「表彰台のてっぺんに立った時は、"やっと勝てた!"という感想。少し苦いレースでしたね。」と若き女子ロードチャンピオン、與那嶺恵理は言う。今回のロングインタビュー第2編では、2013年の全日本ロードから現在、そして未来について触れていく。

河川敷の土手を使って担ぎの練習をする女子ロード王者河川敷の土手を使って担ぎの練習をする女子ロード王者 photo:Yufta.Omata
意外にも、22歳の女子ロードチャンピオンは(おしゃべりという意味では無く)多弁だった。スクールを混ぜたシクロクロスライド後、彼女が合宿の拠点とした三上(和志さん:サイクルハウスミカミ)邸で行ったインタビューは、およそ3時間以上に渡るものとなった。

ロードのオフシーズンだけにライド中も穏やかな雰囲気であったが、サドルから離れ、鳳凰を描いた鮮やかなジャージから私服に着替えると、より柔和な印象を受ける。話をしてみても気負いのようなものは一切無いが、言いたい事を頭の中でまとめしっかりと発言するあたり、彼女に宿る芯の強さを感じたのであった。



第1編からの続き)
—失敗に終わったアジア選手権を経て臨んだ今年6月の全日本選手権。どのような気持ちだったのですか?気負いのようなものはありましたか?

2013年の全日本タイムトライアルを走る2013年の全日本タイムトライアルを走る photo:Kei Tsuji全日本はまずタイムトライアルでした。TTはとにかく自分との戦いであって、私が苦手なコーナーもたったひとつだけ。とにかく徹底的に調整を行い、「平坦を踏みまくれる脚」を用意してレースに臨みました。それでもやっぱり、正直ヨーロッパで走ってきた萩原(麻由子)さんの存在は怖かったんです。

「萩原(麻由子)さんの存在は怖かった」「萩原(麻由子)さんの存在は怖かった」 photo:Kei Tsuji萩原さんに対して「どれだけ強くなっているんだろう」とか、「私なんかじゃ敵わない」とか…。周りの人には「何言ってんだバカヤロー!自信を持て」って怒られちゃいましたけど(笑)。

これは言われもするし自分でも思うことですが、私は「相手」と競争しすぎるクセがあって、常に自分と戦うべきなのに、相手の強さ弱さを基準にして勝った負けたに一喜一憂してしまう。準備をして、それでも負けたらその相手が強かった。その時は悔しがるよりも相手を讃えるべきですよね。

全日本TTでは積み重ねてきた練習量が自信になっていたので、何とかネガティブな気持ちを切り替えることができました。30分のレースを体重の5倍のワット数で踏み抜ければ勝てると思っていましたが、ほぼその通りになったのです。

—そして表彰台のてっぺんで、真っ白なチャンピオンジャージを着ましたね。その時はどう思ったのですか?

「全日本の時は本当に体調が悪く苦しかった」「全日本の時は本当に体調が悪く苦しかった」 photo:Hideaki TAKAGIうーん、もちろん嬉しかったですが、それよりも「やっと勝てた!」という気持ちの方が大きかったですね。みんなは「自転車に乗り始めてたった2年で」と思うのでしょうけれど、私にとってはその2年がものすごく濃くて長かった。24時間全て自転車で強くなるためだけに費やして実践しているから、余計にそう思ったんでしょうね。

それから2週間後の全日本ロード。調整や前日試走の際には調子良かったのですが、実際のレース中はものすごく体調が悪くて、常に吐き気があったんです。補給が足りなかったのか天候からなのか、今でも原因が分からないのですが、とりあえず2周目の登りでアタックしようと決めていました。そして、私のレースはそこから始まったんです。

世界選を目標としている私にとって、参加シードという意味でもこのレースは絶対に穫らなくてはいけません。更に世界との実力差を測るため、日本のトップ選手たちからどれくらいの差をつけ、どんなパワーやタイムを出せるかをはっきりさせたかった。多分後続に10分差をつけることができれば、世界で対等に戦えると考えていました。

でも実際は、レース中のタイム差はずっと3分ぐらいで推移することになります。登りでは必死に頑張って5分差がつくのですが、私が苦手な下りで差を詰められてしまう展開が続きました。道が細すぎて車も入れず、途中のタイム差も教えてくれなかったんですね。

「やっと勝てた。という気持ちが強かった」「やっと勝てた。という気持ちが強かった」 photo:Hideaki TAKAGI
それでようやく中盤を過ぎてギャップを教えてもらったら4分差。「ヤバい!」と思って、その後は「バイクに何もありませんように」とだけ願って走っていましたよ。もうあのレースほど体調が悪いレースは無かったですね。本当に辛かったです。

—そうして苦労しながらも全日本チャンピオンになりました。何か自分の中で変わったものはありましたか?

え?何も変わっていないですね。やっぱりTTの時と同じで「やっと勝てた」という気持ちが強くありました。当然嬉しくないワケは無いですよね。でも体調管理に失敗したことは反省点。少し苦いレースでした。

私はある意味プライベーターですから、企業にスポンサードされている人と違って、広告塔になったり、チヤホヤされたりすることもありません。目指しているのが世界選手権ですから、全日本で勝っても指導されることばかり。そういう奢りとかは一切生まれる要素が無いですね(笑)

—なるほど。それで今年ようやく初めての世界選手権に出たわけですね。

上野みなみ(鹿屋体育大学)と共に初の世界選手権へと出場した上野みなみ(鹿屋体育大学)と共に初の世界選手権へと出場した photo:Riccardo Scanferla本当に「ようやく」でしたね。2012年は全日本選手権で3位の選手までは自動的に世界選の切符が手に入るはずだったのに、なぜだかそれがもらえなかった。そうした悔しい思いをぶつけにイタリアへ渡りました。

「判断ミスで私の世界選は終わってしまった」「判断ミスで私の世界選は終わってしまった」 photo:Kei Tsuji前日U23のレースはスロースタートで、2周目でアタックが掛かって逃げ集団ができ、それが吸収されてゴール前で掛けた選手が勝ちました。コースも登りが厳しかったですから、1周目で集団の前にいなくても大丈夫だと思ってしまったんですね。でも実際にはスタート直後にペースが上がって強豪国がメンバーの振るい落としをかけ、大きな逃げ集団が最後までいってしまいました。私はペースアップに気づいてすぐ前に上がったのですが、隊列が長過ぎて前の状況が良く見えなかった。

先頭だと思ったところは、実は追走集団でした。1年かけて準備して調子も上げていたのに、この判断ミスで私の世界選は終わってしまったんです。でも順位が狙えない以上、私は完走するという目標に切り替えて走ることにしました。

前を行く30人に対して、私たち追走は10人。数的には圧倒的に不利ですが、中盤までタイム差は全く動かず同じペースで走っていました。もちろんそうした判断ミスなどレース勘はまだまだですが、追走集団中では私が一番先頭を長く牽いていたので、フィジカル的に世界との差は無いんだと確信を持つことができたんです。客観的に見ると「40位、完走のみ」というものですが、私としては「これくらい走れるんだ!」という実感と自信を持てたんです。

今までは練習のデータしか無かったぶん、世界の舞台ではとても不安を感じましたが、この世界選ではじめて対等に戦えるという明確な自信を持てた。これはとても大きな経験となりましたね。

「世界選の声援はものすごくて、感動して走りながら泣いてしまったんです」「世界選の声援はものすごくて、感動して走りながら泣いてしまったんです」 photo:Kei Tsuji
世界選ってとにかく応援がもの凄くて、私たちにはそれが地響きのように伝わってくる。TTは一人で走るから、その声援が全部私のものなんですよ!もう感動して走りながら泣いちゃって(笑)。私はここで走りたい!結果を残したい!と強く思いました。来年は更に努力して、10位を目標に走りたいと思います。

—ずいぶん先の話になるのですが、2020年東京オリンピックが決まったのは、ある意味とてもチャンスだと思います。どう考えていますか?

狙うはアルカンシエル。来年の目標は10位以内に入ること狙うはアルカンシエル。来年の目標は10位以内に入ること photo:TDWsport/Kei Tsuji確かに年齢的にもピッタリですね。ただ意外かもしれないのですが、オリンピックは全く狙っていなくて、出られるとも思っていません。オリンピックは世界選のように各国に出場枠があるわけではなく、強豪選手がいない国は参加枠を使い切らなかった国からの繰り上がりで出場できます。

もちろん出られると分かれば頑張りますが、出場自体が不明瞭なレースを目標とするよりも、私は自転車の世界においてよりプライオリティの高い世界選手権に出たいんです。

オリンピックは一定数以上の参加国が無ければならず、はっきり言ってロードをまともに走れない選手も出場してきます。でも世界選は違う。本当に強い選手が集まって、本気でアルカンシエルを狙いにくるんです。

だからそこでまずは10位、次に表彰台、それからアルカンシエル、というステップで考えています。10年のスパンで選手生活を考えていて、最終目標はアルカンシエルに袖を通すこと。それに尽きますね。

Vol.3(最終回)に続く


text:So.Isobe


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