、追走集団では他のチームに脚を使わせて、最後はレースを厳しくする展開に持って行って最後はミヤタカで勝負するというつもりだった。普通は前に追いつくんですが、しかしながら、自分が思っていた以上に他のチームのチーム力がなくて、気づいた時には遅かった。あくまでミヤタカがエースで最後までレースを有利に進めて、ガチンコ勝負したかった。和郎が勝てば良かったんですが。
ミヤタカの立場からすれば絶好の展開だった。ペースアップする連中がいなかった。フミは動けない立場なのに動いてくれたけど、他のチームがまとまらなかった。ここでのレースは距離が長すぎるからサイクリングになると聞いていたけど、そうはしたくなかったのでアンカーはレースを作った。でもこういう結果になってしまった。でも、チームメイトそれぞれがベストを尽くしたので、悔いはないですね。
大門宏監督(ヴィーニファンティーニNIPPOデローザ)は言う。「元喜の3位は驚きですが、選手権らしい結果だと思います。うちのチームはタカシ(宮澤崇史)が早々にリタイアしたので、元喜も途中から後ろを気にすることがなかった。タカシが残っていれば違う走りになった可能性はあります。
他のチームは国内チャンピオンを意識しすぎたんじゃないかと思います。選手権はエースが勝てない大会。選手が前に行ったなら任せればよかったと思います。アンカーと愛三、ブリッツェンは考えすぎた感じはしますね」。
愛三工業レーシングは早川朋宏の10が最高位で、西谷は沈んでしまった。別府匠監督は言う。
「ネガティブな意見で申し訳ないのですが、終盤でもうひと動きあると思っていたんですが、国内チームが前に勝てない選手を残そうとしたことでレースがつまらないものになってしまいました。
本来なら序盤の逃げは捕まえてそこから本当のレースという流れなんですが、積極的に勝ちに行こうとするチームが少なかった。そこには『前にチームメイトが逃げているから追わなくていい』という考えが見えていました。実際国内のJプロツアーでもよく見ることなんですが、それをここでやっていたらだめ。今後強力な敵が来た時に太刀打ち行かなくなる。今回プロツアーの選手(別府史之)が単身で来ていて、多勢に無勢のレースをしていたのではしょうがない。僕としては正攻法で勝負して欲しかった。
結果は煮え切らない面はあるけれど、チームとしてはよく動けていたし、脚を使って最後勝てなかったとしてもこれからもそういう走りは続けていきたいと思います」。
全日本選手権大会ロードレース 男子エリート(221.2km)結果
1位 佐野淳哉(那須ブラーゼン) 5h41’49”
2位 井上和郎(ブリヂストン・アンカー)+10”
3位 山本元喜(ヴィーニファンティーニNIPPOデローザ)+15”
4位 清水都貴(ブリヂストン・アンカー) +45”
5位 土井雪広(チーム右京) +1’02”
6位 入部正太郎(シマノレーシング) +1’02”
7位 畑中勇介(シマノレーシング)
8位 増田成幸(宇都宮ブリッツェン) +1’04”
9位 別府史之(トレック・ファクトリーレーシング) +1’09”
10位 早川朋宏(愛三工業レーシング) +1’20”
text:Makoto.AYANO
photo:Makoto.AYANO,Hideaki.TAKAGI
6月29日の岩手県八幡平は雨模様。昨日の夕方より天候が安定せず、この日は終日の雨予報。そのため朝の会議でレースの2周の短縮が決まった。16周・252.8kmから14周・221.2kmへ。なだらかなアップダウンのこのコースは逃げ切りが難しく、前回この地で開催された2年前にはレースが消極化して大きな集団が最終局面まで残り、最後の坂だけの勝負のようになった。海外で走る選手には体験済みの距離でも、国内勢には不安が大きい距離。「レースの活性化にも繋がる」と、距離の短縮を歓迎する声が多くを占めたようだ。
ディフェンディングチャンピオンの新城幸也がジロ・デ・イタリアでの怪我の回復とツール・ド・フランス開催日までの日程の余裕が少なすぎることから欠場。注目はやはり別府史之(トレック・ファクトリーレーシング)だ。前日のTTも制し、2冠に向けて自信をのぞかせる。
ぐずついた曇り空のなかスタート。ほどなくして雨が降り出し、路面を濡らす。ニュートラル区間では談笑しながら走る選手たち。ニュートラルが解除されるとさっそく集団は活性化。逃げ集団をつくろうという動きが繰り返される。しかし決まらないままコース最後の登りに入ると、後方から一気にアタックしたのは井上和郎(ブリヂストンアンカー)。野中竜馬(シマノレーシング)と綾部勇成(愛三工業レーシング)が合流して3人が差を広げる。これに3kmの上りを登り切るまでに佐野淳哉(那須ブラーゼン)らが後方から合流し、11人の逃げ集団を形成した。
11人の逃げメンバー
綾部勇成・平塚吉光(愛三工業レーシング)
山本元喜(ヴィーニファンティーニ・NIPPOデローザ)
阿部嵩之(宇都宮ブリッツェン)
井上和郎・伊丹健治(ブリヂストンアンカー)
武井享介(Shingha Infinite)
佐野淳哉(那須ブラーゼン)
野中竜馬・木村圭祐(シマノレーシング)
山本隼(チーム右京)
優勝を狙える有力チームのほとんどが入った。そして前日のタイムトライアルでも2位だった佐野、3位の山本元喜、そして阿部嵩之など独走力のあるメンバーが入り込んだ逃げだった。佐野はゴール後に「行こうとしている顔ぶれを見て直感的にいいメンバーだと思って逃げに乗った」と語っている。
サブエースで構成された11人。逃げることで後方のエースのアシストもでき、逃げ切れば自ら勝利を狙う。後ろに残った優勝候補たちとそのチームは、自分のチームの選手が逃げていれば集団を引く必要がなく温存できる。しかし勝負どころに向けてお互いの出方を見つつ、エース同士の闘いを有利に進めるためにレースを組み立てていく必要がある。
2周目の後半にかけて50秒ほどだったタイム差は、4周目に入って4分まで広がる。雨が降り、続いて深い霧が立ち込めて視界を遮った。気温は低くはなく、コースに危険箇所がほとんどないものの、過酷なコンディションには違いない。
自チームの選手を前の逃げに乗せたチームが多かったことで不利な立場に立たされたのが単騎参戦の別府だ。差が広がり過ぎないようにしきりにメイン集団の先頭に立ちペースを上げる。しかし後続は消極的。多くの選手とチームが、今日の勝負のカギを握る別府の動きに注目しながら、その消耗を待ち、大きなアタックがかかるタイミングを見逃さないように攻撃に備える走りが続く。
6周目には雨が止み、晴れ間が出てくる。7周目、別府や愛三の西谷泰治と中島康晴、土井雪広、清水都貴など優勝候補メンバーたちが登りで抜け出し、第2集団を形成。そのペースアップでメイン集団は分断。下りでこの第2グループに後方から選手が続々と合流し、18人の追走集団ができる。
しかしほどなくして下りで集団が追いつき、メイン集団は47名に。脚のない選手はふるい落とされるも、再び追いついて数はなかなか減らない。
先頭11名はイーブンペースでローテーションを繰り返し、うまく協調して逃げ続ける。残り6周のとき追走集団はタイム差を1分55秒差まで詰めていたものの、残り5周回の時点で3分20秒差と再び開く。
選手の数を揃える愛三工業、アンカー、ブリッツェン。土井雪広にはこの日強い走りを見せた平井栄一がアシストとして残っていた。注目のMTB選手、山本幸平(スペシャライズド)は集団後方で時折遅れ、苦しんでいる様子を見せる。2時間を超える時間のレース耐性は不足していたか?
追走のメイン集団は残り5周から4周にかけて大きくペースアップし、その数を20人程度まで減らした。
天候は再び曇りがちになったがもはや雨の気配はない。選手たちも続々とウォーマー類を外す。油分の抜けきったチェーンにオイルを差しにニュートラルサポートまで下がり、勝負に備える選手も。
追走グループで、下りのハイスピードからさらにアタックを掛けて抜け出しを試みる別府。追走する他チームのアシスト選手はいるものの、まだ優勝候補たちには火が点かず、開いた差はすぐに詰められ、振り出しに戻る。ペースの上下はあってもなかなか追走モードにもならない。別府が後方へと離れた集団に向かってゼスチャーを出し、まとまらない動きに対してフラストレーションを抱えている様子が伺えた。
ラスト3周。前を行く逃げ集団は変わらず。追走集団は次の21人のメンバーに絞られた。
別府史之(トレックファクトリーレーシング)
土井雪広・平井栄一(チーム右京)
西谷泰治・早川朋宏・中島康晴(愛三工業レーシング)
鈴木譲・増田成幸(宇都宮ブリッツェン)
清水都貴・初山翔・寺崎武郎(ブリヂストンアンカー)
畑中勇介・吉田隼人・入部正太郎(シマノレーシング)
和田力・安原大貴(マトリックスパワータグ)
普久原奨(那須ブラーゼン)
秋丸湧哉(ヴィーニファンティーニ・NIPPOデローザ)
山本幸平(スペシャライズド)
佐々木勇輔(早稲田大)
武末真和(ロヂャースレーシング)
登りでは平井・土井のチームUKYOコンビと別府、清水都貴ら上りに強いメンバーが前に出てペースを上げようとする。すると追走グループ内で分断も発生。脚がないのか消極的なのか、ペースアップにはなかなかつながらない。思うように縮まらないタイム差について追走集団内で危機感が出てきた。
残り2周でタイム差は1分20秒。重要な局面で佐野がパンクしてホイール交換をするハプニングがあったが、その間ほかの選手たちが待つというフェアプレイを見せたという。そして11名の先頭グループからは上りで井上和郎、野中竜馬、佐野淳哉、山本元喜がアタックして抜け出し、野中が落ちて佐野・井上・山本の3人の逃げグループになる。野中は武井亨介(Shingha Infinite)と合流、2人になって宙ぶらりんの状態。
ラスト周回に入る上りの手前で逃げグループの残り組を捉えた別府集団がメイン集団となる。しかしその前を行く3人と2人。先頭と集団の差は1分35秒。逃げ切りの可能性が大きくなった。
追走集団では追走のローテーションが続くが、意志統一はとれていない。前を行く野中と武井、そしてサポートカーの姿を長い下りの直線路で視界に捉えているが、これを先頭グループと見誤った選手もいたようだ。最後の上りまでに十分追いつけると踏んだからか、勝負どころの上りに向けて脚の温存が始まったからか、メイン集団の追走ペースが大事なところで落ちてしまう。
最後の登りに入るまでの平坦路では、佐野が脚を攣らせて走りが乱れていた。その様子を見た山本は「相手は井上さん。佐野さんはもう終わったと思った」とレース後に語っている。
「チームカーの水谷監督からはラスト1周に入る前の上りで”ミヤタカはもう追いつかないから、和郎、君が勝負しろ”という指示があった。心の準備はしていた」と井上。佐野は「脚が攣って苦しんで、もういっぱいいっぱいの状況だった」。
登り口に入るまで保たれた3人の協調もそこまで。後方とのタイム差はすでに安全圏で、3人はお互いのなかからチャンピオンが生まれることを十分わかった上での勝負に入る。登りに入るやいなやスパートしたのは山本。続いて井上、そして佐野と、代わる代わるアタックを掛けてお互いを振り切る力勝負が繰り返された。
3人の後方にはかすかに激しいバトルに入っているメイン集団が見えるが、すでに射程圏外だ。
若さゆえの積極性、スタミナの塊のような山本の荒削りなアタック。フォームが崩れ、脚をかばってか下を向きがちな佐野。一時は大きく離されたが、苦しさを感じさせない安定した走りの井上。それぞれが渾身の力をぶつけあい、我慢に我慢を重ねる3kmの死闘を繰り広げた。残り1.5㎞まで3人の優劣はつかず、お互いを攻撃し続けた。
残り1km、佐野がテンポを刻みだした。山本と井上も諦めずに喰らいつくが、じりじりとふたりを引き離す。佐野はゴールまでに井上に10秒差をつけて逃げ切った。ゴールでは何度もガッツポーズを繰り返し、雄叫びをあげて喜びを爆発させた。
表彰台では感謝の言葉を述べようとして言葉をつまらせ、男泣きした佐野。これまでの選手活動のほとんどをアシストとして走ってきた佐野にとっては、キャリア最大の勝利だ。
NIPPOを経て2013年にUCIプロコンチのヴィーニファンティーニへ加入。欧州トップレースを走るも、不振から肉体・精神の両面に問題を抱えて体調を崩し、レースを走れない状態が続いた。昨年の全日本選手権はリタイア選手第1号だった。
恵まれたフィジカルと豊富な海外活動経験をもちながら、できたばかりの国内チームに拾われる形で迎えられた今シーズン。涙目で迎えるブラーゼンの清水良行監督が、かつての僚友のつながりで国内に戻っての活動を勧め、那須ブラーゼンに加入した。チームにとっては結成わずか2年目で獲得した最大の勝利。その目標にJプロツアーでの勝利はあったが、全日本での勝利はまだ視野に入ってもいなかった。
佐野は言う。「結果的には逃げが発生した時に勘でそこに入ったのが良かった。昨日のTTの結果から、力勝負になったら別府さんや他の優勝候補の選手たちに勝てると思えなかったから、逃げて一定ペースでいくのが自分には可能性があると思っていました。逃げに乗ったなかに足のある選手が多かったので、逃げが捕まってもこのなかから何人かは勝負に絡むんじゃないかと思っていました。
僕自身は最後は脚は攣っていたのでやばかった。最後はなんとか二人に付いて行って、最後に自分の得意の走りに持ち込めた。スプリントになればまず井上選手に勝てないことは分かっていました。
逃げているときは、2011年は別府選手が後方からたったふたりで前に追い付いてきたことが頭をよぎっていました。皆がビクビクしていたと思います。だから逃げの中で変な駆け引きがなかった。3人になっても『最後まで逃げ切れるまで一緒に行こう』と話し合っていました。表彰台に登らなかった選手にも協調に感謝したい。
今できるベストを尽くましした。去年のこと、全日本のときからのことを考えれば、今この場所に立てていることを支えてくれた家族やチーム、スタッフに感謝したい」。佐野はそう言って涙を流した。
2位の井上和郎は言う。「3人が3人ともアタッカーだったから、力を尽くして勝てなかったらしょうがない。コースの最後もそういう上りです。ジュンヤが最後足を攣らせて引けなくなって、あそこで元喜とふたりで見捨てて行ってサシに持ち込めば違ったかもしれません。でもモリモリと帰ってきた。あそこからがジュンヤの本領なんですよね。
最後のドンパチは3人とも本能任せ。最後は10秒差だったので元喜とふたりで追い込めると思っていたけど、ジュンヤの力が上だった。僕も2回めの2位です。また辞められなくなってしまった」。
3位の山本元喜は言う。「苦しんでいる佐野さんの様子を見て、1位か2位は確定で、勝てると思って麓から行ったんですが、ふたりとも脚が残っていたみたいで合わされて。最後は佐野さんが淡々と行き始めたらもう追いつけなかった。
優勝できると思っていたし、したかった。エリート一年目にして結果がこれなら、レースの内容には満足しなければいけないかもしれません。でも世界的にみれば同世代で結果を出しているトップ選手もいるのに、まだ自分はマークもされていない存在。もっと上をめざして頑張ります」。
■再起をかけた佐野の勝利に祝福の声
那須ブラーゼンの清水良行監督は涙を浮かべ、声を震わせながら話す。
「ここまでの道は簡単ではなかったんです。ジュンヤは昨年の今頃は体調を崩して自転車に乗れなくなって、引退するというところまで追い詰められていた。そこからコンチネンタル登録もしていない小さな国内チームで再スタートして、モチベーションを保ってやっていくのは大変だったと思います。でも、彼にとって間違いなくキャリアでいちばんの勝利。それをこのチームで出してくれたことに感謝しています。今、ぼくはこの場でぽっくり逝っても悔いが無いです。監督として、友人としてこんなに嬉しいことはないです」。
宇都宮ブリッツェンから派生し、地元に根付く地域密着型チームを目指すブラーゼン。那須は来年の全日本選手権開催地に決まっており、表彰式後にはその発表も行われた。全日本チャンピオンを抱えての地元開催で地域振興にもはずみがつきそうだ。
かつて佐野が所属したNIPPO。そして佐野をファルネーゼヴィーニへと送り込んだ大門宏監督(ヴィーニファンティーニNIPPOデローザ)も今は違うチーム監督だが祝福の気持ちを隠さない。
「やっと彼の番が回ってきましたね。2010年にタカシ(宮澤崇史)が勝った時もアシストした彼が一番強かった。いままで苦しい思いを重ねてきている今、いろんなことが心をよぎっていると思いますよ」。
「国内に活動の場を移した今、3、4年前のNIPPOそしてファルネーゼで海外で走った時に比べると、走るレースの内容からどうしても力が落ちてしまっていると思うんです。でもそのなかで勝ったのは大きいですよね。そして新しいチームでの勝利はチームにとってもスポンサーや那須にとってもいい面が大きいはずです。去年は僕も彼を助けられず(チームとの契約を継続できなかった)、彼自身本当に悩みを抱えていた。そのなかから良く立ち上がってくれた。心から良かったと思います」。
エース同士の闘いに持ち込めなかった
各チームが勝たせたいエースを乗せないまま、序盤の逃げがそのまま最後まで逃げ切ってしまった。本命同士の闘いは観ることができず、レース後の思いは複雑だ。
9位でレースを終えた別府史之は言う。「追走グループでは展開的にどこのチームも動かなかった。動きを促すようにはしていたけど、上りでペースを上げても下りでまた差が縮まった。協力体制にはならなかった。
コース的にも難しい面は出ました。このコースは下りで追い付くことができるから、脚のない選手も最後まで残れちゃうんです。だから行かなくても最後に狙える面がある。最後、4、5人で行って追いつける可能性はあったと思うけど、そういう体制にはならなかった。自分としては力を出し切って走ったけど、結果にはつながらなかった」。
ー フラストレーションを抱えていた?
「誰もアタックを掛けなかった。僕はたぶん20回以上アタックしている。難しかったですね」。
ー 日本のレースだからということ?
「いや、バイクレースはバイクレース。勝ち負けがすべてなので、そこはしょうがない。改めてレースの難しさを知ったかな。佐野君が勝って強かったということ。勝者が強くて、ほかは負けた」。
ー 良いメンバーでの逃げが決まった時、こうなる予感はあった?
「僕のプランでは差が詰まってからジャンプ・クロス(一気に前に追いつく)だったんですが、差はなかなか縮まらなかった。これはまずいぞと思いながらも、どうしようもなかった」。
最後に追い上げ、追走集団ではトップの4位でレースを終えた清水都貴は言う。「和郎さんにとって惜しかった。自分でも行きたかったけど、そういう展開になってしまったので仕方なかった」。
ー どの時点で勝負を前に任せた?
「いや、任せるつもりはなかったんです。追走の中で勝負がかかって欲しかった。でもそうならなかった。例えば何もしなければ10分以上差が開いてしまうような、もうやめたくなるような空気でした。でもフミがひとりで参加しているのに前を引いていて、それを見てアンカーもトライしたんです。しかし他のチームの同調は得られなかった。
前を行く武井、野中の2人が先頭だと勘違いした選手も。そういう情報だったんです。ボードでも『3人に何秒差』とだけ伝えられていましたから。前が見えて、それで集団はペースを上げるのを止めてしまった。気づいた時には時すでに遅し。残念です。あわよくば勝つという選手が多くて、そういう展開になることは分かっている面もあったんですが、力のある者同士でちゃんとした勝負したかったですね。全日本なんだから」。
ブリヂストンアンカーの水谷壮宏監督は言う。
「100%作戦通りにはいかなかったけれど、アンカーにとってはいい展開でした。メンバーは入れ替わったけれど概ねプラン通りでした。和郎と健治(伊丹)の2名が前にいたから、追走集団では他のチームに脚を使わせて、最後はレースを厳しくする展開に持って行って最後はミヤタカで勝負するというつもりだった。普通は前に追いつくんですが、しかしながら、自分が思っていた以上に他のチームのチーム力がなくて、気づいた時には遅かった。あくまでミヤタカがエースで最後までレースを有利に進めて、ガチンコ勝負したかった。和郎が勝てば良かったんですが。
ミヤタカの立場からすれば絶好の展開だった。ペースアップする連中がいなかった。フミは動けない立場なのに動いてくれたけど、他のチームがまとまらなかった。ここでのレースは距離が長すぎるからサイクリングになると聞いていたけど、そうはしたくなかったのでアンカーはレースを作った。でもこういう結果になってしまった。でも、チームメイトそれぞれがベストを尽くしたので、悔いはないですね。
大門宏監督(ヴィーニファンティーニNIPPOデローザ)は言う。「元喜の3位は驚きですが、選手権らしい結果だと思います。うちのチームはタカシ(宮澤崇史)が早々にリタイアしたので、元喜も途中から後ろを気にすることがなかった。タカシが残っていれば違う走りになった可能性はあります。
他のチームは国内チャンピオンを意識しすぎたんじゃないかと思います。選手権はエースが勝てない大会。選手が前に行ったなら任せればよかったと思います。アンカーと愛三、ブリッツェンは考えすぎた感じはしますね」。
愛三工業レーシングは早川朋宏の10が最高位で、西谷は沈んでしまった。別府匠監督は言う。
「ネガティブな意見で申し訳ないのですが、終盤でもうひと動きあると思っていたんですが、国内チームが前に勝てない選手を残そうとしたことでレースがつまらないものになってしまいました。
本来なら序盤の逃げは捕まえてそこから本当のレースという流れなんですが、積極的に勝ちに行こうとするチームが少なかった。そこには『前にチームメイトが逃げているから追わなくていい』という考えが見えていました。実際国内のJプロツアーでもよく見ることなんですが、それをここでやっていたらだめ。今後強力な敵が来た時に太刀打ち行かなくなる。今回プロツアーの選手(別府史之)が単身で来ていて、多勢に無勢のレースをしていたのではしょうがない。僕としては正攻法で勝負して欲しかった。
結果は煮え切らない面はあるけれど、チームとしてはよく動けていたし、脚を使って最後勝てなかったとしてもこれからもそういう走りは続けていきたいと思います」。
全日本選手権大会ロードレース 男子エリート(221.2km)結果
1位 佐野淳哉(那須ブラーゼン) 5h41’49”
2位 井上和郎(ブリヂストン・アンカー)+10”
3位 山本元喜(ヴィーニファンティーニNIPPOデローザ)+15”
4位 清水都貴(ブリヂストン・アンカー) +45”
5位 土井雪広(チーム右京) +1’02”
6位 入部正太郎(シマノレーシング) +1’02”
7位 畑中勇介(シマノレーシング)
8位 増田成幸(宇都宮ブリッツェン) +1’04”
9位 別府史之(トレック・ファクトリーレーシング) +1’09”
10位 早川朋宏(愛三工業レーシング) +1’20”
text:Makoto.AYANO
photo:Makoto.AYANO,Hideaki.TAKAGI
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