2011/05/11(水) - 13:37
5月10日、ジロ・デ・イタリア第4ステージは、前日第3ステージに落車事故で命を落としたワウテル・ウェイラント(ベルギー、レオパード・トレック)の追悼レースとして行われた。ゴールの着順を含むすべてのリザルトを争わないニュートラル走行となった。
クアルト・デイ・ミッレ~リヴォルノのコースは、ティレニア海に沿ってジェノヴァからリヴォルノまで、イタリア半島西岸を南下。途中ピサの斜塔の近くを通り、4級山岳カステラッチョで折り返して港町リヴォルノにゴールする216kmだ。競わないニュートラル走行により、時速30km程度のローリング走行だ。
スタート前の会場には音楽も、お祭り的な催しも、シャンパンもなく、静かに選手たちが集まった。このステージを追悼走行とすることは選手たちが話し合いの上で決め、主催者もそれに同意する形で行われた。
スタートから各チームが平等に10kmほどを交代しながら走り、ゴールはレオパード・トレックの選手たちを先頭にゴールするという取り決めがなされた。
ウェイラントが1年前のジロ・デ・イタリア第3ステージで優勝した日のちょうど1年後にあたる5月10日が、追悼レースとなった。スタート前にはレオパード・トレックの選手たちが前に、そして各賞ジャージを着た4人が後ろに並び、1分間の黙祷を捧げた。
この日、沿道ではいつもと変わらない観客がジロを見守った。ウェイラントへのメッセージと、彼のレースナンバーである108番を掲げる姿も多く見られた。
リヴォルノへのゴールはレオパード・トレックの選手たちが前に出て横一線に並ぶ。その中にはウェイラントの親友であるタイラー・ファラー(アメリカ、ガーミン・サーヴェロ)も加わった。ファラーはすでに悲しみを理由にこの日を最後にジロを離脱することを発表している。ファラーを含め、多くの選手が涙を流す姿が見られた。
ゴール後の表彰式はなく、レオパード・トレックの全選手と、各賞ジャージを着た選手がポディウムにあがり、黙祷が捧げられた。
この日、ベルギーのヘントからはウェイラントのガールフレンド アン・ソフィーさんら肉親が事故の起こったボッコ峠に献花を行った。
ステージ終了後、レオパード・トレックはジロ・デ・イタリアを去ることを発表した。
撤退にあたって、レオパード・トレックは次のような声明を出した。
「レオパード・トレックの選手たちは、チームメイトでもある友人でもあるワウテル・ウェイラントの悲劇的な事故により、今夜でジロ・デ・イタリアを離れることをお伝えします。レオパード・トレックの監督とスタッフ一同は、選手たちのこの選択を支持します」。
ブライアン・ニガードGM「決定するのは選手たちでなければならなかった。レースに参加しているのは彼らなのだから。我々はいつでも、その選択を支持する立場にある」
「他のすべてのチーム、オーガナイザーのRCS、イタリア当局、そして今日のジェノヴァ~リヴォルノ間の沿道のファンに、ワウテル・ウェイラントを追悼してくれたことを感謝したい」
ファビアン・ウェーグマン「ジロ・デ・イタリアと自転車競技に敬意を払いたい。でも、この状況でぼくたちがレースを続けるのは無理だ。ぼくたちはプロのアスリートだけれど、こうするべきだと思っている」
スタート前のニガードGMは次のようにコメントしている。
「我々の仕事は、選手たちに寄り添って、このつらい状況で最適な判断を下すことだ。我々の見解では、スタートすることが重要だ。遺族の要望もあるし、チームにとっても重要なことだから。我々の人生がここにあるんだ。
つらい状況だった。遺族は昨夜と今朝、チームと一緒にいて、とても悲痛な時を過ごした。この時遺族を支えた選手たちを誇らしく思う。なかなかできることじゃない。
つらい時には共にいて、悲しみや感情をチームメイトや他チームの仲間たちやファンと分かち合うことも重要だ。
今日のような日には、抱えている問題をすべて脇に置き、自転車競技界は1つの家族のようにふるまう。友人や仲間と共にいることが必要だ。ひとりでいるべき日ではない。同じ道に一緒にいる、それを示すことが、選手たちにできる一番のサポートだ」。
翌第5ステージは通常どおりレースが行われる予定だ。昨年、雨で過酷な泥道となったストラーデ・ビアンケのダート区間が選手たちを待ち受ける。
text:Makoto.AYANO
photo : Kei Tsuji, Riccardo Scanferla,CorVos
クアルト・デイ・ミッレ~リヴォルノのコースは、ティレニア海に沿ってジェノヴァからリヴォルノまで、イタリア半島西岸を南下。途中ピサの斜塔の近くを通り、4級山岳カステラッチョで折り返して港町リヴォルノにゴールする216kmだ。競わないニュートラル走行により、時速30km程度のローリング走行だ。
スタート前の会場には音楽も、お祭り的な催しも、シャンパンもなく、静かに選手たちが集まった。このステージを追悼走行とすることは選手たちが話し合いの上で決め、主催者もそれに同意する形で行われた。
スタートから各チームが平等に10kmほどを交代しながら走り、ゴールはレオパード・トレックの選手たちを先頭にゴールするという取り決めがなされた。
ウェイラントが1年前のジロ・デ・イタリア第3ステージで優勝した日のちょうど1年後にあたる5月10日が、追悼レースとなった。スタート前にはレオパード・トレックの選手たちが前に、そして各賞ジャージを着た4人が後ろに並び、1分間の黙祷を捧げた。
この日、沿道ではいつもと変わらない観客がジロを見守った。ウェイラントへのメッセージと、彼のレースナンバーである108番を掲げる姿も多く見られた。
リヴォルノへのゴールはレオパード・トレックの選手たちが前に出て横一線に並ぶ。その中にはウェイラントの親友であるタイラー・ファラー(アメリカ、ガーミン・サーヴェロ)も加わった。ファラーはすでに悲しみを理由にこの日を最後にジロを離脱することを発表している。ファラーを含め、多くの選手が涙を流す姿が見られた。
ゴール後の表彰式はなく、レオパード・トレックの全選手と、各賞ジャージを着た選手がポディウムにあがり、黙祷が捧げられた。
この日、ベルギーのヘントからはウェイラントのガールフレンド アン・ソフィーさんら肉親が事故の起こったボッコ峠に献花を行った。
ステージ終了後、レオパード・トレックはジロ・デ・イタリアを去ることを発表した。
撤退にあたって、レオパード・トレックは次のような声明を出した。
「レオパード・トレックの選手たちは、チームメイトでもある友人でもあるワウテル・ウェイラントの悲劇的な事故により、今夜でジロ・デ・イタリアを離れることをお伝えします。レオパード・トレックの監督とスタッフ一同は、選手たちのこの選択を支持します」。
ブライアン・ニガードGM「決定するのは選手たちでなければならなかった。レースに参加しているのは彼らなのだから。我々はいつでも、その選択を支持する立場にある」
「他のすべてのチーム、オーガナイザーのRCS、イタリア当局、そして今日のジェノヴァ~リヴォルノ間の沿道のファンに、ワウテル・ウェイラントを追悼してくれたことを感謝したい」
ファビアン・ウェーグマン「ジロ・デ・イタリアと自転車競技に敬意を払いたい。でも、この状況でぼくたちがレースを続けるのは無理だ。ぼくたちはプロのアスリートだけれど、こうするべきだと思っている」
スタート前のニガードGMは次のようにコメントしている。
「我々の仕事は、選手たちに寄り添って、このつらい状況で最適な判断を下すことだ。我々の見解では、スタートすることが重要だ。遺族の要望もあるし、チームにとっても重要なことだから。我々の人生がここにあるんだ。
つらい状況だった。遺族は昨夜と今朝、チームと一緒にいて、とても悲痛な時を過ごした。この時遺族を支えた選手たちを誇らしく思う。なかなかできることじゃない。
つらい時には共にいて、悲しみや感情をチームメイトや他チームの仲間たちやファンと分かち合うことも重要だ。
今日のような日には、抱えている問題をすべて脇に置き、自転車競技界は1つの家族のようにふるまう。友人や仲間と共にいることが必要だ。ひとりでいるべき日ではない。同じ道に一緒にいる、それを示すことが、選手たちにできる一番のサポートだ」。
翌第5ステージは通常どおりレースが行われる予定だ。昨年、雨で過酷な泥道となったストラーデ・ビアンケのダート区間が選手たちを待ち受ける。
text:Makoto.AYANO
photo : Kei Tsuji, Riccardo Scanferla,CorVos
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