2010/11/30(火) - 21:03
沖縄の山原(ヤンバル)地方の良さをたっぷり味わえるやんばるセンチュリーライドと、本島を2日間かけてぐるりと一周する本島一周サイクリング。今年は初日が豪雨にたたられ、苦労の多いツアーになった。同行サポートした中村忍さんがレポートします。
はいさぁ~~い、ツール・ド・おきなわ 離島サイクリングのサイクリングリーダー中村です。
ツール・ド・おきなわに関わったのが2004年からで、ずっと離島コースのリーダーを担当してきました。今までおもに、伊是名島と伊平屋島を毎年交互に担当しています。
いつもどおり離島担当のはずが、今年はなぁんと、参加者が少ないという事もあって、各村にお願いするという事で、リーダーは無し。他のコースを担当していただきたいという事務局からのお達しがあった。
森兵次実行委員長には日ごろからひとかたならぬお世話になっているので、事務局からのお達しは実行委員長からの要請とばかりに即!「どこでも担当します」宣言をしてしまった...。
2日で300キロ走る覚悟をしていたのであるが、ツール10日前に行われたスタッフ会議でサイクリングリーダーという言葉は一言も出なくて、(今年はどのコースにもサイクリングリーダーはいませんでした)その代わりに出たのが随行役員という役割。
何だ?それっ? 簡単に言えば、車で移動して無線や携帯で連絡を取りつつ、大まかな全体の流れを把握しながら、円滑な進行をサポートする役目と言ったところかなぁ???
300km走るつもりが・・・。
ただ、私自身も最近は右坐骨の状態が思わしくなく、走りきれるかなぁ?と不安があったので、ホッとしたのも正直な気持ちでした。移動がバイクからクルマに変わっただけで、役目は役目。
本島一周サイクリングは、バイク3台、車両5台、メカニック車両、回収トラックにマイクロバス、これにセンチュリーライドの車両2台が加わってのサポート体制です。
前夜は車両の回送、装備品の点検・積み込み、無線の取り付けに最終打ち合わせが終わったら、日付が変わっていた。
さあ!本島一周&センチュリーライドのスタートだぁ!と、好天の期待は裏切られて、今にも降り出しそうな曇天の下、スタート地点の名護市内に向かう。
随行のオートバイ・各車両も道路わきにスタンバイして待機。人が集まって出発時刻になったかと思うと、「パァ-ン!」と音がして、いつの間にかスタート(してしまった)。
「えっ、何かセレモニーと言うか、実行委員長や名護市の方の挨拶は無いの?」と思いきや、整列した参加者の前の方では行われていたようです。例年と勝手が違って、流れがうまくつかめません。
スタートしてから各車両から随時無線が入る。運転は相棒の学生君に任せて、私は無線のやり取りとトラブル発見の際の対応と救護の要請(パンクの対応およびメカニックの要請)に専念する。
いきなり、転倒者が出て、病院に搬送!という無線が...。
「前途多難だなぁ...これで雨が降ればさらに...」と不安がよぎる。
昼食ポイントの国頭村奥やんばるの里あたりから雨が本降りになり、さらには無線も携帯も通じなくなって(私のはソフトバンクなのでなおさらである)、各車両とのやり取りができなくなってしまい、状況が全く把握できない。
冷たい雨と連続するやんばるの坂がサイクリストを苦しめる。
アップダウンの連続であっても、雨さえ降ってなければなぁ、と恨めしそうに空を見上げても、雨脚の弱まる様子はない。
最後のエイドは名護市役所久志支所で、17:30打ち切り。ここで名護漁港(センチュリーライドのゴール)と喜瀬ビーチパレス(本島一周の宿泊)行きのバイク回収車と大型バスが待機している。
16時半の時刻でこの天候。あたりは早くも暗くなり始めている。ましてセンチュリーライドのコースには最後にとどめを刺すような登り坂が待ち構えている。
雨の中、立ち通しのボランティアの方に「サイクリストが来たら必ずエイドに入るように呼びかけてください」と伝えて、回収を申し出た皆さんへの状況説明と車両のやり繰りに奔走した。
その間、随行車両数台がコースを逆走してサイクリスト回収に当たった。名護漁港・喜瀬ビーチパレス行き各2回ピストン輸送して、その日のゴールと宿に送り届けることができた。ほっとした。
最後の回収車両を見送って、あたりを見るとエイドは撤収し、支所の明かりも消えて、いつもの静寂がそこにあった。先ほどまで降っていた雨が止んで雲の切れ間が見えていた。
明日は大丈夫だろうか?
2日目。なんとか雨が上がったが...
本島一周2日目の朝。
路面は乾いていて、曇り空ながら何とか天候は大丈夫そうだ。
昨日と違い距離が短く、コース自体も特に厳しい所は無いが、幹線道路を走るので交通量が多く、その点では要注意だ!
2日目の出だしの30km過ぎまでは殆ど通った事のない道なので、分岐でのボランティアや案内板を見落とさないよう注意を払う(随行車両がコース間違えたらシャレにならない...)。
この日に多かったのがパンク。先行する車両のTさんは5回、私でも3回チューブ交換をした。バーストもあって、これは手に負えないのでメカニックさんにお願い。
お昼は那覇市の泊港の緑地帯で港を眺めながらのお昼。交通量の多い幹線道路わきだったけど、なかなか良いロケーションだったと思います。
そこからは国道58号線を北へ。読谷・恩納村・幸喜(名護市)のエイドを経て
320㌔を走って、ゴールの名護漁港へ。
ぶっちゃけ、「えー何っ、ここがゴール?」って感じで、かなり肩透かしをくらった感があるが、「街なか活性化」ということで、昨年までと会場のレイアウトが大幅に変わった
今年のツール・ド・おきなわ。フィニッシュゲートもなく、看板がポツンとひとつあるだけでした。名護漁港がゴールであるなら、それらしいレイアウトが欲しかったですね。
今年はどのコースにもサイクリングリーダーが居ませんでした。オートバイの先導やメカニック車や車両が随行しているので必要無いのでは?と思われるかもしれませんが、一緒に走っているリーダーさんが居るという安心感や寂しさを紛らわす話し相手としてでもリーダーは居た方がいいというのが私の意見です。来年はまた走る現場に戻してもらいたいな、と思っています。
両足義足で本島一周に挑戦。313kmを完走した島袋さん
両足が義足というハンディキャップをもつ島袋勉さん(46歳・那覇市市在住)が、沖縄本島一周313kmの完走を果たした。島袋さんはレースに出場したこともあるが、タイムアウトで失格になった。
「勝ち負けより充実感を優先させよう」と、競うよりも完走を目指せる本島一周にチャレンジすることを決めた。
風に逆らっての走りを余儀なくされた2日間。足の痛みを抑えるために、休憩時間には必ず義足を外し、足をほぐした。島袋さんを支えたのはトライアスリートの八尾彰一さんがコーチするチームYaoロジックの皆さん。
仲間たちの支えと励ましがあって313kmをみごと走りきった。
本島一周&やんばるセンチュリーライドに挑戦した参加者たち
フォトギャラリーには離島サイクリングなど他部門のサイクリングの様子も収録しています。
はいさぁ~~い、ツール・ド・おきなわ 離島サイクリングのサイクリングリーダー中村です。
ツール・ド・おきなわに関わったのが2004年からで、ずっと離島コースのリーダーを担当してきました。今までおもに、伊是名島と伊平屋島を毎年交互に担当しています。
いつもどおり離島担当のはずが、今年はなぁんと、参加者が少ないという事もあって、各村にお願いするという事で、リーダーは無し。他のコースを担当していただきたいという事務局からのお達しがあった。
森兵次実行委員長には日ごろからひとかたならぬお世話になっているので、事務局からのお達しは実行委員長からの要請とばかりに即!「どこでも担当します」宣言をしてしまった...。
2日で300キロ走る覚悟をしていたのであるが、ツール10日前に行われたスタッフ会議でサイクリングリーダーという言葉は一言も出なくて、(今年はどのコースにもサイクリングリーダーはいませんでした)その代わりに出たのが随行役員という役割。
何だ?それっ? 簡単に言えば、車で移動して無線や携帯で連絡を取りつつ、大まかな全体の流れを把握しながら、円滑な進行をサポートする役目と言ったところかなぁ???
300km走るつもりが・・・。
ただ、私自身も最近は右坐骨の状態が思わしくなく、走りきれるかなぁ?と不安があったので、ホッとしたのも正直な気持ちでした。移動がバイクからクルマに変わっただけで、役目は役目。
本島一周サイクリングは、バイク3台、車両5台、メカニック車両、回収トラックにマイクロバス、これにセンチュリーライドの車両2台が加わってのサポート体制です。
前夜は車両の回送、装備品の点検・積み込み、無線の取り付けに最終打ち合わせが終わったら、日付が変わっていた。
さあ!本島一周&センチュリーライドのスタートだぁ!と、好天の期待は裏切られて、今にも降り出しそうな曇天の下、スタート地点の名護市内に向かう。
随行のオートバイ・各車両も道路わきにスタンバイして待機。人が集まって出発時刻になったかと思うと、「パァ-ン!」と音がして、いつの間にかスタート(してしまった)。
「えっ、何かセレモニーと言うか、実行委員長や名護市の方の挨拶は無いの?」と思いきや、整列した参加者の前の方では行われていたようです。例年と勝手が違って、流れがうまくつかめません。
スタートしてから各車両から随時無線が入る。運転は相棒の学生君に任せて、私は無線のやり取りとトラブル発見の際の対応と救護の要請(パンクの対応およびメカニックの要請)に専念する。
いきなり、転倒者が出て、病院に搬送!という無線が...。
「前途多難だなぁ...これで雨が降ればさらに...」と不安がよぎる。
昼食ポイントの国頭村奥やんばるの里あたりから雨が本降りになり、さらには無線も携帯も通じなくなって(私のはソフトバンクなのでなおさらである)、各車両とのやり取りができなくなってしまい、状況が全く把握できない。
冷たい雨と連続するやんばるの坂がサイクリストを苦しめる。
アップダウンの連続であっても、雨さえ降ってなければなぁ、と恨めしそうに空を見上げても、雨脚の弱まる様子はない。
最後のエイドは名護市役所久志支所で、17:30打ち切り。ここで名護漁港(センチュリーライドのゴール)と喜瀬ビーチパレス(本島一周の宿泊)行きのバイク回収車と大型バスが待機している。
16時半の時刻でこの天候。あたりは早くも暗くなり始めている。ましてセンチュリーライドのコースには最後にとどめを刺すような登り坂が待ち構えている。
雨の中、立ち通しのボランティアの方に「サイクリストが来たら必ずエイドに入るように呼びかけてください」と伝えて、回収を申し出た皆さんへの状況説明と車両のやり繰りに奔走した。
その間、随行車両数台がコースを逆走してサイクリスト回収に当たった。名護漁港・喜瀬ビーチパレス行き各2回ピストン輸送して、その日のゴールと宿に送り届けることができた。ほっとした。
最後の回収車両を見送って、あたりを見るとエイドは撤収し、支所の明かりも消えて、いつもの静寂がそこにあった。先ほどまで降っていた雨が止んで雲の切れ間が見えていた。
明日は大丈夫だろうか?
2日目。なんとか雨が上がったが...
本島一周2日目の朝。
路面は乾いていて、曇り空ながら何とか天候は大丈夫そうだ。
昨日と違い距離が短く、コース自体も特に厳しい所は無いが、幹線道路を走るので交通量が多く、その点では要注意だ!
2日目の出だしの30km過ぎまでは殆ど通った事のない道なので、分岐でのボランティアや案内板を見落とさないよう注意を払う(随行車両がコース間違えたらシャレにならない...)。
この日に多かったのがパンク。先行する車両のTさんは5回、私でも3回チューブ交換をした。バーストもあって、これは手に負えないのでメカニックさんにお願い。
お昼は那覇市の泊港の緑地帯で港を眺めながらのお昼。交通量の多い幹線道路わきだったけど、なかなか良いロケーションだったと思います。
そこからは国道58号線を北へ。読谷・恩納村・幸喜(名護市)のエイドを経て
320㌔を走って、ゴールの名護漁港へ。
ぶっちゃけ、「えー何っ、ここがゴール?」って感じで、かなり肩透かしをくらった感があるが、「街なか活性化」ということで、昨年までと会場のレイアウトが大幅に変わった
今年のツール・ド・おきなわ。フィニッシュゲートもなく、看板がポツンとひとつあるだけでした。名護漁港がゴールであるなら、それらしいレイアウトが欲しかったですね。
今年はどのコースにもサイクリングリーダーが居ませんでした。オートバイの先導やメカニック車や車両が随行しているので必要無いのでは?と思われるかもしれませんが、一緒に走っているリーダーさんが居るという安心感や寂しさを紛らわす話し相手としてでもリーダーは居た方がいいというのが私の意見です。来年はまた走る現場に戻してもらいたいな、と思っています。
両足義足で本島一周に挑戦。313kmを完走した島袋さん
両足が義足というハンディキャップをもつ島袋勉さん(46歳・那覇市市在住)が、沖縄本島一周313kmの完走を果たした。島袋さんはレースに出場したこともあるが、タイムアウトで失格になった。
「勝ち負けより充実感を優先させよう」と、競うよりも完走を目指せる本島一周にチャレンジすることを決めた。
風に逆らっての走りを余儀なくされた2日間。足の痛みを抑えるために、休憩時間には必ず義足を外し、足をほぐした。島袋さんを支えたのはトライアスリートの八尾彰一さんがコーチするチームYaoロジックの皆さん。
仲間たちの支えと励ましがあって313kmをみごと走りきった。
本島一周&やんばるセンチュリーライドに挑戦した参加者たち
フォトギャラリーには離島サイクリングなど他部門のサイクリングの様子も収録しています。
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