2009/04/12(日) - 19:41
あらゆる走りに対応できる力、上昇志向の性格、そして強運をも兼ね備える選手、それが角令央奈だ。
3年前、超高校生級選手として鹿屋体育大学へ入学。そしていま、大学生のレベルを超えた角は競輪の道を選んだ。
来月の5月27日に日本競輪学校98回生として入学する角は、数々の国内大会で優勝、さらに海外大会、世界選手権に出場してきた。トラックのスプリントから長丁場のロードレースまで、すべてにトップレベルでこなしてきた。
トップレベルの大会に出て、トップレベルの選手たちと走り、話し、そして自身で決めたこと、それは大学を3年次で中退して競輪学校へ入学することだった。
なぜ、いま、このタイミングでこの進路を選択したのか。
これから何を目指すのか。
数々の実績をひっさげて競輪学校へ入学する角は今でもスター選手だ。でも数年後には間違いなく日本を代表するスーパースターになる。
Cyclowired.jpは角の実家を訪問し、入学前の角から今後の抱負など聞いた。
また、恩師のひとり、鹿屋体育大学の黒川剛監督からのメッセージも文末に紹介する。
プロフィール
角 令央奈 すみ れおな
兵庫県加東市出身、1987年4月20日生まれ
国立兵庫教育大学附属小・中学校を経て
日生学園第三高等学校から国立鹿屋体育大学へ進学
2009年5月日本競輪学校98回生として入学予定
主な戦績
2004年 国体ロード優勝
2005年 インターハイ3km個抜優勝(3分31秒108、現・日本高校記録)、ジュニア世界戦ロード代表、アジアジュニア選ポイント2位・団抜き3位、国体ポイント優勝
2006年 アジア大会団抜き4位(内田・西谷・盛・角、4分19秒853)、ツアー・オブ・サウスチャイナシー総合ポイント2位、国体ポイント優勝
2007年 全日本学生ロード優勝、国体ポイント優勝、ツール・ド・北海道U23賞、世界戦オムニアム17位
2008年 アジア選スクラッチ優勝、インカレロード優勝、国体ポイント優勝
角の実家はレース開催地で知られる兵庫県立播磨中央公園のすぐ隣にある。そこへ至る500m程の坂は足腰を鍛えるに十分なもの。それは今の頑丈な体と決して無縁ではないだろう。一ヵ月後の競輪学校入学までのしばしの間、角はこの実家で過ごす。
今はどうやって過ごしていますか?
プロになったらオフが無いので、最後のオフと思って好きなようにやっています。練習はもちろんしていますが、今はロードで地脚をつくること、競輪学校入学までは今までどおりのロード練習をします。何よりも入学後は脚力によってクラス分けがあるから、白キャップを取るべく練習しています。
競輪学校入学後は何を目指す?
今まで中長距離をやっていたので、短距離だけを専門にやるのは実は今回が初めてです。始めてみて自分がどれだけ伸びたのか、伸び率を知りたいです。とにかく目の前の競輪で頑張る、先行型の選手でやりたい。それはポイントレースなどの競技にも生きるから、先行でいけるとこまで行きたい。在校成績や勝ち数を気にせず、とにかく先行型で走りたいです。
今までの経歴をざっと聞かせてもらえますか?
小さい頃から自転車が好きでした。よくママチャリに乗っていました。小中学校は国立兵庫教育大学附属です。父が制服の紺色の帽子がかわいくて選んだそうです。高校は現・姫路市にある全寮制の日生学園第三高校。「こいつ、なんかやるんちゃうか」と思ったらしい自転車競技部顧問の小山先生と出会って入学、入部しました。これが自分の人生での大きなターニングポイントでした。事前に見学会で自転車競技部を見に行ったときの運命の出会いです。今でも連絡しています。小山先生から電話かかってきたら今でも心臓がどきどきするくらい、厳しいけれど素晴らしい指導でした。
そして大学は国立鹿屋体育大学ですね
国立で自転車部があるということで、親と小山先生で決めました。東京の大学に行ったら、お前は遊ぶからと言われて…。高校としても初めての国立体育系だったので推してくれました。大学は2年間寮でその後アパート暮らしでした。寮と言っても個室で、高校時代の二段ベッド20人大部屋を経験していたので快適でした。
鹿屋はいいところでした。老後は鹿屋に住みたいくらい(笑)。温暖で物価も安くて。大学の風土、寮、部、それぞれの場面において、自分で考えて自分のことをする、先輩後輩の関係も緩やか、そういうところが良かったです。応援の仕方も楽しくて、どのレースも、どこへ行ってもまるで旅行のようでした。
大学時代、印象に残ることは?
1年生のときのインカレですね。とにかく出られるレースは全て出た、まるでオムニアムのレースのようでした。スプリントからロードまで出てしんどかったけれど。ロードレースは修善寺のCSCでした。黒川さん(監督)に1周目で降ります、と言ったけれど、ゼロキロアタックで最初から先輩の中島康晴さん(このレースで優勝、現・梅丹本舗)と逃げて、下りだけ引っ張って、100キロのうち50キロまで引っ張りました。意識が飛びましたね、秀峰亭の補給地点などで。それが一番の思い出です。
大学時代はどう過ごしていた?
初めはトラックをメインに考えて、自分なりに目標タイムを設定しました。それを出せばロードでも勝てると思ったので。なかなか出すことはできませんでしたが。3年間はほとんど部員と一緒でした。オフもほかの人たちとは日程が合わないので部員といつも一緒。合宿も、遠征も。夏なんか遠征で鹿屋にいなかったし。
監督の黒川さんは、表現が適切でないかもしれないけれど、友達のような存在です。2人で呑みに行くし。自転車をやっていたようだけど、自分のことはあまり言わないんです。本当に自転車が大好きで、普通なら抑えるところをもっと練習やれと言う。黒川さんはみんなから愛されていると思います。
大学時代にやりたかったことは?
トラックでタイムを出したかったことです。なかなか出せませんでしたが。愛三工業の西谷さんを見ていると、ロード基本でやっていてスピードが出せている。西谷さんはレースを楽しんでいる、だけど自分に厳しい。ロードで言えば西谷さんみたいな人になりたいです。競輪の世界はこれから勉強するところなので、目標などはこれから決まると思います。第一、自分の競輪での走りもまだ知らないので。
出場できなかった北京オリンピックについては?
国体やインカレは走っていて楽しかったです。でも、世界戦は厳しかった。楽しめなくて、焦って、肉体と精神両方、見た目でもうだめと、まったく別のレースでした。意外と自分はビビリなんです。
そしてその上のオリンピックは、3年次ちょうどで北京だったし、入学のときから目標にしていました。でも、オリンピックにつながるレースでいい結果が出せなかった。それほど貢献できなかった、迷惑ばかり掛けたと思います。振り返ると。それほどにオリンピックは大きいもので、これくらいの力の入れようでは出られるわけが無い、もっとやらないとオリンピックには出られない、そう思いました。中長距離では飯島さん、盛さんの次を走らせてもらいましたが、軽々しくオリンピックを口にするものではない、今の自分が言うと頑張っている飯島さんと盛さんに失礼になります。
08年のアジア選で優勝しましたが
確かに昨年4月の奈良ではスクラッチで優勝しました。でもその直前の世界戦では、オムニアムで1km1分07秒743、3km3分29秒598(自己ベスト)を出しても結果は17位と厳しかったし、その後の今年3月の世界戦には出場もできませんでした。力が足りなかったのだと思います。だからもっと力をつけて、もっといいタイムを出して、世界戦など選ばれるに相応しい選手になりたいです。
では競輪に進んだ理由は?
競輪へは高校のときから行きたい気持ちはありました。でも、北京オリンピックがちょうど大学3年のときにある。そして鹿屋体育大学がある。ならば大学でオリンピックを目指そうとやってきました。結果は先ほど話したとおりで、ならばもっと自分の脚で可能性を確かめたい、その先では競技も続けたい、一刻も早く。これが理由です。当然この3年次でやめるということに、多くの関係者にご迷惑をかけました。とりわけ黒川さんにはとてもお世話になりました。本当に、何もかも全てやっていただきました。感謝しています。
今後、世界戦やオリンピックは?
競輪選手になったら、まず目の前のこと、競輪を一生懸命やります。先行一本でやるのですぐには上に上がれないでしょうけど、なるべく早く上に上がりたい。2、3年であるレベルに上がって周りが見えるようになったら、自転車競技を頑張りたい。近プロ、全プロですね。種目はポイントレースのように競うものです。逆に個人追い抜きやスプリントは難しいと思います。そしてアジア選、アジア大会やそれ以上の大会は、もちろん目指したいけれど、今は何かを言う立場ではありません。
読者へ一言お願いします
中長距離をやってきても、競輪での可能性があることを示したい、そう考えています。中長距離出身でも成功している人はいます。これから、まず競輪の世界で頑張ります。応援よろしくお願いします。
鹿屋体育大学自転車競技部 黒川剛監督から
競技レベルが学生の枠に収まらずプロの世界へ飛び込むことになりました。
チームとは円満な状態での進路変更であり、これからも鹿屋に籍を置いた者として大学、チーム、OB・OGらと連携し日本の自転車界の発展に役立ってくれるはずです。
短距離から長距離までオールラウンドに走れる素晴らしい能力と、明るくスター性もある選手なので、競輪でも数年後は充分目立った活躍をしてくれるでしょう。
個人的には将来ヨーロッパでロードを走る姿を見たかったのですが、今後は競輪と両立しながらオリンピックのポイントレースでメダルを狙って欲しいし、令央奈だからこそ充分その可能性があると信じています。
3年前、超高校生級選手として鹿屋体育大学へ入学。そしていま、大学生のレベルを超えた角は競輪の道を選んだ。
来月の5月27日に日本競輪学校98回生として入学する角は、数々の国内大会で優勝、さらに海外大会、世界選手権に出場してきた。トラックのスプリントから長丁場のロードレースまで、すべてにトップレベルでこなしてきた。
トップレベルの大会に出て、トップレベルの選手たちと走り、話し、そして自身で決めたこと、それは大学を3年次で中退して競輪学校へ入学することだった。
なぜ、いま、このタイミングでこの進路を選択したのか。
これから何を目指すのか。
数々の実績をひっさげて競輪学校へ入学する角は今でもスター選手だ。でも数年後には間違いなく日本を代表するスーパースターになる。
Cyclowired.jpは角の実家を訪問し、入学前の角から今後の抱負など聞いた。
また、恩師のひとり、鹿屋体育大学の黒川剛監督からのメッセージも文末に紹介する。
プロフィール
角 令央奈 すみ れおな
兵庫県加東市出身、1987年4月20日生まれ
国立兵庫教育大学附属小・中学校を経て
日生学園第三高等学校から国立鹿屋体育大学へ進学
2009年5月日本競輪学校98回生として入学予定
主な戦績
2004年 国体ロード優勝
2005年 インターハイ3km個抜優勝(3分31秒108、現・日本高校記録)、ジュニア世界戦ロード代表、アジアジュニア選ポイント2位・団抜き3位、国体ポイント優勝
2006年 アジア大会団抜き4位(内田・西谷・盛・角、4分19秒853)、ツアー・オブ・サウスチャイナシー総合ポイント2位、国体ポイント優勝
2007年 全日本学生ロード優勝、国体ポイント優勝、ツール・ド・北海道U23賞、世界戦オムニアム17位
2008年 アジア選スクラッチ優勝、インカレロード優勝、国体ポイント優勝
角の実家はレース開催地で知られる兵庫県立播磨中央公園のすぐ隣にある。そこへ至る500m程の坂は足腰を鍛えるに十分なもの。それは今の頑丈な体と決して無縁ではないだろう。一ヵ月後の競輪学校入学までのしばしの間、角はこの実家で過ごす。
今はどうやって過ごしていますか?
プロになったらオフが無いので、最後のオフと思って好きなようにやっています。練習はもちろんしていますが、今はロードで地脚をつくること、競輪学校入学までは今までどおりのロード練習をします。何よりも入学後は脚力によってクラス分けがあるから、白キャップを取るべく練習しています。
競輪学校入学後は何を目指す?
今まで中長距離をやっていたので、短距離だけを専門にやるのは実は今回が初めてです。始めてみて自分がどれだけ伸びたのか、伸び率を知りたいです。とにかく目の前の競輪で頑張る、先行型の選手でやりたい。それはポイントレースなどの競技にも生きるから、先行でいけるとこまで行きたい。在校成績や勝ち数を気にせず、とにかく先行型で走りたいです。
今までの経歴をざっと聞かせてもらえますか?
小さい頃から自転車が好きでした。よくママチャリに乗っていました。小中学校は国立兵庫教育大学附属です。父が制服の紺色の帽子がかわいくて選んだそうです。高校は現・姫路市にある全寮制の日生学園第三高校。「こいつ、なんかやるんちゃうか」と思ったらしい自転車競技部顧問の小山先生と出会って入学、入部しました。これが自分の人生での大きなターニングポイントでした。事前に見学会で自転車競技部を見に行ったときの運命の出会いです。今でも連絡しています。小山先生から電話かかってきたら今でも心臓がどきどきするくらい、厳しいけれど素晴らしい指導でした。
そして大学は国立鹿屋体育大学ですね
国立で自転車部があるということで、親と小山先生で決めました。東京の大学に行ったら、お前は遊ぶからと言われて…。高校としても初めての国立体育系だったので推してくれました。大学は2年間寮でその後アパート暮らしでした。寮と言っても個室で、高校時代の二段ベッド20人大部屋を経験していたので快適でした。
鹿屋はいいところでした。老後は鹿屋に住みたいくらい(笑)。温暖で物価も安くて。大学の風土、寮、部、それぞれの場面において、自分で考えて自分のことをする、先輩後輩の関係も緩やか、そういうところが良かったです。応援の仕方も楽しくて、どのレースも、どこへ行ってもまるで旅行のようでした。
大学時代、印象に残ることは?
1年生のときのインカレですね。とにかく出られるレースは全て出た、まるでオムニアムのレースのようでした。スプリントからロードまで出てしんどかったけれど。ロードレースは修善寺のCSCでした。黒川さん(監督)に1周目で降ります、と言ったけれど、ゼロキロアタックで最初から先輩の中島康晴さん(このレースで優勝、現・梅丹本舗)と逃げて、下りだけ引っ張って、100キロのうち50キロまで引っ張りました。意識が飛びましたね、秀峰亭の補給地点などで。それが一番の思い出です。
大学時代はどう過ごしていた?
初めはトラックをメインに考えて、自分なりに目標タイムを設定しました。それを出せばロードでも勝てると思ったので。なかなか出すことはできませんでしたが。3年間はほとんど部員と一緒でした。オフもほかの人たちとは日程が合わないので部員といつも一緒。合宿も、遠征も。夏なんか遠征で鹿屋にいなかったし。
監督の黒川さんは、表現が適切でないかもしれないけれど、友達のような存在です。2人で呑みに行くし。自転車をやっていたようだけど、自分のことはあまり言わないんです。本当に自転車が大好きで、普通なら抑えるところをもっと練習やれと言う。黒川さんはみんなから愛されていると思います。
大学時代にやりたかったことは?
トラックでタイムを出したかったことです。なかなか出せませんでしたが。愛三工業の西谷さんを見ていると、ロード基本でやっていてスピードが出せている。西谷さんはレースを楽しんでいる、だけど自分に厳しい。ロードで言えば西谷さんみたいな人になりたいです。競輪の世界はこれから勉強するところなので、目標などはこれから決まると思います。第一、自分の競輪での走りもまだ知らないので。
出場できなかった北京オリンピックについては?
国体やインカレは走っていて楽しかったです。でも、世界戦は厳しかった。楽しめなくて、焦って、肉体と精神両方、見た目でもうだめと、まったく別のレースでした。意外と自分はビビリなんです。
そしてその上のオリンピックは、3年次ちょうどで北京だったし、入学のときから目標にしていました。でも、オリンピックにつながるレースでいい結果が出せなかった。それほど貢献できなかった、迷惑ばかり掛けたと思います。振り返ると。それほどにオリンピックは大きいもので、これくらいの力の入れようでは出られるわけが無い、もっとやらないとオリンピックには出られない、そう思いました。中長距離では飯島さん、盛さんの次を走らせてもらいましたが、軽々しくオリンピックを口にするものではない、今の自分が言うと頑張っている飯島さんと盛さんに失礼になります。
08年のアジア選で優勝しましたが
確かに昨年4月の奈良ではスクラッチで優勝しました。でもその直前の世界戦では、オムニアムで1km1分07秒743、3km3分29秒598(自己ベスト)を出しても結果は17位と厳しかったし、その後の今年3月の世界戦には出場もできませんでした。力が足りなかったのだと思います。だからもっと力をつけて、もっといいタイムを出して、世界戦など選ばれるに相応しい選手になりたいです。
では競輪に進んだ理由は?
競輪へは高校のときから行きたい気持ちはありました。でも、北京オリンピックがちょうど大学3年のときにある。そして鹿屋体育大学がある。ならば大学でオリンピックを目指そうとやってきました。結果は先ほど話したとおりで、ならばもっと自分の脚で可能性を確かめたい、その先では競技も続けたい、一刻も早く。これが理由です。当然この3年次でやめるということに、多くの関係者にご迷惑をかけました。とりわけ黒川さんにはとてもお世話になりました。本当に、何もかも全てやっていただきました。感謝しています。
今後、世界戦やオリンピックは?
競輪選手になったら、まず目の前のこと、競輪を一生懸命やります。先行一本でやるのですぐには上に上がれないでしょうけど、なるべく早く上に上がりたい。2、3年であるレベルに上がって周りが見えるようになったら、自転車競技を頑張りたい。近プロ、全プロですね。種目はポイントレースのように競うものです。逆に個人追い抜きやスプリントは難しいと思います。そしてアジア選、アジア大会やそれ以上の大会は、もちろん目指したいけれど、今は何かを言う立場ではありません。
読者へ一言お願いします
中長距離をやってきても、競輪での可能性があることを示したい、そう考えています。中長距離出身でも成功している人はいます。これから、まず競輪の世界で頑張ります。応援よろしくお願いします。
鹿屋体育大学自転車競技部 黒川剛監督から
競技レベルが学生の枠に収まらずプロの世界へ飛び込むことになりました。
チームとは円満な状態での進路変更であり、これからも鹿屋に籍を置いた者として大学、チーム、OB・OGらと連携し日本の自転車界の発展に役立ってくれるはずです。
短距離から長距離までオールラウンドに走れる素晴らしい能力と、明るくスター性もある選手なので、競輪でも数年後は充分目立った活躍をしてくれるでしょう。
個人的には将来ヨーロッパでロードを走る姿を見たかったのですが、今後は競輪と両立しながらオリンピックのポイントレースでメダルを狙って欲しいし、令央奈だからこそ充分その可能性があると信じています。
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