2017/12/25(月) - 09:05
距離もスピードもケイデンスもいいけれど、走ってみようよ日本を。旧街道は歴史がサイクリストに残してくれた大きな遺産かもしれない。かつて日本に張り巡らされた街道を辿る、ストラーダバイシクル井上寿さんによる連載が始まります。
シクロワイアードの読者の皆さま。はじめまして。ストラーダバイシクルズの井上です。私は滋賀県でスポーツバイシクルショップを2店舗経営しており、その傍ら、長年にわたり趣味の旧街道ツーリングを楽しんできました。
かねてよりFacebookなどでその様子をアップロードしていたところ、縁あって編集部より連載のお声がかかり、これまた趣味のカメラを通じてレポートすることとなりました。シクロワイアードの愛読者の方々でしたら、多分にレースやトレーニングにご興味のおありの方が多いかと思います。そんな中のツーリング記事で、果たして楽しんでいただけるかどうか不安ではあります。
長文駄文、乱撮乱画ではございますがどうぞお付き合いください。まずは私のご紹介を。
普段はストラーダバイシクルズの経営者としての業務が中心になりますが、その他にイベント業務だけを取り扱う姉妹会社「株式会社ライダス」を経営しております。こちらはサイクリングツアーやレンタルサイクル、ジム事業などを手掛けており、私はJCAのサイクリングガイドのライセンスを持っており、ライダスの方ではツアーガイドとしても実務を務めています。
サイクリング歴32年の私ですが、今回の記事ではツーリングを主体にしているものの、もちろんレースにも興味を持っており、自分自身もロードやトラック、マウンテンバイクなどをホビーではありますが経験して来ました。そして18歳に始めたトライアスロンを6年前から再開。現在はアイアンマンシリーズに毎年出場しています。
さて幼少の頃の私は、父親が自転車関係の仕事をしていたこともあり、当然のごとく自転車の組み立てが大好き、サイクリングが大好きな少年でした。当時流行した漫画「サイクル野郎(荘司としお:少年画報社)」を読んで自転車にハマったという、まあ当時よくいた少年だったと思います。
(サイクル野郎は、中学生の主人公が、日本一周サイクリングをする中で人間として成長して行く姿を描いた漫画で、閉塞感漂う田舎町に住んでいた私には、とても冒険的で魅力的に感じる漫画でした。主人公に自分を重ね合わせ、いつか自分も旅に出るぞ!と心に描いたものでした。)
高校生から本格的に全国を回るサイクリングを始めた私ですが、ある日ふとしたきっかけで、「旧街道」というものに興味を抱くことになりました。日本を縦走する途中、東京に向かって走っている時に幾度となく「東海道」の看板を目にしたこと、地元に旧東海道が通っていたこと、祖父の家が旧東海道沿いにあったことなど、はっきりとした理由はわかりませんが、とにかく何かとりつかれるように「旧街道」
や「古道」に興味を持つことになったのです。
トライアスロンやロードレースに興味を持ちながらも、いつかは時期を見てこれらの「旧街道」を徹底的に走ってみたい。そう思ったのでした。時は流れ、独立開業後しばらくした2005年より、仕事の合間を縫って旧街道サイクリングを始めました。書籍や情報などをせっせとかき集め、時には史跡を訪ね、また時には大学の図書館に出かけたりして、情報を集めてはルート作成をしていきました。
そしていよいよ2011年より「五街道サイクリング」を開始、昔の道を探り出しできる限り正確にトレースしつつ、全ての「宿場町」を通り、1週間ほどで走破するスタイルです。そして3年で全ての街道を走りました。スピードは通常の3分の1程度ですが、ルートハンティングしながらの行程はなかなかに難しく疲労感を覚えるのです。しかしそれが逆に「旅」をしている実感につながりました。
病みつきになった後は少しでも古い道に出くわすと、何が何でも進んでいきたくなる衝動に狩られるようになりました。「旧街道症候群」と自虐的に呼んでいますが、逆にそれに呼応していただくお客様も増え、いまではライダスのツアーの人気メニューになっています。
ところでなぜ旧街道ツーリングなのか?そもそも旧街道ってなに?という読者の方もおられると思いますので、旧街道と宿場町について、少しばかりご説明を。
旧街道とは江戸幕府が参勤交代を義務付けて全国を支配するために定めた全国に張り巡らせものを呼びます。東海道・中山道・甲州道中(甲州街道)・日光街道(日光道中)・奥州道中(奥州街道)を「五街道」は呼ばれ、最も主要な街道でした。五街道は全て江戸の日本橋を起点としています。(現在の日本道路元標も日本橋の橋の上に設置されています)その他の街道は単に「街道」と呼ばれていました。また街道と街道を繋ぐ「脇街道」や「脇往還」もありました。
各街道には「宿場町」という宿駅が設けられ、宿場町旅人はそこに宿泊することを義務付けられました。皇族や大名のための専用の宿である「本陣」「脇本陣」、一般人が泊まる「旅籠」「木賃宿」が置かれ、結構な賑わいを見せていたようです。
また宿場に酒を供給する酒屋や、現在の補給食に当たる餅や団子、菓子などを売る店などが軒をつらねていました。また「問屋場(といやば)」と呼ばれる人馬を用立て荷扱いをする場所などもありました。今でいうと宅急便の集積所みたいなものですね。他にも「助郷(すけごう)」と言って近隣の村々から宿場町に働き手をだしていたようです。働き先ですね。すなわち宿場町は地域の経済の中心地でもあったのです。
宿場町の多くには「飯盛女」という、旅籠で旅人に給仕をしつつ、夜の相手をする娼婦がいました。多くは売られてきた女性たちで、これら飯盛女の悲哀を綴ったものが文献として残っています。中には現在の夜遊びマガジンみたいに男性向けのものものまで存在するので驚きです。いつの世も男というものは・・・・。
旧街道サイクリングは何と言ってもこれら歴史のある宿場町を、往時の佇まいを味わいつつ、時には栄枯盛衰を感じつつ、旅するということが魅力でしょうか。宿場町はおおよそ4~20kmごとに設置されているので、ワンデーのプチサイクリングとしても楽しむことができます。そして最も心惹かれるのは、長距離ツーリングのコースとして、数日かけて通しで走ることです。昔の旅人の気分となり、カーボンや金属でできた現代の駿馬にまたがり、街道を疾走する。これが最大の醍醐味なのです。
旧街道は現在の整備された路面と違い、自然の地形に逆らわず沿って走るものが多く、概ね曲がりくねった道が多いです。また田畑の地割りや治水の争いによるものからか、だだっ広い田舎道でありながら、突然に右折や左折が入ったりするので、予測がつかずミスコースしやすい。こんなところもルートハンティングっぽくて魅力に感じるところです。宿場町は明治の鉄道敷設以降、主要な交通手段から外れたことにより、急速に廃れていきます。
それゆえに開発から見放されているところも多いのですが、今の日本から急速に失われている風景や生活習慣が未だに色濃く残っていたりして、日本の原風景を感じることができます。普段のトレーニングなどのライディングスタイルから少し見方を変えることができれば、どなたでも旧街道ツーリングを楽しんでいただけることと思います。
さてこのような旧街道ツーリングの連載ですが、私はもうひとつの趣味として写真撮影をしておりますので、行く先々にカメラを携行し宿場町の風情やそこで出会う市井の人々の姿を撮影していくルポタージュに仕上げていきたいと思います。
井上寿 プロフィール
滋賀県内に2店舗を構えるプロショップ、ストラーダバイシクルズの代表。トラック、ロード、トライアスロンを楽しみ、趣味は猫の飼育、旅行、仕事、そして本格的にカメラ。ライカをぶら下げてあちこちでスナップを楽しみ、写真家のハービー山口さんとも交流がある。愛称は「テンチョー」。ショップのイベント部門を独立させた「ライダス」を発足させ、趣味の写真と旧街道の知識を活かしつつ、イベントガイドとしても活躍中。
ストラーダバイシクルズ滋賀本店(CWレコメンドショップ)
ストラーダバイシクルズHP
シクロワイアードの読者の皆さま。はじめまして。ストラーダバイシクルズの井上です。私は滋賀県でスポーツバイシクルショップを2店舗経営しており、その傍ら、長年にわたり趣味の旧街道ツーリングを楽しんできました。
かねてよりFacebookなどでその様子をアップロードしていたところ、縁あって編集部より連載のお声がかかり、これまた趣味のカメラを通じてレポートすることとなりました。シクロワイアードの愛読者の方々でしたら、多分にレースやトレーニングにご興味のおありの方が多いかと思います。そんな中のツーリング記事で、果たして楽しんでいただけるかどうか不安ではあります。
長文駄文、乱撮乱画ではございますがどうぞお付き合いください。まずは私のご紹介を。
普段はストラーダバイシクルズの経営者としての業務が中心になりますが、その他にイベント業務だけを取り扱う姉妹会社「株式会社ライダス」を経営しております。こちらはサイクリングツアーやレンタルサイクル、ジム事業などを手掛けており、私はJCAのサイクリングガイドのライセンスを持っており、ライダスの方ではツアーガイドとしても実務を務めています。
サイクリング歴32年の私ですが、今回の記事ではツーリングを主体にしているものの、もちろんレースにも興味を持っており、自分自身もロードやトラック、マウンテンバイクなどをホビーではありますが経験して来ました。そして18歳に始めたトライアスロンを6年前から再開。現在はアイアンマンシリーズに毎年出場しています。
さて幼少の頃の私は、父親が自転車関係の仕事をしていたこともあり、当然のごとく自転車の組み立てが大好き、サイクリングが大好きな少年でした。当時流行した漫画「サイクル野郎(荘司としお:少年画報社)」を読んで自転車にハマったという、まあ当時よくいた少年だったと思います。
(サイクル野郎は、中学生の主人公が、日本一周サイクリングをする中で人間として成長して行く姿を描いた漫画で、閉塞感漂う田舎町に住んでいた私には、とても冒険的で魅力的に感じる漫画でした。主人公に自分を重ね合わせ、いつか自分も旅に出るぞ!と心に描いたものでした。)
高校生から本格的に全国を回るサイクリングを始めた私ですが、ある日ふとしたきっかけで、「旧街道」というものに興味を抱くことになりました。日本を縦走する途中、東京に向かって走っている時に幾度となく「東海道」の看板を目にしたこと、地元に旧東海道が通っていたこと、祖父の家が旧東海道沿いにあったことなど、はっきりとした理由はわかりませんが、とにかく何かとりつかれるように「旧街道」
や「古道」に興味を持つことになったのです。
トライアスロンやロードレースに興味を持ちながらも、いつかは時期を見てこれらの「旧街道」を徹底的に走ってみたい。そう思ったのでした。時は流れ、独立開業後しばらくした2005年より、仕事の合間を縫って旧街道サイクリングを始めました。書籍や情報などをせっせとかき集め、時には史跡を訪ね、また時には大学の図書館に出かけたりして、情報を集めてはルート作成をしていきました。
そしていよいよ2011年より「五街道サイクリング」を開始、昔の道を探り出しできる限り正確にトレースしつつ、全ての「宿場町」を通り、1週間ほどで走破するスタイルです。そして3年で全ての街道を走りました。スピードは通常の3分の1程度ですが、ルートハンティングしながらの行程はなかなかに難しく疲労感を覚えるのです。しかしそれが逆に「旅」をしている実感につながりました。
病みつきになった後は少しでも古い道に出くわすと、何が何でも進んでいきたくなる衝動に狩られるようになりました。「旧街道症候群」と自虐的に呼んでいますが、逆にそれに呼応していただくお客様も増え、いまではライダスのツアーの人気メニューになっています。
ところでなぜ旧街道ツーリングなのか?そもそも旧街道ってなに?という読者の方もおられると思いますので、旧街道と宿場町について、少しばかりご説明を。
旧街道とは江戸幕府が参勤交代を義務付けて全国を支配するために定めた全国に張り巡らせものを呼びます。東海道・中山道・甲州道中(甲州街道)・日光街道(日光道中)・奥州道中(奥州街道)を「五街道」は呼ばれ、最も主要な街道でした。五街道は全て江戸の日本橋を起点としています。(現在の日本道路元標も日本橋の橋の上に設置されています)その他の街道は単に「街道」と呼ばれていました。また街道と街道を繋ぐ「脇街道」や「脇往還」もありました。
各街道には「宿場町」という宿駅が設けられ、宿場町旅人はそこに宿泊することを義務付けられました。皇族や大名のための専用の宿である「本陣」「脇本陣」、一般人が泊まる「旅籠」「木賃宿」が置かれ、結構な賑わいを見せていたようです。
また宿場に酒を供給する酒屋や、現在の補給食に当たる餅や団子、菓子などを売る店などが軒をつらねていました。また「問屋場(といやば)」と呼ばれる人馬を用立て荷扱いをする場所などもありました。今でいうと宅急便の集積所みたいなものですね。他にも「助郷(すけごう)」と言って近隣の村々から宿場町に働き手をだしていたようです。働き先ですね。すなわち宿場町は地域の経済の中心地でもあったのです。
宿場町の多くには「飯盛女」という、旅籠で旅人に給仕をしつつ、夜の相手をする娼婦がいました。多くは売られてきた女性たちで、これら飯盛女の悲哀を綴ったものが文献として残っています。中には現在の夜遊びマガジンみたいに男性向けのものものまで存在するので驚きです。いつの世も男というものは・・・・。
旧街道サイクリングは何と言ってもこれら歴史のある宿場町を、往時の佇まいを味わいつつ、時には栄枯盛衰を感じつつ、旅するということが魅力でしょうか。宿場町はおおよそ4~20kmごとに設置されているので、ワンデーのプチサイクリングとしても楽しむことができます。そして最も心惹かれるのは、長距離ツーリングのコースとして、数日かけて通しで走ることです。昔の旅人の気分となり、カーボンや金属でできた現代の駿馬にまたがり、街道を疾走する。これが最大の醍醐味なのです。
旧街道は現在の整備された路面と違い、自然の地形に逆らわず沿って走るものが多く、概ね曲がりくねった道が多いです。また田畑の地割りや治水の争いによるものからか、だだっ広い田舎道でありながら、突然に右折や左折が入ったりするので、予測がつかずミスコースしやすい。こんなところもルートハンティングっぽくて魅力に感じるところです。宿場町は明治の鉄道敷設以降、主要な交通手段から外れたことにより、急速に廃れていきます。
それゆえに開発から見放されているところも多いのですが、今の日本から急速に失われている風景や生活習慣が未だに色濃く残っていたりして、日本の原風景を感じることができます。普段のトレーニングなどのライディングスタイルから少し見方を変えることができれば、どなたでも旧街道ツーリングを楽しんでいただけることと思います。
さてこのような旧街道ツーリングの連載ですが、私はもうひとつの趣味として写真撮影をしておりますので、行く先々にカメラを携行し宿場町の風情やそこで出会う市井の人々の姿を撮影していくルポタージュに仕上げていきたいと思います。
井上寿 プロフィール
滋賀県内に2店舗を構えるプロショップ、ストラーダバイシクルズの代表。トラック、ロード、トライアスロンを楽しみ、趣味は猫の飼育、旅行、仕事、そして本格的にカメラ。ライカをぶら下げてあちこちでスナップを楽しみ、写真家のハービー山口さんとも交流がある。愛称は「テンチョー」。ショップのイベント部門を独立させた「ライダス」を発足させ、趣味の写真と旧街道の知識を活かしつつ、イベントガイドとしても活躍中。
ストラーダバイシクルズ滋賀本店(CWレコメンドショップ)
ストラーダバイシクルズHP
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