2013/11/15(金) - 14:31
ホビーレーサー最高の栄誉であるツール・ド・おきなわ市民210km。70kmに渡るエスケープを成功させ、単独ゴールへと飛び込んだ清宮洋幸(竹芝サイクルレーシング)による直筆レポートをお届けする。あの独走勝利は、どのようにして勝ち取ったのか。
最前列にチームメイトと共に構える photo:Hideaki.Takagi今年で7連連続7回目のおきなわ。今まで成績としては2012年の6位が最高位だった。全国から強豪が揃うこのレースは毎年楽しみでワクワクする。今年の決戦バイクはグラファイトデザインのザニアだ。
実業団輪島がこのバイクでの初レース予定だったが、中止になってしまい、このおきなわで実戦デビューさせる。高速巡航時がすごく楽で、良く進むバイクという印象を感じていたのでバイクについても楽しみの1つだった。
去年は全く調整できないまま参加したのだが、今年はしっかりと調整ができていた。レースの展開は過去レースからいくつかイメージしてあるし、それについてどう動くかも頭に入れて練習してきたつもりだ。自分のイメージした展開になれば、(勝つ)可能性は「ある」。
「落車は多いと予測し、なるべく前方でレースを進める。」 photo:Hideaki.Takagi
7時36分レーススタート。今回は500名がエントリーしているため落車は多いと予測し、なるべく前方でレースを進める。毎年数回の落車に遭遇するけれど、今年目撃したものは58km地点あたりであった1回だけ。真横で落車があったもののギリギリ回避し、集団にすぐに復帰できた。
1回目の普久川ダム。登りきると集団は40人弱ぐらいになっていた photo:Hideaki.Takagiそして1回目の普久川ダムの登りへと突入する。50~60番手位から登り始め、前方にいる高橋(義博:チームCB)選手を見つけ同じペースで前方へ上がっていく。先頭が見えるところまで行くと西谷選手の一本引き状態。
チームメイトの中鶴友樹(TEAM KIDS ☆RAKURI) photo:Hideaki.Takagi10番手あたりをキープし登りきると集団は40人弱ぐらいになっていた。この集団にはチームメンバーの原選手と中鶴選手がいる。集団の様子は昨年のチャンプ白石選手、西谷(雅史:オーベスト)選手、小畑(郁:なるしまフレンド)選手の3名が積極的に動いていて、あとは周りに合わせて2回目の普久川に向け脚を備えようとしている。
集団は意思統一がされずペースがバラバラだ。恐らく2回目の普久川ダム以降は、より集団をまとめるのが困難になるのではないかと予想していた。
そこで、チームメイトである中鶴(友樹:TEAM KIDS☆RAKURI)選手と原(純一:KMCycle Ibex)選手とでレースプランを立てた。沖縄という大舞台で、レース中にチームとしてプランを立て実行するなんて!と、とてもワクワクした。
そして2回目の普久川ダムでは5番手ぐらいで入り口を通過した。序盤は平坦区間があり、仕掛けるならそこを越えてからだ。そう考えながら登っていると、自然に原選手、鈴木選手、田崎(友康F(t)麒麟山Racing)選手、自分の4人で飛び出している形になった。振り返ってみると集団は見えなかった。たまたま抜け出してしまったか?
自然と抜け出してしまったようだが、それでもペースは速いとは感じておらず、逃げる絶好のタイミング。後ろの集団はチームメイトに任せれば抑えてくれる。ギアを2枚ほど上げ一人で飛び出す。心拍は常に170オーバーだが、脚は回るし数字ほど苦しくないように感じる。脚の調子は良い。
「脚は回るし数字ほど苦しくないように感じる。脚の調子は良い。」 photo:Hideaki.Takagi
清宮の後ろを走る白石真悟(シマノドリンキング)と中鶴友樹(TEAM KIDS ☆RAKURI) photo:Hideaki.Takagi
そのままのペースで普久川ダムを登りきり、安波を登りきった辺りで後続とのタイム差が1分半と情報を得た。そこから1分50秒、2分半と徐々に差が開いていった!後ろの集団は17人と言われたが、途中で16人に減り、160km地点で最大2分50秒の差が開いた。後ろはローテが回っていないのだろう。
単独2位を走る原純一(KMCycle Ibex) photo:Hideaki.Takagi脚の状態は、シッティング時は全く問題なし。急な登りでダンシングに変えると乳酸が溜まるような違和感があるものの、攣る気配は全く無い。初めて導入した梅丹の2RUNが効いている感じだ。
慶佐次以降にある登りが終わり、平地に入ったところで後続との差が1分50秒と一気に縮む。気持ちを持ち直し、ギリギリのペースにまで上げて踏んで行くが、羽地ダムの手前で1分20秒差…。羽地ダムを登りきったところで2分あれば、何とかいけるかなと思っていたが、現実はそんなに甘くない。
聞き逃しかもしれないが、集団が減ったという情報は無かった。この時はタイム差だけを聞いていたので後ろは集団だと思い込んでいたのだ。捕まっても仕方がない。行けるところまで全力で行こう。集団を待ったところで後ろからハイペースで来る集団に乗れる余力は残っていないし、例え捕まっても全力を出し切っていれば悔いはない。
「捕まっても仕方がない。行けるところまで全力で行こう。捕まっても全力を出し切っていれば悔いはない。」 photo:Hideaki.Takagi
羽地ダムを登りきると、タイム差は1分にまで縮まった。
58号線に入り、残り6km。完全にスピードダウンしている。疲労でもないし、ハンガーノックでもないし、脚が攣りそうなわけでもない。良く分からないけど呼吸だけはツライ。タイム差は48秒‐43秒と微妙に詰まってくる。
残りは4kmか3kmか…。後ろを1度振り返ったが、他のカテゴリーの選手もいるため良く分からない。もう振り返らない。ただ前を見て踏むだけだ。
残り1km。どこで差されるか分からない。ただペースを落とさないように走りきるだけ。そしてそのままゴールに飛び込む。逃げ切った。両腕を上げたかったが、その力さえ無かった。
独走でゴールに飛び込む。 photo:Hideaki.Takagi
「逃げ切った。両腕を上げたかったが、その力さえ無かった。」 photo:Hideaki.Takagi
ゴール後に倒れ込む清宮洋幸(竹芝サイクルレーシング)。この後病院に搬送された photo:So.Isobe
市民210km表彰台 清宮洋幸の代役をチームメイトが務めた photo:Hideaki.Takagi
夜には退院し、仲間との打ち上げに参加できた photo:So.Isobeゴール後、チップを外し自転車を立てかけて地面に寝ころぶと、両足の付け根から指先までがしびれ時折攣ってしまい、次第に両腕も肘から指先までがしびれてきて過呼吸に。更に口の周りの筋肉が硬直し、しゃべれなくなってしまった。チームメイトにドリンクを2ℓ以上飲ませてもらい、そのまま病院へと運ばれたが、夜には退院しチームの打ち上げに参加できた。
清宮洋幸(竹芝サイクルレーシング) photo:Hideaki.Takagi給水所では2本ずつボトルを受け取り、慶佐次では3本受け取ったうえ、ほぼ飲みきっているので210kmの間で4.5ℓの水分を取っていた計算だ。おそらくミネラル不足だったのだろう。例年より補給食も多めに持っていたし、給水もしっかりとれた事で安心していたが、一人で逃げる時のエネルギー消費と最高気温28度と言う暑さが計算外だったのだろう。
そんな状況でも、それでも勝った。念願の初優勝。飛び上るほど嬉しく思う。後ろで集団を抑えてくれたチームメイトも原選手が2位、中鶴選手が4位ということで嬉しさは倍以上。まさにチームでの勝利。この沖縄でこんな風に勝てるとは、夢にも思っていなかったのだ。
レース中に支えてくれたチームメンバーや、その他多くの方に応援して頂きました。本当にありがとうございました。また来年も沖縄に戻ってきたいと思います。
清宮洋幸プロフィール
1979年6月16日生まれ 34歳
千葉県在住
所 属:竹芝サイクルレーシング
自転車歴:9年
戦 績:2013:ひたちなか春のエンデューロキングの部 優勝
2013:もてぎ7時間エンデューロ ソロ 2位
2013:東京ヒルクライムHINOHARAステージ 優勝
2013:ツールドつくば エキスパート部門 4連覇(2010~2013)
2012:東京ヒルクライムシリーズ 優勝
2010:BR-1 全日本実業団対抗サイクルロードレース 優勝
2010:BR-1 全日本実業団サイクルロードレースin南信州松川 2位
2010:BR-1 全日本実業団サイクルロードレースin小川 優勝
2009:全日本選手権ロードレース 33位
text:清宮洋幸
photo:Hideaki.Takagi,So.Isobe
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実業団輪島がこのバイクでの初レース予定だったが、中止になってしまい、このおきなわで実戦デビューさせる。高速巡航時がすごく楽で、良く進むバイクという印象を感じていたのでバイクについても楽しみの1つだった。
去年は全く調整できないまま参加したのだが、今年はしっかりと調整ができていた。レースの展開は過去レースからいくつかイメージしてあるし、それについてどう動くかも頭に入れて練習してきたつもりだ。自分のイメージした展開になれば、(勝つ)可能性は「ある」。
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7時36分レーススタート。今回は500名がエントリーしているため落車は多いと予測し、なるべく前方でレースを進める。毎年数回の落車に遭遇するけれど、今年目撃したものは58km地点あたりであった1回だけ。真横で落車があったもののギリギリ回避し、集団にすぐに復帰できた。
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集団は意思統一がされずペースがバラバラだ。恐らく2回目の普久川ダム以降は、より集団をまとめるのが困難になるのではないかと予想していた。
そこで、チームメイトである中鶴(友樹:TEAM KIDS☆RAKURI)選手と原(純一:KMCycle Ibex)選手とでレースプランを立てた。沖縄という大舞台で、レース中にチームとしてプランを立て実行するなんて!と、とてもワクワクした。
そして2回目の普久川ダムでは5番手ぐらいで入り口を通過した。序盤は平坦区間があり、仕掛けるならそこを越えてからだ。そう考えながら登っていると、自然に原選手、鈴木選手、田崎(友康F(t)麒麟山Racing)選手、自分の4人で飛び出している形になった。振り返ってみると集団は見えなかった。たまたま抜け出してしまったか?
自然と抜け出してしまったようだが、それでもペースは速いとは感じておらず、逃げる絶好のタイミング。後ろの集団はチームメイトに任せれば抑えてくれる。ギアを2枚ほど上げ一人で飛び出す。心拍は常に170オーバーだが、脚は回るし数字ほど苦しくないように感じる。脚の調子は良い。
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そのままのペースで普久川ダムを登りきり、安波を登りきった辺りで後続とのタイム差が1分半と情報を得た。そこから1分50秒、2分半と徐々に差が開いていった!後ろの集団は17人と言われたが、途中で16人に減り、160km地点で最大2分50秒の差が開いた。後ろはローテが回っていないのだろう。
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慶佐次以降にある登りが終わり、平地に入ったところで後続との差が1分50秒と一気に縮む。気持ちを持ち直し、ギリギリのペースにまで上げて踏んで行くが、羽地ダムの手前で1分20秒差…。羽地ダムを登りきったところで2分あれば、何とかいけるかなと思っていたが、現実はそんなに甘くない。
聞き逃しかもしれないが、集団が減ったという情報は無かった。この時はタイム差だけを聞いていたので後ろは集団だと思い込んでいたのだ。捕まっても仕方がない。行けるところまで全力で行こう。集団を待ったところで後ろからハイペースで来る集団に乗れる余力は残っていないし、例え捕まっても全力を出し切っていれば悔いはない。
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羽地ダムを登りきると、タイム差は1分にまで縮まった。
58号線に入り、残り6km。完全にスピードダウンしている。疲労でもないし、ハンガーノックでもないし、脚が攣りそうなわけでもない。良く分からないけど呼吸だけはツライ。タイム差は48秒‐43秒と微妙に詰まってくる。
残りは4kmか3kmか…。後ろを1度振り返ったが、他のカテゴリーの選手もいるため良く分からない。もう振り返らない。ただ前を見て踏むだけだ。
残り1km。どこで差されるか分からない。ただペースを落とさないように走りきるだけ。そしてそのままゴールに飛び込む。逃げ切った。両腕を上げたかったが、その力さえ無かった。
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そんな状況でも、それでも勝った。念願の初優勝。飛び上るほど嬉しく思う。後ろで集団を抑えてくれたチームメイトも原選手が2位、中鶴選手が4位ということで嬉しさは倍以上。まさにチームでの勝利。この沖縄でこんな風に勝てるとは、夢にも思っていなかったのだ。
レース中に支えてくれたチームメンバーや、その他多くの方に応援して頂きました。本当にありがとうございました。また来年も沖縄に戻ってきたいと思います。
清宮洋幸プロフィール
1979年6月16日生まれ 34歳
千葉県在住
所 属:竹芝サイクルレーシング
自転車歴:9年
戦 績:2013:ひたちなか春のエンデューロキングの部 優勝
2013:もてぎ7時間エンデューロ ソロ 2位
2013:東京ヒルクライムHINOHARAステージ 優勝
2013:ツールドつくば エキスパート部門 4連覇(2010~2013)
2012:東京ヒルクライムシリーズ 優勝
2010:BR-1 全日本実業団対抗サイクルロードレース 優勝
2010:BR-1 全日本実業団サイクルロードレースin南信州松川 2位
2010:BR-1 全日本実業団サイクルロードレースin小川 優勝
2009:全日本選手権ロードレース 33位
text:清宮洋幸
photo:Hideaki.Takagi,So.Isobe
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