2011/05/22(日) - 09:17
リエンツ~モンテ・ゾンコランの190kmで争われたジロ・デ・イタリア第14ステージ。悪名高い難関モンテ・ゾンコランを制したのはイゴール・アントン(スペイン、エウスカルテル・エウスカディ)。コンタドールは2位でゴールし、マリアローザを難なく守った。
ドロミテ山岳2日目は、いよいよ今大会のメインのひとつ、ゾンコラン峠が登場する。モンテ・ゾンコランは、どのサイクリストに聞いても「ヨーロッパで最も厳しい峠の一つ」という悪評の峠。スキー場へと向かう簡易舗装の平均勾配11.9%・最大勾配22%・登坂距離10.1kmという激坂の先がゴールになっている。
近年では2003年、2007年、2010年にジロに採用され、2003年と2007年はジルベルト・シモーニが、2010年はイヴァン・バッソが制している。
当初ステージに登場する予定だった1級山岳クロスティスのキャンセルが、直前になって発表された。こちらの批判記事にもあるように、「危険過ぎる」と開幕前からチーム関係者の大反発を受けていたクロスティス。登りの厳しさもさることながら、未舗装の下りが問題になっていた。
今大会の目玉の一つとしてあくまでもクロスティスに執着する主催者RCSスポルトは、下り区間を一部舗装し、危険なコーナーに緩衝材を付けるなどの策を講じた。しかしそれでもチームからの反発は収まらなかった。
チーム監督たちは5月18日にレースディレクターやUCIのスタッフとミーティングし、改めてクロスティスの危険性を訴えた。そしてレース前日になって、UCIのコミッセールはクロスティスをコースから外す決定をした。
ちなみに、当初の予定では、クロスティスの道の細さと下りの危険度から、ゴール前のラスト37.2kmはチームカーの乗り入れが禁止され、機材を持ったモーターバイクのみ入場OK。メディア関係者の入場も厳しく制限され、コースに入れるのはRAI(イタリア国営放送)のモトと、プール写真(代表写真)のフォトグラファーモトの2台だけという徹底ぶりだった。メカトラブルがあっても対応できず、そのためにレースを失う可能性があることも理由の一つだった。
結局、1級山岳クロスティスの中腹にあるテュアリスの街(2級山岳)まで登り、ゾンコランに向かって下るレイアウトに。距離は210kmから190kmに短縮され、スタート時間が50分遅らされた。
しかし、レースが大詰めを迎えたその段階で、テュアリス峠もカットされる事態になることを、誰が予測しただろう...。
選手たちはゾンコランに備えて極端なギアをセットしたバイクで走る。コンタドールで36x32T、別府史之で36x28Tというローギアは、まるでマウンテンバイクのものだ。
レースは晴天の中オーストリアのリエンツをスタート。まもなく逃げ出したのはブラム・タンキンク(オランダ、ラボバンク)、ジャンルーカ・ブランビッラ(イタリア、コルナゴ・CSFイノックス)、マッテオ・ラボッティーニ(イタリア、ファルネーゼヴィーニ・ネーリソットリ)の3人。約10分の差を持って逃げ続けることになる。
ステージ序盤、プロトンの最長老アンドレア・ノエ(イタリア、ファルネーゼヴィーニ・ネーリソットリ)がウイルス性腸炎のためリタイアしたという情報。このジロを引退レースとして決めていた42歳のノエが、あっけなくジロを去ってしまう。
突然コースが20㎞短縮される
ゾンコランまでは、逃げる3人に対して集団は計算しながら差を詰めていけばいいはずだった。しかし、事態は急変を告げる。
クロスティス峠の代替に設定されたテュアリス峠と、そのループ(周回ルート)が、起こった観客たちに道路封鎖のプロテスト(抗議)のためにカットされたという情報が伝えられたのは、ゴールまで33㎞の地点。いきなり20㎞がカットされたため、この時点でレースは残り13kmに変更になった。
この時点で逃げる3人との差は約6分。慌てたメイン集団は、リクイガスを中心に猛然と追走に入ることに。
ジロらしいお粗末なハプニングに、慌てたのは主催者たち。そしてコース誘導係が強引に選手たちを真っ直ぐにゾンコランの登り口へと導くが、コース間違いと勘違いして混乱する選手も見受けらた。
登りが始まって、ステファノ・ガルゼッリ(イタリア、アックア・エ・サポーネ)やカルロス・サストレ(スペイン、ジェオックス・TMC)が遅れたのは、戦意を喪失したからだろうか?
しかし、ここからの8kmは前の逃げを捕まえるに十分な距離と勾配だった。
タンキンクとブランビッラ、そしてラボッティーニに対して3分半ほどのタイム差でバトルを始める有力選手たち。ホアキン・ロドリゲス(スペイン、カチューシャ)のアタックに続いたイゴール・アントン(スペイン、エウスカルテル・エウスカディ)が快調に逃げ出す。
アントンにはコンタドールとスカルポーニが続き、3人で走る。勾配がきついため、差はなかなか広がらない。そしてアントンは2人を離してじわじわと先行する。
コンタドールとスカルポーニに追いついたのはニーバリ。そしてニーバリがペースを上げると、スカルポー二が遅れだす。自ら攻めないまでも、遅れることがないのがコンタドールだ。
残り2㎞を切って先頭のアントンがペースを上げ、差を一気に開く。コンタドールは総合2位につけるニーバリと方を並べて走るが、ときに話をして相談する様子さえ見せた。そして、残り1kmになるとニーバリを置いてアタックする。
30秒先行するバスク人アントン。その後方の、今日もイタリア人を打ち破って走るスペイン人のコンタドールには観客から「強すぎる」「手加減しろ」のブーイングが浴びせられる。そして快調と思われたコンタドールはラスト500mでいきなり失速し、ニーバリに追いつかれる。
後ろに迫るコンタドールを気にしつつも、危なげ無く逃げ切ったアントンがジャージを整えてフィニッシュ。ゾンコランの覇者となる。そして、総合を3位にジャンプアップさせた。
ニーバリに追いつかれたコンタドールは再び息を吹き返し、ゴールへと加速。結局はアントンに33秒遅れ、ニーバリに7秒先行してフィニッシュした。
ニーバリ、スカルポーニに続いたのはメンショフ。そして昨ステージでも気を吐いたジョン・ガドレ(アージェードゥーゼル)が6位に。そして総合を5位に上げた。
コンタドールは引き続き楽にピンクジャージを維持。しかし2位争いは僅差のままだ。
アントンにとっても、エウスカルテルにとってもジロでの優勝は初めてのことだ。アントンといえばブエルタ・ア・エスパーニャ2010の第4,11ステージの山岳を制し、総合リーダーになりながらも、第14ステージで落車して無念のリタイアを喫したことが記憶に新しい。イタリアでのグランツールのクイーンステージ制覇は、そのリベンジとなったようだ。
アントンのコメント
コンタドールを破る唯一の方法は、彼の動きに注目して、登りだけに集中すること。困難だったがチームと自分自身に借りがあった。エトナでは今日と同じフィーリングではなかった。今日は大いに自分賭けた。そして勝ったんだ!
上りのあいだじゅう、後ろを気にして見ていた。もっとも難しかったのはラスト5km。でもこれ以上無いぐらい集中してやりきったよ。
疑うこと無くこれは僕のキャリア最大の勝利。ジロは伝説的で、マルコ・パンターニは僕にとって神話なんだ。
僕の鎖骨と、大腿骨には金属プレートが入っている。そう、ドクターには感謝しなくちゃね。僕の復活にはいつも最善を尽くしてくれた。
もし、落車がなかったら僕はあのブエルタに勝つことができた。「たられば」はないけど、あの時僕は本当に強かったんだ。
第14ステージ結果
1位 イゴール・アントン(スペイン、エウスカルテル・エウスカディ) 5h04'26"
2位 アルベルト・コンタドール(スペイン、サクソバンク・サンガード)+33"
3位 ヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、リクイガス・キャノンデール)+40"
4位 ミケーレ・スカルポーニ(イタリア、ランプレ・ISD)+1'11"
5位 デニス・メンショフ(ロシア、ジェオックス・TMC)+1'21"
6位 ジョン・ガドレ(アージェードゥーゼル)+1'38"
7位 ミケルニエベ・イトゥラルデ(スペイン、エウスカルテル・エウスカディ)+1'52"
8位 ユベール・デュポン(フランス、アージェードゥーゼル)+1'55"
9位 カンスタンティン・シウトソウ(ベラルーシ、HTC・ハイロード)+2'05"
10位 ホセ・ルハノ(ベネズエラ、アンドローニ・ジョカトリ)+2'11"
57位別府史之(日本、レディオシャック)+12'07"
個人総合成績 マリアローザ
1位 アルベルト・コンタドール(スペイン、サクソバンク・サンガード)
2位 ヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、リクイガス・キャノンデール)+3'20"
3位 イゴール・アントン(スペイン、エウスカルテル・エウスカディ) +3'21"
4位 ミケーレ・スカルポーニ(イタリア、ランプレ・ISD)+4'06"
5位 ジョン・ガドレ(アージェードゥーゼル)+5'23"
6位 カンスタンティン・シウトソウ(ベラルーシ、HTC・ハイロード)+5'37"
7位 デニス・メンショフ(ロシア、ジェオックス・TMC)+6'06"
8位 ユベール・デュポン(フランス、アージェードゥーゼル)+6'12"
9位 ロマン・クロイツィゲル(チェコ、アスタナ)+6'40"
10位 ダビ・アローヨ(スペイン、モビスターチーム)+6'43"
ポイント賞 マリアロッサ・パッシオーネ
アルベルト・コンタドール(スペイン、サクソバンク・サンガード)
山岳賞 マリアヴェルデ
アルベルト・コンタドール(スペイン、サクソバンク・サンガード)
新人賞 マリアビアンカ
ロマン・クロイツィゲル(チェコ、アスタナ)
チーム総合成績
アスタナ
text:Makoto.AYANO
photo:Kei Tsuji,Riccardo Scanferla,CorVos
ドロミテ山岳2日目は、いよいよ今大会のメインのひとつ、ゾンコラン峠が登場する。モンテ・ゾンコランは、どのサイクリストに聞いても「ヨーロッパで最も厳しい峠の一つ」という悪評の峠。スキー場へと向かう簡易舗装の平均勾配11.9%・最大勾配22%・登坂距離10.1kmという激坂の先がゴールになっている。
近年では2003年、2007年、2010年にジロに採用され、2003年と2007年はジルベルト・シモーニが、2010年はイヴァン・バッソが制している。
当初ステージに登場する予定だった1級山岳クロスティスのキャンセルが、直前になって発表された。こちらの批判記事にもあるように、「危険過ぎる」と開幕前からチーム関係者の大反発を受けていたクロスティス。登りの厳しさもさることながら、未舗装の下りが問題になっていた。
今大会の目玉の一つとしてあくまでもクロスティスに執着する主催者RCSスポルトは、下り区間を一部舗装し、危険なコーナーに緩衝材を付けるなどの策を講じた。しかしそれでもチームからの反発は収まらなかった。
チーム監督たちは5月18日にレースディレクターやUCIのスタッフとミーティングし、改めてクロスティスの危険性を訴えた。そしてレース前日になって、UCIのコミッセールはクロスティスをコースから外す決定をした。
ちなみに、当初の予定では、クロスティスの道の細さと下りの危険度から、ゴール前のラスト37.2kmはチームカーの乗り入れが禁止され、機材を持ったモーターバイクのみ入場OK。メディア関係者の入場も厳しく制限され、コースに入れるのはRAI(イタリア国営放送)のモトと、プール写真(代表写真)のフォトグラファーモトの2台だけという徹底ぶりだった。メカトラブルがあっても対応できず、そのためにレースを失う可能性があることも理由の一つだった。
結局、1級山岳クロスティスの中腹にあるテュアリスの街(2級山岳)まで登り、ゾンコランに向かって下るレイアウトに。距離は210kmから190kmに短縮され、スタート時間が50分遅らされた。
しかし、レースが大詰めを迎えたその段階で、テュアリス峠もカットされる事態になることを、誰が予測しただろう...。
選手たちはゾンコランに備えて極端なギアをセットしたバイクで走る。コンタドールで36x32T、別府史之で36x28Tというローギアは、まるでマウンテンバイクのものだ。
レースは晴天の中オーストリアのリエンツをスタート。まもなく逃げ出したのはブラム・タンキンク(オランダ、ラボバンク)、ジャンルーカ・ブランビッラ(イタリア、コルナゴ・CSFイノックス)、マッテオ・ラボッティーニ(イタリア、ファルネーゼヴィーニ・ネーリソットリ)の3人。約10分の差を持って逃げ続けることになる。
ステージ序盤、プロトンの最長老アンドレア・ノエ(イタリア、ファルネーゼヴィーニ・ネーリソットリ)がウイルス性腸炎のためリタイアしたという情報。このジロを引退レースとして決めていた42歳のノエが、あっけなくジロを去ってしまう。
突然コースが20㎞短縮される
ゾンコランまでは、逃げる3人に対して集団は計算しながら差を詰めていけばいいはずだった。しかし、事態は急変を告げる。
クロスティス峠の代替に設定されたテュアリス峠と、そのループ(周回ルート)が、起こった観客たちに道路封鎖のプロテスト(抗議)のためにカットされたという情報が伝えられたのは、ゴールまで33㎞の地点。いきなり20㎞がカットされたため、この時点でレースは残り13kmに変更になった。
この時点で逃げる3人との差は約6分。慌てたメイン集団は、リクイガスを中心に猛然と追走に入ることに。
ジロらしいお粗末なハプニングに、慌てたのは主催者たち。そしてコース誘導係が強引に選手たちを真っ直ぐにゾンコランの登り口へと導くが、コース間違いと勘違いして混乱する選手も見受けらた。
登りが始まって、ステファノ・ガルゼッリ(イタリア、アックア・エ・サポーネ)やカルロス・サストレ(スペイン、ジェオックス・TMC)が遅れたのは、戦意を喪失したからだろうか?
しかし、ここからの8kmは前の逃げを捕まえるに十分な距離と勾配だった。
タンキンクとブランビッラ、そしてラボッティーニに対して3分半ほどのタイム差でバトルを始める有力選手たち。ホアキン・ロドリゲス(スペイン、カチューシャ)のアタックに続いたイゴール・アントン(スペイン、エウスカルテル・エウスカディ)が快調に逃げ出す。
アントンにはコンタドールとスカルポーニが続き、3人で走る。勾配がきついため、差はなかなか広がらない。そしてアントンは2人を離してじわじわと先行する。
コンタドールとスカルポーニに追いついたのはニーバリ。そしてニーバリがペースを上げると、スカルポー二が遅れだす。自ら攻めないまでも、遅れることがないのがコンタドールだ。
残り2㎞を切って先頭のアントンがペースを上げ、差を一気に開く。コンタドールは総合2位につけるニーバリと方を並べて走るが、ときに話をして相談する様子さえ見せた。そして、残り1kmになるとニーバリを置いてアタックする。
30秒先行するバスク人アントン。その後方の、今日もイタリア人を打ち破って走るスペイン人のコンタドールには観客から「強すぎる」「手加減しろ」のブーイングが浴びせられる。そして快調と思われたコンタドールはラスト500mでいきなり失速し、ニーバリに追いつかれる。
後ろに迫るコンタドールを気にしつつも、危なげ無く逃げ切ったアントンがジャージを整えてフィニッシュ。ゾンコランの覇者となる。そして、総合を3位にジャンプアップさせた。
ニーバリに追いつかれたコンタドールは再び息を吹き返し、ゴールへと加速。結局はアントンに33秒遅れ、ニーバリに7秒先行してフィニッシュした。
ニーバリ、スカルポーニに続いたのはメンショフ。そして昨ステージでも気を吐いたジョン・ガドレ(アージェードゥーゼル)が6位に。そして総合を5位に上げた。
コンタドールは引き続き楽にピンクジャージを維持。しかし2位争いは僅差のままだ。
アントンにとっても、エウスカルテルにとってもジロでの優勝は初めてのことだ。アントンといえばブエルタ・ア・エスパーニャ2010の第4,11ステージの山岳を制し、総合リーダーになりながらも、第14ステージで落車して無念のリタイアを喫したことが記憶に新しい。イタリアでのグランツールのクイーンステージ制覇は、そのリベンジとなったようだ。
アントンのコメント
コンタドールを破る唯一の方法は、彼の動きに注目して、登りだけに集中すること。困難だったがチームと自分自身に借りがあった。エトナでは今日と同じフィーリングではなかった。今日は大いに自分賭けた。そして勝ったんだ!
上りのあいだじゅう、後ろを気にして見ていた。もっとも難しかったのはラスト5km。でもこれ以上無いぐらい集中してやりきったよ。
疑うこと無くこれは僕のキャリア最大の勝利。ジロは伝説的で、マルコ・パンターニは僕にとって神話なんだ。
僕の鎖骨と、大腿骨には金属プレートが入っている。そう、ドクターには感謝しなくちゃね。僕の復活にはいつも最善を尽くしてくれた。
もし、落車がなかったら僕はあのブエルタに勝つことができた。「たられば」はないけど、あの時僕は本当に強かったんだ。
第14ステージ結果
1位 イゴール・アントン(スペイン、エウスカルテル・エウスカディ) 5h04'26"
2位 アルベルト・コンタドール(スペイン、サクソバンク・サンガード)+33"
3位 ヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、リクイガス・キャノンデール)+40"
4位 ミケーレ・スカルポーニ(イタリア、ランプレ・ISD)+1'11"
5位 デニス・メンショフ(ロシア、ジェオックス・TMC)+1'21"
6位 ジョン・ガドレ(アージェードゥーゼル)+1'38"
7位 ミケルニエベ・イトゥラルデ(スペイン、エウスカルテル・エウスカディ)+1'52"
8位 ユベール・デュポン(フランス、アージェードゥーゼル)+1'55"
9位 カンスタンティン・シウトソウ(ベラルーシ、HTC・ハイロード)+2'05"
10位 ホセ・ルハノ(ベネズエラ、アンドローニ・ジョカトリ)+2'11"
57位別府史之(日本、レディオシャック)+12'07"
個人総合成績 マリアローザ
1位 アルベルト・コンタドール(スペイン、サクソバンク・サンガード)
2位 ヴィンチェンツォ・ニーバリ(イタリア、リクイガス・キャノンデール)+3'20"
3位 イゴール・アントン(スペイン、エウスカルテル・エウスカディ) +3'21"
4位 ミケーレ・スカルポーニ(イタリア、ランプレ・ISD)+4'06"
5位 ジョン・ガドレ(アージェードゥーゼル)+5'23"
6位 カンスタンティン・シウトソウ(ベラルーシ、HTC・ハイロード)+5'37"
7位 デニス・メンショフ(ロシア、ジェオックス・TMC)+6'06"
8位 ユベール・デュポン(フランス、アージェードゥーゼル)+6'12"
9位 ロマン・クロイツィゲル(チェコ、アスタナ)+6'40"
10位 ダビ・アローヨ(スペイン、モビスターチーム)+6'43"
ポイント賞 マリアロッサ・パッシオーネ
アルベルト・コンタドール(スペイン、サクソバンク・サンガード)
山岳賞 マリアヴェルデ
アルベルト・コンタドール(スペイン、サクソバンク・サンガード)
新人賞 マリアビアンカ
ロマン・クロイツィゲル(チェコ、アスタナ)
チーム総合成績
アスタナ
text:Makoto.AYANO
photo:Kei Tsuji,Riccardo Scanferla,CorVos
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