2012/01/09(月) - 11:06
末政実緒ロングインタビューの2回目は、DHジュニアチャンプを獲得してからシニアエリートで参戦すること2012年で10年目になる感想と、現在の海外MTBシーンとこれからの展望を語ってもらう。
― ジュニア優勝を境に海外から注目を浴び、いつの間にやら「リトルミオ」のニックネームで呼ばれ、2002~03年まで強豪チーム・トレック・フォルクスワーゲンに所属してワールドカップに参戦する。
「所属したトレック・フォルクスワーゲンチームはクロスカントリーの世界チャンピオンやデュアル世界チャンピオン達など名だたるトップ選手が集まるチームで、しかも母国語が英語のライダーばかり。
私はほとんど英語も出来ないうえ、海外チームでの経験もなく最初は何をするのも1テンポ遅れて大変でしたが、トップ選手と一緒に過ごす事が出来てとても良い経験にもなり、チームメイトは妹のように接してくれて充実していました。
02年ワールドカップ参戦する為に初めて一人で日本を発つ時、ダウンヒルは荷物が多く、自転車だけでも20kg近くあるので、引っ越しと間違わられるぐらいで、荷物を別送で送らないといけないなど、色んなことを言われパニックになり、出発から不安で仕方なかった事がありました。
出発後、春先にあったレースでチームメンバーに無事に合流出来たときは、ものすごくホッとして嬉しかった。そのくらい緊張していました。
当時のライバルはアン・カロリン・ショソンとか海外選手達はずば抜けて速かったですし、フランス、アメリカ、イギリス等選手が速く強豪ぞろいでした。トレック・フォルクスワーゲンチームでの2年目にはだいぶ慣れてきて、アメリカの国内シリーズ戦NORBAでも2位に入る等少しずつ結果もついてきました。」
― 2004-06年まではプライベートチームとしてワールドカップを回り、2004年フランス・レジェの世界選シニアクラス2位で表彰台を獲得。
「2004年はワールドカップフルに参戦していて、未だ表彰台には乗った事がなかったのですが、コースの試走を繰り返すうちに、自分に合ったコースだなと思いました。もちろんどのレースも表彰台目指して走っていますが、ゴールした時点で暫定一位でホットシートに座り、後で来るライダーより早く徐々に表彰台が見えた時には鳥肌が立ちました。シニアでは初めての表彰台にとても嬉しかった気持ちと、1位になれなかった悔しさでいっぱいでした」
― 2007年、再び海外のワークスチーム・MS-INTENSE FACTORY Racing Teamに参加。
「2007年はMS-INTENSE FACTORY Racing Teamにお世話になる事ができて、翌年2008年はチーム員として活動することになり、再びワールドカップでレースに専念する環境を得る事が出来ました。
4XもトレックVW時代チームメイトにデュアルの世界チャピオン、ウェイド・ブーツ選手がいた事もあり、4Xもチャレンジしてみては?と自転車を用意してもらったのがきっかけで参戦した以来に再び挑戦することもできました。ダウンヒルと違い、毎レース何が起こるか分からないのが4Xで、ダウンヒル寄りのコースでは表彰台にも立つ事が出来ました。
また、ダウンヒルでは2008年のワールドカップ・カナダ モンサンタン大会では、コースの全長が長くハイスピードコースで、体力面ではキツいコースを4位になったのは自分の中で自信に繋がるレースでした」
― 2009年からワークスチームを離れて単独でのプライベートとしてWCに参戦。2009年にはワールドカップ3位で念願の表彰台に立つ。
「お世話になっていたMS-INTENSE FACTORY Racing Teamの機材スポンサーが変更になったため、チームから離れることになりました。 しかし、ワールドカップにはチャレンジを続けていきたくて、ファン・ファンシーの世良社長やお世話になっているサイクルショップ輪娯ロードの神崎店長など色んな方のご理解やご協力があり、プライベートでワールドカップに参戦を続ける事になりました。
4Xはダウンヒルと両方を参加するとなると過密スケジュールで、チームで活動しているときはなんとかこなせていた事が、プライベート参戦では厳しくなり、ダウンヒルに専念する事を決めました。
そして2002年からワールドカップをメインに活動を始めて、2009年のカナダ・ブロモント大会で初めてワールドカップでの表彰台に立つ事が出来ました。やっと立てたという充実感がありましたし、まだ上に2人もいるという気持ちもあり、もっと上を目指して頑張ろうと気合いの入ったレースでした」
― 10年以上にもわたる世界参戦で、海外のレースシーンは末政選手にとってどう見えるのか。
「ワールドカップに参加する女子は人数の多いときで50人前後です。レースで印象に残る女子選手は、フランスのアン・キャロライン・ショソン選手です。ライバルは同い年でフランスのセリーヌ・グロス選手です。彼女は私がジュニアクラスでチャンピオンになった頃からのライバルで今も良きライバルです。
男子選手ではニコラ・ブイヨズ選手です。彼の走りを初めて生で見た時、じゅうたんの上を走っているのではと思うほどスムーズで、荒れた路面を走っているように思えないほどの安定感でした。
ワールドカップ開催国の国別の盛り上がり方だと自転車が盛んなヨーロッパは観客が多いです。南アフリカはブブゼラが鳴っていたり、スイスだとカウベルでの応援があったりと、国によって応援ツールは様々。でもどこの国に行っても「ミオ」と名前で呼ぶ声援があると、とても嬉しいです。
またインターネットの進化とともに、海外でのレースシーンがより日本でも知ってもらえるようになったと思います。特にフリーキャスターTVは今までワールドカップは雑誌やウェブサイトの写真でしか見れなかったものが、リアルタイムの映像でレース全体を観る事が出来るようになり、ワールドカップが少し身近に感じてもらえたのではないでしょうか。
バイク機材も時代とともに変化して、DHを始めた頃はビンディングが主流だったペダルはフラットペダルが普及し、バイクの低重心化に伴いハンドルバーの長さも長くなったりと変化しています。
もし国内でのレースをコースサイドで観戦する際は、各ライダーのライン取りや走りのスタイルの違いをポイントとして観ると楽しめると思います。ゴール前で観戦する場合は、最後に予選1位の選手が降りてくるので、各ライダーが前走者を更新するかどうかドキドキしますよ」
2011年の世界選スイス・シャンペリー大会
― 2011年は途中大きな怪我を乗り越えて全日本連覇を守り、来シーズンへの準備に余念がない。
「2006年以降大きな怪我なく走っていたので、どこか油断とスキがあったのかなと怪我をしてから思います。
肩関節を損傷し、2つワールドカップのレースに出場する為に遠征したはずが、全てキャンセルをせざるを得なくなり、その後すぐに開催された全日本選手権は痛みを抱えたままの参加となってしまい、情けなく思いましたが、その後の治療とリハビリでなんとか後半戦に間に合う事が出来ました。
怪我はしたくはないものですが、改めて自転車に乗る楽しさを感じ、徐々に出来るようになる嬉しさを感じる事が出来た良い機会でもありました。
2012年は海外でワールドカップとは別の新しいシリーズ・DH1など様々な大きいレースが開催されます。まだどのレースに参加するか検討中ですが、少しでも多くレースに出られると良いな、と考えています。トレーニングは今年怪我をしてしまった肩の強化したり、より安定した走り、限界のスピードが上げられるよう、体幹を意識してトレーニングをしたり、持久系のトレーニングをしたりと来シーズンに備えています」
2011年は左肩の怪我により全日本連覇が難しいシーズンだった。
― 長い競技歴にある様々な壁はどうやって乗り越えていったのか。2012年ワールドカップは、3月17日に南アフリカ・ピーターマリッツバーグから始まるこれからの抱負。
「壁は作らないようにと心がけています。長く続けていると、良いときも悪いときもありますが、常に進化して行ければいけないと思っています。
経済面は特に海外遠征を続けていると悩みが付きませんし、よりレースに専念する為には必要不可欠なものではあります。厳しいですが、応援してくださっているスポンサーの方々がいる限り頑張りたいです。もちろん、これから一緒に世界と戦ってくださる方が多くなれば嬉しい。
競技を続けている限り上を目指して走り、その活動を通じMTBの素晴らしさ、レースの楽しさが多くの皆さんにお伝え出来れば良いなと思っています」
末政実緒選手を知る女子選手たちのコメント
片山梨絵(SPECIALIZED)
― 初めて会った時の印象は?
「2004年の全日本選手権会場で、腰が低くて丁寧な女性で年齢よりも大人びて見えました」
― 今までの印象的なエピソードは?
「初めて遠征で部屋をシェアしたのが2004年の世界選手権で、シルバーメダルを取った時、それでも冷静なことに驚きました。レース前の緊張感と、終わった後の柔らかい笑顔のギャップがいつも印象的です。
― 末政さんのアスリートとしての才能は?
「自転車を操るテクニックが天才でそれを他人にも説明することができるので、天才の上に考えている。負けず嫌いで、自転車もレースも大好きなんです」
小林可奈子(MTBクラブ安曇野 KONA)
― レース等で初めて出会った場所と印象は?
「1999年アジア大陸選手権マレーシア大会でご一緒した時のこと。たぶん出会いは初めてではなかったと思いますが、記憶はここ。物静かで地味な子だなあ。という印象」
― 今までの印象的なエピソードは?
「2011年の冬に雑誌の取材でスノーシューを一緒にやった時のこと。雪深い中を踏み固めて歩かなければならない先頭を息も切らさずがんがんと登っていく姿に"真のアスリート"の姿を見ました。またこのスノーシューで林の中の劇坂を駆け下った際、とても楽しそうで、アグレッシブで、これまで一緒に遊んできた仲間の誰よりもパフォーマンスが高かったです。
その後シーズンイン直前のイベントでは2時間近くーお風呂で語り合って、彼女の「女性」らしい一面を発見。ますますファンになりました」
― 末政さんのアスリートとしての才能は?
「資質は身体、精神ともに優れていると思います。彼女のDHのために鍛え抜かれた身体は、その走りのための理想。なんでも楽しもうという常にポジティブな考え方は、どんな困難をも乗り越えられる力を持っていると思います。勝負に対する並々ならぬ強い思い、それこそが彼女のエネルギーでしょう」
interview:Akihiro.Nakano
― ジュニア優勝を境に海外から注目を浴び、いつの間にやら「リトルミオ」のニックネームで呼ばれ、2002~03年まで強豪チーム・トレック・フォルクスワーゲンに所属してワールドカップに参戦する。
「所属したトレック・フォルクスワーゲンチームはクロスカントリーの世界チャンピオンやデュアル世界チャンピオン達など名だたるトップ選手が集まるチームで、しかも母国語が英語のライダーばかり。
私はほとんど英語も出来ないうえ、海外チームでの経験もなく最初は何をするのも1テンポ遅れて大変でしたが、トップ選手と一緒に過ごす事が出来てとても良い経験にもなり、チームメイトは妹のように接してくれて充実していました。
02年ワールドカップ参戦する為に初めて一人で日本を発つ時、ダウンヒルは荷物が多く、自転車だけでも20kg近くあるので、引っ越しと間違わられるぐらいで、荷物を別送で送らないといけないなど、色んなことを言われパニックになり、出発から不安で仕方なかった事がありました。
出発後、春先にあったレースでチームメンバーに無事に合流出来たときは、ものすごくホッとして嬉しかった。そのくらい緊張していました。
当時のライバルはアン・カロリン・ショソンとか海外選手達はずば抜けて速かったですし、フランス、アメリカ、イギリス等選手が速く強豪ぞろいでした。トレック・フォルクスワーゲンチームでの2年目にはだいぶ慣れてきて、アメリカの国内シリーズ戦NORBAでも2位に入る等少しずつ結果もついてきました。」
― 2004-06年まではプライベートチームとしてワールドカップを回り、2004年フランス・レジェの世界選シニアクラス2位で表彰台を獲得。
「2004年はワールドカップフルに参戦していて、未だ表彰台には乗った事がなかったのですが、コースの試走を繰り返すうちに、自分に合ったコースだなと思いました。もちろんどのレースも表彰台目指して走っていますが、ゴールした時点で暫定一位でホットシートに座り、後で来るライダーより早く徐々に表彰台が見えた時には鳥肌が立ちました。シニアでは初めての表彰台にとても嬉しかった気持ちと、1位になれなかった悔しさでいっぱいでした」
― 2007年、再び海外のワークスチーム・MS-INTENSE FACTORY Racing Teamに参加。
「2007年はMS-INTENSE FACTORY Racing Teamにお世話になる事ができて、翌年2008年はチーム員として活動することになり、再びワールドカップでレースに専念する環境を得る事が出来ました。
4XもトレックVW時代チームメイトにデュアルの世界チャピオン、ウェイド・ブーツ選手がいた事もあり、4Xもチャレンジしてみては?と自転車を用意してもらったのがきっかけで参戦した以来に再び挑戦することもできました。ダウンヒルと違い、毎レース何が起こるか分からないのが4Xで、ダウンヒル寄りのコースでは表彰台にも立つ事が出来ました。
また、ダウンヒルでは2008年のワールドカップ・カナダ モンサンタン大会では、コースの全長が長くハイスピードコースで、体力面ではキツいコースを4位になったのは自分の中で自信に繋がるレースでした」
― 2009年からワークスチームを離れて単独でのプライベートとしてWCに参戦。2009年にはワールドカップ3位で念願の表彰台に立つ。
「お世話になっていたMS-INTENSE FACTORY Racing Teamの機材スポンサーが変更になったため、チームから離れることになりました。 しかし、ワールドカップにはチャレンジを続けていきたくて、ファン・ファンシーの世良社長やお世話になっているサイクルショップ輪娯ロードの神崎店長など色んな方のご理解やご協力があり、プライベートでワールドカップに参戦を続ける事になりました。
4Xはダウンヒルと両方を参加するとなると過密スケジュールで、チームで活動しているときはなんとかこなせていた事が、プライベート参戦では厳しくなり、ダウンヒルに専念する事を決めました。
そして2002年からワールドカップをメインに活動を始めて、2009年のカナダ・ブロモント大会で初めてワールドカップでの表彰台に立つ事が出来ました。やっと立てたという充実感がありましたし、まだ上に2人もいるという気持ちもあり、もっと上を目指して頑張ろうと気合いの入ったレースでした」
― 10年以上にもわたる世界参戦で、海外のレースシーンは末政選手にとってどう見えるのか。
「ワールドカップに参加する女子は人数の多いときで50人前後です。レースで印象に残る女子選手は、フランスのアン・キャロライン・ショソン選手です。ライバルは同い年でフランスのセリーヌ・グロス選手です。彼女は私がジュニアクラスでチャンピオンになった頃からのライバルで今も良きライバルです。
男子選手ではニコラ・ブイヨズ選手です。彼の走りを初めて生で見た時、じゅうたんの上を走っているのではと思うほどスムーズで、荒れた路面を走っているように思えないほどの安定感でした。
ワールドカップ開催国の国別の盛り上がり方だと自転車が盛んなヨーロッパは観客が多いです。南アフリカはブブゼラが鳴っていたり、スイスだとカウベルでの応援があったりと、国によって応援ツールは様々。でもどこの国に行っても「ミオ」と名前で呼ぶ声援があると、とても嬉しいです。
またインターネットの進化とともに、海外でのレースシーンがより日本でも知ってもらえるようになったと思います。特にフリーキャスターTVは今までワールドカップは雑誌やウェブサイトの写真でしか見れなかったものが、リアルタイムの映像でレース全体を観る事が出来るようになり、ワールドカップが少し身近に感じてもらえたのではないでしょうか。
バイク機材も時代とともに変化して、DHを始めた頃はビンディングが主流だったペダルはフラットペダルが普及し、バイクの低重心化に伴いハンドルバーの長さも長くなったりと変化しています。
もし国内でのレースをコースサイドで観戦する際は、各ライダーのライン取りや走りのスタイルの違いをポイントとして観ると楽しめると思います。ゴール前で観戦する場合は、最後に予選1位の選手が降りてくるので、各ライダーが前走者を更新するかどうかドキドキしますよ」
2011年の世界選スイス・シャンペリー大会
― 2011年は途中大きな怪我を乗り越えて全日本連覇を守り、来シーズンへの準備に余念がない。
「2006年以降大きな怪我なく走っていたので、どこか油断とスキがあったのかなと怪我をしてから思います。
肩関節を損傷し、2つワールドカップのレースに出場する為に遠征したはずが、全てキャンセルをせざるを得なくなり、その後すぐに開催された全日本選手権は痛みを抱えたままの参加となってしまい、情けなく思いましたが、その後の治療とリハビリでなんとか後半戦に間に合う事が出来ました。
怪我はしたくはないものですが、改めて自転車に乗る楽しさを感じ、徐々に出来るようになる嬉しさを感じる事が出来た良い機会でもありました。
2012年は海外でワールドカップとは別の新しいシリーズ・DH1など様々な大きいレースが開催されます。まだどのレースに参加するか検討中ですが、少しでも多くレースに出られると良いな、と考えています。トレーニングは今年怪我をしてしまった肩の強化したり、より安定した走り、限界のスピードが上げられるよう、体幹を意識してトレーニングをしたり、持久系のトレーニングをしたりと来シーズンに備えています」
2011年は左肩の怪我により全日本連覇が難しいシーズンだった。
― 長い競技歴にある様々な壁はどうやって乗り越えていったのか。2012年ワールドカップは、3月17日に南アフリカ・ピーターマリッツバーグから始まるこれからの抱負。
「壁は作らないようにと心がけています。長く続けていると、良いときも悪いときもありますが、常に進化して行ければいけないと思っています。
経済面は特に海外遠征を続けていると悩みが付きませんし、よりレースに専念する為には必要不可欠なものではあります。厳しいですが、応援してくださっているスポンサーの方々がいる限り頑張りたいです。もちろん、これから一緒に世界と戦ってくださる方が多くなれば嬉しい。
競技を続けている限り上を目指して走り、その活動を通じMTBの素晴らしさ、レースの楽しさが多くの皆さんにお伝え出来れば良いなと思っています」
末政実緒選手を知る女子選手たちのコメント
片山梨絵(SPECIALIZED)
― 初めて会った時の印象は?
「2004年の全日本選手権会場で、腰が低くて丁寧な女性で年齢よりも大人びて見えました」
― 今までの印象的なエピソードは?
「初めて遠征で部屋をシェアしたのが2004年の世界選手権で、シルバーメダルを取った時、それでも冷静なことに驚きました。レース前の緊張感と、終わった後の柔らかい笑顔のギャップがいつも印象的です。
― 末政さんのアスリートとしての才能は?
「自転車を操るテクニックが天才でそれを他人にも説明することができるので、天才の上に考えている。負けず嫌いで、自転車もレースも大好きなんです」
小林可奈子(MTBクラブ安曇野 KONA)
― レース等で初めて出会った場所と印象は?
「1999年アジア大陸選手権マレーシア大会でご一緒した時のこと。たぶん出会いは初めてではなかったと思いますが、記憶はここ。物静かで地味な子だなあ。という印象」
― 今までの印象的なエピソードは?
「2011年の冬に雑誌の取材でスノーシューを一緒にやった時のこと。雪深い中を踏み固めて歩かなければならない先頭を息も切らさずがんがんと登っていく姿に"真のアスリート"の姿を見ました。またこのスノーシューで林の中の劇坂を駆け下った際、とても楽しそうで、アグレッシブで、これまで一緒に遊んできた仲間の誰よりもパフォーマンスが高かったです。
その後シーズンイン直前のイベントでは2時間近くーお風呂で語り合って、彼女の「女性」らしい一面を発見。ますますファンになりました」
― 末政さんのアスリートとしての才能は?
「資質は身体、精神ともに優れていると思います。彼女のDHのために鍛え抜かれた身体は、その走りのための理想。なんでも楽しもうという常にポジティブな考え方は、どんな困難をも乗り越えられる力を持っていると思います。勝負に対する並々ならぬ強い思い、それこそが彼女のエネルギーでしょう」
interview:Akihiro.Nakano