オルタナティブバイシクル代表の北澤肯さんが、ヒマラヤ山脈を戴くネパールをファットバイクで楽しんだエクストリームライド紀行の第3篇。世界一高い「トロンラ峠」からのダウンヒルにチャレンジしたレポートが届きました。



5日間のレースをを楽しみ、次なる目的地へ!5日間のレースをを楽しみ、次なる目的地へ! photo:Koh.Kitazawa
いよいよ明日に迫った世界で一番高い峠と言われるトロンラ峠。高山病予防のダイアモックスという薬を服用し、機材の準備をする。バイクバッグや余分な荷物は、車で並走して僕らを全行程に渡ってバックアップしてくれるガイドのペンバ・シェルパに渡しておく。

レースのサポートとしても甲斐甲斐しく働いてくれたペンバはシェルパ族出身で、シャムが経営するGravity Nepalというツアー会社の、シャムが全幅の信頼を置くスタッフだ。知っている人も多いと思うが、シェルパ族は、ネパールの少数民族の1つで、その高度に順応した身体からエベレスト登山等のエクスペディションのサポートに必要とされ、彼らなしではヒマラヤ登山は不可能とさえされてきた。しかし海外からの登山隊の無理な計画で犠牲になるシェルパもおり、残された家族のための基金など、最近ではその地位向上が叫ばれていることも今回知った。そんなシェルパ族のペンバがサポートしてくれるのは、大きな安心材料だ。

ペンバは車で今夜のうちに出発し、翌日の待ち合わせ場所のムスタン王国の入り口の町カグベニに向かう。同行の日本人Iさんは少しお腹を壊しているようだ。もう一人のメンバーのタイ人ピーマイ(本名ナワ。ピーマイはタイ語で1月1日という意味で、彼の誕生日。彼はタイのエンデューロの主催者でもある)は、昨夜のパーティの子豚の丸焼きに当たったらしく酷い下痢に苦しんでいて、病院から戻って来た。医者によると一晩入院して点滴を打って様子を見るとのことだ。ピーマイはフラフラしながら荷物だけなんとかまとめてペンバに渡す。いやはや、どうなることやら。

カトマンズ空港からヘリコプターで出発する。左から、タイ人のピーマイ、ガイド役のシャム、パイロット、Iさん、筆者カトマンズ空港からヘリコプターで出発する。左から、タイ人のピーマイ、ガイド役のシャム、パイロット、Iさん、筆者 photo:Koh.Kitazawa
翌朝は特に緊張もなくスッキリと目覚める。出発の準備をしていると、フライト待ちのために同じホテルに泊まっていたフィリピンやブルネイからのレース参加者たちから羨ましがられる。ホテルの前でピックアップのトラックを待っているとピーマイが帰って来た。体調はずいぶん回復したようでトロンラに行くと言う。やや不安だが、まあ4人いるからなんとかなるだろう。

予定より1時間ほど遅れて出発。空港へ向かう。カトマンズ空港で、国内線乗り場のゲートへ。ここでバイクからホイールを外し、荷物検査を受ける。空港の男たちが荒々しくバイクを扱うので気が気じゃない。ブレーキのローターが曲がったら嫌だななんて思いながら搭乗を待つ。まだ時間がかかるみたいなのでレストランで食事をとる。ピーマイはチャーハンを食べているから、なんとか体調も戻ったようだ。お弁当用にチーズサンドイッチを包んでもらい、ジュースを飲みながら待つ。

いよいよ出発のようだ。照り返しの強い滑走路の端を歩く。峠はマイナス10度と言うことなので、事前に暖かい服を着ておきたいが、ここは30度以上もあるので、そういうわけにも行かない。バンに乗せられて奥のヘリコプターの発着場に向かう。すぐに出発かと思ったら、僕らのヘリはまだ来ていないようだ。コンテナ内に作られた小さなヘリ会社の待合室でヤキモキしながら出発を待つ。1時間ほどして、いよいよ出発となった。胸が高鳴る。50mほど先に黄色いヘリが止まっていて、僕らのバイクが積み込まれるところだった。

思ったよりずっと小さいヘリで、これにパイロットを含めて5人とバイク4台が入るのか心配になった。パイロットの横のシートと後ろのシートを半分取り外し、そこに前後のホイールを外したバイクを互い違いにして4台なんとか詰め込む。タイヤはヘリの後部の格納庫へ6本収納するが、2本は僕とガイド役のシャムが抱えることに。比較的小柄のシャムと僕がシートを外してバイクを置いた側のスペースに足を折り畳んでなんとか収まる。身動き一つ取れないので、着替えができないのが心配だ。到着前に暖かいウェアに着替えておきたいのだが。

 ヘリコプターに乗り込むが、かなり狭い。緊張に包まれる機内。 ヘリコプターに乗り込むが、かなり狭い。緊張に包まれる機内。 photo:Koh.Kitazawa
パイロットは、このルートに関しては一番のベテランということだ。ローターが回っているときは絶対に機体の後ろには回ってはいけないということや、飛行中は会話用のヘッドセットを付けること等、幾つかの注意を受ける。

ヒュンヒュンとローターが回り始め、意外にあっけなく機体が宙に浮く。いよいよだ。ヘリはスピードと高度を上げ、カトマンズの街並みがあっという間に眼下に消えて行く。カトマンズ盆地を出ると、すぐに段々畑が刻み込まれた低山が地表を覆う。山がちで耕作地が貧しいためだろう、あんな山の上まで畑として利用しないといけないのだ。

30分くらい飛んだところでキャプテンが下を見ろと言った。ここは2015年の大地震により一番被害を受けたところで、救助のために何度もヘリを飛ばしたという。遠隔地で交通の便も悪いため、救助は困難を極めたそうだ。またしばらくすると、雪をまとったおおきな山が目に飛び込んで来た。またしばらくすると右手に雲の切れ目から雪をかぶった大きな山頂の一部が見えた。

マナスルだ。学生時代に読んだ山岳小説で何度も耳にした名前だ。その迫力、神々しさに息を呑んだ。こんなところに人がいけるのか?と思わせる何人も寄せ付けない絶壁だ。でももし登山をやっていたら、命を賭してでも行ってみたいと思わせるような圧倒的な存在感と魅力を持つ山だった。

トロンラ峠に到着!ややパニックで、あまりよく覚えてないが。。。トロンラ峠に到着!ややパニックで、あまりよく覚えてないが。。。 photo:Koh.Kitazawa
足が動かせないのでいい加減お尻と足が痺れて痛くなってきた。フライトは1時間くらいと聞いていたので、そろそろのはずだ。すると、機体が高度を下げ始めた。どこかの谷に下りるようだ。ここがトロンラ峠なのか?と思っていると谷の平たくなったところにさっと着地して、キャプテンは機内のポリ缶を持ってヘリの後ろに行った。

給油のために降りたのだった。10Lくらいの燃料を入れて、さっさとまた飛び立った。こんなに大きな機体がそんな量の燃料で飛ぶことが不思議に思えた。するとトロンラにはすぐに着いた。ヘリの窓越しに眼下は一面の雪だ。そこに降りるのだ。急に恐怖が襲ってきた。(この箇所を書いている今ですら胸がキュッと締め付けられる)なにより5400メートルだ。いきなり高山病でぶっ倒れたらどうしよう。レースが標高2000m~3000mのところで開催されていたから、それなりに高度順応はできているはずだと思って、落ち着かせる。

ストンという感じで、あっけなくヘリが着地した。さあ始まりだ。ヘリのドアを開けて、雪の地面に降り立つ。まずは薄手のダウンジャケットをバックパックから取り出して羽織り、靴を脱いで転倒した時のためのニーパッドを付ける。焦っているからなのか空気が薄いからなのか、うまく靴ヒモが結べない。靴の上からゲーターを付けるが手まどる。顔を上げるとシャムが僕のバイクの前輪を付けてくれている。リアホイールを嵌めていると、キャプテンが近づいてきて、「グッドラック!」と握手をしてきた。

ヘリが飛び立ち、それを見棄てられたような気分で見上げ、もはや自力で下るしかないんだなと思った。すると、南極隊のような格好の二人の男性が近づいてきた。話を聞くと、チリからの登山隊で、ここで高度順応をしていて、これから山頂アタックをするのだという。峠には小屋があり、そこで幾つかのパーティがテントを張って滞在しているのだ。そこに峠の碑もあるというので、そこまでバイクを押して登って行くことになった。

峠の標識までバイクを押して歩くが、酸欠でとにかく辛い。峠の標識までバイクを押して歩くが、酸欠でとにかく辛い。 photo:Koh.Kitazawa
トロンラ峠の碑で、さも自分で登ってきたと言わんばかりのドヤ顔で記念撮影。トロンラ峠の碑で、さも自分で登ってきたと言わんばかりのドヤ顔で記念撮影。 photo:Koh.Kitazawa
しかし、空気が薄いので、5歩進んでハアハア、3歩進んで一休みといった態であった。やっとの事で小屋まで行って、とりあえずは腹ごしらえということで、空港で作ってもらったサンドイッチを口にする。それから、峠の碑で記念撮影。辺りを写真で撮ったりして、20分もいただろうか、軽い高度障害で指先しびれている。そろそろ下った方がいいと、本能が告げる。ここに長くいてはいけない。いよいよダウンヒルの開始だ。

雪の上に残された足跡を辿って、下って行く。ファットバイクであっても、雪は本当に難しい。すぐにフロントがすくわれて、何度も転んでしまう。それでも何とか下って行く。20分くらいした所で、4人ともゼイゼイ言っている。身体がどうしようもなくだるい。そこで持参した酸素を吸うことにした。念のために6本持ってきていたのだ。スウスウ吸っていると、そのうちフッと身体が軽くなり、気持ちが楽になった。数分吸っただけで、ずいぶん回復したので、ダウンヒルを再開。

さあダウンヒル開始!目指すは標高2800mのカグベニ!さあダウンヒル開始!目指すは標高2800mのカグベニ! photo:Koh.Kitazawa
走り始めて30 分くらいして、酸素吸入しました。酸素すごいです。走り始めて30 分くらいして、酸素吸入しました。酸素すごいです。 photo:Koh.Kitazawa吊り橋が、とても怖い。吊り橋が、とても怖い。 photo:Koh.Kitazawa


最初の茶屋で一休み。ここまでくれば一安心。ここで標高4000mくらい最初の茶屋で一休み。ここまでくれば一安心。ここで標高4000mくらい photo:Koh.Kitazawa
一箇所、雪のトラバース(斜面)が怖いところがあったけど、バイクを押して何とかクリアした。そして慣れてきて気分も上がってきたのか段々とマウンテンバイカーの本領発揮!とにかく5400mから好きなだけ下れるのだ、こんな愉快なことはない。

途中、出会うハイカー達は、僕らを驚き、また呆れた顔で見ていたが、ガレ場、ドロップオフ、スイッチバックを難なくこなして、標高4000mくらいのところにある茶屋へ到着。ここまで来ると呼吸も全く問題ない。それでもまだ富士山より高いんだなと思いながら、チャイ(地元のミルクティー)を飲み、休憩する。あー楽しい!あとまだ1000mくらい下れるんだ。

ガレた下りは、一部難所もありました。ガレた下りは、一部難所もありました。 photo:Koh.Kitazawa
ひゃー、下り長い!でも楽しい!ひゃー、下り長い!でも楽しい! photo:Koh.Kitazawa
そろそろ最初の町、ムクティナに近づいてきた。そろそろ最初の町、ムクティナに近づいてきた。 photo:Koh.Kitazawa
途中、谷底まで100mはありそうな細い吊橋を走って渡るが、ハンドルを欄干にぶつけてしまい焦る。数十分下ると、ハイカーや普通のツアー観光客が増えてきた。チベット圏に属する町、ムクティナが近づいてきたのだ。町に入ると、マニ車(チベット仏教の壁に設置された徳を積むための手で回す車)が出迎えてくれた。マニ車を回して徳を積み、旅の安全を祈る。

町に入ると、旅行者やハイカーがたくさん目につく。バイクを停め、一軒のゲストハウスの中庭で休憩する。小腹が空いたので、ラーメンを頼む。生麺とインスタントラーメンどちらか聞かれたが、全員インスタントラーメンを選択。国を問わず、男はインスタントラーメンが大好きなのだ。ここまで下ってきた安心感から、みんな妙に明るく、饒舌だ。

ムクティナのマニ車。ムクティナのマニ車。 photo:Koh.Kitazawa
小一時間休み、その日の宿泊地カグベニを目指す。ここからはほぼ舗装路となる。30分ほど、長い長い舗装路のダウンヒルをこなす。サポートのペンバが途中で出迎えてくれた。カグベニに到着。カグベニは、地元の言葉で中継地点の意味だ。ここがネパール側のチベット文化圏であるムスタン王国の下限であり、上ムスタンの玄関口なのだ。

ヤクドナルド(ヤクは現地の動物。それとマクドナルドを掛けているのだ)というふざけた名前の、でもとても落ち着いて清潔な居心地のいい宿にこの日は泊まる。ソファと本棚のある、共有スペースのような部屋でチャイとビールを飲みながら、今日の特別な体験を振り返る。

カグベニの宿で生還を祝う!カグベニの宿で生還を祝う! photo:Nawaphansa Yugala
ヘリによるトロンラ峠ダウンヒルは、おそらく僕らが初めての挑戦だ。お互いの健闘を讃え合う。聞くと、ガイドのシャムはヘリで到着するやいなや、コッソリ一人で酸素を吸っていたという。何度かトロンラ峠にトレッキングでは行ったことがあり、普段ネパールに住んでいる彼自身にとってもヘリでいきなり標高を上げてトロンラに行くことは初めての経験で、それなりに厳しかったという。僕らを守る意味でも、先に倒れてはいけないと思ったそうだ。入院したピーマイは、こんなにハードだって分かっていたら、来なかったと言っていた。それでも、4人でなんとか成し遂げたのだ。

部屋に行き、あいにくお湯が出ないので水のシャワーで上半身と顔をチャチャっと洗い、着替えてベッドで休む。改めて、安堵感、そしてアドベンチャーを成し遂げた充実感が込み上げて来る。夕食は、ヤクのハンバーガー(ビッグヤック)をガツンと食べる。食後、ペンバとシャムは地元の強いお酒を飲んでいる。僕らは撮った写真を見せ合い、GoProで撮った動画を見て、アドベンチャーを振り返る。ほどなくして眠気がやってきたので、部屋に戻る。チャレンジを達成した満ち足りた気分で眠りについた。翌日からはヒマラヤトレイルを巡る旅だ。

text&photo:Koh.Kitazawa

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