2011/04/08(金) - 17:34
グランツールのチャンピオンが山岳を制すべく集団から抜け出すのを観ることは、ロードバイクにおける気品や美しさ、完全性を目撃することに等しい。クラシックレースのチャンピオンがパヴェの上を浮かぶように走るのを観ることは、これと全く違う感情を呼び覚まさせる。
前者に属する選手は「鷹」や「天使」といったニックネームがつけられるのに対し、後者の選手は桁外れのパワーと決断力でパヴェを制圧する様から、ロマン主義的な甘美な詩をもって讃えられることはほとんどない。
先の週末、「北の地獄」の業火の洗礼を受けてからというもの、私は「レイジング・ブル」という言葉を心から理解するに至ったのだ。
※レイジング・ブル…元世界ミドル級チャンピオンのボクサー、ジェイク・モラッタの愛称。派手に殴られても倒れないタフさが身上。1940年代を不屈の肉体と精神で彩った。言葉の原義は「荒ぶる闘牛」。マーティン・スコセッシによる同名の映画でも知られる。
5人からなるライダーのグループが、4月9日に控えたパリ〜ルーベチャレンジの偵察ライドに赴いた。我々はみな石畳を初体験したのだが、もう偵察ライドを終えて1週間近くが経とうとしているのに、50本の指は痛みに痺れている有様だ。
私は肉体的にも精神的にも軽いものを好む人種である。ステーキよりもレタスのサラダが好きなのだ。私のこれまでの自転車による巡礼のリストにおいて、石畳は決して高い位置を占めるものでは無かった。肉体的な闘いに人生の喜びを見出す重量級のグラディエーターたちに石畳を任せることで、私は満足をしてきた。そんなわけで我々5名が悪名高きパヴェに挑む前夜も、私は眠りにつくのにさしたる時間を必要とはしなかった。
峠を登っている時、自転車乗りは熟考し、自分のペースを計算したり、登りで必要な力の温存やテクニックを考案する時間がある。時にサイクルスポーツの精髄とは、向こう見ずにガムシャラ走ることだと言われることがある。しかしダンスをしているかのように、あたかも飛んでいるかのように曲がりくねった峠を軽やかに登ることもまた、サイクリングの真骨頂ではないか。
石畳を走っている時は、そんな夢を見る時間など無い。すでにあなたはリングの中にいて、ゴングが鳴ればたちまちのうちに戦うボクサーとなるのだから。時にあなたはただ打ちのめされるだけのサンドバッグだ。ひとつのラウンドはどこにいようとも3分から15分は続くのだから、あなたは脚に力を入れざるを得ない。
数分の間の舗装路区間で、感覚を無くし放心状態のあなたは次のパヴェ・ラウンドに備えて回復したいと願うはずだ。あなたがコースを熟知していないなら、次のパヴェの始まりを告げるゴングの前兆にすら気づくことはないだろう。
パヴェにルールなんてものは無く、全身全霊の取っ組み合いがあるばかりだ。石畳はまるでテレビゲームの過剰さのよろしく、容赦なくあなたに牙を剥く。辛うじて石畳のひどい状態を見極めたあなたは、それがトラクターによって削られ、横道にまで角が突き出し、大きなの穴がそこかしこに口を開けているのに気づくだろう。
あたかも自分の命を懸けているかのように、あなたはペダルを踏み込む脚を止めることはできない。スローダウンすれば、石畳は大口を開けているように思われ、あなたにまだ残る前向きな気持ち吸い取ろうとするブラックホールが顔を覗かせる。
時には泥に埋められた溝が、パンチの届かない安全な走行ラインに思える。が、これはあなたがまっすぐ罠へ向かっていることの表れでしかない(水たまりは路面のくぼみをうまいこと隠してくれるものだ)。しかし「ガターサッカー」溝好き野郎、になってしまえば、石畳に突入する前に、少なくともある程度の前向きな気持ちを失うことには防げるだろう。
通過したパヴェ・セクションの数を少しずつ増やしながら、私たちは次第にテクニックとでも呼べそうなものを理解していった。腕と肩をリラックスさせるコツ、ビッグギアを踏み込むコツ、ラインの選択とそれをキープすること、粗末な岩の破片をかわすために10メートル先を見ること(石畳の上ではハンドルを切ることはできない)などなど。
パヴェ・セクションの終わりが近づいた時に、気を緩めたくなる衝動に対抗することの大切さも覚えた。パリ〜ルーベを描写する本質的な決まり文句を、自分たち自身で復唱し続けた。この文句はこうである。「石畳は引き続きやってくる、私が自転車に乗っている限りは!」
実際に石畳を経験してみれば、なぜこのライドが「地獄」と形容されるのかは容易く理解される。だがこの冒険をサバイバルしルーベの街にたどり着くことは、体はボロボロになり傷つきながらも意志の力が勝ったことを明白に示すことと同義だ。
この偵察ライドの終わりに、私たちは幸運にもあの有名なヴェロドロームを心行くまで走ることができた。この場所の歴史に対する私たちの敬意は溢れ出して止まることはなかった。スムースなコンクリートのバンクを一気に駆け上ったり降りたりしながら、石の塊がむき出しになった農場の小道の野蛮さを思い返す。
ルーベ・ヴェロドロームは詰めかけた大勢の観衆がパリ〜ルーベのヒーローを賞賛をもって迎える場所であるが、これらの石畳の上こそ、ヒーローが賞賛されるべき場所ではないか。ロードサイクリストが行いうる最も厳しい闘いはこのパヴェの上で為されているのだから。
「何と比べても、正気の沙汰ではない」かつてベルナール・イノーはパリ〜ルーベについてこう語ったことがある。だが、いつかまたここを走りたいと私を惹き付けるものは、まさにこの狂気にも似た熱狂なのだ。
最後に、もうすぐパリ〜ルーベチャレンジを走られる方々にいくつかのちょっとしたアドバイスを。
前者に属する選手は「鷹」や「天使」といったニックネームがつけられるのに対し、後者の選手は桁外れのパワーと決断力でパヴェを制圧する様から、ロマン主義的な甘美な詩をもって讃えられることはほとんどない。
先の週末、「北の地獄」の業火の洗礼を受けてからというもの、私は「レイジング・ブル」という言葉を心から理解するに至ったのだ。
※レイジング・ブル…元世界ミドル級チャンピオンのボクサー、ジェイク・モラッタの愛称。派手に殴られても倒れないタフさが身上。1940年代を不屈の肉体と精神で彩った。言葉の原義は「荒ぶる闘牛」。マーティン・スコセッシによる同名の映画でも知られる。
5人からなるライダーのグループが、4月9日に控えたパリ〜ルーベチャレンジの偵察ライドに赴いた。我々はみな石畳を初体験したのだが、もう偵察ライドを終えて1週間近くが経とうとしているのに、50本の指は痛みに痺れている有様だ。
私は肉体的にも精神的にも軽いものを好む人種である。ステーキよりもレタスのサラダが好きなのだ。私のこれまでの自転車による巡礼のリストにおいて、石畳は決して高い位置を占めるものでは無かった。肉体的な闘いに人生の喜びを見出す重量級のグラディエーターたちに石畳を任せることで、私は満足をしてきた。そんなわけで我々5名が悪名高きパヴェに挑む前夜も、私は眠りにつくのにさしたる時間を必要とはしなかった。
峠を登っている時、自転車乗りは熟考し、自分のペースを計算したり、登りで必要な力の温存やテクニックを考案する時間がある。時にサイクルスポーツの精髄とは、向こう見ずにガムシャラ走ることだと言われることがある。しかしダンスをしているかのように、あたかも飛んでいるかのように曲がりくねった峠を軽やかに登ることもまた、サイクリングの真骨頂ではないか。
石畳を走っている時は、そんな夢を見る時間など無い。すでにあなたはリングの中にいて、ゴングが鳴ればたちまちのうちに戦うボクサーとなるのだから。時にあなたはただ打ちのめされるだけのサンドバッグだ。ひとつのラウンドはどこにいようとも3分から15分は続くのだから、あなたは脚に力を入れざるを得ない。
数分の間の舗装路区間で、感覚を無くし放心状態のあなたは次のパヴェ・ラウンドに備えて回復したいと願うはずだ。あなたがコースを熟知していないなら、次のパヴェの始まりを告げるゴングの前兆にすら気づくことはないだろう。
パヴェにルールなんてものは無く、全身全霊の取っ組み合いがあるばかりだ。石畳はまるでテレビゲームの過剰さのよろしく、容赦なくあなたに牙を剥く。辛うじて石畳のひどい状態を見極めたあなたは、それがトラクターによって削られ、横道にまで角が突き出し、大きなの穴がそこかしこに口を開けているのに気づくだろう。
あたかも自分の命を懸けているかのように、あなたはペダルを踏み込む脚を止めることはできない。スローダウンすれば、石畳は大口を開けているように思われ、あなたにまだ残る前向きな気持ち吸い取ろうとするブラックホールが顔を覗かせる。
時には泥に埋められた溝が、パンチの届かない安全な走行ラインに思える。が、これはあなたがまっすぐ罠へ向かっていることの表れでしかない(水たまりは路面のくぼみをうまいこと隠してくれるものだ)。しかし「ガターサッカー」溝好き野郎、になってしまえば、石畳に突入する前に、少なくともある程度の前向きな気持ちを失うことには防げるだろう。
通過したパヴェ・セクションの数を少しずつ増やしながら、私たちは次第にテクニックとでも呼べそうなものを理解していった。腕と肩をリラックスさせるコツ、ビッグギアを踏み込むコツ、ラインの選択とそれをキープすること、粗末な岩の破片をかわすために10メートル先を見ること(石畳の上ではハンドルを切ることはできない)などなど。
パヴェ・セクションの終わりが近づいた時に、気を緩めたくなる衝動に対抗することの大切さも覚えた。パリ〜ルーベを描写する本質的な決まり文句を、自分たち自身で復唱し続けた。この文句はこうである。「石畳は引き続きやってくる、私が自転車に乗っている限りは!」
実際に石畳を経験してみれば、なぜこのライドが「地獄」と形容されるのかは容易く理解される。だがこの冒険をサバイバルしルーベの街にたどり着くことは、体はボロボロになり傷つきながらも意志の力が勝ったことを明白に示すことと同義だ。
この偵察ライドの終わりに、私たちは幸運にもあの有名なヴェロドロームを心行くまで走ることができた。この場所の歴史に対する私たちの敬意は溢れ出して止まることはなかった。スムースなコンクリートのバンクを一気に駆け上ったり降りたりしながら、石の塊がむき出しになった農場の小道の野蛮さを思い返す。
ルーベ・ヴェロドロームは詰めかけた大勢の観衆がパリ〜ルーベのヒーローを賞賛をもって迎える場所であるが、これらの石畳の上こそ、ヒーローが賞賛されるべき場所ではないか。ロードサイクリストが行いうる最も厳しい闘いはこのパヴェの上で為されているのだから。
「何と比べても、正気の沙汰ではない」かつてベルナール・イノーはパリ〜ルーベについてこう語ったことがある。だが、いつかまたここを走りたいと私を惹き付けるものは、まさにこの狂気にも似た熱狂なのだ。
最後に、もうすぐパリ〜ルーベチャレンジを走られる方々にいくつかのちょっとしたアドバイスを。
- これでもかというより以上に完璧なバイクの準備・メンテナンスを
- 石畳上のライン選択とその上を走り続けられるようにすること
- あなたの周りを走るサイクリストを意識しておくこと
(石畳の上では、後ろを振り返ることは不可能だ) - 脚を止めないように。自分の命を脚に預けているつもりになろう
- グリップの安定した(見た目だけのグリップはダメだ)ドロップハンドルのバイクで走ろう
これがあなたの握力を最大限リラックスする機会を作ってくれる
提供:ラファ 企画/制作:シクロワイアード