2013/12/04(水) - 10:05
7月にスタートした連載企画「ツール・ド・東北を目指して」。Vol.7では本連載の発起人でありツール・ド・東北を実走取材した福島治男さんが大会の目玉企画のひとつである仮設住宅での貴重な「民宿」体験や、地元の人々から聞いた震災体験や教訓についてレポートします。
レポーター役を務めることになったツアーコンダクター 佐藤真理さんの「これに出てみたい」のつぶやきから始まり、あっという間の4か月でした。大会当日は全国から1,316人の参加者が東北に集まり、宮城・三陸を自転車で走りました。まずこの企画をお読み頂いた皆さま、そしてご協力頂いた全ての関係者の皆さまに感謝いたします。
佐藤さんは自身の結果をそのレポートで「リタイア」と表現していますが、同行取材した私には大成功でした。当初の狙いである「ボランティアツアーの催行をこなしてきた、佐藤さんにしか伝えられないもの」を、まず本人でしっかりと受け止めて、佐藤さんの最善を尽くしてくれました。
そしてさらに、次回への目標もできました。まさに「大成功のリタイア」でした。本当にずぶの自転車素人が、4ヶ月で160kmを走れるようになるかどうかは、今回の参加企画の第1の目的ではありませんでしたから。以下からの私のレポートでは、私が大会と企画を通じて感じたことをお伝えしていきます。
自らの震災体験を語ってくれた高校生たち
会場に多くの並んだブースの中からまずご紹介するのは、ソフトバンクモバイル。「TOMODACHI」という、石巻で被災した高校生たちが、自らの貴重な震災体験をトークショーにしたもの。
多くのメディアが報じた、でもなかなか伝わらない、そして何もしなければ、いずれ忘れ去られてしまうであろう多くの悲しみと苦しみ、そして現在はその苦難を乗り越え、それぞれが明確な将来の夢を持って前に向かっている姿を、素直な言葉で語ってくれた高校生たち。その表情、眼差し、声にはたくましさが宿っていた。
その理由について彼らは、次のように語ってくれた。「今回の震災で様々な活動に参加しました。その活動を通じて仲間ができ、そして気持ちが前向きになりました。将来に対して明確な目標ができ、積極的に生きることができるようになりました。」
このブースはソフトバンクモバイルのCSR(コーポレート ソーシャル レスポンシビリティ:企業の社会的責任)の一環として行われたもので、併せて災害時におけるモバイル通信機器の有用性を示していた。
さらにこの企画のアンケートにはiPadを使用、回答は画面をタップするだけ、テキスト入力も可能、そしておそらくアンケート終了と同時にリアルタイムに集計も完了しているであろう。もちろんペーパーレス。
雄勝町の仮設住宅で夢を語り合って過ごした一夜
今回のイベントでの目玉企画のひとつとなったのが、「民泊」だ。元々復興需要などで石巻市の宿泊施設は満席状態、そこに参加者だけでも1,300人が全国から集結するというわけで、周辺住民の方がご自宅を宿泊先として参加者やスタッフに無償で提供して下さるというもの。これにより貴重なつながりが生まれるのは言うまでもない。
私が民泊のお世話になったのは雄勝町の森林公園内になる仮設住宅。高橋さん親子のお宅だ。到着は17:00過ぎ。すっかり日が落ち、耳に届くのは近くの川のせせらぎのみ。その静けさに灯る仮設住宅のお部屋。私自身これまでに、仮設住宅の玄関口までお伺いした経験はあるものの、その中はどんな状況なのか?
仮設住宅の耐用年数は元々2年間の設計。場所によっては地盤が悪く、沈下が始まっていたり、雨漏りなどもし始めているという話しを耳にしたこともある。
少しの緊張と勇気をもって、「今晩は」とご挨拶。出迎えて下さったのはお母様。すでに夕食の支度をして下さっていた。そして2部屋あるうちの1部屋を、私のためにご提供下さった。
息子さんであるご主人は、600年の歴史を持つ雄勝町の硯(すずり)生産販売協同組合の職員。硯の生産は震災前の1割にまで落ち込んでいるものの、”硯の文化を絶やしたくない”との想いから、新たに道具をそろえて、少しずつ生産をしているとのこと。まだ多くの同業他者の方が、雄勝町に戻れる環境が整なわない状況とのこと。そんな中、高橋さんは震災直後から、復興活動にも様々なご活躍をされており、この日もラジオ局の取材を受けた後のご帰宅となった。
どんな一夜になるのか、正直不安を抱いてお伺いした高橋さんのお宅。ちょっとの緊張の時間が過ぎ、美味しい食事に頂くことに。少しずつ会話が増え、もちろん震災当時の厳しい状況の話題もあったが、時間の経過とともに、お互いの夢を語り合っていた。
翌朝の出発が早い私に、最初にお風呂をご提供下さり、お母様は早朝の3:00から、私の朝食としておにぎりの用意をして下さった。私は500kmを超える移動の疲れからの回復と、翌日のグランフォンドの実走取材に備えて、十分に休息することができた。
高橋さんのお宅から大会会場へと出発したのは5:00前。まだ暗闇である。それでもお二人で元気に私を送り出して下さった。この仮設住宅生活はいつまで続くのか?いずれにせよ私はまた近いうちに「ただいま」と、このお宅をご訪問したい。そう思えるお宅であった。
ただ一口に仮設住宅と言っても様々。前述の通り、耐用年数を過ぎて不具合が生じているところ、報道は少ないが、閑静な住宅街のど真ん中に設けられた仮設住宅。震災前とほぼ同等の生活ができている住民と、家や財産、肉親を失った仮設住宅の住民が、隣り合わせで生活をしている地域。このような様々な問題があるのも事実である。ただ今回私がお世話になった高橋さんのお宅は、とても暖かく、将来の夢に満ち溢れたお宅であった。もちろんこの状態になるには、多くの試練があったに違いない。
あと高橋さんからお伺いした、避難所生活での貴重な教訓を一つご紹介したい。避難所を運営する際に最も大切なのが、トイレ運用のルール作りとのこと。避難所での衛生環境の確保は最優先課題。感染病の発生の予防にも、必要不可欠である。そしてその衛生環境を確保する第一歩が、トイレの衛生管理だ。
高橋さん親子が避難所に入った時、そのトイレの汚れはひどいものだったとのこと。そこでまずお母様が清掃活動を始め、それを見た方たちが協力してくれるようになったという。綺麗に維持されたトイレなら、他の人たちも自然と綺麗に使うようになる。このトイレの使い方のルールができてしまえば、避難所に必要なその他のルールは自然と決まっていくとのこと。この教訓が役立つことがないことを祈りつつ、このことをお伝えします。
レポートは後編に続きます。
photo&text:福島治男(静岡県ふじのくに災害ボランティアコーディネーター)
レポーター役を務めることになったツアーコンダクター 佐藤真理さんの「これに出てみたい」のつぶやきから始まり、あっという間の4か月でした。大会当日は全国から1,316人の参加者が東北に集まり、宮城・三陸を自転車で走りました。まずこの企画をお読み頂いた皆さま、そしてご協力頂いた全ての関係者の皆さまに感謝いたします。
佐藤さんは自身の結果をそのレポートで「リタイア」と表現していますが、同行取材した私には大成功でした。当初の狙いである「ボランティアツアーの催行をこなしてきた、佐藤さんにしか伝えられないもの」を、まず本人でしっかりと受け止めて、佐藤さんの最善を尽くしてくれました。
そしてさらに、次回への目標もできました。まさに「大成功のリタイア」でした。本当にずぶの自転車素人が、4ヶ月で160kmを走れるようになるかどうかは、今回の参加企画の第1の目的ではありませんでしたから。以下からの私のレポートでは、私が大会と企画を通じて感じたことをお伝えしていきます。
自らの震災体験を語ってくれた高校生たち
会場に多くの並んだブースの中からまずご紹介するのは、ソフトバンクモバイル。「TOMODACHI」という、石巻で被災した高校生たちが、自らの貴重な震災体験をトークショーにしたもの。
多くのメディアが報じた、でもなかなか伝わらない、そして何もしなければ、いずれ忘れ去られてしまうであろう多くの悲しみと苦しみ、そして現在はその苦難を乗り越え、それぞれが明確な将来の夢を持って前に向かっている姿を、素直な言葉で語ってくれた高校生たち。その表情、眼差し、声にはたくましさが宿っていた。
その理由について彼らは、次のように語ってくれた。「今回の震災で様々な活動に参加しました。その活動を通じて仲間ができ、そして気持ちが前向きになりました。将来に対して明確な目標ができ、積極的に生きることができるようになりました。」
このブースはソフトバンクモバイルのCSR(コーポレート ソーシャル レスポンシビリティ:企業の社会的責任)の一環として行われたもので、併せて災害時におけるモバイル通信機器の有用性を示していた。
さらにこの企画のアンケートにはiPadを使用、回答は画面をタップするだけ、テキスト入力も可能、そしておそらくアンケート終了と同時にリアルタイムに集計も完了しているであろう。もちろんペーパーレス。
雄勝町の仮設住宅で夢を語り合って過ごした一夜
今回のイベントでの目玉企画のひとつとなったのが、「民泊」だ。元々復興需要などで石巻市の宿泊施設は満席状態、そこに参加者だけでも1,300人が全国から集結するというわけで、周辺住民の方がご自宅を宿泊先として参加者やスタッフに無償で提供して下さるというもの。これにより貴重なつながりが生まれるのは言うまでもない。
私が民泊のお世話になったのは雄勝町の森林公園内になる仮設住宅。高橋さん親子のお宅だ。到着は17:00過ぎ。すっかり日が落ち、耳に届くのは近くの川のせせらぎのみ。その静けさに灯る仮設住宅のお部屋。私自身これまでに、仮設住宅の玄関口までお伺いした経験はあるものの、その中はどんな状況なのか?
仮設住宅の耐用年数は元々2年間の設計。場所によっては地盤が悪く、沈下が始まっていたり、雨漏りなどもし始めているという話しを耳にしたこともある。
少しの緊張と勇気をもって、「今晩は」とご挨拶。出迎えて下さったのはお母様。すでに夕食の支度をして下さっていた。そして2部屋あるうちの1部屋を、私のためにご提供下さった。
息子さんであるご主人は、600年の歴史を持つ雄勝町の硯(すずり)生産販売協同組合の職員。硯の生産は震災前の1割にまで落ち込んでいるものの、”硯の文化を絶やしたくない”との想いから、新たに道具をそろえて、少しずつ生産をしているとのこと。まだ多くの同業他者の方が、雄勝町に戻れる環境が整なわない状況とのこと。そんな中、高橋さんは震災直後から、復興活動にも様々なご活躍をされており、この日もラジオ局の取材を受けた後のご帰宅となった。
どんな一夜になるのか、正直不安を抱いてお伺いした高橋さんのお宅。ちょっとの緊張の時間が過ぎ、美味しい食事に頂くことに。少しずつ会話が増え、もちろん震災当時の厳しい状況の話題もあったが、時間の経過とともに、お互いの夢を語り合っていた。
翌朝の出発が早い私に、最初にお風呂をご提供下さり、お母様は早朝の3:00から、私の朝食としておにぎりの用意をして下さった。私は500kmを超える移動の疲れからの回復と、翌日のグランフォンドの実走取材に備えて、十分に休息することができた。
高橋さんのお宅から大会会場へと出発したのは5:00前。まだ暗闇である。それでもお二人で元気に私を送り出して下さった。この仮設住宅生活はいつまで続くのか?いずれにせよ私はまた近いうちに「ただいま」と、このお宅をご訪問したい。そう思えるお宅であった。
ただ一口に仮設住宅と言っても様々。前述の通り、耐用年数を過ぎて不具合が生じているところ、報道は少ないが、閑静な住宅街のど真ん中に設けられた仮設住宅。震災前とほぼ同等の生活ができている住民と、家や財産、肉親を失った仮設住宅の住民が、隣り合わせで生活をしている地域。このような様々な問題があるのも事実である。ただ今回私がお世話になった高橋さんのお宅は、とても暖かく、将来の夢に満ち溢れたお宅であった。もちろんこの状態になるには、多くの試練があったに違いない。
あと高橋さんからお伺いした、避難所生活での貴重な教訓を一つご紹介したい。避難所を運営する際に最も大切なのが、トイレ運用のルール作りとのこと。避難所での衛生環境の確保は最優先課題。感染病の発生の予防にも、必要不可欠である。そしてその衛生環境を確保する第一歩が、トイレの衛生管理だ。
高橋さん親子が避難所に入った時、そのトイレの汚れはひどいものだったとのこと。そこでまずお母様が清掃活動を始め、それを見た方たちが協力してくれるようになったという。綺麗に維持されたトイレなら、他の人たちも自然と綺麗に使うようになる。このトイレの使い方のルールができてしまえば、避難所に必要なその他のルールは自然と決まっていくとのこと。この教訓が役立つことがないことを祈りつつ、このことをお伝えします。
レポートは後編に続きます。
photo&text:福島治男(静岡県ふじのくに災害ボランティアコーディネーター)
Amazon.co.jp