2013/05/29(水) - 21:25
4月27日から5月1日の5日間、タイで開催されたアマチュア向けのステージレース “ツアー・オブ・フレンドシップ”に参戦したCW編集部・綾野の参戦&取材レポート・後編をお届け。レースは都会を離れ、アジアを感じさせる自然たっぷりな地域へと進んでゆく。(レポート前編はこちら)
第1ステージの個人TTと第2ステージを終え、舞台は自然豊かなタイの郊外へと舞台を移した。
一般ホビーレーサーが出場できるアジアの国際ステージレース、ツアー・オブ・フレンドシップ。第2ステージで一気にバンコク郊外の田舎へと移動したプロトンは、コテージ滞在型のリゾートホテルを拠点に、さらに3日間のレースが始まる。
Stage 3 170 km (オープン、30-39歳、40-49歳) コースマップ
第2ステージでは147kmの平坦ステージをハイスピードで駆け抜けた。その夜はみっちりとタイマッサージを施術してもらい、日本での日常生活以上にリフレッシュして第3ステージへと臨む。
レースはこのリゾートコテージを拠点に、周辺の一般道路に設定された周回コースを走る。
肩凝りはほぐれたものの、平均45km/hで巡航した第2ステージの疲労感を感じながらスタートラインに着く。朝からその日一日が過酷になることを予測させる気温の高さだ。
ホテル前をスタートしてすぐ、第2ステージで最後に上った丘を登る。エイジクラスでもっとも威勢のいい40〜49歳クラス。いきなりここでスピードが上がり、非常に苦しい思いを強いられた。
最初の上りはなんとか集団でクリアするも、平坦区間で高速巡航の集団から遅れ気味で、つぎの坂で早くも限界に達してしまう。自分的に目一杯追い込んだペースでついて行こうとし、脚を使い果たしてしまった。
一度こうなると体力の回復は難しい。あえぎながら登りをこなし、遅れてからはすぐリタイアできるように流しに入る。10km行かないうちに終了である。やはりこのレース、平坦なら誤魔化しは効くが、レベルはそれなりに高い。
しかし、チームカーは周回コースに先行するために先に行ってしまった。自分の周りはちぎれた何人かがぱつぽつ走っている状態。
ガーミンの示す気温は43度。日差しが暑い。それでも日本の真夏の蒸し暑さより楽ではあるが…。普通ならとても自転車に乗れる気候ではないが、原付に乗った移動マーシャルが750ccのペットボトルの水をひっきりなしに配ってくれる。遅れている選手にもそれなりに行き届くのは素晴らしい。
遅れ過ぎないようにペダルを踏んでいると、後方から続いてスタートした30代クラスと女子、50歳以上のクラスの選手たちの先頭集団が追いついてきた。これに便乗することにする。
集団内では日本の若者、ボンシャンス飯田のジャージを着た内山君(ネクストステージ)が快調。アタックを繰り返してレースを楽しんでいる。
しかし自分はこの集団からもほどなく遅れ、再び独走状態に。ペースはガタ落ち。一度オールアウトした体力はすぐに戻らないのだ。
走りきれる力がないことがわかったのでリタイアすることを決めたが、待てど暮らせどサポートカーと出会わない。淡々と走り続けることに。
しばらく走ると、チームCBの山口さんが前輪を外したバイクの前でたたずんでいる。通りすがりに言葉を交わすと、パンクしたエースの高橋さんにホイールを渡したのだそうだ。
だいぶ待ちぼうけを食ったようだが、チームCBはオプションのサポートカーを頼んでいないので、ニュートラルサポート頼みのようだ。はたして助けは来るか…。
ますます暑くなる。淡々と走りながら、大周回の2周目には入らず、切り上げてゴールに直行するルートを選んだ。途中、山口さんが自転車を担いだ状態で原付バイクの後部に乗って追い抜いていった。ワイルドな回収方法だ…笑。でも、ほっとした。
私の方も最初の10kmでリタイアすると決めてから、結局120kmは走った。ゴール前10kmでオープンクラスの逃げ集団が後ろから迫ってきた。武井きょうすけ選手とリー・ロジャース(イギリス、Lapierre Asia)、ピーター・プーリ(フランス、Bike Net Training Camp)の3選手の逃げだ。武井さんが先頭固定で引きっぱなし。
抜かれざまに写真を撮ると、すかさずピースサインが返ってくる。「勝てよ」と見送る。そしてゴールすると、武井さんがステージ優勝したとのこと。ロジャースら他の2人があまり引けなくなったので、ゴールを譲ってもらう条件で先頭固定で牽引を続け、最後は2人を抑えて勝利したそうだ。
ゴールまで70kmを残してのアタックだったようだ。3人逃げに持ち込んでからも冷静にレースを組み立て、アジアのトップアマレースで活躍を続けるロジャースらをまず説き伏せて勝利を確実にする力は大したものだと思った。国際レースで力を発揮するには、こういった交渉力も実力のうち。武井選手は決して流暢とはいえない英語を喋るが、この交渉能力はさすがだ。あいまいな口約束では、最後に裏切られて勝利を持っていかれることはよくあることだ。
そして後方では別のレースが。高橋義博選手がこの3人の逃げを追ってブリッヂをかけたそうだが、途中で誘導員のいないポイントでミスコースして13分遅れでゴールした。ホイールを譲ってくれたチームメイトに対して申し訳なさそうにがっくりと肩を落とす。
ゴール後、ホテルに戻りブッフェの食事を楽しんだ後はのんびり昼寝タイムだ。
この日からは移動がなく、同じホテル滞在なので、とても楽だ。
夕方からは表彰式をかねた食事タイム。慌ただしかった数日で話せなかった人ともゆっくり話せた。このレースはピースフル&フレンドシップな雰囲気に満ちている。
Stage 4 164km(オープン、30-39歳、40-49歳) コースマップ
この日は今大会中もっとも厳しいクイーンステージ。KOM(山岳賞)ポイントが設けられた周回コースを走り、KOMを2度通過し、3度めのKOMがゴールとなる登坂ゴールステージだ。坂は山岳というほどではないが、アップダウンの厳しい難コースだ。
我がニールプライド・ジャパン混成チームも、武井選手の総合優勝の可能性が見えているので緊張感がでてきた。サポートをしっかりしなくてはいけないこと、自分がこのステージを完走できるレベルにないことを悟り、今日はバイクに乗らず補給サポートと撮影取材に専念することに。
レースディレクターのカイさん(Tanakorn Titaree 女史)の運転するCOMカーに乗り、KOMポイントまでレースを追いかけることにした。
車内ではいろいろお話ができた。TOFがこういった周回コースを取り入れたのは初めてのこと。今までは一度通った道は2度と通らないコース設定で、無茶とも言えるぐらいの急坂がコースにあったり、かなりワイルドだったようだ。しかしレースの進行管理のしやすい周回コースを取り入れ、チップによる計測も正確に行なっている(数年前まで順位チェックはかなりアバウトだったようだ)。
大会名に付く「R1」とは、アジアの最高のロードレースイベントにするという願いを込めたもので、参加者のレベルアップやリクエストに応えながら成長しているのだそうだ。
KOMポイントに到着してディレクターカーを降り、ここでチームメンバーにはコーラの補給をメインにサポートすることにする。水はいつでも移動マーシャルから受け取れるので、コーラかレッドブルなどが選手にとってはありがたいのだ。
最終週回はニールプライドチームで頼んでいる専属サポートカーのハイエースで集団について走る。ボトルは原付マーシャルに渡して選手まで運んでもらうのが原則だが、ときどきハイエースで集団の脇まで上がっては、補給を選手に直接手渡すことができる。
タイはレッドブル発祥の国。道路沿いの商店で瓶詰めの国内版レッドブルを買い込み、ボトルに詰め替えて選手たちに手渡す。
コース上を走りながら、各クラスの我がチームの選手に補給を手渡すことができた。
2度めのKOMを独走で先頭通過したのはなんと高橋義博(チームCB)。高橋選手はなんとそのままもう1周を逃げ切り、ステージ優勝してしまった!
高橋選手は昨日のミスコースで大きく遅れたことで、総合上位が臨めなくなっていたので、いいリベンジになった。
昨ステージに続き日本人のステージ連勝。果敢な走りで日本人の存在をアピールできた。日本人の活躍は外人選手にも話題で、あまり強そうに見えない新顔が勝つものだから、皆から一目置かれる存在に。
ちなみに海外選手たちは多くが常連のリピーターさんで、このレースに掛ける意気込みは半端じゃない。機材への投資額も驚くほどで、パワーメーター使用も当たり前の状況。だから初めての日本人に負けるのは納得行かないことだろう。
Stage 5 : 84km (全てのカテゴリー) コースマップ
最終日はコースの難易度がやや低く、距離も短いので私も出場することにする。ステージレースながら、前ステージでリタイアしたり出走できなかったりしても次のステージが走れるのはさすがの非UCIレースだ。少し英気を養えたのと、皆がくたびれているので頑張れるかもとスタートラインに着く。
武井きょうすけ選手は16秒差で総合2位につけ、一発逆転を狙いたいところ。チームCBの高橋義博選手もこの日ばかりはチームの垣根を超えて、日本人の総合優勝を出すために共同戦線を貼るべく作戦を練った。
その作戦とは、高橋選手がアタックして逃げ、武井選手が先頭を引く責任がなくなることでリーダーのロジャースと総合3位のピーター・プーリに脚を使わせることだった。
そして後方からアタックして高橋選手に合流するか、あわよくば高橋選手が逃げ切りを狙うかの作戦だ。16秒のタイム差を逆転するには唯一とも言える作戦だった。
ところがリーとプーリもレース巧者。当然この動きを事前に封じるべく、2人から先制攻撃を仕掛けてきた。アタックして逃げる2人に、高橋と武井が追いつく。
しかし、高橋がチェーンを外して遅れてしまう。日本人の合同作戦はあっけなく不発に終わった。
ロジャース、武井、プーリは激しいアタック合戦の末、集団から3人で抜け出すが、ゴールまでにある坂の勾配はアタックが決まるほどのものでなく、3人は膠着状態でゴール。この日はまだステージを勝っていないプーリが先着して勝利した。武井は総合2位でレースを終えた。
40代のレースを走った私も、この日は先頭集団ではないものの、後方のグループで楽しくレースが出来た。ペースの合う仲間を見つけて小グループを編成し、声を掛けあって先頭交代をしながらゴールを目指す。そしてゴールではスプリントで順位を争う。ゴールすれば皆が笑顔で握手。5日間の思い出を語り合うことができた。
エイジグループのレースも各カテゴリーで日本人が大活躍した。
30代で我がニールプライドチームの坂本さんが5位、フォルツァのスタッフである東(あずま)さんが7位。
40代では松井さん(ネクストステージ)が8位。
50代では杉本さん(ネクストステージ)が9位。ジュニアでは内山君(ネクストステージ/ボンシャンス)が3位になった。
日本人としては各クラスで2つのステージ優勝と、6人の総合トップ10入りを果たしたことになる。
もっとも、上位には来なくても走れば楽しい、走りごたえたっぷりのレースに皆が大満足だった。
「また来年も出よう」 これが全員の一致した意見だ。プロではない市民レーサーが出場できる本格的なステージレースと言えば、日本では2days race in 木祖村ぐらいなもの。タイのダイナミックな自然と地形をフルに使う5日間のレースは、走ってみるとそのスケールの大きさに驚く。しかも、かかる費用の安さもさすがアジアと唸るコストパフォーマンスの良さだ。参加費、食事、アコモデーション、移動、運転手付サポートカー、毎日のマッサージと、すべてトータルしてのコストは破格の安さと言わざるを得ない。対してその満足感の大きさよ! リピーターになってしまうのは当然だ。
主催者も日本からの参加者を大歓迎
ちょっと水前寺清子似の素敵な主催者、女性レースディレクターのカイさんは、もうひとりのディレクターである旦那さんが大の自転車狂という一家だ。2人の息子の名前はシマノちゃんとシリウスちゃん。日本のパーツメーカーとイタリアのレースバイクブランドから名付けたという…(笑)。
2人の息子も乗ったスズキSWIFTでレースに随行する間、いろいろな話ができた。
レースがコントロールできる参加人数の上限はあるものの、日本のホビーレーサーたちに広くツアー・オブ・フレンドシップを知って貰いたい、そして参加して貰いたいという希望を話してくれた。
レースのレベルはオープン、エイジで開きはあるが、ツール・ド・おきなわ140〜210kmクラスを上位で走れる人にはオススメだ。各カテゴリーでレースの上位に絡むには、スタミナとテクニック、そしてバイク機材の状態等、すべての要素が要求される。
運営自体はアバウト(間違いも多い)なので、結果にシビアすぎたりすると楽しめない点があるかもしれない。しかしレース自体の質は非常に高く、走りを求める人には申し分ないだろう。
そして、語学力以上に交渉力やコミュニケーション能力が必要だ。レースが進むうちにいろいろなトラブルや解決しなくては前に進めない点が出てくるので、自分できなくてもグループにひとりそういった能力に長けた人がいるといいだろう。
今年、バイクを買うと参加権利がプレゼントされるという太っ腹企画を実施してくれたニールプライドおよび日本代理店のトライスポーツ社の協力は来年もあるかもしれない。しかしそんな特別キャンペーン頼みでなくても、参加できる方法をシクロワイアードでもツアー会社に協力を仰ぐなどして参加プランを提案出来ればと考えている。
レースディレクターのカイさんも、参加チーム誘致とPRのために日本に来るつもりだという。ホビーレースを高いレベルで楽しんでいる皆さん、もしくはクラブチームは、来年の出場を検討してみてはどうだろう。
2014年大会は4月26日〜30日の開催予定だ。
最後にリンクとして参加者のブログなどのリンクを紹介しておきます。ご参考に。
photo&text:Makoto.AYANO
フォトギャラリー(CW FaceBook)
リザルトおよび全コースのデータ(BICYCLE THAILAND)
第1ステージの個人TTと第2ステージを終え、舞台は自然豊かなタイの郊外へと舞台を移した。
一般ホビーレーサーが出場できるアジアの国際ステージレース、ツアー・オブ・フレンドシップ。第2ステージで一気にバンコク郊外の田舎へと移動したプロトンは、コテージ滞在型のリゾートホテルを拠点に、さらに3日間のレースが始まる。
Stage 3 170 km (オープン、30-39歳、40-49歳) コースマップ
第2ステージでは147kmの平坦ステージをハイスピードで駆け抜けた。その夜はみっちりとタイマッサージを施術してもらい、日本での日常生活以上にリフレッシュして第3ステージへと臨む。
レースはこのリゾートコテージを拠点に、周辺の一般道路に設定された周回コースを走る。
肩凝りはほぐれたものの、平均45km/hで巡航した第2ステージの疲労感を感じながらスタートラインに着く。朝からその日一日が過酷になることを予測させる気温の高さだ。
ホテル前をスタートしてすぐ、第2ステージで最後に上った丘を登る。エイジクラスでもっとも威勢のいい40〜49歳クラス。いきなりここでスピードが上がり、非常に苦しい思いを強いられた。
最初の上りはなんとか集団でクリアするも、平坦区間で高速巡航の集団から遅れ気味で、つぎの坂で早くも限界に達してしまう。自分的に目一杯追い込んだペースでついて行こうとし、脚を使い果たしてしまった。
一度こうなると体力の回復は難しい。あえぎながら登りをこなし、遅れてからはすぐリタイアできるように流しに入る。10km行かないうちに終了である。やはりこのレース、平坦なら誤魔化しは効くが、レベルはそれなりに高い。
しかし、チームカーは周回コースに先行するために先に行ってしまった。自分の周りはちぎれた何人かがぱつぽつ走っている状態。
ガーミンの示す気温は43度。日差しが暑い。それでも日本の真夏の蒸し暑さより楽ではあるが…。普通ならとても自転車に乗れる気候ではないが、原付に乗った移動マーシャルが750ccのペットボトルの水をひっきりなしに配ってくれる。遅れている選手にもそれなりに行き届くのは素晴らしい。
遅れ過ぎないようにペダルを踏んでいると、後方から続いてスタートした30代クラスと女子、50歳以上のクラスの選手たちの先頭集団が追いついてきた。これに便乗することにする。
集団内では日本の若者、ボンシャンス飯田のジャージを着た内山君(ネクストステージ)が快調。アタックを繰り返してレースを楽しんでいる。
しかし自分はこの集団からもほどなく遅れ、再び独走状態に。ペースはガタ落ち。一度オールアウトした体力はすぐに戻らないのだ。
走りきれる力がないことがわかったのでリタイアすることを決めたが、待てど暮らせどサポートカーと出会わない。淡々と走り続けることに。
しばらく走ると、チームCBの山口さんが前輪を外したバイクの前でたたずんでいる。通りすがりに言葉を交わすと、パンクしたエースの高橋さんにホイールを渡したのだそうだ。
だいぶ待ちぼうけを食ったようだが、チームCBはオプションのサポートカーを頼んでいないので、ニュートラルサポート頼みのようだ。はたして助けは来るか…。
ますます暑くなる。淡々と走りながら、大周回の2周目には入らず、切り上げてゴールに直行するルートを選んだ。途中、山口さんが自転車を担いだ状態で原付バイクの後部に乗って追い抜いていった。ワイルドな回収方法だ…笑。でも、ほっとした。
私の方も最初の10kmでリタイアすると決めてから、結局120kmは走った。ゴール前10kmでオープンクラスの逃げ集団が後ろから迫ってきた。武井きょうすけ選手とリー・ロジャース(イギリス、Lapierre Asia)、ピーター・プーリ(フランス、Bike Net Training Camp)の3選手の逃げだ。武井さんが先頭固定で引きっぱなし。
抜かれざまに写真を撮ると、すかさずピースサインが返ってくる。「勝てよ」と見送る。そしてゴールすると、武井さんがステージ優勝したとのこと。ロジャースら他の2人があまり引けなくなったので、ゴールを譲ってもらう条件で先頭固定で牽引を続け、最後は2人を抑えて勝利したそうだ。
ゴールまで70kmを残してのアタックだったようだ。3人逃げに持ち込んでからも冷静にレースを組み立て、アジアのトップアマレースで活躍を続けるロジャースらをまず説き伏せて勝利を確実にする力は大したものだと思った。国際レースで力を発揮するには、こういった交渉力も実力のうち。武井選手は決して流暢とはいえない英語を喋るが、この交渉能力はさすがだ。あいまいな口約束では、最後に裏切られて勝利を持っていかれることはよくあることだ。
そして後方では別のレースが。高橋義博選手がこの3人の逃げを追ってブリッヂをかけたそうだが、途中で誘導員のいないポイントでミスコースして13分遅れでゴールした。ホイールを譲ってくれたチームメイトに対して申し訳なさそうにがっくりと肩を落とす。
ゴール後、ホテルに戻りブッフェの食事を楽しんだ後はのんびり昼寝タイムだ。
この日からは移動がなく、同じホテル滞在なので、とても楽だ。
夕方からは表彰式をかねた食事タイム。慌ただしかった数日で話せなかった人ともゆっくり話せた。このレースはピースフル&フレンドシップな雰囲気に満ちている。
Stage 4 164km(オープン、30-39歳、40-49歳) コースマップ
この日は今大会中もっとも厳しいクイーンステージ。KOM(山岳賞)ポイントが設けられた周回コースを走り、KOMを2度通過し、3度めのKOMがゴールとなる登坂ゴールステージだ。坂は山岳というほどではないが、アップダウンの厳しい難コースだ。
我がニールプライド・ジャパン混成チームも、武井選手の総合優勝の可能性が見えているので緊張感がでてきた。サポートをしっかりしなくてはいけないこと、自分がこのステージを完走できるレベルにないことを悟り、今日はバイクに乗らず補給サポートと撮影取材に専念することに。
レースディレクターのカイさん(Tanakorn Titaree 女史)の運転するCOMカーに乗り、KOMポイントまでレースを追いかけることにした。
車内ではいろいろお話ができた。TOFがこういった周回コースを取り入れたのは初めてのこと。今までは一度通った道は2度と通らないコース設定で、無茶とも言えるぐらいの急坂がコースにあったり、かなりワイルドだったようだ。しかしレースの進行管理のしやすい周回コースを取り入れ、チップによる計測も正確に行なっている(数年前まで順位チェックはかなりアバウトだったようだ)。
大会名に付く「R1」とは、アジアの最高のロードレースイベントにするという願いを込めたもので、参加者のレベルアップやリクエストに応えながら成長しているのだそうだ。
KOMポイントに到着してディレクターカーを降り、ここでチームメンバーにはコーラの補給をメインにサポートすることにする。水はいつでも移動マーシャルから受け取れるので、コーラかレッドブルなどが選手にとってはありがたいのだ。
最終週回はニールプライドチームで頼んでいる専属サポートカーのハイエースで集団について走る。ボトルは原付マーシャルに渡して選手まで運んでもらうのが原則だが、ときどきハイエースで集団の脇まで上がっては、補給を選手に直接手渡すことができる。
タイはレッドブル発祥の国。道路沿いの商店で瓶詰めの国内版レッドブルを買い込み、ボトルに詰め替えて選手たちに手渡す。
コース上を走りながら、各クラスの我がチームの選手に補給を手渡すことができた。
2度めのKOMを独走で先頭通過したのはなんと高橋義博(チームCB)。高橋選手はなんとそのままもう1周を逃げ切り、ステージ優勝してしまった!
高橋選手は昨日のミスコースで大きく遅れたことで、総合上位が臨めなくなっていたので、いいリベンジになった。
昨ステージに続き日本人のステージ連勝。果敢な走りで日本人の存在をアピールできた。日本人の活躍は外人選手にも話題で、あまり強そうに見えない新顔が勝つものだから、皆から一目置かれる存在に。
ちなみに海外選手たちは多くが常連のリピーターさんで、このレースに掛ける意気込みは半端じゃない。機材への投資額も驚くほどで、パワーメーター使用も当たり前の状況。だから初めての日本人に負けるのは納得行かないことだろう。
Stage 5 : 84km (全てのカテゴリー) コースマップ
最終日はコースの難易度がやや低く、距離も短いので私も出場することにする。ステージレースながら、前ステージでリタイアしたり出走できなかったりしても次のステージが走れるのはさすがの非UCIレースだ。少し英気を養えたのと、皆がくたびれているので頑張れるかもとスタートラインに着く。
武井きょうすけ選手は16秒差で総合2位につけ、一発逆転を狙いたいところ。チームCBの高橋義博選手もこの日ばかりはチームの垣根を超えて、日本人の総合優勝を出すために共同戦線を貼るべく作戦を練った。
その作戦とは、高橋選手がアタックして逃げ、武井選手が先頭を引く責任がなくなることでリーダーのロジャースと総合3位のピーター・プーリに脚を使わせることだった。
そして後方からアタックして高橋選手に合流するか、あわよくば高橋選手が逃げ切りを狙うかの作戦だ。16秒のタイム差を逆転するには唯一とも言える作戦だった。
ところがリーとプーリもレース巧者。当然この動きを事前に封じるべく、2人から先制攻撃を仕掛けてきた。アタックして逃げる2人に、高橋と武井が追いつく。
しかし、高橋がチェーンを外して遅れてしまう。日本人の合同作戦はあっけなく不発に終わった。
ロジャース、武井、プーリは激しいアタック合戦の末、集団から3人で抜け出すが、ゴールまでにある坂の勾配はアタックが決まるほどのものでなく、3人は膠着状態でゴール。この日はまだステージを勝っていないプーリが先着して勝利した。武井は総合2位でレースを終えた。
40代のレースを走った私も、この日は先頭集団ではないものの、後方のグループで楽しくレースが出来た。ペースの合う仲間を見つけて小グループを編成し、声を掛けあって先頭交代をしながらゴールを目指す。そしてゴールではスプリントで順位を争う。ゴールすれば皆が笑顔で握手。5日間の思い出を語り合うことができた。
エイジグループのレースも各カテゴリーで日本人が大活躍した。
30代で我がニールプライドチームの坂本さんが5位、フォルツァのスタッフである東(あずま)さんが7位。
40代では松井さん(ネクストステージ)が8位。
50代では杉本さん(ネクストステージ)が9位。ジュニアでは内山君(ネクストステージ/ボンシャンス)が3位になった。
日本人としては各クラスで2つのステージ優勝と、6人の総合トップ10入りを果たしたことになる。
もっとも、上位には来なくても走れば楽しい、走りごたえたっぷりのレースに皆が大満足だった。
「また来年も出よう」 これが全員の一致した意見だ。プロではない市民レーサーが出場できる本格的なステージレースと言えば、日本では2days race in 木祖村ぐらいなもの。タイのダイナミックな自然と地形をフルに使う5日間のレースは、走ってみるとそのスケールの大きさに驚く。しかも、かかる費用の安さもさすがアジアと唸るコストパフォーマンスの良さだ。参加費、食事、アコモデーション、移動、運転手付サポートカー、毎日のマッサージと、すべてトータルしてのコストは破格の安さと言わざるを得ない。対してその満足感の大きさよ! リピーターになってしまうのは当然だ。
主催者も日本からの参加者を大歓迎
ちょっと水前寺清子似の素敵な主催者、女性レースディレクターのカイさんは、もうひとりのディレクターである旦那さんが大の自転車狂という一家だ。2人の息子の名前はシマノちゃんとシリウスちゃん。日本のパーツメーカーとイタリアのレースバイクブランドから名付けたという…(笑)。
2人の息子も乗ったスズキSWIFTでレースに随行する間、いろいろな話ができた。
レースがコントロールできる参加人数の上限はあるものの、日本のホビーレーサーたちに広くツアー・オブ・フレンドシップを知って貰いたい、そして参加して貰いたいという希望を話してくれた。
レースのレベルはオープン、エイジで開きはあるが、ツール・ド・おきなわ140〜210kmクラスを上位で走れる人にはオススメだ。各カテゴリーでレースの上位に絡むには、スタミナとテクニック、そしてバイク機材の状態等、すべての要素が要求される。
運営自体はアバウト(間違いも多い)なので、結果にシビアすぎたりすると楽しめない点があるかもしれない。しかしレース自体の質は非常に高く、走りを求める人には申し分ないだろう。
そして、語学力以上に交渉力やコミュニケーション能力が必要だ。レースが進むうちにいろいろなトラブルや解決しなくては前に進めない点が出てくるので、自分できなくてもグループにひとりそういった能力に長けた人がいるといいだろう。
今年、バイクを買うと参加権利がプレゼントされるという太っ腹企画を実施してくれたニールプライドおよび日本代理店のトライスポーツ社の協力は来年もあるかもしれない。しかしそんな特別キャンペーン頼みでなくても、参加できる方法をシクロワイアードでもツアー会社に協力を仰ぐなどして参加プランを提案出来ればと考えている。
レースディレクターのカイさんも、参加チーム誘致とPRのために日本に来るつもりだという。ホビーレースを高いレベルで楽しんでいる皆さん、もしくはクラブチームは、来年の出場を検討してみてはどうだろう。
2014年大会は4月26日〜30日の開催予定だ。
最後にリンクとして参加者のブログなどのリンクを紹介しておきます。ご参考に。
photo&text:Makoto.AYANO
フォトギャラリー(CW FaceBook)
リザルトおよび全コースのデータ(BICYCLE THAILAND)
Amazon.co.jp