2013/03/05(火) - 11:50
ジュリアン・アレドンドの個人総合優勝という最高の形でツール・ド・ランカウイ2013を締めくくったNIPPOデローザ。今季チームに移籍した福島晋一が毎ステージの出来事を綴ったインサイドレポートをお届けします。
自分にとってツール・ド・ランカウイは記念すべき10回目の参加だが、今回は随分と勝手が違う。日本のチームとは言え、NIPPOの監督はエッリ。キャプテンはバリアーニという、そうそうたるメンバーであり、それにスプリンターのマウロ。コロンビア人クライマーのジュリアン(アレドンド)と、鹿屋の大学生2人という「でこぼこチーム」だ。
今回の自分の役割はこの大学生の指導役という役割もあるが、今までフランス語、英語でやってきた自分にとって、イタリア語とスペイン語を話すジュリアンがルームメイトであったり、随分とコミュニケーションにおいて振り出しに戻されている。
しかし、それもすべて覚悟の上。辞書を片手に食事に向かっている。エッリは自分に英語で話してくれるし、皆気を遣ってくれている。イタリアチームは団結力が強く、皆一緒に食事、行動する傾向がある。歩けばそこらじゅうから声がかかる自分にとって、その行動の範囲が限られるのが目下の悩み。まあ、このレースだけなんだが。
夜11時ごろ関空から日本を発つときに、大門さんから連絡が入り、コロンビア人のジュリアンがどうやらクアラルンプール空港での乗り継ぎでランカウィ行きの飛行機に乗り遅れたという一報が入った。KLに着いた時に、そこが終着地だと勘違いして、ランカウィ島までの乗り継ぎ便を乗り損ねたというのだ。
翌朝、空港でジュリアンを探す。
そのうち、「シンイチ フクシマ」と呼び出し掛かる。ジュリアンに呼び出されたのだと思いインフォメーションに行くと「フクシーマ」と陽気なコロンビアん人に呼びとめられた。おお、確かにこの顔にはあった事があるな。と思いながら自分のむちゃくちゃな、スペイン語とイタリア語のミックスで話す。英語がさっぱり分からないようだ...。
まずはチケットを買わなくてはならない。いきなりスタッフのような役割だなと感じながらもジュリアンの新しいチケットを買いに行くと、カウンターの人が「お前の便は出発直前だから買えない。10時の便になる。そんなことよりもおまえは早く、荷物を預けないと乗り遅れるぞ」と言う。
先ほど呼び出されたのは、自分が乗り継ぎ便に遅れそうだというアナウンスであったのだ。あわてて自分の荷物を預けて、ジュリアンのチケットを買う。
彼に荷物のスポーツ用品運送費のお金100リンギッドをたくして、あわてて自分の飛行機に滑りこんだ。
ジュリアンは空港の中で一泊したらしく、空港の中をくまなく徘徊したようで、KLCCことローコストエアポートについては非常に詳しかった。
いや、綱渡りとはこの事だ。
そして、朝ホテルについて、スタッフの西メカニック、恵マッサージャー。エッリ監督に挨拶。オーガナイザーがいちいち監督を差し置いて、自分にいろいろ情報を渡すのが、目下の悩みだ。自分はこのチームでは新人なんだって!
新しいチームメイト、バリアーニとアルゼンチン人のマウロと練習に出る。新しいチームメイト新しい自転車、分からないイタリア語。なかなか、刺激的なスタートだ。
昼過ぎにコロンビア人のジュリアンが到着した。空港で2度寝して危なく次の便にも乗り遅れそうだったということ。
もう、その時はスタート出来なくてもいいんじゃないか?俺はできる事はやったしな、と思う。
大会1日前。ランカウィ島でプレゼンを終えて、関係者は船でマレー半島に渡る。結局この島に来た意味に疑問を感じながらも、敢えて誰も口に出さない。特にプレゼンに間に合わなかった鹿屋の二人、さらにその後に到着した橋川さんは最初から半島側に飛んだほうがよかったんじゃないかと思うが、それは触れてはいけない話題だ。
観光だと割り切ればいいが、夜12時近くにチームカーとともにたどり着いたメカニックを見ると、あまりいい考えとは言えない。
第1ステージ
レーススタート。ランカウィはなんだかワクワクする。嬉しさのあまり、0kmで右側からスパンとアタックをした。集団は見事に見送った。メンバーはジュンロン(OCBC)、中国のワン。差は一気に10分まで開く。自分以外は無名な選手だ。
最後に集団がペースアップした時にこっちも上げられるように、新しいデローザのフレームで乗り方に注意しながら乗る。最初にスプリントポイントは残り1kmの看板を見落として、出だしで遅れてワンに1位を奪われてしまった。
2回目は新しい電動のメカが歯とびして、遅れてまたもや2位通過。
その頃、コンディションが少しおかしくなって来ていた。タイ合宿から直接マレーシアに入れればそんなこともなかったろうが、移動疲れなのか脚が攣りかけてきたのである。補給地点で日本から用意しておいた、梅丹の新しい脚が攣りにくくなるドリンクを用意してくれるようにチームカーに頼む。しかし、補給地点で貰ったドリンクはそれではなかった。この日のために開発してもらったと言っても過言ではなかったので非常に残念な話である。しかし、これで条件は皆同じ。
次の中間スプリントを捨てて、勝てば山岳賞確定の本日唯一の山岳ポイントに賭けることにした。そして、最後の山岳の前に後続がすごい勢いでタイム差を詰めてくる。こちらもペースを上げたいところだが、自分の状態はかなりヤバい。
何とか逃げ切って訪れた山岳ポイント。好調のワンを前に入れて残り200m。ワンが賭けた瞬間に反応した自分の足は一気に脚の筋肉が前後とも攣って転びそうになった。TVを見ていた人はチェーンが飛んだように見えたそうだ。
戦線離脱して後続を待つ。しかし、先に行った二人は自分の事を待ってくれている。今まで稼いだボーナスタイムで集団ゴールすれば、総合で上位になっていることも分かる。つかまるよりも、逃げていたほうが脚をこれ以上攣らさずに走れそうだと思いながら逃げ続ける。集団も山岳賞までに捕まえられなかったので、まだ捕まえるのは早いと思ったのか、ペースダウン。しばらく、泳がされることになった。
つかまってアタック合戦になっても、この脚の状態なら、ついて行くのは難しい。むしろ、先頭を一定ペースで走っていたおうがいいかもしれない。
そう思い、残り10kmほどまで逃げ続けた。つかまった後、集団が一度急ブレーキがかかり、詰まった時に変な踏み方をしたら足が攣る。そのまま遅れて一定ペースでゴールを目指した。
4分遅れてゴール。周りの人にはグッドライドとか言われたが、自分にとっては完全に敗北だ。調子が良ければ最高のチャンスだったのに…
第2ステージ
当の本人は、体が少し重い。初日のダメージはいまだに尾を引いている。脚が肉離れ気味だ。鹿屋の二人、徳田選手と石橋選手には今日アタックして逃げろという指令で動いていたが、逃げには乗れなかった。そして、集団はパレード状態。今日はどこもひきたがるチームが現れない。不思議なものだ。
ある時はわれ先に引きたがるチームが出現するのに、ある時は全く現れない。10分ほど離れたころ、うちのチームがフェルネーゼと共に引き始めることになった。エッリに指名された若手二人がいいペースで引く。
登りのふもとに差し掛かり、二人もいいリズムで先頭をひいて、ちょうどのってきたころに石橋選手が先頭でコーナーに突っ込んですっ転んだ。全く無防備に…。全く洗礼とはこの事だ。見るからに滑りそうなコーナーだと思うのだが、初海外の彼には分からない。分かっていても、後ろの選手の事も考えて、ブレーキをかけすぎないようした気持ちもよくわかる。ちょっと痛そうだった。
登りは延々とだらだらと続き、集団は徐々に人数を減らしていく。最初の山岳賞の前で自分も遅れてしまった。後半ちょっとリズムを取り戻して7分遅れでゴールすると、ジュリアンが2位に入っていた。中国人のワンが3分差で逃げ切って、ステージ優勝と山岳賞、総合を総なめ。最後の登りで集団から飛び出したジュリアンは集団から1分抜け出したが、中国人には届かなかったようだ。
小雨が降るキャメロンハイランドをホテルまでバリアーニとゆっくり流した。TSGの去年のチームメイトとともに…。彼らも頑張っているが、今日は登りのエース、「ソフィー」が遅れてしまった。スプリントもなかなか上位に絡めていない。ちょっと今年はきついが頑張ってほしいと思う。
しかし、ジュリアンはいい位置につけたものだ。これで登りでピエールローランについていけばリーダージャージが転がり込む。ユーロップカーに話を振っておいたらよかったかもしれない。
第4ステージ
朝6時起床、キャメロンハイランドを下る。イタリア式には、夕食の後はマッサージをしないのが通例らしく、前日はマッサージを受けられなかった。2日前はレースが終わったのが夕方だったので、これで2日連続マッサージを受けられないことになる。初日に脚が攣ったまま走った筋肉痛と腰痛で、かがむのもつらい状態なので念入りにセルフマッサージをした後、友人のダニーに夕食後、近くのマッサージ屋に連れて行ったもらった。
そこのおばさんが、マッサージしながら金玉を触ってくる。「後30バーツ出せば、金玉をマッサージしてやる。お前の腰痛はそこから来ている。マッサージしたら、ばっちりだ。これは非常にまじめなマッサージだ」と力説されて、自分も興味がなかったわけではないが、時間も遅かったので受けなかった。どんなマッサージだったのだろう?気になる。
さて、今日はゲンティンの前の日だから、逃げるには絶好の日だ。6年前にステージ優勝した時もこの日だった。だから、狙っていこうと思ったが、昨日ブランコは全員ゆっくり登っていたし、こちらはジュリアンが総合2位につけている。
あまり、自分が逃げる意味はないと思っていたが、序盤の激しいアタック合戦の中、幸也が目配せしてからアタックをかけた。分かっていたが、他の選手に邪魔されて抜け出せず。その後、幸也の逃げが決まった。
メンバーはバス(OCBC)、西谷(愛三)、幸也の3人。このメンバーなら、ぜひ行きたかった。中国のワンにおめでとうと言うと嬉しそうにしていた。しかし、リーダーの中国チームは3人でいいペースで追う。なかなかしぶとい。幸也たちも最後にペースアップしたが、中国チームが垂れてきたときにブランコなどが加勢して幸也はつかまりスプリントはチッチ(ファルネーゼ)が制した。
暑い一日だった。幸也もいい逃げをしたが、今日は逃げ切れる日ではなかったようだ。しかし、これもやってみないとわからない。ある時は、どこの先頭をひきたがらず、中国人が逃げ切り。ある時は、次から次へと引くチームが現れる。逃げている選手にもよるし、気分にもよるし、運にもよるかもしれない。
幸也じゃなかったら…、なんて考えても仕方がないことだから、とにかくやってみるしかない。
今年、自分にまたチャンスがやってくるかわからないが、プロとしてちゃんと仕事をしようと思う。
第5ステージ
今までゲンティンハイランドをいい成績で登ったことがない。勾配がきつすぎるのか?今日も最初から逃げてもいいと言われたが、一度アタックしただけで、後は集団で登り始めた。グリーンエッジの選手が一人で逃げて集団は不安定だ。
ペースアップした集団の脇を上がろうとした南アフリカの選手をグレーム・ブラウンが幅寄せして看板に押し付けて落車させた。彼は昔から康司をスタートアタックさせまいとして掴んでみたり(康司はグレームブラウンを引きずったままアタックをかけて、集団では随分ウケた)。悪行が多い選手だがまだ健在だ。
バリアーニは元チームメイトだけど、グレームに挨拶もしていないので聞いてみたら、彼の事を好きなチームメイトはあまりいないらしい。自分としては彼が年をとってもまだ丸くなっていないのが少し嬉しかったが、南アフリカの選手は痛そうだった。
そうこうしている内に登りに入って集団はペースアップ。アレドントがスポーツドリンクを要求するので自分の分を渡し、自分の分を取りに帰る。
それでも、いつもよりも早いところで集団から遅れてしまったので、そこからは一定ペースで登った。トレンガヌの応援団が大挙して訪れており、そのゾーンで随分押してもらって、そのゾーンを過ぎたら、一緒に登っていた選手をぶっちぎってしまった。
そして、ゴール後、ジュリアンの優勝を知った。いや、強い。どうしたらそんなに登れるのか?バレリーニがいいアシストをした。バレリーニも総合8位につけている。なんとなく、そんな気はしていたが、残り5ステージを残してリーダーチームになってしまった。
今回のメンバーは大学生を二人起用している。彼らにとっては試練になるだろうが、こんな経験なかなかできるものではない。トレンガヌのコーチ、セバスチャンが俺の立場を憐れんでけらけら笑っていた。セバスチャン、俺のチームはステージ優勝に現リーダーだが、トレンガヌは今のところいいところはないんだよ。俺に同情する前に自分の事を心配したほうがいいな。
夕食後皆で乾杯をした。レースはこれからだ。
第6ステージ
今回最長の217kmを、リーダージャージを守る走りだ。2005年(もう8年前か…)、康司が170km独走で逃げ切ってグレームブラウンからリーダージャージを奪った時は、5日間守ってゲンティンで失った。今回はゲンティンの後にジャージを守れるチャンスが来た事を幸いだと思う。
ようやく第1ステージの筋肉痛のダメージもとれて、調子は良い。スタート前に時間が取れたのでテタレ(ミルクティー)を飲みに行ったら地元の人がおごってくれた。レーススタ-ト前は、経験豊富なバリアーニもいるから、自分は指示に従うだけと気楽に構えていたら、スタートしてからのアタック合戦でチームは大混乱。
まとまって走るはずが、前で5人までの逃げはOK、それ以上は捕まえる、選択をしていたら、いつの間にかチームメイトはみな後ろに下がっている。後ろに下がって、前に上がって、逃げをつぶして…。
50km続いたアタック合戦でチームは崩壊しかけた。若い2人は前には上がってこれず、自分が元気に前で対応するが、なかなか目標である5人以下の逃げを作ることができない。今まではアジアの選手がアタックばかりしていたのだが、この日に限って全プロツアーチームがアタックしてくる。
そんな中、幸也がブランコのテオボスが体調不良でリタイヤしたと教えてくれた。どうりでブランコがアタックしてくるわけだ。スプリントに向けて集団をまとめてくれると期待していたのに…。このくそ暑いなかあんな変な(通気口がない)ヘルメットなんかかぶっているから、日射病になるんだよ。うちのチームにとってはバッドニュースである。
遂に10人ほどの逃げを許してしまい、総合上位のモンサルベが入っていたので、それをチャンピオンシステムと一緒に追って潰して、その後またアタック合戦が始まった。前にいるのは自分とバリアーニだけになり、チームは壊滅状態。ボトルもなくなったので取りに下がるが、自分が下がっていくのをシカトする若手を一喝。
雨が降って視界も悪く、ボトルを取りに帰っている間に決まった逃げのメンバーも分からぬまま、今度は南アフリカのチームと逃げをつぶす。3度目にできた10人の逃げにもピエールローランが含まれていたということで、団体総合を守りたい南アフリカのチームと一緒に先頭を土砂降りの雨の中追った。3分に広がった逃げを深い水たまりに突っ込みながらどんどん詰めていく。
残り10kmで1分まで詰めた所で自分はお役御免になったが、つらい一日だった。ジュリアンは無事ジャージを守った。今日の調子が良くてよかった。
「この調子でジャージを着てなければ、ステージも狙えた」などと、終わってみれば何でも言えるが、今日訪れたこの好調を最終ステージまで維持して、ランカウィの総合優勝のチームのメンバーとしてこのレースを終えたいものだ。
第7ステージ
今日はトレンガヌの近くまで走っていく。スタートしてすぐに雨が降り始めた。昨日のような展開は避けたい。今は全プロツアーとプロコンチが攻撃に出る。
激しいアタック合戦の後にユーロップカーの選手と誰かが逃げ始める。総合は9分遅れだから、NIPPO的には逃げ切らせても全然OK。
若手2人で集団をゆっくり引き始めて6分まで離そうとすると、ユーロップカーの選手が上がってきて、もっとあけてくれという。近くなったら、アタックするぞと。そうこうしている内に、アスタナとファルネーゼとクイックステップが一人ずつ選手を派遣して追い始める。
こうなったら、この3人に追わせて、その後ろを固めておけばいい。楽な展開だ。後はアレドントが集団で無事ゴールすればいい。最初の逃げの選別さえ間違わなければ、後はスプリンターチームが引いてくれる。楽勝だとタカをくくっていたら、残り30km先で頭の二人が踏むのをやめて戻ってきて、不本意ながら捕まえてしまった。早すぎる!
ここからアタック合戦になってもらったら困るので、集団の前にバリアーニが上がりいいペースで引き始めた。ここからはスプリンター「チッチ」を擁するファルネーゼとNIPPOでアタックさせないためにペースを維持。
そして、残り10kmで他のチームがわんさか出てくるので、後はジュリアンが無事ゴールできるように彼の周りを固めるのが仕事。だが、集団はグチャクチャでなかなか近くには入れない。トラブルがあっても同タイムゴール扱いになる、残り3kmを切るとホッとする。ファルネーゼのキッキが優勝。
ゴール後、トレンガヌから来た人たちに囲まれる。自分がチームを変わっても、変わらず応援してくれるのは嬉しい事だ。トレンガヌの去年自分にあてがわれていた部屋に戻り、自分の荷物をまとめた。以前ここを出るときはまだ移籍が決まっていなかったから、部屋をそのままにしてきてしまったのだ。なんだか少し寂しいが、新チームでリーダーを守る仕事はやりがいがあるので移籍に後悔はない。
第8ステージ
徐々にレースの終わりが見えてきた。今日の160kmを乗り切れば、後は120km、110kmと短いステージ。総合優勝が一気に見えてくる。
激しいアタック合戦は相変わらずだったが、中国人とジーウェン(OCBC)の2人の逃げが行った時点でアタック合戦をバリアーニが睨みを利かせてやめさせた。先頭に立って、後ろに睨みを利かせながらどんどんペースを落としていき、ジュリアンに小便をするように命令。集団は何とかおさまって、2分まで開いたところで若手二人が先頭に出てゆっくり引き始める。
ボトルを取りに帰るとエッリは上機嫌だ。10分まで離してから、アスタナ、ファルネーゼ、クイックステップの選手が詰め始めた。しかし、そこで不測の事態が発生。前の2人が集団のペースアップに合わせて踏みなしたのだ。残り60kmで10分差が思うように詰らない。残り30kmで5分まで詰めないとあきらめざるを得ない。
そこからはアスタナなどが本気を出して超ハイペースで追う。集団は一列棒状。残り30kmで何とか5分まで詰まった。こういう時は誰もボトルを取りに下がりたくはない。ここで取りに行くのがいい仕事だと言い聞かせて、自分からボトルを取りに下がる。
エッリは車の運転がうまく、ボトルをアクセルを踏みながら渡す。ジャージも背中にボトルを入れやすく出来ていて、選手全員分6本のボトルを運ぶのが随分楽だ。
残り2kmほどで単独になっていた中国人が捕まった。ステージ優勝はユーロップカーのブライアン。幸也のルームメイトだ。見た目は華奢でスプリンターには見えないが、ロンドンオリンピックのオムニウム銀メダリスト。フランスの期待の星だ。
レース後は表の食堂で幸也とビーフスープを飲んだ。幸也も「こんなところで食べるのは禁止されているんですがね」と言いながらうまそうに牛筋のスープを飲んでいた。
自分が4年間所属したフランスのトップアマチーム「ノジョン」が主催するレース「グランプリ・ノジョン」に参加したいとエッリに頼まれて、夜にフランスのアラン監督に2年以上ぶりに電話をした。時期的にも無理なお願いだったが「お前が所属するチームなら」とアランは快く「OUI(ウイ)」と言ってくれた。本当にありがたい。夜は橋川さんと外出して、暇そうに徘徊していたセバスチャンと豆乳を飲んだ。
第9ステージ
今日は金曜日。イスラムの御祈りの日なので、昼までにレースを終えて関係者はお祈りをしなくてはならない。自分は朝の6時から快便だったのだがチームの雰囲気が一変していた。昨日の夜体調が急変した選手が続出。NIPPOもバリアーニと鍛造が夜中、嘔吐と下痢で30分おきに便所で過ごした。
エッリも急にシリアスになって、若手二人にも「おまえたちはサムライだ。日本人だったら、どこかにサムライスピリットが眠っているはずだ。それを呼び起こせ」とむちゃくちゃな理論だが、通訳すると「とにかく何が何でもリーダージャージを死守しろ」という意味だろう。
彼が日本人の事をそう見ていた事は嬉しいことだが、そんな事を言っている余裕はない。機能が移植しまくった自分はぴんぴんしているが、チーム全体は重苦しい雰囲気。この弱点を悟られて攻撃されたらつらいが、どこのチームも体調を崩した選手がいたようだ。彼らのつらさは痛いほどわかる。そして、一人も欠く事ができない状態もよくわかる。
アレドンドが当たらなくて良かった。
自分は、いつものようにスタート後から「5人までの逃げは行かせて、10人はダメ」という仕事をえんえんとこなし続けた。バリアーニは前にも上がってこれず、傍から見ても彼の不調は明らかだ。
そして、50km過ぎた時にようやく2人の逃げが決まり、集団はパレードに。今日の仕事も山場を越えた。ふだん、大して仕事をしないマウロが、自分にボトルを取ってこいと命じる。「おまえが行け」と言いたいが、俺が一番元気だから、取りに行くよ。この状態でチームの和は乱せない。
スプリントに持ち込みたいファルネーゼとともに引く。佐野淳哉選手と回りながら、淳哉と引くのは、康司が総合優勝したマイエンヌとセルキュイ何だっけ?と言うと「ロレーヌです」という返事。よく覚えている。こんな話ができるのも懐かしいよな、と思いなが2ら人を2分以内に抑えて引き続けた。
そんな中、突然グレームブラウンが総合2位のグリーンエッジの選手を連れて奇襲攻撃をした。こういうときはすぐに火を消しておかなくてはならない。すぐに反応して追っかけた。この時、幸也も手伝ってくれて、逃げを吸収。
総合2位のくせに全然ローテーションを手伝わないうえにアタックするとは…(自分が同じ立場でもそうするだろうが)
奴らに「親指を立てて、VERY GOOD!」と言ってやった。ここでグレームブラウンのジャージをつかんだら、面白かったが…。
うまく集団スプリントに持ち込んだ幸也のチームメイトのブライアンがステージ2連勝。ゴール前の落車に幸也とバスが巻き込まれたが、幸い怪我は軽かったようだ。
タイ合宿で一緒に厄祓いをしてもらった三人中二人が転んだことで、ちょっと不吉な思いがしたが、軽く済んでよかったということで納得をしよう。
レース後、幸也と散歩した。アイスを食って、海に脚を浸して帰ってきた。そして、トレンガヌのサポートでお世話になっている、ラジーのお家に行って洗濯をしてもらって…。また、ラサンという地元特産のヌードルを食べて朝早かった分存分に楽しめた。
明日は最終日だ。何か素晴らしい事を成し遂げるまであと一日。他のチームはもう、終わった気分で皆飲みに行っているが、ウチのチームは最後まで気を抜かないのかと思いきや、夕食の食卓でエッリは終始ご機嫌で、明日のレース後のプランばかり立てていた。
アレドンドだけはうつむいて、どこか緊張した面持ちだ。大門さんがチャットで「アレドントがおまえに感謝していたよ」と伝えてくれた。自分も10回目の出場で総合優勝する選手を支えられて光栄だと答えた。
夜に幸也の部屋に遊びに行くと、酔っ払った2連勝中のブライアンがご機嫌で帰ってきた。
「シンイチ。ここで寝るんだろ?」という
「いや、俺は自分の部屋があるから帰るよ」
「シンイチ、ここで寝て行けよ。話そうぜ」
まだ20歳だったか? 幸也も若いと思っていたが、今回のメンバーでは最年長。チーム在籍5年目の古株である。そして、フランス期待の新人の面倒役。そりゃ俺も歳をとるわけだ…。
第10ステージ
ほぼ、総合優勝を手中に収めているとはいえ油断は禁物。他のプロチームはレース後帰国するチームも多く、昨晩ビールを買い込んで打ち上げムード。そういった事も朗報に感じる。ジュリアンは食事中もふさぎこんで会話に参加してこない。昨日、おなかを壊したバリアーニに、酸っぱいけど梅丹エキスを摂らせたら、けろっと元気になっていた。東南アジアでも梅丹エキスは手放せない。
そんな中、監督のエッリは常に上機嫌で、レース後の打ち上げの話ばかり。大門さんからは最後まで気を抜くなというメッセージが送られてくる。ジュリアンは突然、ガッツポーズをして明るくふるまったり、行動がどことなく不自然だ…。
今日はホテルの移動がないので楽だ。会場まで車で移動する。去年と同様、湖のそばの避暑地をスタートする。釣竿を持った人が多く、釣りのコンクールも行われている様子。釣った魚がたくさん並べられている。
去年は横一線に並んだ選手の間隙をぬって、自分がアタックしたが、今回は横一線に並んで集団を抑える立場だ。
最初に5人が飛び出したが、アンドローニ等、こっちを苦しめたいチームがアタックしてこっちを乱そうとする。それも何とか抑えて6人の逃げが決まった。総合優勝へ大きな一歩だ。周回までは日本人3人とファルネーゼの佐野選手、ともう一人の5人で2分差で追う。
いい感じで差を保って引いていると、周回に入る手前でまたもやガーミン、クイックステップが横風区間を利用して束になってアタックしてきた。
来た!
ちょうど先頭だった自分は迷うことなく反応して、前を追う。そこで若手たちは脱落してしまったが、調子が良くて余裕を持って引いていたので、追いつくことが出来た。まだ引き続ける選手たちにジュリアンが前に上がって、「ひき続けても無駄だ」とアピールすると、奴らもおとなしくなった。そこからまたペースダウンして延々と引く。
周回に入りユーロップカーが全員で前に出てきて引き始める。その後ろを固める。一人でも人数を確保して不測の事態には備えなくてはならない。気温が高い。若手にバリアーニがボトルを取ってこいと命じる。彼らは死にかけてはいたが、何とかボトルを持って上がってきた。
周回は減り、残り2周。前にいる4人全員の水がなくなった。
バリアーニがボトルを持って、後ろに示し、後ろにいるであろう2人にボトルを運べとサインを出す。
「おそらく、もういないだろう」と感じていた自分は「俺が行くよ、と言ったが、バリアーニはお前はここにいろ。これはあいつらの仕事だ」といって行かせてはくれなかった。
なけなしの水を分け合いながら、最終ラップに突入。先頭に4人で立ち集団を引いた。残り1kmで前に出て、アタックしようと思ったが横風を受けながら失速。ジュリアンのゴールを確認しながらガッツポーズをしながらゴールをした。
ステージ優勝はファルネーゼのキッキ。ブライアンは昨日少し飲みすぎたか?
こうして、僕は最高の形でツールドランカウィを終える事が出来た。ここに来る時は自分がステージ優勝したいと思ってやってきたが、まさか総合優勝できるとは思っていなかった。しかし、自分がNIPPOに入ったのはまさしくこういう事がしたかったのであり、若手の指導に関しても、アドバイスのし甲斐があった。
トレンガヌは今回元気がなかったが、自分の姿を見て何かを感じてくれたらうれしいと思う。今回は中国チームの活躍が目を引いた。ワンは総合5位に山岳賞、チーム全体も強かった。アジアの他の国の選手が伸び悩む中、彼らが自信をつけたのが今回の収穫だろう。とはいえ、シーズンは始まったばかり。幸先がよすぎるがこの勢いで頑張りたいと思う。
text:福島晋一(チームNIPPO・デローザ)
photo:Sonoko.Tanaka
自分にとってツール・ド・ランカウイは記念すべき10回目の参加だが、今回は随分と勝手が違う。日本のチームとは言え、NIPPOの監督はエッリ。キャプテンはバリアーニという、そうそうたるメンバーであり、それにスプリンターのマウロ。コロンビア人クライマーのジュリアン(アレドンド)と、鹿屋の大学生2人という「でこぼこチーム」だ。
今回の自分の役割はこの大学生の指導役という役割もあるが、今までフランス語、英語でやってきた自分にとって、イタリア語とスペイン語を話すジュリアンがルームメイトであったり、随分とコミュニケーションにおいて振り出しに戻されている。
しかし、それもすべて覚悟の上。辞書を片手に食事に向かっている。エッリは自分に英語で話してくれるし、皆気を遣ってくれている。イタリアチームは団結力が強く、皆一緒に食事、行動する傾向がある。歩けばそこらじゅうから声がかかる自分にとって、その行動の範囲が限られるのが目下の悩み。まあ、このレースだけなんだが。
夜11時ごろ関空から日本を発つときに、大門さんから連絡が入り、コロンビア人のジュリアンがどうやらクアラルンプール空港での乗り継ぎでランカウィ行きの飛行機に乗り遅れたという一報が入った。KLに着いた時に、そこが終着地だと勘違いして、ランカウィ島までの乗り継ぎ便を乗り損ねたというのだ。
翌朝、空港でジュリアンを探す。
そのうち、「シンイチ フクシマ」と呼び出し掛かる。ジュリアンに呼び出されたのだと思いインフォメーションに行くと「フクシーマ」と陽気なコロンビアん人に呼びとめられた。おお、確かにこの顔にはあった事があるな。と思いながら自分のむちゃくちゃな、スペイン語とイタリア語のミックスで話す。英語がさっぱり分からないようだ...。
まずはチケットを買わなくてはならない。いきなりスタッフのような役割だなと感じながらもジュリアンの新しいチケットを買いに行くと、カウンターの人が「お前の便は出発直前だから買えない。10時の便になる。そんなことよりもおまえは早く、荷物を預けないと乗り遅れるぞ」と言う。
先ほど呼び出されたのは、自分が乗り継ぎ便に遅れそうだというアナウンスであったのだ。あわてて自分の荷物を預けて、ジュリアンのチケットを買う。
彼に荷物のスポーツ用品運送費のお金100リンギッドをたくして、あわてて自分の飛行機に滑りこんだ。
ジュリアンは空港の中で一泊したらしく、空港の中をくまなく徘徊したようで、KLCCことローコストエアポートについては非常に詳しかった。
いや、綱渡りとはこの事だ。
そして、朝ホテルについて、スタッフの西メカニック、恵マッサージャー。エッリ監督に挨拶。オーガナイザーがいちいち監督を差し置いて、自分にいろいろ情報を渡すのが、目下の悩みだ。自分はこのチームでは新人なんだって!
新しいチームメイト、バリアーニとアルゼンチン人のマウロと練習に出る。新しいチームメイト新しい自転車、分からないイタリア語。なかなか、刺激的なスタートだ。
昼過ぎにコロンビア人のジュリアンが到着した。空港で2度寝して危なく次の便にも乗り遅れそうだったということ。
もう、その時はスタート出来なくてもいいんじゃないか?俺はできる事はやったしな、と思う。
大会1日前。ランカウィ島でプレゼンを終えて、関係者は船でマレー半島に渡る。結局この島に来た意味に疑問を感じながらも、敢えて誰も口に出さない。特にプレゼンに間に合わなかった鹿屋の二人、さらにその後に到着した橋川さんは最初から半島側に飛んだほうがよかったんじゃないかと思うが、それは触れてはいけない話題だ。
観光だと割り切ればいいが、夜12時近くにチームカーとともにたどり着いたメカニックを見ると、あまりいい考えとは言えない。
第1ステージ
レーススタート。ランカウィはなんだかワクワクする。嬉しさのあまり、0kmで右側からスパンとアタックをした。集団は見事に見送った。メンバーはジュンロン(OCBC)、中国のワン。差は一気に10分まで開く。自分以外は無名な選手だ。
最後に集団がペースアップした時にこっちも上げられるように、新しいデローザのフレームで乗り方に注意しながら乗る。最初にスプリントポイントは残り1kmの看板を見落として、出だしで遅れてワンに1位を奪われてしまった。
2回目は新しい電動のメカが歯とびして、遅れてまたもや2位通過。
その頃、コンディションが少しおかしくなって来ていた。タイ合宿から直接マレーシアに入れればそんなこともなかったろうが、移動疲れなのか脚が攣りかけてきたのである。補給地点で日本から用意しておいた、梅丹の新しい脚が攣りにくくなるドリンクを用意してくれるようにチームカーに頼む。しかし、補給地点で貰ったドリンクはそれではなかった。この日のために開発してもらったと言っても過言ではなかったので非常に残念な話である。しかし、これで条件は皆同じ。
次の中間スプリントを捨てて、勝てば山岳賞確定の本日唯一の山岳ポイントに賭けることにした。そして、最後の山岳の前に後続がすごい勢いでタイム差を詰めてくる。こちらもペースを上げたいところだが、自分の状態はかなりヤバい。
何とか逃げ切って訪れた山岳ポイント。好調のワンを前に入れて残り200m。ワンが賭けた瞬間に反応した自分の足は一気に脚の筋肉が前後とも攣って転びそうになった。TVを見ていた人はチェーンが飛んだように見えたそうだ。
戦線離脱して後続を待つ。しかし、先に行った二人は自分の事を待ってくれている。今まで稼いだボーナスタイムで集団ゴールすれば、総合で上位になっていることも分かる。つかまるよりも、逃げていたほうが脚をこれ以上攣らさずに走れそうだと思いながら逃げ続ける。集団も山岳賞までに捕まえられなかったので、まだ捕まえるのは早いと思ったのか、ペースダウン。しばらく、泳がされることになった。
つかまってアタック合戦になっても、この脚の状態なら、ついて行くのは難しい。むしろ、先頭を一定ペースで走っていたおうがいいかもしれない。
そう思い、残り10kmほどまで逃げ続けた。つかまった後、集団が一度急ブレーキがかかり、詰まった時に変な踏み方をしたら足が攣る。そのまま遅れて一定ペースでゴールを目指した。
4分遅れてゴール。周りの人にはグッドライドとか言われたが、自分にとっては完全に敗北だ。調子が良ければ最高のチャンスだったのに…
第2ステージ
当の本人は、体が少し重い。初日のダメージはいまだに尾を引いている。脚が肉離れ気味だ。鹿屋の二人、徳田選手と石橋選手には今日アタックして逃げろという指令で動いていたが、逃げには乗れなかった。そして、集団はパレード状態。今日はどこもひきたがるチームが現れない。不思議なものだ。
ある時はわれ先に引きたがるチームが出現するのに、ある時は全く現れない。10分ほど離れたころ、うちのチームがフェルネーゼと共に引き始めることになった。エッリに指名された若手二人がいいペースで引く。
登りのふもとに差し掛かり、二人もいいリズムで先頭をひいて、ちょうどのってきたころに石橋選手が先頭でコーナーに突っ込んですっ転んだ。全く無防備に…。全く洗礼とはこの事だ。見るからに滑りそうなコーナーだと思うのだが、初海外の彼には分からない。分かっていても、後ろの選手の事も考えて、ブレーキをかけすぎないようした気持ちもよくわかる。ちょっと痛そうだった。
登りは延々とだらだらと続き、集団は徐々に人数を減らしていく。最初の山岳賞の前で自分も遅れてしまった。後半ちょっとリズムを取り戻して7分遅れでゴールすると、ジュリアンが2位に入っていた。中国人のワンが3分差で逃げ切って、ステージ優勝と山岳賞、総合を総なめ。最後の登りで集団から飛び出したジュリアンは集団から1分抜け出したが、中国人には届かなかったようだ。
小雨が降るキャメロンハイランドをホテルまでバリアーニとゆっくり流した。TSGの去年のチームメイトとともに…。彼らも頑張っているが、今日は登りのエース、「ソフィー」が遅れてしまった。スプリントもなかなか上位に絡めていない。ちょっと今年はきついが頑張ってほしいと思う。
しかし、ジュリアンはいい位置につけたものだ。これで登りでピエールローランについていけばリーダージャージが転がり込む。ユーロップカーに話を振っておいたらよかったかもしれない。
第4ステージ
朝6時起床、キャメロンハイランドを下る。イタリア式には、夕食の後はマッサージをしないのが通例らしく、前日はマッサージを受けられなかった。2日前はレースが終わったのが夕方だったので、これで2日連続マッサージを受けられないことになる。初日に脚が攣ったまま走った筋肉痛と腰痛で、かがむのもつらい状態なので念入りにセルフマッサージをした後、友人のダニーに夕食後、近くのマッサージ屋に連れて行ったもらった。
そこのおばさんが、マッサージしながら金玉を触ってくる。「後30バーツ出せば、金玉をマッサージしてやる。お前の腰痛はそこから来ている。マッサージしたら、ばっちりだ。これは非常にまじめなマッサージだ」と力説されて、自分も興味がなかったわけではないが、時間も遅かったので受けなかった。どんなマッサージだったのだろう?気になる。
さて、今日はゲンティンの前の日だから、逃げるには絶好の日だ。6年前にステージ優勝した時もこの日だった。だから、狙っていこうと思ったが、昨日ブランコは全員ゆっくり登っていたし、こちらはジュリアンが総合2位につけている。
あまり、自分が逃げる意味はないと思っていたが、序盤の激しいアタック合戦の中、幸也が目配せしてからアタックをかけた。分かっていたが、他の選手に邪魔されて抜け出せず。その後、幸也の逃げが決まった。
メンバーはバス(OCBC)、西谷(愛三)、幸也の3人。このメンバーなら、ぜひ行きたかった。中国のワンにおめでとうと言うと嬉しそうにしていた。しかし、リーダーの中国チームは3人でいいペースで追う。なかなかしぶとい。幸也たちも最後にペースアップしたが、中国チームが垂れてきたときにブランコなどが加勢して幸也はつかまりスプリントはチッチ(ファルネーゼ)が制した。
暑い一日だった。幸也もいい逃げをしたが、今日は逃げ切れる日ではなかったようだ。しかし、これもやってみないとわからない。ある時は、どこの先頭をひきたがらず、中国人が逃げ切り。ある時は、次から次へと引くチームが現れる。逃げている選手にもよるし、気分にもよるし、運にもよるかもしれない。
幸也じゃなかったら…、なんて考えても仕方がないことだから、とにかくやってみるしかない。
今年、自分にまたチャンスがやってくるかわからないが、プロとしてちゃんと仕事をしようと思う。
第5ステージ
今までゲンティンハイランドをいい成績で登ったことがない。勾配がきつすぎるのか?今日も最初から逃げてもいいと言われたが、一度アタックしただけで、後は集団で登り始めた。グリーンエッジの選手が一人で逃げて集団は不安定だ。
ペースアップした集団の脇を上がろうとした南アフリカの選手をグレーム・ブラウンが幅寄せして看板に押し付けて落車させた。彼は昔から康司をスタートアタックさせまいとして掴んでみたり(康司はグレームブラウンを引きずったままアタックをかけて、集団では随分ウケた)。悪行が多い選手だがまだ健在だ。
バリアーニは元チームメイトだけど、グレームに挨拶もしていないので聞いてみたら、彼の事を好きなチームメイトはあまりいないらしい。自分としては彼が年をとってもまだ丸くなっていないのが少し嬉しかったが、南アフリカの選手は痛そうだった。
そうこうしている内に登りに入って集団はペースアップ。アレドントがスポーツドリンクを要求するので自分の分を渡し、自分の分を取りに帰る。
それでも、いつもよりも早いところで集団から遅れてしまったので、そこからは一定ペースで登った。トレンガヌの応援団が大挙して訪れており、そのゾーンで随分押してもらって、そのゾーンを過ぎたら、一緒に登っていた選手をぶっちぎってしまった。
そして、ゴール後、ジュリアンの優勝を知った。いや、強い。どうしたらそんなに登れるのか?バレリーニがいいアシストをした。バレリーニも総合8位につけている。なんとなく、そんな気はしていたが、残り5ステージを残してリーダーチームになってしまった。
今回のメンバーは大学生を二人起用している。彼らにとっては試練になるだろうが、こんな経験なかなかできるものではない。トレンガヌのコーチ、セバスチャンが俺の立場を憐れんでけらけら笑っていた。セバスチャン、俺のチームはステージ優勝に現リーダーだが、トレンガヌは今のところいいところはないんだよ。俺に同情する前に自分の事を心配したほうがいいな。
夕食後皆で乾杯をした。レースはこれからだ。
第6ステージ
今回最長の217kmを、リーダージャージを守る走りだ。2005年(もう8年前か…)、康司が170km独走で逃げ切ってグレームブラウンからリーダージャージを奪った時は、5日間守ってゲンティンで失った。今回はゲンティンの後にジャージを守れるチャンスが来た事を幸いだと思う。
ようやく第1ステージの筋肉痛のダメージもとれて、調子は良い。スタート前に時間が取れたのでテタレ(ミルクティー)を飲みに行ったら地元の人がおごってくれた。レーススタ-ト前は、経験豊富なバリアーニもいるから、自分は指示に従うだけと気楽に構えていたら、スタートしてからのアタック合戦でチームは大混乱。
まとまって走るはずが、前で5人までの逃げはOK、それ以上は捕まえる、選択をしていたら、いつの間にかチームメイトはみな後ろに下がっている。後ろに下がって、前に上がって、逃げをつぶして…。
50km続いたアタック合戦でチームは崩壊しかけた。若い2人は前には上がってこれず、自分が元気に前で対応するが、なかなか目標である5人以下の逃げを作ることができない。今まではアジアの選手がアタックばかりしていたのだが、この日に限って全プロツアーチームがアタックしてくる。
そんな中、幸也がブランコのテオボスが体調不良でリタイヤしたと教えてくれた。どうりでブランコがアタックしてくるわけだ。スプリントに向けて集団をまとめてくれると期待していたのに…。このくそ暑いなかあんな変な(通気口がない)ヘルメットなんかかぶっているから、日射病になるんだよ。うちのチームにとってはバッドニュースである。
遂に10人ほどの逃げを許してしまい、総合上位のモンサルベが入っていたので、それをチャンピオンシステムと一緒に追って潰して、その後またアタック合戦が始まった。前にいるのは自分とバリアーニだけになり、チームは壊滅状態。ボトルもなくなったので取りに下がるが、自分が下がっていくのをシカトする若手を一喝。
雨が降って視界も悪く、ボトルを取りに帰っている間に決まった逃げのメンバーも分からぬまま、今度は南アフリカのチームと逃げをつぶす。3度目にできた10人の逃げにもピエールローランが含まれていたということで、団体総合を守りたい南アフリカのチームと一緒に先頭を土砂降りの雨の中追った。3分に広がった逃げを深い水たまりに突っ込みながらどんどん詰めていく。
残り10kmで1分まで詰めた所で自分はお役御免になったが、つらい一日だった。ジュリアンは無事ジャージを守った。今日の調子が良くてよかった。
「この調子でジャージを着てなければ、ステージも狙えた」などと、終わってみれば何でも言えるが、今日訪れたこの好調を最終ステージまで維持して、ランカウィの総合優勝のチームのメンバーとしてこのレースを終えたいものだ。
第7ステージ
今日はトレンガヌの近くまで走っていく。スタートしてすぐに雨が降り始めた。昨日のような展開は避けたい。今は全プロツアーとプロコンチが攻撃に出る。
激しいアタック合戦の後にユーロップカーの選手と誰かが逃げ始める。総合は9分遅れだから、NIPPO的には逃げ切らせても全然OK。
若手2人で集団をゆっくり引き始めて6分まで離そうとすると、ユーロップカーの選手が上がってきて、もっとあけてくれという。近くなったら、アタックするぞと。そうこうしている内に、アスタナとファルネーゼとクイックステップが一人ずつ選手を派遣して追い始める。
こうなったら、この3人に追わせて、その後ろを固めておけばいい。楽な展開だ。後はアレドントが集団で無事ゴールすればいい。最初の逃げの選別さえ間違わなければ、後はスプリンターチームが引いてくれる。楽勝だとタカをくくっていたら、残り30km先で頭の二人が踏むのをやめて戻ってきて、不本意ながら捕まえてしまった。早すぎる!
ここからアタック合戦になってもらったら困るので、集団の前にバリアーニが上がりいいペースで引き始めた。ここからはスプリンター「チッチ」を擁するファルネーゼとNIPPOでアタックさせないためにペースを維持。
そして、残り10kmで他のチームがわんさか出てくるので、後はジュリアンが無事ゴールできるように彼の周りを固めるのが仕事。だが、集団はグチャクチャでなかなか近くには入れない。トラブルがあっても同タイムゴール扱いになる、残り3kmを切るとホッとする。ファルネーゼのキッキが優勝。
ゴール後、トレンガヌから来た人たちに囲まれる。自分がチームを変わっても、変わらず応援してくれるのは嬉しい事だ。トレンガヌの去年自分にあてがわれていた部屋に戻り、自分の荷物をまとめた。以前ここを出るときはまだ移籍が決まっていなかったから、部屋をそのままにしてきてしまったのだ。なんだか少し寂しいが、新チームでリーダーを守る仕事はやりがいがあるので移籍に後悔はない。
第8ステージ
徐々にレースの終わりが見えてきた。今日の160kmを乗り切れば、後は120km、110kmと短いステージ。総合優勝が一気に見えてくる。
激しいアタック合戦は相変わらずだったが、中国人とジーウェン(OCBC)の2人の逃げが行った時点でアタック合戦をバリアーニが睨みを利かせてやめさせた。先頭に立って、後ろに睨みを利かせながらどんどんペースを落としていき、ジュリアンに小便をするように命令。集団は何とかおさまって、2分まで開いたところで若手二人が先頭に出てゆっくり引き始める。
ボトルを取りに帰るとエッリは上機嫌だ。10分まで離してから、アスタナ、ファルネーゼ、クイックステップの選手が詰め始めた。しかし、そこで不測の事態が発生。前の2人が集団のペースアップに合わせて踏みなしたのだ。残り60kmで10分差が思うように詰らない。残り30kmで5分まで詰めないとあきらめざるを得ない。
そこからはアスタナなどが本気を出して超ハイペースで追う。集団は一列棒状。残り30kmで何とか5分まで詰まった。こういう時は誰もボトルを取りに下がりたくはない。ここで取りに行くのがいい仕事だと言い聞かせて、自分からボトルを取りに下がる。
エッリは車の運転がうまく、ボトルをアクセルを踏みながら渡す。ジャージも背中にボトルを入れやすく出来ていて、選手全員分6本のボトルを運ぶのが随分楽だ。
残り2kmほどで単独になっていた中国人が捕まった。ステージ優勝はユーロップカーのブライアン。幸也のルームメイトだ。見た目は華奢でスプリンターには見えないが、ロンドンオリンピックのオムニウム銀メダリスト。フランスの期待の星だ。
レース後は表の食堂で幸也とビーフスープを飲んだ。幸也も「こんなところで食べるのは禁止されているんですがね」と言いながらうまそうに牛筋のスープを飲んでいた。
自分が4年間所属したフランスのトップアマチーム「ノジョン」が主催するレース「グランプリ・ノジョン」に参加したいとエッリに頼まれて、夜にフランスのアラン監督に2年以上ぶりに電話をした。時期的にも無理なお願いだったが「お前が所属するチームなら」とアランは快く「OUI(ウイ)」と言ってくれた。本当にありがたい。夜は橋川さんと外出して、暇そうに徘徊していたセバスチャンと豆乳を飲んだ。
第9ステージ
今日は金曜日。イスラムの御祈りの日なので、昼までにレースを終えて関係者はお祈りをしなくてはならない。自分は朝の6時から快便だったのだがチームの雰囲気が一変していた。昨日の夜体調が急変した選手が続出。NIPPOもバリアーニと鍛造が夜中、嘔吐と下痢で30分おきに便所で過ごした。
エッリも急にシリアスになって、若手二人にも「おまえたちはサムライだ。日本人だったら、どこかにサムライスピリットが眠っているはずだ。それを呼び起こせ」とむちゃくちゃな理論だが、通訳すると「とにかく何が何でもリーダージャージを死守しろ」という意味だろう。
彼が日本人の事をそう見ていた事は嬉しいことだが、そんな事を言っている余裕はない。機能が移植しまくった自分はぴんぴんしているが、チーム全体は重苦しい雰囲気。この弱点を悟られて攻撃されたらつらいが、どこのチームも体調を崩した選手がいたようだ。彼らのつらさは痛いほどわかる。そして、一人も欠く事ができない状態もよくわかる。
アレドンドが当たらなくて良かった。
自分は、いつものようにスタート後から「5人までの逃げは行かせて、10人はダメ」という仕事をえんえんとこなし続けた。バリアーニは前にも上がってこれず、傍から見ても彼の不調は明らかだ。
そして、50km過ぎた時にようやく2人の逃げが決まり、集団はパレードに。今日の仕事も山場を越えた。ふだん、大して仕事をしないマウロが、自分にボトルを取ってこいと命じる。「おまえが行け」と言いたいが、俺が一番元気だから、取りに行くよ。この状態でチームの和は乱せない。
スプリントに持ち込みたいファルネーゼとともに引く。佐野淳哉選手と回りながら、淳哉と引くのは、康司が総合優勝したマイエンヌとセルキュイ何だっけ?と言うと「ロレーヌです」という返事。よく覚えている。こんな話ができるのも懐かしいよな、と思いなが2ら人を2分以内に抑えて引き続けた。
そんな中、突然グレームブラウンが総合2位のグリーンエッジの選手を連れて奇襲攻撃をした。こういうときはすぐに火を消しておかなくてはならない。すぐに反応して追っかけた。この時、幸也も手伝ってくれて、逃げを吸収。
総合2位のくせに全然ローテーションを手伝わないうえにアタックするとは…(自分が同じ立場でもそうするだろうが)
奴らに「親指を立てて、VERY GOOD!」と言ってやった。ここでグレームブラウンのジャージをつかんだら、面白かったが…。
うまく集団スプリントに持ち込んだ幸也のチームメイトのブライアンがステージ2連勝。ゴール前の落車に幸也とバスが巻き込まれたが、幸い怪我は軽かったようだ。
タイ合宿で一緒に厄祓いをしてもらった三人中二人が転んだことで、ちょっと不吉な思いがしたが、軽く済んでよかったということで納得をしよう。
レース後、幸也と散歩した。アイスを食って、海に脚を浸して帰ってきた。そして、トレンガヌのサポートでお世話になっている、ラジーのお家に行って洗濯をしてもらって…。また、ラサンという地元特産のヌードルを食べて朝早かった分存分に楽しめた。
明日は最終日だ。何か素晴らしい事を成し遂げるまであと一日。他のチームはもう、終わった気分で皆飲みに行っているが、ウチのチームは最後まで気を抜かないのかと思いきや、夕食の食卓でエッリは終始ご機嫌で、明日のレース後のプランばかり立てていた。
アレドンドだけはうつむいて、どこか緊張した面持ちだ。大門さんがチャットで「アレドントがおまえに感謝していたよ」と伝えてくれた。自分も10回目の出場で総合優勝する選手を支えられて光栄だと答えた。
夜に幸也の部屋に遊びに行くと、酔っ払った2連勝中のブライアンがご機嫌で帰ってきた。
「シンイチ。ここで寝るんだろ?」という
「いや、俺は自分の部屋があるから帰るよ」
「シンイチ、ここで寝て行けよ。話そうぜ」
まだ20歳だったか? 幸也も若いと思っていたが、今回のメンバーでは最年長。チーム在籍5年目の古株である。そして、フランス期待の新人の面倒役。そりゃ俺も歳をとるわけだ…。
第10ステージ
ほぼ、総合優勝を手中に収めているとはいえ油断は禁物。他のプロチームはレース後帰国するチームも多く、昨晩ビールを買い込んで打ち上げムード。そういった事も朗報に感じる。ジュリアンは食事中もふさぎこんで会話に参加してこない。昨日、おなかを壊したバリアーニに、酸っぱいけど梅丹エキスを摂らせたら、けろっと元気になっていた。東南アジアでも梅丹エキスは手放せない。
そんな中、監督のエッリは常に上機嫌で、レース後の打ち上げの話ばかり。大門さんからは最後まで気を抜くなというメッセージが送られてくる。ジュリアンは突然、ガッツポーズをして明るくふるまったり、行動がどことなく不自然だ…。
今日はホテルの移動がないので楽だ。会場まで車で移動する。去年と同様、湖のそばの避暑地をスタートする。釣竿を持った人が多く、釣りのコンクールも行われている様子。釣った魚がたくさん並べられている。
去年は横一線に並んだ選手の間隙をぬって、自分がアタックしたが、今回は横一線に並んで集団を抑える立場だ。
最初に5人が飛び出したが、アンドローニ等、こっちを苦しめたいチームがアタックしてこっちを乱そうとする。それも何とか抑えて6人の逃げが決まった。総合優勝へ大きな一歩だ。周回までは日本人3人とファルネーゼの佐野選手、ともう一人の5人で2分差で追う。
いい感じで差を保って引いていると、周回に入る手前でまたもやガーミン、クイックステップが横風区間を利用して束になってアタックしてきた。
来た!
ちょうど先頭だった自分は迷うことなく反応して、前を追う。そこで若手たちは脱落してしまったが、調子が良くて余裕を持って引いていたので、追いつくことが出来た。まだ引き続ける選手たちにジュリアンが前に上がって、「ひき続けても無駄だ」とアピールすると、奴らもおとなしくなった。そこからまたペースダウンして延々と引く。
周回に入りユーロップカーが全員で前に出てきて引き始める。その後ろを固める。一人でも人数を確保して不測の事態には備えなくてはならない。気温が高い。若手にバリアーニがボトルを取ってこいと命じる。彼らは死にかけてはいたが、何とかボトルを持って上がってきた。
周回は減り、残り2周。前にいる4人全員の水がなくなった。
バリアーニがボトルを持って、後ろに示し、後ろにいるであろう2人にボトルを運べとサインを出す。
「おそらく、もういないだろう」と感じていた自分は「俺が行くよ、と言ったが、バリアーニはお前はここにいろ。これはあいつらの仕事だ」といって行かせてはくれなかった。
なけなしの水を分け合いながら、最終ラップに突入。先頭に4人で立ち集団を引いた。残り1kmで前に出て、アタックしようと思ったが横風を受けながら失速。ジュリアンのゴールを確認しながらガッツポーズをしながらゴールをした。
ステージ優勝はファルネーゼのキッキ。ブライアンは昨日少し飲みすぎたか?
こうして、僕は最高の形でツールドランカウィを終える事が出来た。ここに来る時は自分がステージ優勝したいと思ってやってきたが、まさか総合優勝できるとは思っていなかった。しかし、自分がNIPPOに入ったのはまさしくこういう事がしたかったのであり、若手の指導に関しても、アドバイスのし甲斐があった。
トレンガヌは今回元気がなかったが、自分の姿を見て何かを感じてくれたらうれしいと思う。今回は中国チームの活躍が目を引いた。ワンは総合5位に山岳賞、チーム全体も強かった。アジアの他の国の選手が伸び悩む中、彼らが自信をつけたのが今回の収穫だろう。とはいえ、シーズンは始まったばかり。幸先がよすぎるがこの勢いで頑張りたいと思う。
text:福島晋一(チームNIPPO・デローザ)
photo:Sonoko.Tanaka
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