2014/06/16(月) - 09:05
ヒルクライム大会では東アジア最高到達地点まで登る台湾の「MAXXIS太魯閣国際ヒルクライム2014」。今年初参加した田代恭崇さんによる参加レポートで紹介する。インターナショナルクラスは標高3,275mを目指す。
太魯閣国際ヒルクライム大会当日。スタート時間はなんと朝6時の設定だ。早朝4時半にホテルでミールボックスを受け取り、車でスタート地点の花蓮縣新城郷秀林國中の海岸に向かう。
天気は曇りで、ところどころ日が射しているが、山の方は雲に覆われている。前日に立ち寄ったジャイアントストアのスタッフが、山を見ながら「明日は雨が降る」と言ったことを思い出す。
ミールボックスのサンドイッチとフルーツを食べ、補食は現地のコンビニで調達したパイナップルケーキ、どら焼き、ゼリーを用意した。途中のエイドステーションで、パンやバナナも食べれるはずだが、こういったレースではいつも何が起こるかわからないので、このぐらいは最低限準備するといいだろう。
大会側でゴール地点まで運んでくれる荷物には、着替えと防寒具を預けた。頂上は富士山の8合目と同じぐらいなので、相当寒いはず。晴れていれば暑いそうだが、悪天候に備えておくのが吉だ。
この天気なら、スタート地点の海抜0mでは半袖で大丈夫なぐらいでも、走行中には防寒具は必須。天候の急変もあるので、今回は背中のポケットにはレインウェアを持って行くことにした。
スタート前はみんなで朝日が昇る海を眺めたり、台湾のテレビ局のインタビューを受けたりとリラックスして過ごした。
スタートラインでは、アテネリンピックの出場選手ということで紹介され、一昨年の優勝者もいる最前列に並ばせてもらった。なので「最初ぐらいは先頭グループで走ってみよう!」なんて思った。心と身体はなかなか一致しないのはご愛嬌ってことで(笑)。
会場をスタートしてパレード走行で審判長の車の後ろについて走る。まるでツール・ド・台湾に出場しているような錯覚。思わずレースのテンションにあがってしまい、本スタートが切られると戦闘モードに。先頭グループを外さないように得意の位置取りで走る。
けっこう頑張って20人ぐらいの先頭グループで頑張ってはみたが、10kmほどの勾配のきつくなるところで、限界を越え離脱。やはり心と身体は一致しなかった(笑)。
そのおかげで壮大な太魯閣渓谷の眺めを2度も楽しむことができた。30kmぐらい走ると、抜きつ抜かれを繰り返しているうちに徐々に連れ(仲間)ができてくる。数人は抜かしたので15位ぐらいで走っているのだろう。心配していた天気も大丈夫そうで、気持ち良く走れていい感じ。しかしそれも長くは続かず、5パーセントぐらいの勾配がずっと続き、50kmぐらいでお腹がいっぱいの感じの脚になった。
やばい......思っていたよりもコースが長い。スタートの頑張りすぎを後悔しながらも、台湾の参加者の連れ(仲間)2人と一緒に頂上を目指す。もはやライバルでは無い、仲間なのだ。
赤いリボンの効果は絶大だった。2人とも家族のサポートカーが帯同していて、日本人の私にも「水は?食べ物は?」と何度も声をかけてくれる。バナナとパンをもらう。一緒の仲間は「このあと勾配はこうなるよ」などと教えてくれて、お互い励まし合いながら走る。 山をほんとにくり抜いただけの素掘りトンネルをいくつもくぐり、深い山へと入って行く感じだ。
■突然のレース中止。コースは短縮へ
チャレンジクラスのゴールである74km地点、標高2,375mを過ぎると雲行きが怪しくなり、急激に寒くなってきた。「セクション5」と言われる74〜84km区間はもっともキツイ行程だと聞かされていた。
「これが壁って言われている坂だ!」。大会関係者から「必殺蛇行拳」を使うことになると言われていた。勾配が20%近くあり、もう蛇行拳の嵐です。 脚をつかないように踏ん張るのみ。励まし合った仲間ももうバラバラで、時間が止まっているようだった。
過去に参加した人から「乗鞍を2本上った後に、ふじあざみラインを上る感じです」そういえば言われていた事を思い出した。解り易い例えかもしれない。
いままで経験したことがないほどキツイ感じで走っている(かろうじて進んでいる)と、審判長の車が天空から落ちてくるように下ってきた。すごい形相で大声で叫びながらバツ印を掲げている。そしてあっというまに目の前を過ぎ去って行った。
「何が何だかわからない..............」。
80km地点のここはまだ雨も降っていないのに。一緒に走っていた台湾の連れ(仲間)が電話で確認し、頂上は霧で雨と風がすごく、大会が中止になったとを教えてくれた。なんと目標だった3つめの「東アジア最高到達地点に上る!」を達成できなくてがっかりの気持ちと同時に、ちょっとホッとしてしまった。日本の参加者にも声をかけながらチャレンジクラスのゴール74km地点まで下山した。
ゴール会場で暖かいスープをもらい、安堵感で力は抜けきった。ホッとはしたが、やはり残念だ。どうやら頂上までたどり着いたのは2名のみだったようだ。私の記録は80km、標高2,800m。チャレンジクラスのゴール地点で日本の参加者たちを迎えた。
一般のサイクリストの方にとって74kmのヒルクライムは壮大なチャレンジだ。皆さん疲れきっていたが、走りきった達成感で表情は晴れ晴れしていた。
主催者のアットホームな暖かさを感じる大会。壮大なスケール、美味しい食べ物、台湾のサイクリストたちとの出会い、また台湾を好きにならざるを得なかった。
今回の目標にした「おいしい物を食べる!」「みんなで楽しむ!」を達成したが、3つめの「東アジア最高到達地点を制覇!」を達成できなかった私は、また来年台湾に来る理由ができてしまった(笑)。
report: 田代恭崇(Yasutaka.Tashiro)
photo:Makoto.AYANO
協力:エバー航空、台湾観光協会
タロコヒルクライムフォトギャラリー(CW FaceBook)
プロフィール 田代恭崇(たしろやすたか)
サイクリングプランナー。2004年アテネ五輪ロード日本代表。10年間ブリヂストンアンカーに所属し、ヨーロッパプロレースや全日本選手権等多くの優勝を飾る。07年で選手を引退し、08年ブリヂストンサイクルに入社。スポーツ自転車の商品企画、販売促進、広報、マーケティング、ショールーム運営、サイクリングイベント等の業務を6年間担当。2013年には“世界一過酷” なアマチュアサイクリストの祭典 “オートルート・アルプス” で日本人初完走を果たす。2014年よりフリーランスとしてサイクリングの魅力を伝える活動を始める。 同年、サイクリングイベントやスクール、コーチを行うリンケージサイクリングを創業。
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太魯閣国際ヒルクライム大会当日。スタート時間はなんと朝6時の設定だ。早朝4時半にホテルでミールボックスを受け取り、車でスタート地点の花蓮縣新城郷秀林國中の海岸に向かう。
天気は曇りで、ところどころ日が射しているが、山の方は雲に覆われている。前日に立ち寄ったジャイアントストアのスタッフが、山を見ながら「明日は雨が降る」と言ったことを思い出す。
ミールボックスのサンドイッチとフルーツを食べ、補食は現地のコンビニで調達したパイナップルケーキ、どら焼き、ゼリーを用意した。途中のエイドステーションで、パンやバナナも食べれるはずだが、こういったレースではいつも何が起こるかわからないので、このぐらいは最低限準備するといいだろう。
大会側でゴール地点まで運んでくれる荷物には、着替えと防寒具を預けた。頂上は富士山の8合目と同じぐらいなので、相当寒いはず。晴れていれば暑いそうだが、悪天候に備えておくのが吉だ。
この天気なら、スタート地点の海抜0mでは半袖で大丈夫なぐらいでも、走行中には防寒具は必須。天候の急変もあるので、今回は背中のポケットにはレインウェアを持って行くことにした。
スタート前はみんなで朝日が昇る海を眺めたり、台湾のテレビ局のインタビューを受けたりとリラックスして過ごした。
スタートラインでは、アテネリンピックの出場選手ということで紹介され、一昨年の優勝者もいる最前列に並ばせてもらった。なので「最初ぐらいは先頭グループで走ってみよう!」なんて思った。心と身体はなかなか一致しないのはご愛嬌ってことで(笑)。
会場をスタートしてパレード走行で審判長の車の後ろについて走る。まるでツール・ド・台湾に出場しているような錯覚。思わずレースのテンションにあがってしまい、本スタートが切られると戦闘モードに。先頭グループを外さないように得意の位置取りで走る。
けっこう頑張って20人ぐらいの先頭グループで頑張ってはみたが、10kmほどの勾配のきつくなるところで、限界を越え離脱。やはり心と身体は一致しなかった(笑)。
そのおかげで壮大な太魯閣渓谷の眺めを2度も楽しむことができた。30kmぐらい走ると、抜きつ抜かれを繰り返しているうちに徐々に連れ(仲間)ができてくる。数人は抜かしたので15位ぐらいで走っているのだろう。心配していた天気も大丈夫そうで、気持ち良く走れていい感じ。しかしそれも長くは続かず、5パーセントぐらいの勾配がずっと続き、50kmぐらいでお腹がいっぱいの感じの脚になった。
やばい......思っていたよりもコースが長い。スタートの頑張りすぎを後悔しながらも、台湾の参加者の連れ(仲間)2人と一緒に頂上を目指す。もはやライバルでは無い、仲間なのだ。
赤いリボンの効果は絶大だった。2人とも家族のサポートカーが帯同していて、日本人の私にも「水は?食べ物は?」と何度も声をかけてくれる。バナナとパンをもらう。一緒の仲間は「このあと勾配はこうなるよ」などと教えてくれて、お互い励まし合いながら走る。 山をほんとにくり抜いただけの素掘りトンネルをいくつもくぐり、深い山へと入って行く感じだ。
■突然のレース中止。コースは短縮へ
チャレンジクラスのゴールである74km地点、標高2,375mを過ぎると雲行きが怪しくなり、急激に寒くなってきた。「セクション5」と言われる74〜84km区間はもっともキツイ行程だと聞かされていた。
「これが壁って言われている坂だ!」。大会関係者から「必殺蛇行拳」を使うことになると言われていた。勾配が20%近くあり、もう蛇行拳の嵐です。 脚をつかないように踏ん張るのみ。励まし合った仲間ももうバラバラで、時間が止まっているようだった。
過去に参加した人から「乗鞍を2本上った後に、ふじあざみラインを上る感じです」そういえば言われていた事を思い出した。解り易い例えかもしれない。
いままで経験したことがないほどキツイ感じで走っている(かろうじて進んでいる)と、審判長の車が天空から落ちてくるように下ってきた。すごい形相で大声で叫びながらバツ印を掲げている。そしてあっというまに目の前を過ぎ去って行った。
「何が何だかわからない..............」。
80km地点のここはまだ雨も降っていないのに。一緒に走っていた台湾の連れ(仲間)が電話で確認し、頂上は霧で雨と風がすごく、大会が中止になったとを教えてくれた。なんと目標だった3つめの「東アジア最高到達地点に上る!」を達成できなくてがっかりの気持ちと同時に、ちょっとホッとしてしまった。日本の参加者にも声をかけながらチャレンジクラスのゴール74km地点まで下山した。
ゴール会場で暖かいスープをもらい、安堵感で力は抜けきった。ホッとはしたが、やはり残念だ。どうやら頂上までたどり着いたのは2名のみだったようだ。私の記録は80km、標高2,800m。チャレンジクラスのゴール地点で日本の参加者たちを迎えた。
一般のサイクリストの方にとって74kmのヒルクライムは壮大なチャレンジだ。皆さん疲れきっていたが、走りきった達成感で表情は晴れ晴れしていた。
主催者のアットホームな暖かさを感じる大会。壮大なスケール、美味しい食べ物、台湾のサイクリストたちとの出会い、また台湾を好きにならざるを得なかった。
今回の目標にした「おいしい物を食べる!」「みんなで楽しむ!」を達成したが、3つめの「東アジア最高到達地点を制覇!」を達成できなかった私は、また来年台湾に来る理由ができてしまった(笑)。
report: 田代恭崇(Yasutaka.Tashiro)
photo:Makoto.AYANO
協力:エバー航空、台湾観光協会
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プロフィール 田代恭崇(たしろやすたか)
サイクリングプランナー。2004年アテネ五輪ロード日本代表。10年間ブリヂストンアンカーに所属し、ヨーロッパプロレースや全日本選手権等多くの優勝を飾る。07年で選手を引退し、08年ブリヂストンサイクルに入社。スポーツ自転車の商品企画、販売促進、広報、マーケティング、ショールーム運営、サイクリングイベント等の業務を6年間担当。2013年には“世界一過酷” なアマチュアサイクリストの祭典 “オートルート・アルプス” で日本人初完走を果たす。2014年よりフリーランスとしてサイクリングの魅力を伝える活動を始める。 同年、サイクリングイベントやスクール、コーチを行うリンケージサイクリングを創業。
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