2017/04/20(木) - 08:56
前回、私の柔軟かつ見事な発想により実現した奥多摩レポートのおかげで、編集部内に於ける私の地位はすっかりと回復を果たしたのだが、どうにも私の中に渦巻く違和感が拭えない。
小河内ダムまであと300mの所まで行っておきながら、奥多摩湖と小河内ダムの絵が撮れないままでは終われない!と私のジャーナリスト魂が叫ぶのだ。やはり奥多摩に行った以上は、読者の皆さんに”奥多摩湖の美しい景観をお届けしなければならない”という熱い義務感を押さえきれない私は、再びの奥多摩行きをメタボ会長に打診してみのだが。
「そんな無茶言うなよ!今の私には片付けなきゃならん仕事が山積みだから、丸一日遊び呆ける暇なんか微塵も無えよ!」と一蹴されて終わりだ。薄々予想はしていたものの、多少の淡い期待も抱いていたため落胆は隠せない。さて今後の企画をどうしたものかと思案を始めた矢先に1通のメールが入る。
「明後日なら丸一日空けられそうなんだけど、一緒に奥多摩湖まで行くかね?」いやいや、これには驚きを通り越して呆れることしかできない。”舌の根も乾かぬうちに”とはまさにこの事だ。ただ私は性善説を信じる慈悲深い素敵な人格の持ち主でもある。百歩譲って考えれば、オヤジなりの優しさなのかも知れないと自分に言い聞かせることにする。
こうして迎えた当日。前回レポートと同じ経路を使い、中山トンネルまで辿り着いた私たち。登り勾配のトンネルを抜けると、多摩川への放水門が現れる。そのまま500mほど緩斜面を進み”秩父多摩国立公園”の立て看板を左折すると、念願の”小河内ダム”に到着だ。
眼前に拡がるその巨大なコンクリートの人工構造体は、圧倒的な存在感を誇示するわけでもなく、静かにそして堂々と佇み、豊富な水量を誇る奥多摩湖をしっかりと堰き止めている。取材にあたり下調べはしてあったのだが、初めて実物を目にした私の率直な感想は「デカい!高い!凄げえ!」ただコレだけである。写真では決して伝わらない威圧的な迫力が本物にはある。
1957年(昭和32年)に完成したこの小河内ダムは、堤長353m高さ149mの非越流型直線重力式コンクリートダムで、竣工当時は水道専用貯水池として世界最大規模の貯水池だった。現在も水道専用貯水池としては日本最大級を誇る。そんな小河内ダムの雄姿に見惚れながら「やはり私の目論見に間違いは無かった!」と自画自賛とともに感激に浸る私に対し、
「今日はまだ時間あるから、橋巡りして行こっか?」という声が掛かる。メタボ会長によると、ここ奥多摩湖には綺麗な鉄橋やちょっと有名なドラム缶橋とか数多くの写真スポットがあると言う。私的には小河内ダムをカメラに収めることができただけでお腹一杯なのだが、獲れ高が見込めるのであればありがたい。
平坦な奥多摩湖畔をのんびりサイクリングする私たち。晴天の青の下、新緑を芽吹き始めた樹々の緑と湖面の深緑がなんとも言えないハーモニーを奏でる。綺麗な路面に抜群のロケーション。此処はネットの下調べだけでは決して覗い知ることができない最高のサイクリングポイントに間違いない。自然の息吹を味わいながら進む私たちの左手に赤い鉄橋が現れる。”峰谷橋”だ。
山々の緑の中にくっきりと浮かび上がる赤のコントラストが印象的で美しい。メタボ会長に拠ると此処から先は撮影ポイントが続々と現れると云う。どうやら彼は奥多摩方面にかなりの土地勘があるようだ。そんなオヤジに今後の予定をヒアリングしてみる。「今年は何本かイベント出走できそうですか?」この質問は私の業務内容にも直接関わってくる重要事項だ。
「行きたいのは山々だけど土日は特に忙しいからまず無理だろうな。」全く素っ気ない返答である。とは云え、先のメールのように、会長は普段から優柔不断で言動がまるで当てにならないことを知る私は、彼の言葉を真に受けることはない。
峰谷橋を渡り、すぐ先の短いトンネルをくぐると、眼下に浮橋が横たわる。これが有名な”麦山の浮橋”、通称”ドラム缶橋”だ。今でこそ樹脂製のフロートと鉄板が使用されているが、かつてはドラム缶と木板を利用していたそうだ。
麦山の浮橋に別れを告げ1kmも進まないうちに、今度はオレンジの鉄橋が現れる。”麦山橋”だ。先の峰谷橋ほどの鮮明なカラーインパクトはないものの、このオレンジ色もなかなか鮮やかで美しい。無数のリベットで補強された鉄骨のアーチを見上げながら潜り抜ける感覚は不思議と心地良いものがある。
その後も、山々の景観と左手に拡がる湖面の波紋が織り成す美しいハーモニーに心癒されながら走る私に、メタボ会長から声が掛かる。「君に協力するのも今日で終わりだ。今年は休みが取れたら毎々秩父に行く予定なんだよ。ちょっと神頼みしなきゃならんことがあってな。」
唐突にそんな恩着せがましい話をされても、私には何のことやら全く意味が分からない。神頼みと秩父の間にどんな関係があるのかも全くのチンプンカンプンで想像もつかない。その旨を尋ねてみると、
「お遍路さんで有名な四国八十八か所霊場巡礼って聞いたことあるだろ?秩父にも三十四観音札所巡りって願掛けの風習があってな、簡単に言えばお遍路さんの簡易版って感じだな。その観音様を順番に拝んで廻れば願い事が叶っちゃうっていう便利なシステムがあるんだよ。」
ふ~ん、そうなんだ。嬉しそうに語る会長の年齢を考えれば歳相応の案件ではあろうが、はっきり言って私にはまったく興味が沸かない。「冴えないオッサンが願掛けに寺巡りする様子じゃ、どう書いてもレポートにはならんわな。」と云うのが仕事熱心な私の正直な感想だ。
そんな不毛な会話を交わしながら進む私たちの前にまたまた鉄橋が現れる。このベージュの鉄骨にグリーンの欄干が映える鉄橋は”深山橋”だ。何の変哲もない外観ではあるものの、欄干から伸びる双頭の街灯がアクセントになっていて、その平凡な佇まいの中にもどこか趣が感じられる。
「この橋の袂にはそこそこ有名な蕎麦屋があるんだよ。間違いなく美味いんだけど、丁寧過ぎて配膳にまあまあ時間が掛かるから、時間に余裕があるときに来たほうがいいぞ!」とは会長の弁。この深山橋を渡ると同時に間髪を入れずに現れるのが”三頭橋”だ。
メタボ会長に拠れば、絞り込んだ鉄骨アーチから斜めケーブルで吊られたこの形状は”バスケットハンドル型ニールセンローゼ橋”と呼ばれ、美しい景観と引き換えに、鉄骨の傾斜角と斜めに張るケーブルの角度に基づく強度計算がえらく難解らしく、ここまでの完成度を半世紀も前にしかも日本で達成している事自体が信じられないくらい凄いとの事だった。
彼の仕事柄、一般人に比すれば建築物に詳しいことは間違いないとは思うが、素人の私にはこの話の真偽を確かめる術はない。皆さんも話半分でお聞きください。こうして”わんこそば”の如く、次々と現れる橋々にさすがにご馳走様を言いたくなるほどだが、そのどれもが魅力的な姿であることに間違いはない。
その後も歩を進めるメタボ会長であったが、”奥多摩周遊道路”の入り口ゲートの所でバイクを停めると、サイコンを覗き込み、ニヤリとしながら呟く。「此処までで会社からぴったり50km/hだ。健康のためにも1日の走行距離は100kmを超えないって決めてるし、おまけにこの先はえげつない登坂だから残念だけど此処で引き返さざるを得ないな。」という有難いお言葉に従い、来た道を戻る事となった。
帰路途中にメタボ会長が勝手に寄り道したパワースポットを巡ってサイクリングは終了。あとは会社までひたすら来た道を戻るだけだ。今日のサイクリングは「こんな素敵なポイントが編集部からわずか50kmの所にあったんだ」という意外な発見の旅でもあった。
TV番組や映画のロケ地として登場する場面も多く、湖畔には様々なスポットや観光施設もある奥多摩湖。健脚自慢は奥多摩湖まで自走するも良し、ポタリング派は小河内ダムの無料駐車場までエンジン移動するも良し、首都圏のオアシスとしても親しまれている奥多摩湖へ一度足を運んでみてください。気軽にのんびりサイクリングを楽しむには、本当に楽チンで素敵なスポットです。
次回ですか? さすがに”秩父札所巡り”ではレポートが成立しなさそうなので何か考えます。
メタボ会長連載のバックナンバーは こちら です
小河内ダムまであと300mの所まで行っておきながら、奥多摩湖と小河内ダムの絵が撮れないままでは終われない!と私のジャーナリスト魂が叫ぶのだ。やはり奥多摩に行った以上は、読者の皆さんに”奥多摩湖の美しい景観をお届けしなければならない”という熱い義務感を押さえきれない私は、再びの奥多摩行きをメタボ会長に打診してみのだが。
「そんな無茶言うなよ!今の私には片付けなきゃならん仕事が山積みだから、丸一日遊び呆ける暇なんか微塵も無えよ!」と一蹴されて終わりだ。薄々予想はしていたものの、多少の淡い期待も抱いていたため落胆は隠せない。さて今後の企画をどうしたものかと思案を始めた矢先に1通のメールが入る。
「明後日なら丸一日空けられそうなんだけど、一緒に奥多摩湖まで行くかね?」いやいや、これには驚きを通り越して呆れることしかできない。”舌の根も乾かぬうちに”とはまさにこの事だ。ただ私は性善説を信じる慈悲深い素敵な人格の持ち主でもある。百歩譲って考えれば、オヤジなりの優しさなのかも知れないと自分に言い聞かせることにする。
こうして迎えた当日。前回レポートと同じ経路を使い、中山トンネルまで辿り着いた私たち。登り勾配のトンネルを抜けると、多摩川への放水門が現れる。そのまま500mほど緩斜面を進み”秩父多摩国立公園”の立て看板を左折すると、念願の”小河内ダム”に到着だ。
眼前に拡がるその巨大なコンクリートの人工構造体は、圧倒的な存在感を誇示するわけでもなく、静かにそして堂々と佇み、豊富な水量を誇る奥多摩湖をしっかりと堰き止めている。取材にあたり下調べはしてあったのだが、初めて実物を目にした私の率直な感想は「デカい!高い!凄げえ!」ただコレだけである。写真では決して伝わらない威圧的な迫力が本物にはある。
1957年(昭和32年)に完成したこの小河内ダムは、堤長353m高さ149mの非越流型直線重力式コンクリートダムで、竣工当時は水道専用貯水池として世界最大規模の貯水池だった。現在も水道専用貯水池としては日本最大級を誇る。そんな小河内ダムの雄姿に見惚れながら「やはり私の目論見に間違いは無かった!」と自画自賛とともに感激に浸る私に対し、
「今日はまだ時間あるから、橋巡りして行こっか?」という声が掛かる。メタボ会長によると、ここ奥多摩湖には綺麗な鉄橋やちょっと有名なドラム缶橋とか数多くの写真スポットがあると言う。私的には小河内ダムをカメラに収めることができただけでお腹一杯なのだが、獲れ高が見込めるのであればありがたい。
平坦な奥多摩湖畔をのんびりサイクリングする私たち。晴天の青の下、新緑を芽吹き始めた樹々の緑と湖面の深緑がなんとも言えないハーモニーを奏でる。綺麗な路面に抜群のロケーション。此処はネットの下調べだけでは決して覗い知ることができない最高のサイクリングポイントに間違いない。自然の息吹を味わいながら進む私たちの左手に赤い鉄橋が現れる。”峰谷橋”だ。
山々の緑の中にくっきりと浮かび上がる赤のコントラストが印象的で美しい。メタボ会長に拠ると此処から先は撮影ポイントが続々と現れると云う。どうやら彼は奥多摩方面にかなりの土地勘があるようだ。そんなオヤジに今後の予定をヒアリングしてみる。「今年は何本かイベント出走できそうですか?」この質問は私の業務内容にも直接関わってくる重要事項だ。
「行きたいのは山々だけど土日は特に忙しいからまず無理だろうな。」全く素っ気ない返答である。とは云え、先のメールのように、会長は普段から優柔不断で言動がまるで当てにならないことを知る私は、彼の言葉を真に受けることはない。
峰谷橋を渡り、すぐ先の短いトンネルをくぐると、眼下に浮橋が横たわる。これが有名な”麦山の浮橋”、通称”ドラム缶橋”だ。今でこそ樹脂製のフロートと鉄板が使用されているが、かつてはドラム缶と木板を利用していたそうだ。
麦山の浮橋に別れを告げ1kmも進まないうちに、今度はオレンジの鉄橋が現れる。”麦山橋”だ。先の峰谷橋ほどの鮮明なカラーインパクトはないものの、このオレンジ色もなかなか鮮やかで美しい。無数のリベットで補強された鉄骨のアーチを見上げながら潜り抜ける感覚は不思議と心地良いものがある。
その後も、山々の景観と左手に拡がる湖面の波紋が織り成す美しいハーモニーに心癒されながら走る私に、メタボ会長から声が掛かる。「君に協力するのも今日で終わりだ。今年は休みが取れたら毎々秩父に行く予定なんだよ。ちょっと神頼みしなきゃならんことがあってな。」
唐突にそんな恩着せがましい話をされても、私には何のことやら全く意味が分からない。神頼みと秩父の間にどんな関係があるのかも全くのチンプンカンプンで想像もつかない。その旨を尋ねてみると、
「お遍路さんで有名な四国八十八か所霊場巡礼って聞いたことあるだろ?秩父にも三十四観音札所巡りって願掛けの風習があってな、簡単に言えばお遍路さんの簡易版って感じだな。その観音様を順番に拝んで廻れば願い事が叶っちゃうっていう便利なシステムがあるんだよ。」
ふ~ん、そうなんだ。嬉しそうに語る会長の年齢を考えれば歳相応の案件ではあろうが、はっきり言って私にはまったく興味が沸かない。「冴えないオッサンが願掛けに寺巡りする様子じゃ、どう書いてもレポートにはならんわな。」と云うのが仕事熱心な私の正直な感想だ。
そんな不毛な会話を交わしながら進む私たちの前にまたまた鉄橋が現れる。このベージュの鉄骨にグリーンの欄干が映える鉄橋は”深山橋”だ。何の変哲もない外観ではあるものの、欄干から伸びる双頭の街灯がアクセントになっていて、その平凡な佇まいの中にもどこか趣が感じられる。
「この橋の袂にはそこそこ有名な蕎麦屋があるんだよ。間違いなく美味いんだけど、丁寧過ぎて配膳にまあまあ時間が掛かるから、時間に余裕があるときに来たほうがいいぞ!」とは会長の弁。この深山橋を渡ると同時に間髪を入れずに現れるのが”三頭橋”だ。
メタボ会長に拠れば、絞り込んだ鉄骨アーチから斜めケーブルで吊られたこの形状は”バスケットハンドル型ニールセンローゼ橋”と呼ばれ、美しい景観と引き換えに、鉄骨の傾斜角と斜めに張るケーブルの角度に基づく強度計算がえらく難解らしく、ここまでの完成度を半世紀も前にしかも日本で達成している事自体が信じられないくらい凄いとの事だった。
彼の仕事柄、一般人に比すれば建築物に詳しいことは間違いないとは思うが、素人の私にはこの話の真偽を確かめる術はない。皆さんも話半分でお聞きください。こうして”わんこそば”の如く、次々と現れる橋々にさすがにご馳走様を言いたくなるほどだが、そのどれもが魅力的な姿であることに間違いはない。
その後も歩を進めるメタボ会長であったが、”奥多摩周遊道路”の入り口ゲートの所でバイクを停めると、サイコンを覗き込み、ニヤリとしながら呟く。「此処までで会社からぴったり50km/hだ。健康のためにも1日の走行距離は100kmを超えないって決めてるし、おまけにこの先はえげつない登坂だから残念だけど此処で引き返さざるを得ないな。」という有難いお言葉に従い、来た道を戻る事となった。
帰路途中にメタボ会長が勝手に寄り道したパワースポットを巡ってサイクリングは終了。あとは会社までひたすら来た道を戻るだけだ。今日のサイクリングは「こんな素敵なポイントが編集部からわずか50kmの所にあったんだ」という意外な発見の旅でもあった。
TV番組や映画のロケ地として登場する場面も多く、湖畔には様々なスポットや観光施設もある奥多摩湖。健脚自慢は奥多摩湖まで自走するも良し、ポタリング派は小河内ダムの無料駐車場までエンジン移動するも良し、首都圏のオアシスとしても親しまれている奥多摩湖へ一度足を運んでみてください。気軽にのんびりサイクリングを楽しむには、本当に楽チンで素敵なスポットです。
次回ですか? さすがに”秩父札所巡り”ではレポートが成立しなさそうなので何か考えます。
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メタボ会長
身長 : 172cm 体重 : 84kg 自転車歴 : 8年目
当サイト運営法人の代表取締役。平成元年に現法人を設立、平成17年に社長を辞し会長職に退くも、平成20年に当サイトが属するメディア事業部の責任者兼務となったことをキッカケに自転車に乗り始める。豊富な筋肉量を生かした瞬発力はかなりのモノだが、こと登坂となるとその能力はべらぼうに低い。日本一登れない男だ。
身長 : 172cm 体重 : 84kg 自転車歴 : 8年目
当サイト運営法人の代表取締役。平成元年に現法人を設立、平成17年に社長を辞し会長職に退くも、平成20年に当サイトが属するメディア事業部の責任者兼務となったことをキッカケに自転車に乗り始める。豊富な筋肉量を生かした瞬発力はかなりのモノだが、こと登坂となるとその能力はべらぼうに低い。日本一登れない男だ。
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