2013/07/19(金) - 18:14
ラルプデュエズを2回上るという100回記念大会最大の見せ場は荒れた天気になるという予報。しかし結局雨雲は水滴をしたたらせることは無く、天気は持ちこたえた。
強すぎるフルームに、ドーピングを告白したアームストロングをもじって「フルームストロング」のアダ名をつけた者がいる。今までに何度も繰り返されたその失望から、強すぎるとドーピングの疑いが生じるのは自然なこと。
しかし前夜には現在ジャンニ・ブーニョが会長を務めるCPA=プロサイクリスト教会が「何の証拠もなくドーピングしていると非難すべきでない」と、フルームを支持する声明を出した。自転車競技=ドーピングと一括りにするメディアへの批判も込めて。
スカイプロサイクリング側もそれまで公開していなかったフルームの近年のパワーメーターの計測データをレキップ紙とフランスの専門家に限って公開した。「勝利した山岳ステージで人間の限界を越える出力データが記録されているのではないか?」「数値の根拠ない急激な伸びがあるのではないか?」という疑いを晴らすためだ。ツール中の数値と最近2年の数値をチェックした専門家によると、フルームの数値には矛盾は見られなかったという。
観客は多けれどマナーは向上
ただでさえ選手たちが危険を訴えていた難コース。嵐が助長する不確定要素がレースを面白くするかに思えたが、結局は少し肌寒い程度の曇り空のまま一日は過ぎた。ラルプデュエズに詰めかけた、その数100万人とも言われる観客たちはとても雨に備えていると思えない格好で陽気に選手の到着を待った。
今年は大会や選手からSNSで「安全な観戦を」という呼びかけが積極的に行われている。その効果はてきめんで、おかしなコスプレはますます多くなるがマナー自体はとても良くなっていると感じる。
麓から続く21のコーナーには番号が振られ、山頂を制した歴代の選手の名前とともにプレートに刻まれる。7番コーナーの通称「オランダ人のカーブ」は尋常でない人の数。アルコールも入っているので通るときは身の危険を感じるほどだ。それでも今年はお行儀が良かった。いつもなら通る人ごとにビールを浴びせかけていたのだから!
リブロンのステージ初勝利にフランス人が歓喜
ラストの撮影スポットとして粘ったのはラスト4km地点。アメリカ、イギリス、フランス、ノルウェー、そして日本人と各国応援団入り交じっての声援が飛ぶコーナーだ。
ティージェイ・ヴァンガーデレン(BMCレーシングチーム)が独走で登ってきたとき、アメリカ人たちが星条旗を振って狂喜乱舞。次に遅れて登ってきたクリストフ・リブロン(アージェードゥーゼル)を見たフランス人は、「アレ!クリストフ!!」と応援した後ため息を付いた。そのときはもはや詰められないぐらいの距離が開いていたからだ。
しかし斜面に続くつづら折れのゴール1㎞前の第2最終コーナーまでが見渡せるそこからは、リブロンが追い上げていくさまが観客の歓喜のウェーブとなって伝わってきた。リブロンがゴールに飛び込むと、ラルプデュエズにフランス人の歓声が沸き起こった。このツールで一勝も挙げていなかったフランス人の初めてのステージ優勝が、この歴史的なステージで実現した。リブロンにとっては2年前のアクス・トロワ・ドメーヌでの逃げ切り勝利に続くツールの勝利だ。
先行したヴァンガードレンが逃げグループの中では最も強いと認識していたリブロン。サレンヌの下りでコースアウトしたが、ヴァンガードレンがメカトラブルを抱えたことも自分に有利に働くことを信じ、先行されても諦めずに追い続けた。2日前のステージでギャップに2位でゴールしている悔しさも粘りにつながった。
アージェードゥーゼルは マキシム・ブエ(フランス)が序盤にリタイア。そして昨日の個人TTではチームリーダーであり総合でフランス人最高位にもつけていたジャンクリストフ・ペロー(フランス)を落車で失っていたばかり。この勝利はチームとフランス国民の大きな失望を埋め合わせるのにとてもタイムリーだった。
ラスト4kmで見た選手たちの修羅場
スカイのアシストとしての重要性を改めて再認識させてくれたリッチー・ポルトの素晴らしい働き。マイヨジョーヌのクリス・フルームを引き連れてラスト4kmのコーナーを通過するとき、ポルトは昨年フルームがウィギンズにしたように後ろのフルームに振り返って顔色を覗き込んでいた。ラスト5㎞で危うくハンガーノックに陥りかけたフルームはエナジーバーを摂り、この時点でようやく復調しかけたところだったのだろう。顔色も戻り、上体が不安定に揺れながらも、ポルトの後輪に遅れずに着いていた。
ようやくマイヨジョーヌが弱った瞬間を見たものの、続いたのはそれ以上に弱ったコンタドールたちの姿。ロジャースとクロイツィゲルに牽かれ、鈍くキレのないダンシングでラルプデュエズを上る無残な姿。2011年ツールでロランの先行を許した時に続いて、コンタドールはここラルプデュエズで苦しむ姿を披露した。マイヨジョーヌに対してアタックするはずが、バッド・デイに苦しんでいたようだ。
クロイツィゲルはコンタドールのほうを振り返って顔色を伺うと、周りの選手たちには睨みをきかせた。クロイツィゲルは前を行くナイロ・クインターナ(モビスター)を単独で追うことはせず、自身の総合よりコンタドールをアシストする立場を選んだ。
ベルキンのジャージも遅れて3人で登ってきた。ロバート・ヘーシンク(オランダ)とラーシュペッテル・ノルダーグ(ノルウェー)が前を引き、苦しむバウク・モレマ(オランダ)をアシストとする。遅れて距離が開きがちのモレマに、ノルダーグが手を差し伸べる。ラルプデュエズのラスト数㎞では、選手たちのまさにギリギリの修羅場の様子を見ることができた。
ユキヤは65位でフィニッシュ
グルペットの遥か前、65位という良い順位でゴールした新城幸也(ユーロップカー)。1回目のラルプデュエズはマイヨジョーヌ集団に入って上っていたのに驚かされた!(頂上をその集団内で越えたかは未確認)。
そして2回めは独走で上った。一人で走ると観客たちの声援は名前で呼ばれるようになる。ユーロップカーはピエール・ロランとトマ・ヴォクレールの2人がステージ優勝に向けて死力を尽くしたが結果は残らなかった。
疲れるどころか、調子を上げていることを証明したユキヤは言う「すごい人だったね〜。やっぱりラルプデュエズはきつかった。チームとしても勝てていないし、自分がこの位置でゴールできても良かったとは言えない。ただ、登れるようになってきたし、明日の峠はもっと頑張れると思います。」
ポルトとフルームの反則補給に20秒のペナルティ
ラスト5kmでチームカーから補給食を受け取った反則に対し、ポルトとフルームに20秒のペナルティが課された。ともに200スイスフランの罰金と、渡した監督のニコラ・ポルタルにも1000スイスフランの罰金が課された。
20秒のペナルティタイムはこの日コンタドールに対してつけた差の57秒を37秒に減らしたが、フルームにとって大差はないものに。補給食が底をつき、ハンガーノックに陥ったフルームはペナルティ覚悟で禁止されているラスト6km以内の補給食受け取りに踏み切った。ハンガーノックに陥り手遅れになると、もっと大きなタイムを失うところだった。
1996年には当時ツール5連勝中のミゲル・インデュラインがここラルプデュエズでハンガーノックに陥り、3分の遅れを喫してツール6連覇を逃している。補給食が底をついた原因は、チームカーがトラブルで遅れ、補給を受け取れなかったこと。観客の多すぎる、情報のやりとりが困難なラルプデュエズではよくあることだ。
補給食を受け取ったのはポルトだが、それを受けとって恩恵を得たフルームにもペナルティを課すのは状況に応じた審判の判断によるもの。フルームもこれをしぶしぶながら受け入れている。
「詳しいことは知らないが、ルールはルールだから従う。でも、実際にクルマから食べ物を受け取ったのはリッチーで、僕自身じゃない。もし再考の余地があるとしたらそこだろうけどね。ともかく、ステージを無事終えられて差を開けたのは嬉しいね」
ハンガーノックは突然力が入らなくなる。空腹を感じてからではすでに遅く、慌てて補給食を食べてもすぐには回復しない。それどころか翌日のパフォーマンスにも大きく影響が出るといわれる。判断が遅れればここで食らった20秒どころではなくなったというわけだ。ツールを決定的に左右するステージはまだふたつ残っている。フルームがそのときエナジーバーを受け取り取り損ねていたら?と、意地悪なことをつい考えてしまう。
photo&text:Makoto.AYANO
強すぎるフルームに、ドーピングを告白したアームストロングをもじって「フルームストロング」のアダ名をつけた者がいる。今までに何度も繰り返されたその失望から、強すぎるとドーピングの疑いが生じるのは自然なこと。
しかし前夜には現在ジャンニ・ブーニョが会長を務めるCPA=プロサイクリスト教会が「何の証拠もなくドーピングしていると非難すべきでない」と、フルームを支持する声明を出した。自転車競技=ドーピングと一括りにするメディアへの批判も込めて。
スカイプロサイクリング側もそれまで公開していなかったフルームの近年のパワーメーターの計測データをレキップ紙とフランスの専門家に限って公開した。「勝利した山岳ステージで人間の限界を越える出力データが記録されているのではないか?」「数値の根拠ない急激な伸びがあるのではないか?」という疑いを晴らすためだ。ツール中の数値と最近2年の数値をチェックした専門家によると、フルームの数値には矛盾は見られなかったという。
観客は多けれどマナーは向上
ただでさえ選手たちが危険を訴えていた難コース。嵐が助長する不確定要素がレースを面白くするかに思えたが、結局は少し肌寒い程度の曇り空のまま一日は過ぎた。ラルプデュエズに詰めかけた、その数100万人とも言われる観客たちはとても雨に備えていると思えない格好で陽気に選手の到着を待った。
今年は大会や選手からSNSで「安全な観戦を」という呼びかけが積極的に行われている。その効果はてきめんで、おかしなコスプレはますます多くなるがマナー自体はとても良くなっていると感じる。
麓から続く21のコーナーには番号が振られ、山頂を制した歴代の選手の名前とともにプレートに刻まれる。7番コーナーの通称「オランダ人のカーブ」は尋常でない人の数。アルコールも入っているので通るときは身の危険を感じるほどだ。それでも今年はお行儀が良かった。いつもなら通る人ごとにビールを浴びせかけていたのだから!
リブロンのステージ初勝利にフランス人が歓喜
ラストの撮影スポットとして粘ったのはラスト4km地点。アメリカ、イギリス、フランス、ノルウェー、そして日本人と各国応援団入り交じっての声援が飛ぶコーナーだ。
ティージェイ・ヴァンガーデレン(BMCレーシングチーム)が独走で登ってきたとき、アメリカ人たちが星条旗を振って狂喜乱舞。次に遅れて登ってきたクリストフ・リブロン(アージェードゥーゼル)を見たフランス人は、「アレ!クリストフ!!」と応援した後ため息を付いた。そのときはもはや詰められないぐらいの距離が開いていたからだ。
しかし斜面に続くつづら折れのゴール1㎞前の第2最終コーナーまでが見渡せるそこからは、リブロンが追い上げていくさまが観客の歓喜のウェーブとなって伝わってきた。リブロンがゴールに飛び込むと、ラルプデュエズにフランス人の歓声が沸き起こった。このツールで一勝も挙げていなかったフランス人の初めてのステージ優勝が、この歴史的なステージで実現した。リブロンにとっては2年前のアクス・トロワ・ドメーヌでの逃げ切り勝利に続くツールの勝利だ。
先行したヴァンガードレンが逃げグループの中では最も強いと認識していたリブロン。サレンヌの下りでコースアウトしたが、ヴァンガードレンがメカトラブルを抱えたことも自分に有利に働くことを信じ、先行されても諦めずに追い続けた。2日前のステージでギャップに2位でゴールしている悔しさも粘りにつながった。
アージェードゥーゼルは マキシム・ブエ(フランス)が序盤にリタイア。そして昨日の個人TTではチームリーダーであり総合でフランス人最高位にもつけていたジャンクリストフ・ペロー(フランス)を落車で失っていたばかり。この勝利はチームとフランス国民の大きな失望を埋め合わせるのにとてもタイムリーだった。
ラスト4kmで見た選手たちの修羅場
スカイのアシストとしての重要性を改めて再認識させてくれたリッチー・ポルトの素晴らしい働き。マイヨジョーヌのクリス・フルームを引き連れてラスト4kmのコーナーを通過するとき、ポルトは昨年フルームがウィギンズにしたように後ろのフルームに振り返って顔色を覗き込んでいた。ラスト5㎞で危うくハンガーノックに陥りかけたフルームはエナジーバーを摂り、この時点でようやく復調しかけたところだったのだろう。顔色も戻り、上体が不安定に揺れながらも、ポルトの後輪に遅れずに着いていた。
ようやくマイヨジョーヌが弱った瞬間を見たものの、続いたのはそれ以上に弱ったコンタドールたちの姿。ロジャースとクロイツィゲルに牽かれ、鈍くキレのないダンシングでラルプデュエズを上る無残な姿。2011年ツールでロランの先行を許した時に続いて、コンタドールはここラルプデュエズで苦しむ姿を披露した。マイヨジョーヌに対してアタックするはずが、バッド・デイに苦しんでいたようだ。
クロイツィゲルはコンタドールのほうを振り返って顔色を伺うと、周りの選手たちには睨みをきかせた。クロイツィゲルは前を行くナイロ・クインターナ(モビスター)を単独で追うことはせず、自身の総合よりコンタドールをアシストする立場を選んだ。
ベルキンのジャージも遅れて3人で登ってきた。ロバート・ヘーシンク(オランダ)とラーシュペッテル・ノルダーグ(ノルウェー)が前を引き、苦しむバウク・モレマ(オランダ)をアシストとする。遅れて距離が開きがちのモレマに、ノルダーグが手を差し伸べる。ラルプデュエズのラスト数㎞では、選手たちのまさにギリギリの修羅場の様子を見ることができた。
ユキヤは65位でフィニッシュ
グルペットの遥か前、65位という良い順位でゴールした新城幸也(ユーロップカー)。1回目のラルプデュエズはマイヨジョーヌ集団に入って上っていたのに驚かされた!(頂上をその集団内で越えたかは未確認)。
そして2回めは独走で上った。一人で走ると観客たちの声援は名前で呼ばれるようになる。ユーロップカーはピエール・ロランとトマ・ヴォクレールの2人がステージ優勝に向けて死力を尽くしたが結果は残らなかった。
疲れるどころか、調子を上げていることを証明したユキヤは言う「すごい人だったね〜。やっぱりラルプデュエズはきつかった。チームとしても勝てていないし、自分がこの位置でゴールできても良かったとは言えない。ただ、登れるようになってきたし、明日の峠はもっと頑張れると思います。」
ポルトとフルームの反則補給に20秒のペナルティ
ラスト5kmでチームカーから補給食を受け取った反則に対し、ポルトとフルームに20秒のペナルティが課された。ともに200スイスフランの罰金と、渡した監督のニコラ・ポルタルにも1000スイスフランの罰金が課された。
20秒のペナルティタイムはこの日コンタドールに対してつけた差の57秒を37秒に減らしたが、フルームにとって大差はないものに。補給食が底をつき、ハンガーノックに陥ったフルームはペナルティ覚悟で禁止されているラスト6km以内の補給食受け取りに踏み切った。ハンガーノックに陥り手遅れになると、もっと大きなタイムを失うところだった。
1996年には当時ツール5連勝中のミゲル・インデュラインがここラルプデュエズでハンガーノックに陥り、3分の遅れを喫してツール6連覇を逃している。補給食が底をついた原因は、チームカーがトラブルで遅れ、補給を受け取れなかったこと。観客の多すぎる、情報のやりとりが困難なラルプデュエズではよくあることだ。
補給食を受け取ったのはポルトだが、それを受けとって恩恵を得たフルームにもペナルティを課すのは状況に応じた審判の判断によるもの。フルームもこれをしぶしぶながら受け入れている。
「詳しいことは知らないが、ルールはルールだから従う。でも、実際にクルマから食べ物を受け取ったのはリッチーで、僕自身じゃない。もし再考の余地があるとしたらそこだろうけどね。ともかく、ステージを無事終えられて差を開けたのは嬉しいね」
ハンガーノックは突然力が入らなくなる。空腹を感じてからではすでに遅く、慌てて補給食を食べてもすぐには回復しない。それどころか翌日のパフォーマンスにも大きく影響が出るといわれる。判断が遅れればここで食らった20秒どころではなくなったというわけだ。ツールを決定的に左右するステージはまだふたつ残っている。フルームがそのときエナジーバーを受け取り取り損ねていたら?と、意地悪なことをつい考えてしまう。
photo&text:Makoto.AYANO
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