2021/01/08(金) - 13:23
昨年の11月29日、佐賀県唐津市の北西部で「名護屋城歴史サイクルルート モニターライド」が開催された。この地域で策定予定の、史跡や風光明媚なスポットを巡る5つのモデルルートから2つを合わせた特別なルートを一般参加者と共に楽しんだ絹代さんのレポートをお届けします。
この唐津の鎮西・呼子エリアは、16世紀に朝鮮出兵を志した豊臣秀吉が、出兵拠点として城を構え、全国から160名の大名を集めた地。各大名はそれぞれ丘陵を活かした陣屋を築き、住んでいたという。秀吉が築いた名護屋城の面積は17ヘクタールにも及び、大坂城にもつぐ規模で、ここに集められた人員は20万人を超えていたそうだ。秀吉が死を迎えるまで7年もの間、大名たちが軒を連ね出兵に備えていたという。もちろんこの陣屋群は今はもう存在していないが、23の陣跡が特別史跡の指定を受け、保存が図られている。
この日は、佐賀県立名護屋城博物館を拠点とし、西の波戸岬側と東の呼子側に周回するメガネのような形の24kmほどのコースの走行を楽しむと同時に、いくつかの陣跡を実際に訪れ、道中何名かのガイドさんの説明を受け、見学するプランになっていた。
ゲストは、黒枝士揮(チームブリヂストンサイクリング/1月よりSparkle Oita Racing Team)・咲哉(シマノレーシング/1月よりSparkle Oita Racing Team)兄弟と私、絹代の3名。参加条件に年齢制限はなく、自転車に乗れて、このコースを走れる方であれば誰でもOK。今回は福岡の山田大五朗氏(Bike is Life)の協力を得て開催しており、Bike is Lifeのスポーツバイクレンタルや山田さんによる乗車指導も実施されていたため、スポーツバイクを持つサイクリストでなくても気軽に参加でき、多くの応募があったという。応募者多数のために参加者は抽選を経て決定された。
城や陣屋を建てる地とあり、この中を走るには細かいアップダウンは避けられない。コース内は終始それなりのアップダウンが続くが、子供たちや乗り慣れていない方も全員が同じスケジュールでコースを走る。タイムマネージメントへの不安があると同時に、コロナウィルス感染予防への十分な対策も必須。様々な可能性を挙げ、検討し、打ち合わせを重ねたのだった。
そして迎えた当日の朝。私はお子さんの多いC班と共に走る。この日は立ち寄りが多く、歩く距離も長いため、クリートのない歩ける靴で参加してほしいとのお達し。どんなものに出会えるのだろう?楽しみだ。
参加者は全員検温と体調チェックを受け、レンタサイクルの方はフィッティングを済ませ、名護屋城博物館へ。まずは、名護屋城とこの地域の歴史について、学芸員の松浦さんに基本的な話を伺う。知っているのと知らないとでは、同じ史跡に触れたときの感動が全く違う。せっかくなら最低限のことを知り、価値を理解した上で訪れたい。
紐解くべき歴史にはたくさんの要素があろうが、時間の制約もあり、豊臣秀吉が築いた名護屋城と陣跡についての説明を受ける。当時の様子が復元された模型が飾られており、高台になる城から海に向かって、どのような形で陣跡が配置されていたのかを見ることができる。私の日本史の知識は中学校の授業が最後で、他はチラ見してきたドラマ程度ととても乏しいのだが、こういう立体的な形で見せられるとこの時代に興味が湧いてくる。
松浦さんに促され、窓から現在の名護屋城跡を眺めに行った。もう一部の石垣を残すのみになっているが、地形は当然当時のまま。
この大きな窓があるスペースには、足元に航空写真を元にした陣跡の配置図が敷かれており、大名の力関係を類推しながら、陣跡を眺めることができる。皆、興味津々で自分が名を知る武将の陣跡探し。この日はどの陣跡を訪れるのだろう?
記念撮影を経て、グループごとに分かれ、自転車の操作法の確認や、空気圧、ブレーキの安全点検を経て出発。C班は、最後のスタート。ゆっくりと、無理のないペースで走りましょうと話し合った。
まずは北上し、波戸岬へと向かう。聞いていた通り、そこそこのアップダウンコース!不慣れな方や子供たちにはきついのではないかと思いきや、キッズたちは上りもなんのその。大人顔負けのスピードで息も切らさず、笑顔を浮かべながら坂を上ってくる。B班に迫ってしまうシーンもあるほどで、子供たちのパワーに驚かされた。
コースはゆるやかなアップダウンを繰り返しながら、冒険のような道もあり、バリエーション豊かなルートを抜けていく。スタート時には寒かったカラダもかなりあたたまってきた。
ほどなく、波戸岬に到着。海の見晴らしがよく、気持ちのいい高台だ。夏は海水浴やキャンプでにぎわうという。海中に突き出した白い海中展望台からは、熱帯性の魚や珍しい海藻類が眺められ、人気が高いそうだ。
自転車を降り、ほっと一息。恋人の聖地サテライトに認定されており、純白のハート型のモニュメントも据えられていた。夕景の美しさにも定評がある土地だ。美しい海をバックに、皆で記念撮影や交流を楽しんだ。
ただ、ここは一年を通じて風が強いらしく、この日も容赦ない風が吹き付けていた。のんびり休憩の予定だったようだが、あまり長居をするとあたたまった身体が冷えてしまう。少し休憩時間を短縮し、出発することになった。
C班は寒さなんか無縁の元気さで、ノリノリにアップダウンをクリアしていく。設定されたルートは、田園風景を抜けたり、林の中を抜けたりと、次に何が現れるのか予想がつかない。キッズライダーとともに冒険のように楽しみながらバイクを走らせて行った。
コースはまさに陣跡の間を縫って動いているようだ。ふと案内板を見ると「こっちは上杉さんと直江(兼続)。奥には北条さんがいて、あちらは徳川さんで、こっちには真田さんがいます!」とのこと。大河ドラマの収録楽屋みたいだ。歴史好きのひとにはたまらないだろう。あたりをつなぐ道はどれも細く、陣跡をめぐるには、自転車が最適だと思う。
木立に囲まれた道を上っていると、前方のグループが止まり、草地の中の砂利道に誘導されている。いったい、なんだろう?
草むらの中に空き地があり、笑顔のガイドさんが待ってくれていた。ここにバイクを置き、さらに奥に進みましょうとのこと。後をついて丘を上がると、不思議な空間が広がっていた。
ここは越前の大名、堀秀治の陣跡。16歳の若さでここにやってきて、陣屋としては最大級の11ヘクタールもの広大な屋敷を築いたという。
信頼が篤かったのか、秀吉もよく遊びに来たそうだが、この堀陣跡には、日本最古とも言われる能舞台跡があった。ここで誰が、どんな舞を披露したのだろうか。大名たちは連れ立って観に集まったりしたのだろうか。皆、しばし寒さも忘れ、陣跡の空気を楽しんだのだった。
次はランチ!どんなところで何を食べられるのだろうかと皆の妄想が膨らむ。アップダウンを越えて、誘導されたのは、なんとお寺だった。
この日、「専称寺」が参加者のためにお堂を開放してくれたのだ。テーブルに並べられたお弁当の前に座り、蓋を開けると、彩りよく、バランスよく、お野菜もお肉もお魚もデザートもぎっしりと詰められていて、ボリュームも満点!地元のお店が作ってくれたそうなのだが、ひとつひとつが冷えてもおいしいようにと丁寧に調理されていて、どれも味も食感もよい。皆でありがたさを噛みしめながら、おいしくいただいたのだった。
食べ終わると、2班に分かれ、ガイドさんとともに周囲をめぐり、家康の陣屋に行くことになった。名護屋港まで見晴らせる眺めのよい道を歩き、家康の詠んだ和歌にちなみ改名したという竜泉寺の脇を抜け、茂った木々の間を上っていく。そこには、あの徳川家康の陣跡がひっそりと広がっていた。
秀吉を補佐する位置にいた家康。この陣跡は、名護屋城の北東、名護屋港の要所に位置していたという。家康はこの陣跡に、なんと1万5千人を連れて参陣したそうだ。陣内に茶室を建て、茶会を開いたという記録もあるとか。今はほぼ草原になってしまっているけれど、主郭、北郭、南郭、東郭の形状なども確認されている。堀もあったそうだし、入江の対岸には別陣も構えていたそうで、やはり重要な位置にいたのだと感じさせる。
説明を終え、下ってくると、アニメキャラクターを屋根に乗せた建物が見えた。史跡にはそぐわないルックスに少々驚くと、保育園だった。なんと陣屋の南郭は、現在保育園になっていたのだ。看板を見て、再度驚く。葵の御紋があしらわれているではないか。うらやましいと思ってしまった(笑)
寺に戻り、ライドに再出発!名護屋大橋を渡り、呼子港などをめぐるコースの東パートへ繰り出す。呼子エリアを反時計回りに回るルートになる。
名護屋大橋を渡って、ふと止まった道の向かい側に「黒田長政陣跡」の看板が。黒田官兵衛の息子だ!大河ドラマではないのだが俳優さんの顔が浮かんでしまい、妙に反応してしまった。こんなにひっそり、ごく普通の町の風景の中に、有名大名の陣跡が点在しているすごさに改めて感動する。もちろん、当時は本物がひしめきあっていたわけで、もっと「すごかった」に違いないが。
住宅街や農地の間を縫い、交通量の少ない道を行く。ゆるいアップダウンの繰り返しにはなるが、ノーストレスだ。
ほどなく、呼子港近くの商店が連なるエリアに差し掛かる。一同は港そばの駐車場の一角に自転車をまとめて停め、お手洗い休憩となった。出発時間がアナウンスされ、動揺が走る。低い気温の中でアップダウンを越え、甘いものや温かいものを身体が欲している。さきほど通りかかった際に、コーヒーショップ(前日にリサーチ済み)やまんじゅう屋の存在も伝えてしまっていたので、皆さんおやつモードになってしまっていたのだ。切実にお願いし、休憩を少し延長してもらって、コーヒーショップに向かうことになった。たちまち息を吹き返したように、ショップに走る一同。
ショップに着いてみると、10名以上が店舗に集結していた(笑)テイクアウトでコーヒーをオーダー、仕上がりを待つ。隣のまんじゅう店で、餅やまんじゅうを買い、おやつコンプリートだ!
「時間がない感」を強烈に醸し出しながら突然現れたウェア姿のグループに気圧されつつも、スタッフ総出で丁寧にコーヒーをハンドドリップしてくれて、全員分のホットコーヒーを確保!コーヒーを手にしたものから駐輪スペースに走って戻り、ライドを再開したのだった。皆が見違えるほど元気になった!(笑)私も頭がシャキッとして、超回復。全員でコーヒーブレイクの価値を嚙み締めたのだった。
さて、ここからはもうライドも終盤の仕上げパートに突入する。北上し、呼子大橋のふもとに向かうと、博物館でお世話になった学芸員の松浦さんが待ってくれていた。会ったのは数時間前のことなのに、不思議と懐かしさのような感情がこみあげる。
自転車を停め、道路を渡り、丘を上る。ここは秀吉に仕えた、賤ヶ岳の七本槍・七将の一人である加藤嘉明の陣跡があった場所だ。淡路島を治めていた水軍の将ということで岬の上に陣を構えたらしい。
この岬の高台から見る景色は、朝に博物館で見た屏風絵「肥前名護屋城図屏風」に描かれていた、名護屋城最盛期当時のエリアの様子と重なる。正面に名護屋城、手前には徳川家康の陣屋があったはず。現在は名護屋大橋や呼子大橋がかかっているが、当時は船で行き来していたのだろう。傾き、色を変え始めた太陽の光に照らされ、キラキラ輝く穏やかな海と、その向こうに広がる今も緑豊かな名護屋城エリアを眺め、皆、しばしこの地域で展開されてきた歴史に思いを馳せたのだった。
少々きつめの登坂も越えながら、ゴールに向かう。疲れは出てきているが、皆まだまだ元気だ。
名護屋大橋を渡れば、ゴールはもうすぐ。トンネルを越え、少し名残惜しい思いも抱えつつ、名護屋城博物館前にゴール!コースの距離は24kmと聞いていたが、ほぼアップダウンのみで、見どころが多かったこともあり、倍くらいの距離を走ったような達成感があった。子供たちも、ビギナーの方々もよくがんばった!
ゴールした参加者全員に屏風絵が描かれたうちわと、武将たちのキャラクターが描かれたクリアファイルが配られた。さらに地元のお菓子「けえらん」の差し入れも。この「けえらん」は蒸したうるち米で、丁寧に炊いたあんを巻いたシンプルな和菓子。太閤秀吉が必勝を祈願しに神社を訪れた際、地元の人々が戦勝祈願に献上すると「これを食べたら、勝つまで帰らん(けえらん)」と語ったことからこの名が付いたという。唐津市の和菓子店がこの当時の手法を今も守り、同じ味を提供し続けている。少し噛みごたえのあるもちもちとした生地に、気持ちの良い甘さのあんが巻かれていて、ゴール後の身体にしみるおいしさだ。
他の班も含め、このイベントで事故やトラブルはゼロ。皆で気持ちよく最後まで走ることができた。この歴史サイクルルートは今回の参加者の声や走行状況を受けてブラッシュアップし、詳細を決め込みサイクリングマップなどを作るという。日本史に詳しくない私でも十分に楽しむことができ、むしろ歴史が人々の関わりであることがイメージでき、興味が沸いた。次のチャンスには陣跡マップを手に、呼子のイカや波戸岬のサザエなど、グルメスポットもめぐりつつ楽しみたい。
今後も名護屋城エリアでは、歴史や文化をテーマとした新たな文化ツーリズムに取り組んでいくという。ライドだけでなく、知的好奇心も満足させてくれるこのエリア、今後の行先リストに加えてみてはいかがだろうか。
text:絹代
photo:佐賀県&絹代
この唐津の鎮西・呼子エリアは、16世紀に朝鮮出兵を志した豊臣秀吉が、出兵拠点として城を構え、全国から160名の大名を集めた地。各大名はそれぞれ丘陵を活かした陣屋を築き、住んでいたという。秀吉が築いた名護屋城の面積は17ヘクタールにも及び、大坂城にもつぐ規模で、ここに集められた人員は20万人を超えていたそうだ。秀吉が死を迎えるまで7年もの間、大名たちが軒を連ね出兵に備えていたという。もちろんこの陣屋群は今はもう存在していないが、23の陣跡が特別史跡の指定を受け、保存が図られている。
この日は、佐賀県立名護屋城博物館を拠点とし、西の波戸岬側と東の呼子側に周回するメガネのような形の24kmほどのコースの走行を楽しむと同時に、いくつかの陣跡を実際に訪れ、道中何名かのガイドさんの説明を受け、見学するプランになっていた。
ゲストは、黒枝士揮(チームブリヂストンサイクリング/1月よりSparkle Oita Racing Team)・咲哉(シマノレーシング/1月よりSparkle Oita Racing Team)兄弟と私、絹代の3名。参加条件に年齢制限はなく、自転車に乗れて、このコースを走れる方であれば誰でもOK。今回は福岡の山田大五朗氏(Bike is Life)の協力を得て開催しており、Bike is Lifeのスポーツバイクレンタルや山田さんによる乗車指導も実施されていたため、スポーツバイクを持つサイクリストでなくても気軽に参加でき、多くの応募があったという。応募者多数のために参加者は抽選を経て決定された。
城や陣屋を建てる地とあり、この中を走るには細かいアップダウンは避けられない。コース内は終始それなりのアップダウンが続くが、子供たちや乗り慣れていない方も全員が同じスケジュールでコースを走る。タイムマネージメントへの不安があると同時に、コロナウィルス感染予防への十分な対策も必須。様々な可能性を挙げ、検討し、打ち合わせを重ねたのだった。
そして迎えた当日の朝。私はお子さんの多いC班と共に走る。この日は立ち寄りが多く、歩く距離も長いため、クリートのない歩ける靴で参加してほしいとのお達し。どんなものに出会えるのだろう?楽しみだ。
参加者は全員検温と体調チェックを受け、レンタサイクルの方はフィッティングを済ませ、名護屋城博物館へ。まずは、名護屋城とこの地域の歴史について、学芸員の松浦さんに基本的な話を伺う。知っているのと知らないとでは、同じ史跡に触れたときの感動が全く違う。せっかくなら最低限のことを知り、価値を理解した上で訪れたい。
紐解くべき歴史にはたくさんの要素があろうが、時間の制約もあり、豊臣秀吉が築いた名護屋城と陣跡についての説明を受ける。当時の様子が復元された模型が飾られており、高台になる城から海に向かって、どのような形で陣跡が配置されていたのかを見ることができる。私の日本史の知識は中学校の授業が最後で、他はチラ見してきたドラマ程度ととても乏しいのだが、こういう立体的な形で見せられるとこの時代に興味が湧いてくる。
松浦さんに促され、窓から現在の名護屋城跡を眺めに行った。もう一部の石垣を残すのみになっているが、地形は当然当時のまま。
この大きな窓があるスペースには、足元に航空写真を元にした陣跡の配置図が敷かれており、大名の力関係を類推しながら、陣跡を眺めることができる。皆、興味津々で自分が名を知る武将の陣跡探し。この日はどの陣跡を訪れるのだろう?
記念撮影を経て、グループごとに分かれ、自転車の操作法の確認や、空気圧、ブレーキの安全点検を経て出発。C班は、最後のスタート。ゆっくりと、無理のないペースで走りましょうと話し合った。
まずは北上し、波戸岬へと向かう。聞いていた通り、そこそこのアップダウンコース!不慣れな方や子供たちにはきついのではないかと思いきや、キッズたちは上りもなんのその。大人顔負けのスピードで息も切らさず、笑顔を浮かべながら坂を上ってくる。B班に迫ってしまうシーンもあるほどで、子供たちのパワーに驚かされた。
コースはゆるやかなアップダウンを繰り返しながら、冒険のような道もあり、バリエーション豊かなルートを抜けていく。スタート時には寒かったカラダもかなりあたたまってきた。
ほどなく、波戸岬に到着。海の見晴らしがよく、気持ちのいい高台だ。夏は海水浴やキャンプでにぎわうという。海中に突き出した白い海中展望台からは、熱帯性の魚や珍しい海藻類が眺められ、人気が高いそうだ。
自転車を降り、ほっと一息。恋人の聖地サテライトに認定されており、純白のハート型のモニュメントも据えられていた。夕景の美しさにも定評がある土地だ。美しい海をバックに、皆で記念撮影や交流を楽しんだ。
ただ、ここは一年を通じて風が強いらしく、この日も容赦ない風が吹き付けていた。のんびり休憩の予定だったようだが、あまり長居をするとあたたまった身体が冷えてしまう。少し休憩時間を短縮し、出発することになった。
C班は寒さなんか無縁の元気さで、ノリノリにアップダウンをクリアしていく。設定されたルートは、田園風景を抜けたり、林の中を抜けたりと、次に何が現れるのか予想がつかない。キッズライダーとともに冒険のように楽しみながらバイクを走らせて行った。
コースはまさに陣跡の間を縫って動いているようだ。ふと案内板を見ると「こっちは上杉さんと直江(兼続)。奥には北条さんがいて、あちらは徳川さんで、こっちには真田さんがいます!」とのこと。大河ドラマの収録楽屋みたいだ。歴史好きのひとにはたまらないだろう。あたりをつなぐ道はどれも細く、陣跡をめぐるには、自転車が最適だと思う。
木立に囲まれた道を上っていると、前方のグループが止まり、草地の中の砂利道に誘導されている。いったい、なんだろう?
草むらの中に空き地があり、笑顔のガイドさんが待ってくれていた。ここにバイクを置き、さらに奥に進みましょうとのこと。後をついて丘を上がると、不思議な空間が広がっていた。
ここは越前の大名、堀秀治の陣跡。16歳の若さでここにやってきて、陣屋としては最大級の11ヘクタールもの広大な屋敷を築いたという。
信頼が篤かったのか、秀吉もよく遊びに来たそうだが、この堀陣跡には、日本最古とも言われる能舞台跡があった。ここで誰が、どんな舞を披露したのだろうか。大名たちは連れ立って観に集まったりしたのだろうか。皆、しばし寒さも忘れ、陣跡の空気を楽しんだのだった。
次はランチ!どんなところで何を食べられるのだろうかと皆の妄想が膨らむ。アップダウンを越えて、誘導されたのは、なんとお寺だった。
この日、「専称寺」が参加者のためにお堂を開放してくれたのだ。テーブルに並べられたお弁当の前に座り、蓋を開けると、彩りよく、バランスよく、お野菜もお肉もお魚もデザートもぎっしりと詰められていて、ボリュームも満点!地元のお店が作ってくれたそうなのだが、ひとつひとつが冷えてもおいしいようにと丁寧に調理されていて、どれも味も食感もよい。皆でありがたさを噛みしめながら、おいしくいただいたのだった。
食べ終わると、2班に分かれ、ガイドさんとともに周囲をめぐり、家康の陣屋に行くことになった。名護屋港まで見晴らせる眺めのよい道を歩き、家康の詠んだ和歌にちなみ改名したという竜泉寺の脇を抜け、茂った木々の間を上っていく。そこには、あの徳川家康の陣跡がひっそりと広がっていた。
秀吉を補佐する位置にいた家康。この陣跡は、名護屋城の北東、名護屋港の要所に位置していたという。家康はこの陣跡に、なんと1万5千人を連れて参陣したそうだ。陣内に茶室を建て、茶会を開いたという記録もあるとか。今はほぼ草原になってしまっているけれど、主郭、北郭、南郭、東郭の形状なども確認されている。堀もあったそうだし、入江の対岸には別陣も構えていたそうで、やはり重要な位置にいたのだと感じさせる。
説明を終え、下ってくると、アニメキャラクターを屋根に乗せた建物が見えた。史跡にはそぐわないルックスに少々驚くと、保育園だった。なんと陣屋の南郭は、現在保育園になっていたのだ。看板を見て、再度驚く。葵の御紋があしらわれているではないか。うらやましいと思ってしまった(笑)
寺に戻り、ライドに再出発!名護屋大橋を渡り、呼子港などをめぐるコースの東パートへ繰り出す。呼子エリアを反時計回りに回るルートになる。
名護屋大橋を渡って、ふと止まった道の向かい側に「黒田長政陣跡」の看板が。黒田官兵衛の息子だ!大河ドラマではないのだが俳優さんの顔が浮かんでしまい、妙に反応してしまった。こんなにひっそり、ごく普通の町の風景の中に、有名大名の陣跡が点在しているすごさに改めて感動する。もちろん、当時は本物がひしめきあっていたわけで、もっと「すごかった」に違いないが。
住宅街や農地の間を縫い、交通量の少ない道を行く。ゆるいアップダウンの繰り返しにはなるが、ノーストレスだ。
ほどなく、呼子港近くの商店が連なるエリアに差し掛かる。一同は港そばの駐車場の一角に自転車をまとめて停め、お手洗い休憩となった。出発時間がアナウンスされ、動揺が走る。低い気温の中でアップダウンを越え、甘いものや温かいものを身体が欲している。さきほど通りかかった際に、コーヒーショップ(前日にリサーチ済み)やまんじゅう屋の存在も伝えてしまっていたので、皆さんおやつモードになってしまっていたのだ。切実にお願いし、休憩を少し延長してもらって、コーヒーショップに向かうことになった。たちまち息を吹き返したように、ショップに走る一同。
ショップに着いてみると、10名以上が店舗に集結していた(笑)テイクアウトでコーヒーをオーダー、仕上がりを待つ。隣のまんじゅう店で、餅やまんじゅうを買い、おやつコンプリートだ!
「時間がない感」を強烈に醸し出しながら突然現れたウェア姿のグループに気圧されつつも、スタッフ総出で丁寧にコーヒーをハンドドリップしてくれて、全員分のホットコーヒーを確保!コーヒーを手にしたものから駐輪スペースに走って戻り、ライドを再開したのだった。皆が見違えるほど元気になった!(笑)私も頭がシャキッとして、超回復。全員でコーヒーブレイクの価値を嚙み締めたのだった。
さて、ここからはもうライドも終盤の仕上げパートに突入する。北上し、呼子大橋のふもとに向かうと、博物館でお世話になった学芸員の松浦さんが待ってくれていた。会ったのは数時間前のことなのに、不思議と懐かしさのような感情がこみあげる。
自転車を停め、道路を渡り、丘を上る。ここは秀吉に仕えた、賤ヶ岳の七本槍・七将の一人である加藤嘉明の陣跡があった場所だ。淡路島を治めていた水軍の将ということで岬の上に陣を構えたらしい。
この岬の高台から見る景色は、朝に博物館で見た屏風絵「肥前名護屋城図屏風」に描かれていた、名護屋城最盛期当時のエリアの様子と重なる。正面に名護屋城、手前には徳川家康の陣屋があったはず。現在は名護屋大橋や呼子大橋がかかっているが、当時は船で行き来していたのだろう。傾き、色を変え始めた太陽の光に照らされ、キラキラ輝く穏やかな海と、その向こうに広がる今も緑豊かな名護屋城エリアを眺め、皆、しばしこの地域で展開されてきた歴史に思いを馳せたのだった。
少々きつめの登坂も越えながら、ゴールに向かう。疲れは出てきているが、皆まだまだ元気だ。
名護屋大橋を渡れば、ゴールはもうすぐ。トンネルを越え、少し名残惜しい思いも抱えつつ、名護屋城博物館前にゴール!コースの距離は24kmと聞いていたが、ほぼアップダウンのみで、見どころが多かったこともあり、倍くらいの距離を走ったような達成感があった。子供たちも、ビギナーの方々もよくがんばった!
ゴールした参加者全員に屏風絵が描かれたうちわと、武将たちのキャラクターが描かれたクリアファイルが配られた。さらに地元のお菓子「けえらん」の差し入れも。この「けえらん」は蒸したうるち米で、丁寧に炊いたあんを巻いたシンプルな和菓子。太閤秀吉が必勝を祈願しに神社を訪れた際、地元の人々が戦勝祈願に献上すると「これを食べたら、勝つまで帰らん(けえらん)」と語ったことからこの名が付いたという。唐津市の和菓子店がこの当時の手法を今も守り、同じ味を提供し続けている。少し噛みごたえのあるもちもちとした生地に、気持ちの良い甘さのあんが巻かれていて、ゴール後の身体にしみるおいしさだ。
他の班も含め、このイベントで事故やトラブルはゼロ。皆で気持ちよく最後まで走ることができた。この歴史サイクルルートは今回の参加者の声や走行状況を受けてブラッシュアップし、詳細を決め込みサイクリングマップなどを作るという。日本史に詳しくない私でも十分に楽しむことができ、むしろ歴史が人々の関わりであることがイメージでき、興味が沸いた。次のチャンスには陣跡マップを手に、呼子のイカや波戸岬のサザエなど、グルメスポットもめぐりつつ楽しみたい。
今後も名護屋城エリアでは、歴史や文化をテーマとした新たな文化ツーリズムに取り組んでいくという。ライドだけでなく、知的好奇心も満足させてくれるこのエリア、今後の行先リストに加えてみてはいかがだろうか。
text:絹代
photo:佐賀県&絹代
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